第4話 浮き雲
朝香瞬が、教壇を見ると、赤銅色の動作光が現れていた。
光が消えた後には、金髪、長身の男が立っている。さっき公園で瞬を助けてくれたボギーだった。
音を出すサイもあるのだろう、ボギーらしい派手な登場の仕方だった。
手ぶらで現れたボギーは、頭をかきながら、ヨッと、片手で挨拶した。
「お前ら、元気か? 遅れて、すまん。博愛精神でひと仕事、頑張っていたもんでね。テレが使えると、ついつい甘えちまうよな」
ボギーは教卓に両手を置き、クラス全体を見回した。
「さて、俺が担任の末永だ。『ボギー』と呼んでくれ。お前らはツイている。何しろ俺は一番人気の教官だからな。予科に本科、研修所でも教えさせられてる。なぜ俺がこんなに人気があるのか、分かるヤツはいるか?」
およそ挙手してまで答える
はずなのだが、後ろのほうで予科生が一人、素早く挙手した。直太だ。
「おう。そこの、浅黒」
直太が、起立して答えた。
「噂ですけど、ボギー先生は、休講が多いと、聞いとります。せやからと、ちゃいますか?」
クラスで笑いが起こった。
「今年も休講は多いだろうから、安心してくれ。だけど、言っておくけどな、俺はズル休みした覚えは一度もないぜ。人気者だから、引っ張りだこなだけだよ。他には?」
「先生が、イケメンだからです」
出っ歯の予科生が機嫌を取るように発言すると、クラスに失笑が起こったが、ボギーは素直に喜んでいた。両手で、髪を整えている。
「確かに、俺は男前だ。だが、それだけで人気は出ないぜ」
ボギーは腕組みをしながら、教室内を歩き回り始めた。
やがて、途中で立ち止まった。
「ほい、どうだ、そこのメガネ君?」
一人の男子学生を指して尋ねた。
黒縁眼鏡の小柄な少年で、いかにも真面目そうな顔をしている。名簿に照らすと、「
笑いを取りに行く以外、答えに窮するタイプの質問だった。教官の人気の秘密など、予科生にとっては実にどうでもいい話だ。
それでも少年は少しおどおどした様子で、口を開いた。
「え、えっと。それは、先生が……」
少年が答える前に、ボギーは大きくうなずき、勝手に話を続けた。
「そうだ。俺が強いからだ。残念ながら、俺より強い空間屋はもう、この世にいない。去年のカタストロフィで、いいクロノスがごっそり死んじまったからな。三十年物のシングル・モルトの瓶を、飲まずに割っちゃったみたいに、もったいない話だよ。ああ、もったいねえ」
ボギーは実際やってしまったように、軽く身を震わせた。
おそらくは上等な酒を使った
「俺もそうだったが、人は誰しも、強い奴に憧れるものさ。みんな、俺を見ているとな、俺のように強くなりたいと思う。それが、俺の人気の
ボギーは、瞬の右隣りの鏡子を指した。
瞬はまだ、この兵学校の女子予科生をほとんど、というより二人しか、知らなかった。
それでも、分かる。
宇多川鏡子は、直太が言った通り、文句なしに「学校一の美少女」だろう。ただし、瞬と同じく今日初めて登校した、オブリビアスの天城明日乃を除外すれば、の話だが。
今度は、無精ひげをいじりながら、ボギーは答えを待った。
「……残念ながら、時間操作士、だと思います」
うつむき加減で答える鏡子の机を、ボギーは赤銅色の指輪をはめた指でコツコツ叩いた。
「違うぞ、優等生。強いほうが、勝つんだ。確かに空間操作士は、クロノス三士の一番下に位置する。松竹梅で言えば、梅さ。だが、本物の空間屋がマジで防壁を張ったらな。並みの時間操作なんて、まるで効かねえんだよ。要は、戦い方次第さ。サイで劣る奴が、勝ちに行く時も同じ話だ」
ボギーは教壇に戻ると、名簿を見た。
「今年のL組も、変わったクラスになりそうだな。俺も昔、L組だったが、だいたい女たらしのラピスに好かれる奴には、変なカイロスが多いんだよ」
瞬たちは、兵学校の開設以来、十七年目になる学年だった。
L組には≪ラピスラズリ≫という青い霊石の属性に分類される予科生が集まっている。
明日乃や鏡子と同じ属性に分類された連帯感が、瞬にはどこか嬉しかった。
「お前ら十七期には、オブリビアスもいれば、外国人もいる。まあ、俺でなきゃ、うまくやれないクラスだって話さ」
過去の記憶を喪失したオブリビアスは、瞬と明日乃の他にも、誰かいるのだろうか。
ボギーは、教壇で熱弁をふるい始めた。
「時空戦争は、時空間操作の能力を持ち、訓練を積んだ俺たちにしか、できない。なあ、お前ら。結局、一番大事なのは何だ? お前らは何のために、難しい競争試験を勝ち抜いてカイロスになったんだ? 授業料がタダで、給料まで貰えるからか? 全寮制で生活費が掛からねえからか? 将来はクロノスになって、いい生活をするためか? 安楽な人生を送るためか? 全部、違うだろ?」
ボギーが、拳で教卓を叩くと、木製の天板が音を立てて割れた。
教室に騒めきが起こった。
大柄な赤毛のアメリカ人留学生がヒュウと冷やかすと、全員が笑った。
「ちっ。やっちまった」
ボギーは赤銅色に輝く左手を、壊れた教卓にかざした。やがて教卓は元通りになった。ボギーらしい計算ずくのパフォーマンスかも知れない。
「今は、窮屈な世の中になったもんだ。簡単な時間操作くらい、やらせてくれてもいいのにな」
現在では、時間操作士と空間操作士が、厳格に職能分離され、兵学校も完全に分校されていた。時空間双方を操る能力を同一人に与えることの危険性が指摘されたためだ。ボギーは分校前に両方を学んだ最後の世代だろう。
