第08話 ファースト×××

「っ…………」


 社の体液を摂取することによる、能力行使の許可。


 リオ・ラサス・ウィンダリオンの現世における姿である「RIO」こと春日部綾乃の提案に、理真がフリーズしている。

 その発言の本質的な意味よりも絶賛拗らせ中の初恋、その相手の体液を摂取するという部分で頭が熱暴走しているのだ。


 一方、宗一郎は落ち着いている。


「そんな設定あったかな? 僕は「黒の王ブレドとその仲間たち」の物語については委細洩らさず記憶している自信があるけれど、そういうのは社君から聞かされたことないよね?」


 自分の記憶を洗いなおすように首をかしげている。


 社にしてみれば、宗一郎が覚えていない、忘れるということなどないと確信できる。

 実際一度しか見ていない明晰夢の内容などは、宗一郎に言われてああそうだったとなることも少なくないのだ。


「ああ、今まで見てきた中ではそういうのはなかったはず。というかみな好き勝手絶頂にぶっ放してたと思うんだけど……」


 宗一郎も覚えが無いと言っているのだ、自分に覚えがないのも忘れてしまったわけではなかろうと社は安心している。


 あまり興味のわかない状況などは、社はわりとサクサク忘れる。

 一方宗一郎は「黒の王ブレドとその仲間たち」の軌跡をヘクセンヴァール世界の推移と共に語らせれば、宗一郎が明晰夢を見ている本人かと思えるほどの精度を誇っている。

 

「そういう封印めいたものはジンの……についてのものだけだったよね?」


 「黒の王ブレドとその仲間たち」の主要人物であるジンの正体は人ではない。


 ブレドが魔導帝国を立ち上げる以前、立ち上げた仲間たちとも出会う前に一人でヘクセンヴァール世界を旅していた頃に、とある遺跡で拾ったヒトナラザルモノが人の形を取っているのがジンなのだ。


「ああ、うん……。ブレドの血か、では対処できない状況に陥った時に解放されるようになっていたはず」


 そうさせているのはブレドの封印術式であり、それを解除できるのはブレドの血か、人身としてのジンでは対処しきれない事態――要はジンの生命が脅かされた時のみだ。


 相手の攻撃によって、ジンのヒトの形が崩れたときとも言う。


 ブレド――社は幾度かジンが真の姿を顕現させた際の明晰夢を見ているが、それは凄まじいものであった。


 人身のままでは魔法や召喚術に一歩譲らざるを得ない「剣士」であるジンが、魔法も召喚獣も喰らい尽くす圧倒的な存在と化す。


 本性を顕現させたジンを抑え込めるのは、魔導帝国の中でもブレドを除けばマリア、帝国顧問とかいう訳の分からぬポジションについていたリリン位なものであったことを社は思い出す。


 ――その話をしている時の宗一郎が、一番目を輝かせていたことも。


「そう説明してもらったことを、確かに覚えています」


 今も宗一郎はどこか嬉しそうだ。


 己が「ヒトナラザルモノ」であるという事実を宗一郎は凄いと社は思う。

 自分だったら不安になるというか、だと思うのだが、宗一郎は嬉しそうに笑う。

 しかもその笑顔はいつもの穏やかなものではなく、獅子が笑うのであればこうではないかと思わされるような、獰猛なそれだ。


 そういう宗一郎を見ると、社は少し不安になる。


 社は「黒の王ブレドとその仲間たち」の物語を心から愛しているが、自分がブレドそのものになってしまったり、宗一郎や理真がジンやマリアそのものになってしまったりして欲しいわけではない。


 自分たちの前世かもしれない物語を、あくまでも社、宗一郎、理真として、一緒に楽しみたいだけなのだ。


 「黒の王ブレドとその仲間たち」の物語がであることが証明されるのは嬉しいし、ある種の興奮を覚えもするが、その結果自分や宗一郎、理真が覚醒でもして、今の自分ではなくなってしまう事は社の望むところではない。


