第2話 軽薄なメサイア



「おいおい、新学期のスタート早々、ケンカかい? 新しいお友達は、大切にしないとな」


 デザートを注文したのに、なかなか持って来ないアルバイトの店員を、年長者がたしなめるような口調の、あきれ混じりのテナーが聞こえた。


 朝香瞬はまだ、死んではいないらしい。身体中に、激しい痛みが、残っていた。地獄ならともかく、天国にいるとは、とても思えなかった。

 瞬は、こらえ切れず、うめき声を上げた。


 恐る恐る眼を開くと、赤銅色の光が、瞬を包んでいる。

 長身の痩せた若い男が、かがみ込んで、瞬を見ていた。


「かわいそうに、とんだ目に遭ったな、瞬」


 なぜ、瞬の名前を知っているのだろう。

 散歩ルートの池に馴染なじみのこいに、独り、話し掛けながら、餌でもやっているような、のどかな表情だった。


 男は、まだ火を付けていないタバコを、口にくわえていた。無精ひげは目立つが、よく見れば美男の顔で、頭は金髪に染めてあった。


「ああ、痛そう。だが幸い、致命傷じゃないな。間に合って良かったよ。≪時のあや≫なら、俺でも処理できる」


 男は、地蔵盆か何かの縁日えんにちで、金魚すくいでも始めるように、虹色のミサンガをはめた右手を、瞬の身体の患部に次々とかざしていく。


 しばらくすると、瞬の身体の痛みが少しずつ消えていく。やがて、嘘のように痛みがなくなった。


 男は、傍らに立つ少女を見た。


「ホラー映画じゃあるまいし、血塗れの美少女ってのは、俺の趣味じゃないな。ほれ」


 男は立ち上がりながら、アスノの頭上にも、ミサンガの手をる。すぐに赤銅光が、少女の身体を包み込んだ。


 男が手を離すと、瞬の血で赤く塗られていた少女の制服が、手品のように元へ戻っていた。


 少女が無表情で見上げると、男は何食わぬ顔でタバコを咥えた。

 男は、白い筒の先で指をパチンと弾いて火を付けた。ライターを使っていない。


「……原状回復(レストレーション)に、パイロキネシス。あなたがメサイアの一人、時空の魔術師、末永すえながリョウイチロウね?」

「へへ、多分な。世界は、ほとんど終わりかけてる。だけど、人類の運命を決めるコマは、お前たちだけじゃないのさ」

「……それなら、なぜわたしを殺さないの?」

 

 男は鼻と口から煙を吐き出しながら答えた。


「俺好みの美少女だからって、だけじゃない。俺は、お前と違う占いを信じているからさ」


 瞬は呆然として、寝転がったまま、長身の男を見上げていた。それにしても、美味そうにタバコを吸う男だ。


 男は話しながら吸うというより、吸いながら話している感じだ。


「ヴィーナス 、お前の信じてる預言だって、しょせんは人がでっち上げた代物しろものだ。占いってのは、自分が好きな奴だけ、信じりゃいい。『トリスタンとイゾルデ』って、お涙ちょうだいの昔話、知っているかい?」


 男が少女に向って発した問いは、独り言にすぎなかったかのように、桜の園に消えて行った。


 黙する少女に代わって、瞬が半身を起こしながら答えた。


「間違って、愛の媚薬びやくを飲んで、愛し合ってしまった、騎士とお姫様の悲恋の物語、ですね」


 殺人未遂事件の後に、文学談義をするのも、おかしな雰囲気だが、殺されかけたあとは、跡形もなく消されていた。折れた桜の幹が転がっている以外には。


「そんなところだ。俺の信じる占いじゃ、お前たちは、悪い魔法を掛けられているだけさ。いわば、『逆トリスタンとイゾルデ』だよ。だから俺は、お前たち二人ともを、守ってやるつもりさ。吉と出るか、凶と出るかは、知らんがね」


