第10話 放課後の呼び出し

 社以外の「黒の王ブレドと仲間たち」の物語を知る人間が「超常能力者」として覚醒してから数日が経過している。

 もっとも約一名は燃料タンクのような立ち位置ではあるが。


 この数日は放課後、四人で集まってあれやこれやと検証が続いた。


 その結果宗一郎はジンの使うほとんどの剣技を使用可能に、理真は召喚すること自体が攻撃となる――それこそ「13の悪意トレキデム・マリシアス」のような――召喚獣を除いて召喚することができるようになっていた。


 もはや十分に現代異能モノの主人公を張れるくらいの「超常能力」を使いこなしている。

 燃料社の体液が切れればそれまでだが。


 何度も「体液摂取」をしても慣れない理真だが、逆にテレながらもそれを繰り返すことによって、普通の接触くらいでは動揺しないようになってきている。

 それを学校で出すものだから、普通の生徒たちは妙に近い理真の社への距離感に、見ている方がドキドキさせられる始末になっている。

 綾乃とセットであることもそれを助長していることは間違いない。


 検証するといっても、生徒指導室を部室のように使うわけにもいかなかった。

 さすがの宗一郎と理真であっても毎日借りることは無理があるし、それ以外の問題もある。


 ではどこを部室代わりにしたのかと言えば、宗一郎がしれっと学校の近くに確保した高級そうなマンションである。

 買えばいくらになるのか社には想像がつかないが、集まれるときはそこへ集合という状態になっている。


 、全員皆勤だ。


 買ったのだか借りたのだが、怖くて宗一郎に聞けない社である。


 このスピードで用意できたという事は、もともと三条家の持ち物であったのではあろうと予測しているが、実はマンションそのものが三条不動産の持ち物であることを社は知らない。


 通常の宗一郎は、そういう「SANJOUグループの力を使う」事を社が嫌うのを知っているのであまりやらないが、今回は緊急事態という判断らしい。

 ただの転校生ではない、現役アイドルである「RIO」こと綾乃が加わっていることもあって、社もこの件については宗一郎に感謝している。


 学校で集まっていては、先輩どころか教師まで様子を見に来る事態になっていたことは想像に難くないからだ。


 それほどここ数日、授業中などの綾乃への注目度は物凄かったのだ。

 体育の時間なんかは目も当てられない状態になっていた。


 現役アイドルが体操着で運動するのであるから無理もないかもしれないが、少々度が過ぎているように見える。

 

 遠からず保護者から苦情が出ることは間違いなかろう。

 先生方も頭の痛いことである。


 どういう手を使ったものか、幸いマスコミなどが学校にやってくることは今のところはなく、先生方が生徒にいまいち厳しくしきれないのは、その安堵感ゆえかもしれない。


 その綾乃本人は、宗一郎があっさりマンションを確保したことに驚いてはいたが。

 意外と中身は普通の女の子な綾乃である。


 少なくとも今周りに見せている顔に限れば。


 また生徒指導室を部室化してしまう事の、本当の問題点。

それは超常の能力を学校の一教室で確認するのは危険度が高いという事だ。


 マンションであればいいのかという話だが、ルーフテラス付のペントハウスであれば生徒指導室よりはマシなのも確かだ。


 だが社にしても宗一郎にしても、このマンションをずっと使い続けるつもりはない。

 検証が一通り終われば、学校内に拠点を確保するべく動いている。


 学園異能モノのお約束として拠点は学校内にあるべきだという社の主張に、意外なことにみなが賛成したのだ。

 宗一郎と理真という超優等生を利用して同好会を立ち上げ、当面は部室を確保するべくすでに動きを取っている。


 生徒会役員に立候補し、生徒会室を拠点にするというアイデアも出はしたが、それは却下された。

 生徒会とは敵対ないしは協力する組織であって、「超常能力者」の集団はまた別であるべきだという、これもまた社の意見によるものだ。


 宗一郎と理真、話題の転校生綾乃であれば来年それを実現する事は難しくないであろうが、生徒会長、副会長、書記、雑務で四人はいいとして、会計などの部外者が含まれるという点もあり、生徒会案は棄却された。


