第29話 魔弾の射手――鹿島長介戦(1)
※長介視点で始まります。
鹿島長介は、跳躍(ちょうやく)しながら、広い庭の隅に立てた霞的(かすみまと)に向って、弓を軽く引きしぼった。
長介の位置から標的までは、約五〇メートルの距離がある。これだけの距離で正確に的を射ることができれば、TSコンバットの競技場でも優に充てられる。
しゃがみ込んだ姿勢で、長介の放った矢が、空色の光を帯びる。長介の霊石≪セレスタイト≫の色だ。
矢は、標的に吸い込まれていく。
右端の外黒に当たった。狙い通りだ。
長介は動き回り、さまざまに姿勢を変えながら、外側から中心に向かって、黒、白と順に当てていく。
長介はサイを使わなくても、弓道六段の実力を有する。
サイを発動すれば、矢はさらに高速に、しかも安定して、的へと突き刺さる。
ほぼ百発百中の腕前は、兵学校入学前から、≪魔弾の射手≫の二つ名を、長介にもたらしていた。
コンバットでは、静止状態で狙える場合は、まれだ。
高速移動の途中、あるいは、バランスを崩した態勢での射を鍛錬しなければならない。
長介は庭石の上に、超短距離のテレポートを決めると、ふり向きざま、身体をひねって、矢を放った。
空色の光を発しながら、矢はあやまたず、霞的の中心に吸いこまれた。
長介は軽くうなずくと、屋敷のシャワー室へ向かった。
長介の実家、≪八獣家(はちじゅうけ)≫の一つ、鹿島家の屋敷は、下北沢の西にあった。
駅からは、いくぶん離れているが、テレポートを使えば、なんら不都合はない。
だが、長介の幼少の頃はいつも賑わっていた屋敷に、鹿島家の人間は、今は三人しか、住んでいなかった。
長介が自宅通学の特例措置を利用しなかった理由には、鹿島屋敷から逃げ出したいとの思いもあったろう。
もっとも、週末には必ず一度、戻る習慣にしていた。力を大きく失ったとはいえ、鹿島家を継ぐ人間がいるとすれば、長介しか、残っていなかった。
長介の本選の第一回戦は、相手が昨日の試合で負傷して棄権したため、不戦勝だった。長介相手に無様な負け方をするよりは、不戦敗のほうがマシだと思ったに違いない。だからまだ、長介は登校していなかった。
長介の仮想敵は、言うまでもなく、総合序列二位、≪エメラルドの彗星≫の異名をとる、五百旗(いおき)伽子(かこ)だった。
トーナメント表が公開される前から、長介は、連続テレポートを繰り出す、二人の少女を想定した戦いをイメージ・トレーニングしてきた。
宇多川鏡子の出場辞退は、正直にいえば、それだけで、長介を一歩、優勝に近づけてくれた。
朝香瞬の努力と、潜在的な能力は、長介も認めるところだ。
だが、TSコンバットは、潜在能力だけで、勝ち抜けるほど甘くはない。次の対戦相手は、五百旗伽子となるはずだ。
今の長介では未だ、あの連続テレポートを見切れない。接近戦では、勝ち目がなかった。
だが、まったく別の戦い方なら、勝てる。長介にしか使えない、遠距離サイを用いて、≪エメラルドの疾風≫五百旗伽子を、撃破する。
長介は、着替えを済ませて、決められた時間に、広すぎる食堂に入った。
品の良い老婦人が、椅子に座って、待っていた。料理人が作った食事が用意されている。
贅沢な食事だが、近頃は一度も、美味しいと感じたことはなかった。
「長介や、兵学校のほうは、順調かえ?」
「う、うん。何も、心配しなくていいよ、お祖母ちゃん」
「わたしは、何もしてやれんけど、気負うことはないんだよ。長介の生きたいように、生きたらええ」
八獣家の一つに列せられた鹿島家を襲った悲運が、ただの偶然の産物だったとは、長介も考えていない。
リール(LIR)と呼ばれる「最後の産業革命」の前から、代々、鹿島家は代議士の家系だった。
民主制最後の良心と言われ、民主制の堅守を唱えた長介の祖父が、何者かに暗殺されると、第四軍を掌握する天川家を中心とする軍事体制への移行の動きが、露骨に顕在化した。
天川家への対応を巡り、鹿島家は二つに分かれた。
軍政移行を支持して天川家に与した長介の父は、実弟、すなわち長介の叔父を排して鹿島家を一つにまとめ、勝ち馬に乗った。長介の叔父 は、異時空に飛ばされ、消されたらしい。長介が幼少のころ、一〇年ほど前の話である。
今から思えば、長介の父は、民主制の堅守が不可能であると悟り、軍事政権に民意を反映させる「半民主制」という現実路線を選んだのだ。
だが、魂を売り、軍にすり寄った政治家として糾弾され、民主主義者からも罵倒された。
数年前、長介の目の前で、長介の両親は、鮮やかな赤光(しゃっこう)を放つ一人のクロノスによって暗殺された。近ごろの政争では珍しくないが、軍事独裁政権を目指す者たちにとっては、半民主主義の堅持を主張する鹿島家が、邪魔になったに違いない。
民主主義者たちは、「背徳者」としてさんざんに非難してきた政治家が殺害されたとき、初めて、その政治家の偉大さと民主主義の瀕死に気づいたに違いない。完全な軍政への移行は、着実に進み始めていた。
下手人は、ちまたに≪赤光のメデューサ≫と呼ばれた殺し屋に違いないと、長介は思っている。
長介が吃音(きつおん)になったのは、この惨劇以来だった。だが同時に、復讐のために、長介が真剣にクロノスを目指す切っかけともなった。
齢の離れた長介の兄が、若き当主となり、鹿島家の再興を目指した。
強く優しい兄は、長介の目標だった。持ち前の人当たりの良さと努力で、時間操作士としての道を順調に歩み、クロノスとして、歩み始めたばかりだった。
だがその兄も、昨年の大災禍で、存在を失った。
結局、鹿島家には、長介のほか、夫や子らを失った可哀想な祖母と、伯父に両親を殺害された従妹だけが、残った。感情を失った従妹は、別棟に籠ったきりで、めったに顔を合わせることはない。
あの大災禍の日の朝、兄は少し顔を赤らめて、口ごもった。
――ところでな、長介。お前に紹介したい女性 がいるんだ。今日、プロポーズするつもりなんだけど、受けてもらえると思う。明日、紹介するよ。お前の義姉さんになる人、なんだから。
――そ、そうなんだ。どんな人?