 というか正直に言えば怖い。


 本来であれば自分などとは何の接点もなかったはずのトップアイドルである綾乃が、自分に傅いているこの現状。

 これが己の明晰夢が現実を侵食した結果だと思うと、少々うすら寒くもある社なのである。


「……ジン様の正体って?」


 その綾乃――いまやリオに乗っ取られてしまっているように社には見える――が社と宗一郎の会話に疑問を得た様だ。


 皮肉にも今の会話に疑問を持つという事が、どこかから社が幼稚舎、小学舎の頃の級友たちに語っていた物語を入手し、綾乃が演技しているわけではない事を証明している。


 この質問すらも演技である可能性はあるにせよ、それはないだろうと宗一郎は判断していた。


 社曰く、ブレドと似ても似つかぬはずの社を一目でブレドだと当てて見せたことに逆に警戒していた宗一郎だが、綾乃の態度には嫌悪感が無いとか不自然さが無いというだけではなく、隠しきれない「歓喜」が見て取れる。


 演技というのは騙すためにするものだ。

 騙す相手を見た瞬間に、心から喜ぶ人間など居ない。


 これからする自分の演技を完璧なものにするために気合を入れるか、隠しきれない緊張が走るか、あるいは相手を侮って弛緩するかだ。


 所詮高校生に過ぎない自分の観察眼を、現役アイドルの演技力が上回る可能性を捨てきってはいないものの、宗一郎は人の感情には敏感だ。

 とくに「三条の御子息」である己に向けられる、うわべの好意にはなれているからその類であればすぐにわかる。


 海千山千の実業家、政治家たちがパーティーでみせる演技力を、いかな芸能人とはいえ年若い女の子が上回ることはないだろうと判断していた。


 芸能人であればその通りであろうが、宗一郎は年頃の女の子の演技力というものを少々見くびっているのだが。


 それは宗一郎の警戒とは真逆の演技ではあったが、それを宗一郎が思い知るのはまだ先の事になる。


「えーっと」


 どうしたものか、という反応を社が返す。

 ジンのについての情報は「魔導帝国」においても知るものがごく限られたトップシークレットであったからだ。


 学校の進路指導室で、魔導帝国の極秘情報を話すべきか話さざるべきかを悩んでいる自分を少し面白いと感じた。


 ――しかも大真面目に。


 つい数日前まではこんなことを考える羽目になるとは、露ほども思っていなかったのだ。


「すいません! 出過ぎたことを申しました。私に聞かせていいかどうかは、ブレド様たちの判断にお任せします」


 綾乃にとっては「ブレド様」である社の逡巡に、大慌てで発言を撤回する。

 だが判断を任せる、という事は聞きたくはあるのだろう。


「うん、春日部さんも「黒の王ブレドとその仲間たち」の一員だからね。知っておいてもらった方がいいと思うよ」


 宗一郎がいつもの穏やかな笑みで言う。


 当の本人がそう言っているのであれば、社に否やはない。

 そもそもあくまでも明晰夢における設定に過ぎないのだ。


 ――あくまでも今のところは、だが。


 宗一郎の諒解を受けて、社が綾乃に説明をする。

 その説明を宗一郎も真面目な表情で聞き、己の中にある情報との乖離が無いことを一つ一つ確かめているようだ。


 その宗一郎の様子に、社は内心要らん緊張を強いられていた。


 宗一郎の中にある知識と乖離しないまま社がなんとか説明を終えると、リオとしての記憶しか持たない綾乃は驚き、それを教えて貰えたことをひどく喜んだ。


 この四人の中で、「黒の王ブレドとその仲間たち」の物語を当たり前のように「本当の事」として確信しているのは、綾乃だけだと言っていいだろう。

 なぜ社のがブレドだとわかったのかという宗一郎の質問には、「自分でもわかりませんが、一目でわかった」という、何の解決にも至らない答えではあったが。


 社にしても綾乃にしても、実際に逢ったのは今日が初めてだという事実に間違いはない。


 社は以前から映像で見ていたとはいえ、現実世界での接点などあるはずもないのは当然だろう。

 地方の一高校生と、現役トップアイドルなのである、この世界におけるブレドとリオの関係は。


 少なくともリオ――綾乃としては、思い出した今となっては優先されるのはブレドとリオの関係性であるようだが。


 社はそれを当たり前とする綾乃の態度にすこし引いているのではあるが、綾乃にとっては「リオ」に自分が乗っ取られたといった感覚は皆無だ。

 幼い頃から見ていた夢の旦那様に実際に出逢えたことで、舞い上がっているというのも確かにある。

 だがそう思う事こそ自分が、あくまでも「リオの記憶を持つ綾乃」である証明だろうとも思っている。


ブレドに――社に魅かれているのはあくまでも自分――綾乃だと自信を持って言える。


どうやら社様――君って呼んでもいいのかな?――は、あまりに傅かれるとっぽい性格だというのは判ったので、今後の態度をどうとるかを慎重にしなければと思う綾乃である。


 自分がアイドルになったのも、自分の手の届く範囲で「いい女」であることを徹底してきたのも、全ては少しでもブレド様、つまり社にとってふさわしい女であるためだ、などと言えばどんびかれてしまうだろう。