 高校生とはいえ生徒会本来の仕事が相当に忙しいという、中学時代当たり前のように生徒会役員をやっていた宗一郎、理真の意見も大きかった。


 全員、「黒の王ブレドとその仲間たち」に関わる検証を進めることに集中したかったので、それ以外で時間を喰われることは極力排除したかったのだ。


 だいたい宗一郎も理真も部活をそう毎日休むわけにもいかない。

 綾乃に至っては芸能人としての活動もまだ完全に停止しきっていないため、放課後に部活動など望めるはずもない。


 ――本来であれば。


 だが検証がなされたあの日のうちに、宗一郎も理真も退部届を剣道部と弓道部に提出している。

 現在は顧問や先輩たちによる必死の引き留めが行われている最中だが、二人とも撤回するつもりはないようだ。

 

 そもそも宗一郎が剣道を始めたのは、ジンの化身である自分が剣も使えないというのはあり得ないという理由だった。

 社はそれを冗談だと思っていたが、本人は至って真剣だったらしい。


 ――剣だけに。


 といったら全員から半目で見られた。

 とにかく「黒の王ブレドとその仲間たち」が本当であると判明した現状、それ以上に優先する事項は宗一郎に存在しない。


 理真にしても似たようなもので、召喚術を含む魔法以外にマリアが得意とする武器が弓だったから弓道を始めたという。


 二人にとってそれほどジン、マリアという己の化身の影響は大きかったのだ。


「兼任で続けりゃいいんじゃないの?」


 という社の意見には、二人に真顔で却下された。


 二人は今まで、きっかけがどうあれ誰に恥じることなく真剣に剣道と弓道をやってきたが、今はそれより優先するものが出来たのでやめるのだ。

 その事を他人にとやかく言われる謂われはないと思っているが、片手間で続けることは真剣に取り組んでいる人たちに失礼だという事らしい。


 事情があり、己もまだ剣道、弓道に真摯に向き合う気があるのであれば別だそうだが、宗一郎にしても理真にしても今真剣に向き合いたい事はそれではなくなった。


 故に半端なことはせず止めるのだ、と言われた。


 「道」とつくものに真剣に打ち込んだことのない社は、黙って頷くしかなかった。

 正しい正しくないではなく、少なくとも宗一郎と理真にとってはそうなのだろう。

 それに友人とはいえ部外者が適当な事を言うべきではないと思ったのだ。


 顧問や先輩方に恨まれそうだなあ、という不安は早晩現実になった。

 文武両道の優等生に悪影響を与える存在と、先生方に見做されたらしい。


 数日前に使用した生徒指導室に教頭と学年主任に呼び出され、あれやこれやと質問攻めにあった。

 一応担任もいたが、何の発言もせずにおどおどしていただけだ。

 まあ大学出たての新任女性教師が、教頭と学年主任を前に何を言えるのかと言えば何も言えまい。


 故に社はそれを頼りないとは思わなかった。


 教頭や学年主任から失礼なこともいろいろ言われたが、先生方の立場ならそう言いもするよなあと思って腹も立たなかった。


 それほど宗一郎と理真、綾乃は特別な生徒なのだ。

 みな平等に、というのがおためごかしに過ぎないことなど、この年になれば子供でも理解している。


 だが尋問めいた空気だけは何とかならんものかと思っていたら、生徒指導室に入ってきた宗一郎と理真によってあっさりその尋問は終了した。


