第14話 両手いっぱいの疑惑



 瞬が明日乃の姿に見とれていると、玄関で鍵の開く音がした。

 ボギーがテレポートを使わない場合も、あるらしい。


「よう、お前ら。美味い食い物、仕入れてきたぞ」

「あ、先生、着替えがなかったんで、適当に服、お借りしています」

「ああ、好きにしろ」


 両手にレジ袋を持って現れたボギーは、明日乃の姿を見ると、ヒュウと冷やかしの口笛を吹いた。


「こいつは、たまげた。国民的美少女ってやつだな。瞬、こんなファム・ファタール(運命の女)に殺されるんなら、男としても、本望だよな」


 瞬としてはとりあえず苦笑いするしかないが、明日乃は見た目の麗しさだけではないと思っている。


 出会い方こそ最低だったし、今でも状況は、それほど改善されてはいない。それに、若くして研究所に所属し、誰かに命をねらわれる明日乃は、間違いなく普通の平凡な少女ではないだろう。


 だが瞬が、明日乃にどうしようもなく惹かれてしまうのは、きっと明日乃が本当は誰よりも美しい心を持っているからではないか。

 まだ、花開いてはいないが、その蕾が明日乃の心の中にはある気がした。


 ボギーは買ってきた酒類をポンポン冷凍庫に放りこむと、缶ビールをプシュリと開けた。

「お前らも、やるか?」

 瞬はあきれてボギーを見返した。


「先生が勧めたら、兵学校で問題になりますよ。僕たち、実効年齢でも、未成年ですから」

「あ、そうだっけか?」


 ボギーは、一気に五〇〇ミリリットルを飲み干すと、気持ち良さそうにゲップをした。


 ボギーは、冷蔵庫に向かう。


「俺には、実にグラマーな妹 がいてな。エッチな服とか下着ばっか、持っていやがるんだ。実家にはとても置けないから、俺の離れに置かせてくれってさ。重症のブラコンでさ、俺もいい加減、困ってるんだが、根はいい奴だよ」


 ボギーは、冷凍庫から取り出した二本目のビールを手に、戻ってきた。


 ボギーの離れに存在する「女性物の着替え」の一件は、瞬としても、尋ねにくい話題だったが、ボギーも問われる前に、説明をしておきたかったのかも知れない。真実かどうかは、保証の限りでないが、この際、大きな問題ではないだろう。


「何をされている妹さんなんですか?」

「もうすぐクロノスになる予定だ。時間操作科の本科生さ。何なら、紹介してやろうか、瞬? 明日乃には負けるとしても、相当の美人だぜ」


 瞬は、明日乃や鏡子のような、清純タイプの女性が理想だ。たぶん、瞬の好みからは、大きく外れているのではないか。明日乃の目の前で、紹介してくれなどと、言えるわけもない。


「遠慮しておきます」


 ボギーは、電子レンジやトースターをチンチン鳴らしながら、食卓の上に、唐揚げ、フライドポテト、フランクフルト、焼きそば、ピザやドーナッツをずらりと並べ、ポテトチップスをパーティー開けした。


「先生は、いつもこんな、激しいジャンクフードを召し上がっているんですか?」


 瞬があきれると、ボギーが反駁はんばくしてきた。


「俺の死んだ親爺が言ってたぜ。ジャンクは若いうちに食っとけ、年取ったら食えなくなるから、ってよ。お前ら、ソフトドリンクも買ってきてやったぞ。焼酎を割ろうと思ってな」


 瞬は冷凍庫から、ジンジャーエールのペットボトルを取り出した。


「天城さん、これをいただこうか?」


 明日乃はいかにも関心なさげに、うなずいた。

 

 瞬は、食器棚から勝手にワイングラスを二つ取り出して、注いだ。

 一つを明日乃の前に置き、乾杯しようと思っていたのだが、明日乃は注いだ途端、グラスを口に運んでしまった。乾杯できないまま、瞬も、しかたなく、続けて飲んだ。


「……これ……美味しいわね」


 この世で明日乃が発する言葉は数少ないから、瞬は決して反応を怠らない。


「これ、ジンジャーエールだよ。どこかお酒みたいで、少し大人になったような気分になるよね」


 明日乃は黙って瞬の手からペットボトルを奪い取ると、飲み干したグラスに注いだ。


 瞬が今日起こった出来事を説明している間も、ボギーはひたすらジャンクフードをムシャムシャ食べていた。ただの一度も口をはさまなかったのは、単に食べるのに忙しかったためだろう。


