第27話 エメラルドの彗星――五百旗伽子戦(2)
五百旗(いおき)伽子(かこ)は、訓練棟の最上階にある五百旗家の個室に、いた。
独り、だ。
伽子の孤独な戦いを見守ってくれる人間がいるとすれば、優しい異母兄だけだが、時間操作科の異時空間合宿のため、来られない。
伽子には、友達がいない。いたとすれば、宇多川鏡子だが、今はもう、友達ではなかった。
だから伽子は独りで、雲ひとつない空を、見つめている。
三旗の子弟には、時間操作士への道が、デフォルトで用意されている。
だが、時間操作能力が乏しい場合、あるいはその家の将来にとって重要でない子弟は、空間操作士への道を歩まされる。
時間操作士には枠があるし、分家が、本家に対して力を持ちすぎないように、時間操作士への道を閉ざすことは、よくある話だった。
庶子である伽子 には、最初から、時間操作科への道は、存在していなかった。
伽子が、幼い頃に出会った鏡子に対して抱いた、初めての感情は、羨望(せんぼう)だった。
自由な気風の宇多川家では、本家分家を問わず、子弟が自分の将来を自由に選ぶことができた。自分の意思で、空間士の道を選んだ境涯が、うらやましかった。
(……そうだ……。あの一七六番……誰かにって、思っていたら……
……死んだケンさんに、似ていたんだ……)
鏡子が死んだ兄に似た人間を恋人に選んだのは、偶然ではないだろう。
(でも、兄さんを裏切った鏡子を、あたしは、絶対に許さない!)
伽子は、抜く手も見せず、腰の≪童子切(どうじぎり)安綱≫を抜き放った。
安綱は、伽子の動作光、エメラルドに輝いている。
***
宇多川鏡子は口に手をやり、あくびをかみ殺した。
「鏡子ちゃん、昨日は結局、何本くらい、瞬につきあうとったんや?」
「……覚えてないけど、千本近く、やったかも知れない」
身体が怠く、重い。
予科生レベルでは、サイの過剰発動で、治療等を要する状態にはならないが、鏡子が近ごろ、発動限界をまるで気にしていなかった。
「そんなん、発動限界を軽う超えとるやないか?」
「まあ、ボギー先生も、カイロスはいくらでも超えろって、言っているしね」
「あの兄ちゃん、適当なこと、言いよるからなぁ。鏡子ちゃん、あんまり真に受けたらアカンで」
テレポートを使う鏡子でさえ、これだけ疲労を感じている。生身で鏡子の攻撃を受け続けた瞬は、どれだけ疲労しているのだろう。
大事な試合の前日なのに、調子に乗って、瞬に請われるままに、特訓をやり過ぎたかも、知れない。
――伽子の予告どおり、瞬は、瞬殺されてしまうのではないか……。
今さらながら後悔しつつ、鏡子は、上空に広がる青空を見上げた。
新人戦も本選に入ると、室内訓練場でなく、≪コロッセオ≫と呼ばれる競技場で行われる。
決勝、準決勝と違って、兵学校生の登校日ではないが、予選と違い、本選では、出場者の関係者も観戦するため、観客席はほどよく埋まっていた。
競技者が、東西の入口から登場すると、コロッセオにざわめきが起こった。
「しっかし、五百旗って奴は、エロいCスーツを着おるのう。鏡子ちゃんとは、大違いや」
鏡子は、瞬の緊張した面持ちを、じっと見つめていた。
やがて、場内アナウンスで、競技者として、五百旗伽子が紹介されると、コロッセオのざわめきが最高潮に達した。
ルックス抜群の伽子ファンは、男子予科生を中心に、少なくない。対戦する瞬の紹介は、うるさくて、聞こえもしなかった。
太極へは、先に伽子が入り、瞬が続いた。
二人が、対峙した。
伽子の得物は日本刀で、「童子切安綱」をモデルとした自慢のAPだ。もちろん特注品だ。かつて京の都を騒がせた酒呑童子(しゅてんどうじ)を屠(ほふ)ったと伝わる、荒々しい太刀を、伽子は好んで使った。
