*アルラウネの誘惑

「お?」

 ダグラスは、庭から見えるガレージにシャッターを動かした形跡があることを確認する。帰ってきていると喜び勇んで全自動ガレージを横目に玄関のドアノブを掴んだ。

「おっと! 鍵、鍵」

 オートロックだったと急いで鍵を取り出し鍵穴にキーを詰めて回した。

「ただいま~」

「おかえり」

 荒い息を整えリビングに足を向けると、聞き慣れた声が帰ってきてホッとする。

「あとで聞かせてよ!」

 言って階段を駆け上がり荷物をベッドに投げ置きその勢いのまま階段を駆け下りて、リビングに投げるように体を滑り込ませた。

「慌てるな」

 ベリルは二つのティカップをリビングテーブルに乗せソファに腰を落とす。

「どうだったの!?」

 ダグラスは優雅に紅茶を傾けているベリルの後ろで背もたれに両手を乗せ、早く聞きたいと急かすように問いかけた。

「死者はゼロ。重傷者は相手に一名。全員、警察に引き渡したよ」

「どんな作戦だったの? 相手はどんな火器使ってきた? 手強い奴はいた?」

 機関銃のようにベリルを質問攻めにした。彼はそれに嫌な顔もせず一つ一つゆっくりと答えていく。ベリルが帰ってきた日はそれだけで終ってしまう。

「あ、そうだ」

 ひと通り答え終え、ブランデーを取りにキッチンに向かうベリルにふと思いついて横に並んだ。

「ほら」

「ほう?」

 ベリルは同じ目の高さになった少年に感心したような声をあげる。

「人の成長とは速いものだな」

 さすが成長期だ、ダグラスの身長はこの二週間でベリルと同じ百七十四センチに到達していた。

「すぐに追い越しちゃうね」

 嬉しそうに発するが、ここのところ急激な成長で関節の痛みが激しい。ベリルは、当分はきつめのトレーニングは避けるようにと指示をした。

 夕飯時にもダグラスの質問は止まらず、それは遅くまで続いた。


 ──次の日、案の定ダグラスは寝不足で目をこすりながらリビングに降りてくる。

「おはよ~……」

「おはよう」

 疲れの残る様子のダグラスとは違い、ベリルはいつも通りに朝食を準備し終えソファに腰掛けてコーヒーを傾けていた。

 こういう時だけはベリルの不死が羨ましく思える。しかし、「不死にしてやろうか」と誰かがもちかけても当然、「NO」と僕は答えるだろう。

 ベリルは不可抗力で不死になったらしいけど、死なない体じゃなく死ねない体になるのは勘弁したい。それで正常な意識を保っていられるのはベリルくらいだと思う。

 中世やそこらの時代ならともかく、この情報社会では住みづらいことこのうえもない。山奥に引きこもりで仙人みたいな生活なんてしたくもないし。

 眠いけれど目が覚めてしまったダグラスは、長い溜息を吐き出しながら冷蔵庫から牛乳を取り出してグラスに注ぐ。

 一気に喉に流し込み、口元をぐいと手の甲で拭って二杯目を注いだ。

 今日は学校は休みだ。それを考慮してか、ベリルは自由につまめるサンドイッチを作っていた。

 考えたら、今日ゆっくり聞けばよかったんだよな。早く聞きたいものだから焦ってまた質問攻めにしてしまった。反省しつつサンドイッチをつまんだ。


 ──それから数ヶ月が経ち、十七歳になったダグラスは晴れてハイスクールを卒業した。その間にベリルは一度、麻薬組織壊滅に動き見事に成功させる。

 留守番をしていたダグラスは、もちろん質問攻めにしてその話に聞き入った。単なる好奇心で聞いている訳じゃない。他人の話からも自分の力として吸収するものがあるからだ。

<大学はどこに?>

「近くの大学に通うそうだ」

 ベリルはダグラスがいたクラスの担任だったレイチェルからの電話をリビングでくつろぎながら受けている。

<寮には?>

「いや」

 自由の利かない寮になどダグラスはもとより入る気はなく、ベリルが提案する前に「入らないからね」と答えていた。

 余力があるなら傭兵としての知識を少しでも身につけたいダクラスにとって、師であるベリルから離れて寮に入るという考えは初めからない。

<彼の学力ならもっといい大学にも入れますのに>

「あそこは生物学に力を入れていてね」

<生物学……?>

「ダグは人体について勉強するつもりらしい」

<そうですか。それで、彼は何年で出るつもりだと?>

「二年で試験を受けると言っているようだが、三年は必要だろう」

<彼の担任になれて幸せでしたわ>

「そう言ってもらえると有り難い」

 通話を切り、思い出したように口元を緩めた。それは、ダグラスの成長をほほえましく思う感情からなのか、自分が親代わりをしているという呆れからなのかは解らない。

 すでに入学試験には合格し、数日後には大学に通う事になるダグラスはその準備に追われていた。

 この先、よほどの事がない限り手助けをするつもりはない。いつまでも子どものままではいられないのだ。ダグラスもそれを充分に理解している。

 季節は十月、オーストラリアは雨期の始まりを迎えていた。むしむしする湿気のなか珍しく晴れた今日、ダグラスは買い物に出かけていた。

「ただいまぁ~」

 沢山の荷物を抱えていたダグラスは、リビングに入るなり持っていた紙バッグをドカッと床に投げ置いて足早に冷蔵庫に向かった。

「おかえり」

「──っぷは~。生き返る」

 ベリルの作ったウーロン茶をラッパ飲みし溜息を吐き出した。

「お疲れさん」

 リビングでノートパソコンを眺めていたベリルは小さく笑って応えた。調子に乗って服も何着か購入したのだろうと紙バッグを一瞥する。

 ひと息ついて荷物を部屋にあげようかとダグラスが腰を曲げたそのとき、玄関の呼び鈴が訪問者を告げる。

「あ、俺が出るよ」

 ダグラスは立ち上がろうとしたベリルを制止して玄関に向かった。

 見た目だけでなく、言動も大人びて見えるようになってきたダグラスにベリルは妙な感覚を覚える。

 今まで何人も子供を救ってはきたが、長く手元に置くことはなかった。里親が見つかるまでのごく短い期間であり、一年以内で離れていく。

 傭兵という事もあって自分の元に置くのは適切でないとも考えてのことだ。しかし、ダグラスは盟友であるセシエルの子ということと独りになった理由とで、ある程度までは面倒を見る事にした。

