第7話 コンバット部



「おはよう、天城あまぎさん」


 朝香瞬は、元気よく声をかけてみた。

 だが、天城明日乃は頬杖を突いて、窓の外を見たまま、返事もしなかった。瞬はこうなったら、返事を返してくれるまで、毎朝、明日乃に挨拶をし続けようと固く心に誓った。


「ねえ、同じオブリビアスだからさ、天城さんも基礎理論、知らないでしょ? 一年次の自主勉強、一緒にしない?」


 明日乃は一呼吸置いてから、車にかれて死んだ猫の遺骸でもあわれむような黒眼で、瞬を見た。


「……どうして、その必要が、あるの?」


 瞬は、頭をかいた。


「ほら、一緒に勉強したら、もう少しお互いを理解し合えるかなと、思ってさ」

「……わたしたちが、理解し合って、どうすると言うの?」

「君とは、行き違いがあるみたいだからさ。もつれた糸を少しずつでもほぐして行けないかなと……」


 明日乃は左手で、瞬の言葉をさえぎった。


「……他、当たってくれるかしら。わたしは、あなたと仲良くする気はないから。理由は最初に、きちんと言っておいたはずよ」


 取り付く島もないとは、このことだった。


 男女別の健康診断、体力測定などの後、二年次のカリキュラムについての履修説明などが、大講堂で行われた。


 留守番役の級長、宇多川鏡子が優秀なのを幸い、ボギーは朝から一度も姿を見せていなかった。


 午後は、通常学習の後、習熟度別のクラスが一つあった。

 瞬はもちろん、十二段階で最低ランクの第十二クラスだが、指定された座席に向かう途中で、明日乃といっしょになった。知らぬふりをする仲でも、ない。


「天城さん、実技も全部、同じクラスなんだね」


 実技試験の結果、瞬と明日乃は、最低ランクの第十二クラスだった。


「……そうね」


 ツンと澄ました横顔は、実に近寄りがたい雰囲気をかもし出している。

 恋をするにはもともと高嶺たかねの花だとしても、瞬には、少女に殺されたくないとの思いも同時に強かった。当面、なりふりは構わないと決めた。


「昨日は、わざとサイの発動を抑えていたんだね」


 少女のサイが十分な殺傷能力を持っている事実は、瞬が、誰よりも良く知っていた。プレイスメント・テストでは、瞬と同レベルの劣等生を装っていたが。


「……もちろん、あなたと、同じクラスになるためよ」


 好意から出た行為ならうれしいのだが、明日乃の場合は、そうでない。

 傍目はためから見ると、二人は交際を始めたばかりのぎこちない少年少女のようで、微笑ましく見えるかも知れない。だが、瞬にとっては文字通り、死活問題だった。


「よっ、L組一番、マサカの瞬一郎君じゃないの?」


 見覚えのない他のクラスの予科生まで、一方的に瞬を知っている様子だった。劣等生としての噂は千里を走っている。


「平均点下げてくれて、ありがとな」

「底辺コンビ、アゲて行こうぜ」

 からかいの対象となるのは、明日乃と並んで歩く瞬に対する、そねみもあったろう。


「ねえ、天城さん。僕は必ず強くなってみせるよ」

「……何の、ために?」

「あの連中じゃない。君を見返すためにさ」


 明日乃は馬鹿にするでもなく、瞬をちらりと見ただけで、返事をしなかった。


 教室に入ると、普段の授業と違って、六クラス混合の席順だった。

 瞬が、最後尾の座席に座ると、右隣の列の一番前の座席に、明日乃が着席する姿が見えた。明日乃の周りはすべて男子学生だった。瞬の周りもだ。

 いい気持ちはしなかった。直太の気持ちが分かる気がした。


 若い女性の教官が現れ、早口でしゃべり始めた。


「最初に断っておくけど、君たちには相当の努力が必要です。このままだと、本科への進学は難しいと考えて。でも、サイの発動能力には個人差がある。予科生では、まだ才能が開花していない者もいます。例年、このクラスから、第一クラスに駆け上がる学生もいるわ。頑張ってね」


