第30話 魔弾の射手――鹿島長介戦(2)
宇多川家の控室で、朝香瞬は、今日も、鏡子の手料理をありがたく、美味しく、いただいた。
その後、鏡子と二人で、コーヒーを飲みながら、対長介戦の作戦会議を開いていた。
制服姿の鏡子に対し、瞬は、シャワーを浴びて、バスタオルを一枚、腰に巻いているだけだが、これだけ長い時間、二人きりでいると、特に緊張もしないようになっていた。
瞬は、長介の人柄や生活態度その他は、知っているつもりだが、TSコンバットの戦い方は、ほとんど何も知らなかった。
「鹿島君は、これまでの相手とは、まったくタイプが違う。格下相手なら、普通に刀で倒すけど、同等またはそれ以上の相手に対して、刀は使わないはず。恐らく朝香君に対しても。彼は一番自信のある戦い方で、必勝を期してくるはずよ」
「得物は、何を?」
「飛び道具。間違いなく、一番得意な弓矢ね。鹿島君は、≪魔弾の射手≫の異名を取る、遠距離型サイの使い手だから。彼は、弓道の達人なの。中等部の全国大会でも、誰も寄せつけずに優勝しているわ。サイなしで」
遠距離のサイを合わせて使うのだから、普通の速さで、矢が飛んでくるはずがない。サイを使って放たれた高速の矢に、生身の人間が反応できるものだろうか。
接近戦に持ちこめればいいが、簡単ではないのだろう。
矢を放たれるような距離を作った時点で、かなり窮地に立たされると考えていいだろう。
「ねえ、鏡子さん。サイで風圧を起こして、生身の人間にぶつけた場合、どうなるかな?」
弓矢について質問されると思ったのだろう、鏡子はけげんそうな顔をしたが、考えてから、答えた。
「防壁があれば、問題ないけれど……生身で受ければ、鹿島君のサイのレベルなら、殴られたぐらいの打撃が、あるかも知れない」
「その程度のサイなら、例えば三〇分でも、打ち続けられるかな?」
「時々休みながらだったら、可能でしょうね」
「鏡子さん。サイで一番疲れるのって、結局、何なんだろう?」
「個人差もあるけど、今の私たちのレベルなら、自身の長距離テレポートかしら」
しばらく続いた沈黙の後、鏡子が口を開いた。
「とにかく、遠距離戦闘は避けて、近接戦闘に持ちこむしかなさそうね」
その通りだ。だが、それで、勝てるかどうか。瞬もまだ、戦い方を決めていない。
「瞬君、これを使って」
鏡子が、宇多川家のコンバット・スーツを差し出してきた。きっと、亡き次兄への想いも、鏡子にはあるに違いない。
瞬は、礼を言って受け取った。
本来の優勝候補である鏡子の辞退によって、瞬の出場が可能になった経緯がある。瞬としても、宇多川家のコンバット・スーツを着用して、優勝を勝ち取りたいと思っていた。
瞬は、背を向ける鏡子の後ろで、スーツを着た。疲労は残っているが、勝負の世界に、言いわけなど、通用しない。
「出頭時刻まで、三〇分ほど、あるわね」
瞬は、鏡子の入れてくれた二杯目のコーヒーを飲みながら、少しでも身体を休める。
ブーツのひもが緩んでいるのに気づき、締めなおした。
「鏡子さん、疑問に思っていたんだけどさ。十七期の序列一位って結局、誰なの?」
序列二位の同列で、鏡子、五百旗伽子と大河内信也が、同ポイントで並んでいる話は、知っていた。
瞬は、携帯端末で、更新された本選のトーナメント表を見た。そこには、序列も記載されていたが、序列一位のカイロスはいなかった。
鏡子は、複雑な表情を浮かべてから、ぼそりと答えた。
「その表には、ないわ」
「どうして? エントリーしてないの?」
「もう、この学校にいないの。退学させられたから」
「それって、長介のルームメイトだった人?」
