*向き合う瞳

「大きく区切ったら危険だよ。人それぞれなんだから」

「知った風に!」

 吐き捨てて睨みつけたが、ダグラスはしれっと柔らかに微笑んだ。

 こんな笑顔を向けられては、恋愛感情や性別に関係なく言葉を詰まらせてしまう。あどけない幼子おさなごの笑顔を見ている感覚だ。

 計算してやっているのなら明らかに彼は小悪魔だとハリーは身を震わせた。ダグラスは間違いなく自分の容姿を充分に理解し活用している。

「何があったかは知らないけど、自分だけの感情で決めつけるのはいけないよ。客観的な視野からも考えないと」

 そんな言葉なんかで収まりがつくほど冷静でもない。分かり切ったような事も言われてハリーは少し苛ついた。

「あんたはいいよな。勉強も出来てスポーツ万能で。きっと親からは期待されてんだろ」

 言った瞬間スカッとしたが、その数秒後にはあからさまな皮肉だったとひやりとした。

「いや、全然」

 ハリーの皮肉が伝わっていないのか、ダグラスは軽く右手を振った。そんな皮肉くらいではもはやダグラスの心は動じなかった。そして、ハリーが子供っぽく思えてなんだか可愛くなる。

 ばつの悪そうな顔を見やり、仰向けになって空を見上げた。

「親父には殺されかけたし、おふくろも親父に殺されたし。今は傭兵の弟子してるよ」

「はい?」

 頭の後ろで腕を組み、目を丸くしたハリーに構わず続ける。

「まあ傭兵になるのは昔からの夢だったし。それは叶いそうだけどね」

「なんで傭兵なんか」

 おおよそ目指そうと思う職種じゃない。ダグラスは快活ではあるけれど喧嘩っ早くも血気盛んでもない。それが傭兵になりたいというのはハリーにはとても意外なものだった。

「親父がそうだったから」

「殺されそうになったんでしょ!?」

「うん」

 明るく答えたダグラスに「信じられない」と目を丸くした。ダグラスはそんなクラスメイトに小さく笑みを浮かべて上半身を起き上げ、肩をすくめる。

「小さい頃から親父に憧れてたんだ。殺されかけたけど代えようが無かったのさ」

「だからって……」

 そんなダグラスに言葉が詰まる。彼の言っている事が嘘なのか本当なのか量りかねた。

「言ったでしょ、全体で見ちゃだめだって。確かに親父に殺されかけたけど、傭兵のみんながそうじゃないし、親父が傭兵だったから僕を殺そうとした訳じゃないんだ」

 傭兵だった事で殺し方にはそれなりの計画があったけれど、傭兵自体を憎む事はやはりダグラスには出来なかった。

「そうだけど、なんでそんな考えが出来るの?」

 何もなければそんな考え方も出来るかもしれない。だけど、ダグラスはそれを経験している。それでもなお、そう考えられる事にハリーは目を疑った。

 ダグラスは一度、ゆっくりと目を閉じて空を見上げる。

「一番憧れてた人が凄い人だったから」

 あんな人がいちゃ、諦めてなんかいられないよ。ハリーはダグラスの横顔がとても大人びて見えて沈黙した。

「まあね~。確かに初めのうちは、ちょっとばかし心に傷を負ってたせいか反抗してた時期もあったけど。それもちょっとだけだよ」

 片眼を細めて指で示す。

「養父の人、よく許してくれたね」

「ベリルも傭兵だから。ちょっと嫌そうだったけどね」

「へえ」

 その声色と表情で憧れていた人がその人なのだとハリーはすぐに察した。

「あっ、ベリルってニックネームね。目の色が緑色だから」

 ダグラスは慌てて自分の目を指差して付け加えた。仮名のスロウンなんてほとんど口にした事がないため忘れがちだ。

「それでそんなに鍛えてるの?」

 余分な脂肪の無い体型は年相応よりも引き締まっているように感じられる。見た目も良いせいか、他校にもグルーピー(過激系の追っかけグループ)がいるほどの人気だ。

「ん~? そうでもないよ。若い時に無理すると後でガタが来るから軽いスポーツ程度にしとけって言われてるし」

「そうなの?」

「スポーツ選手は短命だろ? 長生きするには、ほどほどがいいんだってさ」

 結構、物知りなんだなとハリーは感心した。そういえば彼は、クラスでも一二を争う成績なんだった。

 こうして一人で考えていてもらちがあかない。今まで悩みを話せる友達なんていなかったけれど、彼ならいい答えを教えてくれるんじゃないだろうか。

 でも、あんな経験を聞いてしまっては、自分の悩みなんて馬鹿にされるかもしれない。

「俺さ、ヨットレーサーになりたいんだ」

 ダグラスから視線を外し、ぼそりとつぶやいた。

「お、カッコイイじゃん」

「でも、オヤジもおふくろも許してくれなくて……。お前は体力が無いんだから無理だって」

「そりゃそう言うだろうね」

 しれっと応えたダグラスの言葉にカッとなるが、すぐに頭を膝に埋めて肩を震わせた。

「そんなの解ってるよ。でも──」

「諦めたくないんなら目指せばいいじゃん」

「簡単に言うなよ!」

 声を荒げるハリーに小さく溜息を吐き出し、同じように膝を抱える。

「ハリーが恐いのは、親に反対されることじゃない。自分のなりたいものを目指すことだ」

「──っ!?」

 静かにゆっくりと、しかしはっきり紡がれた言葉にビクリとした。今までそんな風に考えたことなんてなかった。

