22 「オレはな、どちらも損をせず得をするのが俺の本望なんだよ」
22
幸一たちは東京駅内に在る喫茶店に入っていた。
「まさか、男性の方とは……」
改めて野原風花が男性だったことに驚く幸一。マジマジと野原の顔を覗う。間違いなく男性である。今までメールだけのやり取りだった為に、声を聴いたことは無く、こうした勘違いが生まれてしまっていた。
「すみません。その名前とかイラストの絵柄とかが女性っぽかったので、てっきり女性の方だったと思ったので……」
「いえいえ。気にしないでください、慣れてますから」
「失礼ですが、本名なんですか?」
「もちろんペンネームですよ。昔、友達が付けてくれたんですけど。その名前が気に入って、今のペンネームにしたんです」
へーと頷く。すると、志郎が話しに割って入ってくる。
「まぁ、それでも今時は珍しくないからな。男性が女性っぽい絵を描いたり、逆に女性が男性っぽい絵を描いたりするし。ほら、錬金術の漫画を描いていた人なんて、男性の名前っぽいのに女性らしいぜ」
なぜ志郎が同席しているかと言うと、野原風花と知り合いだったということもあり、代理人のように仲介役として買って出たのである。
志郎はアニメの制作進行という仕事柄、こういった仕事をまとめることに慣れているというのも理由にあった。
「さてと。そろそろ、本題に移ろうか。時間的にも厳しいし」
「ああ、そうだな」
今回の打ち合わせは、オリジナルキャラクターのイラストの方向性と契約周りの確認である。
「それじゃ、高野さんのメールで、キャラクターのモデルは猿が良いといったので、それをモチーフにしてラフを描いてみました」
野原は鞄の中から数枚の紙を取り出し、机に拡げていく。紙には、様々な可愛らしい猿のイラストが描かれていた。
「どうですか?」
幸一と志郎は机に覆いかぶさり、それらを凝視する。
「いいですね。やっぱりこうして絵になっていると、なんか実感が沸きますね」
猿をデフォルメにして可愛く描かれていたり、人間の女の子のようなものが描かれていたりした。動物など非人間であるものを人間風に描くことを擬人化、特にこの場合は萌え擬人化というが、当然幸一のような一般人は知らない知識である。
「でも、こういうのは……」
幸一は、その擬人化が書かれているイラストを手に取った。
「何言ってる。こういうのが良いんだろうに」
志郎がツッコミを入れると、野原がすかさずフォローを入れる。
「はは。伊東君ならそう言うだろうと思った」
志郎は、デフォルメされた方のイラストを手に取り、
「確かに、こっちのデフォルメされた絵の方が万人受けするかもしれないけど、前にも言ったけど盛り上がらないんだよ」
確かにデフォルメされたキャラクターものは、今の御時世では溢れかえって当たり前な状況になって、珍しさなど無くなってしまっている。
「んで、こっちの萌え~なキャラをマスコットキャラに採用した方が、ギャップが有って注目を浴びるんだよ。まあ、最近はそういった萌えなキャラクターを採用している所も増えてきたけど……」
「でも、ウチの上司があまりこの企画に乗り気じゃなくてな。荒波を立てないようにしたいんだけど……」
実は、会議に提出した本企画書のキャラクターイラストの資料は、大半がひこにゃんやくまモンといったデフォルメされたキャラクターだった。志郎が勧める萌えキャラクターなどのイラストは、一部の例として挙げていただけだった。
「馬鹿か。上司のために町興しをやってるんじゃないだろう。市民に注目、県外の人達に注目を集めるためのものなんだから、それなりのインパクトが無いと駄目だろう!」
「まぁ、まぁな……」
正論だった。新しい試みは、いつだって古い考えによって否定されているものばかりだ。だからこそ、稲尾市長は若い幸一の背中を押してくれていたのであろう。
「それじゃ、こっちの擬人バージョンの方向で進めていくことで良いですかね?」
野原は幸一と志郎のやり取りを見つつ、方向性を確認するが、「ん~」と、幸一は悩む。
