*その歩み
「あのっ! 俺──」
ケーキを食べ終わり、少し落ち着いたハリーは意を決して口を開いた。
「なりたいものがあって……。でも、親に反対されてて……。あのでもっ! ダグに、本当は反対されてホッとしてるんだろって言われて」
そこまでの話でベリルはそういう事かと納得した。以前、知人が息子と共に尋ねてきて、「子どもを
どんな風に話したのかまでは解らないが、大した事は言った記憶はない。それでも、彼には何か受け止めたい事柄でもあったのだろうとハリーの真剣な面持ちを見やった。
「誰でも先の事は不安だ」
「うん」
「それを諦めて自身が後悔しないのなら、それもいいだろう。人としての道を誤らなければ進む道は自由だ」
落ち着いた声がハリーの心にこだまする。自由とひと言で言ってしまえば簡単だけれど、ともすればそれは見放された感覚をも生み出す。
「自由という言葉の重みを知る者はどれほどいるだろうか」
少年はハッとした。
「親からの勧めであれば、そこに自身の責任は無いのかもしれない。しかし自身で決め、進むという自由にはとても大きな責任がのしかかる。人はそれを無意識に避けようとするのだろう」
「自由の──責任」
そうだ、見放されたと感じるのは絶望だけでなく、全部自分にかかってくる恐怖も伴っているからだ。
突然、たった一人で何も知らない社会に立たされる。それは、数センチ先まで真っ暗な空間に立たされているような、言いようのない恐怖だ。
「時としてそうではない場合もあるが、逃げる事は容易い。もちろん逃げる事が悪い訳ではない。立ち向かわねばならない時を冷静に見極める事が重要だ」
「はい」
「自由には責任が伴うが、それを一人で背負う必要はない。必ず助けとなる者が見つかるだろう」
それは、友であったり親であったり。あるいは、それまでまったく関係のなかった者かもしれない。
助けを求める事は恥ではない。助け合えるからこそ、そうして人は前に進む事が出来る。
「一人で生きている者などおらんよ」
お前もまた、誰かの助けになれるように自身を磨くと良い。
「は、はい!」
ベリルの柔らかな微笑みにハリーは胸のつかえが取れたような気がした。目隠しで社会に飛び込むのは怖い。けれど、訊けばきっと誰かが教えてくれる。
失敗して、後悔して、そこからまた始めればいいんだ。そこがゴールじゃない。
「ありがとうございます!」
勢いよく立ち上がり震える声を張り上げた。
「ゆっくりしていくと良い」
「はい!」
ベリルは元気の良い声に再び微笑み、夕飯の支度をするためキッチンに向かった。
──そうして、ハリーは暗くなる前にダグラスの家を出る。
「来て良かった。ありがとう」
「いえいえ」
玄関先で言葉を交わす。来た時よりも晴れやかなクラスメイトの表情にダグラスも笑みを浮かべる。
「俺、親にちゃんと話してみるよ」
ようやく吹っ切れたのだろう、声にも震えがない。
「反対されたらじっくり考えて、それでも諦めきれないならまた話す」
「うん。それがいいね」
「ホントにありがとう」
嬉しそうに手を振って遠ざかるハリーに同じく手を振り応えて家の中に入る。
「どうした」
ベリルはリビングで考え事をしているダグラスに小首をかしげた。
「みんな青春してるな~って」
「なんだそれは」
当惑しながらジュースの瓶をテーブルに乗せると、少年は礼を言ってグラスに注ぐ。
「だって普通に悩んでるなんてさ~」
「そういうものだ」
「じゃあ、ベリルは普通に青春してた記憶あるの?」
キッチンに戻ろうとしたベリルはその問いかけにピタリと動きを止める。記憶を辿るような仕草をしたのち、
「今日はチキンシチューだ」
しれっと発してキッチンに向かった。そんなベリルの背中に目を据わらせる。
「無かったんだな……」
ソファの背もたれに腕と頭を乗せてぼそりとつぶやく。ベリルが悩んでいる姿など想像すら出来ないのは確かだ。
──深夜
「おやすみなさい」
ソファでノートパソコンを見つめているベリルに言って自分の部屋に向かった。
「ん、おやすみ」
ここの所ベリルは何かを調べているようだ。
ローランドという傭兵から投げられたナイフに刻まれていた「シャイニー・ブレイド」という名前を見てからだなと、ベッドに潜り込み天井を見つめる。
麻薬シンジケートらしいけど、対立している立場のローランドがどうしてベリルにそんな情報を流したんだろう?