 だけどそれは綾乃にとって嘘わりない事実なのだ。


 ――アイドルとして大成功して少々慢心していましたけれど、さすがはブレド様。


 今の自分ですら互角以上、ヘクセンヴァール世界での繋がりを含めたら勝負にもならないとびっきりが幼馴染として侍っている事は、予測して然るべきであったと綾乃は反省する。


 有利な点と言えば、マリアの現世での姿である理真が、自分の様にヘクセンヴァール世界の記憶をまるで持っていない点か。

 それにに対して、全く耐性が無いように見える。

 それは自分とて似たようなものだが、夢とはいえアドバンテージがあるにはある。


 ――どうやら社様も、の事は鮮明に覚えているみたいだし。


 独占することはさすがに無理でも、よりも少しでも社の近くに在れることを、遠慮なく目指そうと思う綾乃である。


 数日前、夢の中で自分を抱いたブレドとは似ても似つかぬのに、何の疑いもなく社をブレドだと認識していることが我ながら疑問だが、そこに嫌悪感も猜疑心も存在しない。


 自分でも説明できないのに確信を持つという、不思議な体験を今綾乃はしている。


「でも、それだと安易な実証は危険でしょうか。宗一郎様がになってしまったら、大騒ぎなんてものじゃありませんものね」


 一通り話を聞いた上での綾乃の言葉である。

 社が許可を与えれば、ヘクセンヴァール世界での力を行使できることを、全く疑っていない。

 つまり宗一郎が――人ではないものになってしまう事を危惧しているのだ。


 また社からの「あくまでも普通の同級生として扱ってほしい」という要求に、綾乃は素直に従っている。


 あくまでも綾乃の許容できる範囲内ではあるのだが。

 社本人の要求であっても、タメ口なんかはとてもできそうにない綾乃である。


 「普通に同級生として」などと言ってみたものの、級友クラスメイトの女子とすらまともに会話できていなかった社が、現役アイドルである綾乃とどう接すれば「普通の同級生」なのかは謎だが、ごく自然に綾乃が下手に出るのでそれが「普通」になってしまうのだろう。


 級友クラスメイトたちがそれに慣れるのには、それなりの時間が必要ではあろうが。


「とはいえ一番有効な手段であることも確かだからね。いきなり「血」はまずいにしても、触れるとか、まあ汗を舐めるってあたりならアリじゃないかな?」


 宗一郎のその台詞に、フリーズしていた理真が再び動揺を見せる。


 その台詞まで、あらゆる会話を無視してフリーズ、もしくは脳内妄想暴走状態であったにもかかわらず、都合のいい耳をしている事である。


 脳内で暴走していた妄想よりはよほどソフトなはずだが、具体的に言われるとまた違った生々しさがあるのだろう。


 汗を舐めるとなればまだしも、触れる――手を繋ぐくらいは高校生にもなって動揺する事でもあるまいにと宗一郎は笑うが、恋する乙女にとっては一大事なのだろう。


 何が滑稽と言って、その相手である社が全くその理真の葛藤に気付いていない事だ。

 せいぜい、「嫌なんだろうなあ」くらいしか考えていまい。


 ――さっきから理真の中で渦巻いていたであろう、桃色の妄想を社君に見せられれば話ははやいんでしょうけどね。


 それが言うほど簡単ではない事も、当然宗一郎は理解している。


 なにしろ社は宗一郎と理真の事を疑うというよりも、悔しいけどお似合いと思っているような状態だし、理真に至っては万一今の妄想を社に知られたら、頭がぱーんだろう。


 色恋沙汰にはやたらドライな宗一郎から見ればまだるっこしい限りだが、もだもだしている二人を見ているのは我ながら意外なことに嫌いではない。


 決定的に拗れる前に自分が介入すればいいとも思っているし、現世における恋敵ライバルとしては超弩級といっていい「RIO」――綾乃の転入がいいきっかけになればいいとも思っている。