志郎が言っている意味は理解できる。こういった萌えキャラクターで町興しをやっている方が、普通のデフォルメのマスコットキャラクターをやっている市町村と比べて、ネットなどで取り上げられている数が多かった。しかし、普通のデフォルメされたキャラクターの長所の部分もある。
「途中で、変更することは可能ですかね?」
「んっ?」と、志郎が声を上げ、野原の代わりに訊ねる。
「なんでだよ?」
「なんでって……。もし、擬人化が反対されて、デフォルメ(こっち)のにしろと言われたら……」
ダメになったことを考慮する。幸一たちが学んだ対応策だったりする。しかし、
「その分、料金かかっちゃうぜ?」
「えっ?」
「あったりまえだろう。ある意味、キャラクター二体分も制作することになるんだから」
その言葉に幸一は、チラっと野原の方を覗う。
「そうですね。まったく、デザイン的に違うものですから、途中でデザインを変更してくれと言われても、再デザインや修正する手間とか時間がかかりますから……」
そして志郎が補足する。
「だから、最初からそれを考慮して二体分キャラクターを用意して置かなければいけないから、二体分のキャラクター制作が必要になるんだよ」
納得する幸一。
「そうですよね……。では、野原さん的には、どちらが良いと思いますか?」
「どちらと、言うと?」
「野原さん的には、どっちが描き易いというか、作り易いというか?」
「う~ん……そうですね。描けと言われれば、どっちでも描けますけど……。個人的には、デフォルメの方が自分に合っていると思います。でも、デフォルメよりも、こっちの方が周りの反応良いと思いますよ」
野原はそう言いつつ、擬人化の方のイラストに指を指した。
「そうですか……。ちなみに、志郎はどっちだ?」
「オレも、こっちの萌え~の方だな。確かにデフォルメの方が万人受けするけど、万人=平凡というのが、オレの中の経験で学んだことだよ。万人受けを狙って、失敗した作品は数えきれないぜ」
「でも、受け狙いの作品で失敗したのも数えきれないけどね」
野原からツッコミを入れられて、渋い顔を浮かべる志郎。
「……まぁな。結局は、その時勢に合ったキャラクター性が有れば良いだけのことだけどな。責任重大だな、野原くん」
「プレッシャーをかけるようなことは言わないでくれよ」
聞き耳を立てつつ二人のやり取りを聞いていたが、幸一は決められずにいた。
「野原さん。大変申し訳無いですが、キャラクターの方向性はひとまず待ってくれませんか」
「それは良いですけど。何時までかかりますか?」
「期限があるので、そんなに遅くは無いと思います。遅くとも一週間以内には、どちらかを決めて、ご連絡を差し上げます」
「そうですか、分かりました」
「さてと、次は契約の方ですよね……」
そう言うと幸一は、鞄から契約書を取り出した。契約書には、作成して貰ったキャラクターイラストの使用方法と作成して貰うキャラクターイラストの種類と数、そして報酬額が書かれていた。三人は契約書に目を通しつつ、幸一が口頭で説明した。
要点は、描いて貰うキャラクターイラストは十点。
そのキャラクターイラストの版権などの権利は伊河市観光課が買い取り、伊河市観光課が有する。
利用方法は、伊河市役所のサイトのデータ媒体、パンフレットなどの紙媒体など、主に観光目的に使用する。その契約書の内容について、またも志郎が口を出す。
「報酬額、ちょっと安過ぎないか?」
「大変申し訳ないですが、精一杯出せる額です」
幸一は志郎では無く、野原に向けて話しかける。当の本人(野原)の意見としては、
「そんなに悪くは無いかな。イラスト十点描いて、これだけ貰えたら充分だよ」
「本当か?」
「前に、ソーシャルゲームのカードのデザイン依頼が来たけど、あれと比べたら、あっちの方が雀の涙だったよ」
「はは、なるほど。そういえば、二次利用とかの権利はどうなっているんだ?」
「二次利用?」
