第22話 一枠の価値
国立第二兵学校のレンガ造りのシックな校舎には、中庭があった。
真ん中には噴水もあるし、コイたちが泳ぎ、カメが日なたぼっこをしていた。ヤマボウシの脇には、ベンチもあった。
休み時間になると、予科生たちは中庭に出て、英気を養う。中庭は、予科生にとって、オアシスの一つだった。
今日も、一つのベンチに、瞬たちL組の予科生がたむろしている。
「まだ、あきらめたらあかんぞ、瞬」
朝香瞬は、直太のはげましにもかかわらず、携帯端末の画面を見て、沈みこんでいた。ある程度、覚悟はしていたが、落胆は大きかった。
TSコンバット新人戦へのエントリー総数は、一三二名。瞬は、補欠の四番だった。例年、補欠の繰り上げは、ごくわずからしい。
「た、たしかに、微妙な位置だね」
「みんな、ありがとう。特に、宇多川さん。君の特訓のおかげで、自信は少し付いた。仮に出場できなくても、夏学期の結果が出るまでに、サイだって、発動できるかも知れないしね。何しろ、毎日一〇〇回以上は鍛錬してきたわけだし。長介にもアドバイスをもらっているし」
瞬も、本当は、泣きだしたいような気持ちだった。とりあえずは、特訓の日々が終わり、地道にサイの発動鍛錬に取り組むことになるだろうか。
「そうや、まだ何ヶ月もあるやないか、瞬」
ずっと黙っていた鏡子が、口を開いた。
「朝香君、特訓は続けましょ。補欠四番なら、ぎりぎり繰り上がって、出場できるかも知れないわ」
瞬は小さく、首を横に振った。
「宇多川さん、気持ちは嬉しいんだけど、もう充分だよ。僕は君にずっと甘えていた。でも、君こそ優勝を狙うべき人だ。君は、僕の特訓なんかじゃなくて、君自身のための練習をすべきだよ」
瞬は、ベンチに背を預けて、青空を見た。雲がいくつか浮かんでいた。明日乃は、病室で同じ雲を眺めているだろうか。
「じゃあ、朝香君。私に、つきあってくれる? 連続テレポートに磨きをかけたいの」
†
宇多川家の私設訓練場。
朝香瞬は、青眼の構えで、宇多川鏡子に対した。
鏡子による特訓は、続いていた。でも今日が、最後かも知れない。今日の夕方には、新人戦の出場者が確定するはずだった。今日で鏡子と二人きりの時間がなくなるのだと思うと、瞬は、さびしいというより、つらかった。
瞬は、鏡子の≪疾風のラベンダー≫をまだ、見切ってはいない。
はたして瞬との立ち合いが、鏡子にとって、練習になっているのか、はなはだ心もとないが、序列二位の鏡子の攻撃を見切れる予科生など、いないのではないかと、内心、開き直ってもいる。
それでも瞬は、鏡子の怒涛(どとう)の連打を何度かは、受け止められるようになった。だが、十数連撃の速攻のいずれかで、必ず打たれた。鏡子は優しい少女だが、特訓では一切、容赦しなかった。瞬は、いつもボコられている。
たとえ運よく新人戦に出場できたとしても、鏡子と当たれば、勝ち目はなかった。
運営側も、序列の高い予科生同士が予選で激突しないよう、組み合わせに配慮する慣行らしい。序列の高低を考えれば、瞬が早い段階で、鏡子と対戦する可能性は、充分にあった。
鏡子のラベンダー光が輝きを増した。
これから来る。わかっていても、防げないのが、≪ラベンダーの疾風≫だった。
鏡子が動いた。いつもより早い気がした。
初撃、二撃、三撃を受けただけで、鏡子の姿が見えなくなった。
気づいた時には、腹を痛打されていた。
「参りました」
鏡子が差しのべてくれた手を握って、立った。
情けない話だが、瞬の実力では、鏡子にまだまだ、太刀打ちできない。
「朝香君、そろそろエントリーの最終結果、出ている頃じゃないかな?」
心なしか、今日は、鏡子がすこし、元気のないような気がした。
「そうだね……。昨日の時点では、三名辞退で、あと一人だったんだけどね……」
瞬は、額の汗をぬぐうと、訓練室の隅に置いていた携帯端末を開き、兵学校のホームページにアクセスした。