 ――あっちみたいに、ぼーっとしているうちに掻っ攫われなきゃいいですけど。


 一瞬自分の頭に浮かんだ思考に、宗一郎は苦笑いする。


 社から聞かされた「黒の王ブレドとその仲間たち」の話を委細洩らさず覚えているが故に、このような状況になればジンが思うであろう思考をトレースしてしまうのだ。


 決してジンとしての記憶などが蘇ってきたわけではない。


 どうやら綾乃はリオとしての記憶がかなりの精度で思い出されているようだが、その点については宗一郎も社と同じ考えだった。


 ――ジンになってしまいたい訳ではない。


 社が好きなのも、理真を妹みたいに可愛らしいと思っているのも、二人が上手くいけばいいなと思っているのも――ジンというに憧れているのも、三条宗一郎である己だ。


 憧れの存在そのものになりたいなどとは思っていない。


 ジンとして、社に傅くのなどは真っ平御免だ。

 それは社に傅くのが嫌だという事ではない。


 宗一郎は、あくまでも宗一郎として社に着き従いたいのだ。

 物心がついたころ頃から誰もが三条の御子息として特別扱いする自分を、本当に友人としてしか扱ってこなかった社だから、自分は好きになった

  

 ブレドとジンの関係はその一要素であって、断じて軸足などではない。


 社以外の達に罪など無いこともわかっている。


 子供には絶対者である両親から、「宗一郎君とだけは喧嘩しちゃだめよ」と言われて育ち、自分でもその意味を理解できるようになれば、対等な友人になどなれようはずもない。


 それがわかっていても、いやわかっているからこそ、宗一郎にとって社は特別な存在になってしまう。

 社にとって宗一郎は数ある友人、これからもいくらでもできていく友人の一人に過ぎないが、宗一郎にとっての社は、失ったら二度と手に入らない最初で最後の友人なのだ。


 すくなくとも宗一郎はそう思っている。

 社は社で、わかりやすいコンプレックスに潰されないように苦労をしているのだが。


 だが、故にこそ。


 如何に子供の頃から心躍らせたジンであっても自分を譲る気は無いし、ジンの主人であるブレドであっても、社を渡すつもりなどない。


 綾乃という、社以外でヘクセンヴァール世界の事を知るものが存在することがはっきりとした今こそ、これまであくまでも「夢のお話」としていた社の明晰夢をきちんと検証する必要がある。


 それには綾乃の言った方法が最も手っ取り早く、確実であるのは確かなのだ。


 もしも記憶や夢の内容で検証を進めるとなれば、夢を見られない宗一郎や理真では真贋の判断が付かない。

 綾乃が現れるまでは、「黒の王ブレドとその仲間たち」の仲間の一人として物語に登場しているからこそ、宗一郎と理真はもっとも社の「明晰夢」に近い位置にいた。


 だがある意味記憶を共有する綾乃が現れた今となっては、「見た目がそっくり」だというだけでは、いかにも弱い。


 宗一郎も理真も、「社への近さ」で新参である綾乃に後れを取ることが本能的に許せない。

 綾乃の存在そのものはいい。

 だが社のいちばん近くに居る立ち位置を、ぽっと出に譲る気は無いのだ。

 