聞き慣れぬ言葉に幸一が復唱した。
「ああ。要は、このイラストの利用方法のことだよ。例えば、伊河市役所がサイトやパンフレットなどでキャラクターイラストを利用することを一次利用と言う。そして、二次利用というのは、その伊河市役所以外がこのキャラクターイラストを使用する場合だよ。例えば、ある菓子屋が、このキャラクターイラストを、お土産の台紙に使いたいと言ってきた場合、使用料を徴収するかしないかで、作者にその使用料を支払うかってヤツだよ」
「ああ、なるほど。そうか、他の業者にキャラクターイラストを使わせることか……」
「どうなんだ?」
「そこは、想定していなかったな……」
「そこら辺はしっかり決めておかないと、後々でゴタゴタする場合があるからな。ほら、あのひこにゃんの件がそうだな」
ひこにゃんとは、滋賀県彦根市のマスコットキャラクターとして有名だが、そのキャラクターの原案者と依頼者である彦根市がキャラクターイラスト(ひこにゃん)の使用について問題が起きたことがあった。後にひこにゃん騒動と呼ばれるものである。
「ちゃんと使用方法について取り決めて置かないとな。もし幸一と野原が醜い争いをすることになってしまったらと思うと……」
「ヒドイな、僕はそんなことしないよ」
「いーや、金が絡むと人間は変わるからな~」
志郎のイヤミに野原は愛想笑いで返す。そして、幸一も一考する。ひこにゃん騒動については、計画書を作成していた時にざっとではあるが把握していた。
「野原さん、私的には…というか伊河市的には、このキャラクターは色んなものやことに使用したいとも考えています。志郎が言う通りに、伊河市のお土産屋とかの業者に、このイラストを提供して利用して貰いたいと考えています。ですから、出来れば極力無償で利用して貰いたいので……」
「ええ、構いませんよ。自分のイラストと著作権は買い取る形で。ただ、もし新規画像が必要になる場合は、自分に描かせてください。他の人が描いたものを伊河市のオフィシャルのものとして出しては欲しくないですね」
「それで良いのか。二束三文で、自分のキャラクターを手放して?」
「買い取って貰った方が、スッキリしていて良いじゃないか」
「でもな……」
まるで自分のことの様に志郎は、野原と幸一に対して利用に関する金銭についてアレコレと食い下がる。そんな志郎を見つつ、幸一が一言を漏らす。
「オマエはどうしたいんだよ?」
「オレはな、どちらも損をせず得をするのが俺の本望なんだよ」
その言葉に野原が「お~」と感嘆な声を漏らした。
「そうですね。それじゃ……」
今までのやり取りをまとめ、契約は既存のままを踏襲し、他のデザイナーにキャラクターイラストを描かせない。新規に必要になった場合は、新たに野原風花(本人)にキャラクターイラストを発注し、デザイン料もその都度交渉して決めるという、野原の要望を出来る限り考慮した条項を加えることにした。
「それでは修正した契約書は後日、野原さんに送付いたしますので、よく目を通した後に、問題がなければサインして、再送してください」
「解りました」
「イラストの方は十一月末までにお送りください。支払いは、納品確認後、一ヵ月後にお振込みするということで良いですか?」
「はい、それで構いません」
一通り契約内容などの確認と詰めを行い、打ち合わせは一段落したのであった。
「本日は、ありがとうございました」
「いえいえ。自分なんかのために、遠い所からお越し頂きまして、恐縮です」
幸一と野原は契約了承の証として、握手を交わした。
「あ、すみません。バイトの時間が近づいてきたので、これで失礼いたします」
「バイト?」
「ええ。絵だけでご飯を食べるようにしたいんですけどね。それじゃ、僕はこれで失礼します」
「ああ、はい。あ、野原さん。よろしくお願いいたします!」
野原は軽く会釈し、その場を後にした。
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