 明日乃はと言えば、フライドポテトを数本つまんだ程度で、ほとんど食べていなかった。まだ身体の具合が悪いのかも知れないが、ジンジャーエールは気に入ったようで、しきりに飲んでいた。


「それで、お前たち。出会って数日で、さっそく恋人らしい真似をしているのかい?」


 瞬は真っ赤になった。

 明日乃はどこ吹く風と澄ました顔のままだが、はた目から見れば、さっき二人は相当きわどい状況にあった。


「そんな話より、先生。今、お話しした奴らがまたやって来て、天城さんを襲うと困るんです」

「じゃあ、お前が守ってやれよ、瞬」

「え? でも、僕にはまだ――」

「おいおい、男の言いわけは見っともねえぜ。お前、明日乃にホレてんだろ?」


 ボギーは冷やかしながら、三本目の缶ビールをあおった。


 何者かに襲われていた時、明日乃本人にも告白してしまったし、今さら隠す話でもなかった。


「……ええ、まあ……それは、そう……なんですけど……」


 明日乃の様子をちらりと見たが、相変わらず何食わぬ顔で、ポテトチップス を一枚取って、口に入れただけだった。


(さっき、あんなことがあったのに……

 明日乃さんは結局、僕のことなんか、何とも思ってないんだろうな……)


 浴室以来の明日乃の行為を、彼女の好意ととらえるのは間違いなのだろうか。瞬の心に、すきま風が吹きこんできた。


「いいか、瞬。女は結局、強い男にホレるもんさ。女をふり向かせたければ、強くなれ」


 ボギーは正しい。弱き者が、天城明日乃ほどの女性を手に入れるなど、許されまい。

 だが、鉄壁のサイを誇る明日乃より瞬が強くなれる日など、果たして来るのだろうか。


「……努力するつもりです。でも先生、天城さんを襲ってきた奴らの素性は、分かりませんか?」

「痕跡を残していなかったから、まあ、プロだわな。てことは、簡単に尻尾はつかめねえって、わけだ」


 ボギーは、酒を飲み続けることが仕事であるかのように、見さかいなく、飲みまくっていた。

 そのせいで、しだいに、ボギーのろれつの回りも、怪しくなってきた。世間の裏まで何でも事情を知っていそうな、もったいぶった口ぶりの教官だが、ボギーも意外に頼りないのかも知れない。


「あ、しまった!」


 瞬は突然立ち上がって、頭をかかえた。

 明日乃は、いっこうに気にかける風もなく、ジャーマンポテト・ピザに手を出していた。


「先生! 電話を貸してください!」


 長介や直太のことをすっかり忘れていた。

 シャワーを浴びてから電話しようと考えていたのだが、明日乃の突拍子もない行動のせいで、何もかも、跡形もなく、吹っ飛んでしまっていた。


 ジョギング中だったから、携帯端末も持っていなかった。

 寮の守衛室に架電し、内線につないでもらったが、誰も出なかった。


 ボギーは四本目のビールを、プシュリと開けた。


「メシ食い終わって、風呂にでも入ってんじゃねぇの? あの富士山が描いてある大浴場、俺も昔、通ったもんさ」


 六寮共有の大浴場は、敷地内に二つあったが、昔ながらの公衆浴場を意識した一つの浴室の壁には、雪をかぶった霊峰が描かれていた。


 直太や長介の性格からして、瞬を探しに出た可能性も、考えられた。


「ボギー先生。僕、探しに行ってきます」

「その恰好で、か?」


 瞬はわずかに迷ったが、かまわず走り出た。右足首と股が、まだ痛い。


 瞬は寮の自室に駆け戻ったが、誰もいなかった。

 とりあえずボギーの派手な服を、制服に着替えた。直太の部屋や、大浴場、その他、寮で直太たちがいそうな場所を探しまわった。が、いない。


(僕がずっと戻らなかったから、探しに出てくれたんだろうな。

 申しわけなかったな……。

 学校や警察に、届けたりしているかな……)


 ジョギング・コースや井の頭公園の界隈を探しまわったが、見つからなかった。

 小一時間ほどたったろうか、とりあえず教員寮に戻ってみることにした。


 ボギーの部屋のチャイムを鳴らす。

 出てきた少女を見て、瞬は息を呑んだ。


 宇多川鏡子だとは、すぐに気づかなかった。ボギーの恋人でも来たのだろうと思った。鏡子がふだんのポニーテールでなく、長い髪を下ろしていたせいだろう。ずいぶん年上に見えた。


