第6話 二人目のルームメイト


 予科生の寮は、第二兵学校のキャンパスから徒歩圏内で、井の頭公園の北にあるらしかった。霊石の属性ごとに、寮は塔のような六棟に分けられている。


 始業日の午後、四時間以上に及んだプレイスメント・テストの終了後、朝香瞬は、直太と長介にはさまれて、帰途についていた。

 足取りは軽く、ない。


 ――なぜ、天城明日乃は、自分の命を狙うのか……。

   メサイアとは、何か……。


 瞬は自分が置かれている状態について、ボギーに尋ねたかった。面会を求めて教官室に行ってみたが、「ボギーは出張に出た、いつ戻るか分からない」とのいい加減な話だった。


 警察に駆け込むことも考えはした。

 だが、どうやって天城明日乃による朝香瞬殺人未遂の事実を説明すればいいのか。証拠は何も残っていなかった。今もなお確かに残っているのは、明日乃の確たる殺意だけだった。


 仮に警察が助けてくれるとした場合、明日乃はどうなるのだろうか。

 もしかすると、ボギーは明日乃の仲間で、証拠を消してしまったのか。だがそれなら、瞬の命を救う必要もなかったはずだ。

 分からない話だらけだ。


 ボギーも、明日乃も、事情を弁えている様子だった。瞬が誰であるかさえ、知っているような口ぶりだった。

 明日乃はまるで、取り付く島がない。やはり、ボギーに会う必要があった。


「ボギー先生、いつ戻るんだろ?」

「去年も二L、受け持っとったらしいけどな。学校には、授業の時間しか、来うへんらしいで」

「どこで何、してるのかな?」

「と、時々、戦争とかにも行っているみたいだね」


 長介の説明では、ボギーは、反政府勢力≪昴≫との小規模な戦闘の作戦指揮に、時々駆り出されるらしい。たいていの戦闘は、異時空間で行われるため、業務に支障はないはずなのだが、ボギーは必ず代休を取るそうだ。だから、堂々と学校を休めるわけだ。その間に、ボギーが何をしているのかは、誰も知らない。


 瞬の窮状につき、兵学校長に直訴してみたら、どうなるだろうか。

 だが、兵学校が瞬の味方だと言う保証もないだろう。とにかく瞬は今、天涯孤独の身だ。ボギーによれば、瞬の命を狙う者は複数いるようだった。もう少し状況を見たほうがいい。


 右隣りを歩く直太が、瞬の肩を乱暴に叩いた。


「そんなに気ィ落とすなや、瞬。最下位におったら、後は上がるしか、ないやろが。伸びしろが一番大きいって、考えるんや」


 直太は、今日のテスト結果について心配してくれているらしい。

 明朝、携帯端末で、習熟度別のクラス分けが周知される。

 だが、瞬のプレイスメント・テストは、結果を確認するまでもなく、惨憺たる有様だった。


 筆記試験は頭を使えば、論理や推論で勝負できたが、実技試験では、要求された内容がほとんど何もできなかった。


 たとえ過去の瞬が出来ていたとしても、やり方を忘れているのだから、失敗は当然だったろう。例えば、サイを使って「二リットル入りのペットボトルを、手を触れずに水平移動させろ」と指示されても、瞬にできるはずがなかった。

 容易に予期しえた結果だから、瞬はさほど落ち込んでいるわけでもない。


 実技試験は、担当教官の立ち合いのもと、衆人環視で行われた。

 実技科目ごとに一人ずつ、出席番号順に指名される。

 毎回、出席番号一番の瞬がトップ・バッターを務めた。


 何事も、最初が一番注目される。瞬の番が回ってくるたびに、大きな嘲笑が起こるようになった。お蔭で、L組一番「朝香瞬一郎」の名を、L組の全員が憶えたはずだ。瞬は、さらし者にされた気分だった。