おそるおそる、TSコンバット新人戦のエントリー表を開く。
「あれ? トーナメント表に変わってる。ま、いいか。検索かけてみるね。『朝香』でいいや。お願い……」
祈る気持ちで瞬が画面を見ると、「朝香瞬一郎」の名がヒットした。
「やった! やったよ、宇多川さん! 僕、出場できるみたいだ。誰か一人、辞退が出たんだね。助かった」
鏡子に驚いた様子はなく、優しくほほえんだだけだった。
「予選の一回戦は、ミッキーか。その次は、誰なんだろ……っていうか。宇多川さんと当たったら、その時点で、敗北確定だもんね」
一二八人もいるから、すぐには見つからない。
「ないな。検索してみよう……あれ……?」
出ない。「鏡子」で検索をかけてみた。ヒットしない。もう一度、試す。やはりヒットしなかった。
「……おかしいな」
……まさか……。
瞬の背筋が、凍りついた。
すでに三名の繰り上げがあった。生存競争の激しい兵学校で、そう簡単に、辞退者があいつぐ幸運が、はたしてあるだろうか。
「朝香君。何度やっても、むだよ。私、エントリー、していないもの」
瞬は、窓の外、暮れようとする空を見あげる鏡子の横顔を、凝視した。
「……宇多川さん、どうして?」
「……昨日の夕方、締め切りの直前に事務室に確認したら、誰も辞退していなかったの。あと、一人だけだった。私さえ、辞退すれば、朝香君が試合に出られるから……」
鏡子が、髪留めを取ると、長い黒髪がさらりと肩に舞い降りた。透き通るような美しさに、瞬は、心が震え出しそうだった。
「……でも……でも、宇多川さん、あれだけ練習していたのに……優勝できる、実力なのに……」
「もちろん、私も出場したかったわ。入学した頃から、新人戦に照準を合わせて練習してきたんだから、悔しくてたまらない。お父様も西ノ島から戻って、観戦なさるはずだったしね……」
「……どうして、僕なんかのために……?」
鏡子は視線を、瞬に移した。瞳に涙を浮かべている。うつむき加減で、口をとがらせた。
「……朝香君。女の子のほうから、それを、言わせるつもりなの?」
瞬はハッとした。
来る日も来る日も、序列二位を誇る宇多川鏡子が、最下位の瞬などのために、特訓をほどこしてくれた理由は、明らかだった。
鏡子が、単なる友情や、思いやりにとどまらない感情を抱いていたとしても、ごく自然な話ではなかったか。
鏡子はいきなり、瞬を抱きしめた。鏡子の柔らかい胸が、瞬の胸に当たった。肩の震えが伝わってきた。泣いていた。
「……私、出られなくて、悲しい……。でも、朝香君のためになれて、うれしい……」
瞬は、鏡子を抱きしめ返した。
明日乃と同じように、柔らかい少女の身体だった。こんな時でさえ、明日乃を想ってしまう自分が、罪深く思えた。
だが、鏡子もまた、瞬の≪ファム・ファタール≫なのではないか。
鏡子の髪から、ラベンダーのように爽やかな香りが立ち上ってくる。
「私は、朝香君といっしょに、学生生活を送りたい……。それだけ。……負けたら、許さないからね……」
「ごめんね……宇多川さん……ありがとう」
瞬の腕の中で、鏡子は甘えるように、瞬を見あげた。
「私を、下の名前で、呼んで。瞬君」
「……わかった。き、鏡子さん、だね」
「きっと、勝ってね、瞬君。あなたのために、私のために」
「……約束するよ、鏡子さん。僕は必ず、勝ち抜いてみせる」
鏡子は瞬から身を離すと、いったん眼を閉じ、また開いた。手には、一振りのAPをテレポートさせている。
「新人戦では、これを使って」
瞬は、鏡子から、いかにも立派そうな刀を受け取った。
「名刀中の名刀、『三日月宗近』をモデルにしたAP。私の兄はこれを使って、新人戦に優勝したの。縁起がいいわ」
瞬は、鞘から刀を抜き放った。
刃長は八〇センチメートルほど、腰反り高く、計算しつくしたような放物線を描いている太刀だ。重さも、瞬の好みだった。
