*親子ということ

「次は頭か心臓を狙う、楽しみにしておけ」

 ローランドは下品な笑みを浮かべながら指を差して遠ざかる。

「知り合い?」

「何度かまみえた事がある」

 ダグラスは眉を寄せた。その言い方は敵対関係にあるという事だ。しかし、敵対関係にある人間でベリルとまともに戦って何度も逃げられる者はほぼいない。

「殺さなかったの?」

 ダグラスの問いかけに視線を外す。それに眉を寄せた。

「もしかして、ベリルの前では殺しはしなかったとか?」

 問いかけに小さく笑ったベリルに呆れて手で顔を覆う。

「そんなの! ベリルに殺されないようにするための手段でしょ?」

「そうかもしれん。奴と初めに会ったのは五年ほど前か」

 言いながらナイフを抜きハンカチを取り出そうとしたが、すでに血で汚れている服が視界に入りナイフの刃を裾で拭った。

「一つの嘘が大きな事件に発展した」

 ピックアップトラックに足を向けて語り始める。

「どこかの馬鹿が村に財宝が埋まっているというデマを流してね」

「どこの村?」

「南米の奥深くにある村だ」

 乗り込んでエンジンを起動させた。

 その村はライフラインもなく、貧しいながらも生い茂る森と共にのどかに生きていた。

「村人がそのデマのせいで危険にさらされていると要請があった」

「で、あいつが村を襲ったの?」

「正確にはその中の一人だ」

 財宝を狙っていた者に雇われた数人の傭兵の中にローランドがいた。彼らは次々と村を破壊し、このままではきりがないと判断したベリルは村人たちに提案した。

「財宝はすでに見つかっていた」という新しいデマを流すというものだ。長老が子どもの頃に聞いた話だという事にして、雀の涙ほどの金品が埋まっていたがすでに誰かの手によって掘り返されていると広めたのである。

 元々、根拠のない財宝話だ、どちらを疑えばいいのか彼らは量りあぐねた。そうして、いつまで経っても宝は出てこないこととそんな話とで事態は収束した。

「そのデマを流した奴は解ったの?」

「いいや」

 ベリルの瞳が愁いを帯びる。

「結局、解らずじまい?」

「本当なら村を捨てるようにと言いたかったのだがね」

 村の崩壊が目的なら、新たなデマを流す可能性があった。嘘の話を流した者の真意は未だ不明だが、村は平穏を保っている事から心配はないだろうと判断した。

 完全な解決を見なかった事で、ベリルは撤退したあともしばらく村を気に懸けていた。

「流した奴がやりすぎたって思ったのかな?」

「どうだろうね」

 これはベリルの予想に過ぎないが、最終的な結論として村人の誰かが発したたわいもない話が一人歩きして膨らみ財宝話になったのだろう。

 それから何度かローランドと対峙したが彼は一度もベリルの前では人を殺す事はなかった。しかし、彼からの敵意は常に肌に感じてはいた。

 それから途中でガソリンスタンドに立ち寄り、ベリルは給油を済ませる間に新しい服に袖を通す。

 そしてふと、ローランドが投げたナイフを手にして口の端を吊り上げた。


 ──ダーウィンの家に戻ったダグラスは狭い空間から解き放たれた開放感に大きく伸びをする。

「はぁ~、疲れた」

 ベリルはソファにつっぷしたダグラスを一瞥しキッチンに向かった。現在の時刻は昼近く。

 キャンベルタウンを出たのはすでに空が夕闇に迫っていた頃だ。そこからダーウィンまでは一日以上かかる、無理に寝る必要の無いベリルは夜通し走ったという訳だ。

「歯を磨いて寝ろ。明日からハイスクールだろう」

「えっ!? 明日から行くの!?」

 一日くらい休ませてもらえるかと思っていた少年は驚いてソファから起き上がる。

「卒業試験が近いのだろう?」

 少年にジュースの入ったグラスを渡しながら発した。

「そうだった」

 ダグラスは飛び級制度を利用するつもりだ。早く一人前になりたいという気持ちもあったが、大学にも行きたい。

 もちろん大学も早めに卒業出来るように、卒業試験は二年目から受ける計画だ。

 大学に行けばまたその分、一人前になる道が遠くなる。それでもやはり学びたいものはあった。近頃では武器もハイテク化している。少しでも知識を身につけておくことは無駄ではないだろう。

