第26話 エメラルドの彗星――五百旗伽子戦(1)


 朝香瞬は不覚にも、初対面の少女に見とれていた。

 腰まで届きそうな栗色の長髪が良く似合う、エメラルド・グリーンのコンバット・スーツは、世界に一つしかない特注品だと、ひと目でわかった。

 既製の汎用型Cスーツよりも、さらにボディラインを強調するように、生地が身体に密着して、刺激的だった。防具というより、風変わりな水着のようだった。


 腰には、深緑の鞘(さや)の大小をさしている。いかにも特注品の鞘だ。

 鏡子の隣であるにもかかわらず、瞬は言葉を失っていた。


「何、あたしの身体に見とれてんのよ、あんた? カイロスにとっては、光壁こそが防具。だから、あたし専用のCスーツは、規格ぎりぎりの防御力に抑えてあるわ。そのぶん、軽くて、動きやすい。抜群の敏捷性が得られるのよ」


 伽子は、ずいぶんな早口だった。

 瞬はじっと見ていられず、視線をそらした。

 少女は構わず、つかつかと歩み寄ってくると、腰の細いくびれに両手をやりながら、瞬の顔をじろりと見た。


「あんたが、あたしの次の相手、序列一七六番ね。名前は忘れたけどさ」

「朝香瞬です。よろしく」


 瞬は改めて、少女を見た。

 どうやら、この少女が、鏡子と同じ序列二位の五百旗(いおき)伽子(かこ)らしい。

 鏡子とは、まるでタイプが違うが、直太が言ったように、美しさでは引けをとらない。

 鏡子の≪六河川≫よりもさらに格が高いとされる≪三旗≫の名家、五百旗家の令嬢だ。

 伽子は、犬がうろつくように、瞬の周りを二、三周した。


「あんた、序列最下位だって、聞いたけど、本当なの?」

「うん。まあ、残念ながら……」


 伽子は、見くだすように、胸を張った。鏡子ほどではないが、ボリュームがある。


「そんなヤツが何で、本選にまで、出てくるわけ?」


 伽子が機関銃のような口を開こうとした時、瞬のかたわらにいた鏡子が、かばうように、前へ出てきた。


「伽子は、順調に勝ち進んでいるようね」

「順調? 当り前よ。天才が努力しているんだからさ。今のあたしの連続テレポートを見切れるヤツは、同期に、いやしないわ」


 同じ年ごろの名家の令嬢として、幼なじみと聞いてはいたが、仲はあまり良くないらしい。鏡子の人柄を考えると、おそらくは伽子のほうに、原因がありそうだったが。


「それじゃ、優勝を、狙いに行くつもりかしら?」


「当然でしょ。それにしても、六河川の御令嬢ともあろうお方が、新人戦にエントリーし忘れるなんて、前代未聞の珍事よね。あたしにとっちゃ、優勝候補が一人減るんだから、ありがたい話だけどさ。あんたのムダにでっかい胸を、あたしの安綱(やすつな)でイジめてやろうと思ってたから、拍子抜けしたわよ」


 ≪安綱≫とは、腰にさしてある愛刀のことだろう。

 毒舌を吐きながら、伽子は、瞬の顔をまじまじとのぞき込んで来た。口こそ悪いが、伽子の上品な顔を間近で見ると、ドキリとした。


「ねえ、一七六番。あんた、どうしてクロノスになるの?」


 オブリビアスの瞬にとって、クロノスを目指す理由はまだ、はっきりとしていなかった。

 瞬の返事など待たずに、伽子は続けた。


「空間屋なんて、しょせんエリート・コースから、外れてんのよ。あたしたちが何をしたって、時間屋には勝てないんだからさ。本当は、あたし、空間なんかじゃなくて、時間をやりたかった。でも、できなかった。なぜか、分かる?」


 首を傾げる瞬に対し、伽子は自嘲気味に笑った。


「あたしの身体に、イギリス人の血が半分、流れてるからよ。国籍は日本にしてやったのにさ。結局、五百旗(いおき)の家じゃ、あたしだけが、格下の空間屋の道を歩かされてきた。分家以下の扱いよ」

