第17話 登校の理由



 その日の午後、朝香瞬が、直太たちとともにコンバット部の昼練から戻ると、ずっと空席だった瞬の後ろの席に、少女が座っていた。

 天城明日乃は頬づえをついて、窓の外を見ていた。午前は欠席だったから、昼休みに登校したらしい。


 瞬の胸は、中で蝶が何匹も翔びまわっているように、高鳴った。瞬は駆け足で自分の座席に戻りながら、後ろに座る明日乃に話しかけた。勝手に満面の笑みがこぼれているのが、分かった。


「天城さん、久しぶりだね!」


 明日乃は例によって頬づえをついたまま、小さな声で答えた。


「……そうね」


「君が長い間、来ないから、みんな、心配していたんだよ」


 明日乃は、例の死んだ魚のような黒い眼 で、瞬を一瞥しただけだった。

 瞬がやたらとヤキモキ心配していたのは事実だが、「みんな」とは言いすぎだったろう。予科生のライバルが一人でも減ったほうが、本科に上がりやすいと計算する者も、中には、いるはずだった。


 多少の沈黙で挫(くじ)けてはいけない。明日乃の心の防壁を簡単に破れないことは、経験で学んでいた。

 瞬はめげずに話しかけた。


「天城さん、体調は悪くなかったんだよね?」

「……別に」

「研究所の仕事で、ずっと忙しかったんだ?」

「……仕事? ……別に」


 明日乃は、わざわざ文章を構成して会話に使うと損をする、とでも考えているかのように、短い単語で答えようとするクセがあるようだった。

 プラチナ色の瞳をした明日乃が瞬と二人きりでいたあの時には、会話がもう少し成立していたのだが。


「え? じゃあ天城さん、何をしていたの?」

「……仕事」


 通常の同級生なら、とっくに愛想を尽かしているだろうが、瞬は違う。この一週間あまり、瞬は来る日も来る日も、明日乃のことばかり考えていたのだから。


「天城さん、良かったらさ。君が休んでいた間の僕のノート、全部コピーしてあげるよ。ほぼ完ぺきだからさ。要る?」


 明日乃は他人事のように、かすかにうなずいた。

 頼まれた依頼をしぶしぶ引き受けたような感じで、ありがたがる様子は、微塵(みじん)もなかった。

 むしろ喜んでいたのは、瞬のほうだった。


「分かった。じゃあ今晩、寮でコピーして、明日にでも持ってくるね」


 自分の書いた字を明日乃に読んでもらえることが、さらに明日乃が使う黒いカバンに自製のノートが入ることが、瞬はうれしくてたまらなかった。


「もし分からない部分があったら、教えてあげるから、何でも聞いてね。僕も教官に食いさがって、ずいぶん理解したから」


 瞬はわからなければ、授業中、遠慮せずに手を上げて質問した。休み時間には、鏡子と二人で教官をつかまえて質問攻めにしてきた。


「……そう」


 明日乃は授業にまるで、関心がなさそうだった。なぜ、学校に来ているのだろう。


「天城さん、お久しぶりね」


 席に戻ってきた鏡子が会話に加わった。女子は着替えに時間がかかるから、たいていは男子が先に、室へ戻る。


「朝香君って、すっごく頭がいいのよ。理論面では、もう学年トップかも知れないわ」


「そんな。宇多川さんも、大げさだね。でも、僕っていったい昔、何をしていたんだろう。時空間操作については、誰でも知ってる常識さえ知らないのに、TSCA前の歴史とか、文化とか、どうでもいい話ばかり知っていてさ 」


「どうでもいいってことないと思うわ。朝香君って雑学王みたいね」


 たしかに瞬は同期の予科生に比べ、ずぬけて博学だった。


「僕は博物学者志望だったのかも、知れないね」


 別段、面白くもない瞬の話に、鏡子はいつもつき合ってくれた。もちろん明日乃は、ニコリともしなかったが。


「天城さん、聞いて。先週、抜きうちで数学の実力テストがあったんだけど、学年で朝香君だけが、満点だったのよ」


 鏡子はこれまでの筆記試験では、常に同期でトップだったそうだ。鏡子には、ライバルの登場を歓迎していない気持ちも、あるのかも知れないと、瞬は思った。


「ウチは進学校でもあるから、普通の高校レベルの数学をやっているはずなんだけど。朝香君は小テストも、いつも満点だしね。だいたい授業中、よく居眠りしているのに、数学とか、国語とか、いつ勉強しているの?」