「そう。川野辺隼人君。十七期では、文句なしの序列一位だったわ。彼は、私たちとは、格がまるで違ったの。練習試合でも、彼には、誰も勝てなかった。最初から、鹿島君と川野辺君は、家同士の因縁もあって、特別の関係だった。川野辺家の没落には、八獣の鹿島家が大きく関わっていたから」
民主制を守ろうとした鹿島家は、かつて、天川家を除けば≪六河川≫の最有力者であった川野辺家をまつり上げた。最終的に、鹿島家の分裂と裏切りによって、川野辺家は滅びた。幼い姉弟だけを残して。
「その川野辺君って――」
「瞬君、ごめんなさい。川野辺君は、私の最初の婚約者でね。家同士で決めた話だけど、彼のことは、あまり話したくないの 」
同じ六河川として、複雑な事情があるに違いない。
「でも、おそらく鹿島君は、瞬君に勝つつもりよ。出場できなかった川野辺君のぶんまで、戦う気でいるわ。鹿島君は、川野辺君の退学が、自分の責任だって、思っているみたいだから」
事情は知らない。だが、長介が新人戦にかける相当な意気込みは、馴れあいを怖れて、瞬との共同生活を中断した一件からも、明らかだった。
しばらく沈黙した後、瞬が尋ねた。
「鏡子さん、槍のAPは、あるかな?」
「ウチの蜻蛉(とんぼ)切(きり)はあるけど……まさか、次の試合で、使うつもり?」
鏡子は、控室のロッカーから、斜めに立てかけてあった長さ三メートル強の槍を、瞬に見せた。
戦国時代、徳川家の猛将、本多忠勝が愛用した槍と伝わる名槍を模したAP(アタック・プロモーター)らしい。ずしりと重みがある。
「これ、使わせてもらっていいかな?」
「かまわないけど、使い慣れた宗近を捨てるのは、賭けになるわね」
カイロスのTSコンバットのルールでは、ダガーの他に、指定APの中から一つのAPの使用しか許されず、試合中の変更も認められない。
うまく行かなければ、それまでだ。
「冒険しないと、長介には勝てないと思うんだ」
鏡子が心配そうな表情で、尋ねた。
「槍は、使えるの? 瞬君」
瞬は、左前を半身にして、槍を構えてみた。槍回しをして、ぶんぶんと風を鳴らしてみた。
「すごい。かなり使えそうね」
「頭はともかく、身体は憶えているみたいだ」
――第二回戦に出場する競技者は、コロッセオ控室に、集合して下さい。
校内アナウンスが聞こえた。緊張に胸が高鳴った。
***
宇多川鏡子は、立ちあがって、瞬をうながした。
瞬は、≪蜻蛉切≫を小脇に挟みながら、鏡子に尋ねた。
「鏡子さん、今度の試合は、違うコロッセオだよね。全体を見下ろせる場所はないかな?」
「そうね。二号館の屋上からは、良く見えると思うけど。行ってみる?」
瞬がうなずくと、鏡子は瞬に近寄って、抱きしめた。ごつごつした若者の身体だ。自分とは、ずいぶん違う。
「あまり時間がないから、テレポートで連れて行ってあげる」
瞬は相変わらず顔を真っ赤にしているが、鏡子はそれほどでもないはずだ。
遠距離テレポートと違って、抱きしめる必要もないのだが、鏡子は自分のラベンダー光で、瞬を包み込んでいく。
しばらくの後、ふたりは、二号館の屋上にいた。
「五月晴れだね。実に、いい天気だ。雲ひとつないや」
「ねえ、瞬君。新人戦が終わったら、うちの別荘に行かない? 温泉もあるし、リラックスできるわよ」
「それは、いいね」
「これだけ、がんばったんだもの。それくらいのご褒美がなきゃね」
瞬が鏡子にくれるご褒美だと、意味は通じただろうか。鏡子とともにいることが、瞬にとってのご褒美でもあれば、鏡子は幸せなのだが。
瞬は、初めてキャンパスを訪れた観光客のように、コロッセオや、教室棟やらを眺めていた。
春の日ざしが、まぶしい。
†
宇多川鏡子は、コロッセオの特等席に座っていた。
明らかな差別的取り扱いだが、名家の関係者には、自動的に最良の座席位置が割り当てられるのが、兵学校の伝統だった。
