第07話 少々際どい実証方法

 放課後。


 宗一郎は躊躇うことなく己が使える力を使用し、本来教師が同席しなければ許可の下りない生徒指導室の鍵を学年主任から借り受けている。


 これは三条家の力というよりも、宗一郎と理真という、登美ヶ丘高校において突出した学力を持つ二人からの申し入れであったことが大きいだろう。


である転校生、RIOこと春日部かすかべ 綾乃あやのを大きな問題を起こさずにクラスに馴染ませるために、事前に僕と理真さんで話をしておきたい」


 というお題目も用意されている。


 ただの男女委員長であれば教師陣も難色を示したかもしれないが、三条グループの御曹司と斎女家の御令嬢となれば、芸能人相手に浮ついている訳ではないと多少強引でも判断できる。

 入学後そんなに時間が経っている訳でもないのに、宗一郎と理真はその能力と立ち居振る舞いで、教師陣からそれだけの信頼を得ていた。


 すでに今年の一年生だけではなく、登美ヶ丘高校全体で突出した立ち位置になっている宗一郎と理真二人に任せることが、「人気芸能人」という多感な高校生の集団に投げ込まれた爆弾を処理するには適しているという教師達の判断は間違っていないだろう。


 渦中の一年三組の担任である新任教師から、その爆弾がある一生徒に奇矯な行動をとったことが報告されているとなれば尚の事だ。


 教師といえども一人の人間。


 毎日テレビをつければ映っているような有名人が不順異性交遊に突っ走られたりした日には、責任問題だのマスコミだのが頭にちらついて出来れば関わりたくはない。


 幸いにして優秀な宗一郎と理真二人が問題解決に乗り出してくれるというのであれば、願ったりなのだ。


 そこに社という、教師にとっても今日までモブ勢であった生徒が一人加わっていたところで咎めたりはしない。

 

「さて、これで落ちついて話を聞けるね、春日部かすかべ 綾乃あやのさん」


 宗一郎が当然とばかりに生徒指導室の鍵をかけるのを見て、社はぎょっとした。


 しかしそんなことに動揺しているのは社のみで、宗一郎はもちろんの事、女子である理真も綾乃も落ち着いたものだ。


 ――過剰反応しているのは俺だけか。


 オタク的には放課後の生徒指導室に男女二組、鍵をかけるとなれば薄い本展開を妄想してしまうのだが、健全な他の三人はそんなこともないようだ。

 あまりにテンプレな妄想をしてしまった自分に、呆れるとともに僅かに赤面する社である。


 実際はこの中で心の底から平然としていたのは宗一郎のみであり、理真にしても、つい最近艶めかしい明晰夢を見たばかりのリオ――綾乃にしてもちょっと人には言えない妄想が頭をよぎった事は秘密だ。

 

 場が保健室であれば、妄想が暴走した恐れもあるが、そんなことはおくびにも出さない女性陣である。


「はい……えっと、三条さんじょう 宗一郎そういちろうさんと、斎女いつきめ 理真りまさん……それに磐座いわくら……やしろ、でいいのかな?」


 一瞬で頭によぎった妄想を滅殺し、芸能界で鍛えた対人スキルを全開にして、多くのファンを魅了する穏やかな笑顔を浮かべながら綾乃が答える。

 綾乃――リオにしてみれば、ヘクセンヴァール世界における自分の主人と格上二人に尋問されるような状況であるのだ。


 正直なところを言えば、緊張を表に出さないようにするだけでも一苦労である。


 普通の高校生、転校生がこれから同じクラスになる同級生に取る態度としてはこれでよかっただろうか。

 中の人がブレドである社に様を付けている時点でもはやいろいろと手遅れなのだが、そんなことには思い至らない。

 綾乃――リオにしてみれば、もう全員に対してヘクセンヴァール世界の名を、様呼びさせてもらった方がよほどやりやすいというのが本音の所なのだ。


 ヘクセンヴァール世界の事を置くにしても、トップアイドルが転校生で、そのクラスには三条グループの御曹司と斎女家の御令嬢がいるとなれば、もはやなにをもって普通と称するのかという話ではあるのだが。


 そういう意味で普通なのは、社のみと言っていい。


 だがその社に今朝逢った瞬間から、綾乃はヘクセンヴァール世界の存在を疑っていない。


 己が「リオ」であることを、「リオ」が現代に生まれ変わった姿が春日部綾乃であると確信している身にとって、主にして旦那でもあるブレド、その両翼とも双璧とも呼ばれたジン、マリアを前にすれば緊張して当たり前だと思っている。