 鏡子は、上品なVネックの薄紫のワンピースを着ていた。学生服とは違う、淑女のイメージだった。


「朝香君! 無事で良かったわ。みんな、探していたのよ」

「ごめん、ありがとう」


 予想した通り、直太と長介は、鍋を囲もうと待っていたが、瞬がなかなか戻らないために、探しに出たらしい。連絡を受けた鏡子まで、一緒になって、探してくれていた。


 鏡子の提案で、担任のボギーに相談してみようとの話になったらしい。それで、瞬の無事は確認されたわけだが、瞬とはちょうど入れ違いになった。

 ボギーがテレポートで鍋一式を持ってきてくれたらしく、リビングに座を移して、皆で鍋を囲んでいた。


「あ、朝香君。君の分はきちんと、取ってあるから……」


 長介に礼を言いながら、隣に座った。ソファにだらしなく寝転がって酒をあおるボギーの周りに、予科生が車座になっている。

 時計順に、明日乃、鏡子、直太、瞬、長介が座っていた。


「みんな、本当にごめんね。色々ありがとう。良かったら、ここにある物、何でも食べて。と言っても、先生のおごりだけど……」


 直太が怒った顔を作り、瞬の首にヘッドロックをしかけてきた。


「おい、瞬。お前、ワシらを散々、心配させてといて、まさかアスノちゃんと二人っきりで、いちゃついとったんと、ちゃうやろな? 結局どこほっつき歩いて、何をしとったんや、お前は?」


 複雑な事情は色々あったが、直太の問いは核心を突いてもいた。

 だが、明日乃が襲われた経緯は、軽々に説明すべきでないだろう。話題を変えたいが、さて……。


「心配するなよ、直太。この二人、まだキスくらいしか、やってねえからさ」


 ボギーの言葉に、明日乃以外の全員が、のけぞった。同級生の射るような視線が、いっせいに瞬に注がれた。

 明日乃は、ゆっくりとジンジャーエールを堪能している。

 追い詰められた瞬は、せめて矛先ほこさきをボギーに向けようとした。


「…………先生、ずるいですよ。あの時から見ていたんなら、もっと早く――」

 今度はボギーが身を起こしながら、のけぞった。


「おいおい、冗談のつもりだったのに、お前ら、もう済ませたのか。顔に似合わずえらく手が早いな、瞬も」


 語るに、落ちた。悔やんでも、悔やみきれない。

 明日乃は、涼しい顔でジャガイモ・サラダを自分の皿に取っている。その隣で、鏡子が目を丸くしていた。


「……そ、それ、ホンマなんか? 瞬?」


 瞬は顔から火が出そうだったが、しどろもどろに応えた。


「……だけど、あの時は、その……天城さんの具合が、ずいぶん悪そうだったし……」

「おいおい、瞬」


 また寝転がったボギーが、悪戯っぽい口調でからんで来た。この男は酔っ払ったふりをして、話をきちんと聞いている。


「明日乃がぐったりしている時を狙って、無理やりくちびるを奪うなんて真似――」

「ち、違いますよ。あの時はその……他にどうしようもなくて、仕方がなかったって、いうか……」


「おいおい、国民的美少女とキスをさせてもらって、仕方ないって言い草はないだろうが。失礼千万な話じゃないか。じゃあ、お前はなにか? 明日乃と嫌々ながらキスしたって、言い張るつもりなのか?」


 瞬はあわてて反駁した。もう、しどろもどろだった。


「もちろん、違いますよ。嫌だとか、そんな気持ちは全然ありませんでしたよ。むしろうれしかったけど、だけど、そういう問題じゃなくて……」


 ボギーは瞬をからかい終えると、明日乃を見た。


「で、明日乃のほうはどうなんだ? 瞬とのキスは、嫌だったのか?」

「……別に」


 瞬がちらりと明日乃を見ると、ジンジャーエールの残りをグラスに空けていた。よほど気に入ったらしい。


「ほらみろ。どっちも嫌じゃなきゃ、晴れて合意成立じゃないか。おたがい、キスしたいからしたって、話さ」


 全くいい加減な教官だ。二度も命を救われていなければ、瞬は心底、軽蔑しているところだった。

 