「で、勝てそうなの? あんたの彼氏?」
昔から五百旗伽子は、ストレートで、容赦がなかった。
「イーストサイドの席も、まだ空いているわよ」
TSコンバットでは、東西に設けられた出入り口から、競技者が入場するが、序列によって東西の割り当てが決まっている。
序列が低い競技者はウェストサイドから入る決まりからだ、最下位の瞬は、常にウェストサイドに割り当てられるわけだ。観客席も、東西に分けられている。
伽子は、鏡子の反応にかまわず、隣に座ってきた。伽子は、≪六河川≫よりさらに格上の≪三旗≫だから、当然、特等席に座ることができた。
「あたしは、こっちでいのよ」
伽子は、婚約破棄の一件について、鏡子を責めるつもりに違いない。
「伽子は、どちらを応援しているの?」
「決まっているじゃない。美男子のほうよ」
「あなただって、面食いじゃないの」
「あら。あたしがいつ、面食いじゃないって、言った?」
「あなたはもう、新人戦には関心がないと、思っていたけれど」
「ヘン。そりゃ、関心くらい、あるわよ。今となっては、アイツに優勝してもらわないと、あたしが負けた理由を説明できないじゃないの。それにさ……」
伽子は、横目で鏡子を睨んだ。
「残念ながら、兄貴はあんたにゾッコンだからね。どんな男が鏡子の心を射止めたのか、関心があるだろうし。あんたの眼は、節穴だったって、報告したいとは思っているんだけどさ」
紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、鏡子の現在の婚約者は、伽子の兄になっていた。≪三旗≫の家柄だから、≪六河川≫としても、申し分ない話ではあった。
鏡子も、瞬に出会うまでは、別にそれでもいいと、思ってはいた。正式な破棄はまだだが、鏡子の心は決まっていた。
「あんたにフられるんなら、それなりの男じゃないと、同じ落ち込むにしても、納得がいかないでしょう?」
申しわけない気持ちはあるが、鏡子には、失恋した男性の本当の心まで、分からない。
コロッセオが騒めいた。
東ゲートから鹿島長介が入場してきたためだ。得物はもちろん、弓矢だった。
「あたしはもちろん、長介に勝つつもりだったけどさ。サイを使う前提の話よ。サイを使わないで、アイツの矢をかわそうなんて、想像もできないわね。それでも、勝つつもりなんでしょうね、あんたの彼氏は」
「彼氏って、まだ、わからないわ」
「フン。あんたも、まだお子様ね。それじゃあ、聞くけどさ。どうしてアイツは、あんなに必死で戦っているの? 別にクロノスになりたいから、じゃないでしょ? オブリビアスのアイツには、背負わなきゃならない家も、守るべき家族も、ない。じゃあ、何のためなの?」
西ゲートから入場した朝香瞬一郎の姿に、コロッセオがざわめいた。序列二位の五百旗伽子を倒して実力が認められたのだろう、ルックスもいいから、女子予科生を中心に、にわかファンが増えているようだった。
鏡子は、宇多川家のコンバット・スーツをまとう瞬の姿を、誇りに思いながら、見つめた。
なぜ瞬は、血のにじむような努力を重ねてきたのか。試合でも、最後の一瞬まであきらめずに、勝ち続けようとしてきたのか。この兵学校に残りたいからか。なぜ、そこまでして、残りたいのか。
伽子の機関銃仕様の口が、一方的に続く。
「聞いたわよ。あんた、アイツのために、エントリーを取り消したんだってね? あたしと同レベルの美少女に、そこまでされたらさ。どんな男だって、燃えるわよ。アイツは今、誰のためでもない、あんたのために、戦ってる。アイツは、マジで、優勝するつもりよ」
伽子の言葉に、鏡子は悪い気がしなかった。
「ま、それに、TSコンバットを分かんないヤツと試合見てても、面白くないじゃん」
