第5章 遠い約束

第32話 戦いの後



 朝香瞬の身体には、一〇か所近い傷ができていた。

 高性能な宇多川家の特注コンバット・スーツのおかげで、深い傷はひとつもないが、軽い傷でも、痛いものは、痛い。

 宇多川家の控室でシャワーを浴びた後、バスタオルを腰に巻いた瞬は、鏡子に言われるまま、ソファに横になって、手当てを受けていた。

 

 瞬が、美少女に身体じゅうのケガの手当てをしてもらうのは、これで二度目だった。考えてみれば、瞬はよく負傷する日常生活を送っていた。

 鏡子は器用だった。実に手ぎわよく、消毒をし、絆創膏を貼っていく。打ち身にはシップを貼り、包帯を巻いてくれた。

 

(……鏡子さんは、何でもできる人だな。……明日乃さんは、絆創膏の包みを開けるのにも、苦労していたけど……

 ……明日乃さんは今、何をしているんだろう……?

 ……だいじょうぶかな……)


「どうしたの? 朝香君?」


 鏡子が、顔を覗きこんできた。


「……あ、ああ、ちょっと、疲れと、眠気でね……」


 明日乃を想っていたとは答えにくく、別のことを言った。


「それはそうよ。今日はじ~っくり休んでね」


 瞬は眼を閉じて、うなずいた。二人の格上のカイロス相手にフルコースを戦って、お腹いっぱい、実に長い一日だった。


「瞬君、明日は一日休みだけど、じっくり休むか、それとも、準決勝、決勝に向けて特訓するか、どうする?」


 新人戦の準決勝と決勝は、例年、第二兵学校だけでなく、東京にある三校がそろって、千駄ヶ谷の新国立競技場で開催される。他校の日程もあり、今年は、中日(なかび)をはさんだ五月五日に予定されていた。


「鏡子さんさえ良ければ、お願いしたいな。長介のぶんまで頑張るって、約束したから」

「了解。実家でビシビシ、しごいてあげるからね。さ、終わったわ」


 優しい顔をしているが、鏡子のしごきは半端でなかった。だが、瞬は嫌だと思ったことはない。


「いつも、ありがとう」

「今夜、お風呂を出てから、もう一度、貼りなおしたほうがいいわ」


 夜、鏡子はいないだろうが、そんな元気が、瞬にまだ残っていれば、そうしよう。


 その日の夕方、長介が寮に戻ってきた。


 対決も終わったので、久しぶりに夕食を共にしようとの提案を、瞬は喜んで、請けた。

 鏡子と直太を交え、四人で、リビングのローテーブルに向って座り、寮の貸出しコンロを囲んだ。


 豪勢な焼肉だった。大皿には、大量の肉塊が積みあげられていた。

 控室で鏡子が瞬の手当てをしている間に、直太が買い出しに行ってくれたらしい。

 直太がファンタのグレープを各人のグラスに注いでいった。見た目はワインのようだ。

 乾杯の音頭を、直太が取った。四人がワイングラスをかかげる。


「お前ら。何はともあれ、ようやった。ワシの家系、高血圧でなぁ。父方、母方の祖父ちゃん、祖母ちゃん……それから、俺の叔母はんまで、全員、心臓をやられて、わりと若うに逝ってもうとんねん。何が言いたいかぁ言うとやな」


 直太の前置きは長くなりそうだった。瞬は、疲れ切った手であげていたグラスを、いったん下ろした。


「今日は、二人とも、エライ心配させおってからに、ワシの寿命、何年分か、縮んでしもたやないか。この埋め合わせは、追々してもらわなあかんけどな。でもまあ、終わり良ければすべて良しや。ワシとしてはもう、何も、言うことはないんやけどな――」