鹿島家は大黒柱を次々と失い、政略結婚の対象からも外されていた。没落しつつある、名家だった。
――内務省の同期さ。一般の出の人だけどね。ずっと、俺の憧れの人だったんだけどさ。
笑顔で喜ぶ長介に、兄は尋ねたものだ。
――お前のほうはどうなんだ? 鏡子ちゃんには婚約者もいるし、なかなか難しいだろうけどな。
――な、何を言うんだよ、兄ちゃん。
――また、直太と隼人(はやと)を連れて来いよ。あいつら、面白いからな。そうだ、俺の婚約お披露目パーティーに招待しようぜ。パーティーって言っても、内輪でしんみりやる話だけどさ。
あの頃は、ルームメイトの川野辺隼人、和仁直太と三人で、よく遊んだものだった。
兄はあの日、恋人にプロポーズできたのだろうか。せめて恋人の承諾を聞いてから、兄は消えたのだろうか。兄の恋人は今、どうしているのだろうか。一緒に消えたのだろうか。
長介が、朝香瞬一郎というルームメイトの少年に、最初から好意を持っていた理由は、瞬がオブリビアスとして、同じ≪大災禍≫の苦悩を味わった一人である事情もあった。
加えて、瞬もまた、おそらくは恋人とともに、長介の兄がいたはずのテーマパークで、虹色の時を迎えたからだった。
――ぼ、僕も、お兄ちゃんのように、新人戦で、二校(第二兵学校)の代表になってみせるからね。
――そうか、長介。そいつは頼もしいな。兄ちゃんも楽できそうだ。
――だ、だから、お兄ちゃんのコンバット・スーツ、使って、いい?
――あんなに古いのより、新しいのを使えよ。
――で、でも、お兄ちゃんのを、使いたいんだ。
――わかったよ、好きにするがいいさ。
これが、最後の会話になった。
長介は、何か遠大な野望を抱いて、兵学校に入学したわけではなかった。クロノスになって、世が救えればもちろんいいが、自分はそんな器ではないと思っている。
長介はただ、優しい兄の喜ぶ顔を見たいがために、鍛錬に励んできたのだと思う。
兄は一言も漏らしたことはないが、恐らく≪赤光のメデューサ≫の正体を突き止め、復讐を遂げるつもりだったのだと、長介は思っている。ならば長介が、兄の遺志を継がねばならぬと、思い定めてもいた。
大災禍の起こった日の朝、長介は兄に約束した。第二兵学校の代表になる、と。
あの頃、長介の総合序列は、五位だった。序列一位の川野辺隼人には、とうてい及ばない。だが、幼馴染の鏡子、伽子、大河内信也には、努力次第で、手が届きそうな位置にいた。
新人戦では準優勝をすれば、全国代表になれる。隼人と別ブロックにさえ入れれば、代表になれる可能性があった。
だが突然、兄がいなくなって、長介は絶望のどん底に突き落とされた。
悲嘆のあまり、寝こんで、実家に引きこもった。大災禍の後にしばらく休校していた兵学校が再開されても、心配したルームメイトの川野辺隼人と和仁直太が、強引に迎えに来るまで、登校しなかった。
哀しみに身を任せて、鍛錬もしなくなった。当然ながら、序列は下がった。川野辺隼人も、兵学校を退学させられた。
だが、この春、新しいルームメイトの、朝香瞬に出会った。瞬は、すべての過去を奪われても、前向きに生きようとしていた。
瞬の明るさと優しさに、長介は元気をもらい、長介は立ち上がろうとしていた。
新人戦を勝ち抜くことは、瞬への恩返しでもあると思っていた。
物思いに耽るうち、食事も終わった。
「長介や、今晩と明日、あの元気な子が、泊まりに来るんかえ?」
「う、うん。和仁君が来るよ。準決勝に備えて、特訓の手伝いに、来てくれるんだ」
「そうかい、賑やかになるねえ」
「今晩は寝るだけだと思うけど、明日は一日、屋敷で特訓するから」
今日で、朝香瞬の新人戦は、終わる。長介は、寮で、ルームメイトの善戦をねぎらってあげてから、直太と鹿島家に戻るつもりだった。
死に絶えたような鹿島家に、光をもたらしてくれるのは、川野辺隼人がいなくなった後、和仁直太だけだった。祖母はもちろん、従妹でさえ、直太の明るさには、心を開いているようだった。
†
鹿島長介は、徒歩でキャンパスに入ると、まっすぐ、鹿島家の控室に向かった。試合直前に無駄なサイを費消する必要はない。公共交通機関を使っての通学だ。
