8 「アニメやマンガのキャラクターを使用した観光企画です」

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「な、なんだ、この企画は!」


 伊河市役所の観光課に、課長・村井茂雄の声が轟いた。観光課の職員達は一斉に茂雄と幸一の方に視線を向ける。茂雄の手には、昨夜幸一が徹夜で作成した企画書を持っていた。


「アニメやマンガのキャラクターを使用した観光企画です」


 幸一は企画のメインコンセプトを口にした。


「アニメやマンガのキャラクター? こんなのが観光のイベントになるというのか?」


「はい。人気アニメや人気マンガのキャラクターの知名度はあります。それらキャラクターに興味を持っているファン……。まず子供や若者達に、キャラクターを通じて伊河市を知って貰うことにコンセプトを置いています」


「馬鹿か。アニメとかのキャラクターが宣伝してどうするんだ? だったら、そんなのより芸能人を使えば良いだけのことだろう!」


「それでは普通ではないですか。こういったアニメキャラクターを使用することで、物珍しさで色んな媒体……ネットとかで取り上げて貰えるような話題性があるからです。

 ヘタに芸能人を起用するより、効果があると考えています。現に、他の市町村の町興しや一般企業でも製品のCMなどにアニメキャラクターを起用しているものがあり……」


 茂雄に指摘されるであろう懸念点に対して予め備えていたために、理由をスラスラと述べられたが茂雄はどうやら納得していない様子。


「だから馬鹿か。そもそも、この観光イベントには市民の税金が使われるんだぞ。こんなものに市税を使ったら、色んな所からクレームが有るじゃないか! どういう理由を付けるんだ! こんな子供じみた事に、税金を投入出来ると思っているのか!?」


 アニメ・マンガのキャラクターを使用するということが、公務員一筋の茂雄には理解出来なかった。だからこそ自分が納得出来ないことに対して、幸一の案に熱心に噛み付いているのだ。


「ですが、他の市町村などで、こういったアニメやマンガキャラクターを使った町興しを行っている所があります。前例が無い訳ではありませんし、理解を得られていると思います」


 幸一は説明を続けるが、


「余所は余所だろう。それで本当に効果が有ったのか?」


「それについては、資料を添付してあります」


 茂雄は、その資料に目を通す。埼玉県の街では、三十億円の経済効果があったなどと書かれているが、茂雄は己の経験上、それらの数字は信じようとしなかった。

 それは幸一が企画を通そうと、でっち上げてきたものだと、失礼極まりない思考を巡らせていた。


 そんな茂雄と幸一の様子を、初老の男性が廊下の角でそっと覗っていた。


 薫がその男性に気付き、声を出そうとするが、男性は薫の方に手の平を向け、静止させた。そのまま静かに茂雄と幸一のやり取りを眺め続けた。


「だがな、こういった子供騙しな企画が良いと思うか? そもそも高野くん。良いか、今回のプロジェクトの重大さを理解していないようだな。良いかね。

 町興しとなる観光イベントだよ。それがアニメとかマンガなキャラクターを使ったからどうなるというんだね。そんな子供にしか見向きもしないようなもの」


「ですから、それが……」


「こんな幼稚な企画を考えるぐらいなら、もっと面白い企画を考えてくるんだ!」


 茂雄の一段と大きく重く濁った声が観光課もとより市役所内にも響き渡るようだった。

 重苦しい静寂が訪れる。

 各職員が自分達の仕事に戻ろうとした時だった。


「そうかね。私は面白そうなアイディアだと思うが」


 声の主が茂雄と幸一の元へと近寄ってきた。

 その人物は、伊河市役所の職員ならば全員知っておかなければならない人物だった。


「い、稲尾市長!?」


 茂雄が、その人物の名を口にした。

 現伊河市長の稲尾久雄。御歳六十五歳。歳に見合った白毛混じりの髮に、歳を重ねた分だけのシワが入った顔に、ふっくらとした体格は温和な人柄を醸しだしていた。


 稲尾が市長職に就く前は、都会の出版関係の社長を勤めていた。定年を機に退職し、故郷伊河市へと戻ってきたのだが、寂れた故郷を何とかしたい思い、去年の市長選に出馬し、見事に当選を果たしたのだ。


 そして今回の茂雄と幸一の騒乱の原因となっている町興し観光プロジェクトの発案者でもあった。


「ど、どうして、こちらに?」


「皆の仕事の様子を見に来ました。その観光イベントの件も含めてね。それで、えっと……」


 自分の顔を伺う稲尾に対して、幸一は察する。


「あ、高野幸一です」


「ああ。高野くんね。うん、高野くん。君が言う通り、話題は有ると思いますし、私は面白いと思います。確かにマンガやアニメは日本のみならず、世界的にも人気があり評価されていると聞きます。もし、これが上手くいけば海外の人達を呼びこむことが出来るかも知れませんね」