「ない割には、けっこう言っているじゃないか、直太。乾杯のスピーチが長いと、大人になってから、嫌われるらしいよ。炭酸もはじけちゃうし」


 直太が期待しているのかと思い、瞬は一応ツッコミを入れておいた。


「じゃかあしいわい。ほな、とにかく乾杯や!」


 ワイングラスを鳴らす。試合が無事終わったことに、皆で乾杯した。


 鏡子が、瞬と長介に取り分けてくれる。皿への盛りつけ方も、鏡子らしく、見た目がきれいだった。

 鏡子は、何でもできる才媛だが、主婦志望だけあって、家事でも抜群の能力を持っているらしい。


 明日乃は、どうだろうか。少しは料理でもするのだろうか。

 瞬が鏡子を想う時、いつも明日乃と比べてしまうのは、同時に同級の予科生二人ともを、同じくらい好きになってしまったからだろうか。


「今日の試合の時、隣にボギーがおってんけど、『ごっつエエ試合やないか。会議 をサボった甲斐があっわい』言うて、関心しとったで」


 江戸っ子的なボギーは、そんな言葉づかいをしないだろうが、似たようなコメントを発したのだろう。


「こ、こんな日にも、会議、やっているんだ。教官って、大変だね……」


 長介の言葉に、鏡子が玉ねぎの輪切りを裏返しながら、首を傾げた。


「変ね……。他の教官、だいたい、来ていたみたいだけど……。本科や研修所もかけ持ちしているから、そっちの会議かも知れないわね」


「今でも、軍に呼ばれたりしとる、みたいやしな。ま、単に、野暮用やったんかも、知れんけど。……なあ、お前ら」


 直太がすこし身を乗り出して、声を落とした。


「……あの兄ちゃんが、軍の情報将校をやっとったって、話、知っとるか?」


 TSCAに優れるクロノスは、諜報(ちょうほう)、すなわちスパイとして、究極の能力を持ちうる。ボギーなどは最適任者だろう。

 ボギーが裏事情に詳しい理由は、どうやら彼の職種にも、あるらしかった。


「でも、どうして教官なんかになったんだろ?」


 瞬の疑問に、鏡子がためらいながら、口を開いた。


「詳しくは教えてもらえないんだけど、お父様のお話では、兵学校に来る前、ボギー教官のミスで、部下がたくさん戦死したらしいの…… 」


「それで、左遷されたって、ことか……」


 いつもチャランポランで飄々(ひょうひょう)とした風だが、ボギーにも背負っている過去があるようだった。


 ボギーの話題で座はしんみりとしたが、その後は、直太が、バーコードの真似をしながら、場を盛り上げてくれた。


「なあ、気晴らしに、『バーコード遊び』せえへんか? G組でごっつはやっとるらしいで」


 眠気を誘う語り口で悪名高い「サイコキネシス基礎理論Ⅱ」を担当する教官「バーコード」は、二年次の全クラスを受け持っていた。バーコードは、語尾を「な」で終える場合が多いため、予科生はよく物真似をしていた。