†
コロッセオでは、朝香瞬と、鹿島長介がめいめいウォーミングアップをしながら、試合開始の合図を待っていた。
長介の得物は、得意の弓道で使っている和弓ではない。サイを併用する長介にとっては、移動の障害になるためだ。弦の短い弓を、二つの矢筒と共に、背にしっかりと装着していた。
長介は、サイを放つための精神集中を繰り返している様子だ。
これに対し、瞬は、コロッセオを歩き回りながら、時おり立ち止まっては、開かれたドームの屋根から見える建物や空を見あげていた。
「あたしと戦ったけど、疲れてないよっていう、ハッタリのアピールかしらね?」
これまで瞬は、長介の戦いを、一度も観戦していなかった。
仮にしていたとしても、あまり意味はなかったろう。これまで対戦相手に恵まれた長介は、さして得意でもない剣技で、格下を圧倒してきただけで、まだ本領を発揮していなかった。
いつも同じパターンだが、瞬には「出たとこ勝負」しか、なかった。
「ねえ、鏡子。あんたに訊いてるんだけど? 動物園のシロクマみたいに動き回っているの、あれ、フェイクなの?」
「……知らないわ」
「ちょっと待って。鏡子、宗近じゃないの? 得物?」
槍の穂鞘(ほさや)を取る瞬の姿に、伽子が驚きの声をあげた。
「ウチの蜻蛉切(とんぼきり)を、貸してあげたわ」
「見りゃ、分かるけどさ。もしかして遠距離サイに対抗して、リーチを少しでも長くっていう、単純な発想?」
もしかしたら、図星かも知れない。
鏡子は答えない。伽子の問いに応える義理はなかった。
「食べる?」
鏡子が黙っていると、伽子がポップコーンを差し出してきた。コロッセオでは飲食物が販売されているから、観客は自由に飲食していい。
「……要らないわ」
試合前の緊張で、鏡子は食欲がなかった。
「アイツ、槍も使えるんだ?」
「刀ほどではないけど、槍術も相当の腕前みたいね。彼が扱えない得物は、ないかも知れない」
「……クロノスになる訓練をそこまでする家って、三旗と六河川以外に、あったっけ? 八獣でも、そこまでやらないでしょ?」
たしかに、育ちのよさそうな瞬の上品な物腰は、名家の子弟を思わせた。もしも瞬が、あの少年なら、つじつまが合う。起きた後、忘れてしまった夢のように、記憶は奪われているが、瞬こそが、鏡子の初恋の相手だと、鏡子は信じ込んでいた。
観客席から騒めきが起こった。もうすぐ試合開始だ。
†
長介がゆっくりと、太極へと向かう。
遠い場所にいた瞬は、槍を小脇に抱えて、足早に戻る。
「朝香君。君と戦う時を、楽しみに待っていたよ」
長介の口調からは、ふだんの吃音(きつおん)が一掃されている。
「僕には、楽しむ余裕なんて、なかったけどね」
「やべ、長介のヤツ、完全に戦闘モードに入ってんじゃん。ああなると、強いからねえ。あたしにも、勝つつもりだったんじゃないの?」
伽子はその昔、サザエさんがピーナッツで繰り返していたように、ポップコーンを親指で空中に弾いては、器用に口の中に投げ入れている。
「で、鏡子。あんた、瞬に、どんなアドバイス、したの?」
「近接戦闘で、短期決戦。鹿島君に勝つには、他にないから」
「このあたしとフルコース戦った後だからね。でも、サイを使わないで勝つ方法なんて、考えたくもない、超難度の詰め将棋みたいね。手持ちのコマが『歩』だけで、二十手くらい詰めろっていう」
鏡子は将棋はルールくらいしか知らないから、よくわからない譬えだった。
きっと瞬は、鏡子と食事をし、コーヒーを飲んでいる間も、雑談をしている間も、いかにして勝つかを考え続けていたのだろう。
その結果が、「槍」だった。
果たして瞬は、正答を見つけたのだろうか。
†
試合開始の合図が鳴るや、瞬が動いた。