「実のところ、空間操作理論以外は、何もしてないんだ。理社は一部、記憶を失くしているんだけど、他は全部、前から知ってる話だから」


 オブリビアスの待機所で、人定(じんてい)のために学力調査を受けたが、瞬の学力はいちじるしく偏(かたよ)っていた。時空間操作理論とその歴史に関する事項はまるで白紙だが、それ以外については大学入学レベル相当と判定された。

 

 授業開始のチャイムが鳴った。


「天城さん。普通の勉強も良かったら、教えてあげるからね」

「いいなあ、天城さん。私も、朝香君に教えて欲しいのに」


 鏡子の学力なら、瞬に教わる必要などないはずだが 。


「じゃあ、どうかな? みんなで勉強しようか。直太と長介も入れて。ねえ、天城さん、どう?」

「……わたしは遠慮しておくわ」


 明日乃がそっけなく答え、窓の外に視線を戻した時、ばたばたと教官が現れた。


「物と、生命体では、動かしやすさが全然、違いますな。物には普通、意思がない。だから、ニュートラルに動くんですな。誰がやっても、だいたい結果は同じになりますな」


 朝香瞬が事前に直太から聞かされていた通り、「サイコキネシス基礎Ⅱ」の授業は退屈だった。全国共通の教本を読めば、理解できる内容ばかりだった。


 人だけは良さそうな初老の教官は、少なくなった髪を、禿げ頭のてっぺんで懸命に横に渡している様子から「バーコード」と綽名(あだな)されていた。

 眠りへといざなう、おだやかなバーコードの語りは、L組の半分近い予科生をみごとに撃沈していた。


 昼食後の昼下がり、けなげに眠気と戦っていた瞬も、猛烈な睡魔に襲われていた。睡眠不足とサイ発動鍛錬のやりすぎに加えて、明日乃に会えた嬉しさと安心感が、睡魔に協力していたかも、知れない。


 毎日、瞬は暗いうちから起き出して、一年次の理論を自習する。

 明日乃に会えないかとの思いもあって、研究所に行き、広大な施設を三周して戻り、シャワーを浴びる。


 長介、直太と一緒に寮の朝食を食べてから登校し、朝練に出る。

 部活後も、自主練に参加する。帰寮後も、風呂前に研究所を二周し、夜遅くまで勉強してから寝る。睡眠時間は五時間もなかった。むろん瞬の学習には、サイの発動鍛錬も含まれている。

 舟を漕いで目覚めるたびに、右隣から、ちらちらと鏡子の気づかうような視線をときどき感じた。


「これに対して、生命体には意思がある、魂がある。一個の存在なんですな。だから、発動者との相性のようなモノがありますな。予科の二年次ではまだ危ないですから、他人を動かす訓練はしませんがな。対象は物と自分だけですな」


 バーコードは、教卓の上に、二リットルの水入りペットボトルを、よいしょと置いた。


「それでは一年次のおさらいです。誰かに動かしてもらいますかな。名簿順で、え~と朝香君、かな」


「……朝香君」


 隣の鏡子に揺り動かされて、目が覚めた。よだれをふく。


「……はい?」


 サンジが口火を切って笑うと、教室がざわめいた。

 おかげで、覚醒できた。夢うつつに聞いていて、指示内容が分からなかったが、鏡子が早口で教えてくれた。

 鏡子に同情するように見送られながら、瞬はバーコードの手まねきに従って、教壇の隣に立った。


 実技クラスの同級生に限らず、プレイスメント・テストの結果から、瞬がいくら念じてみても無駄だと皆、知っているだろう。サンジがまた笑い出し、教室の一部も同調した。


 瞬は眼を閉じ、精神を集中する。

 初登校以来、毎日欠かさず、鍛錬を続けて来た。暇さえあれば、ひたすらサイの発動鍛錬を行ってきた。長介のアドバイスも受けていた。結果こそまだ伴っていないが、一日に一〇〇回程度は、こなしてきた。

 その成果がまさに今日現れ、ブレイク・スルーがあるやも知れぬではないか。


 ボギーによれば、瞬にはものすごい潜在能力があるらしい。現に、明日乃と襲われた時、強力な防壁を展開できた。

 自分はできる、と言い聞かせる。


 瞬はペットボトルの浮上する姿を思い浮かべながら、目をカッと見開いた。


 左手首のブレスレットが、わずかな温もりを帯びたような気がした。だが、ペットボトルはやはり微動だにしなかった。


「……すみません。僕には、動かせません」


 瞬が頭を下げると、ひと際大きな笑い声がした。

 見ると大柄な外国人だった。赤毛のアメリカ人、ミッキーだ。

 瞬とはまだほとんど言葉を交わしていないが、かわいそうに単純な発想で「ねずみ」とか「マウス」という綽名(あだな)も付けられていた。ねずみと違って、図体はLクラスで一番大きいのだが。