「……それは、難しそうね。今日は邪魔されたけれど、わたしはいずれ必ず、朝香瞬を殺すから」


 瞬は、何としても自分を殺したいらしい少女の真剣な表情を見つめた。男は少女を≪ヴィーナス≫と呼んでいたが、少女を見れば、美の女神も嫉妬(しっと)しそうだった。


 男はこれまた気持ち良さげに、煙を吐き出してから、応じた。


「まあ、そう人生を急ぎなさんな。若いんだからさ。俺たちが何をしてみたところで、人類はやっぱり滅ぶのかもな。本当は≪終末≫の瞬間まで、好きな女を抱いて、美味い酒でも飲んでいるのが、一番賢いのかも知れない。でも俺は、昔からあきらめの悪い男でね。最後まで、悪あがきをしてみるって、十年ほど前に決めちまったのさ」


 男は堪(こた)えられないほど美味いと言った顔で、タバコを深く吸った。空気がいいのかも知れない。


 アスノは無言で、くるりと踵を返した。

 男が、立ち去って行くアスノの背に向かって、言葉を投げた。


「おい、アスノ。瞬には、おまじないをしておいた。とりあえず向こうひと月、お前のサイじゃ、破れない時空防壁だよ。ま、それだけの時間があれば、お前たちもお友達の一歩手前くらいには、なれるんじゃないのか? 行きすぎて、恋人になってたりしてな」


 男の馬鹿笑いにも、アスノは振り返りさえせず、桜花の園を歩き去った。


「おい、瞬。もう身体はピンピンしているはずだぜ」


 男は瞬を振り返ると、親指でタバコの尻を叩き、灰を落とした。


「あ、すみません」


 呆気に取られて二人の様子を見ていた瞬は、急いで立ち上がった。制服に付いた枯葉や花弁を払い、男に頭を下げた。


「助かりました。ありがとうございます。僕には、いったい何が起こっているのか、分からないんですが……」


「へへ、人類の三分の二が、煙みたいに消えちまったんだ。原因は不明。今、何が起こり、これから起こるのか。もし知ってる奴がいるとすれば、神様か、真っ当な預言者だけだよ」


 男は言葉を切ると、タバコで輪っかを作った。


「でも、俺に礼を言うのは、早過ぎるだろうな。後でお前は、俺を恨むかも知れない。何であの時、ひと思いに死なせてくれなかったんだって、よ。さっきの美少女の手に掛かって、今日ここで死んでおいたほうが、お前の人生がずっと楽だったことは、まず間違いなさそうだからな」


 瞬には、意味の分からない話ばかりが、続いていた。まずはこの男が誰なのかを知らねば、始まるまい。


 東京、市ヶ谷にある、オブリビアスたちの待機施設から、瞬の受入れ先が決まったとの話があったのは、昨夕だった。身体検査の結果からは、十四歳程度と、推定されていた瞬に、嫌も応もなかった。


 言われるがままに今朝、中央線に乗って、吉祥寺きちじょうじ駅で降りた。

 地図に従って、兵学校のキャンパスを目指していたら、公園の桜に気を取られて寄り道し、挙げ句は見知らぬ少女に襲われた、という経緯いきさつだった。


「あなたは、どなたなんですか?」

「お前は『カサブランカ』っていう、古臭い白黒映画、見たこと、あるか?」

 肩透かしのような答えに、瞬は戸惑った。

「いいえ。名前は、聞いた覚えがありますけど」


「じゃあ、早めに見ておくんだな。さっきの美少女に殺されなくたって、お前の命を狙う奴は、俺がこれまで抱いた女の数より、多い。鍛錬さえ続ければ、いずれお前は、俺みたいに強くなれるさ。だが今のお前は、ミジンコみたいに、弱い。自分の身も守れない体たらくだ。あの名画を見ないまま、おっ死ぬのは、もったいないからな」


 話が見えて来なかった。前置きが長く、しかも回りくどい話し方をする男らしい。結局この男は、誰なんだ。


 瞬のいらだちを察したのか、男はタバコを吸いかけて、止めた。


「たいていの奴は、俺を『ボギー』と、呼ぶ。呼ばれて、俺も、まんざらじゃぁなくてな。理由は、カサブランカを見れば、分かるけど、要はハードボイルドのかっこいい男さ」


 金髪に染めてはいるが、天頂のあたりは黒く、プリン化し始めているし、顔の作りはひいき目に見ても、明らかに日本人だった。ひげをきれいにっていないせいか、知性的というよりは野性的なタイプだ。


