第21話 ラベンダー・アメジスト



 宇多川家秘伝の特訓マシンは、容赦なかった。

 朝香瞬は、前からの気配に、左へよける。右横のボールを刀で防ぐ。

 身を引いて、左斜め後ろのボールをかわす。

 眼だけでは、反応が間に合わない。耳と感覚と本能で、攻撃を読む。


 瞬が宇多川鏡子の特訓メニューを開始して、三時間ほど経ったろうか。

 訓練場の扉が開く。鏡子が戻ってきたようだ。

 鏡子は顔に似合わぬ鬼コーチだった。三〇分ほどでボールが切れ、一面に転がったボールを拾う時だけが、瞬の休憩時間だった。


 疲労でふらついた瞬は、足元に転がるボールに、足を取られた。

 急いで体勢を立て直す。が、間に合わない。背にボールの一撃を食らって、突っ伏した。


 小猫丸を頼りに立ち上がろうとする。前から、ボール。避けられない。肩に直撃を受けて、あおむけに倒れた。


(だめだ、もう……。身体が、動かない……)


 鏡子があわててスイッチを切る音が聞こえた。


「だいじょうぶ? 朝香君?」


 鏡子が駆けよって、瞬の顔をのぞき込んだ。


(優しいけど、厳しい人だよな……)


 鏡子が白い手で、肩をさすってくれた。


「痛いいたいの、飛んでけー」


 大人になりかけた子供のようだ。

 鏡子の手がくすぐったくて、瞬は笑いだした。

 その瞬の様子を見て、鏡子も笑った。


 すでに外は暗くなっている。

 訓練室の蛍光灯が、ずっと遠くの高い天井にあった。

 あたりは静まり返っていた。いったい今、瞬はどこにいるのだろう。東京、だろうか。


「今の朝香君だと、四台で、三三〇キロが限界のようね。これを五〇〇まで持っていければ、防壁なしでも、サイを使った攻撃に、対応できると思うわ」


 鏡子が訓練場一面に転がっている軟式野球を、一つひとつ拾っていく。

 瞬もさっきまで手伝っていたが、身体が動かなかった。身体中が痛い。手足が鉛の塊と化したように、重かった。


 地獄のような特訓だが、瞬にはあまり、準備期間がなかった。

 今日、一歩でも、進んでおかないと、明日は二歩、余計に歩まねばならない。


「……宇多川さん。次は三五〇で頼めるかな。後半は三四〇に下げて。もう少しで、ブレークスルーできそうなんだ」


 鏡子があきれたような表情で、なだめた。


「朝香君。今日は初日だから、もう充分よ。明日からもっとしごいてあげるからさ。疲れてるだろうけど、シャワーを浴びて食事にしましょ。さっきから私、ちょくちょく作っていたのよ」

「あと、一クールだけで、やめるから」


 鏡子が黙ってうなずいた。


 三〇分後、背後から来た最後のボールをかわした瞬は、そのまま訓練室の床に倒れ込んだ。


「よくがんばったわ、朝香君。おなか、空いたでしょ?」


 瞬は、鏡子に防具を外してもらい、助け起こされて、訓練室の隣に併設されていたシャワー室へ、案内された。


「バスタオルと着替え、出しておくから」


 瞬は、ふらつく身体でシャワー室を出て、身体をふいた。

 高級な籐(とう)のバスケットラックには、真新しい下着やワイシャツなどが入っていた。肌ざわりで、相当高級なしろものだとわかった。


 あの≪忘却の日≫、瞬は、同じような肌ざわりの、めかしこんだ服装で、TDSにいた。昔の自分は、宇多川家ほどの裕福な家でないにせよ、精いっぱいのオシャレをして、外出したのだろう。おそらくは恋人と、二人だけで。

 瞬は、甘ずっぱい気持ちにひたりながら、シャツに袖を通した。着てみると、ふだん着というより、正装に近い。


 鏡子の呼ぶ声がし、ついて行くと、ダイニング・ルームだった。

 あたりは、世界に瞬と鏡子しかいないように、静かだった。聞いてみると、宇多川家の屋敷は、世田谷の等々力(とどろき)渓谷のすぐそばに、あるらしい。


 敷地が広く本館まで歩くのが面倒なこともあり、クロノスたちがよく利用する訓練場には、食堂やキッチンまで併設されていた。

 富と権力が集中する六河川だけあって、食卓、椅子も立派だった。


 鏡子が白いカーディガンを脱ぐと、ラベンダー色のワンショルダー・ドレス姿になった。大人の女の人のようだった。

 瞬は、言葉を失って、鏡子を見詰めていた。


(何て……美しい人だろう……)


 いつもと雰囲気の違う理由が、分かった。

 鏡子が髪留めを外し、長い髪を、肩をこえるくらいまで、さらりと靡(なび)かせていた。それだけで、少女から淑女に変身したように、見えた。


 鏡子に勧められるまま、向かい合って座った。


「さ、乾杯しましょ。朝香君の特訓が成功して、無事に全国大会へ出られますように、って」


 鏡子がワイングラスに、グレープジュースを注いでくれた。

 乾杯をする。


「何か、大人になった気分ね」


 制服姿でも、コンバット・スーツ姿でもなく、ドレス姿の鏡子は、妖艶(ようえん)な若い魔女のようだった。


「私、実効年齢がもうすぐ、十八歳だから、あと少しでお酒も、飲めるのよ。運転もできるようになるし」


 ≪実効年齢≫とは、時空間操作が行われるようになってから、認識されるようになった概念だ。

 最近、瞬も、教本を読んで学んだ。カイロス、さらにはクロノスを目指す子弟は、将来の異時空間での活動に備え、また、厳しい競争を勝ち抜くために、幼少の頃から、異時空に滞在する。


 異時空では、肉体的な成長が生じない、つまり肉体年齢は変わらないが、精神年齢は成長する。

 保健の観点から、法律で、一年あたりの異時空滞在期間の上限が定められてはいた。だが、期間が長いほど技をみがけるから、特に名家の子弟は、上限期間まで滞在する場合が多かった。

 鏡子の場合、肉体的には十四歳だが、三年間分の異時空滞在期間を加えると、実際には十七年以上生きている計算になるらしい。


「朝香君の実効年齢って、わかるのかな?」


 オブリビアスの瞬については、異時空間の滞在記録もないから、正確にはわからない。だが、待機所での検査結果によると、肉体的には十四、五歳で、実効年齢はそれより数歳上だと推定されていた。


「僕も、十七歳くらいらしいんだけどね」

「じゃあ、私の実効年齢が十八になったら、一緒にお酒、飲んじゃいましょ」

「そうだね。愉しみだ」


 鏡子がそっとワイングラスを置き、優雅にほほ笑むと、瞬の心臓は早鐘のように打った。


「と、とても似合うね、宇多川さんに。……その、色」


 自分でも何をしゃべっているか、瞬は、よくわかっていない。


「私の霊石は、≪ラベンダー・アメジスト≫。この色の石。兄も、そうだったわ」

「きれいな、色だね……」

「青と言うより、紫系なの。だから、うちの家系はいつもガーネットのG組だった。それが私、L組だったから、びっくりしてたんだけど……。でも、L組で良かった。朝香君に、会えたから」


 時空間操作の技術開発が進むにつれ、人はそれぞれ自分に合う≪霊石≫を持つことが、次第に分かってきた。


 サイの発動能力には個人差があり、鍛錬しても一生開花しない者もいる。だが、エンハンサーの≪輝石≫を補助する霊石を用いることで、さらに潜在能力を引き出し、発動効率能力を高められることがわかった。名家の子弟では、幼少から霊石を用いた特殊なクロノス養成が行われてきた。


「僕にはまだ、とらえ切れない速さだけど、僕は君のサイの動作光、好きだな。優しい感じがする。香りも、好きなんだ」


 鏡子が首筋まで真っ赤になって、うつむいた。それを見た瞬も、自分が赤くなるのを感じた。


(エレガントなレディかと思えば、お嬢さんみたいで、可愛らしい人だな……

 もしかして、鏡子さんは、僕に好意を持ってくれているのかな……

 いくら優しい人だからって、わざわざ特訓までしてくれるものかな……

 いや、級長として、責任を果たそうとしているだけかも知れない……)


 こと女性に関しては、瞬は、臆病だった。

 瞬は、物音ひとつしない夜、広大な屋敷に、鏡子と二人きりでいる状態が、すこし怖くなってきた。沈黙を嫌って、話題をひねりだした。


「宇多川さんのお兄さんも、同じ霊石なんだね。今、何をしているの?」

 鏡子は、口許にさびしげな笑みをたたえながら、小さく首を振った。

「内務省でクロノスをしていたけど、亡くなったの。二年前に、未適応症で。発病してから半年ほどで、眠るように……」


 クロノスを襲う宿業の病――未適応症。

 天城明日乃と同じ病だ。

 明日乃の寿命はあと、どれくらいなのだろう。


「うちの家系は、未適応症で死ぬ人が多いの。最近は、症状の進行を遅らせる薬が開発されたそうだけれど、兄には、間に合わなかった……」


「ごめんね……。悲しいこと、思い出させて」

「ううん。去年の大災禍でも母を失くしたけど、世界中につらい思いをしている人がたくさんいるもの。私だけじゃない。朝香君のように、オブリビアスになった人も、いるわ」


 鏡子の父は健在だが、軍人で、この春から西ノ島基地に赴任しており、長兄も軍人で、東京にはいないそうだった。使用人はいるが、がらんとした大邸宅に、鏡子は今、だいたい独りで住んでいる。

 本当は、預言者の祖母がいるらしいのだが、放浪癖があり、今、どこにいるか分からないそうだ。


「私、寮生になろうかな。今はテレポートで通っているし、通学に不自由はないのだけれど。寮のほうが、楽しそうだから」


 もともと兵学校は、全寮制で、自宅通学は例外なのだが、鏡子は六河川の子弟だから、認められる。


「そうだね。寮にも女子は少ないけど、宇多川さんが来たら、みんな、喜ぶと思うな」

「どうして?」

「……だって、宇多川さんは、すごく人気があるから……」

「どうして?」


「……え? だって、みんな学校一の美人だって言っているし、賢いし、性格もいいし……」


 瞬は途中で、自分の顔が、また真っ赤になっていくのが分かった。

 他方、鏡子も、見ていて可哀想になるほど、真っ赤になっていた。

 ジュースがお酒だったら、酔っ払ったせいだと、たがいに言い訳できたのかも知れないが。


「……ごめんなさい。食事をすっかり忘れてたわ。お先にサラダをどうぞ」


 鏡子はあわてて席を立ち、急いで厨房に消えると、しばらくして戻ってきた。二人の間に、カルボナーラの入った深皿を置いた。


「あまり時間をかけられなかったから、簡単なスパゲッティで、ごめんなさい。さ、温かいうちに召しあがれ」


 瞬は、空腹だったこともあり、次々と口に入れた。


「美味しい! いつもお世話になっているのに申しわけない言い草だけど、長介の食事も、霞んでしまうくらいだよ。宇多川さんって本当に、何でも、できるんだね」


「私は恵まれているだけ。何でも、上には上がいるわ。きっと私は、もうすぐコンバットでも、朝香君に、勝てなくなる」


 瞬は首を横に振りながら、苦笑した。


「僕には、君のAPの動きさえ、見えないんだ。サイも使えない僕は、当分、君の足元にも及ばないよ」


 鏡子は口許にまた、さびしげな微笑みを浮かべた。鏡子の優しさが凝縮されたようで、瞬の好きな表情だ。


「亡くなった兄は、ボギー教官より少し下の九期なんだけど、同期で最強の空間操作士と呼ばれていたの。でも、予科生時代は、サイがろくに発動できなかった。朝香君ほどじゃないけど、ね。それでも兄は、上位に食い込んでいたわ。やがて兄のサイが開花した時、兄に勝てる者は、誰もいなくなった。時間操作士でさえも」


 しんみりとした鏡子の口調に、瞬はうなずくことしか、できなかった。

 

「さっき朝香君が体験したマシンね、父が兄のために特注で作らせたものなの。兄も、あれを使って、朝香君と同じハンディを克服しようとした。兄でさえ、四台で三〇〇キロをクリアーするのに、半年近くかかったわ。それも予科二年の秋にね。でも、朝香君はもう、クリアーしてしまった。あなたなら、あの兄よりも、強くなれる」


 鏡子のくれる言葉が嬉しいとは、思った。

 だが瞬は、それほど強くなって、いったい何をしようというのだろう。本当にボギーが言うように、世界でも救ってみるのか。


「宇多川さんのお兄さんは、クロノスになって、何をしようと思っていたんだろう?」

「愛する人を守りたいって。そのために、≪終末≫を回避したいって。兄はそう、言っていたわ」


 天涯孤独となった瞬には、恋している女性はいても、まだ愛する人はいない。だから、世を救いたいと強く思わないのだろうか。

 例えば明日乃を、あるいは鏡子を、心から愛し、また愛されるなら、瞬もまた、この世を残したいと強く願うのではないか。


 過去を奪われた瞬が、未来へ向けて歩みを進めていく意味は、これからの人生にしか、見出せはしないのだろう。


「ありがとう、宇多川さん。オブリビアスは、未来を生きるしか選択肢がない。その未来で、君に会えて、よかった」


 鏡子はまた首筋まで、真っ赤になった。


「そうだ、デザート、忘れてたわ」


 鏡子は、急いで立ち上がり、空になった皿をキッチンに戻すと、代わりにデザートを持ってきた。

 勧められて一口食べると、瞬はがばりと、顔を上げた。


「何、これ? ムチャクチャおいしいんだけど」

「杏仁豆腐(あんにんどうふ)よ」

「それって、味気なくて、それほど評価してなかったんだけどな……。これは、全く別の食べ物だね。しっかりとした甘さがあるのに、上品だ」


 鏡子のようだと、言いながら思った。


「ぶりんとして、食べごたえがあるでしょ 。兄が好きだったから、レシピの改善を重ねて、完成形にたどり着いたの」


 鏡子にとって、亡くなった兄は、よほど大切な存在だったのだろう。瞬に、亡兄の面影を重ね合わせているのかも知れない。


 鏡子は話題が豊富で、一緒にいると、話がつきなかった。

 特訓をしていたせいで、食べ始めた時間がすでに遅かったこともあり、時計は午後十一時を回っていた。


 瞬は、制服に着替えた。

 寮までテレポートで送るという鏡子を、「申しわけないから」と断ると、鏡子が最寄りの等々力駅まで、送ってくれる話になった。


 宇多川家の大邸宅は、等々力渓谷の至近にあるらしかった。

 駅までは、多少の距離があった。時空間操作が可能になると、駅近であることは、それほど重要でなくなった。環境のよい場所で広い敷地を確保できるほうがいいわけだ。


 訓練室を出て、石畳(いしだたみ)を歩くと、鏡子のハイヒールがコツコツと鳴った。すっかり大人の女性のようだった。本当は十八歳近い精神年齢なのだから、おしゃれをするのも、ごく自然なのだろう。


 近すぎず、遠すぎない距離で、二人は歩いていた。


(僕たち、なんか……恋人、みたいだな……。

 鏡子さんは、何を考えているんだろう……)


 鏡子のことを、心の中で「鏡子さん」と呼んだことに、瞬は複雑な思いを抱いた。


(明日乃さんに、恋するって、決めたのに……

 僕は実に、浮気っぽい男だな……

 でも同時に、すてきな女性が、二人も現れたんだから、しかたないよな……)


「朝香君の霊石 って、憶えてないよね?」


 鏡子のソプラノは、無条件に心を明るくしてくれる気がする。


「うん。どうせまだ発動できないけど、どんな色、なんだろうね。何か、たのしみだな……」

「朝香君L組にクラス分けされたんだから、青系の発動色なのでしょうね……」


 瞬にも、まだわからない。


「一度、宇多川の預言者に見てもらいましょうか。私の自慢のお祖母様。たまにしか、家に戻ってこないんだけど」


 六河川ほどの名家になると、預言者、つまり、時流解釈士を一人くらいは抱えているものらしい。

 鏡子の祖母に当たる時流解釈士は、高齢を理由に体制の預言者を辞した後、八〇歳を過ぎても、世界を一人で放浪しているという。クロノスには色々な生き方があるものだ。


 そのまま車道を歩いて駅へ向かうこともできたが、鏡子の提案で、少しだけ迂回(うかい)し、等々力渓谷を歩いて駅に向かうことにした。

 奈落の底に向かうような長い階段を、二人で下りた。谷底まで行くと、せせらぎが聞こえた。夜も遅く、あたりには誰も、いない。

 川べりには、頼りない街灯が一つ、申しわけ程度の明かりを灯していた。


 歩くたびに、ぴちゃぴちゃと音がした。


「このあたりは、水がとても豊かでね。昔から湧水がたくさん湧き出ているのよ。だから、いつも濡れているの」


 街灯を離れると、すぐに暗くなった。慎重に歩く。橋の下に入ると、真っ暗だった。橋の上を走る車の走行音だけが、三台ほど、した。


「宇多川さん、けっこう、暗いね」

「だいじょうぶ。私が、いるから」


 すぐに、鏡子の身体が、優しいラベンダー光を発し始めた。鏡子の香りがする。

 鏡子の胸元には、ペンダント型のエンハンサーが輝いていた。

 