「だけど社君も知らないそんな設定、いつ生まれたんだろうね?」


 何気ない宗一郎の疑問に、わたわたと綾乃が慌てる。

 まさかブレド本人である社と、その双璧とも両翼とも呼ばれるジン、マリアにあたる宗一郎、理真がそれを知らないなどと、夢にも思っていなかったのだろう。


「私はブレド様から、「世界を救うには必要な事だ」とお聞きした記憶が……」


 褥の中で聞いたものか、それを思い出して再び綾乃の顔が真っ赤に染まる。


 「救世」というキーワードは「黒の王ブレドとその仲間たち」の物語において重要なものだ。

 そもそも「魔導帝国」を立ち上げ、世界を征服しているのもそのためだった。

 という事はその目的の最終段階近くで生まれた設定という事か。


 未だブレドである社が見てはいない、

 これは何気に重要な話だ。


 だがそんなことには委細構わず、綾乃の言葉に理真の動きが再び止まる。


 褥を共にしたを持つ綾乃の前で、接触だの体液摂取などでじたばたしている場合ではないと思い至ったものか、妙に目が座っている。


「……いいわ、社。て、て、手を繋いであげる。――ホラっ!」


 つかつかと社の前に行ったかと思うと、顔を真っ赤にして右手を突き出す。

 あまりの事に呆然とした社の顔も、徐々に茹で上がる様に赤くなって行く。


 ――片想い同士の小学生みたいですね。


 宗一郎は呆れたし、綾乃は社――ブレドに対してえらそうな理真――マリアの様子にびっくりしているようだ。

 リオの記憶を持つ綾乃にとって、マリアがブレドを呼びすてにするなど考えられない事なのだろう。


「いいの?」


 男の台詞としては少々以上に情けないことを社が口にする。

 許可を得るようなことですか、と宗一郎は苦笑いだ。


「いいって言ってるでしょ!」


 恥ずかしさと緊張のあまり、猫を被っている理真しか知らない者であればびっくりすること間違いなしの乱暴な態度になってしまっている。

 だが社や宗一郎にしてみれば、ここ最近の如何にもお嬢様然とした理真よりもよほど「理真らしい」のだが。


 だが今の社にはそんなことを思う余裕など、欠片も残されてはいない。


 たかが手を握る、されど手を握るなのだ。


 幼稚舎や小学舎の頃とはわけが違う。

 高校生になって想い人の手を握るというのは、そのなんだ、ただ握るといっても妄想のブーストがかかるから何かと厄介だ。


 おずおずと突き出された理真の手を取る社。

 高校一年生にもなって、この程度の事で二人とも顔どころか腕まで真っ赤である。


 違いに伝わる温度、どうしたってじわりと浮いてしまう汗が、どうしようもなくお互いの羞恥心を煽る。

 それを羨ましそうに見ているトップアイドルというのもどうかと思うが。


「……何も起きないわ。この後どうすればいいの?」


 これからもよろしく、というような手の繋ぎ方をしていながら真っ赤な理真が、社に聞いても答えようのないことを聞く。


 それに自分ですぐに気付いて、見守っている宗一郎と綾乃の方へ視線を向ける。


「召喚術士の事は僕にはわからないな」


「私も歌か踊りしかできないので……」


 それはそうだ。


 魔法の使い方とか、召喚術の使い方とか聞かれても答えられるわけもない。

 この状況で社――ブレドの許可が下りているという形になっていたとしても、理真の中にマリアとして召喚術を行使していた記憶が無いのであれば、これ以上どうしようもない。


 術式が行使できなくても、魔法のエフェクトのようなものでも表れてくれればいいのだがそれもない。


「繋ぎ方が甘いんじゃない? 恋人繋ぎしなくちゃいけないのかもね?」


 笑いをこらえた真面目な表情で宗一郎が言う。


 その言葉にびっくりして、物理的にちょっと飛び跳ねてしまった理真は可愛いが、完全に宗一郎は面白がっている。


 それに社と、半目で宗一郎を見る綾乃は気付いたが、熱暴走している理真は気付かない。


「いやお前な? 宗一郎……」


「こ、恋人繋ぎって……こう?」


 さすがにいい加減にしろと言いかける社を置いてけぼりに、もはや目がぐるぐるしている理真が、知識だけは豊富な故の恋人繋ぎとやらを実行する。

 