何か裏があると思うんだけどな~と考えながらダグラスは意識を遠ざけた。
リビングにいるベリルはノートパソコンのディスプレイを見つめて苦い表情を浮かべる。
「でかいな」
画面に映し出されている麻薬組織の名前の一覧に小さく唸った。名前の隣には★マークが一つから三つほど記されていた。
周りから攻めるかと思案しつつ小さく溜息を吐き出し、静かにノートパソコンを閉じた。
──朝
「いってきまーす」
「気をつけるように」
ベリルが作ったミックスサンドをほおばりながら学校に向かう少年を見送ったあと、端末を取り出して電話をかける。
「戦力が欲しい。あと十人、頼む」
通話を切って地下にある武器庫に降りる。整然と並べられた
ダグラスはスクールバスに向かう途中、ふいに立ち止まって振り返る。少年はベリルの様子から、仕事をする気なのだと気付いていた。
ベリルは自ら犯罪組織の壊滅に動くが、潰しても潰しても湧いて出る組織に呆れつつも決してその手を休めない。
ベリルのしていることはいたちごっこだけれど、それが無駄じゃないこともよく知っている。
小さな組織ならダグラスの同行も許してくれている。しかし、大きな組織となると留守番を言いつけられてしまう。
今回は卒業試験を間近に控えているためベリルは当然、留守番を言い渡すだろう。本人も卒業のために、だだをこねるつもりはなかった。
学校に到着すると、その明るい場にホッとしながら自分のいる世界が妙に遠く思える。
「おはよう!」
「あ、おはよ~」
元気よく挨拶するハリーに同じく笑顔を返す。
昨日と同じその晴れやかな顔はきっと──
「話したの?」
「うん」
教室に向かう廊下は生徒たちでごった返していて、通路にある自分のロッカーから次に使う教材を取り出すのにも必ず一人はぶつかる。
「反対されたよ」
「そうなんだ」
「ちょっとびっくりしたみたい。また考えて話すかどうか決めることにするよ」
ハリーは落ち込む事もなく笑って付け加えた。
「それがいいね」
クラスメイトは少しずつ前に進んでいる。人の歩む速度はそれぞれだ。
「僕は少し速すぎたのかな」
ふと立ち止まり、つぶやいた。ベリルといる時はさして意識はしないけれど、こうして同級生の中にいる自分は酷く違和感があるなと思える。
「だったら、ベリルはもっと速かったね」
ニヤリと笑みを浮かべて教室に滑り込んだ。
──授業の合間
「なあ、またおまえんちに行っていいか?」
ハリーがこっそり声をかけてきた。
「うん、いいよ」
「じゃ番号、交換しようぜ」
スマートフォンを取り出すハリーに
そこでダグラスは、そういえば友達を家に呼んだことって今までほとんど無かったなと気がつく。
ベリルは怒らないだろうけど気が引けるのは確かだ。うちに呼んだって何かある訳でもないし。
友達の家にはよく遊びに行く事はあるけど、自分の家となると呼んでどうすればいいのかが解らない。
「普通に遊べばいいんだろうけどね」
口の中で発して卒業試験を受ける事もあり、一人ダグラスは特別授業を受けるために教室に残った。
そうして特別授業も終わり、復習用の教材をバッグに詰めて帰路に着く。しかし、校舎を出た所で担任のレイチェルが待っていた。
「先生どしたの?」
「家にお邪魔してもいいかしら」
見ると、先ほどとは雰囲気が異なり、少し大人の色香を漂わせている。化粧し直したなと小さく溜息を漏らした。
「いいけど。父さんは明日か明後日に仕事に行くから、あんまり相手出来ないと思うよ」
「構わないわ。ダグの進路について少し話しておきたいだけだから」
進路? これ以上なにか話すことなんかあったっけとダグラスは首をかしげた。
「じゃあメールしとくね」
「お願い」
メールを打ちレイチェルを連れて歩く。彼女は束ねてアップしていたブロンドを降ろし、緩くカールされた髪は歩くとそれに合わせて揺れていた。
オリーブ色の瞳は潤んでいるようにも見えるが彼女はただの乱視だ。
──ベリルは端末の画面を見つめて当惑していた。
『レイチェル先生も一緒なのでよろしく』
何故、彼女まで来る事になったのだ? ダグの進路についてだろうか? ベリルにはそれくらいしか思いつかない。考えても仕方がないので来客の準備を始めた。
数十分後、ダグラスはレイチェルと共に家にたどり着いた。
「なかなか良いおうちね」
「どこも一緒でしょ」
ベリルが住んでるからそう思ってるだけだろと呆れて肩をすくめる。中身はかなり違うかもだけど、そんなの普通の人にはわかんないからね。
「ただいま~」
「お邪魔します」
レイチェルは綺麗に掃除されている玄関と廊下を見回しダグラスを追う。大抵の国では靴のまま家に入る。日本のように靴を脱ぐ国の方が少ないといっていい。
入り口からすぐにある上に続く階段を右の視界に捉えて通り過ぎ、左に見える開かれたドアをくぐった。
整えられたリビングに目を丸くしていると、そこから続く左のダイニングルームからベリルが歩いてくるのが見えて思わず体を強ばらせた。
「ようこそ」
「ど、どうも」
相変わらずの上品な物腰に見惚れながらもソファに促され大人しく一人掛けの方に腰を落とした。
「あ、おかまいなく」
ティカップが差し出され少し離れてお茶請けが置かれた。それを確認したダグラスは階段に向かい、自分の部屋にバッグを置いてすぐにリビングに降りる。
「随分、綺麗にされてらっしゃるのね」
思っていたイメージと違っていたためレイチェルは拍子抜けしていた。
いえ、イメージ通りといえばイメージ通りなんだけど、見た目と同じで実に綺麗な──って、そうじゃなくて!
傭兵をしているというから家は散らかっているかもしれない。でもでも、そんなギャップも魅力的よね。
──などと考えた自分に少し情けなさを感じた。
「こ、恋人とか、いらっしゃるの?」
恋人くらいいてもおかしくないものね、覚悟は出来てる。と自分を慰めながら訊いてみる。
「いいや」
「いないの!?」
帰ってきた言葉に嬉しくて思わず声が裏返る。
「ハッ!? ごめんなさい」
おそらく驚いているような表情をしているベリルにハッとして、私にもチャンスがあると心の中でガッツポーズした。
「こんな仕事をしているのでね」
彼女の思惑などまるで気付かないベリルは柔らかな笑みを浮かべる。
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