第3章 ファム・ファタールたち

第16話 護りの封印



 朝香瞬が国立第二兵学校に通い始めて、二週間あまりが過ぎた。

 コンバット部の朝練を早めに切りあげた瞬が教官室をのぞくと、久しぶりに見るプリン頭があった。

 授業開始までは、まだ時間がある。


 瞬はさっそく教官室に入ると、ボギーに声をかけた。

 ボギーは忘れ物にでも気づいたような顔で、瞬を手まねきすると、隣の応接室に入って行った。すぐ後に、続く。


「どうだ、瞬。元気にしているか?」

 パイプ椅子にどっかと座るボギーに勧められて、瞬も腰かけた。


「僕は元気なんですけど、教官。あれ以来、天城さんが不登校なんです。研究所にも行ってみました。でも一切、面会させてくれないんです。天城さんはだいじょうぶなんでしょうか」


 あの事件の翌日から、明日乃は一度も兵学校に登校していなかった。消息が分からない。

 ボギーがいたずらっぽく、瞬を見た。


「お前がいきなりキスなんてしたから、乙女ごころが傷ついたんじゃないのか?」


 瞬が抗議の眼でにらむと、ボギーは笑った。


「冗談だよ。裸になって乳くりあったわけでも、あるまいしさ」


 瞬は、笑えなかった。

 たしかにあの夜、瞬と明日乃は偶然の出来事とはいえ、正常でない状態におちいった。

 もしやそれを気にして、明日乃は不登校になったのだろうか。


 だが、あの時、明日乃にそんなそぶりは皆無かいむだったはずだ。あの後も、じゃがいも系を中心に食べ物をつまみ、ジンジャーエールを気に入って、飲み干したくらいだ。

 だが、明日乃は姿を見せない。

 ずっとこのまま明日乃に会えないなどという事態がありうるのだろうか。


 ボギーはタバコをくわえながら、応接机の上をひっくり返し、書類やら教本やらをのけていた。灰皿を探しているのだろう。この男は、吸うか、飲むかしないと、人と話ができないのか。


「教官、この部屋、禁煙ですよ」


 瞬は、ボギーの真後ろに掲示してある「禁煙」の貼り紙を指さした。


「ちっ、俺だけはルールの適用除外にしてもらいたいね」


「そんなことより、ボギー教官。天城さんは大丈夫なんでしょうか」


 ボギーは、ふだんのヘラヘラ顔を、真面目な表情に戻した。


「瞬。お前さ、時空研ってどんな組織か、知っているのか?」


 時空間操作技術を一手に独占し、トップレベルの技術者たちが最先端の研究開発を続けている、非常に有力な国家機関だ。


「政治がらみのキナ臭い話は、この際やめとくがな。あすこは、第四軍とつながってて、軍事機密がワンサカてんこ盛りの場所なんだ。潜入するのは、俺でも簡単じゃない。半端ねえ結界も張られていてな。この前の夜だって明日乃を、正門の前までしか送れなかったんだぜ」

「じゃ、教官。どうすれば天城さんに……」


「日参しろよ。そしたら、いつかは会えるんじゃねえの? 学校側としても、不登校が気になったから確認を入れた。明日乃は元気ハツラツらしいが、研究でお忙しいそうな。だから、欠席扱いにもなっていないよ。まあ、健康状態については安心しろ」