 伽子は、長い髪を優雅なしぐさで、かき上げた。


「あたしは、時間士にも負けない最強のクロノスになって、絶対にヤツらを見返してやる。だから、優勝以外、あり得ないの。下々のあんたには、分かりっこない話だけどさ」


 伽子は嬲(なぶ)るように、ジロジロと瞬の顔を見た。


「ふん。顔だけは、上等じゃないの。でも、ルックスだけで決めるなんて、鏡子らしいわね。あんた、昔から、面食いだから」


 剣呑(けんのん)な雰囲気に、鏡子が、伽子に向って、一歩踏み出した。


「伽子、あなたとは前に、絶交したはずでしょう? 無視するなんて、大人げない真似は、しないけれど、あいさつにしては、話が長すぎるんじゃないかしら?」


 二人の美少女の間には、何やら因縁がある様子だった。


「へん、あたしは、序列一七六番相手に話していただけよ。あんたが勝手に乱入して来たんじゃないの」


 伽子は、鏡子に向って、指を突き付けた。


「鏡子、ようく憶えておくことね。あんたの幸せをぶち壊すのが、あたしの幸せなんだってことを。この格下を叩きのめせば、溜飲が下がるってものだわ」


 瞬は、喧嘩腰の伽子と鏡子の間に、あわてて割って入った。


「まあまあ、五百旗さん、相手は僕なんだから――」

「おだまりなさい! あんたのせいで、話がややこしくなってるんだから! あんたが諸悪の根源なのよ!」


「え? どうして、僕が……」

「あたしには、個人的に、どうしても、あんたを倒さなきゃいけない事情があるの」


 瞬には、思い当たる節がなかった。


「人はね、知らないうちに、人を傷つけているものなのよ 」


 名家同士で、こみ入った事情があるのだろうか。うつむき加減の鏡子に尋ねるほど、瞬は野暮でもない。


 伽子は、今度は鏡子に向かい、整った顔を突き出した。


「それにしても、こんな下賤(げせん)の出の男のために、大事な婚約を破棄しようなんて、宇多川家らしいわね」

「え? 何の話? 本当なの、鏡子さん?」


 瞬は、寝耳に水の話にあわてたが、鏡子が堅い表情で説明した。


「……本当の話よ。私には、婚約者がいるの。家の都合で親同士が決めた話だけど……」

「鏡子さん……それを……破棄したの?」

「まだ正式じゃないけど、お父様には申し上げてあるわ。私、瞬君に対して、いい加減な気持ちじゃないから。婚約相手にも、失礼だし」


「手紙の封でも切るみたいに、よく婚約を破棄なさる令嬢だこと。これで、何度目かしらね。あんた、美人だったら、何してもいいって、わけじゃないのよ」


 鏡子がずいと、伽子に近づいた。


「伽子。この話はこのあたりで、いいかしら。瞬君には、関係のない、家の話だから」


 伽子は腕組みをしながら、瞬をちらりと見た。


「ヘン。原因になっている男の前で、ハッキリしといたほうがいいんじゃないの? 鏡子。あんた、婚約を破棄される相手の身になって、モノを考えたこと、ないでしょう? 男をフッた経験しかないあんたなんかに、失恋の痛みがわかるわけもないか」


 一触即発の非常事態に、瞬はあわてた。


「五百旗さん、ちょっと待って。鏡子さんが婚約を破棄するとしても、とりあえず、君には関係のない話なんじゃ、ないかな?」

「関係ない、ですって? 大ありよ。バカも、休みやすみ言いなさい」

「五百旗さんは、鏡子さんの友達かも知れないけど――」

「友達なんかじゃないわ!」


 鏡子と伽子が口をそろえた。


「それじゃ、なおさら――」


 鏡子が瞬の腕をそっとつかんだ。


「瞬君、いいの。この件については、悪いのは、私だから。でも、伽子。はっきり言っておくわ。私は真剣だから。自分の未来は、自分で決める。もうあなたなんかに、邪魔されないから」


 伽子は青筋を立てて、怒った。


「ヘン。未来なんてね、あたしたちが知らないだけで、最初から決まってんのよ! あんたの場合は、お先真っ暗ってね。≪三旗≫を敵に回してまで、こんな顔だけの男を取ろうなんて、宇多川家の面々、等々力渓谷に並んで、湧水で頭冷やして、考え直したほうがいいわよ。明日、コイツをあんたの目の前でぶちのめして、思い直させてやるからさ」