「慣れれば必要ありませんが、初心者の頃は手を使うと、発動しやすい場合がありますな」


 バーコードがブレスレットをつけた左手を上に上げると、ペットボトルが宙に浮き上がった。

 瞬は一応、言い訳をしておいた。


「応用編の教本には、発動モーションにクセをつけないほうが良いと書いてありましたので」


 結果として発動に時間を要し、迅速な発動の障害となりかねないため、手などで空間操作のモーションを取らないほうがよいとされている。そのため瞬は、念ずるだけで動かす訓練をしていた。


「朝香は、それ以前のレベルじゃねえのか?」


 サンジの一人、小太り二重顎が甲高い声ではやすと、笑いが起こった。


「ん? どうですかな?」


 バーコードは自分自身でも眠そうな眼を見開いて、瞬とブレスレットを交互に見た 。


「ちょっと、失礼」


 バーコード が肥えた丸い指を、瞬のブレスレットに近づける。と、電流が走ったように、手を引っ込めた。バーコードは不審げにブレスレットを見ていたが、首を何度もひねった。


「いや、カイロスのレベルでそんなはずは……。不良品ではないでしょうな。それでは次、えーと、次の天城さん。やってみてくれませんかな」


 明日乃は、いかにも面倒くさそうな重い足取りで、ゆっくりと教卓に出た。

 瞬と同じクオーツの既製品のブレスレットをつけた左手を、ペットボトルにかざした。

 いとも簡単にペットボトルを浮上させ、水平に動かした。

 最後に明日乃が手を握りしめると、ペットボトルは粉々に砕け、教卓は水浸しになった。


 教室中にどよめきが起こった。先日のプレイスメント・テストでも、これほどのサイコキネシスを使えた生徒はトップ・テンの襟章組にも、いなかった。

 オブリビアスとして突然クラスに編入された天城明日乃の能力が、初めて公に披露された瞬間だった。


「いやはや動かしてもらうだけのつもりでしたが、予科二年次でこのレベルとは、驚くべき話ですな」


 バーコードは濡れた教本などを慌てて避難させ、しましまのハンカチでふきながら、苦笑いした。

 何の感慨もなさげに、虫歯でも痛むように不機嫌そうな顔で、明日乃は、自席に戻った。


「訓練を積むと、サイコキネシスは恐ろしい殺人能力に変わりますな。実に、怖いですな。人の心臓だけ、サイで外に移動させれば、その人は死にます。外に移動させなくても、構いませんな。心臓をいくつもに分けて、身体の中で動かせば、死んでしまいますな」


 バーコードは怖気(おぞけ)をふるったように、言葉をいったん切った。


「私にゃ、そんな恐ろしい真似は、できませんがな。そういう怖い技術は、『サイコ応用』でボギー先生から学んでください」


 バーコードの授業は長い。まだ、一〇分以上ある。また寝に入る予科生の姿がいくつか見えた。


 時代が移っても、中等部で学ぶ内容が、すっかり変わるわけではない。英語こそ、音楽、美術のような教養の位置づけに変わったが、国数理社や体育の授業も当然にあった。


 ただし兵学校では、体育の授業が空間操作能力の向上に、強く結びつけられていた。たとえばサッカーやバレーボールなどの球技では、ボールに対するサイコキネシスの使用が、むしろ推奨されていた。


 七時限の体育の授業後、ホームルームに戻った瞬は、後ろの席が空席になっているのに気づいた。カバンも、ない。


「天城さんね、体育の授業中に高熱を出しちゃって。さっき早退したの」

「そうなんだ……」


 あの時、明日乃は、病院では治せない病気だと説明していた。


 久し振りに会った明日乃が輪をかけて不愛想だったのは、体調不良のせいだったのだろうか。もしかして明日乃は、瞬に会うために不調を押して、登校したのだろうか。いや、都合よく考えすぎだろう。


 ホームルームが始まると、瞬は窓の外を見た。

 雲を探してみたが、澄んだ青空には、雲ひとつなかった。



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■用語説明No.17:襟章組(えりしょうぐみ)

同一期内で序列一〇位以内の一〇名の兵学校生を指す。

第二兵学校の伝統で、同校の紋章である鷹を象った襟章が付与されることから、「襟章組」と呼ばれる。各兵学校に、同様の制度がある。

襟章組は箔(はく)がつくとされ、本科への進学を含め将来の進路にも影響する。

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