 とりあえず無事ならば、いい。だが、会えなければ会えないほど、瞬の明日乃に対する思慕の念は、つのって行くばかりだった。


「じゃあ、明日乃さんは、いつ学校に――」

「しばらくは、無理かもな。ホレたんなら、何百日でも通い続けろよ。恋ってのは、ゆっくり大切に育んでいくもんだ。手を抜いちゃぁ駄目だぜ」


 ボギーは長い前髪をかき上げた。髪は金色に染めなおされたのか、プリン状態がいくぶん改善されてはいた 。


「分かりました。これまでも行っていましたけど、続けます」


 瞬は近頃、朝晩のトレーニングがてら研究所まで走り、敷地を何週かして戻るのを日課としていた。そうしていれば、ばったり明日乃に会えたりはしないかとの気持ちもあった。

 瞬はボギーに椅子を近づけると、声を落とした。


「おかげさまで、学校の事情などは分かってきました。ですが、肝心の自分や天城さんのことが、わかりません」

「そりゃまあ、そうだろうな」


 椅子を後ろに傾けて、身を離そうとするボギーのほうに、瞬はさらに身を乗り出した。


「教官、教えてください。なぜ天城さんは、僕の命を狙う必要があるんですか?」


 ボギーは、未練がましくタバコを噛んでいたが、やがて椅子を戻した。


「俺もまだ、詳しくは洗えていないんだがね 。研究所に一人、とんでもねえ預言者がいる。明日乃は、そいつの預言を実現するために動いているようだな。ま、このつまんねえ世の中を動かしてやがるのは全部、預言者なわけだがね」


 未来予知能力を持つ預言者すなわち、「時流解釈士」は数千万人に一人しか適性を持たないと言われる。クロノスたちの頂点に君臨する独立の存在だった。


 クロノス三士をふうしたれ歌がある。


 ――空間士は、人を殺す悪魔

 ――時間士は、人を生かす偽善者

 ――預言者は、国を滅ぼす、できそこないの神だ、と。


「その人の預言は、正しいんですか?」

「時流解釈は戦いだぜ。勝ったほうの預言が正しくなるんだ。だから、フタを開けてみなきゃ、分からない」

「未来は、変えられるんですね?」


「変えられる未来と、変えられない未来があるんだ。大災禍は確定した未来だった。だから、誰にも変えられなかった。預言者も神じゃないからな、動かせる範囲でしか、未来は変えられないんだよ」


「大災禍が確定していたのなら、僕がオブリビアスになることも、最初から、決まっていたんですか?」

「俺はそう思うね。俺もまだ、お前の素性はわからない。だけど、お前が存在を消されずに、記憶を奪われた理由なら、分かるぜ」


 真面目な顔をしている時のボギーは、なかなかに男前だった。


「……どんな理由、なんですか?」

「簡単な話さ。お前が生き残るには、お間が持っている記憶が邪魔だったんだ。オブリビアスとする以外に、お前をこの世に残しておく道が、なかったんだよ。それだけの話さ」


「誰が、僕を残そうとしたんですか?」

「俺も知らんがね。だが、俺の理解だと、偶然でオブリビアスは生まれない。お前が過去を奪われて生かされた理由は、≪終末≫の回避に不可欠な人間だったからさ」


 ボギーは何でも確信ありげに言うが、どこまでが本当なのだろう。ボギーとて、預言者ではない。

「教官は最初にお会いした時も、この前天城さんと助けていただいた時も、預言を聞いて僕を助けに来たと、言われましたよね? ボギー教官は、誰の預言を信じているんですか?」


 ボギーはじっと瞬を見てから、小さく首を振った。

「いつか教えてやるよ。俺とお前がもっと信頼関係を築いてから、な」

 ボギーとは会ってまだ二週間ほどの間柄だ。ボギーが本当は敵である可能性も、絶対ないとはいえない。特に瞬の明日乃への恋を知るボギーとしては、軽々に手の内はさらせないのだろう。


「オブリビアスには、使命がある 。今はそれだけ、分かっていればいいさ」

「天城さんにきけば、何か分かるでしょうか?」


 ボギーは改善されたプリン頭を横に振った。


「あの美少女はただのコマだよ。ほとんど何も、知らないかもな」


「天城さんは何者なんでしょう? なぜ瞳が、あんな色なんですか? それに、エンハンサーなしで、サイを発動できるなんて」


 自分もさることながら、瞬は自分が日夜、恋焦がれている少女について、知りたかった。


「俺も探っている最中だ。いずれにせよ、明日乃は、メサイアであるお前の未来を左右する存在だ。古来、英雄を生かすも殺すも、美しい女が決める。メサイアには、ファム・ファタール(運命の女)がつきものらしい。俺にも、いるぜ。お前にとっては、それが明日乃ってわけさ」