 兵学校で流行している「バーコード遊び」とは、会話中、すべての語尾を自然な形で「な」で終えなければならず、失敗した場合には罰ゲームがあるという単純な内容だ。


「ほな、ワシからな。バーコードの授業ってな、全クラスでな、一言一句、変わらへんらしいな」

「ある意味、それも、凄い技術だね……な」


 瞬は、あわてて取り繕ったが、直太が瞬を指さして反応した。


「お前な、今のな、失敗やったな。罰ゲームはな、ペットボトルのジュース一気飲みやな」


「そ、そんな。後出しジャンケンは、ずるいんじゃないかな。それに、ジュースがもったいないよな」


 瞬に、鏡子が続いた。


「女子には不利な、遊びなんじゃ、ないかな」

「ぼ、僕も、そう思うな」


「まずはな、罰ゲームをな、決めな、あかんねんな」


 不自然な会話を無理して続けるうち、勝手に笑いが生まれたが、瞬にとって、今、一番欲しいのは、睡眠と休息かも知れなかった。


「例えば、どんな、罰ゲームなのかな?」

「G組ではな、コクるんが、流行っとるらしいな」


 瞬は内心、あわてた。


「みんな、この遊び、もう、やめようよ。疲れるからさ」

「瞬の負けやな」

「か、関西弁のほうが有利だと、思うんだよな」

「まあ、やめましょ。特に、二人は疲れているんだし」


 鏡子のとりなしで事なきを得た後、瞬は、ピーマンを口に入れて、皿に箸を置いた。


「こら、瞬。もっと、食わんかい。肉、ぎょうさん買ってきてんぞ!」


 直太は、肉を四つほどまとめて、瞬の皿に置いてくれた。


「懐のかたい直太にしては、奮発したね。長介風に言えば、脂肪分が多くて、高脂血症になりそうだけど」


「細(こま)いことほざくな。今晩は、宇多川家の奢(おご)りなんやぞ。ありがたく、頂戴せんかい」


 あわてて礼を言う瞬と長介に、鏡子は「どういたしまして」と微笑んだ。


「でも、動物園のライオンとかじゃないんだから、和仁君、ちょっと買いすぎたかもね」

「余ったら、冷凍庫に保存しといて、また、長介に美味いもん、食わせてもらおや」

「へ、ヘルシーなレシピでね」

 

「ところで、瞬。今日の試合、大河内がそばで見とったんやけど、あの高慢ちきが、合宿するとかつぶやいて、帰りおったで。不気味なやっちゃ。瞬、序列二位の≪炎の貴公子≫大河内信也を、どうやって、倒すつもりなんや?」


 瞬は、直太がどっさり積んでくれた焼肉に、コショウを振りかけた。出が悪いせいもあって、何度も振った。


「大河内君ってのは、どんなタイプなの? 本当に炎を使うの?」

「そんなアホな。オレンジの発動色やから、自分で炎って、わめいとるだけや」


 瞬は、準決勝の対戦相手、≪炎の貴公子≫の異名をとる大河内信也について、何も知らなかった。組も違うし、実技クラスも、大河内は当然に第一クラスだから、顔さえ、知らなかった。


「大河内君は、いわば、オールラウンダー。どのサイ項目もトップ・スリーに入る。APも、まんべんなく使いこなせるわ。あえて弱点を言えば……特に、なさそうね」


 瞬は、鏡子の真剣な表情も、好きだ。見ているだけで、心がはずんだ。


「つまり、今回もヤバイって、話だね……。毎回、同じシチュエーションなんだけど、何しろ最初から、実力差がありすぎるからね。基本は、出たとこ勝負だよね」


「要は、ノープランって、話やな?」

「そうとも言うね。今のところは」


 瞬は、コショウ本体部分のフタを取って、ザバリとかけた。


「か、掛けすぎじゃないの? 朝香君」

「おお、いいね。久しぶりに長介の小言(こごと)が聞けたよ。懐かしいね」


 健康志向の長介は、常日頃、瞬や直太の食生活に対し、アドバイスを怠らなかった。あくまで善意だと分かってはいても、多少わずらわしく思う時もあった。


「君がいないと、僕の調味料使用量は、一日あたり一パーセント増えるんだ。困ったものだね……。……あれ? 誰か、『年間で三七・八倍になるじゃないか』って、ツッコミを入れてくれるの、待っていたんだけど」


