第19話 黒縁眼鏡の男



 ボギーはズボンのポケットに手を突っ込んだまま、兵学校長室に姿を現した。

 デスクに向かう黒縁眼鏡の三十半ばの男が、書類を読みながらコーヒーを啜(すす)っていた。淹(い)れたばかりの香ばしい香りがする。

 第四軍、すなわち時空間防衛軍に属する兵学校は、国立のクロノス養成機関だが、東京三校の校長は本来、生(は)え抜きの教官が就(つ)くべきポストのはずだった。


 昨年末に起こった内務省発の不祥事の責任を取らせる形をとってはいても、男の若さからすれば、順調なキャリア・パスとも、いえた。兵学校の空間操作科は、時間操作科より一ランク下がるから、栄転とは言えないが、次の異動で、例えば内務省の時空間保安局長に抜擢(ばってき)されたとしても、不思議はなかった。

 

 ボギーは以前からその男を知っていた。織機(おりはた)刻司(こくじ) という、いかにも食えない時間操作士だ。

 ≪大災禍≫の起こった時は、内務省・時空間保安局の花形部署である「第一課・時間保安課長」を務めていた。

 ≪三旗≫と呼ばれる名門の中でも、筆頭とされる名門、織機家の御曹司で、権力の階段を最短距離で駆けあがってきた不気味な男だ。


 ボギーは聞こえるように舌打ちをしてから、タバコを一本、抜き出した。

「呼ばれたから、来てはみましたがね」

「用がなければ、呼びはしないさ。掛けたまえ」

 ボギーは応接机の上の灰皿を取って自分の前に置くと、さっそくタバコをくわえた。了解も取らずにパイロキネシスで火をつける。ボギーは時流解釈、すなわち「未来予知」以外のサイを、だいたい使えた。


 人は「サイのデパート」のようなボギーを「天才」と呼ぶ。たぶん、その評価は間違いではない。

 だが、ボギーに言わせれば、どれだけ高い超能力を使えても、ただ一つ、時流解釈能力が欠落しているから、それだけで値打ちはぐっと下がる。日本酒で言えば、大吟醸と吟醸の違いだ。≪終末≫を回避させられない天才なら、持っていても、意味があるまい。


「末永君。君は、私が嫌いだろうな」

 刻司はカップとソーサーを応接机に置きなおすと、ボギーの向かいに腰を下ろした。座るだけで迫力があるのは、刻司が持つとされる、当代随一と評された、時間操作能力のゆえだろうか。

「ご明察の通りです」

 嘘をつく理由もない。ボギーは思うがままを答えた。

 刻司は喫煙しないらしい。ボギーは天井に向かって、煙を吐いた。


「だが実は、私はそれほど君を嫌ってはいないのだよ」

「そりゃまた意外な話を伺いましたな。ですが、不幸にもここで一緒に仕事をするんだ。すぐに俺を毛嫌いすると、思いますがね」

「私の左遷は、内務省解体工作の一環だ。君も軍から干されて 、こんな下級機関への出向になっていた。我々の境遇は似ている」

「内務省の敗北は明らかですよ。これからは軍の独り勝ちだ。ですが俺には、学校長が順調に出世しているようにしか、見えませんがね」


 刻司はコーヒーをすすると、カップをソーサーに置いた。

「私と君は、良き友人になれそうな気がしていたのだが」

「勘違いですよ。俺は軍人でしたがね、れっきとした民主主義者です。軍と仲のいいお友達のあんたとは、違います」

「君が民主主義を愛する理由を、教えてもらえるかな?」

「頭は悪いけど、性格のいい女を好きになったようなものですよ」

「君の譬(たと)えは、よくわからないが」

「民主主義は欠陥だらけの政治制度だ。でも、人類が見つけた中で、一番マシな制度だって、話です」


「世界が終ろうとする非常事態においても、かね?」

「非常事態だからこそ、ですよ。滅びるんなら、みんなで決めて、納得したうえで、滅びたほうがいい」

「理想と現実をはき違えてはいないかね。私には、君が気づいている欠陥とやらが、非常事態に噴き出しているように、思えるのだがね」


「どんな政治体制でも、ゴミみたいな奴は出ますよ。民主主義のせいじゃない」

 刻司は口論を楽しむような余裕を見せて、上品に笑った。

「まあ、おたがい左遷された身だ。政治談議はこのあたりにしておこうか。もっとも、君が私を嫌うのは、私が民主主義に愛想を尽かした厭世主義者だから、という理由だけではないと、思うのだがね」


「もちろん、そうですよ。あいにくと俺は記憶力が抜群でね。つい数か月前に、あんたのした事も憶えていますからね 。怨恨以外の感情は、心の中を隅まで探しても見つかりませんな」


 大災禍の詳細は明らかになっていないが、内務省の空間保安課長を務めていた織機宙哉(ちゅうや)と軍の一部によるクーデターが発端とされていた。もっとも、公にはされていない機密情報だ。


 宙哉は刻司の実弟にあたった。宙哉はボギーの命の恩人であり、実の兄のような先輩でもあった。ボギーの空間操作能力をさえ凌(しの)ぐクロノスだった。

 だが刻司は、時間操作によってクーデターの鎮圧に成功、宙哉を殺害した。刻司はその後、実弟の不祥事の責任を取って課長を辞任した形だが、ちゃっかりと兵学校長に返り咲いていた。