 正妃であればまだしも、一側室にとっては目の前の三人は雲上人だったのだ。


 当然のように社を「様」呼びな綾乃の態度に宗一郎は苦笑いを浮かべ、理真は不機嫌そうな顔をする。


「社君は、なんだ?」


 苦笑いの表情のまま尋ねる宗一郎に、綾乃は素直に驚いた。


「君呼びしてるんですか! あの……いいんですか、ブレド様相手にそんな……」


 宗一郎と理真の状況を詳しく知らない綾乃は、自分と同じように二人がヘクセンヴァール世界の事――社曰く「黒の王ブレドとその仲間たち」――を夢で見ていると思うのは自然な事だろう。


 綾乃の目から見ても、宗一郎と理真はジンとマリアそのものであるのだ。


「これは……僕や理真では検証になりそうにないね」


 綾乃の反応を見て、宗一郎がため息をつく。

 理真も悔しそうな表情をして、沈黙を保っている。


 宗一郎や理真の目から見ても、綾乃が嘘をついているようには見えない。

 そんな必要もないことはもちろんだが、がブレドに対してのような態度を取っていることに驚けるとなれば、いよいよ本物だ。


 自分で夢に見たことはなく、社の「黒の王ブレドとその仲間たち」の冒険譚でしかヘクセンヴァール世界の知識を持たない宗一郎と理真にとって、綾乃の言う事の真贋を確かめる術などない。


 改めてどうやら本物だと認めるしかない。


「もしかして……お二人は記憶も戻っていないし、夢も見ておられないのですか?」


 宗一郎と理真――綾乃にとってはジンとマリアでしかない二人の態度から、核心をつく。


 己の夢で見ていたり記憶がある程度戻っていれば、ブレドに対して今の宗一郎や理真のような態度ではいられるはずがないと、綾乃は思うのだ。


 それは言葉遣いだけを指しているのではない。


 ブレドと同じ空間にいる宗一郎と理真、その二人が纏っている空気がブレドと共にいるジン、マリアのものとはまるで違うのだ。


 ジンとマリアは誰よりもブレドに近い位置にいたが、馴れ馴れしかったわけではない。

 それどころか誰よりも、ブレドに傅いていたと言っていい。


 その二人が社――ブレドを相手に普通の同級生のようにしていられるとなれば、その結論に辿り着くことは難しくはない。


 ある意味羨ましいとも思いはするのだが。


 今のようにになる以前、おぼろげな夢を見ていた時であってさえ、綾乃はブレドに対して今の二人のように接することは不可能であっただろうと思うから。


「これは驚いたな。僕と理真については春日部さんの言う通りなんだけど……春日部さんは夢に見るだけじゃなくて、記憶としても持っているの?」


 滅多に見せない驚きの表情をしている宗一郎と理真。

 社はいまいちそれがどういう事かピンと来ていないようだ。


 確かに綾乃の言い方であれば夢で見るだけではなく、記憶としてもヘクセンヴァール世界の事を持っているようにも聞こえる。

 もしもそうであれば、社――ブレドよりもこの世界においてはヘクセンヴァール世界の事について詳しいという事にもなり得る。


 社は明晰夢とはいえ、夢でなぞっているだけで己の記憶として持っている訳ではないのだ。


「あの……もともとはおぼろげな夢程度だったのですけれど……えっと、をきっかけに、その……」


 ある意味ごく普通の質問であるはずの宗一郎の言葉に、俄かに顔を真っ赤にして挙動不審になり始める綾乃。


 綾乃が夢で見るだけではなく、としてリオの事を思い出し始めたのは、を見て以降の事である。

 それ故にこの転校を、周りのどのような反対も押し切って実現したのだ。


 宗一郎はすぐに気が付いたし、にぶい社もさすがに思い至る。


「あ、ああ、あれか……」


 宗一郎が止めようとするのも間に合わず、愚かにも口に出す社。

 愚かものめ、と言わんばかりに宗一郎は天を仰ぐ。


「――どんな夢?」


 今や真っ赤になってもじもじしている綾乃と、こちらも俄かに赤面した社を半目でにらむ理真の声は、絶対零度の冷たさを孕んでいる。


「え?」


 理真の深く静かな迫力に驚く社。


 宗一郎にとっては理真のこの反応は当然だが、理真にもう見放されていると思っている社にはその態度の理由がわからない。


「……そんなの、いえません」


 トップアイドルが、ただの恋する乙女のような仕草を見せる。


「ふうん……いえないような夢を見たのね。――二人で」


 社や宗一郎でさえ見たことのない、怖い笑顔が理真の美しい顔に浮かんでいる。

 こういうのを「女の貌」というのであるが、まだまだ幼い社にも、大人びているとはいえ経験のない宗一郎にもそれはわからない。


 男の子が男になるにはいろんな経験が必要だが、女の子が女になるには想い一つで十分らしい。


「しかし、これは……春日部さんの言っていることが本当かどうかの検証のつもりだったけど、こうなると社君の夢や春日部さんの記憶をどうやったら本当だと証明できるかを考えるべきかな。少なくともこの四人にとって、「黒の王ブレドとその仲間たち」の話は真実な訳だし」


