虹色のカイロス メサイアたちの邂逅

白川通

第1章 プラチナ色の殺意

第1話 桜の園

 見知らぬ少女は、少年に向かって突然、死を宣告した。


「……わが手に掛かって、死になさい。≪サンの預言≫の通りに」


 落ち着き払った、抑揚よくようのない声だった。

 少女は、朝香瞬あさかしゅんに向かって、左手の五指をしならせながら、ゆっくりとかかげた。


 少女が眼を見開くと、白い手がきらめいた。

 同時に、プラチナ(白金)色の閃光せんこうが、放たれる。

 瞬は、反射的にかがみこんでいた。右肩すれすれに、烈風が走り抜ける。

 金属製の鉄道玩具がんぐが、超音速で通り過ぎたような風圧だった。

 背後の桜の幹が、メキメキッと鈍い音を立てた。

 土ぼこりが舞い上がるように、桜花が惜しげもなく、散っていく。


 瞬は飛びすさりながら、 すばやくあたりを見回した。

 風もない春の林に、桜花が無言で、散っているだけだった。


 早朝の公園に、人はいないようだった。原因不明の≪大災禍だいさいか(カタストロフィ)≫によって、人類の約三分の二が失われたせいで、東京郊外の街でさえ、人影はまばらになった。


 折れた太い幹が、瞬の右半身に風を浴びせながら、どさりと倒れた。起こった風が、少女のフレアスカートを揺らした。


 ショートヘアの少女は、瞬が今日から通う、国立第二兵学校の予科生に違いなかった。ワインレッドとグレーが基調の制服で、分かる。


 残酷な神が、間違って人に与えてしまったような、美貌びぼうだった。理由わけもわからず殺されかけているのに、瞬は、うっかり、見とれた。

 同時に、圧倒的な既視感が、瞬を襲っても、いた。記憶を奪われる前の自分が、恋していた少女かも、知れない。


「……生身の人間が、わたしのサイから逃れるなんて、非常識ね」


 少女は、時空間操作能力(TSCAトスカ;Time and/or Space Control Ability)を使って、≪サイ≫を放ったようだ。

 例えば手元の空気を、超高速で瞬間移動させるだけでも、空気製の弾丸ができるわけだ。要は、超能力か、魔法のようなものだ。


 だが、兵学校でこれから空間操作を学ぶ予定の瞬には、まだ使えない。

 少女は、自分を殺そうとしていた。だが、消される理由に、心当たりはなかった。単なる人違いか、悪い冗談に違いなかった。まずは、打ち解ける必要があるだろう。


「この桜、素敵だったのにな……」

「……あなたが、けたからよ」


 瞬は苦笑いしてから、無理に笑みを作った。

「君、同じ学校の、人だよね?」


 少女からは答えがないが、瞬はめげずに続けた。

「今日から、新学期だね。実はまだキャンパスに、行ったことがなくて、迷いそうなんだけど、よかったら、一緒に、行かない?」


 美少女からは、やはり答えがなかった。三日も前にめられた魚の眼のように輝きを失った瞳で、瞬を見つめている。


 瞬はさっきまで、朝霧も晴れた池に架かる橋のたもとに立っていた。ふと見やった桜並木の尽きるあたりに、桜を見上げる少女の姿があった。


 まだ、始業時刻までは、余裕があった。

 散りゆく桜の花びらに、人恋しさを覚えたのかも知れない。

 瞬は道をそれて、池の畔を歩いた。吸い込まれるように、桜花の園へと向かったのだった。だが、どうやら、それが、運の尽きだったらしい。


「ねえ、君、どうしてかな? 冗談……だよね?」


 少女は、再び凶器の左手をゆっくりと上げていく。


「……わたしは一度も、冗談を言った覚えがないわ。わたしは、あなたを消すために、存在している」


 瞬は自分が、わざわざ暗殺までされるほど、値打ちのある人間だとは、思っていなかった。少女の勘違いに決まっている。

 だがそれでも、瞬の目の前で、少女は左手をプラチナ色に輝かせ、瞬の足元では桜の木が砕け折れていた。


 瞬はしゃがみ込んだまま、様子をうかがっていた。一応、手探りで見つけた大の石を握り締めてはいる。


 少女からは、詰め込み過ぎたドライアイスを思わせる、痛いほどに冷ややかな殺気がほとばしっていた。

 本当に殺されるかも知れない、と感じた。少女の履いているレースの白いロング・ストッキングに、ちらりと目をやった。


 光を帯びた左手が下ろされようとする刹那せつな――

 瞬は、少女のむこうずね目掛けて、石を投げつけた。痛がっているすきに、逃げ出すつもりだった。


 狙いは、正確なはずだった。だが石は、突然現れたプラチナの光壁にはじかれて、空しく落下した。


 少女は、足元に落ちた石ころを一瞥いちべつしただけで、すぐに瞬へ視線を戻した。

 生気のない眼を除けば、何ひとつ、非の打ち所のない端麗な面差おもざしだった。

 だが、見とれている場合ではない。急いで誤解を解く必要があった。


「君、すごいね。ところで、君。僕たち、前にどこかで、会ったりしなかったかな?」


 少女は柳眉りゅうびひとつ動かさず、即座に否定した。


「……過去を持たないわたしたちに、想い出なんて、ありはしない。あるのはただ、≪終末≫を待つだけの決まりきった未来と、意味もなく人が消えていく、ちっぽけでありふれた現在いまだけ 。あなたにも、分かっているはずよ」


 己に対する殺意さえ持っていなければ、瞬はあと少しだけ、心の時めくままに、少女を見つめていたかった。生きている状態でまた、この少女に会いたいと願った。


(……こいつは、弱ったな……)


 この相当、切羽詰まった状況下にあって、どうやら瞬は、己を殺害しようとする相手に、一目惚(ひとめぼ)れしてしまったらしい。愚かだとは、自認していた。だが、人の感情とは、人生と同じで、ままならぬものだ。