 伽子は勝ち誇ったように馬鹿笑いすると、瞬に向かって、細くしなる指を突きつけた。


「一七六番。あんたに一つ、約束してあげるわ。予選二試合と同様、あたしが、瞬殺してあげる。明日の試合は、気づいたら、もう終わっているわ。宇多川の令嬢の火遊びが、いかに見っともないか、世に証明してやるのよ」


 さすがに序列二位に君臨するだけあって、圧倒的な自信だった。敗北の可能性を微塵も考えていないらしい。

 たしかに、今の瞬には、鏡子に勝つ自信が皆無だった。裏返せば、そうなるのかも、知れない。


 伽子が、瞬の眼をにらんでいる。

 にらめっこでは勝てそうにもない。瞬が微笑みかけると、伽子はプイと横を向いて、きびすを返した。


 肩で風を切るように去っていく伽子の後ろ姿を見ていると、左の肋骨付近を、ツンと突かれた。

 鏡子の人差し指だった。


「まさか瞬君。伽子の、品のないCスーツに見とれているんじゃないでしょうね」


 半ば図星の指摘に、瞬は頭をかいた。


「昔は、あんなんじゃなかったんだけど、人は変わるものね……。さ、瞬君。戻って、作戦会議、開きましょ」



 訓練棟の最上階からは、井の頭公園の新緑が、眼に優しく映った。

 朝香瞬は、宇多川家の個室から窓の外を見る。雲一つ浮かんでいない。


「さっきはごめんね、瞬君。面白くない話を聞かせちゃって。家同士で、色々と面倒な話があるものだから……」


「それにしても、ものすごい剣幕だったね。五百旗さんは、倒さなきゃいけない。鏡子さんに、失礼なことを言ったから」

「伽子の気持ちも、わかるの……。私の婚約者は……伽子のお兄さんだから……」


 視線を下ろしている鏡子に対して、瞬は、言葉を継げなかった。


 現在の政治体制は、表面上、民主制が取られてはいるが、実際には、半軍事政権となっていた。≪終末≫回避が至上命題とされる今日、時空間防衛軍、すなわち、第四軍が力を持つ成り行きは、自然ではあった。

 軍を中心に、力を持つのが≪三旗≫、≪六河川≫や≪八獣家≫などの名家だ。軍事独裁制への移行が囁(ささや)かれる中、水面下では様々な政争が繰り広げられているに違いなかった。

 鏡子も、伽子も、政争の具にされているのかも知れない。


 瞬は、話題を変えた。


「あれ? ところで、直太は?」

「鹿島君のところ。瞬君の試合は、応援してたけどね。瞬君には私がいるけど、鹿島君には誰もいないからって。鹿島君は、午後の試合だから」


 宇多川家の個室には、弁当箱が二つ、用意されていた。

 鏡子も疲れているだろうに、腕によりをかけて、作ってくれたようだった。

 伽子とやり合ったせいか、鏡子は元気がない様子だった。めずらしく、あまり会話もなく、しんみりと食べた。


 偶然わかってしまった話だが、鏡子は、婚約を破棄してまで、瞬を想ってくれている。

 うつむき加減の鏡子のさびしげな顔が、瞬はたまらなく愛おしかった。


(美しくて、強くて、賢くて、優しくて、思いやりがあって、僕をこんなにまで、思ってくれる女(ひと)に……

 僕は、何の不満があるんだろう……。

 いや、不満は一つもない。ただ、明日乃さんへの想いを、捨てられないだけだ。


 でも、明日乃さんは、手紙に返事もくれないし、僕なんて、何とも想ってくれていない……。

 鏡子さんは僕のことを、真剣に思ってくれているのに……

 それでも僕は、鏡子さんじゃなく、明日乃さんを想うのか……)


 食事を終えると、鏡子がコーヒーを淹れてくれた。

 瞬が、一口すすると、鏡子が気を取り直したように、口を開いた。


「伽子の二つ名は、≪エメラルドの彗星≫。彼女は、その名の通り、速く、激しい連続テレポートを使う。私が防壁を展開しても、防ぎ切れるかわからないほどの技。一つ言えるのは、私の連続テレポートを見切れない限り、瞬君が、伽子に勝てる可能性は、皆無に等しいってこと」


