7 『アニメ 観光』

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 翌日。幸一は自分の職場―伊河市役所の観光課―に遅刻すること無く辿り着き、いつものように自分の席に座ると、パソコンと睨めっこをしていた。


 午前九時前だと言うのに、市役所内には住民票などの必要な書類を求めてやってくる住民などで賑わっていた。


 市役所には市民課、会計課など様々な課があるのは当然で、住民の生活を支え、管理しているのである。また、市民サロンやここでしか買えない伊河市のお土産などを売っている売店があり、市民と観光客の憩いの場としても提供している。


 幸一が所属する観光課にも多くの住民、または観光客などが訪れる。観光課は、伊河市の重要な課である。


 幸一の仕事は、観光客とかに伊河市の観光スポットを説明したり、または観光スポットを調べ・まとめたりして、広報活動を行っている。または観光客の苦情、ホテルなどの観光地からの苦情なども一手に引き受けている。なので観光課は、他の課よりも違った賑わいがあった。


 忙しい職場に関わらず、「ファ~~」と、幸一は大きくだらしない欠伸をしてしまった。


「どうしたんですか、先輩。大きなあくびですね」


 声をかけてきたのは、隣の席に座っている飯島薫。


 肩まである髪を後ろに結止め、軽快な髪型にしていて、明るい女性である。幸一よりも六歳年下で、今年大学を卒業して、この観光課に配属された新入職員。


 といっても、正規の雇いではなく、臨時職員。

 世間一般的に言うのであれば、パートや契約社員のようなものである。


 お役所勤めをしている職員が全員、安定した公務員では無いのだ。しかし、もちろん臨時職員から正職員になることも極めて稀に在り得るので、その可能性を信じて日夜頑張っている。


「いや……。ちょっと、夜遅くまで企画を考えていてね……」


 本当は妹の声にそっくりの伊吹まどかの事を調べていたのだが、幸一は真実を語るよりも有体の理由を述べてしまった。


「高野先輩もですか。それで、どうですか企画。なにか良いアイディアが浮かびましたか?」


「これといって……。飯島さんの方は?」


「私のは、こういうのを考えてきました。どうですか?」


 薫はそう言うと、自分の机の上に置いていた書類――企画書を幸一に渡した。

 企画書の表紙には、『定年だよ退職者全員集合』と、書かれていた。


 幸一はパラパラと企画書を捲り、内容をサッと確認する。それは、年齢が六十五歳以上だったなら伊河市のホテルや施設などの利用料が割引される内容だった。


「なるほど、ご年配向けの企画だね」


「はい、そうです。温泉旅行に行きたいと思うのはご年配の方が多いですから、ご年配客を引き込むイベントとか特典を付ければ、効果があるかなと」


「確かに……。というか温泉旅行に行きたいと考えるのは、確かにご年配の方が多いだろうな。若者は旅行よりも都会や、あのネズミの王国に行く方が楽しいんだろうし……」


「ですよね……。ぶっちゃけ、私。温泉旅行ってピンっと来ないんですよね。地元だからってのもあるんでしょうけど」


「そうだよな……。あれ、飯島さんって何歳だったけ?」


「え~。女性に年齢を訊くのは失礼ですよ?」


「何言っているんだが。失礼にあたる年齢じゃないだろう?」


 薫の定番の返しに、幸一は軽いノリで問い返した。薫は冗談のつもりで答えたので、その意図を汲み取っての返答だった。その証拠に薫は笑みを浮かべて、会話を続ける。


「ふふ、二十二歳ですよ」


「ああ、そうか。新卒だったよね……。若いな~」


「何言っているんですか。先輩だってまだ二十代じゃないですか」


「二十代と言っても二十八歳。四捨五入すれば三十だけどね」


 会話が盛り上がる二人を裂くかのように、「オッホン」と誰かの咳き込む音が響いた。その主は、観光課の奥に陣取っている課長――村井茂雄のものだった。


「おっと……仕事ですね」


 二人は茂雄の「無駄話をするな」という威圧を示す注意勧告に、自分のパソコンのディスプレイに顔を向けた。


『そうだそうだ。今は仕事の方を集中しないと……』


 幸一は心の中で呟きながら自分の仕事……今週報告された市民や観光客の苦情などのまとめることにした。


 メインの仕事をこなしつつ、観光企画を考えなければならない。少し手が空いた合間にアイディアを書き留めたり、インターネットで調べたりした。


「若者は温泉にあまり興味がない……だったら若者に……若者が目を向けて、足を運んで貰えるようにすれば……。若者に好まれるものと言えば、アイドル、芸能人……そういった人たちを呼んで……いや、ありきたりだな。他には……」


 幸一は薫と話し合った事を振り返りつつ、企画のポイントとなるものを抽出していた時、


「あっ、そうだ!」


 ふと昨日の深夜に観たアニメが頭をよぎったのである。


「どうしたんですか?」


 幸一がつい漏らした言葉に薫が反応した。


「あ……いや、何でもない。こっちのこと……」


「あ、そうですか」


 自分の業務に戻る薫。それを横目に、幸一は浮かんだアイディアを頭の中で練り込む。


(昨日観たアニメって、大人とかが観るんだよな。そういえば伊吹まどかのことを調べていた時に、アニメを使って町興しみたいなことをしているという記事をどっかで見かけたな……)