近距離戦に持ちこむつもりだ。
だが、瞬が突き出した蜻蛉切の穂先は、空を切った。
長介がバック・テレポートで、競技場の壁ぎわまで、後退したためだ。
距離を空けられると、危険だ。
瞬は槍を小脇に抱え、そのまま突進する。
長介が左手をすばやく振ると、風圧が生じた。風撃をまともに喰らった瞬の動きが止まった。
だが、瞬はひるまない。すぐに地を蹴る。長介に向かって、突進した。
瞬が突き出した槍の先――。
長介の姿は、やはりなかった。
すでに左へ約二〇メートルの地点に、テレポートで移動していた。
相手との距離があればあるほど、サイの発動時間に余裕ができる。数秒間でも精神を集中すれば、一〇メートル強のテレポートが可能だ。
鏡子や伽子が使う「連続テレポート」を一度だけにして、ゆっくりやっているようなものだ。足を使った移動距離を入れれば、二〇メートル程度は、稼げる計算だ。
長介は、移動し終える前に、すでに遠距離のサイ攻撃を、瞬に仕かけていた。
長介の移動先へ転進していた瞬を、いくつもの風撃が襲う。よける。が、うち一つが腹部に直撃した。瞬が歯を食いしばる。
予科生レベルの長介のサイ攻撃では、チャクラ攻撃と呼べるほどの風撃ではない。鏡子クラスのカイロスなら、防壁を張っていれば、風圧さえ感じないかも知れない。
だが、防壁に守られていない瞬の場合、長介の風撃はいちいち、ボディブローのように、生身の身体に効いているはずだった。
サイが使えない相手にだけ有効な、賢い戦略だと言っていい。
控室で瞬が、しきりに風撃を気にしていたのも、長介がこの戦法に出て来ると予測していたからだろう。
「長介のヤツ、考えたわね。しばらくはひたすら逃げ回って、遠距離のサイ攻撃に徹して、確実に勝ちを取りにいくわけか。サイの使えない相手にしか、通用しない戦法だけど、着実に相手の体力を消耗させられる。実に、イヤラシイやり方ねえ」
長介のサイコキネシスは平均より上だが、強力でもない。二〇メートル以上離れた遠距離の場合、平均的な光壁に対しては、まったく打撃を与えられない。だが、相手が生身の人間なら、十分な打撃になるわけだ。
「いじめか、拷問みたいね。長介ってさ、瞬の友達なんじゃないの?」
「そうよ。ラピス寮のルームメイトだから」
「女の世界は見苦しいけれど、男の世界も、シビアなものねえ」
伽子はサイドテーブルに頬づえを突き、他人事のようにつぶやきながら、ポップコーンを口に放り込んだ。
瞬は太極に移動し、長介に向かって槍を構えた。
(鹿島君は、近接戦闘を避けるために、常に、瞬君から遠い位置をキープしようとする。だから結局、瞬君にとって、鹿島君に最も近い位置は、太極になるはずだけど……)
競技場の広さは、直径四十四メートルの円である。
新人戦ではまず見られないが、空中戦を想定して、高さも四十四メートル以上を確保したバトル・フィールドの中で、試合が行われる。
「サイを使う相手に、二〇メートル以上も遠くにいられたら、生身で捕まえられるわけもないか」
四十四メートルと言えば、サッカーコートの半面弱の距離がある。
鏡子なら、サイを使って長介に接近し、近接戦闘に持ちこめるだろう。だが、瞬は生身の足で、駆けるしかなかった。
「それに、二〇メートル程度の距離なら、長介の遠距離サイは、まず外れないもんね」
長介は、攻撃される恐れがないと見たのか、今度は、指揮者がタクトを振るように、両手を使って、サイを放った。
だが、太極の瞬には当たらない。瞬はわずかな身の動きだけで、高速の風撃を避けている。
「ふうん。長介の長距離サイをかわすなんて、なかなかやるじゃないの。あたしなら、面倒だし、光壁であしらっちゃうけどさ」