 穏やかに怒った宗一郎は怖い。

 それは大人でも変わらないのだという事を、社は再確認させられた。


 丁寧な言葉で「三条家と磐座家」に友誼があることまで出して、教頭と学年主任の失礼な発言を詫びさせる様に、社はおおいにびびっていた。


 自分に謝る教頭と学年主任に同情していたほどだ。


 教頭と学年主任は、宗一郎の斜め後ろで一言も発しないまま、怒りの表情を浮かべていた理真にもかなりの重圧プレッシャーを与えられていたのだろうが。


 教師にとって政治家先生は鬼門だろう。

 それも与党大物となればなおさらである。


 宗一郎と理真の退部に伴う問題はそうやって一応の収束を見たが、その件で社が宗一郎、理真レベルで登美ヶ丘高校の有名人になるという弊害が生まれた。


 二人の退部の原因ともいえ、今一番の話題である「RIO」――綾乃が学校に居る間中傍に居るとなればそうならざるを得ない。


 社も宗一郎も理真もまだ知らないが、今水面下で大騒ぎしながら進んでいる「RIO」の引退が「社の為」だと発覚すれば、騒ぎはこんなものでは済まないだろう。


 とにかくこの数日で社はいわば時の人だ。


 入学時から話題をさらっていた宗一郎、理真に加えて、現在最も大きな話題である転校生、「RIO」こと綾乃。


 その全員の中心にいる存在となれば、それは話題にもなる。


 宗一郎が親友と明言し、綾乃が片思いの相手のように振る舞えば火に油だ。

 その上理真が綾乃に対してやきもちのような態度を取るのであるから、話題にならないわけもない。


 たとえ社が、入学からつい最近まで完璧なモブ夫であったとしてもだ。

 いやそうであったからこそ、話題はより大きくなるのかもしれない。


 男どもの間ではやっかみの対象として。

 女性陣の中では、品定めの対象として。


 今登美ヶ丘高校の生徒が空いた時間で話題にするのは、宗一郎、理真、綾乃と絡んだ社の話題が一番多いのは事実だ。


 その結果、ありがちな展開が今日の社を襲っている。

 そのせいで、全員皆勤が続いていた「放課後検証会」は今日で途絶える。


 今、社は放課後の一年三組の教室にでいる。


 ここ数日は常に一緒にいるといっても過言ではない宗一郎、理真、綾乃は、それぞれ別行動している。


 今日の放課後社に用事があり、例のマンションへはいけない事を昼休みに告げると自然とそうなった。

 社が居ないのであれば実証実験もできないし、意味もない。

 それは事実なのだが、それぞれ三人とも、そういった実際的プラグマティックな理由以外に「社が居ないとつまらない」というのが本当の理由だ。


 当の本人である社はそんなことをつゆほども思っていないが。


 では社が今何をしているかと言えば、呼び出しに応じているのである。


 この時代、サードアイ・コネクタによるメールやボイス送信は当たり前になっている。

 「学校に携帯を持ってきちゃいけません」というような時代ではなく、本当のプライベートアドレスは友人同士にしか教え合わないが、パブリックアドレスはクラスメイトであれば互いに公開されている。


 古式ゆかしい「連絡網」なども、に従っているのだ。


 だが今朝、この時代になっても姿を消さない下駄箱――下履きと上履きが無くなることはあるのだろうか?――に、古式ゆかしいなどというレベルではないものが入っていたのだ。


 ――こ、これは伝説に聞く!