「ありがとう、鏡子さん。これで、僕は、勝つ……」
鏡子の自己犠牲に、瞬は、応えられるだろうか。新人戦までの日々を、これまで以上に、生きねばならない。
瞬が微笑みかけると、鏡子は優雅に返した。
†
翌朝、兵学校中庭のベンチでは、印刷したトーナメント表を囲んで、瞬が、鏡子、直太とともに、頭を抱えていた。
「瞬君って、勝負運はよくないのかしらね」
「恋愛運だけは、ごっつええけど、そのぶん、勝負運はアカンな。はっきり言うて、当たりは最悪に近いわ。長介もそうやけど、簡単に勝てそうな相手、一人もおらんで」
作戦会議に、長介は加わっていなかった。
トーナメント表では、もし瞬が順調に勝ち進めば、本選の二回戦が、長介との対戦となった。
長介の実力なら、本選を勝ち進んでくる可能性が高かった。他方、瞬が予選で敗退する可能性は、客観的に見れば、充分すぎるほどあったが、瞬は勝ちあがるつもりだった。
長介としては、自分のアドバイスが、瞬の敗因につながってもいけないし、長介自身も優勝を目指しているとの理由で、大会が終わるまでは、鹿島の実家から通うことにし、たがいに距離を置く話になった。
会えば、ふつうにあいさつはするが、長介は馴れあいが嫌らしく、これまでいっしょに食べていた朝食まで、別になった。これまで一緒に暮らしてきた仲だ、瞬は、長介の不在をさびしく感じた。だが、そのぶん、鏡子との距離がますます、近くなっていく気がした。
ちなみに、直太は別ブロックだから、決勝戦でしか、対戦しない。それは現時点で、考えなくていいだろう。
朝香瞬の予選一回戦の相手は、同じL組のアメリカ人、ミッキー・バルボアだった。兵学校でも数少ない、外国人留学生である。
時空間操作技術は、小笠原諸島の西ノ島でしか採取できない≪輝石≫に全面的に依存していた。そのおかげで日本は、時空間操作技術を独占し、公的な養成機関も日本にしかないが、諸外国の要請に応え、空間操作についてのみ、外国人向けの養成枠を開放し始めていた。
「ミッキーは、名前こそ、ネズミのボクサーみたいやけどな、ダテに選抜されとらへんで。今の序列は、十九位やけど、日本語がまだ下手やし、理論成績で下がっとるだけやろ。ホンマやったら、序列一〇位以内に入れる実力やろな。練習試合で立ち会ったこともあるけど、実力は、ワシより上かも知れへんで」
「問題は、一〇〇ミリガロア超を誇る彼の防壁と、日本人離れした腕力ね」
鏡子の表情も曇っていた。一回戦敗退なら、その時点で、退学はほぼ、確定だろう。
「防壁だって、一ガロアあるわけじゃない。物理的な衝撃だけで破れないわけじゃないよね」
「理論的にはその通りだけれど、今の瞬君でも、五〇ミリガロア以下でないと、破るのは難しいと思うわ」
「ミッキーだって、人間だ。ずっと一〇〇のまま維持できるわけじゃない。勝機はあるさ。結局、問題は長介かな」
腕組みをしたまま、降参したように、直太は天井を見あげた。
「ちゃうにゃ、瞬。普通に考えたら、お前は長介と戦えへんねん。予選の二回戦は、順当に序列九位が出て来おるやろし、しんどいで。まあ、そいつに勝てたとしてもやな、本選の一回戦で、お前は優勝候補と、当たるんや」
序列の記載がなく、名前だけが並んだトーナメント表からは、誰が勝ち進んでくるのか、瞬には、わからない。
「M組の五百旗(いおき)伽子(かこ)は、私と同点の序列二位。彼女の連続テレポートは、私よりも、速いわ」
TSコンバットの鍛錬を始めて一ヶ月の瞬は、鏡子の踏み込みにやっと反応できるようになったばかりだ。鏡子の≪ラベンダーの疾風≫は、防ぎようがなかった。それよりも、速いとは……。
「まあ、ワシ、長介も応援したらなアカンし、ワシ自身も勝たなあかんし、忙しいんやけどな。まずはミッキーや。あいつを何とかせな、始まらへんで」
***
「おーい、鏡子ちゃん」
昼休みが終わった昼下がり、和仁直太は、赤レンガ校舎の間を歩く鏡子の後ろ姿を認め、呼び止めた。