瞬は、宇多川家の猛特訓で、時速四〇〇キロ超のボールをかわしていた。守りに徹している限り、長介の風撃はある程度、かわせるだろう。
だが……このままでは、勝ち目がない。
ただ、負けていないだけだ。いずれは疲労のために、すべての風撃をかわせなくなるだろう。
「ねえ、鏡子。瞬って、刀より槍のほうが、得意なの?」
伽子が馴れ馴れしく、瞬のことをファーストネームで呼ぶことが、鏡子には、愉快でなかった。
「……何でも、玄人のように扱えるようね。でも、やっぱり刀が一番使えると思う」
「ふうん。槍だと、瞬の俊足が生かせないのにさ。どうせ届かないのに、リーチだけ考えてるとしたら、バカね。これだから、コンバットの素人は、困るのよね」
伽子の批判にも、一理ある。なぜ瞬は、考えた末に、使用するAPに、槍を選んだのだろうか 。
太極の瞬は、長介に向かって、蜻蛉切を構えながら、深呼吸した。
「手間をかけさせるね、朝香君。僕はまだ、準決勝に備えて、特訓しなきゃならないんだ。早めに、終わらせてもらうよ」
長介は眼を閉じ、両腕をクロスさせると、すばやく開いた。
青空色の光が、瞬を襲う。広げた両手ほどの幅の風撃だ。これでは避けようがない。まともに喰らった瞬が吹き飛ばされて、倒れた。
打撃面積が広く、チャクラをヒットするほどの威力はない。だが、生身の瞬には、全身を殴られるような暴風に感じられただろう。
「あれだけの幅で風撃が来られたらね……」
単純な遠距離攻撃は、攻撃されずに生身の人間を確実に倒すには、すぐれて有効な手段だと認めざるを得ない。
瞬は、長介に一度も触れることさえできずに、このまま敗退してしまうのか。
万事休すに、見えた。
槍を杖にして立ちあがった瞬に対し、長介は再び、両手を構えた。
対する瞬は、相変わらず太極にあって、中腰で、槍を構えている。
長介は、太極を中心として時計回りに大きく回転する形で、移動していた。
鏡子の座席位置からは今、瞬と長介の向かい合う様子が、角度をつけずに、ちょうど見ることができた。
鏡子は、祈る思いで、瞬の端正な横顔を見詰めた。
長介がクロスされた両手を再び広げる。たちまち、スカイブルーの風撃が、瞬を襲った。
鏡子は眼をそらしたい気持ちを抑えながら、瞬の戦う姿を見た。
目を、疑った。
瞬は軽く吹き飛ばされて、後退しただけだ。難なく攻撃を受け止めた。
長介が重ねて放った風撃も、瞬には通用しない。
攻撃が止んだ時、理由が分かった。
「なるほど、槍回しか。瞬のヤツ、長介の攻撃パターンを、最初から読んでいたわけね」
瞬は、長介に向って、槍をすばやく回転させた。槍回しによって、物理的な風の防壁を作って、衝撃を吸収したわけだ。
例えば≪カマイタチ≫と呼ばれる、強力な遠距離サイ攻撃であれば、槍回しなどで、防御はできまい。だが、光壁で防げる程度の風撃に対しては、槍回しは有効な対抗策と言えた。
長介が三度目に放った風撃も、空しく、槍回しに破れた。
終わるや、瞬が、猛然と突進した。
この勝機を瞬はじっと、待っていたのではないか。
鏡子は思わず、身を乗り出す。
勝ったと、鏡子は、思った。
瞬の槍が、長介の第五チャクラを突こうとした時――
長介の姿が消えた。
競技場の中にはいない。瞬も観客も、長介の姿を探した。
長介の小身は、競技場を囲う高さ三・五メートルの壁の上にあった。
「さすがは長介ね。上にテレポートで逃げていなければ、完全に負けていたわ」
TSコンバットでは、様々なサイの使用が想定されるため、観客らを保護すべく、競技場の周囲は、高さ三・五メートルの壁で覆われている。空中戦も行われるから、厚さ一メートル余のコンクリート壁に乗ることは、ルール違反ではない。