「「へ?」」


 幸一と茂雄は同時に呆気に取られた声をあげつつも、稲尾は話しを続ける。


「これからは、日本だけではなく外国からも観光客をどんどん誘致していかなければならないのは周知の事実ですよね」


 確認を取るかのように語りかけると、「あ、はい」と茂雄が答える。


 事実、ここ伊河市元より、日本全国の観光地では海外の観光客の誘致に力を入れている。

 外国語の標識や案内図、パンフレットなども充実させており、場所によっては外国のお金が使えるところもある。


 その日本人よりも外国人誘致への力の入れ具合に、当の日本人からおかしいと思われたりする始末でもあった。


「先ほど村井課長が言うように芸能人を起用してアピールするのもアリです。むしろそれが今まで常識です。しかし。日本の芸能人では、そういった外国のお客さんを呼び込めるかというと、弱いと思います。そう思いませんか?」


 ツラツラと理由を述べられて、「そ、それは……」と、言い返す言葉が見つからず困る茂雄。


「村井課長。こういった企画というのは、今まで発案されたことは?」


「……な、無かったと思います」


「そうですよね。だがしかし、こういった違う視点で伊河市を盛り上げるのも一つの方法だと、私は考えます。それに村井課長は、今回のプロジェクトの意味をよく理解してくれていると思いますが」


「そ、それは……も、勿論です」


 その発言に「それは心強い」と言葉をかけ、にっこりと微笑む稲尾。そしてその表情を、この場にいる観光課の職員たちに見せるかのように振り返った。


「私だけが目標に向かって走っているだけでは、目標を成し遂げることは出来ません。ここにいる一人一人が、今回のプロジェクトの本質を理解し、全員が目標を成し遂げようと行動を起こさなければいけません」


 去年行われた選挙の時の演説のように語る稲尾。

 自分らの背中を力強く押す言葉に、なぜ稲尾が市長に当選したのかを示すようだった。


「さて、高野くん。君の企画は面白いです。確かにアニメなどは、子供や外国の方などにも興味を引かせるものだと思います」


 茂雄の評価とは打って違い、役職が高い稲尾の好意的な意見に少し口元が緩んでしまう幸一。


「そうですね。今度の町興し会議に、この企画を提出し、説明してください。ただし、このままのものでは説明不足の点や現実的では無い点も多々あるので、もう少し具体的に内容を詰めてください。

 ああ、それと。

 ただ単にアニメのキャラクターを使用したりするのは、少し望ましく無いですかね。許可や版権とかの権利が問題になってくるので、少々面倒になると思います。なので、出来る限り現実的に可能なもので、伊河市独自のものに仕上げてください」


「え……あ、はい。わ、わかりました……」


 明確かつ的確な指示に、そして物事が一気に進んでしまった為に、幸一は思わず尻込みしてしまう。


 すると廊下の奥から、オールドミスという言葉が相応しい女性がやってきた。


「あ、稲尾市長。こんな所に居たのですか? 大友市の方がお見えになられていますよ」


 その女性は、市長秘書の松山だった。


「おお。そうか、もうそんな時間ですか」


「そうですよ。早く第三会議室の方に来てください!」


 稲尾は松山に促されるまま、その場を後にしようとしたが、幸一の面と向かう。


「ああ、高野くん。君の企画案は少し特殊ですから、出来ることなら、そういった事に詳しい方に助言を求めると良いと思いますよ」


「は、はい」


「それでは村井課長。よろしくお願いしますよ。みんなも仕事、頑張ってください。それじゃ」


 こうして稲尾は松山の背中を小走りで追いかけて、観光課を後にした。まるで嵐が去った静けさのように、幸一を含む観光課の職員一同は黙した。


 すると電話機のコール音が鳴り響き、その音と共に観光課の職員たちは現実に引き戻された。


「ほら、君たち。業務に戻る!」


 茂雄の一喝で、通常の業務が再開された。

 幸一も自分の席に戻ろうとすると、「た、高野くん」と茂雄に呼び止められた。


「市長がああ言ってくれたのだから、しっかり頼むよ」


「あ、はい、わかりました」


 先ほど正義は自分に有りと思っていた茂雄の口調は、非常に弱くなっていた。茂雄の簡素な言葉に、幸一もまた簡素な言葉で返すしか無かった。そして、自分の席に戻ると薫がヒソヒソ声で話し掛けてきた。


「なんというか、稲尾市長って理路整然と語っていきましたね。流石は、元は会社の社長を勤めていただけはありますね」


「そうだね。考え方が柔軟というか、今までの市長が勉強ばかりしてた固い人達だから、ああいう経営を学んで、経営を経験してきた人の言葉は、なんか違うよね」


「そうですね。あ、面白い企画案ですね、先輩の。アニメのキャラクターを使うか……。確かに遊園地とかで…なんでしたっけ。ああ、ヒーローショーとかやって、お客さんを集めるイベントとかありますもんね」


「ああ、そうか。そういったものもあるね」


「市長命令ですから、先輩の案は確実に行われるということですよね。イイな~」


「はは、イイな~か……。そうだ、飯島さんはアニメとかに詳しい?」


「え~と。子供の時はプリキュアとかは観てましたけど、最近は全く観てませんね。あ、ジブリ作品は観てますよ」


「ふ~ん。やっぱり、そうか……」


 幸一が、事の重大さと大変さに、気付くまであと少し先の事だった。

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