 早速、文明の利器――インターネットで調べようとしたが、流石に仕事場でアニメの事を調べることに背徳感があるため、幸一はネットブラウザのウィンドウを少し小さくして、検索窓に『アニメ 観光』と打ち込み、検索を行った。


「……これだ!」


 幸一が見つけた記事は、アニメの舞台のモデルとなった町の神社に三十万人の参拝者や大勢の見学者が訪れたというものだった。

 アニメが良い宣伝となっていることが、つらつらと書き述べられていた。


「アニメって結構、影響があるんだな……。もしかしたら、伊河市を舞台にしているアニメとかがあるかも。よし、これだ!」


 幸一は確信を持った。思い立ったが吉日の如く。思いついた事を書きまとめようとしたが、自分の机に置いている電話機が鳴り出す。薫は既に別の電話に出ており、幸一はワンコールが鳴り終わらぬ内に受話器を取った。


「はい、伊河市役所観光課、高野です。え、はい……はい。その件に関しましては……」


 今すぐに企画書作成に取り掛かりたいが、今は本業の方が優先である。頭の隅に置いて、いつもの通りに業務に励んだ。


 仕事が一息ついたのは、就業時間が終わってからだった。


「あれ? もうこんな時間か……」


 就業時間以内に終わらなければ、必然と残業をしなければならない。


 しかし、世間にとってはオカシなことだろうが、役所の仕事は残業が厳禁となっている。


 なぜなら、公務員は全ての職業の見本となるべきである。そのため、公務員が率先として残業することは、それを推奨と捉えられてしまうのは大変よろしく無いということで、役所の仕事で残業は禁止されているのだ。

 だから―――


 幸一は、駅前のネットカフェに来ていた。個室を借り、今日やるべきだった企画書作成に取り掛かっていた。


 ネットカフェは集中して作業する上では、実は市役所の自分の机よりも敵している場所といっても過言ではない。


 図書館と同等の静けさ。図書館と違って、コーヒーなどのドリンクが飲み放題。但し、自分で取りに行かなければならないが。


 それにお腹が空けばピザやカレーなどのサイドメニューは電話一本で届けてくれる。特に電話が鳴らないことが何よりも作業が捗る理由である。


「さてと、まずは……」


 アニメなどを使用して観光や町興しを行っている情報を調べた。幸一は思う。


「本当にネットは便利だわ」


 アニメが舞台となっている作品や地域がズラズラと表示された。埼玉県の鷲宮、岐阜県の高山、千葉県の鴨川、茨城県の大洗などなど。


 一昔、こういった情報を調べようとしたら、色んな本などを読んだりして探さなければいけないのだが、今ではこうして机に座って、キーボードを打ち込むだけで欲しい情報が出てくる。


 文明の発展に感謝しつつ目的のものを調べていくが、幸一は肩をガックシと落とした。


「伊河市を舞台にしているアニメは、無いか……。まぁ、そりゃそうだよな。アニメの舞台とかになっていれば、それなりに話題になっているだろうし……」


 などと独り言を漏らしつつ、壁に貼られていた紙に目が付く。

 紙には『読んだマンガや小説は元の場所に戻してくださいね!』という注意書きと共に可愛いらしいメイド娘が描かれたイラストも添えられていた。


「そうか。マンガや小説とかでもアリだな……」


 改めてマンガと小説に範囲を拡大して探して見ると、二作品有ったが……。


「里見ハチ犬伝? ソラノコトノハ? 知らないな……大した人気は無いみたいだな……」


 アニメ・マンガの知識に乏しい幸一だが、そんな幸一が知らないで当然なほど調べてみても両作品はそれほど名のある作品では無かった。


 伊河市が舞台であっても、人に知られていない(知名度が無い)作品では観光イベントは成り立たない。


 このままでは頓挫してしまう。どうするかと頭を抱えていると、ふと棚に並べられている本に目が付いた。


 ここはネットカフェ。一昔前は、マンガ喫茶とも呼ばれていた。場所柄にしてマンガがあることは必然ではある。


 並べられている本は、ドラゴンボール、ドラえもんと日本国民ならず世界中の人たちでも存じているものばかり。幸一は、ある事を思い出した。


「そうだ。確か、ドラえもんとかは引越し屋のCMとかで使われていたよな。ドラゴンボールも何かの……確か目薬のCMに使われたことがある。もし、ドラえもんとか悟空を伊河市のイメージキャラクターに使えれば……。うん、イケルぞ!」


 世界的に大人気のキャラクターを使って宣伝する。まさに虎の威を借る狐戦法ではあるが、他の所でも芸能人を使って宣伝したりしている。それがアニメのキャラクターに代わっただけ。


 早速、この熱い勢いで企画書制作に取り掛かろうとした時、隣の個室から壁を叩かれてしまった。幸一の思わず零れていた独り言が、静かな空間だからこそ響き渡ってしまったようだ。


 幸一は平謝りしつつ、自分のノートパソコンを取り出し、改めて企画書制作に取り掛かった。

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