「さあ、どうする? 生身の人間じゃ、三・五メートルの壁には乗れないもんね。近接戦闘は無理よ。槍回しだけで、長介を倒そうなんて、いかにも浅い料簡だったわね」
長介はコンクリート壁の上で、光壁を展開して、精神を集中させている。もう、壁上から競技場へと下りるつもりはないらしい。
壁上にいる限り、サイが使えない瞬の攻撃を受ける心配はあるまい。必勝を期すための冷徹な戦略だった。
次の一撃は、渾身の風撃だろう。
「魔弾の射手」と呼ばれ、遠距離サイの技を磨いてきた長介が放つ暴風だ。果たして、槍回し程度で、防げるだろうか。
長介は、太極に立つ瞬に向かい、両腕をクロスさせた。長介のコンバット・スーツが、強い青空色の光を放っている。
長介が両腕を開き始める。
猛烈な暴風が、瞬を襲うだろう。
だが、瞬のとった異様な行動に、コロセウムにどよめきが起こった。
瞬は、≪蜻蛉切≫の槍先を地面に差すと、棒高跳びのように、空中へ高く、舞いあがった。
上下が逆になっている瞬の頭の下を、青空色の暴風がかすめて行く。
サイを外した長介が、唇を噛む様子が見えた。
長介は、瞬がサイを使えないことを前提に、左右への逃避を防ぐべく、幅広の風撃を放っていた。空中への逃避は、まったく想定していなかったのだろう。瞬は、それを逆手に取った。
瞬がAPに槍を選んだ理由は、槍回しだけではなかったようだ。
「あたし……鳥肌が立ってきた。瞬のヤツ、この試合も、勝つ気でいるわ。ぜんぜん攻撃ができないのにさ」
(瞬君は、何があっても、絶対に諦めない……
……どうしよう……?
……私は、ますます瞬君に惹かれていく……)
瞬が地上に着地した時には、壁上の長介は再び、精神集中に入っていた。
残り時間が、一〇分を切っている。
瞬の攻撃は、長介のチャクラにかすりさえしていないが、長介もまた、チャクラへの有効な攻撃に、一度も成功していなかった。
このまま推移すれば、試合は、延長戦に入る。
長介としても、この試合でずいぶんサイを発動させられている。すでに一日ぶんの発動限界は超えているだろう。
明後日の準決勝を想定すれば、延長戦は避けたいはずだ。そうすると、精神集中をした後の最後の攻撃に、すべてを懸けるはずだ。
長介は、十七期で最高の遠距離砲を誇る。
≪魔弾の射手≫が無策で、次の攻撃をするとは思えなかった。
瞬に、もはや立ちあがれないほどの打撃を与えたうえで、競技場に下りて、鹿島家に伝わる≪新藤五≫で、ケリをつけるつもりだろう。
瞬は今、知恵を巡らせ、対策を考えているだろう。
二度、同じ手は通用すまい。今度は長介も、上への逃避を計算に入れて来るだろう。どうやって、直撃を回避するか。
瞬ならば、何かの方法で、長介の攻撃をしのげるかも知れない。
だがそれでも、長介のチャクラを攻撃しない限り、瞬に勝ち目はなかった。
瞬は、競技場をテレポートで逃げ回り、壁上にいる相手を攻撃する方法を、持っていなかった。
この試合で瞬は、まだ一度も、長介に対し、まともな攻撃さえ、させてもらっていない。
それでも、瞬は、勝つつもりなのか。
壁上の長介と瞬が対峙している。その距離は、二十数メートル。
次は、どんな暴風が、瞬を襲うのだろうか。
全身を、自らの霊石≪セレスタイト≫の色に輝かせた長介が、両手をクロスさせた。
眼を見開き、両手を開く。今度は、十本の指がすべて開かれていた。
競技場に向って、十本の風撃が同時に放たれた。
瞬は、槍を使って、直上に逃れながら、倒立状態で、槍回しをしている。
確率の問題だが、直上に放たれるサイだけなら、防げると考えたのだろう。
青空色のレーザー光線が、瞬を次々と襲う。
だが、様子が変だ。
「え? もしかして、偽物?」
隣の伽子が、思わず声を上げた。
鏡子は唇を噛んだ。
「フェイクの動作光だったようね」