「なぜ、僕は兵学校に在籍していたんだろう? 僕は才能もないのに、本当に空間操作士になるつもりだったのかな……」


 直太が瞬を慰めるように、肩を組んできた。


「そんなこと、俺に聞かれたって知らんがな。まあ、オブリは少しずつ、人生のリハビリをしていくしかないやろ。なあ、長介?」

「……ぼ、僕……うまく言えないんだけど、朝香君は、クロノスに向いているんじゃないかと、思った」


 気休めにしか聞こえないが、慰めようとする気持ちは伝わってきた。


「ありがとう、長介。まあ、今日が初日。始まったばかりだからね。ベストを尽くしてみるよ」


「その調子や、瞬。お前、ごっつ恵まれとるぞ。部屋では長介にメシ食わせてもらえるし、学校へ行けばハーレムやし。愉しいこと考えて生きんと、損やぞ」


 瞬は、空に浮かぶ雲を眺める明日乃の横顔を思い浮かべた。明日乃は何を考えて、雲を眺めているのだろう。


 明日乃を想うと、恐怖と憂鬱もあるが、それより先に胸が時めいてしまう。

 恋は、瞬が憶えている感情だった。

 記憶を奪われる前に、瞬は誰かと恋をしていた気がする。もしかしたら明日乃では、ないだろうか。


 明日乃に出会った時、すでに瞬は、彼女に恋をする心の助走ができていたような気がした。恋する者は誰でも、似た感覚を持つのかも知れないが。


 だが、困ったことに、どうやら、明日乃は本気で、自分を殺害しようとしていた。そんな少女を相手に、恋は成立しうるのだろうか。

 そう言えば、ボギーは明日乃を「ヴィーナス」と呼んでいた。


「ねえ、ヴィーナスって知ってる?」

「ぎ、ギリシャ神話に出てくる美と愛の女神だね」

「おいおい、何や、瞬。鏡子ちゃんか、後ろの美少女か、どっちを狙っとんねんや?」


 直太は、妙に直感が鋭いところがあるのかも知れない。

 確かに宇多川鏡子は、十分すぎるほど恋愛対象になりうる少女だった。明日乃さえいなければ、瞬は真っ先に鏡子に恋したかも知れない。

 

「いや、別に、まだ、僕は、何も……」


 瞬はまだまだ若い。恋愛については、普通にナイーブだ。


「今日の実技試験の最中、ワシずっと観察しとったんやけどな。明日乃ちゃんは、ごっつ変わっとんなぁ。アイツ、変態かも知れへんぞ。もしかしたらサイ使うて、その辺の犬猫を虐殺して回っとるクチやないか?」


 瞬が今朝、明日乃から受けた仕打ちを考えれば、あながち外れではないかも知れない。


「ワシは悩み抜いた末に、決めたで。やっぱり浮気はせえへん。鏡子ちゃん、一本で行くでぇ」


 寮に着くと、直太と別れ、長介につきあってもらい、入寮手続を済ませた。二人で、塔のような寮の部屋に向かう。

 エレベーターでずいぶん上る。九〇三号室だ。


 人類救済の使命を持つ人材の養成機関だけあって、税金が湯水のように投入されているようだった。


「そ、空が澄んでいる日には、富士山も見えるんだよ」


 世界中の人類が減ってから、空がきれいになった気がした。人為活動が減ったせいだと言われている。


 カード・キーを使って室内に入ると、リゾート・ホテルの一室か何かのように、なかなかに立派な設備だった。

 バス・トイレはもちろん、小さな厨房まであった。


「あ、朝香君は、上か下、どっちに寝たい?」


 寝台は、固定式の二段ベッドになっていた。下のベッドには、すでに布団が敷いてある。


「君は下を使っているんだね。上にするよ」

「よ、良かった。僕、寝相が悪いから」


 勉強机が二つ並び、壁に向かってくっ付けてあった。

 手前の机には、教科書やノート類が整理整頓されて、並べられていた。長介らしい几帳面さが現れている。

 瞬は自然、窓際にある空いた机に、ザックを置いた。


「長介、良かったら、僕に一年次の教科書、しばらく貸してくれないかな。みんなに追いつかないと」

 