 物言えば唇寒し何とやら、ボギーの前でうかつに口を開くと、墓穴を掘るのだと、学んだ。

 瞬はうつむいて、嵐が過ぎ去るのを待った。


「それにしても、明日乃ちゃんの服、スゴイよな……。ワシ、見惚れてもうた……」


 瞬は、直太たちの視線が、明日乃の白い肌に突き刺さるのが、辛かった。


「そうだ、明日乃。その服、やるよ。妹のやつ、いっぱい持ってっからさ。それに、そのプラチナ色のカラーコンタクトも、よく似合ってるぜ。その調子で、これからも遠慮なく、世の男たちを悩殺してくれ」


 なるほど。ボギーは明日乃の瞳の色も、ごまかすつもりらしい。

 ボギーはソファで大声を上げながら伸びをすると、身を起こした。


「さ、お前ら。もう遅いし、寝に帰れよ。鏡子はテレポートできるだろ? 野郎どもは鍋を持って、歩いて帰れ。明日乃は俺がテレで送ってやるよ。まだ万全じゃなさそうだからな」

「ボギー先生、ここのお片づけを――」


 鏡子の問いを、ボギーはあくびしながら、さえぎった。


「いつもの話さ。妹がやってくれるよ。あいつ、ほとんど病気のブラコンだからな」


 その夜、朝香瞬は二段ベッドの上段に、寝転がっていた。

 やわらかい月明かりが差し込んでいる。

 手の届く、白い天井に右手を伸ばした。なでるように触ってみる。

 さっきまで一応、勉強机に向かってはいた。だが、気がつけば、明日乃のことを考えていた。振り払っても、どうしても明日乃の裸身などを思い浮かべてしまい、全く身が入らなかった。


 結局あきらめて、寝ることにした。


 改めて、明日乃のしっとりとした唇の感触、柔らかい身体、均整の取れたしなやかな白い肢体と、梔子くちなしのような匂いを思い出していく。

 さっきから幾度も、反芻はんすうしている。


(やっぱり好きだな……明日乃さん……。

 全然、僕には関心がないようにも、見えるけど、黒服たちから防壁で僕を守ってくれたじゃないか……。

 僕の命を奪うつもりなら、守る必要なんて、ないはずだ。

 だから、明日乃さんは、僕を嫌いじゃないはずだ。

 ただ、僕への関心がまだ、小さいだけだ……。

 これからも毎日話しかけてみよう。

 実技クラスもいっしょなんだ。

 いつかきっと、僕の想いは通じるはずだ……

 それにしても、何てきれいな瞳なんだろう……

 天使のような瞳だ……)


 明日乃のプラチナ色の瞳を思い浮かべた。今となっては、明日乃の瞳の色は、プラチナ以外には考えられなかった。

 身体中が痛んだ。痛みは、すべてが夢でなく、実際にあったことの証だ。

 右手首の包帯を月明かりに見た。ほどけかけているが、明日乃が巻いてくれたものだった。


 白いワンピースの明日乃の姿も実にすてきだった。

 今日あった出来事を、甘い気持ちで繰り返し思いを巡らすうち、瞬は愕然とした。


 ブレスレットかペンダント・タイプのエンハンサーは、≪輝石≫と波長を同調させるために、入浴時を含め、カイロスは常時身に着けているはずだった。同調させておくから、APがすぐに使えるわけだ。


 だが、サイを発動した時、明日乃はブレスレットも、ペンダントも付けていなかった。

 少女がエンハンサーらしきものを身に着けていなかったことは、その後、浴室で確認している。浴室から出た後も、明日乃はエンハンサーを身に着けなかった。


 明日乃はエンハンサーなしで、クロノスたちに対抗できるレベルの強力なサイを発動していたことになる 。

 つまり、極めて高い時空間操作能力を、生まれながらに持っていることになりはすまいか。


 明日乃じたいが軍事機密か何かなのだろうか。瞬は、明日乃が何者であるかを知らない。だが、この恋はもう引き戻せないと、気づいていた。


 瞬は、明日乃に恋をしようと、決めた。


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■用語説明No.14:クロノス(その1)

日本の国家資格である、時間操作士、空間操作士、時流解釈士の総称。

ギリシャ神話に登場する時空神に因んで名づけられた。「エンハンサー」と呼ばれる、携行可能な時空間処理能力(TSCA)促進装置を使用して、法律に基づき、時空間の改変を行うことが許されている。

現在では、同一人が強すぎる力を持つ事態を防ぐため、三つの職能はいずれか一つを選ぶことが義務付けられ、現在では養成機関も完全に独立している。

カイロスとして本科において一定の成績を残した者にのみ、クロノスの受験資格が与えられる。

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