第11話 色仕掛け

 霧島はるか――ルティナ・リナティアもまた内心に嫌な汗をかいていた。


 今のところ目の前の社――黒の王ブレド・シィ・ベネディクティオ・アゲイルオリゼイは、己の申し出に是も否も答えてはいない。


 今回のルティナの行いは、完全に元リナティア皇国皇室残党による勝手な行動だ。


 ヘクセンヴァール世界を統べるブレドの「魔導帝国」にこの事が露見すれば、元リナティア皇国皇室残党如き小勢力は、完膚なきまでに叩き続されるだろう。

 元リナティア皇国であった土地に住む民草に粛清が及ぶことはあり得ないが、禁じられている「原世界」への干渉に関わった者達は全員、容赦なく消し飛ばされる。


 だが社――黒の王さえ「是」と言えば、全ては黙認される。


 それほどの絶対者であるのだ。

 今己が跪く、一見すればただの高校生に過ぎない存在は。


 これはルティナにとってみれば、命すらベットした賭けといえる。


 目の前の社に「是」と言ってもらう為であれば、嘘偽りなくどのような事にでも応える覚悟をもってこの場に臨んでいる。


 「この場で死んでみせれば、リナティア皇国の再興を認める」と社が言うのであれば、躊躇うことなく死んでみせる程の覚悟。


 ――皇家再興は、ルティナにとってそれほどの悲願なのだ。


 「魔導帝国」が成立するまでは最も魔法が発達した国家であったリナティア皇国には、「原世界」へ干渉する秘術が伝えられていた。

 過去幾度か使用された伝承が残っているが、すべて対象術者の消失をもって終わっており、禁呪とされていたものである。


 だがヘクセンヴァール世界を統一した「魔導帝国」、その絶対的な支配者である黒の王、ブレド・シィ・ベネディクティオ・アゲイルオリゼイが「原世界」へ干渉することによる「救世」をぶち上げた際、リナティア皇国の皇室残党はイチかバチかの賭けに出ることに決めたのだ。


 魔法に奢り、それ故に徹底的に「魔導帝国」に制圧され、全ての権利を剥奪されたばかりか、「魔力」の封印も徹底された。

 ブレド自らによる封印術を破れるはずもなく、もしも秘術が宝具を使ったものではなく、術者の魔力を利用して発動するものであったなら、ルティナはこの「原世界」に来ることは叶わなかった。


 逆に言えば、ヘクセンヴァール世界の住人で今この「原世界」に至れている存在は、「魔導帝国」の人間を除けばルティナだけだという事だ。


 他の復興を望む国家のものや、レジスタンスとして「魔導帝国」に抵抗している勢力がこの「原世界」へ至る手段は無い。


 だからこそ、ここで社――黒の王の了承を得る事が絶対に必要だ。


 社さえルティナの申し出を認めれば、「原世界」に存在する「魔導帝国」の全ての者がその意に従うことは疑い得ない。


 その答え、もしくは要求を待っている状況なのだ、嫌な汗もかこうというものである。


 ――だが。


 緊張し、嫌な汗をかきながら跪くルティナの胸中には、一つの疑念が湧き上がっていた。


 曰く、黒の王たるブレド・シィ・ベネディクティオ・アゲイルオリゼイは完全に覚醒していないのでは無いか、と言うものだ。


 ルティナの知る黒の王ブレドは、圧倒的に恐ろしい存在だ。


 魔法の一大強国であったリナティア皇国の第二皇女として生まれ育ち、その中でも天才ともてはやされて育った己に勝てぬものは無いと信じていた。


 その自信を、根本から圧し折ったのが黒の王ブレドであるのだ。


 領土的野心など無いリナティア皇国であったが、新興国であるブレド率いる「魔導帝国」が「救世」を謳い、そのためと称してヘクセンヴァール世界の統一にのりだした際には、鼻で笑っていたものだ。


 我等からは手を出さぬ、だが我が領土へ踏み入ったら一瞬で滅ぼしてくれようと。


 軍事大国として名高いウィンダリオン中央王国が、その象徴たる侵攻用浮遊要塞群、通称「九柱天蓋ノウェム・カノピウムズ」ごと王と王太子を蹴散らされてもなお、歴史ある「魔法大国」である己らが、新興の「魔導帝国」などに遅れを取るはずが無いと確信していたのだ。


