*進路

「ふうん」

 質問をわざとはぐらかした。これは何か調べてるな?

 ベリルが何かあるとそうする訳では無く、一年ほど寝食を共にしてようやく薄ぼんやりとだが嫌がらせとの違いが解ってきた。ダグラスだからこその勘かもしれない。

 長年、仕事で付き合いのある仲間でもベリルの思考を読むのは容易ではない。

「それで、何を調べてるの?」

 一歩も譲らないという視線と同時に投げられた問いかけに、数秒ほど目を合わせたベリルは諦めたように小さく溜息を吐き出しノートパソコンを少年に向けた。

「うん? シャイニー・ブレイド? なにこれ」

 画面のあと一本のナイフを差し出されて眉を寄せる。

「これローランドが投げてきたやつじゃん。──あ」

 いぶかしげに見回すと刃の部分に小さく何かが刻まれていた。目を懲らすと、「シャイニー・ブレイド」と英語で刻まれている。

「どういうこと?」

「さてね」

 ナイフを受け取りながら何かを含んでいるように小さく笑んだ。普通にネット検索をすれば出てくる名前ではある。何かのサークルだったり、ゲームだったり。

 だが、それだけではない事をベリルは知っていた。

「んで、何が出てきたの?」

「麻薬シンジケート」

「また……?」

 少年はげんなりして肩を落とした。ついさっきも麻薬組織の下っ端を叩いたところだというのに、よくもまあ次々と出てくるもんだと呆れる。

「あれが関係ないとは思えん」

 あんな風にローランドが現れた事は今までなかった。それを考えれば、「シャーク・メナス」と何らかのつながりがあるのだと推測出来る。

「そう考える方が妥当だろう」

「でも、なんでそれをベリルに?」

 考えている事はあるがまだ決めかねているのだろうか、ベリルはその質問に沈黙した。それを察した少年は食べる事に集中する。

 ベリルの考えを邪魔することは今後の作戦にも支障をきたす。何よりも半人前の自分がこの時点で意見することは何もない。

 ──夜食を美味しく食べ終わったダグラスは、地下にある試射室に向かう。完全防音とまではいかないが、屋外には音が漏れない設計になっている。よほどでなければ隣近所は気付かないだろう。

 ガラス張りの試射室の脇にはトレーニングマシンがいくつも設置されている。地下は敷地全てを余すところなく格闘訓練をするための道場まで造られている。上の生活範囲(建物自体)はその半分ほどになる。

 ほぼこのダーウィンで休暇を過ごすベリルにとって、この家は重要な拠点ともいえる。

 近所の人からは「レイモンドさん」と呼ばれていて、表札には「スロウン・レイモンド」と表記されている。

 ダグラスは養子としてこの街に住み始めたが、ベリルは独り立ちしてからずっとこの街に居を構えていると聞かされて妙な違和感を覚えた。

 ベリルはまったくに年を取らないというのに、街の住人はどうしてなんの反応も示さないのだろうと不思議でならない。少なくともベリルは二十五年以上もこの街の、この家にいるのだ。

 ダグラスはこの一帯の特殊な雰囲気を奇妙に思っていた。

 最近になって知った事だが、ベリルが住んでいる周辺の住人は裏の世界に片足くらいは浸っているらしい。いつの間にか自然とそういう状態が形成されていた。それを知ったとき少年は納得したように笑みを浮かべた。

 ベリルがどこの何者かを知っていて知らないフリをしているのだ。普通の住人として付き合っている事は驚きである。

 ある意味、ここは傭兵たちが住んでも心地よい場所かもしれない。あんまり集まられても困るけどと考えてダグラスは思わず吹き出した。じゃあ僕が誰かもみんな知ってるんじゃないか。