「えっと、ボギーさん……」

「おいおい。これでも俺、一応は兵学校の教官なんだぜ。プロフェッサー・ボギーだ。さん付けは、ないだろ?」


 瞬はあわてて頭を下げた。


「すみません、ボギー先生。なぜあの子は、僕を――」


 ボギーは手にしたタバコで、瞬を制した。


「おっと、ガラガラヘビじゃねえんだから、何でもいっぺんに飲み込むと、腹を壊すぜ。ゆっくりと分かって行けばいいさ。俺が、お前ら二人を守ってやっからよ」


 本当にガラガラヘビは、獲物をゴクンと飲み込むのだろうか。それはともかく――


「誰から、守ってくださるんですか?」

「そりゃお前、この世を終わらせようとする、悪~いヤツらからさ」


 たとえ記憶を失っていなくても、理解しがたい話のように思えた。


「……とにかく、僕は記憶がなくなって……」


 ボギーは、馴れ馴れしく、瞬の肩を叩いた。


「そうだ。お前たちオブリビアスには、過去の大事な記憶だけがない。だが、身体と本能は、憶えているはずだ。もちろん、残った人間たちの記憶からも、お前たちに関する記憶が、すべて消去されている。でもな、瞬。だいたい、存在自体失くしちまった奴のほうが、ずっと多いんだ。文句なんか言ったら、バチが当たるぜ」


 昨年のクリスマス・イブ――。

 全人類の三分の二が、虹色の光とともに、消滅した。原因は分からないが、いずれにせよ、≪カタストロフィ≫と呼ばれる大災禍が、全世界を襲ったのだった。


「どうやら人類は、滅びようとしているらしい。ま、人類も悪事を重ねて来たからさ、考えようによっては、そいつも別段、悪くないんだがね。だが、ある預言によると、≪終末≫を回避する、面倒な役目を負わされた人間が、俺やお前を入れて、十二人ほど、いるらしいんだ。≪メサイア≫なんて、大げさに呼んでみる奴もいるがね。呼び方なんて、この際、どうでもいいが、お前は貧乏くじを引いちまったんだよ。諦めるんだな」


 ボギーは、お使いに、コンビニで肉まんとカレーまんを、一個ずつ購入してくる程度の軽やかさで、さらりと言ってのけた。

「朝香瞬。とりあえず、俺と一緒に、人類を救ってみないか」


 瞬は呆気あっけに取られて、くわえタバコのボギーを見上げた。

「……でも、僕なんかが、いったい何をすれば……」


「お前には、持って生まれた知謀と、隠された空間操作能力があるらしい。オブリでも、俺やあの美少女がさっき使った超能力を≪サイ≫と呼ぶのは、もう知っているだろう。一部の人間にしか使えない、魔法みたいな技術さ。まずは、サイを身に付けて、俺くらいに強くなれ」


 ボギーは話を打ち切るように、タバコをポイ捨てした。積み重なった桜花の上に落ちたタバコは、瞬時に燃え上がり、灰となった。


「さてと。俺は、この可哀想な桜の木を、元に戻せるか、悪戦苦闘してみる。俺は神様じゃないからな、命が失われていたら、俺だって、何もできないけどさ。お前は、学校に遅れないように急ぐんだな。けっこう、いい時間だぜ」


 あわてて腕時計を見ると、集合時刻が迫っている。

 瞬は、桜の園を駆け出た。


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■用語説明No.2:メサイア

二〇六四年四月四日に到来するとされる文明の終焉、≪終末≫を回避し、世を救うカギを握るとされるクロノスたちの呼び名。知恵、勇気、慈愛等の徳目を持つ十二名が世に出ると預言されているが、該当者を含め、詳細は不明。

出典は、無名の時流解釈士(預言者) による預言書であり、都市伝説の域を出ないとされ、公式には承認されていない。

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