 ルティナもそう信じていた。

 虚勢を張っていた訳でも、現実から目を背けていたわけでもない。


 そんな自信、あるいは妄信……いや、戯言といったほうが正しいだろう。

 それは「魔導帝国」の主である、黒の王ブレドたった一人によって粉砕された。


 両翼とも、双璧とも呼ばれるジンとマリアをともなう事もなく、万全を期したリナティア皇国へ、ブレド単身で侵攻されたのだ。


 ジンとマリアをつれてこなかった理由は、手加減できずに相手を殺してしまうからだ、と後に聞いた。


 それが真実だと、魔法も自信も根底から木っ端微塵にされた自分達こそが一番理解している。


 「魔法大国」を自認していたリナティア皇国の特級魔法遣い以下1086人全員、無傷で無力化され、ブレドたった一人に魔力を封印されたのだ。


 荒狂う禁呪も、数百人による多重魔法も、古から伝わる宝具による古代魔法ハイエンシェントも、城の奥深くに封印されていた幻獣も逸失魔法も、皇帝による守護召喚獣ですら、児戯にも等しいとばかり無力化された。


 封魔結界を薄硝子のように砕き、城内に直接「転移テレポート」してきたブレドは、ゆっくり歩いて玉座にまで至り、その間に立ちはだかった全ての高位魔法遣いを無傷のまま無力化したのだ。


 皇帝が守護召喚獣を召喚する時間稼ぎのために、ルティナもブレドの前に立ちふさがった一人だ。


 何人たりとも止めることあたわずと思っていた己の全ての高位魔法、古代魔法、逸失魔法全てがあっさりと無効化された。

 知らぬ魔法など無いと思っていた己が、何の魔法を使われたかわからぬままに無力化された。


 至近距離から、国では美しいと言われる自分の顔を無表情なブレドに覗き込まれたとき、ルティナは「恐怖とは何か」を魂に刻まれた。

 

「もう逆らうな」


 と言う無感情な声に、


「はい」


 と応えた声は震えていた。

 恐怖と、それ以外の何かに。


 その圧倒的とも言える威圧感、そこにいるだけで魂が震え上がるようなあの感じ。


 それはリナティア皇国が解体され、ルティナも含めて全ての魔法遣い達も魔力を封じられ、普通の民として暮らすことを強制されてもなお、逆らう事など思いもしないほどのものだった。


 今回の独断行動も反逆するなどというものではなく、勝手に協力することで慈悲を請うという方向だ。

 そうでなければ、宝具を起動することに反対するものが多かっただろう事は疑い得ない。


 その威圧が、目の前の社からは感じられない。


 見た目がどう変わろうが、あんなものを隠し通せるはずが無い。

 だがジンとマリアが傅き、側室であったリオを呼び寄せた社がブレドである事も疑いようが無い。


 つまり、覚醒しきれていないのでは無いか、という疑念に繋がる。


 何よりルティナの申し出に即決しない時点で既におかしい。


 黒の王ブレドは、何事も即決だ。

 是なら是、否なら否で即答えを出し、否なら今頃自分は問答無用で「送還」されているか、下手をすれば消し飛ばされていてしかるべきだ。


 だが未だ応えは無い。


 傅いてこうべを垂れた状態から、僅かに首を上げて社の様子を伺い見る。


 悩んでいる。

 ――ようにルティナには見える。


 それでルティナはそもそも一か八かのこの賭けから、よりレートの高い掛けに出ることに決めた。

 もとより外せば破産――死と同義なのだ。

 得られるモノが増える可能性があるのであれば、それに賭けない道理は無い。

 

 ルティナは目の前の社が、黒の王ブレドとして完全に覚醒していない事に賭けることを決めた。


 だが「魔導戦闘能力」は変わらないと見たほうがいい。 

 ジンとマリアの封印を解き、何より無数に存在しているはずの「魔導帝国」の人間が「護衛」としての動きを見せていない。


 つまり社には、そんな必要など無いという事だ。


 だいたいルティナにしても、ここで社を倒せばいいというものではない。

 リナティア皇国の復興を遂げるにはブレドの承認が必要なのであって、万が一、億が一ブレドを倒せたところでジンやマリア、「魔導帝国」がそれを許すはずもなく、それに抵抗しうる力を自分たちは持たない。