 とはいっても、具体的な手段なんて思いつかないんだけどね、と宗一郎が苦笑する。


 宗一郎のその言葉に、理真も己の感情を抑えた様だ。

 社もトップアイドルである「RIO」に傅かれるという衝撃が抜けてからは、その事ばかりを考えている。


 妄想に過ぎないと思っていたものが、真実の可能性を帯びたのだ。


 「黒の王ブレドとその仲間たち」の知識を社以外で持っていたのがトップアイドルである「RIO」であったのも大きい。

 そんな与太話をする必要のない存在が、転校までしてきているのだ。


 ドッキリにしては少々規模が大きすぎる。


 それに転校の切っ掛けが、社が「黒の王ブレドとその仲間たち」の冒険譚を己の願望妄想だと思い知り、宗一郎に謝罪した例の淫夢だというのだから猶更である。


 「黒の王ブレドとその仲間たち」の冒険譚が、社の妄想ではなく前世の記憶なりなんなりであることが実証されたとしても、喜ぶのはこの四人だけで実際の生活には何の影響もない。


 ただ子供の頃から大好きだった物語が本物だったことに驚き、喜ぶだけだ。


 ――少なくとも社はそう思っていたのだが。


「そんなの簡単じゃないですか」


 何を言っているんだろう? というような綾乃の言葉で、社の日常は毎夜見ていた厨二な夢に侵食されはじめる。


「宗一郎様と理真様は、ジン様とマリア様なのですから……」


 社、宗一郎、理真が固唾を呑んで綾乃の言葉の続きを待つ。


「社様――ブレド様のをもらえばすぐじゃないですか。私なんて、朝触れさせていただいただけでほとんど全開ですよ。もともと歌と踊りくらいしか持っていないので知れていますけどね」


 ――なにが?


 と社、宗一郎、理真三人ともが思っている。


 同時に、まさか、とも。


 社が明晰夢で見聞きし、興奮して宗一郎や理真に語って聞かせた冒険譚。


 そこでの宗一郎――ジンはあらゆる剣技を使いこなす超絶の剣士であり、理真――マリアは強力な召喚獣を駆使する強力な召喚術士であったのだ。


 それが社――ブレドのをもって、この現実世界でも使えるとなれば、それはこれ以上ないくらいの「証明」となるだろう。


 だがそんなことが本当に可能なのか。


 そもそも――


って、どうすれば……」


 社、宗一郎も思っていたことを、熱に浮かされたような様子で理真が口にする。

 

「私程度であれば触れていただいただけで事足りますけれど、お二人の力は物凄いですから……体液とか?」


「ええええええぇぇぇぇ!!!」


 綾乃が宗一郎と理真が、ジンとマリアの力を使えることを当たり前のように思っている、つまり社のさえ得ればこの世界で、幼いころに心躍らせたジンの剣技やマリアの召喚術を使えるというとんでもない事実。


 だが初恋を拗らせている理真にとって、綾乃の言葉は別の意味でそれ以上の爆弾である。


「た、た、た、体液って……」


 顔を真っ赤にした理真の脳内で、どんな妄想が暴走しているかは特に秘す。


 別に汗でもなんでもいいのだ。


 確かに年頃の女の子が想い人の、例えば指を舐めるとか、手のひらを舐めるとかは赤面ものであるのは確かだろう。


 だが、今理真の脳内で展開されている体液摂取妄想のようなことは必要ない。

 その事に思い至り、理真が己の盛大な自爆を自覚するのは数瞬後の事となる。


 一方恋する乙女モード全開の理真とは違い、宗一郎は深い思索に沈んでいた。


 「黒の王ブレドとその仲間たち」の冒険譚が、記憶にとどまらずそれが本当であると立証されるというのであれば――


 宗一郎はジンであるのだ。


 そのは、人ではない。


 あまりの展開に興奮する社、自分の妄想で自爆している理真はその事に思い至っていない。


 だが宗一郎は怖れたり、絶望している訳ではない。


 むしろ逆だ。


 その深く思索に沈む端正な顔には、宗一郎自身も自覚していない笑みが浮かんでいる。


 宗一郎は、喜んでいるのだ。


 己が、ヒトナラザルモノであるかもしれないという事実を。

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