 社が戦慄したのも無理はない。


 社が幅広く読む、最近のものだけではなく昭和後期から平成にかけての「古典」漫画、主に少女漫画と呼ばれるカテゴリーにはよく見られたシチュエーションなのである。


 薄い水色のかわいらしい封筒が、ピンクのハートマークのシールで封じられている。

 それが社の上履きの上に、そっと載せられていたのだ。


 宗一郎に気付かれぬように回収するのに相当な気力を擁した。

 その場ではそのままにして、休み時間にダッシュで取りに来たのだ。


 差出人は不明、ただ明らかに女の子とわかる字で、


「今日の放課後、社君の教室で待っていてください」


 と可愛らしく書かれていたのだ。


 内心で社は叫んだ。

「これは罠だ!」と。


 根拠があった訳ではない、ただこのシチュエーションで、やってみたかったことの一つだっただけだ。


 それほど社は浮かれていた。

 こんなシチュエーションを味わえるとは思っていなかったからだ。


 だが女の子から告白されるかもしれない、という事を喜んでいる訳ではない。


 オタクというのは救い難い所がある存在で、己がそのシチュエーションに置かれていることにこの上ない充足感を感じているのだ。


 いわゆるお約束を、実体験できる。


 その事に社はひどく喜んでいた。

 この際、実際のところがどうかなどはさして重要ではない。


 比較的マシなパターンとして、最近話題にあがる社につばを付けようとした計算高い女子生徒からの告白。

 大穴で入学時から社が気になっていた女子生徒が、最近話題にあがるようになった社に焦って告白を決意したというもの。


 無くはない想定だが、社は自分自身でさえその想定に半笑いになる。


 ――ないな。


 何が理由と言われても困るが、無いという確信に近いものがある。

 確信を持っていまう自分に思うところが無いわけではないが、思ってしまうのはしょうがない。


 まあ自己防衛本能が働いていることを認めることは吝かではない。

 はしゃぎあがっておいて項垂れるなど、想像でもげんなりする。


 「黒の王ブレドとその仲間たち」に関わりなく、自分がモテるとはつゆほども思えない社である。


 「話題の男」を好む女子が一定数いるのも理解できているが、そういう層は冒険をしない。

 理真や綾乃が傍に居る社はそういう層にとって「危険物件」なのだ。

 

 逆に理真や綾乃が傍に居る社にそういう意味で声をかける女子というのは、真剣かよほど自分に自信があるかだ。


 そういう女の子が存在することを現実的リアルに想像できないから、無いという結論に至る。


 あるとすれば理真あたりの信者から「ちょーしのんなゴルァ」か、複数の女の子たちから「四人でつるんで何してんの? 話聞かせてよ、もしくは混ぜてよ」ってあたりが関の山だと思っている。


 百万が一、


「貴様の正体は黒の王だな。死んでもらう!」


 っていう展開になったら大喜びするが、大喜びしながら死ぬことになりそうだ。


 さすがにそれがあるとは思っていない。

 思っていても同じ行動をとっていたとは思う社ではあるが。


 そんな馬鹿な事を想像しながら、社は自分の席で古式ゆかしい手紙の差出人を待っている。



 放課後。


 夕日に染まる、誰もいない教室。


 どこか遠く聞こえる、部活動に勤しむ生徒たちの声と吹奏楽部の楽器の音。

 ときおり澄んで響く、金属バットが白球を捉える音。


 遠くの声が廊下を通して微かに聴こえる、下校する生徒たちの笑い声。


 完全な無音ではないこういう状況の方が、より強く静けさを感じるというのが、社には面白い。


 今自分は微かな音に囲まれながら、静寂しじまの中に居る。


 長くなりつつある日が暮れるまでにはまだもう少し時間があるが、放課後という括りの中では、もうずいぶんと遅いと言っていい時間帯。


 いましばらく時間が過ぎれば、部活動の片づけの音や、先生方が校舎内の最終見回りを始める時間帯。


 自分の席で誰ともしれぬ手紙の差出人を待っているうちに、社は心地いい静寂に揺られてうつらうつらしていた。


 ――このまま誰も来ないっていうのも、お約束としては美味しいな……


 そんなことを考えたタイミングで、教室の後ろの入り口が、からからとゆっくり開く。

 