 英雄などと呼ばれるのは面映おもはゆいが、明日乃が瞬の人生を左右しうるという意味で、ボギーの分析は間違いではない。たしかに瞬は、明日乃に首ったけだった。明日乃を生かすためなら、命を張れる自信があった。


 ボギーは軽薄そうに見えるが、嘘をつく人間には見えなかった。知らない話は、本当に知らないのだろう。


 不在がちのボギーは、容易につかまえられない男だ。瞬には、まだまだ尋ねたい事柄があった。

「先日、黒服たちに襲われて、先生に掛けていただいた、おまじないの壁が、なくなってしまったんですけど――」

「何の話だ?」

「天城さんに殺されそうになった時、先生が――」


 ボギーは人さし指を立て、チッチとやりながら、さえぎった。


「あれは、冗談だよ。俺は、何もしていないぜ」

「え? でも、襲われた時、赤銅(あかがね)色の光壁が……」


 ボギーは初めて瞠目(どうもく)しながら、瞬を見た。

「マジかよ?」

「本当です」

「……なるほどね。……それは、お前が自分で展開したんだよ 。だが、俺の発動色ってことは……」


 ボギーはパイプ椅子をかたむけると、腕を組んだまま天井を見上げていたが、やがて座り直した。


「お前のサイは今、封印されている 。それは、お前を守るためだ。本当のお前は、恐らく神に近いサイさえ、発動できるはずだ。だが、お前の心身がまだ、それに耐えられないんだ。いずれその時が来れば、お前の能力は解放されるだろう」


「それは、いつなんですか?」


 ボギーは長い身体を、パイプ椅子の上で器用にのばしながら、思い切りあくびをした。


「知らねえよ、俺は。預言者じゃねえんだからさ」


 瞬が時計を見ると、チャイムが鳴るまで、あと数分だった。まだ、一つふたつ、質問はできる。


「そもそも教官はどうして、僕をこの兵学校に呼んだんですか? 」

「何の話だ? 俺は知らねえぜ」

「え? じゃあ、誰が?」


 ボギーは無精ひげの生えたあごに手をやり、首を捻(ひね)っていた。


「うーん。俺にも、まだ読めねえな。何人もの預言者がからんで来やがると、わけがわからねえ。大災禍このかた、どこのどいつが、何をやってやがるんだ。俺の知らない話が多すぎるぜ」


 チャイムが鳴り出す。瞬が椅子から立ち上がり、早口で訊ねた。


「最後に一つだけ、教えてください。天城さんはまだ、僕の敵、なんですか?」


 まだ火を付けていないタバコを手にしたまま、ボギーが答えた。


「ああ。研究所を甘く見ないほうがいい。明日乃は、本当にお前の恋人になるまでは、敵だよ……」


「……もし、恋人に……できなければ?」

「お前を、殺すだろうな」


 まさに、命がけの恋って、わけか。


「一つ、言っておくよ。お前と明日乃の恋には、世界の終わりがかかっている。責任を持って恋をしてくれや。浮気とか、しないようにな」


 言われなくても、真剣な恋をするつもりだ。ただ、相手があまりに、難敵なだけだ。


 チャイムが鳴り終わると、ボギーが立ち上がった。


「急がないと、遅れるぜ、瞬」

「大丈夫ですよ。次の二Lの授業、ボギー教官ですから」

「そうだっけか。じゃあ、競争だな。俺のテレと、どっちが速いか」

「教官! それは、反則ですよ」


 瞬は、教官室を駆け出た。


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■用語説明No.16:ガロア(G)

空間操作力の発動量を表す単位。海抜ゼロメートルで、質量一トンの存在を一km、瞬間水平移動させるために要するエネルギー量と定義される。一ガロアが、空間操作士の登録許可基準とされるが、カイロスは一般に、ミリガロア(mG)レベルの発動量である。

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