長介は手を競技場に向けてはいたが、まだ、サイを発していなかった。
フェイクの動作光だけを放ち、注意を惹き付けておきながら、本物の風撃を時間差で発する作戦だったわけだ。一般的に使われる業だが、動作光を放つだけでも精神力を使うから、多用はされない。
空中の瞬は、必ず着地しなければならない。
そのためには、槍回しをやめ、着地体制に入る必要がある。防御に必ず隙が生ずる。長介は、その時を狙っているわけだ。
瞬は身体を捻って、足を下にしようとする。瞬は長介に対し、無防備な生身の背をさらした。
長介は今度こそ、右手の五指から、渾身の風撃を放った。瞬は数本の風撃をまともにくらって吹き飛ばされた。
瞬の身体が、競技場の壁にぶつかって、崩れ落ちた。
ついに長介が、壁上から、競技場に降り立った。左手は青空色の光に包まれている。五指のサイは未発動だ。
「勝負あったわね。生身であれだけの風撃を受けて、立ち上がれる奴なんて、いるわけないわ」
「……どうかしら。瞬君がやってきたのは、並みの訓練じゃないから」
長介は、腰に差していた≪新藤五≫を抜き、ゆっくりと、瞬に向って歩んでいく。
瞬は槍を支えにして、よろめきながら、立ち上がった。
長介が一〇メートルまで近づくと、瞬は、地面に槍を刺し、長介に対し、くるりと背を向けた。
攻撃してくれと言わんばかりの奇策だ。
伽子が吐いて捨てるように、つぶやいた。
「やぶれかぶれ、か」
長介が瞬の背に五メートルに迫った。踏み込みながら、光る左手を振りあげる。
背後の気配を読んだのか、瞬は、壁に向かって跳んだ。槍を頼りに、身長の高さで、壁を両足で蹴る。
長介の五本の風撃は、瞬の背の下を通り、空しくコンクリート壁に当たった。
瞬は、槍を捨てている。空中で、汎用ダガーを抜く。バク転しながら、長介の背後に回るつもりだ。
瞬は、地上からちょうど垂直な態勢だ。長介の頭上で、瞬が倒立状態になった。
ダガーをすばやく、長介の頭上に延ばす。
「あの体勢で、第七チャクラを? 狙ってたの?」
が、瞬のダガーは、チャクラをヒットする寸前で、身を返した長介の新藤五に、はじかれた。
瞬の着地した瞬間を、長介の新藤五が狙う。瞬は、ダガーで受け流す。剣技は、瞬のほうが上だ。
瞬が、ダガーの猛撃で、長介を壁際に追い詰める。
長介の第四チャクラを突いた時、長介の身体は消えていた。
すでに壁上へ、テレポートを決めた後だ。
試合終了の鐘が鳴った。
手に汗にぎる熱戦に、コロセウムが、沸いた。
――双方、有効打なし。一〇分間の休憩の後、延長戦に入ります。
審判による場内アナウンスが聞こえると、コロセウムが再び湧いた。
十五分間の延長戦が行われる。
鏡子は、瞬が、槍を片手に、ふらつきながら、競技場を出る後ろ姿を、感嘆の思いで、見つめていた。
瞬は決して諦めない。成功しなかったが、最後の攻撃パターンは、計算づくで、長介を追い込んだようにさえ、見えた。
「鏡子。もしかしたら、アイツ……ちょっと……カッコいいかも知れないわね……」
眼をやると、伽子が、ボーッとした様子で、瞬たちの去った競技場を見ていた。
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■用語説明No.30:鹿島家
名家≪八獣家≫の一つ。
リール以前から続く政治家の家系で、優秀なクロノスを輩出して力を得たが、三旗の川野辺家とともに、天川家の専横に対抗していた。
半軍事政権への移行を巡り、鹿島家は二分され、骨肉相食む悲劇を生んだ。現在は、往時の力を失っている。下北沢に邸宅がある。
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