第35話 炎の貴公子―大河内信也戦(1)
大河内信也は、腕組みをしながら、お抱え運転手のハル爺を眺めていた。
ハル爺は、特注APと荷物をゆっくりとした動作で、後部座席に入れている。
「坊(ぼっ)ちゃん、逆行はいかがでしたか?」
大河内は、手動で開けられたドアに、乗り込んだ。
「いつも通りだ」
手短に応える。大河内家の時間操作士を使って、異時空間で、都合三日分の特訓をこなした。一日分の休養も、しっかりと取った。
体調は、万全だ。
大河内は昔から、完璧主義者だった。だが、人間に完全はない。きりがないから、試合直前の異時空間特訓は、三日までと決めている。
「それでは、出発いたします」
だだっ広い大河内屋敷には、黒い高級車両が何台も並んでいた。大河内にも、お抱え運転手が割り当てられている。
空間操作に限らず、大河内家の人間は、サイを発動しない。いや、満足にできなかった。才能はあるかも知れないが、能力を高める努力を怠ってきたからだ。その分、皆、長生きしている。
「ハル爺。今日の試合、親爺は?」
「都心で何件かセレモニーに出席される合間に、うまく時間を見つけられれば、行かれると――」
「つまり、来ないってことか」
雑事に多忙で、行きたくとも、行けないのだろう。TSコンバットの素人が観戦してみたところで、試合場で何が起こったかも、分かるまいが。
大河内にとって、父親が観戦しようがしまいが、どちらでもよかった。優勝した時の約束を覚えていて、それさえ果たしてくれれば、それでいい。
車が屋敷の正門に向かう。大河内は車窓から、葉をつけ始めたケヤキ並木を見た。
大河内信也は、父親の信一をあまり好きでなかった。
元はと言えば、大河内家は、時間操作により巨富を築いた天川時右衛門のお抱え運転手の出自だった。大河内家が「成功」したのは、数ある下僕の中で、主の天川家にひたすら忠実に仕えたためだった。
≪六河川≫では珍しく、大河内家にクロノス資格を持つ者は少なかった。当主の信一でさえ、クロノス資格を持っていない。主家、天川家に愚直に尽くすだけの人間に、TSCAは必要なかった。クロノスにならなくても、クロノスを使えば、足りる。
「親爺は、俺との約束、ちゃんと覚えているんだろうな?」
多忙すぎる信一との連絡は、幼いころから、自分つきの秘書兼運転手であるハル爺に任せるのが、結局、早かった。
「大丈夫ですよ、坊ちゃん。二度、確認をいたしましたから」
大河内家の当主である信一が、成功者に見え、現に成功者である理由は、唯一絶対の権力となりつつある天川家のいかなる命令にも、盲目的に従ってきたこと、その一点にあった。
詳細は知らされていないが、大河内家、特に分家は、買収から暗殺まで、天川家に代わり、大いに手を汚してきたようだ。
信一は自らの意思を持っていない。ただの道具だ。自動販売機と、変わりない。
人々は、信一の前にひれ伏す。だがそれは、信一にではなく、信一の仕える天川家に対してだった。
天川家のためなら、信一は、遠慮なく民主政治を売ったし、友人や部下をも裏切った。そんな信一に対し、世人はうわべは諂(へつら)いながらも、容赦なく陰口をたたいた。
嫉(そね)みもあったろうが、「天川の犬」にすぎない大河内に対して、真の敬意を払う者は、まずいなかった。次男の大河内信也でさえ、そうなのだから、推して知るべしだった。
「それで兄貴は、今年は修了できそうなのか?」
「……さあ……わかりませんなぁ……」
大河内の兄信吾は、時間操作科の本科に通うカイロスだ。時間操作科は親の七光がないと入るのが難しいが、あれば口利きで簡単に入学できた。信吾は、才能に乏しい上に、努力をしないから、クロノス資格は得られないだろう。だが、大河内家としては、問題なかった。