 少女は、小柄な身体からだにプラチナ光をまとったまま、瞬を見た 。

 瞬は、制止するように、右手を伸ばした。


「ちょっと待って。じゃあ君も、≪オブリビアス(忘れ去られし者)≫なんだね? 実は、僕もそうさ。去年のクリスマス・イブ、僕は突然、天涯孤独になった――」


 少女は一切、耳を傾けようとしなかった。

 瞬に向けられた少女の左手が、無情に動いた。


 とっさに瞬は、右へ飛んだ。

 だが、閃光のほうが一瞬、早かった。瞬の左足に激痛が走る。

 瞬は、吹き飛ばされながら、横に倒れ込んだ。

 左足を抱えた。すねの骨が折れたというより、中で砕けたような、痛さだった。


 瞬はうめきながら、抗議した。


「人違いだよ! 初めて会うのなら、殺す理由なんて、ないはずだ。君はいったい、誰なんだ?」


 少女は無表情なまま、また、一歩、瞬に向って歩み寄った。


「……ただの死神よ、あなたにとってはね。預言によれば、あなたは、わたしの手に掛かって、命を落とす。このように――」


 少女が三度目のプラチナ光を放った。


 瞬は、まだ動く右足で地を蹴った。左へ飛ぶ。

 だが、再びけるような痛みが腹を襲った。

 右の脇腹から、血しぶきが上がった。

 噴き出す鮮血が、歩み寄って来た少女の真新しいブラウスを、紅く染めてゆく。


 呻吟しんぎんしながら横たわる瞬に、少女がゆっくりと近付いた。


「……わたしに必要なのは、あなたの命だけ。苦しめて、殺すつもりはないわ。宿命にあらがって、生きようとするから、あなたは無意味に、苦しまなければならないのよ」


 瞬は吐血した。内臓がいくつか破裂でもしていそうだった。


 少女は、一片の憐れみも読み取れない、夜の闇のように黒い瞳を持っていた。これから遺体でも埋葬するような顔をして、その非情な瞳で、瞬を見下ろした。


 片頬に血を浴びた、その残酷な表情にさえ、研ぎ澄まされた名刀に似た、圧倒的な美しさがあった。


 瞬はもう、身動きできなかった。死を逃れられぬと、覚悟した。

 出血による興奮のために、アドレナリンが身体中を慌てて駆け巡っているおかげだろう、不思議と痛みは感じなかった。


「僕が死ぬことで、君が生きられるのなら、もう逃げはしないさ」


 少女は怪訝けげんそうな表情で、瞬を見た。

 瞬はすでに、立ち上がれる状態ではなかった。敗者の負け惜しみにしか、聞こえなかったろう。それでも別に、構わなかった。


「でも死ぬ前に、せめて、君の名前を教えてくれないかな? 僕は、朝香あさか瞬一郎しゅんいちろう。最近、決めた名前で、まだ慣れてないんだけどさ」


 自分の名前さえ失くした人間に、ろくな未来が待っていないだろうと、それなりに覚悟はしていた。


 だがそれでも瞬は、前向きに考え、兵学校で新たな人生を踏み出そうと決意していた。それが今日、新天地にもたどり着けぬまま、すぐに終わろうとは考えていなかった。


 もう助からないなら、十四年ばかりの短い人生の最期に、心ならずも恋してしまったらしい、自分の命を奪っていく少女の名前くらい、知っておきたかった。


 少女は上げようとしていた左手を、いったん下ろした。


「……アマギ・アスノ。私をそう呼ぶ人は、研究所に、いないけれど」


 漢字でどう書くのか、分からない。でも、名前の響きが、少女に似合っている気がした。


「素敵な名前を選んだね。僕は、好きだな……」


 三か月余りのモラトリアム期間内に、身元が判明しなかったオブリビアスは、名前を新たに得ることができた。気の利いた名前を自分で考えるのがで、政府から提示された氏名候補リストから選択する者も、少なくなかったようだ。瞬も、その一人だった。