 長介は、整理の行き届いている書棚の一段目を指した。


「こ、ここに全部あるから、好きな時に使ってくれる?」

「ずいぶんあるんだね」


 さすがに俊秀を集めた兵学校だけあって、授業の進行速度が半端ない様子だった。

 さっそく瞬は、空間操作理論の『入門編』を手に取ると、勉強机に戻って広げた。

 瞬は、今日のプレイスメント・テストでの醜態が、素直に悔しかった。わらった奴らを見返してやりたいという、素朴な復讐心もあった。


「よ、良かったら、今晩、カルボナーラでも、食べる? 僕たちの新しい門出を祝して。ちょっとカロリーたかいけど、僕たちまだ、若いから」

「素敵だね。せっかくだから、直太も呼ぼうか?」

「さ、サラダも作るから、一時間ほど掛かると思うけど」

「了解」


 一時間後、直太と長介が、ダイニングの小さなテーブルを囲んで、瞬のために、ささやかな歓迎会を開いてくれた。直太が差し入れた、ペットボトルのコーラで乾杯した。

 三人で大浴場に入って戻り、さらに飲み直した。


 会が引けて、直太が帰り、後片づけを終えると、すでに午前零時近くになっていた。


「ねえ、長介。このエンハンサーって、いつも身に着けているべきものなのかな?」


 瞬は今日、学校で配布された小箱を開けると、太い針金のようなブレスレットを取り出した。


「そ、そうだよ」


 長介の説明によると、サイを発動するには、霊石の媒介を受けながら、エンハンサー内の輝石と魂を同期させる必要があるらしい。


 瞬の霊石はまだ分からないが、汎用型のエンハンサーには、万能のクオーツ(水晶)が用いられている。徐々にサイの発動量も上がっていくため、半期ごとに各人の能力に合わせて、貸与されるエンハンサーも更新される。


 ただ、名家の子弟は、特注のエンハンサーを使っている。例えば鹿島家の長介は、≪セレスタイト≫という霊石を用いたブレスレット・タイプだ。ちなみに、鏡子は、≪ラベンダー・アメジスト≫という霊石のペンダント・タイプらしい。


「じゃあ、この短剣みたいなのは?」

「だ、ダガーのAPだよ。カイロスは身を守るために、つけるんだ。銃刀法には反しない」


 APとは、≪アタック・プロモーター≫の略であり、要はサイとともに使用する武器だった。相手の展開する防壁を破るために必要になるそうだ。


「ありがとう。君に迷惑を掛けないように、努力するよ」


 瞬は長介におやすみを言うと、独り、勉強机に向かった。


「え? まだ、勉強するつもりなの?」

「ずいぶんビハインドだからね。ごめん、明るいかな」


 振り返ると、長介は小さく首を横に振っていた。


「る、ルームメイトが、朝香君で、良かった」

「僕もだよ。お世話になってばかりだから、僕も何か、君の役に立てればいいんだけどね」

「……傍にいてくれるだけで、いいんだ。途中から、二人部屋に一人だけ、だったから……」

「前のルームメイトは、どうして、いなくなったの?」


 長介は窓際に立ち、春の朧月を眺めながら答えた。


「……退学させられたんだ ……」


 長介の震える声に、瞬はそれ以上、問いを重ねなかった。


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■用語説明No.6:国立兵学校予科(空間操作科)

国家資格である時空間操作士(クロノス)を養成する教育機関の一つ。

東京に三校、全国に十八校ある 。各校一学年の定員は一八〇名で、全寮制。通常の中等部カリキュラムに加えて、空間操作の理論と実技を習得する。

クロノスになるための最短コースであり、兵学校生は準公務員扱いとなり、給与が支給されるため、例年、極めて高い競争倍率となる。

なお、クロノス三士のうち、時間操作士、時流解釈士については全く別系列の養成機関が存在する。

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