 瞬はひとり笑うが、鏡子が口もとをほころばせてくれただけだった。


「アホ言うな。誰が、そんな面倒臭いツッコミ、入れるかい。ワシらはお前の心配をしとるんや。長介に勝ってしもた以上は、お前が絶対、優勝せなあかんねんぞ、瞬」


 瞬は、コンロの背後に眼をやったが、やはり赤いフタの調味料が見当たらない。


「やってみるさ。鏡子さんにも、長介にも約束したからね。最初から一応、そのつもりだったけど。……もしかして長介、七味、隠したね?」


「い、いくらなんでも掛けすぎだから……」


 隣をのぞき込むと、長介の右手に、赤いフタの調味料が見えた。


「長介、カプサイシンは美容と健康にいいんだよ」

「て、適量ならね」


 瞬は、長介としばらく見つめあっていたが、やがて同時に笑い出した。今回の対戦で、互いの粘り強い性格も、再認識できた。簡単に決着がつく話でもなさそうだった。


「大河内の話に戻すけどやな。参考までに、長介はどうやって、アイツを倒そうと、考えとったんや?」


 トウモロコシを齧っている最中に振られた長介は、緊張したせいか、軸を取り落とした。試合の時とは、ずいぶん落差があった。


「き、近距離戦闘では、勝ち目がないからね。カマイタチを使うつもりだったんだ」

「参考に、ならないわね」


 大河内対策を語り合ううち、瞬は自信がなくなっていく一方だった。


「ジュース、なくなってもうたな。瞬、冷やしてあるさかい、取ってきてくれ」

「了解」


 瞬が冷蔵庫を空けると、ジンジャーエールのペットボトルが見えた。


 ――明日乃を、想った。


 あの日、ボギーの部屋で、明日乃は、初めて飲むジンジャーエールをひどく気に入って、そればかり飲んでいた。


 明日乃はあの時、バカ話をする同級生たちと担任といっしょに、鍋を囲んでいた。どんな気持ちで、ジンジャーエールを飲んでいたのだろうか。

 振られない限り、ほとんど話もせず、プラチナ色の瞳で、瞬たちの笑っている姿を見ながら、何を想い、感じていたのだろうか。

 

「瞬、まだか? あと一本、買っといたやろ?」

「ごめん。今、持っていくよ」


 瞬はジンジャーエールのペットボトルを手に、席へ戻った。


 直太が、差し出されたグラスに注いでいく。

 瞬はベッドにもたれながら、受けた。

 明日乃は、あれから、ジンジャーエールを飲んだだろうか。飲むとしたら、独りで飲むのだろうか……。



***

 宇多川鏡子は、ベッドにもたれて眠る、朝香瞬の寝顔を見た。

 瞬は、直太がてんこ盛りにした焼肉に、黒く染まるほどコショウを掛けた後、箸を手にしたままで、眠っていた。


「気持ちよさそうに、寝てるね、瞬君……」


 起きている時の瞬の表情は、知性が勝っていて、鏡子はそれも好きなのだが、眠ると、瞬の優しさがにじみ出てくる気がした。


「しっかし、授業中も、食事中も、ほんまによう寝おるな。ご馳走を食べながら居眠りするなんて、器用なやっちゃわ」

「しかたないわ。瞬君、本当に、努力してるもの」

「ま、寝かしといたろか。ごっつ気持ちよさそうに寝とるし。ワシも眠いけど……」


 直太が大きなあくびをした時、長介が居ずまいを正した。


「じ、実は今日、実家に戻らなきゃ、いけないんだ。失礼な話だけど、朝香君に勝つもりで、明日の準備を色々していたものだから ……」

「ワシもそうやねん。ワシ、鹿島家では、ごっつ人気があってな。今晩から準決勝の日まで、家に泊めてもらう約束やってんや」


 直太も、長介とともに、下北沢の鹿島家に二泊するという。

 鹿島邸には、鏡子も一度、招かれた覚えがあった。腰の曲がった長介の祖母と、無口な従妹にとって、直太の明るさは、救いであるに違いなかった。


「じゃ、二人とも。食卓の上の食器類をキッチンに運んで。後は、わたしが後片づけをしておくから」


 残りの食材を冷蔵庫や冷凍庫に入れると、キッチンの流しに食器が積み重なった。


「すまんな、鏡子ちゃん。あのバアちゃん、ワシをごっつ可愛がってくれはんねん。あんまり待たせたら、あかんしな」

「よろしく、伝えといて」

「う、宇多川さん、帰る時に、朝香君を起こしてあげてね。あのままで風邪ひいたら、いけないから」


 長介と直太が出て行くと、鏡子は、リビングに戻った。

 瞬は相変わらず、鼾をかいて眠っている。

 鏡子は、二段ベッドの上から、タオルケットを取ると、瞬にそっとかけてあげた。

 鏡子は今、瞬とふたりきり、だった。



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■用語説明No.32:第四軍情報本部

第四軍(時空間防衛軍)総司令直属の諜報組織。

情報本部には、第四軍に入隊する優秀なクロノスたちの中でも、極めて高いTSCAを持つと認められる、選りすぐりのクロノスのみが所属しうるとされる。

情報本部は、総司令天川時雄の直属であるため、第四軍の軍事行動に決定的な影響をもちうるとされ、軍の最重要機関と目されているが、活動実態は、秘匿されている

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