 では何に賭けるのか。


 先輩に傅かれているこの状況に、困っているように見える社。


 多少の記憶と黒の王ブレドの力を持ちながら、「原世界」で言うところのただの高校生でしかないというのであれば――


 が可能かもしれない。


 覚醒していない社の言葉であっても、それはブレドの言葉と同等の価値を持つはずだ。

 そういうことには慣れて居ないが、やってみる価値は充分以上にあると踏んだ。

 

 あわよくば、という意志があることも否定は仕切れないのだが。


 一方社は冷や汗なんだか脂汗なんだかわからないものをかいていた。

 正直どう答えればいいのかなどわからない。


 とりあえず認めるにしても、その後どんな指示をすればいいのかわからないし、許可しない場合切れられたら対処する手段が無い。


 宗一郎や理真と違い、今の社は燃料タンクでしかない。

 己で何とかできる「戦力」を保有していないのだ。


 ――どうする。


 もはや何度脳内で繰り返したかわからぬ同じ言葉を今一度繰り返した時、目の前の霧島はるか先輩――ルティナの雰囲気が大きく変わった。


「あの……社様……君? もしかしてだけど、ブレド様の記憶が完全に戻っていないの?」


 つい先ほどまでの主に取る態度とは違い、先輩が後輩の男の子に対するような雰囲気になっている。

 それでも高校三年生のお姉さんが、高校一年生に対する態度としては堅いが、先程よりもよっぽど社にとっては自然な空気である。


 その上社が一番警戒していた、そうと知られれば攻撃されるかもしれないという懸念が、今の一言でひとまず無くなったというのも大きい。


「え……っと」


 正直に答えたら拙い気もしたが、霧島先輩――ルティナがブレドを知っている以上、今の態度でその事実は確信されたはずだ。

 社が明晰夢で見るブレドは、今の社のような反応など絶対にしない。


 こういう状況でどんな結論を出すのかは、結構気まぐれなところがあるのでよくわからないのだが。


 あっさり許しそうな気もするし、同じようなあっさりさで却下する事もあるような気がする。

 だがヘクセンヴァール世界で思われているように、残虐でも酷薄でも無いので問答無用で殺すようなことは絶対に無いだろう。

 「黒の王ブレドとその仲間達」においては、一番甘いのがブレドといってもいいくらいなのだ。


 流石にジンやマリアも殺すまではしないだろうが、問答無用で意識を刈り取って拘束するくらいは確実にする。


 クリス・ククリス・クランクランやリリスであれば面倒くさいからと始末してしまうかもしれない。

 彼女らも残虐という訳ではないのだが、己らが課したルールを破った者に対しては一切の情状酌量を持たない。

 事が「救世」に関わる事であるだけに、断罪する可能性も高い。

 

「ごめんなさい、社君。そんな状況で、突然あんな態度取られても困っちゃうよね」


 やはり今の社の態度で、ブレドでは無いという事は確信されてしまったのだろう。

 完全にルティナとしてブレドに傅く態度ではなく、先輩が後輩を気遣うような空気となっている。


 そうであっても襲ってこない事と相まって、社は内心安堵していた。

 危険が無いというのであれば、自分がブレドとして扱われるのはどうしても居心地がよくない。


 しかも敵対するという訳ではないのであれば、綾乃に続いて現れた「黒の王ブレドとその仲間達」の世界を知る存在である霧島先輩から、ここ数日の実証実験よりも有意義な情報を聞ける可能性もある。


 なぜ霧島先輩が胸元のリボンを解きつつあるのかは理解できないが、敵対しないというのであれば正直に全てを話して、仲間になってもらうのも有りだと思えた。


「ブレド様としての判断は出来ないとしても……社君の仲間に、私も入れてくれないかな……」


 つい先ほどまで跪いていた位置から立ち上がり、再び社の至近距離にまで近づいている霧島先輩――ルティナの眼が、普通の日本人であればありえるはずも無い紅い色に染まっている。