個室の数は、充分にそろえられているから、力を失いつつある八獣家の子弟にも、控室は割り当てられていた。
長介は、兄の形見のコンバット・スーツを身に着けた。一昔前に流行したデザインだが、愛着があった。
鹿島家の愛刀、「新藤五」を腰に差した。
刃長は二十五センチメートルあまり。汎用型のダガーより短めだが、万一の場合にしか使わない得物(えもの)で、長介にとっては、お守りのような物だった。
***
和仁直太の内心は、おだやかでなかった。
瞬と伽子の試合結果を伝えようと、長介の携帯端末に何度も連絡したが、長介は出なかった。
だいたい、長介はいざTSコンバットになると、練習試合でも、人が変わった。外との関係をほとんどシャットアウトして、試合に集中してしまう。
直太は、さっきから幾度か、訓練棟の上階にある鹿島家の控室を訪れているが、誰かのいる気配はなかった。
念のため、ノックをしてみる。
中から返事が聞こえ、ドアが開いた。
「やあ、和仁君」
「やっと会えたぞ、長介。どこにおったんや? 瞬が、五百旗(いおき)に勝ちおったぞ。二回戦の相手は、瞬や」
直太は勧められるままに、ソファに腰かけた。長介がお茶を淹れてくれた。
「長介。瞬は、ごっつ手強いぞ」
「さすがは、朝香君だね。彼が勝ちあがってくる気も、少しだけ、していたよ。でも、心配はないさ、和仁君。強い敵に対して、僕の戦い方は変わらない。僕の一番得意な方法で、勝つだけさ」
長介は、実家から持って来たらしい、上等そうな和菓子を長介に勧めながら、ほほ笑んだ。
「もちろん準決勝のことを考えると、相手が朝香君のほうが、僕にはありがたい。五百旗さんを倒すには、ずいぶん体力を使うだろうからね。朝香君には済まないけど、僕は必ず勝つ。川野辺君のためにも、ね」
直太は大きくうなずいた。
長介もまた、直太と同様に、川野辺隼人が退学になった一件で、親友を守れなかった責任を感じているに違いない。
本来であれば、隼人こそが、国立第二兵学校、第十七期でダントツ最強のカイロスとして、新人戦を全国大会まで制覇すべきだった。
学年が変わっても、序列一位がまだ変わらないのは、一年次の途中までで積みあげた隼人の総ポイント数に、まだ、二位以下が及ばない事情もある。
だが、名簿から「川野辺隼人」の名前が消え、序列が一つ繰り上げになっても、予科生たちがなお、序列一位の座を空けて、自分の序列を語るのは、いつかまた、川野辺隼人が戻ってくると信じているからだ。
これは、兵学校側のとった退学処分という措置に対する、予科生たちの継続的な抗議の意思表示に他ならなかった。
「朝香君は、まだ、サイを使えないんだよね?」
「ぜんぜん。アイツが、使えるわけ、ないやんけ」
長介が小さく笑った。
「それなら、朝香君に、勝ち目はないよ」
長介は二重人格なのではないか、と直太は時々、思う。
ふだんは内気で、優しい少年だが、いざ試合となると、まるで人が変わる。吃音(どもり)も吹っ飛び、自信たっぷりの口調になった。
長介は完全に、試合に集中できる体勢に入っていた。
体調も万全、絶好調と言っていい。予選の二試合を見たが、長介は完全復活をとげている。今の長介は、優勝しか、考えてない。隼人の代わりに優勝するつもりだ。
長介はすでに、瞬との戦いの後を見すえている様子だった。
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■用語説明No.29:最後の産業革命(リール)
時空間操作に関する技術革命。Last Industrial Revolutionを略記して、LIRとも呼ばれる。
究極の空間移動であるテレポートを可能とし、過去の改変を可能とする時間操作技術は、その後の時流解読により≪終末の日≫が予知された事情もあり、「最後」の産業革命と呼ばれている。
西ノ島の大規模隆起により、古代に落下した隕石中の≪輝石≫が発見されたことに端を発する、日本発の技術革新である。
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