 少なくとも、父であったハミルは有名な傭兵だった。一人も知らないとは思えない。

 そんな事を考えつつ二時間ほど汗を流しシャワーを浴びて眠りにつこうとベッドに横たわる。しかしふと、

「あっ! 言うの忘れてた」


 ──朝、ダグラスは朝食を作っているベリルに言い忘れていた事を伝えた。

「三者面談?」

「職業について聞かれたから答えたら親呼んで来いって」

 ベリルは溜息を吐き出して頭を抱える。親として学校に行く事にではなく、彼がなんと答えたかが解るからだ。教師がどういう反応をするかを楽しんで答えたに違いない。

 ある意味、正しくベリルの性格を受け継いでいるとも言える。

「大学だけではいけなかったのか」

「飛び級するだろ? だから、大学のあとはどうするんだって訊かれたの」

 再び溜息を吐くベリルに少年は笑って付け加える。

「担任の教師は女の人だからベリルなら大丈夫だって!」

 行ってきまーすと言い残し家を出てスクールバスが停留する場所に駆けていった。

「どういう意味だ」

 相変わらず鈍いベリルは眉を寄せた。


 ──ハイスクールの昼休み。

「ダグラス君」

 廊下を歩いていたダグラスはふいに呼び止められて振り返ると、担任のレイチェルが教科書を抱えて立っていた。

 ブロンドの綺麗な髪を後ろで束ね、オリーブ色の瞳には大人の女性を物語るつやがある。レイチェルはダグラスにゆっくりと近づき少し見上げた。

「お父さんには話した?」

「ああ、はい」

 お父さんという聞き慣れない言葉に吹き出しそうになる。

「指定してくだされば行きますよって言ってました」

 言った記憶はない。どうせ断らない事を知っているダグラスは適当に応えておいた。

「あらそう。じゃあ二日後にどうかしら、授業が終った後に」

「解りました。伝えておきます」

「よろしくね」

「はい」

 ぺこりと会釈して背中を向け、舌をチョロリと出す。ベリルに会った時の教師の反応が楽しみだ。

 確かレイチェル先生は三十二歳だったっけ。自分よりも若いベリルを見たらどう思うのかな?

 少年はそれを想像して嬉しそうに口の端を吊り上げた。


 ──スクールから帰ってきたダグラスから聞かされた事にベリルは眉間のしわを深く刻んだ。

「二日後?」

「うん。よろしくね~」

 リビングのソファでくつろぎながらお菓子を口に投げ入れる。そして、キッチンで夕飯の準備をしているベリルをちらりを見やり、その様子に声を殺して笑った。

 まさか勝手に予定を組んでくるとは思わなかったのか、眉を寄せて固まっている。

 こんなベリルは滅多に見られない。これから先も見られるとは限らないのだから今の内にしっかり見ておこう。

 喜んでいたダグラスだが、ふと「ああ、そうか。ベリルが人をからかう理由ってこういうことなのかな」と気がついた。

 ベリルは人間が好きだ。言わなくてもそれがよく解る。僕はレイチェル先生の反応もベリルの反応も楽しんでいるけど、それは「人間」だからなんだ。

 ベリルはいつも相手の反応を確かめるように微笑んでいた。人間だからこその感情を相手から感じている。

「そか、そうなんだね」

 それに気付いたとき、ダグラスも無意識に柔らかな笑みを浮かべていた。


 ──次の日、三者面談での席でレイチェルは目の前の青年に固まっていた。誰もいなくなった教室で三人は互いに顔を合わせる。

「養父のスロウンです」

 ダグラスはベリルを示して紹介した。

「いつもダグラスが世話になっています」

 とりあえず初対面だし女性だしという事でベリルの口調はやや丁寧だ。

「あっ! いいえっ! こちらこそ」

 握手を交わす手が震えている。ダグラスはおかしくて仕方がなかった。

「そ、それでですね」

 席に着き、エメラルドの瞳に見つめられて次の言葉が出てこない。まさか、こんなに若くて見目麗しい人が養父だなんてと予想外の出来事に頭が回らない。

「ダグラスの将来についてなのだが」

「は、はいっ」

 声を裏返した女性にベリルは何をそんなに慌てているのだろうと若干、眉を寄せた。

 ハイスクールに入学する時に本来なら顔合わせするものだが、ベリルとレイチェルは会っていない。ベリルが挨拶のために校内に入ってすぐ、緊急の依頼がきてそのまま引き返したためだ。