「もし宙哉を始末する以外に道があったのなら、私も選んでいたがね」

 ボギーは、織機刻司をにらみつけるように見た。

 宙哉に似て、まれに見る美男子だが、性格はまるで違った。

 ≪三旗≫の若き当主として、昔から世渡(よわた)りの上手な男として知られたが、血を分けた弟を速やかに抹殺してのけた非情さは、第四軍のトップである天川時雄の後継者との評判をさえ、確立した。


「すべては、すでに確定した第二結界の向こうの話だ。末永君、我々には、未来に向けて今を歩むしか、ないのだよ」

 クーデターの真相は、ボギーも知らなかった。宙哉は濡(ぬ)れ衣を着せられ、政争に敗れただけなのではないか。何のために、宙哉は急いで挙兵したのか。愛弟子ともいえるボギーにさえ、何も知らせずに。

「分かっています。でも、あんたと歩むつもりは、ありませんな」


 刻司が苦笑を漏らした。

「まあ、いいだろう。おたがい、時流解釈ができない者同士だ。行きちがいもあるさ。宙哉は君を高く買っていたようだが、私は自称、民主主義者の君をどこまで信用していいのか、分からないからな。今日のところは、その辺にしておいて、用件に入りたい。小さな、話だがね」

 刻司は悔しいほど落ち着きを払って、ボギーを見返した。


「知っての通り、クロノスの養成には教育研究体制、関連施設を含め、少なからぬ税金がつぎ込まれている。わが校も公的機関として、透明性が求められるのは、当たり前の話だ。秋の定期外部監査までに、問題の芽を摘み取っておきたいのだよ。君のクラスに一人、問題児がいるようだ」


 刻司が左の人さし指で、ずれた黒縁眼鏡を直した。

「朝香瞬一郎という少年だが、プレイスメント・テストの結果は、二年次生一七六人中、最下位だった。それは別に、いい。だが、サイ発動量が測定下限値未満なのはこの少年だけだ。数値が入学要件にさえ、達していない。つまり、予科生としての在籍要件を欠いている。このような不適格者を在籍させている理由を、兵学校長は外部委員に向かって、どのように説明したら、よいのかね?」


 ほぼすべての人間が、オブリビアスである朝香瞬に関する記憶を失っているはずだ。だが、「朝香瞬」がメサイアであることを刻司は知っているのか。刻司は誰の預言を信じているのか。やはり敵、なのか……。

 それとも、成績不良の予科生に対し、単に学校責任者の職務を果たそうとしているのか。


 考えながらボギーは、たった今、問題に気づいたように、頭をかいた。

「学則では、成績不良者の退学処分を規定していますがね、Pテストは、実技のクラス分け試験です。退学させる理屈としては、いかにも不十分だと思いますが」


「それは分かっている。だが、退学勧告は可能だ。いずれ問題になるのなら、早めに手を打っても悪くはあるまい。君は、秋の外部監査で指摘を受けるまで何もすべきでないと、言いたいのかね?」

 ボギーは刻司の眼を見た。黒縁眼鏡の奥の真意は計り知れなかった。


「戒厳令の敷かれた半軍事政権下とはいえ、ここは日本です。人権はまだ、ありますからね。下手に退学させれば、人権派が騒いで火傷をするかも知れませんよ。特に彼はオブリビアスですから」

 ボギーは≪終末≫回避を口実として、第四軍が実権を握り始めた現状に、不満と不安があった。民主政治が、壊れようとしていた。権力にすり寄る刻司とは、違う。

「では、夏学期の結果が出るまで待つ、というわけか」


 ボギーは、煙で輪っかを吐き出した。

「カイロスとしての能力を、サイの発動量だけで評価するのは適切じゃありませんな。能力開花の時期にも、個人差がありますしね。入学試験で総合評価とされているのも、そのためです。ちょうど五月にTSコンバットの新人戦が始まります。その成績も加味した総合判断となさっては、いかがでしょうか。すべての予科生には本来、三年間をここで学ぶ権利があるんですから」


「たしかに成績のふるわない学生が、TSコンバットで好成績を収めるという事例も、あったようだな」

「ええ、昔の私のようにね。救世には、既存のシステムでは測れないような能力を持つ人材が、必要だとは思いませんか」


 刻司はコーヒーを飲み干してから、カップを置いた。

「退学勧告はしておくが、君の言う通り、しばらく様子を見るとしよう」

「では」

 立ち上がってきびすを返したボギーを、すぐに赤銅色の光がおおった。その背に、刻司の声がとんできた。


「末永君。次からはノックをして、外から入って来たまえ」

「了解です」

 ボギーは振り返らないままで、答えた。


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■用語説明No.19:三旗(さんき)

現在の天川家を中心とする「体制」の確立に、最も功のあったとされる織機、瑞木(みずき)、五百旗(いおき)の三家を指す。

いずれの姓にも「はた」と読める字が含まれるため、≪三旗≫と俗称される。天川家に次ぐ最有力の三家であり、体制の最重要のポストは三旗により占められる場合が多い。

国立時空間研究所の瑞木光男も≪三旗≫の出である。

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