 勉強に関しては学校の後にベリルに復習してもらっているため、それで解らない部分はすぐに解決出来た。

「家庭教師やったら?」

 含みのある口ぶりで言い放つダグラスに苦笑いを返す。

「まあ、母親との不倫とか聞きたくないからやめた方がいいね」

「なんだそれは」

 ベリルが当惑して眉を寄せると、少年は勝ち誇ったように鼻を鳴らした。


 ──それから少年はシャワーを浴びて寝室に向かう。車の中で寝ていた事もあり、そんなに眠くはない。

「はあ」

 小さく溜息を吐いてベッドに寝ころび、今回の戦闘を反芻はんすうする。

 ベリルが言う「寝ろ」は体を休めておけという意味だ。無理に寝ようとすれば返って眠くはならない、眠くなれば勝手に目は閉じるのだから。

 自分が思っている以上に精神的にも肉体的にも疲労している事はままある。平気と思っていても突然、膝がガクリと折れてしばらく立てなくなる事もある。

 作戦遂行中にそうなってしまっては全てが水の泡だ。

 こういうものは習慣化しておく方がいい。休める時に休むこと、そうしなければならない理由がある。

 色々と考えているうちに意識は遠のき、ダグラスはゆっくりと眠りに落ちた。そうして静かにドアが開かれ、ベリルはシーツをかけてやる。

「おやすみ」

 つぶやいて部屋をあとにすると、夜中にお腹を空かせて起きてくるであろうダグラスに夜食の準備を始めた。

 ダグラスがベリルの元に来た当初は両親の事を思い出す度に目を腫らしていたが、ベリルに心配をかけまいと必死に誤魔化しもしていた。

「厄介なお荷物」だと思われて追い出される事を恐れていたのだろう。

 あれから一年、それでもやはり楽しそうにしている家族連れには苦い顔を見せる。たった一年では、あの壮絶な経験から生まれた心の傷を癒す事は出来ない。それでも、それを背負って生きていくしかない。

 ベリルは料理の手を止め、やや表情を苦くする。

 親というものが存在しない私に何が出来るだろうか──私に出来る事は、ただ傍にいてやる事だけだ。求める手に触れるしか出来ることはない。

 今のダグラスと同じ歳だった頃を思い起こしてみる。そこには、おおよそ若者が悩むような事柄も、普通の人が考え込む悩みもなかった。

 仲間から聞かされる悩みも自分自身には無かった事に当時はある意味悩んでいた。

 だが、それが理解出来ない訳ではない。知識の上では充分に理解はしている。ただ、その経験が無いだけだなのだ。

 経験が無い事はベリルにとって多いに考え込まされた。

 紙面上の事だけで「理解した」などとは言えない、画面上の文字だけで全てを推し量る事は難しい。

 元々、感情の起伏があまりないベリルは妬みを抱く者たちから色々と罵倒される事もあった。

 マネキンや戦闘マシンは序の口だ。冷徹やら、赤い血は通っていないやら、鉄で出来た心臓やらと彼を怒らせようと必死になるが、それはいつでも虚しく終る。

 ベリルはそう言われても仕方ない、もっともだと初めから理解しているからだ。そんな相手に言ったとて無駄に決まっている。

 それは諦めという感情ではなく、自身の生まれにある当然の不自然さをしっかりと見据えているに過ぎない。それに嘆き、憤ることになんの意味がある。それは私のすべき事ではない。

 そんな事を思い起こし、喉の奥から笑みを絞り出す。さすがにダグラスはそうはならないだろうが、踏まれてもただでは起きない者にはなるだろう。

 そんな予想を立ててベリルは再び手を進めた。


 ──五時間後、

「ベリル~、お腹空いた」

 目を覚ました少年は、しょぼつく目をこすりながらリビングに入ってきた。

「冷蔵庫にある」

 リビングテーブルでノートパソコンをいじりながら応える。テレビにはニュース専門チャンネルの画面が映し出されていた。

 ダグラスはまず牛乳をグラスに注ぎ冷蔵庫からサラダと冷製パスタを取り出した。

 その二つを持ってリビングに向かうとベリルの斜め隣のソファに腰掛けて食べ始める。

「なに見てるの?」

「天気予報」

 返ってきた言葉にダグラスは顔をしかめた。

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