 まさに、鏡子の言う通りだ。


 鏡子の≪ラベンダーの疾風≫の凄さは、恐らく瞬が、一番良く知っていた。まだ、見切れない。


「瞬君。伽子は、残念ながら、口先だけの人間じゃないわ。言ったからには、必ずやり遂げようとする。才能がある上に、努力を決して怠らない。彼女が、私には見切れない連続テレポートを編み出したのなら、嘘じゃないわ」


 鏡子は、考えるように、赤い唇でコーヒーを一口すすった。

 伽子に勝てば、序列一〇位の鹿島長介と当たる。だが、長介対策を思案するのは、宝くじが当たった場合の使い道を考えるに等しいだろう。今は、必要ない作業だ。


「私は今日、瞬君の二つの戦いをずっと見ていた。だから、瞬君がどれだけ疲れているか、わかっている。私は、瞬君を誇りに思うわ。だから、身体を休めて、このまま明日の本選を迎えても、いいと思う。相手が悪すぎたから、学校側も考慮してくれるかも知れないわ。序列二位に瞬殺される予科生は、百人以上、いると思うから」


 相手が相手だけに、負けた言い訳は、しやすいだろう。


「でも、もしその身体をさらに酷使してでも、五百旗伽子に勝ちたいのなら、残された時間、私が特訓してあげるわ。どうする?」


 瞬は、微笑みながら即答した。


「笑うかも知れないけどね、僕は真面目に優勝するつもりなんだ。だから、鏡子さんが僕につきあってくれるなら、嬉しい。僕は、君に、必ず勝つって、約束したから」


 鏡子が、上品に首を横に振った。


「瞬君の今日の戦いを見たら、誰も笑いはしない。私が笑わせはしないわ。じゃ、コーヒー飲んだら、等々力(とどろき)に行きましょ」


「瞬君、お待たせ」


 朝香瞬が、ウォーミングアップ代わりに、ピッチング・マシンの特訓を終えた時、宇多川鏡子がラベンダー光とともに、現れた。

 鏡子は新しいコンバット・スーツに身を包んでいた。


「成長で身体つきも変わるし、サイの発動量も上がるから、Cスーツは定期的に更新が必要なの。これが、新人戦で着用する予定だった、私の新しいCスーツ。どうかしら……」


 白とラベンダーのツートン・カラーはもちろん変わらない。が、瞬はいつもの姿に比べて、さらに胸が騒いだ。

 だいたいコンバット・スーツは、身体に密着した形態だ。鏡子のメリハリのあるボディラインを隠す機能を持っていない。

 あえて言えば、露骨な点において、五百旗伽子のCスーツと何も、変わりはないが、鏡子が持つ慎ましさのお蔭で、かろうじて上品と言えるのかも知れない。


 瞬はごくりと唾を飲んだ。


「す、素敵だと思うよ、とても……」


 とは言っても、目のやり場に困っていられるのは、今だけだ。いざ特訓が始まれば、鏡子の動きについて行くだけで、精いっぱいだ。


「瞬君。今日、ここで、私の新人戦をさせてもらうわ。瞬君に決勝戦で当たったと思って、本気で行くわよ」


 瞬はぎくりとした。裏を返せば、今までは本気でなかったことに、なりはすまいか。


 鏡子が、愛刀の≪小烏丸(こがらすまる)≫を構える。その姿も、優雅で美しい。

 長いストレートの髪を下していた。鏡子が数歳、大人びて見えた。


 瞬は、≪三日月宗近≫をゆっくりと構えた。



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■用語説明No.26:霊石(ソウル・ストーン)

各人の属性に適合し、エンハンサーによるサイ発動効果を最も高めるとされる石。

サイ発動時の動作光は、霊石に由来する。汎用型にはクオーツ(水晶)が用いられ、六つの属性に大別される。霊石の判定は、「預言者」と呼ばれる高レベルの時流解釈士のみが、正確になしうるとされる。

なお、装着型のエンハンサーは、常に霊石(汎用型は水晶)とともに用いられる。エンハンサーによる霊石の媒介がなければ、APも発動しない 。

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