「親に反対されたとき、正直少しホッとしただろ。だから、僕の言葉にカッとなった。違う?」

「それは……」

 心を見透かすような瞳に喉を詰まらせる。彼の言葉を否定出来ない自分がいる。

「恐いのは解るよ。成功するかどうかなんて解らないんだもの。もしかしたらそれで命を落とすかもしれない」

「うん」

 そうだ、失敗は怖い。親に反抗して失敗したら「それみたことか」と言われることは凄く怖い。

「でも失敗して後悔することよりも、やらないことの方が絶対に後悔は大きいよ」

「そう……なのかな」

 か細く応えるハリーに小さく頷いた。

「やればそれは経験になるけど、やらないのは後悔にしかならない。一番大切なのは、経験を積んでいくことだよ」

「経験か」

「それで死んだとしても、やらないでずっと心にしこりを残すことよりも何倍もいいと思うな」

 死んだらそこで終わりだし、気にする必要も無くなっちゃうしね。肩をすくめて微笑むダグラスから視線を外しハリーは空を見上げる。

「そうだね。君の言う通りだよ」

「──ってベリルが前に言ってたんだ。知り合いの子どもが将来の進路にうだうだ言ってた時に」

 それを思い出し、ついハリーに語ってしまった。ベリルの話はもっともだと思うし、僕だって後悔し続けたくはない。

 もちろん、ベリルは相手によってちゃんと言うことを変えている。全ての人が同じ言葉で納得するはずがないと知っているからだ。

 でも、誰にどの言葉が有効かなんて確実に解る訳じゃない。最終的には予想と賭けで話すしかない。

「……ダグ」

「何?」

 しばらく沈黙していたハリーは、ガバッ! とダグラスの両肩を掴み真剣な面持ちで見つめた。

「君のオヤジさんに会わせてくれよ」

「は……?」

 それに苦笑いを返す。

「何言ってんの?」

「その人に人生について教えて欲しいんだ!」

「人生、ねぇ」

 両肩を掴まれ大きくゆすられるダグラスの口元には、生ぬるい笑みが浮かんでいた。


 ──ダグラスは授業が終って気持ちの変わらないハリーにせがまれて仕方なくベリルに電話をかける。

「これから友だち連れていくけどいい?」

<構わんが>

「じゃあそういうことでよろしく」

 通話を切り、心配そうに見つめているハリーにウインクした。

「ダグ! 彼を家に呼んだの!? あたしも行きたい!」

 喜んでいるハリーの後ろから女生徒の黄色い声がけたたましく響いた。

「わたしもっ!」

「私も!」

 瞬く間に女生徒たちに囲まれて、巻き込まれたハリーは嬉しいやら恥ずかしいやらでおろおろする。

「男同士の話だからまた今度ね」

「ええ~?」

 女生徒たちは残念そうにしながらも、ダグラスの笑顔に口元を緩ませた。ダグラスは今まで一度も女子を家に招いた事がない。ベリルを見た女生徒が学校で噂にすると面倒だからだ。

 ハリーはその様子に最強の笑顔だなあとあっけにとられていた。帰路の途中、二人は買ったジュースを飲みながらとりとめもない話をし家に到着した。

「若い!?」

「ようこそ」

「ハリーだよ」

 紹介されて握手を交わすも、あまりの予想外な容姿に開いた口がふさがらない。傭兵だと言うからどんな大柄な男かと思っていたら、言われなければ傭兵だなんて絶対に解らない。

「こっち」

 ダグラスは未だに呆けているハリーをリビングに促した。

 リビングとダイニングルームは続きになっている。ベリルはそのままキッチンに向かい、冷蔵庫から飲み物とケーキを取り出した。

「えーと、お父さんの名前はなんて言うんだっけ?」

「スロウン」

 ダグラスはおやつが待ちきれずにうわの空で答えた。

「あ、どうも」

 上品な物腰でリビングテーブルにグラスとケーキが置かれて思わず恐縮する。ベリルか、なるほどねとエメラルドのような瞳を見やる。

「ベリルに用があるんだってさ」

「ほう?」

「うっ!? えっ?」

 心の準備が整っていなかったハリーは突然に話を振られて目を泳がせた。

 ベリルは慌てている様子のハリーを一瞥し、ダグラスに軽く睨みを利かせる。偽名のスロウンではなく本名で呼んだからだ。

 ダグラスはそれに小さく肩をすくませ、「後で説明する」と目で示した。

「ハリーも食べなよ」

 とりあえず早くケーキが食べたいのと、緊張をほぐしてやるつもりでダグラスはケーキを勧めた。

「え? うん」

 勧められて目の前のケーキを見下ろす。

「高そうなケーキだな。いつもこんなの食べてるの?」

「ベリルの手作りだよ」

「ええっ!?」

 傭兵なのに何このお店のケーキみたいなの!? ハリーはますます傭兵だという事が信じられなかった。

 しかし、その腕を見れば鍛えられている事が解る。緩やかな服で体の筋肉までは見えないものの、気品すらも漂わせる動きの中にある独特の雰囲気が自分たちとは異なるのだと感じさせた。

 ケーキに改めて目をやる。クリームチーズを少し加えたスポンジに、甘すぎない生クリームが上品にデコレートされている。

 そしてその上には、ブルーベリーやラズベリーが綺麗に乗せられていた。見た目だけでなく味も最高で、このケーキだけでも来た甲斐があるとハリーは顔をほころばせた。

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