 女教官が熱弁を振るっているが、相変わらず明日乃は、廊下の窓越しに雲を見ている様子だった。


 明日乃が瞬に心を開いてくれる気配は、微塵もなかった。


 瞬はとにかく今、強くなる以外になかった。さもなくば、瞬は今度こそ、明日乃に殺されるに違いない。


 終業前のホームルームが終わり、放課後の教室は、さっきまでの喧噪が嘘だったように、静まり返っていた。

 睡眠不足の朝香瞬が、欠伸混じりに大きく伸びをしていると、和仁直太の声が、間近に聞こえた。


「おい、瞬。抜け駆けはあかんぞ。お前、理論は何も知らんて、抜かしとったやないか。ウソついたな?」


 意外な結果だったのだが、昨日行われた筆記試験が、授業終了後に張り出されていた。瞬は、実技こそダントツで最下位の一七六位だったが、理論は学年で一〇位だった。


「ただの、まぐれだよ」


 直太が、瞬の背中をばしんと叩いた。


「あほか、瞬。当てずっぽうに書いて、一〇位以内に入れたら、苦労せんわい。お前いったい、どんな頭、しとんねん。なあ、鏡子ちゃん?」

「きっと朝香君は忘れているけど、潜在意識とか、本能が、空間操作を理解しているんだと思う。他に説明しようがないもの」


 宇多川鏡子は、筆記試験では学年一位だった。

 鏡子が言うように、瞬はこの兵学校で実際に学んでいたはずなのだから、何かしら記憶に残っているのだろう。


「瞬。ワシに、理論、教ええや」


 瞬は苦笑するしか、なかった。


「だから、まだ、勉強してないんだよ。これから頑張って猛勉強して、理解できたらね」


 綱紀委員の瞬と直太は、級長の鏡子から声をかけられて、残っていた。


「それにしても、綱紀委員とはしかし、ホンマ、殺生な話やのぉ」


 瞬はもともと、鏡子と隣り合わせだが、直太が来て、明日乃の席に勝手に座っていた。自分の席でもないのだが、瞬は少しばかり嫌な気持ちがした。


「よく知らないんだけど、そんなに、大変な委員なの?」


 直太が大げさに仰け反った。


「当たり前やないか。ミーティングは多いわ、見回りはせなあかんわ、人の恨みは買うわ。ええこと、何にもない仕事やで。まあ、級長の鏡子ちゃんと一緒にいられる時間が増えるから、それだけの理由で、ワシは黙って請けたったけどな」


 鏡子によると、綱紀委員会は十年ほど前、サイの誤発動による事故死が起こった事件を契機に、兵学校側が音頭を取って組織されたという。事件以来、兵学校側も再発防止のため、綱紀粛正に努めていた。


 ところが今年の一月、サイ発動を伴う学生同士の喧嘩で重傷者が出る事件が発生した 。生徒会側としても、「次」の事故が起これば、自治権の完全剥奪もありうるとして、ピリピリしているらしい。


「最近は、サイの不正使用も少なくなったけど、カタストロフィがあった以上、まだまだ何が起こるか、分からないから」


 今日、瞬もブレスレットの貸与を受けたが、兵学校生に貸与される高性能のエンハンサーには、高価な輝石が用いられていた。エンハンサーは国有財産であり、研究・訓練目的以外の使用は、建て前として禁じられていた。


 ただし、過去さえ改変しかねない時間操作に比べて、単純な空間操作は公共の福祉への影響が少ないため、運用上、自己鍛錬用であれば使用が黙認されるグレーな状況にあるらしかった。


 生徒会側としては、予科生の不祥事をこれ以上、起こすわけにはいかない。綱紀委員会が重要な役割を担うのだと、鏡子が優等生らしく説明してくれた。


「でも、ろくすっぽサイの発動もできない僕なんかに、大事な役目が務まるのかな」


 サイの不正使用を取り締まる側が、サイを使えないでは、太刀打ちできまい。


「瞬。お前、コンバット部に入って、鍛えたらどうや? 序列的には、入部試験を受けなあかんけど、通らへんかな? どう思う、鏡子ちゃん?」


「そうね。私も、朝香君を誘おうと、思っていたの」


 言葉の終わらぬうち、瞬の目の前に突然、尖った物が、飛び出してきた。とっさに、右手の指でつかんで止めた。鏡子の薄紫色のシャープペンシルだった。

 同時に、瞬の左頬に蹴りが迫った。反射的に左腕を上げる。衝撃を受け止めた。


「いきなり何をするのさ、宇多川さん!」


 鏡子は何もしなかったように、自分の席に座った。


 明日乃はまだ、何となく分かるとしても、今の鏡子の行動は、予期していなかった。この兵学校の女学生は皆、いきなり攻撃を仕掛けてくる習性があるのか。


 鏡子は、にっこり頬笑みながら、大きくうなずいた。


「ごめんなさい。やっぱりね。プレイスメント・テストの実技を見ていて、おかしいなって思っていたの。テレポートとか、サイだけで結果の出る競技の結果は仕方ないわ。でも、それ以外の競技を見ていたら、朝香君は、普通じゃちょっと考えられない数値を出していたのよ」


 直太が、大げさに安堵の溜息を吐いた。


「よかった。実は俺、昨日の実技テストの間ずっと、鏡子ちゃんを見つめとったんやけどな。鏡子ちゃん、瞬ばっかり見とったから、こいつに惚れてしもたんちゃうかって、心配やったんや。何かあったわけやな」


 鏡子は笑いながら、うなずいた。


「うん。例えば槍投げは、サイコキネシスの能力差がよく出る競技なの。皆、サイを使っているから、三回のうち一回でも、タイミングさえ合えば、女子でも最低八〇メートルは、飛ばせる」


 腕組みをしていた直太が、うんうんうなずいた。


「なるほど、瞬は六〇メートル台で、最下位やったけど、サイをほとんど使っとらんわけか」


「そう。他の競技でも同じ。もし朝香君が、サイの力を借りずに、あのような結果を出していたのだとしたら、抜群の身体能力というしかない。それも、狙ったように空間操作士向きの、ね。朝香君、この後、少しコンバット部の活動、見学してみない?」


 瞬に、断る理由は特になかった。

 鏡子と直太に従いて、訓練棟に向かった。

 春の空はまだ青く、明るい。



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■用語説明No.7:AP(アタック・プロモーター)

≪輝石≫を利用した時空間操作兵器の総称。時空間防壁を展開する相手には、通常兵器が通用しないため、APが用いられる。

APに、重火器が余り使用されないのは、輝石を利用した弾丸類が使い捨てとなるため高コストであることと、輝石の使用量が少なく、また、弾丸類にエンハンサーによりサイを発動する人体に直接触れないために、刀剣に比べて対防壁破壊力が劣ること、による。

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