試合開始の合図と同時に、エメラルド・グリーンの烈風が、瞬に襲いかかった。
瞬は、左へかわす。間一髪だ。
瞬が身を翻したとたん、再び、烈風が襲った。瞬は、飛びすさりながら、刀を交えた。
剣戟の音が連続して、静まり返ったコロッセオに、響き渡る。
「へえ、やるじゃないの。あたしの初撃をかわすなんて、さ」
言い終わる前に、伽子の展開するエメラルド光は、すでに瞬を襲っている。
瞬には、動作光がまだないから、伽子の霊石≪エメラルド≫が作る光の線だけが、コロッセオに輝いている。
「ほんまギリギリやけど、五百旗の連続テレポートをかわしとるのう。……瞬も、凄いやっちゃな」
昨日までの特訓で、瞬は、鏡子の連続テレポートを、ついに一度も、最後まで、かわせなかった。
にもかかわらず、瞬は今、見事に攻撃を最後までかわし切っていた。
コロッセオが騒めいた。
伽子の華麗な十数撃を、瞬が、受け止めたためだろう。
競技者二人の高レベルの剣技に、ため息がこぼれた。
「やっぱり五百旗如きでは、鏡子ちゃんには、叶わへんちゅう話やな」
「違うわ。……瞬君が、進化しただけよ」
連続テレポートは、膂力(りょりょく)で男子に劣る小柄な女子が、敏捷性を生かして磨く技だ。
伽子と鏡子は、抜きつ抜かれつ、技能に大差は、ないはずだった。
瞬は、鏡子相手に特訓を重ねてきた結果、本番でようやく対応できるようになったに過ぎない。
ぎりぎり本番で、間に合わせたわけだ。
仮に鏡子が同じ技をしかけても、今の瞬なら、かわされるだろう。今日の瞬は、昨日までの瞬とは、違っている。
***
朝香瞬は、伽子に向かって、三日月宗近を構えたまま、精神を集中している。
伽子の連続テレポートを、何とかかわせた。だが、聞きしに勝る高速だった。まだ全く、慣れてはいない。
瞬が、次の十数撃をすべてかわせる保証は、どこにもなかった。攻撃に転ずる余裕など、皆無だった。
――とにかく、集中だ。
本番で、伽子の連続テレポートの特訓を受けるわけだ。技に慣れ、見切れれば、勝機が見えてくる。
伽子は、童子切安綱の切っ先を、瞬に突きつけると、大声で怒鳴った。
「ちょっと、一七六番! ざけんじゃないわよ! 序列二位のあたし相手に、何でサイを使わないのよ? あたしを馬鹿にする気?」
瞬は、苦笑いした。
「一生懸命、使っているつもりなんだけどね。測定下限値以下だから、気づいてもらえないんだ」
伽子は、呆然として安綱を下ろし、瞬を見た。
「まさか、あんた、サイを使わずに、本選まで勝ち上がってきたって言うの?」
「大きなハンディだから、苦しかったけどね。僕は、鏡子さんのぶんまで、勝たなきゃいけないんだ」
伽子は怒りの形相で、安綱を構えた。
「馬鹿にするにもほどがあるわ! サイもろくに使えない十二クラスの劣等生に、あたしが負けるわけ、ないでしょうが!」
言い終わる前に、伽子は、憤然と連続テレポートを繰り返した。伽子の緑がかった動作光が、瞬に、幾重にも襲いかかってくる。
――見える。……もう、見える。
伽子のサイは、高級なチョコミントのアイスクリームのような爽やかな香りがした。匂いを感じられるほどの余裕が、瞬にもできたわけだ。
防戦一方の状況は相変わらずだが、瞬は、確実に寸前で、伽子の技を見切っていた。
伽子に限らず、連続テレポートはいつまでも続けられない。水泳で息継ぎをするように、必ず終わりの時がくる。
連続テレポートが途切れた瞬間、踏み込む。
今度は、瞬が攻勢に出た。
初めて、伽子が守勢に回った。
――取った!