「お前らは、ただ一つの目的のために、この学校で空間操作を学ぶんだ。預言通り≪大災禍≫が起こりやがった今、俺たちは≪終末≫を回避するために、全力を尽くさねばならない。ちょうどきっかり、十二年後の今日、二〇六四年の四月四日、俺たちは『その時』を迎える」
未来を予知できるはずの時流解釈士も、同日以降の未来を見ることができなかった。それは、未来が存在しないからだ、と理解された。同日、人類は消滅する、と考えられている。
「≪終末の日≫まで、この中の何人が生きているのか、俺は知らない。俺だって死んでいるかもな。だが、生きている奴は、最後の最後まで、未来を残すために、自分が正しいと信じる道を歩んでくれ。俺はお前らを、そういうカイロスに育てたい」
瞬は、窓の外を見るふりをして、明日乃の様子を盗み見た。明日乃は、相変わらず頬杖を突いて、空に浮かぶ雲を眺めていた。
「俺みたいに強くなるには、どうしたら、いいか。お前らに三つ、教えてやる。人間、三つ以上は覚え切れないからな」
ボギーが、ちらりと瞬を見た気がした。
「第一に、身体をいじめて、鍛え抜け。サイの発動能力は結局、身体が資本だ。同じレベルのサイが使える場合、勝負は身体能力でつく。逆に言えば、サイが劣っていたって、身体能力でカバーできるわけだ」
教室は静まり返っている。学生たちは食い入るようにボギーを見つめていた。
ボギーは学生に向かって、Vサインを出した。
「二つ目だ。いいか、毎日、心身の限界までサイを発動しろ。たかだかお前らのレベルで、発動限界なんて恐れる必要は、ミジンコほどもない。はっきり言おう、質より量だ。毎日ぶっ倒れるまで、サイを発動しまくれ。そうこうしているうちに、お前らの発動限界は、グングン跳ね上がる。どうせ≪終末≫で世界が終わるなら、お前らは二十代前半までしか、生きられねえんだ。サイを使っとかなきゃ、損って話さ」
瞬はまた左眼の端で、後ろの明日乃の様子を盗み見た。
やはり明日乃は、授業に何の関心も払わず、窓の外を見ていた。
「最後に三つ目だ。理論を極めろ。サイのレベルアップには知識と応用が必要だ。サイはまだ歴史が浅い。分からない話だらけでな。毎年、教えている内容さえ、コロコロ変わる。サイは個人差も大きい。だから、自分で学び、考え、自分なりのサイを求め、磨き続けろ。俺がお前らに言いたい話は、以上だ」
ボギーは教卓の上の書類を見もせずに、一つにまとめ始めた。
「新学期に当たり必要なことは、全部、配布物に書いてあるはずだ。俺も遅れて来たし、時間がない。各自、読んでおいてくれ」
いい加減な話だった。瞬には、なぜボギーが一番人気の教官なのか、まだ分からない。
「後は、級長に任せる。慣例により、このクラスで序列の一番高い予科生が、自動的に級長だ。昔からの決まりさ。ん~と、十七期、総合序列二位、宇多川鏡子」
「はい」
クラスにどよめきが起こる。瞬の右隣りで少女が立ち上がった。
「おう、さっきの美少女か。じゃあ、頼んだぜ」
ボギーは教卓の椅子を、瞬の前方に寄せると、どっかと座り、長い足を組んだ。
「ただいま、級長に指名された宇多川です。一年間、よろしくお願いします」
鏡子はテキパキと議事を進めた。あらかじめ級長指名の内示があり、学期初めの事務処理マニュアルを手渡されていた様子だった。
俊秀のみが集う兵学校だから、たいがいのことは、教官が口を挟まず、予科生自身にやらせるわけだ。
鏡子が、今後当面の予定と新学期の必要事項を伝達した後、各種委員決めに入った。
負担が重いらしい「綱紀委員」の選任が難航したが、遅刻した直太と瞬の二名にこそ、綱紀維持の役目を担わせるべきとの意見が、直太の友人筋から出され、結局そのようになった。
ちなみにボギーはその間、始終、鏡子の隣でいびきをかいていた。
鏡子に揺り起こされたボギーは、袖でよだれを
「よう、お前ら。この後もそうだが、俺は出張でちょくちょく、いなくなるから、いっさい頼りにするな。ちゃんとプレ何とかテスト、受けて帰れよ。じゃ、またな」
右手を掲げるや、再び赤銅色の光が現れ、ボギーは姿を消した。
すぐに鏡子がフォローに入った。開催場所や時間を念のため、口頭で確認する。
理論に関する授業はクラス別に行われるが、実技は個人差が大きいため、習熟度別にクラスが編成される。習熟度を判定するための試験が、「プレイスメント・テスト」というらしかった。
「もしかして天城さん、テストなんかやるって話、知ってた?」
困り顔を作り、後ろを向いて尋ねると、明日乃が面倒臭そうに答えた。
「……知ってるわけ、ないでしょ」
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■用語説明No.4:終末
二〇六四年四月四日に到来するとされる文明の終焉 。
人類は、時流解釈士(預言者)の力で、未来を予知できるようになったが、≪終末の日≫以降の予知が、絶対的に不可能である事実が判明した。同日以降は、未来が存在しなくなるとされ、同日をもって世界が終わると考えられている。≪終末≫が何を意味するかを巡っては、諸説がある。
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