 しゅるりと胸元のリボンを解き、釦を外して胸元を晒す。

 三次元慣れしていない常の社であれば、真っ赤になって目を逸らすような状況である。


 夕闇が近づいた教室。

 年上の女の子と、二人きりの状況。


 その女の子はもはや胸元をさらし、息がかかるような至近距離から社の瞳を見つめている。


 紅く、紅く光る瞳で。


 ――あれ? へんだな……


 さっきまでいろいろ考えていたような気がするが、今は何も考えられない。

 目の前にある赤い瞳と、ぬめった光を放つ唇に意識が引き寄せられる。


「仲間に入れてくれる証拠に……社君の体液で、私の封印を解除してくれる?」


 熱に浮かされたような色っぽいはるか先輩の声が脳内に響き、社の意識と視界は濡れたような唇と紅い瞳に覆いつくされる。


 我知らず手が、はだけられた胸元に伸びる。


「そのかわり……私を好きにしていいよ?」


 もはや抱き寄せられるようにして、耳元で囁かれる言葉に社の理性はほぼ溶けた。

 いつもであればとてもできるはずが無いのに、その両手ははるか先輩の柔らかい胸に、それを持ち上げるようにして触れている。


 魔法遣いであれば誰もが使える中級魔法、「魅了チャーム」をかけられていることを、社は気づけない。


 ブレドが「魅了チャーム」をかけられる事など無かったので、知識としても持ち合わせていないのだ。


 ただ意識の片隅で、「理真に張り倒されるな……」などとぼうっと考えながら、まあいいやと近づいてくる唇と、そこから僅かに伸ばされた舌を貪ろうとする。


 刹那。


 キィンという薄い硝子を割るような硬質な音と共に、社にかけられた「魅了チャーム」が砕かれる。


 それと同時に、忽然と至近距離に現れた女生徒が社に声をかける。


「何あっさり「魅了チャーム」かけられてるんですの社様。理真様がマリアの力に覚醒したのをいいことに、既成事実でも作ろうとしてるんですの? いくらなんでも放課後の教室でそれは大胆ではありません?」


 「魅了チャーム」が解除された事により、急速に意識がはっきりし、今自分がしている事に瞬間湯沸かし器のように真っ赤になる社。


 己の両手が持ち上げているものの正体とその感覚に慄き、飛びすざるように後ろに離れる。


「な、あ、え……」


 言葉も意味を成していない。


 知識にはある「転移テレポート」を目の前で見せられた事もあるが、一連の流れが急すぎて脳の処理が追いついていない。


 ただ自分が今三年の先輩の胸に触れ、後数瞬この女子生徒の介入が遅かったら、己がその先輩の唇に貪りついていたという事実に戦慄するのみだ。


 ――ファーストキスなのに!


 いやそうじゃない。


 理真にぶっ殺されるとか、最初は理真がいいとか、そういうことを考えている場合じゃない。


 沸騰しそうな頭を無理やり回転させ、今介入した女生徒を観察する。

 魔法を使えるからには、ヘクセンヴァール世界の住人なのだろう。


 綾乃――リオの転校からこっち、明晰夢の日常侵食は止まるところを知らない。


 今時サードアイ・コネクタのグラス部分が隠れるくらいの長い前髪と、太いみつあみを左右にたらした様な、お洒落ってなんですかといわんばかりの髪型。

 元々そんなお洒落なものではないが、登美ヶ丘高校の女子制服に包まれた肢体は少々つつましい胸をしている。

 

