第16話

 静まった船内。

 さっきまであんなに激しい戦闘を繰り広げ、たったこれだけの人数で都会の喧騒に劣らない音で空間が満たされていたのに。

 まるで無人の廃墟に足を踏み入れてしまったみたいだ。

 いや、これからそうなろうとしているのか。

 もっとも、爆弾が爆発してしまえば廃墟どころではないが。

 きっと船上は木っ端微塵になり船体も真っ二つ、海の底へ沈みやがて人に代わって魚達が行き交うようになるだろう。


 静寂を構成するのは諦め。

 どんな苦境に陥っても、どんなに劣勢を強いられようとも、逆転の可能性がわずかでも残されていれば人は立ち向かうことができる。

 でも打つ手が無いなら話は別だ。

 可能性が無いと分かってしまった時、身体中の力がふっと抜けていってしまうのだ。

 山田さんも〈総特〉の人達も、巳薙や佳枝葉、それから萌音だってあらゆる可能性を考えたはずだ。

 模索したはずだ。

 しかも何回も。

 もちろん僕だってそうだ。

 自分で考えられる程度ではたかが知れているかもしれないけれど、何度も何度も必死に考えた。

 それでも無理なのだ。

 爆弾のタイマーは残り八分。

 無情なカウントが気力を奪っていくようだ。


 佐藤隊長が口惜しい感じで口を開く。

「このままでは来てくれた巡視船まで巻き添えで沈んじまう。巡視船には退避するよう連絡を入れておくか……」

 それには山田さんも異論は無いようだった。

 被害を最小限に食い止めるのは、せめてこの場でできる最大限の対処だろう。

 この間にも僕は再度頭をリセットして考え直し始めた。

 もう無理と分かっているだろうと自分の逃げたい気持ちが甘く囁く。

 それを振りほどこうとして焦燥に駆られる。

 でも甘い囁きは思った以上に僕の思考を侵食していき、思考が纏まらないまま焦燥だけが空回りしていた。

 佐藤隊長が電話をかけている横で、山田さんが壁に寄りかかり、ずるずると座りこんでしまった。

「【天使】を二人、同時に失うことになってしまうなんて……こんなことならせめて奏滋君は置いてくるべきだったか……」

 それには佳枝葉が怒声をあげた。

「何という言い草だ! 一人なら死んでも良いというのか?!」

「我々は情で動いているわけではないからねぇ」

「ソウジ達を弄びおって……!」

 佳枝葉は竜鱗を赤熱させ、蒸気を散らしながら山田さんに詰め寄る。

 そして襟首に手を伸ばし、掴みあげた。

 僕は彼女の肩に手を置き、首を横に振った。

「今はそんなことをしてもしょうがない」

「しかしっ!」

「佳枝葉の気持ちには感謝するよ。でも、全ては脱出できてからだ」

 僕は冷静になるよう努めた。

 自分よりも怒っている人が隣にいると自分は冷静になれる、とよく耳にするけど、本当にそうらしい。

 僕だって腹が煮える思いだ。

 僕達兄妹に勝手な都合を押し付けるこの人達も、誘拐犯達も、等しく僕達にとっては害悪でしかない。

 でもそんな怒りの気持ちも、死んでしまったらもう抱くことすらできないのだ。

 全ては無になってしまうのだ。

 だから、冷静にならなくちゃいけない。

 こんな時だからこそ。

 佳枝葉は渋々山田さんを放した。

「だがっ……方法が……方法が無いじゃないか……!」

「諦めたら駄目だ。諦めたらそこでゲームオーバーだ」

「ゲームオーバー……」

 僕は佳枝葉の両肩に手を置く。

 ゲームに絡めて話をすれば彼女に届きやすいのかもしれない。

「勇者はどんな時でも諦めないだろう?」

「ああ、勇者はどんな時でも諦めない」

「それならカエハリオンは諦めないはずだ」

「ソウジ……」

 佳枝葉は瞳を潤ませ、自身の手を僕の手にそっと重ねた。

 見つめ合う二人。

 何だかドキドキしてきた。

 彼女の手から彼女の体温が伝わってくる。

 触れ合った部分から互いの熱が共有されていく。

「か、佳枝葉……」

「ソウジ……」

 彼女の頬に赤みが差していくのが分かる。

 小ぶりな桜色の唇がもじもじしているのが愛らしい。

「ほらほら何やってんのあんた達!」

 巳薙がパンパン手を叩いて僕達を現実へ引き戻した。

 僕と佳枝葉はバッと離れる。

「そ、そうだ考えないと!」「そ、そうだ時間が無いんだった!」

 爆弾のタイマーは残り七分。

 いったんモヤモヤしていたものがリセットされたことで、物凄く冷静に思考が働き始め、集中力が増してきた。

 ほつれてしまった糸が綺麗な一本に収束していくみたいに細く、鋭くなっていく。

 そういう状況を作ってくれた佳枝葉には感謝しないといけない。


 僕の思考は快晴の様相を呈している。

 思考に没入していく。

 こんな時、何でもできるのでは、と思ってしまう。

 小学生に戻ったような気持ちだ。

 でもその頃は、色んなことに全力だった。

 今の思考の鋭さは、そんな全力の状態まで高まっているのかもしれない。

 思えば、小学生の方が全然頭が良いのではないか。

 幼い彼らは『1+1=』の答えに、僕らの考え付かないような無茶で無限の発想を叩き出す。

 僕達はそれを普段は下らないと一笑に付しているけど、実はそれは凄いことなんだ。

 だって頭が固くなってしまえば、そんな柔軟な発想はできないのだから。

 この際自分が下らないと思えるものでも良い、そんな発想はないか?