 ――指と指を絡めた、街中で見かけるとちょっとあれなあれだ。


 「あんなつなぎ方を人前でするのは、少し恥ずかしいですよね」などと級友クラスメイトの女の子たちにお嬢様ぶっていた割には、内心では興味があったのだろう。


 爆発しそうな赤い顔のくせに、流れるように恋人繋ぎに移行する理真である。


「ちょ、理真……」


 さすがに慌てて、反射的に手を引っ込めようとする社だが、指が絡まっていて外れない。

 結果として理真を自分に引き寄せるような形になってしまい、社の心拍数が緊張でマッハだ。


 有頂天になっているのは何か不明だが。


「嫌なの? 社……」


 嫌がられる、謝らなきゃと社が思う間もなく、至近距離から切なそうな表情で理真が上目づかいに見上げ、かすれた声での台詞の直撃を喰らう。


 ――下から来るぞ、気を付けろ。


「い、嫌なんかじゃないよ……」


「よかった……」


 右手同士をつないでいたので、今社の胸にあたっているのは理真の右半身だ。

 それでも二人にとってはゆだるに十分な接触である。


 これが正面から密着していたら、どうなっていたものやら。


「――実証実験なんだよこれ。それ忘れて雪崩れ込んだりしないでね」


「なんにだよ!」


「何によ!」


 宗一郎の突込みに、解っているくせにハモって返す社と理真。


 たったこれだけのやり取りで、ここしばらく疎遠になっていた二人があっさり元の距離感に戻っていることに、宗一郎は満足していた。


「しかし何も起きませんね、これでは実証実験になりませんか」


 一通りからかって満足したものか、宗一郎が真面目な表情に戻って腕組みをする。


 さすがに手を繋いだままでいる度胸はなかったのか、社と理真はお互い離し難いという表情を必死で押し殺しながら手を放している。

 

 手汗をかきやすい社の右手は、先ほどからの一連でしっとりしている。

 その右手を気負うことなく突然取り、社の掌をあっさりとなめて見せる宗一郎。


「な、な、な……」


 動揺しているのは理真と綾乃だけで、宗一郎の行動には社は平気な様子だ。


「何やってんだよ宗一郎、きたねえな」


「いや、触れるだけで駄目なら、やっぱり体液かなと思いまして」


 しれっと二人で会話している。

 それでも何も起こる様子はない。


「理真も舐めてみてください。繋いでいた手に社君の汗が残っているでしょうから、それを」


 さっさとしろと言わんばかりの宗一郎の声に、反論することもできず反射的に己の右手を慌てて見てしまう理真である。

 なぜか隣の綾乃も理真の右手を注視している。


 ――舐めたいのかしら……社の汗。こんなに綺麗で、トップアイドルなのに。


 そう思うと自分でも訳の解らない焦燥感に駆られた。

 宗一郎ですら直接社の掌を舐めたというのに、女の自分が自分の右手に気後れしていてどうする。


 意を決した理真が、宗一郎の台詞に再びフリーズしている社の左手を取って、自分の口元へ持って行く。

 びっくり仰天の社は、理真にされるがままだ。


 ――かぷ。


 理真につかまれた社の左手、その掌の下あたりに理真の唇の温い感覚と甘く噛まれる感覚が伝わってくる。


 理真が噛みついたのだ。

 

 社と理真にしかわからないように、噛んだ歯と歯の間からそろりと舌を伸ばして、ざらりと舐め上げる。

 その感覚に、社はもとより、理真も腰が抜けそうになるくらいぞくぞくする。


「こ、これでいいでしょ。これで何か起こる筈よ」


 真っ赤な顔をして、意味不明に胸を逸らして理真が宣言する。


 社は真っ赤な顔をして呆然としているし、宗一郎は笑いを堪えるのに必死のようだ。

 綾乃は本気で羨ましそうにしている。


「社、あんたがどんな破廉恥な夢を見てるのかは聞きたくないから聞かないわ。でも実際にあんたに唇を触れさせたのは私が最初よ。最初よね? 私の唇が他人に触れるのも初めてだからおあいこね、感謝しなさい!」


 もはや何を言っているか、理真は自分でもわかっていないだろう。

 あまりのことに社も言葉が出てこないようだ。


 羞恥と歓喜と、謎の優越感と少しの後悔。

 それらが綯交ぜになって、頭も目もぐるぐるしている理真である。


「嘘だね、理真は小学舎四年の時に、寝ている社君に……」


「きゃああああああ!言っちゃダメ!」


 理真の唇が他人に触れるのもこれが初めてという発言を訂正するために、理真の封じた記憶の箱をあっさり開けようとする宗一郎に、理真が叫び声をあげる。


 幼馴染というのはこれだから始末に負えない。


 何としても宗一郎の発言を遮ろうとした理真の意志に反応し、が現れる。


 召喚術士としてのマリアが常時召喚していた、マリアの術式全般の管制担当とでもいうべき小さな召喚獣。


 「プゥパ」と呼ばれていた存在が、ヘクセンヴァール世界ではないこの世界に召喚されたのだ。

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