 ついさっきまで社が触れていた、霧島はるか先輩の胸と比べるのはなんと言うかちょっとあれな感じだ。


 ――社はその姿に見覚えがあった。


 数日前、宗一郎、理真、綾乃と共に「黒の王ブレドとその仲間達」の実証実験を続けていくのに、拠点をどうするかと話し合った時だ。

 候補の一つとして、生徒会役員になりおおせて生徒会室をその拠点にするというものが出た際、現在の生徒会役員を調べたおりに、写真で見たのだ。


 現生徒会長が、今社の貞操()を救ってくれた女生徒の正体だ。


 いやそうじゃない。

 何か違和感を感じる。


 それは数日前に、バストアップの写真を見たときにも僅かにに感じたものだった。

 そのときはその違和感の正体に思い至らないまま、より興味のある話題に流されて忘れていたが、今本人を目の前にするとその違和感は強いものになる。


 自分がよく知っている人物なのに、写真を見て初めて見たと思う違和感。

 今本人を前にして、それは確信に近くなる。


 俺はこの人を知っている。


 ある意味それは当然だ。


 登美ヶ丘高校の生徒会長と直接口をきいた事など無いが、社の危機に駆けつけてくれて、さっきのような声をかけてくるからには知らない相手であるわけが無い。


 だが知っているのは社が登美ヶ丘高校の生徒会長を、では無い。

 ブレドが、――を、だ。


 目線が腰に手をあて、呆れたように胸を逸らす生徒会長の胸に引き寄せられる。

 それは豊満だからとか、形がいいからではなく、ほぼ無い故にだ。


 ……。


「クリスか! クリス・ククリス・クランクラン! なんでクリスもにいるんだ?」


「今、どこを見て判断したかお聞きしてよろしいでしょうか、社様」


 青筋を立ててクリスが言う。

 つまり社の見立ては正解だ。


 だがクリスは社をブレドとは呼ばず、社と呼ぶ。

 ブレドと社は別のものだと認識しているようだ。


「本来介入するのはのですが、理真様が暴走したようなのでやむなくです。申し訳ありませんけれど、この後記憶は少し弄らせてもらいますわ。――だいたい理真様、女として情け無いとは思わないのですか、マリアの力を得たからといって「魅了チャーム」で社様をモノにしようなどと……」


 振り返って完全に理真だと思っている相手――霧島はるか先輩、もしくはルティナと目が会って、クリスの言葉が止まる。


「――誰ですの?」


 ぐるりともう一度社の方を振り返って、生徒会長――クリスが尋ねる。


 いや誰と聞かれましても。

 相変わらず思い込み激しいし、結構思いつきで行動するよなクリス。


 「明晰夢」の記憶から、クリスの性格を思い出す社である。


「えーっと、三年生の霧島はるか先輩」


「そんな生徒は我が校には存在しません」


「リナティア皇国第二皇女、ルティナ?」


 本人が名乗ったこちらでの名前を、あっさり存在しないと断言するクリスに、社はヘクセンヴァール世界での霧島はるか先輩(偽名)の名を告げる。


「んな!」


 どこの奥様だというような声を出して、クリスはルティナに向き直る。

 社にしかけた「魅了チャーム」をあっさりと無効化され、ルティナは呆然としている。


 社からすれば高校三年生のお姉さん、色気も余裕もたっぷりに見えるが、本人は本来色仕掛けなど得意な人間では無い。


 社に触れた事で使用可能となった、「魅了チャーム」のおかげで優位に立てていただけなのだ。

 それが失われれば、動揺する女の子であることは社と変わらない。


「何をやっているのですか、貴女は!」


 「魔導帝国」の宰相として、支配下においた、または解体した国家の重要人物は全て記憶しているクリスは、名を告げられれば一瞬で記憶と結びつける。


「い、色仕掛け?」


 あまりにも正直な答えに、クリスは天を仰ぐ。

 まんまと仕掛けられていた社はうつむくしかない。


「馬鹿なんですか。馬鹿なんですね。それでうまくいっても後でマリアがブチ切れることくらい何故理解できないんですか。しかも相手がブレド様ならまだしも「原存在オリジン」にするとは……万死に値します。というかどうやって「原世界」へ……魔法王国の宝具ですの?」


 リナティア皇国の第二皇女であることがわかれば、その目的も、どうやって「原世界」へ来たのかの予測もつけられる。


 ルティナにとって見れば今の時点で賭けには敗れ、「魔導帝国」の宰相に自分たちのたくらみが露見したという事だ。


 クリスが思わず言ってしまった言葉の中に、ルティナも、もちろん社も理解できない「原存在オリジン」というものがあったが、それももはや関係ない。


 魔法で意志をコントロールしようとしたルティナを社が庇う事は無いだろうし、冷静になって考えてみれば社に色仕掛けを抜け駆けでした自分を理真――マリアは許すまい。


 自分の魅力だけで正々堂々――正々堂々と色仕掛けっていうのもどうなんだと思うが――したのであればまだしも、「魅了チャーム」という反則業を使ったのだ。


 理真であれ、マリアであれルティナを許さないだろう。

 いやそれ以上に忠犬とも呼ばれるジンに、自分は八つ裂きにされるかもしれない。


 己の進退が極まっている事を、ルティナは理解した。


「ええい、かくなるうえは……」


 ――おい、上様に悪事がばれた悪代官か先輩。

 