サイの過剰発動で、未適応症など発症して、早死するなど、愚の骨頂だ。寿命を失うサイなど、できるだけ自ら発動せず、他家に、他人に、させればいい話だ。
従順なだけが取りえの、無能な兄が次期当主となり、大河内家はますます栄えるに違いない。
大河内家の隆盛の理由は、単純明快だった。
天川家という勝ち馬に乗っているからだ。天川家には、当代一の預言者がついていた。今は確か、瑞木光男という静かな男だ。大河内も、会った覚えがあった。国立時空間研究所長を、している。
分家も含めて、大河内家が、≪大災禍≫の被害をほとんど蒙らなかったのは、瑞木の未来予知と結界のおかげだった。人類を「等しく」襲ったとされる大災禍が、真に天災であるとは、大河内にはとても思えなかった。
天災にしては、天川家や大河内家など、天川家の息のかかった連中に有利に事が運びすぎてはいないか。すべては、仕組まれた悲劇だったのではないかとの疑問が、頭をもたげてくる。
大河内も、幼いころは、名家の嫡子たる自分を誇りに思ったものだ。だが、長ずるにつれ、大河内家の醜悪さに気づき始めた。恥ずかしいとさえ、思った。いつしか、大河内家の人間として見られることが、つらくなった。
「それで、坊ちゃん。優勝されたら、お父様に、何をお願いなさるんで?」
「ハル爺に……関係があるのか?」
「そりゃあ、ありますとも」
「まだ、ちゃんと決めてねえよ」
大河内は、嘘をついた。
父の信一は、大河内が好成績で第二兵学校に入学すると決まった時、「新人戦で優勝すれば、何でも望みをかなえてやろう」と言った。
名ばかりで、実を伴わない大河内家にとって、新人戦優勝は、おそらく初の栄誉になるのだろう。信一は、素直にうれしかったに違いない。
もちろん信一自身には、何の力もない。だが、天川家と預言者の力を使えば、この世に、成らぬことなど、ないのではないか。
この四月、大河内は、新学期が始まるに当たり、入学時の約束を、信一に思い出させた。
「覚えている」とうなずく信一に、大河内は、「宇多川本家の、令嬢が欲しい」と申し入れた。
信一は、ちらりと大河内を見ただけで、「いいだろう」と、答えた。
宇多川本家に、娘は一人しか、いない。
大河内にとって、幼なじみの鏡子は、初恋の相手だった。
鏡子に見てもらうためだけに、大河内は技を磨いてきた。
「天川の犬」と謗(そし)られる大河内家にあって、血のにじむ努力を重ねてきた大河内は、奇異の眼で見られた。大河内家の人間であるという劣等感が、努力の源泉だった。
いつしか、大河内家の次男坊、信也は、大河内家の人間なのに、世間一般の意味で、将来有望な人材と見られるようになった。ジュニアで勝ち続けると、大河内家の人間なのに強いと、驚かれたものだ。
正式な届出外の異時空滞在期間もカウントすれば、大河内の実効年齢は、十八歳を超えている。人物の点においては、大河内が家中の筆頭だろう。
宇多川鏡子ほどの女を手に入れるなら、強くあらねばならないと常々、自らに言い聞かせてきた。
信一の力を使えば、時間操作科にも入れたのに、あえて空間操作科を選んだ理由は、それも第一を避けて第二兵学校にした理由は、ただ一つ、鏡子がそこにいるからだった。軽蔑する大河内を捨て、宇多川家に入れるなら、願ってもない話だった。
名実ともに力のある宇多川家との縁組みを願う名家は、少なくなかった。
今の婚約者は、二人目のはずだ。事情は知らないが、宇多川家には最近、五百旗家との婚約解消の動きがあると聞いていた。
大河内家の力をもってすれば、不祥事などいくらでも、でっちあげられる。必要なら、闇のクロノスを使って、鏡子の婚約者さえ、消してくれるだろう。
「わっしにも、坊ちゃんのお願いは、想像がつきますよ」