 意識があるつもりであったが、自分で思っているよりぼうっとしていたようだ。

 その音で社は自分の意識が驚いて覚醒するのを自覚する。


 机に突っ伏していた身体が、びくんと跳ねたのが我ながらみっともない。

 何か来るのを今か今かと待ち構えていたように思われたら恥ずかしい。


「あの……お待たせしてしまってごめんなさい……」


 本当にそれが地声ですか? と聞きたくなるような、消え入りそうな可愛らしい声。

 そういう声はアニメの中でしかいないと思うんですが、とオタクらしいことを社が考える。


 そんなことはない、現実の女の子でも鈴を転がすような声を出すことは可能だ。

 ただし相手はイケメンに(略


 半分ひらいた扉の陰に、自分の半身を隠して恥ずかしそうにこっちを見ている女生徒がいる。


 ――まさかの大穴なのかな……


 我ながらずうずうしいなと思いながら、社は考える。

 女の子が「ああいう声」を出すのは、特別な相手にだけだ、という妙な偏見がその想像をさせている。


 一年生の女の子であれば、クラスが違っても見たことくらいはあると思っていたのだが、見覚えが無い娘だった。


 だが一度見たら忘れることはないだろう。

 それこそ理真や綾乃と並んでも、そう見劣りしないくらい可愛らしい女生徒だからだ。


 肩の所で綺麗に揃えられた、天使の輪が浮かんでいる癖ひとつない黒髪。

 気弱そうだが、大きな瞳とバランスのとれた整った顔。

 少しだけ薄い、艶やかな唇が妙に色っぽい。


 顔とはアンバランスと思ってしまいそうな、制服の上からでもわかる突き出た胸と、引き締まった腰。

 高い位置にある腰からスカートを経て、細すぎず太過ぎない綺麗な曲線の腰と脚を、短めにした制服のスカートに包んでいる。


 ここ数日、理真と綾乃による体液以下略の経験をする前の社であれば、そのルックスだけで赤面して絶句させられた可能性すらある美少女だ。


「……あの?」


 首だけをそちらに向けたまま何も言わない社に、不安そうに美少女が声をかける。


 何のことはない、理真と綾乃との経験を経た後であっても赤面して絶句していたのだ。


 相手がとびっきりの美少女である理真と綾乃とはいえ、たかが数日近しくしただけで女性慣れできるようになるのであれば苦労はしない。


 なかなか刺激的な事をしていたとはいえ、建前上はあくまでも実証実験の為であり、恋人同士としていちゃついていたわけではないのだ。


「えっと……」


 思ったより寝ぼけていた自分の状況をリセットし、慌てて立ち上がって身体ごと美少女の方へ向く。

 その時点で自分かその娘にどう呼びかけていいかわからない事に思い至る。


 美少女の方もそれに思い至ったようだ。


「あ、ごめんなさい。私は三年二組の霧島はるかと言います。……磐座社君。――急で無理なお願いだったのに、待っていてくださってありがとうございます」


 そう言って顔を赤らめながら、深々とお辞儀をする。

 それにあわせて、まっすぐな髪がサラサラと流れる。


 ――まさかの年上、しかも三年生。


 相手といい、その相手が纏っている雰囲気といい、もうしばらくすれば日が沈むという時間帯といい……


 社の想定とは大きくかけ離れた事態が推移している。


 非常事態エマージェンシー非常事態エマージェンシー


 社の脳内ではけたたましく警戒警報が発令されているが、この場には頼りになる親友も、美少女な先輩を前にしても気後れも見劣りもしない幼馴染と転校生も居ない。


 どうしていいかわからない社の所まで、意を決したような表情で霧島はるか先輩が近づいてくる。


「磐座社君。いえ、。本日はお願いがあってまいりました。私を……私をの仲間に加えてはいただけませんか?」


 社の机の前で跪き、主に仕えんとする騎士の如くこうべを垂れる。


「は? え?」


 あまりの事に、とっさに反応できない社の左手を、思わずという様に己の両腕で取ってその豊かな胸に掻き抱く。


 その表情は赤面しつつも、陶然としている。


「すごい……」


 そのうっとりとした表情を見て、社の脳内にさっきまでとは違う種類の警戒警報が鳴り響く。


 ここ数日続けていた実証実験。

 綾乃――リオが教えてくれた、封印された力を使用可能にする鍵。


 それは体液であればいう事はないが、確か最初に綾乃は言っていたはずだ。


 