 社が馬鹿なことを考えるが、今のルティナは完全ではないものの社に触れた事によって、「魔力」の封印が限定的に解除されている。

 その上「魅了チャーム」を使っている際に、息がかかるくらいの距離にまで接近し、社の両手ではだけた胸に直接触れられてもいる。


 間違いなく二度目は無い、大幅な「魔力解放」がなされている状況だ。


 この「原世界」におけるクリス・ククリス・クランクランの能力がどの程度のものかはわから無いが、どのみち無抵抗でいても結果は同じなのだ。


 であれば「魔力」が解放されている今、可能な限りの抵抗を試みるべきだとルティナは判断した。


 ここでクリスを退ける事さえできれば、社が抵抗なく「魔法」に掛かるという事が、先の「魅了チャーム」で判明している。


 既成事実を作り、自分の封印を完全に解いた上で社を篭絡できていれば何とかなるかもしれない。


 ルティナの望みは社の殺害や、「魔導帝国」の崩壊、「救世」の邪魔ではないのだ。

 リナティア皇国の再興さえ認めてもらえればそれでいい。

 

 はっきりいえば今のヘクセンヴァール世界における「魔導帝国」にとっては些細な事だ。


 「原存在オリジン」だか、ブレドの「原世界」における存在だか知らないが、社の身柄とならあっさり交換してくれるかもしれない。


 というかルティナにとってもはやそれしかない。

 少なくともルティナ自身はそう思い込んだ。


 ヘクセンヴァール世界では、ブレドはもとより、音に聞こえた「魔導帝国」宰相、クリス・ククリス・クランクランに勝つことなど不可能だ。


 だが社の体液なくしてはあのジン、マリアですらただの人であったこの「原世界」であるならば、今社との接触によって魔力が解放されている自分であればなんとかなるかもしれない。


 社がブレドの魔法戦闘能力を行使できるというのであればどのみち詰みだが、たかが「魅了チャーム」程度も無効化できないことからもそれはまずあるまい。


 一縷の望みにかけ、ルティナは「魔導帝国」に敵対することを決めた。


 自ら釦を外し、放り出したままになっている胸のことも忘れて戦闘体制を取る。

 魔法大国の第二皇女として、そこらの魔法遣いに遅れを取るような自分ではない。


 クリスさえ何とかしてしまえれば、「原世界」の高校生に過ぎない社はなんとでも出来る。


 まずは全力でクリスを無力化することだと思い定め、ルティナは戦闘行動を開始する。


「待ちなさい、ルティナ・リナティア!」


 クリスの静止の声も聞かない。

 すべてはクリスを無力化してからだ。


 この機会を逃せば、己と己の一族に二度目は無い。

 当初の計画とは大きく乖離したが、こうなってはこのまま推し進めるしかない。

 

 魔力を極力有効利用するため、全身にめぐらせて運動能力を飛躍的に上昇させる使い方を選択する。


 超高速起動による当身でクリスの意識を刈り取る事を目的とし、ただの人間――社には消えたようにしか見えない速度で、ルティナはクリスへの間合いをつめた。


 色仕掛けに失敗し、予期せぬ戦闘が開始される。

 ブレドの力を行使できない社は、クリスに護ってもらうしか手が無い。


 クリスが排除されれば、苦もなく「魅了チャーム」されてしまうだろう。



 社にしてみれば、要らん戦闘をするくらいであればまず仲間に入れてみたらいいんじゃないかと思いもするが、とてもそんなことを言い出せる状況で無いのも確かだ。


 とりあえずは二人の戦闘の邪魔にならないように、その場から動かない事に決めた。

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