 ダグラスはこの時に、初めてベリルを目にする女性教師の反応は面白いかもと楽しみにしていた。

「この子の自由にさせている」

「し、しかしですね──っ」

 レイチェルは思わず立ち上がった。この人はダグラスが何を言っているのか知っているのかと言いたげな顔だ。

「彼は将来──」

「傭兵になりたいと言っているのだろう」

 レイチェルはその態度にも驚いた。知っていて、どうしてそんなに落ち着いていられるのか。

「いいんですか!?」

「彼がそう望むのだ、反対する権利は私には無い」

 彼女は「信じられない」といった表情を浮かべる。

「いくら養父でも、子どもをきちんと育てる義務があります!」

「それって傭兵がきちんとしてないってこと?」

「えっ」

 しれっと問いかけた少年にレイチェルは体を強ばらせた。

「よせ」

「だってねぇ。父親の職業に難癖なんくせ付けられたら誰だって怒るでしょ?」

「えっ!?」

 レイチェルはベリルを凝視した。言ってしまった言葉はもう消す事は出来ない。どうしていいのか解らなくなり体が震えた。

 悪ガキめ……。ベリルは右手で顔を覆い小さく溜息を吐いた。

「彼の言った事は気にしないでくれ」

「す、すいません」

 彼女はすっかり小さくなってベリルの顔もまともに見られなくなってしまった。

「確かに厳しい仕事だ。時には命の奪い合いにもなる」

「……ええ」

 ゆっくりと語られる声に静かに見上げる。優しい眼差しに怒っていない事を知り安堵した。

「彼は私の後ろを歩く」

 その言葉にハッとして、思わず合わせたベリルの瞳に引き込まれる。

「あなたも現実は知っているだろう。私一人でどうにか出来るほど優しくはない。それほどに世界は大きすぎる」

 一人が出来る事などたかが知れている。協力しあう事で人は文明を築き上げてきた。

「──っそうですね」

 淡々と語られる言葉の中に感じられる重みに喉を詰まらせる。この人は、どれだけの悲惨な状況を経験してきたのだろう。きっと、私が考えているような仕事をしている人ではないのだと胸を痛めた。

「仲間は必要だ」

「ええ、そうです」

 切なげにこうべを垂れる。

 この人はダグラスが同じ道に進む事を望んでいない。本当は遠く離れても幸せな生活をと望んでいたに違いない。それが彼の苦い表情から読み取れた。

 ダグラスにもそれ相応の覚悟があっての決意だという事にようやく気付いた。ただの憧れの言葉なんかじゃなかった。養父の背中を見て彼はしっかりと決めていたのだ。

 担任である彼女がどうして今まで知らなかったのかは、学校側がダグラスについて伏せていたからだ。

 ベリルの事は前校長の知るところであり、現校長は別の街から新しく赴任してきた。前校長からは引き継ぎの時に特殊な人物について聞かされていたが、まさかその弟子が転入してくるなどとは思ってもいなかった。

 この街にもベリルにも慣れていない校長はダグラスが傭兵の弟子をしている事も、ましてや養父であるベリル自身が傭兵であるという事も隠す事にした。

 隠しておきたい気持ちは理解出来る。だからベリルはそれに抗議はしなかった。今更、暴露したところで退学には出来ないだろうと全てはダグラスの計画通り。

 ベリルは無言で少年を横目で睨み付けた。当のダグラスはしれっと肩をすくめてみせる。

「養父であるあなたの意見もよく解りました」

 レイチェルは納得し、全ては彼に任せようと三者面談は幕を閉じた。

「先に行ってて」

 帰り際、少年はベリルに言ってレイチェルに駆け寄る。

「今度、うちにお邪魔してもいいかしら?」

 彼女は遠ざかるベリルの後ろ姿を見つめてほんわりした表情を浮かべた。思った通りの反応に少年は苦笑いを浮かべ目を据わらせる。

「あー、やめた方がいいと思うよ」

「どうして?」

 レイチェルは首をかしげた。

「女としてのプライドが壊れるから」

「は?」

 ますます解らなくて眉間にしわを寄せた彼女に満面の笑みを浮かべた少年にレイチェルはドキリとする。この少年はベリルとはまた違った魅力ある容姿をしていた。

「あまり彼女を困らせるな」

「はーい」

 レイチェルと別れてベリルに追いついたダグラスは生返事を返す。彼はそれに小さく溜息を吐いて帰り道にあるスーパーマーケットに立ち寄った。

「こないだ買ったように思うが」

 カートに投げ込まれた商品に眉を寄せる。

「成長期ですから」

 投げ入れられたのは特大サイズのポテトチップスとポップコーン。ピーナツチョコもプラスされた。

 当惑しながらも目当ての食材をカートに乗せていく。バランスの良い食事をと考えて基本は日本食だ。

 しかしダグラスは欧米人であるため日本人とは体の構造が異なる。それを考慮したうえでの料理をベリルは毎日のように思案していた。

 旨味の感覚が鈍いとされる欧米人だが、薄味が基本の日本食でそれが目覚めるともいわれている。

 そうして二人は買った食材を抱え家路についた。

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