 ――いま霧島先輩は、俺の左手に触れている。


 それはまるで尊いものに触れるかのように見える。

 己の「超常能力」を開放するものだと思えば、社の手であっても尊く思えるだろう。


「あなたは……」


 今更遅いと思いながら、慌てて社は距離を取る。

 左手を引き抜くときに伝わった感触はあえて深く考えないようにする。


 こんなことが某幼馴染に発覚したら大変なことになる気がする。

 そのためにはまずはここを切り抜けねばならないが。


「あぁ……」


 引き抜かれた社の左手を、御預けをくらった犬のように見つめている。

 だが一瞬後正気に戻り、再び膝をついてこうべを垂れる。


「失礼しました。今一度お願いします。私をの仲間に加えてくださいませんか。その許可を頂ければ、如何様な命令にも従います。お願いします、どうか私をの仲間に……」


 さりげなくとんでもない事を言っているような気もするが、あえて聴こえなかったことにする。

 

 ある程度の「異能」が解放されているにもかかわらずすぐさま敵対行動をとらないという事は、今言っていることは本気なのだろうか。

 それとも社を「ブレド」だと思っているから、傅いているのだろうか。


 ――そうであれば拙い。


 今の社は燃料タンクではあるが、ブレドとしてのあの圧倒的な戦闘能力をまるで持ち合わせていない。

 それがばれるのは非常にまずい気がする。


「あなたは、なんなんですか……」


「わからないのですか? 。そんなはずないですわよね、ジン様もマリア様も覚醒し、側室であるリオ様も及び寄せになったのです。直接お願いするような非礼についてはいかようにでもお詫びいたしますから、私も配下に加えてくださいませんでしょうか」


 社の問いに答える霧島はるかは、この世界の人間がするはずのない言葉を口にしている。


 ジン、マリア、リオ。

 

「黒の王ブレドとその仲間たち」、ヘクセンヴァール世界を知るものしか言えるはずのない単語たち。


 そしてヘクセンヴァール世界には、「黒の王ブレドとその仲間たち」以外の人間ももちろん存在する。

 

 ――敵対している、敵対していた存在も。


 そう思い至った時点で、社の記憶が刺激される。


 黒髪黒眼と、見慣れた登美ヶ丘高校の制服ですぐには思い出せなかった。

 いや、ブレドが思い出すには雑魚に過ぎる、元敵対していた皇国の第二王女。


「リナティア皇国第二王女、ルティナ……」


「さようです。愚かにも黒の王たる貴方に挑み、敗れ、隷属した愚かな国家の第二皇女ルティナです。卑しい我が身ですが、何卒「救世」の一員にお加えください。そしてその働き如何では、我が母国の再興の許可をぜひとも……」


 幼稚舎の頃、ブレドがヘクセンヴァール世界を統一するまでの戦乱記の「明晰夢」を見ていた頃に、一度見たことがあったのだ。


 リナティア皇国の第二皇女でありながら、魔導部隊を率いる将でもあったルティナ姫。

 それがいま目の前で跪いている、霧島はるか先輩のだ。


 何がどうなっているのかわからないが、ヘクセンヴァール世界の住人が、こっち側に来ている。

 「救世」というキーワードと共に。


 全てを思い出しきっていない社には、どういう事かわからない。


「何卒お願い致します、


 決定的な名を社に向かって呼びかけながら、夕日に染まる教室で三年の先輩、しかも美少女に平伏されている社。


 厨二病同士としか思えぬ会話を置き去りに、茜は深まり、部活の声は片付けの様子を伝えてくる。


 どう対処するべきか。


 跪く美少女を前に、社は嫌な汗を流している。

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