鏡子がふり向くと、ポニーテールが揺れた。
「サイコの実技やろ? いっしょに行こや。水くさいなぁ」
序列二〇位内の直太は、習熟度別の実技クラスが、鏡子と同じ第一クラスだった。
「あれ、鹿島君は?」
「先に行った。ワシ、教室に忘れ物してしもてな。取りに帰ってたんや」
「うっかり者ね、和仁君は」
鏡子の笑顔がまぶしかった。だが、鏡子は直太から、どんどん離れていく。優等生の鏡子は、以前なら、授業の始まる前に余裕を持って、クラスに行っていたはずだ。
「鏡子ちゃん、また、瞬に、特訓したってたんか?」
瞬の話題を出すと、鏡子の顔が輝くことに、直太が気づいてしまったのは、それほど最近の話ではない。
「うん。瞬君は、どんどん強くなっていくわ」
鏡子は、瞬に起こる出来事を自分の事のように、受け止める。だから、瞬にとって良いことは、鏡子にとっても嬉しいわけだ。
「なあ、鏡子ちゃん。一つ、訊いてええか?」
「何? 和仁君」
直太は頭をかきながら、鏡子から眼をそらした。意味もなく、レンガに絡まる蔦を見た。
「あの……瞬とな……最近、下の名前で、呼び合っとったやろ……?」
ちらりと見ると、鏡子の顔が赤くなっていた。
気まずい沈黙を破ったのは、鏡子だった。
「……和仁君の気持ちは、わかっているし、とても嬉しんだけど……私、瞬君に出会った時から……なぜか、とても――」
直太は必死でさえぎった。言葉の続きを聞きたくなかった。
「それは、ええねん。ええねんで、鏡子ちゃん。前からたぶん、そうなんちゃうかって、思っとったし。ごっつツライ話やけど、それはしゃあないし、別に、ええねんや。……でもな、鏡子ちゃん。瞬やけど、アイツは、ホンマは、明日乃ちゃんのこと……」
「わかってる」
鏡子が突然、立ち止まった。直太も歩みを止めた。
「すまん。でもワシ、鏡子ちゃんが傷つくんは――」
「だから、私も、わかってるのよ」
鏡子は、表情から笑顔を消している。
絶望的に片思いだが、直太にとっては、鏡子の怒ったような表情さえ、写真に撮って寮の部屋に飾りたいくらいだった。不謹慎な話ではあろうが。
「……でも、ホンマにわかっとるんか、鏡子ちゃん? 長介に聞いたんやけどな。瞬は、毎朝、毎晩、研究所まで行ってノートのコピーとか、届けとるんやで。面会でけへんし、会えもせえへんのに。アイツは本気やで。半端な気持ちやないと思うわ」
鏡子は知らなかったのか、驚いた顔をして、黙りこんだ。
授業開始のチャイムが鳴り始めた。
「瞬君が、本当に好きなのは……天城さん……。それは、知ってる。……悔しいけど、彼女は、私より美人だし……。でも、天城さんは、瞬君を好きじゃないもの……」
「……ホンマに、そうなんやろか……」
「私は、真剣なの。……和仁君、私を、応援してくれない?」
すがるように直太を見る鏡子の視線に、鏡子が直太を頼りにしているのだと感じた。初めての感覚だった。本当なら、他人への恋で、頼られたくはなかったのだが。
「……よっしゃ、任しとけ。ワシが、応援したる 。ワシはいつも、鏡子ちゃんの味方やで」
鏡子が泣き顔で、笑った。
「ありがとう。ごほうびに、教室まで連れて行ってあげる」
頭をかく直太の身体は、やがて心地よいラベンダーの光に包まれた。
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■用語説明No.22:序列制度
各兵学校において、各期の予科生のTSCA(時空間操作能力)をポイント化して、順位づけを行う制度。実技成績、筆記試験(理論)及び各種の競技成績がポイント化されて、客観的に算出される 。一年次の夏学期終了時から序列づけが行われ、以後、不定期に更新される。
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