「……別に。ただ、リストの一番上にあった、名前」

「じゃあ、僕と同じだ。ねえ、アマギさん。これからは『あ』で始まる名前が、やたら多くなると思わない?」


 瞬は、早口で楽しそうに、しゃべった。瞬は、受傷のせいで、己が完全なそう状態にあると、自分でも分かった。


「……別に、思わないわ」

「それじゃ、ア行の姓が、増えるんじゃないかな?」

「……増えたら、どうだって、言うの?」


(言われてみれば、そうかも知れない。だけど何か、愉しいことが起こったりはしないだろうか。例えば――)


「これから、ア行のカップルが増えると思わない? ほら、出席番号も近かったりして……」


 アスノは、相変わらず死んだような黒眼で、瞬を見ていた。少女はまるで、感情を持ち合わせていないようにさえ、見えた。


「僕は、君ともう少し、話をしてみたかったな」

「……過去を持たない者に、語るべき物語なんて、ありはしないわ」

「そうかな? たとえ過去を奪われても、僕たちには未来があるじゃないか。だから、未来を語ればいいんだ」


 いつも前向きなのが、瞬の取り柄だと思う。きっと、誰かに記憶を奪われる以前から。


 アスノは、漆黒の眼をしばたたかせた。少女と初めて、会話が成立したような気がした。


「……不思議なことを言うのね。あなたにはもう、未来がないというのに。未来を奪われる者が、奪う者と、何を話すと言うの?」


「そうだね……。例えば、桜は咲いたから散るのか、それとも、散るために咲くのか。この公園の桜は、いつまで咲くのかな……とか」


 少女は、憂鬱ゆううつそうな面持おももちで、つぶやくように答えた。


「……簡単な話よ。桜が散るのは、咲いてしまった、から。咲いたりさえしなければ、散る必要も、ないのに……」

 

 少女は、すべての迷いを断ち切るように、今度は、白い両手を動かし始めた。


「桜は、≪終末の日≫まで咲いて、その後は二度と、咲かないわ。世界が終わるもの。世界が最終結界に到達したら、もう、時は流れないから」


 アスノは、これから超難度のピアノ曲でも弾き始めるように、ゆっくりと両手を上げた。自分の命を奪うであろう、その仕草は、瞬にとって、優雅にさえ、見えた。


「……さあ、これで、終わりにしましょ。どうせいつかは、済ませなきゃいけない役目だから。あなたの未来は決して、輝かない。あなたがわたしを殺さない限り。でも、もう無理でしょうね。その、身体では……」


 一片の迷いも見せず、アスノは光る手を下ろした。


「さようなら、メサイア」


 瞬は約束した通り、身を翻そうとしなかった。

 オブリビアスの瞬には、背負うべき過去の記憶がなかった。そのために、生への執着が、健常人に比べて弱いのかも知れなかった。


 プラチナ色の閃光がほとばしった。

 眼を刺すようなまぶしさに、瞬は、眼を閉じた。


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■用語説明No.1:オブリビアス(忘れ去られし者)

≪忘却の日 ≫と呼ばれる「二〇五一年十二月二四日夕刻」以前の記憶を喪失した者。記憶喪失の程度には、個人差がある。

忘却の日、世界は虹色の光に包まれ、全人類の三分の二が消滅する≪大災禍(カタストロフィ)≫が起こった。残された人類も、当時の正確な記憶を有しないため詳細は不明だが、大災禍で家族、親族を失った者は多い。

最終的に身元が判明しなかった者には、新たに姓と戸籍が与えられた。オブリビアスには、しばしば非常に高い時空間操作能力を持つ者が現れることが確認されている。

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