だが、伽子もさるもの、瞬のチャクラ攻撃を危なげなく、かわした。並みの予科生なら、敗退していたはずだ。
「あんた、舐(な)めたマネ、すんじゃないわよ!
***
観客席から身を乗り出しているのは、宇多川鏡子だけではなかった。
序列最下位のカイロスの意外な奮戦に、コロッセオは静まり返っていた。
鏡子は、瞬の端正な顔を食い入るように、見つめていた。
わかった。瞬は、最初から、勝つ気でいた。
瞬が、宗近の柄を、ゆっくりと握り直した。
「五百旗さん。君の連続テレポートは見切った。僕は、鏡子さんに鍛えられたからね。その技では、僕にはもう、勝てない」
「やかましいのよ、序列一七六番が! 不適格者のくせに!」
伽子が再び攻勢に転じた。さっきより格段に激しい連続テレポートだ。瞬は、十数撃をぎりぎりのところで、かわす。
攻勢が途切れた瞬間、瞬が身体を沈ませながら踏みこんだ。下半身の第二チャクラを狙う。
「よっしゃ、取ったぞ!」
鏡子の隣で、直太が興奮して、叫んだ。
瞬は勝利を確信したように、宗近を横に薙(な)いだ。
だが、チャクラにはヒットしない。空振りだ。かえって、瞬は、脇腹を蹴られて、ふっとんだ。
体勢を立て直す間もなく、すぐに伽子の連続テレポートが始まる。瞬はそれでも、十数度に及ぶ斬撃を、何とか受け止めた。
伽子が瞬の反撃に警戒しながら、身を引く。
「さすがに、あの鏡子が、家の威信を捨ててまで、認めた男だけのことはあるわね。でも、あたしがただ『連テレ』一本だけで、今の序列にいると思ってないでしょうね。あたしは新人戦に、優勝するために出場しているのよ。鏡子にも使えない技に、磨きをかけてね」
伽子が、女でもドキリとさせるほどの、妖艶な微笑みを浮かべた。
「さ、もう一度、来なさいよ。どうせ、あんたなんかに見切れる技じゃないんだからさ」
「鏡子ちゃん、いったい何が起こったんや? 瞬は、確実に第三チャクラをヒットしとったはずやで……」
鏡子は小さく首を横に振った。
「まだ、分からない。でも、さすがは伽子ね。努力しているのは、私たちだけじゃない。彼女も、日々進歩しているわ」
伽子は、幼少から空間操作士としての身体能力を、ひたすら高めて来た。肝心のサイの技巧も、同様だ。伽子はビッグマウスだが、口先だけの女ではない。
うながされた瞬は、再び攻勢に転じた。追いつめた伽子の鳩尾(みぞおち)を突いた――はずだった。
だが、今度もヒットしない。
鏡子は唇を噛んだ。
「いったい、どうなっとんや?」
「やっぱり……。あれは、イリュージョンよ」
空間操作により、空間を歪(ゆが)ませ、残像をずらして、幻影のように見せる高等なサイ・テクニックだ。
瞬は、正確な打撃で、幻影のチャクラをヒットしていた。
だが、それは実体ではない。瞬の打撃が正確であればあるほど、瞬は勝利から遠ざかっていく。
瞬は、イリュージョンなる技の存在さえ、知るまい。
朝香瞬は、追いつめられていた。
*********************************
■用語説明No.27:コロッセオ
TSコンバットの正式な競技施設。
直径四四メートルの円形のバトル・フィールドを、高さ三・五メートル、厚さ一メートルのコンクリート壁で囲う。その周りに、観客席が設置される。天井部分は開放されているのが標準設計であるが、バトル・フィールドの素材は、ハード、クレー、グラスなど、さまざまである。
円形とされるのは、ガロアの防壁が、同心円状に発動される場合が多いためである。
********************************
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます