第20話 退学勧告



 朝香瞬が訓練場に顔を見せると、気づいた和仁直太が駆けよってきた。


「瞬。ずいぶん長いこと、話しこんどったな」

「ボギー先生と、何を話していたの?」


 鏡子と長介も寄ってきて、心配そうな顔で瞬を見た。


「長かったのは待たされたからさ。あの教官、平気で人を待たせるからさ。話自体は、すぐに終わったよ」


 放課後に、教官室から校内放送で、瞬の呼び出しがあった。

 瞬は部活の始まる前に出頭したが、ボギーはなかなか現れなかった。

 ボギーは、待たせたあげくに登場するパターンが好きな男なのかも知れない。周りの関係者にとっては、実に、はた迷惑な話なのだが。


「そ、それで用件は、何だったの? 朝香君」

「ほら、僕のサイの発動量が相変わらずでしょ? 今のままだと、兵学校の在籍要件を満たさないんだってさ」


 直太が口をとがらせた。


「それで何やねん。まさか退学って話、ちゃうやろな」


「学校側としてはとりあえず、僕に自主退学を勧めるそうなんだ。勧告に応じない場合、学校長は夏学期の成績を踏まえて退学させるかどうか、判断するって、言っているらしいんだけどね……」


 瞬は苦笑を漏らした。たしかにサイを発動できないカイロスの養成に、血税を投入する意義は、乏しい。


「ボギー先生がはっきり言うには、『お前には、サイの発動がまだしばらく無理だろう』って。僕も何となく、そんな気がするんだけどさ」


 だが一度だけ、瞬はサイを発動した覚えがあった。明日乃を守ろうとした時だ。ボギーの力が何かの形でうまく作用しただけなのかも、知れないが。


 どのようにコメントすればいいのか、三人の同級生が戸惑っている様子だった。訪れた気まずい沈黙を、瞬が破った。


「でも、『俺が抜け道を作ってやったから、安心しろ』だってさ。今度の新人戦で勝って全国大会に出られれば、退学処分にはならないそうなんだ」


 例によってボギーは煙で輪っかを作りながら、しゃあしゃあと言ってのけたものだ。


 周りの三人が、いっせいに引いた。


「そんな、殺生な……。最低でも準優勝せなあかんやんけ。オブリに無茶ゆうたらあかんで、あの兄ちゃん」


 兵学校から全国大会に出場する場合、序列は問わないが、所属校内の新人戦で、上位二位までに入らねばならない。


「し、新人戦のエントリー枠に、朝香君が入れたら、いいんだけど」


 長介の心配は、もっともだった。予科二年次に在籍する全員が、望めば必ず、新人戦に出られるわけではない。そもそも新人戦には、一二八人しか出場できなかった。


 天城明日乃のように、はなから学校行事に関心がなく、エントリーしない学生はめずらしい。みじめな成績を残したくないと考えて見送る学生も、それなりにはいるようだが、エントリー数が多い場合、定員枠からあぶれ出た者は、新人戦には出場できない決まりだった。


 エントリーの優劣は、序列で決まった。したがって、サイを発動できず、最下位の瞬が出場できないおそれは、充分すぎるほどに、あった。

 新人戦で結果を残すように求めながら、試合に出場できないとすれば、もちろん不合理な話だ。だが、新人戦は本来、退学事由とは何も関係ない公式行事だから、兵学校側も別段、悪意があったわけではない。

 サイを全く発動できず、在籍要件を充足しない成績不良学生のほうに、非があると言っていい。


「エントリー枠は運次第だから、考えていてもしかたないわ。それよりも、朝香君。あなたは、この学校に残りたいの?」


 小柄な鏡子が瞬を見上げている。


 そもそも瞬は、なぜ自分がこの兵学校に在籍していたのか、どんな家族がいて、いかなる将来を描いていたのか、憶えていない。

 だがもし、ボギーの言葉が本当なら、瞬は救世のために、自分の命を使いたいと思った。また、新天地で出会った直太、長介や鏡子、誰よりも明日乃といっしょに、今の兵学校生活を続けたかった。


 瞬は鏡子に向かって、力強くうなずいた。


「残りたい。オブリビアスの僕に、戻る場所なんて、ないから。とりあえず更衣室で着替えてくるよ。地道に練習するしかないね」


 鏡子が覚悟を決めたようにうなずき、瞬を見た。


「わかったわ。朝香君、新人戦が終わるまで勉強はおあずけね。今から、TSコンバットに向けて、猛特訓よ。あなた、ルールもろくに知らないでしょ? 私が個人指導してあげるわ。悪いけど、部長代行 の仕事、和仁君と鹿島君にまかせるから。朝香君、行きましょ」


 勝手に話を進めた鏡子は有無を言わさず、瞬の腕を引っぱり、訓練場の出口へ速足で向かった。


 瞬は鏡子に連れられて、訓練場の裏に来た。しっぽの長い猫が散歩しているくらいで、あたりに人影はなかった。

 さっきから、鏡子は眼をつむったまま、立ちつくしている。


 ――話しかけないで、そこで待っていて。

と言われてから、十分近くになるだろうか。


 鏡子は、精神を集中しているらしかった。

 直太を始めとする男子予科生たちが、口をそろえて「学校一の美少女」と評するだけはある。鏡子の目鼻だちの整った顔を見ていても、飽きはこないが、何をするつもりなのだろう。


 瞬がつい見とれていると、鏡子が眼を開いた。


「それじゃ、行きましょ」


 鏡子は瞬に歩みよると、背に手を回して、強く抱きしめた。瞬の胸を、天国のような感触が、襲った。


「え? あの、宇多川さん?」

「私を強く抱きしめていて。途中で落としたら、いけないから」


 お言葉に甘えて、瞬は鏡子を抱きしめた。無条件に、柔らかい。


「私は、昔からテレポートが得意なの。まだサイが弱すぎて、中距離移動にも、一〇分近くサイを貯める必要があるし、コンバットでは使えないレベルだけどね」


 鏡子と瞬をラベンダー光が覆っていく。まるで花の成分を調合でもしてあるかのように、優しいラベンダーの香りがした。


 数瞬の時を置いて、ラベンダー色の帳が消えていく。

 瞬は鏡子と共に、ぶ厚いコンクリート壁に囲まれた大きな部屋にいた。天井も高い。五階建てビルほどの高さだろうか。ちょっとした美術館の凝った展示室のように、円形状になっていた。


 鏡子は身を離すと、

「時間がもったいないから、腕の筋肉を鍛えていて。朝香君、逆立ちして、待っててくれる?」

と言い残して、出て行った。


 場所は知らないが、ここは恐らく鏡子の実家、すなわち、宇多川家の私設訓練場に違いない。

 瞬は言われた通りに、逆立ちを始めた。


 瞬は頭にすっかり血が上っていた。一〇分以上、倒立状態にあるはずだった。

 やがて道場の戸が開くと、鏡子が姿を現した。逆立ちのせいで、上下逆に見えるが、鏡子は異様に魅惑的な姿をしていた。


「お待たせ、朝香君。もう、いいわよ」


 瞬は倒立から、身体を戻した。


 鏡子は制服から、レオタードのような服に着替えていた。足には、プロレスで使うような、編み上げのリングブーツを履いている。配色は、白とラベンダー色が基調で、統一されていた。


 何とコメントすべきなのか、鏡子のボディラインをありのまま、いやむしろ、すでに充分ある凹凸をことさら強調するように、身体へ密着させた服だった。


 瞬は内心じっと見ていたかったが、正視すべきでない格好だと思い、あわてて、あさっての方向に視線をそらした。


「ああ、そうか。朝香君、コンバット・スーツは初めてなのね。ちょっとエッチな感じもするけど、すぐに慣れると思うわ。宇多川家のスーツは慎ましいほうなのよ。もっと露骨なスーツなんて、いくらでもあるもの」

「そ、そうなんだ……」


「これ、見て。宇多川家の紋章」


 鏡子は豊かな胸元を指で示した。Cスーツには、小さな紋章が縫いこまれていた。

 名家は、霊石を連想させる事物を家の紋章とするらしいが、宇多川家では、世に珍しいラベンダー色の動作光を生ずるクロノスが多く出たため、ラベンダーの花を紋章としているそうだ。

 瞬は見慣れない姿を見ながら、制服の袖でしきりに汗をぬぐった。


「朝香君は自前のCスーツ、まだ持っていないでしょうから、これを貸してあげる。私、後ろ、向いていてあげるから、ここで着替えて」

「あ、ありがとう」


 鏡子から手渡されたコンバット・スーツは、鏡子のものとペア・ルックのように、白とラベンダーを基調とした配色だった。


「これ、どうやって、着るのかな?」

「服を全部、脱いで、着るだけ。ブーツは、最後」

「え、全部って、本当に全部?」

「そう。全裸で装着しないと、サイの発動に歪(ひず)みが出やすいの」


 どうりで、鏡子のスーツ姿が、たえがたく魅惑的なわけだ。

 後ろを向いてはいるが、鏡子のすぐそばで服を脱ぐのは、不思議な気持ちだった。瞬は言われた通りの姿になって、コンバット・スーツを着ていく。


「朝香君、済んだかしら?」

「うん、ぴったりだ。ありがとう」


 ふり向いた鏡子の頬が、なぜか朱く染まっている気がした。

 鏡子が道場の片隅を指さした。


「朝香君は、とりあえず剣道用の防具も、つけて」


 たしかに≪コンバット・スーツ≫と呼ぶわりには薄っぺらくて、防御性能が低そうだった。剣道の防具くらい付けないと、当たれば痛くてしかたないだろう。


 瞬は防具をつけ終えた。つけ方を知っているということは、≪忘却の日≫以前にすでに剣道の心得があったのだろう。


「宇多川さんは、つけないの?」


 鏡子は小さく首を横に振ると、コンバット・スーツの説明を始めた。


「カイロスの私たちは、サイで光の防壁を展開できる。だから、競技用のCスーツは、光壁による衝撃の吸収を前提として、最低限の裂傷や刺し傷を防げるように設計されているわ。でも朝香君は、まだガロアの防壁を張れないでしょ。だから、慣れるまでは防具を付けてね」


 当たり前の話だが、本番では剣道の防具など装着できない。APで打たれれば、まともに打撃をくらうことになる。


「スーツが首までしかないってことは、顔の部分に防具はないって話、だよね?」


 鏡子はこくりとうなずいた。よく見なくても、実に可愛らしい少女だ。


「そうよ。カイロスの最初の本格的な鍛錬は、頭部から入る。まず、致命傷を負わされる恐れがある頭部に強い防壁を張れるようにするの。だから、TSコンバットは、競技者全員が、防具がなくても頭部は自分で守れる前提の競技なのよ」


 瞬が不安そうな顔をしていたのだろう、鏡子が笑顔でフォローした。


「でも、安心して。審判はクロノスだから、万一の場合にはサイを放って衝撃を緩和してくれる。致命傷になったりはしないはずだから」

 

 それにしても、目のやり場に困るスーツだった。

 瞬はこれほど素敵なごほうびのある特訓なら、ずっと続けられるだろうと、良からぬことを考えた。


「ではまず、朝香君に、優勝を狙うカイロスのレベルを、実際に体感してもらいます。でも、最初から実戦向けのAPだといけないから、練習用の得物を使いましょ」


 鏡子が眼を閉じて、開くと、ラベンダー光と共に、二本の刀が現れた。さすがに序列二位だけあって、物を取り寄せるサイコキネシスも、あざやかだった。


「小猫丸(こねこまる)って、言うの。可愛らしいでしょ? シリコンもふんだんに使ってあるから、直撃を受けても大丈夫よ。竹刀みたいなものね。Cスーツの腰にさして」


 鏡子が小猫丸を構えた。

 瞬も、小猫丸を抜いて対峙する。不謹慎だが、鏡子の真剣な表情に、見とれそうになる。


(……すてきな人だな……

 もしかしたら僕は、鏡子さんにも、恋をし始めているのかな……)


「朝香君にはまだ、私の攻撃は避けられないと思うけど、まずは動きを見ようとすることが大事だから。私の動きが読めれば、新人戦でベスト8は、堅いわ」


 先日の部活動では、鏡子の攻撃を二度だけ、かわせた。だが、サイを使っているために、常識では考えられない踏み込みの速さだった。


 鏡子が軽く眼を閉じると、コンバット・スーツがラベンダー光を発し始めた。鏡子の光壁だ。


「行くわよ」


 ラベンダー色の彗星が突然、目の前に現れたようだった。

 頭や腹や手に、連続で衝撃を受けた。光のような速さで、鏡子の身体の位置が消えては変化する。右ら打たれたと思えば、次には真横から小猫丸がきた。

 鏡子の華麗な動きに、瞬はまったくついていけない。


 あっという間に、十数連発を痛打され、瞬は沈んだ。


 かわすどころか、ただの一撃も見えなかった。


(これが、序列二位の強さか……。まるで歯が立たない……)


 防具を付けていなければ、半殺しにされていただろう。

 だが、トーナメント戦では、鏡子と当たる可能性もじゅうぶんにあった。少しでも鏡子のレベルに近づかねばならない。

 鏡子から差しだされた手を握り、瞬は立ちあがった。


「宇多川さんと僕じゃ、格が違いすぎるね。この前よりも、ずっと速い気がした」

「Cスーツを着ると、サイの発動が円滑化されるの。それに今は、半分くらい本気だったから……」


 さっきの速さでまだ、本気でないとすれば、本気を出した鏡子はどのような動きをするのだろうか。


「カイロスたちは皆、相当の努力をしてきたわ。朝香君はサイが使えないぶん、私たちよりも努力しなければいけない」


 鏡子によると、さっきの技は、APで攻撃しながらサイを細切れで連続発動することで、いろいろな位置への驚異的な連続高速移動を可能とする≪連続テレポート≫という技だった。


 予科生レベルでは、訓練場からここに来た時のように、中距離テレポートにも時間がかかる。そのため、攻撃用にテレポートを用いる場合、細切れにサイを発動するやり方が一般的らしい。

 満足に連続テレポートを使える二年次生は、一〇人もいないそうだが、全国大会 に出るには、鏡子レベルの相手を倒す必要があった。


「さて、私が小さい頃にやっていた、宇多川家秘伝の訓練法なんだけど、朝香君には、まずそれをやってもらうわね。手伝って」


 瞬は、鏡子に指示された通り、倉庫からコンテナを幾つも運び入れた。大量の軟式野球ボールが入っているらしい。

 鏡子はと言えば、変わった形の大きなピッチングマシンを六台、どこからかサイコキネシスで持ってきていた。


「宇多川さん。それ、野球に使うものだよね?」

「もともとはね。でも、鍛錬用に改造してあるから、もうバッティング練習には使えないわ。時速も五〇〇キロ以上出るし、自動感知式で、動きながら対象を攻撃してくれるの」


 鏡子の言葉に、瞬は背筋が寒くなった。


 瞬は、訓練場の真ん中にあるサークル内に立たされた。その周りに、鏡子は、改良型ピッチングマシンを配置していく。


「朝香君なら、二台くらいは簡単に対応できるから、三台から始めましょうか。私の師匠 は、もっと厳しかったのよ。クロノスになれば、相手のサイがどこから自分を襲うか分からない。空中戦だからね」


 瞬を中心に、ピッチングマシンの三角形が作られた。


「まずはとにかく、上下以外の全方向に対応できるように鍛錬しましょ。重力に真っ向から逆らって身体を浮かせるサイコは、発動量が大きいの。だから、新人戦レベルで、上下の攻撃はほとんどない。避けるか、小猫丸で、ボールが身体に当たらないように、防いで」


 鏡子が、スイッチに手を置いた。


「中心にある円を太極って言うんだけど、そこから、出ちゃだめよ。最初は二〇〇キロから行きましょうか。朝香君、用意はいいかしら?」


 瞬がうなずいた時、左後方からうなりを立てて、ボールが迫った。



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■用語説明No.20:コンバット・スーツ/Cスーツ

クロノスおよびカイロスが着用する戦闘用スーツ。

エンハンサーを補助し、サイ発動効果を高める目的で装着されるが、最低限の防御機能しかない。

汎用型には、クオーツ(水晶)が用いられるが、使用者の属性に合わせた霊石を素材に添加する特注品もある。TSコンバットの競技用スーツとしては、チャクラ攻撃の成否判定と、可動性向上のために、軽装型が採用されている。実用向けには重装型、中装型など、様々なバリエーションが存在する。

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