 もちろん、ダグラス本人の希望でもあった訳だが見て感じ取れる成長を目の当たりするのはベリルには初めての事のため、若干の戸惑いは隠せない。

「どなたですか?」

 ダグラスはドア越しに問いかけ、見えない相手の気配を探る。気配からして敵意は感じられない事を確認し覗き窓を見ずにドアを開いた。

「こんにちは」

 笑顔の銀髪美女にダグラスは思わず言葉を詰まらせる。肩までの髪はしなやかに揺れ、ワインレッドのような瞳がダグラスを見上げた。

「ベリルって人はいるかしら?」

 二十代後半もしくは三十代前半だろうか、白い肌にはまだ若々しい弾力がある。

「あ、ああ。うん」

 ハッと我に返り、応えて中に促す。細身だが程よい筋肉が付いている女性の背中をダグラスの目は自然と追っていた。

「そこ」

 リビングの入り口を示すと女は開かれている扉をくぐり、ベリルの姿を捉えて笑みを浮かべ握手を求めた。

「初めまして、スーザン・チェイニーよ」

 百六十五センチとやや長身の彼女の瞳はベリルを品定めするように動いていた。

「私に何か用かね」

 ソファに促し腰掛ける。スーザンも斜めの一人がけソファに腰を落とし、持っていた四角いオレンジのバッグから小さな物体を取り出す。

 ベリルは差し出された五センチ四方のケースに入っているマイクロSDを受け取り、テーブルの上に置いてあるノートパソコンを開いた。

 少年はその様子をキッチンで眺めながら飲み物をグラスに注ぎ、スーザンの前に置いて勧めた。彼女はそれに手で応えて、少年は向かいにあるもう一つの一人がけソファに座る。

 ひょいと覗き込み、出てきた画像にダグラスは驚いて眉を寄せた。

「彼を追ってほしいの」

「ほう」

 ベリルが目を細めて見つめている画像はローランドだ。

「彼とは何度か闘ったことがあるんでしょう?」

「うむ」

「あなたとタイマン張って生き残っている人間は少ないもの。割と有名よ」

 肩をすくめたあと、若く見える顔立ちに険しい表情を浮かべる。

「彼の動きを探ってほしいの。出来るなら接触も」

 スーザンの言葉を聞きながらローランドのデータを送っていく。

「なんでベリルに?」

 何も返さないベリルに代わってダグラスが問いかけた。

「あなたは色んな意味で目立つ存在だけど、依頼の成功率は百パーセントに近い。ローランドは抜け目のない相手よ。だから確実な手応えが欲しいの」

「このローランドって人を探ったら何があるの?」

「彼は七年ほど前から名の知れた傭兵なの。不死身のセルテスと呼ばれているわ」

 彼のフルネームはローランド・H・セルテス。アメリカ人だ。

「それって、ベリルと何度も闘ってるから?」

「そうでしょうね」

 スーザンはグラスを手に取り、喉の渇きを潤した。そしてディスプレイを見つめているベリルに目を移す。

「どう? 受けてくれる?」

「もう一つ聞きたいんだけど」

 ダグラスは右手の人差し指を立てた。

「何かしら」

「あなたの正体」

「そうだったわね。私はサイクロンに所属している傭兵よ。主に広報や情報収集を担当しているけれど。我々のスポンサーがアルラウネの根絶に積極的でね。今回、大きな組織を叩くために多方面からの要請に踏み切ったの」

 アルラウネとは麻薬組織の俗称だ。

「サイクロン?」

 ベリルは口の中で発した。その口元にはうっすらと笑みが浮かんでいる。

「本当の事を言わないつもりなら依頼は受けない」

「っ!?」

「え?」

 足を組みスーザンに無表情な顔を向けるベリルの瞳は厳しかった。しばらくの沈黙のあと、女は諦めたように肩を落とし溜息を吐く。

「やっぱり、あなたに嘘は通用しないのね。どこまで気付いているのかしら?」

「傭兵は“副業”だろう、独特の“なまり”がある。誤魔化せているようだが、そのクセはなかなか抜けるものではない」

 淡々と語るベリルに、スーザンのこめかみから冷や汗がつたう。完璧だったはずだと自分に言い聞かせるが、射抜くエメラルドの瞳を見返す事が出来なかった。

「戻って上司と話し合う事だ。正式な依頼なら受けよう」

「誰なの?」

 正体の掴めないダグラスは怪訝な表情をベリルに向ける。ベリルはダグラスを一瞥し、

「ジ・エージェンシー」

 つぶやくように答えた言葉に少年は目を丸くした。

「それってCIA(アメリカ中央情報局)!?」

 CIAとは、CIA長官によって統括とうかつされる対外諜報活動を行うアメリカ合衆国の情報機関の一つである。

 ベリルの言ったジ・エージェンシーは、CIAの通称の一つだ。

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