 小さな橋を二人で渡った。夜中だから、誰とも行きちがわない。


「幼いころ、この川でよく遊んだの。私が一番小さかったから、正確にいえば、遊んでもらったんだけど」


 鏡子が両手を広げると、ラベンダー光がさらに広がった。


「アユも、ドジョウも、メダカもいるのよ。昼間に来たら、とってもすてきな場所なの」


 鏡子が言葉を切ると、渓谷を流れる清水の音だけがした。


「朝香君も、昼間に、ここへ来てみて。きっと、好きになるから」

「そうだね。新人戦が一段落したら」

「私が、案内してあげる」

「ありがとう」

「約束よ」


 切り株の形をした踏み台を、鏡子が、妖精のように跳んでいく。普通に道を歩けばいいのだが、鏡子の意外に子供っぽいところが、ほほえましかった。

 行く手に、朱い脚の橋が見えた。


「ゴルフ橋っていうのよ。百年以上前に、ゴルフ場が近くにあったらしいの。駅はもう、すぐそこだから」


 鏡子とは、気が合うのだろう。道すがらも、話題はつきなかった。

 駅に着くと、鏡子が別れ際にウィンクをした。


「明日の朝早く、朝香君の部屋に、起こしに行くからね。朝香君はもともと、トップレベルの基礎体力を持っているけれど、もっと上を目指しましょ。生身で戦うハンディが、あるんだから」


 列車に乗り込んだ。線路沿いにある背の低い柵ごしに、鏡子の姿が見えた。列車が動き出す。たがいの姿が見えなくなるまで、手を振り合った。

 女性の夜歩きは心配だが、女学生を襲おうとする不届き者がいるとしても、間違って鏡子をターゲットにすれば、逆襲されて、ただでは済むまい。心配は無用だった。


 瞬は早朝、鏡子と二人で、井の頭池を一〇週する。

 鏡子は、最初の五週をいっしょに走る。残りの五週は、自転車でつき合ってくれた。

 一周が、約一・六キロだから、一六キロを小一時間で走るわけだ。ただし、瞬は、鏡子が来る前と、大浴場に入る前に、研究所への一往復ずつを走っているから、一日、二十数キロを走る計算になった。


 朝、走った後、寮のトレーニング・ルームに戻り、鏡子の指導に従い、ハードな筋肉トレーニングをする。主として瞬発力を高めるメニューだった。

 自室でシャワーを浴びて、鏡子と寮の食堂で、朝食をいっしょに食べる。

 登校は直太と長介も入れて四人で行く。昼休みはランチを五分で食べ終えて、訓練場で鏡子を相手に、何度も立ち合いを繰り返した。


 放課後は、宇多川家の訓練場で夜まで、鏡子の猛特訓を受けた。

 さらにハードなメニューになり、初日のような「歓待」こそなかったが、鏡子手製の弁当などを特訓の合間に、二人で食べた。

 帰りは、電車での移動時間がもったいないという鏡子の提案で、テレポートになった。

 ただ、移動のために二人で抱き合っている姿を、皆に目撃されるとうまくないから、瞬の寮の自室にテレポートした。一度、長介には目撃されたが、口止めしてある。


 鏡子もすぐにはテレポートで戻れないから、三人で宿題をしたり、コーヒーを飲みながら、雑談をした。

 くたくたになって眠ると、もう朝だ。過労で倒れそうな日々だが、瞬はまだ若い。それに、鏡子といる時間は、胸が時めいて、愉しかった。


 次第に、ゴールデンウイークに開催される新人戦が、近づきつつあった。



*******************************

■用語説明No.21:実効年齢

実年齢に異時空間滞在期間を付加した年齢で、精神年齢に近い。時間操作により異時空に滞在する場合、肉体的な成長・劣化は生じないが、精神的な変化が生じる。実効年齢が一八歳になると、成人と見做され、飲酒等が可能となり、親権者の同意なく結婚ができるようになる。

*******************************

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る