「分かっているなら、言うな」
「はい」
生まれた頃からの長いつきあいだ。分からないほうが、どうかしている。
どうやら鏡子は、朝香瞬一郎という同級生と、恋仲にある様子だった。
本選二回戦の鹿島長介との試合で見せた鏡子の醜態は、大河内にとって、見るにたえないものだった。
鏡子は、大河内の前で、常に美しかった。美しくあり続けねば、ならなかった。いつも冷静で、それゆえに美しい鏡子に、あのような見っともない態度を取らせた恋敵が、許せなかった。
大河内は、朝香瞬に対する敵愾心(てきがいしん)を、燃え滾(たぎ)らせている。
これまで大河内は、親の七光りでなく、主として自分の努力で、のし上がってきた。総合序列二位のランクも、自力で得た結果だ。
鏡子が恋しているらしい、序列最下位の少年があげてきた勝利は、どうやら、まぐれではなさそうだった。もともと実戦形式のTSコンバットは、まぐれで勝ち上がれるような競技ではない。
大河内は、今回の新人戦の全国大会を最後まで勝ち抜くために、サイに磨きをかけてきた。これまでの実戦で試す機会はなかったが、朝香瞬に対しては、秘技を使う必要があるかも知れない。
大河内は、鏡子の性格を知っているつもりだった。
鏡子は、死んだ次兄のケンを慕っていた。鏡子は要するに、強い男が好きなのではないか。圧倒的に強くあれば、いい。
鏡子の目の前で、完膚なきまでに恋敵を叩き潰す。絶望的な実力の差を見せつける。
もう一つの準決勝戦では、序列五位の小熊(おぐま)千夏(ちか)と、一〇八位の天野(あまの)翔(しょう)が対戦する。大河内は、天野という少年を知らないが、序列通り、順当に千夏が勝つだろう。八獣家で幼なじみの千夏の手の内は読めている。負ける気はしなかった。
新人戦を勝ち抜いて、見事に優勝し、鏡子を手に入れる。
宇多川鏡子は、大河内にとって、人生の一大目標だった。
鏡子に自分が好かれているとは、思わない。だが、己の才覚と大河内家の力を使えば、鏡子を必ず幸せにできるはずだ。
大河内は、愛刀≪日光助真(にっこうすけざね)≫の柄を、ぐっと握り締めた。
この世に一つしかない特注品だ。
その昔、徳川家康が愛用したと伝わる太刀をモデルにしたAPだ。大河内は、家康が嫌いだった。だが、家康の憎らしいまでのふてぶてしさは、苛烈な戦場では、むしろ頼もしかった。
ふてぶてしいと憎まれるくらい、強くありたい。だから、大河内は「俺様」と自称した。
霊石の≪オレンジ・カルサイト≫を、最高の技術でチューニングさせた愛刀には、大河内の財力をふんだんに使っていた。
だが、大河内の力は、それだけではない。
TSコンバットの真骨頂は、剣技などではない。サイだ。毎日、発動限界まで、クロノスによる個人指導を受けてきたカイロスは、新人戦出場者で、十指に届くまい。
大河内は、全国大会出場はもちろん、新人戦の優勝しか、考えていない。準決勝などで、番狂わせをさせるわけには行かなかった。
大河内は、≪日光助真≫の鯉口を切った。
輝く愛刀の刃に映る自分の眼が、大河内をにらみつけていた。
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■用語説明No.35:霊石の六属性
霊石の媒介で、輝石が発動するサイの波動で分類した属性。
L:ラピスラズリ(青)、M:マラカイト(緑)、G:ガーネット(紫)、Cn:カーネリアン(オレンジ)、R:レッドジャスパー(赤)、O:オニキス(黒)の六属性を指す。
理論上は、第七の属性として、Ct(シトリン)が存在するが、シトリン属性を持つ者はまだ、確認されていない。
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