 そうしたら全然、可能性は広がるのではないか?


 つらつらと僕が考えていたのは、実際の時間にしてみれば数秒だったかもしれない。

 でも研ぎ澄まされた思考は、そんな短時間で電撃のごとく駆け巡ったのである。

 その中で一つ、を思いついた。

「ああ、そうだな……だ……!」


 周囲から視線が集まった。

「何か思いついたのか……?!」

 佳枝葉が目を丸くする。

 僕は頷いた。

 山田さんが投げやりに言い捨てる。

「いったいこの状況で何ができるというんだ」

「奏滋、何を思いついたの?」

 巳薙が疑問の顔を向けてきた。

 僕は確信を持った顔で、言った。


「…………萌音と〈聖儀式〉をする……!」


 途端に僕の腹には膝が打ち込まれた。

「アホかああ――――――――――――――――――――――――っ!」

 佳枝葉が顔を真っ赤にして怒りと羞恥を発露していた。

「ぐふっ話を聞いてくれ……っ」

 一方巳薙は笑顔で僕の首に背後から腕を回し、ぎゅうっと締め上げる。

「あんたには失望した。もう駄目だからって妹とお楽しみしたいの? いっそ今死ぬ?」

 さすがにふざけすぎだと思われたのだろう。

「待てっ話を、話を聞いてくれ……っ」

 僕の必死の懇願でようやく攻撃は止み、解放された。

「いったい何だというのだ!」

「そうよ佳枝葉が嫉妬するでしょ!」

「なっ……嫉妬じゃない! 単に犯行動機が気になるだけだ!」

「じゃああたしが代わりに嫉妬する!」

「そ、そんな……じゃあボクも嫉妬する!」

「あたしの方がもっと嫉妬する!」

「ボクの方がもっと上だ!」

「あたしの方が上よ! 思い余って刺すくらい凄いんだから!」

「じゃあボクはメッタ刺しする!」

 ちょっと待て、物騒なインフレを起こすな。

 収集がつかないので僕は説明を始めた。

「超希少種同士で〈聖儀式〉をすると超超希少種が出現する……例えばこれまでだと【サラマンダー】とか。超超希少種は特殊な能力を持っていて、それがとんでもない力を発揮するらしいんだ。【サラマンダー】だったら街一つを焼き尽くしたらしい。僕と萌音の場合、どんな超超希少種が出現するかはまだ分かっていない。でも、その超超希少種が持つ特殊能力に賭けてみる価値は、あると思うんだ……!」

 僕の必死の説明に、二人は顔を見合わせた。

「なんだ今の話は?」「妹としたいから創ったんじゃないの?」

「そんなわけないだろ! 山田さん、本当ですよね?」

 僕は山田さんに助けを求めた。

 元々は山田さんが話してくれたことだ。

 この人に御墨付きをもらえば彼女達も納得するはずだ。

 山田さんはにっこりと笑顔になり、

「はて……何のことやら」

 とぼけやがった。

「なっ……ソウジ、やはり創ったのか?!」「やっぱり創ったんじゃない!」

「山田さん、あなたが言ったんでしょうが!」

「でも修羅場って面白いじゃないですか」

 にこにこする山田さんに僕も余裕が無くなる。

「コラ中年、今そんなことしてる場合じゃないんだよ!」

「やれやれ、では私が話した、ということで」

「何か胡散臭いぞ!」「本当に山田さんが言ったの?」

 おかしな流れになった!

「山田さん、時間無いから! ガチだから!」

 ようやく山田さんも満足したらしく、きちんと説明してくれた。

 そうしたらさすがに佳枝葉と巳薙も納得した。

「じゃあもう時間が無い、萌音……〈聖儀式〉をしても良いか?」

 萌音は顔を赤くすると、小さく頷いた。

「…………助かる、ため、だから……」

「そう、そうだな。助かる、ためだ……」

 僕はもごもごと言い澱んでしまう。

 うん、助かるためだ。

 それ以外に無い。

 無いハズ。


 萌音の所に一歩一歩近付いていった。

 佳枝葉が物凄く不機嫌に横をついてくる。

「むぅー……本当に助かるためなのか……?」

 巳薙も面白がって焚きつける。

「そんなの二の次よ。だって奏滋は前々から『妹としたいハァハァ』って言ってたもん」

「なっ……?! 何と言う不埒な兄だ! ボクというものがありながら!」

「佳枝葉はお試しだったんだってさ、遊ばれたんだよ」

「ソウジ、『これと決めた人以外とは〈聖儀式〉しない』と言っていたじゃないか! あれは嘘だったのか!」

「確かにそんなようなことを言った気はするけど、それは巳薙が右京先輩を魅了能力で振り向かせて失敗したのを見たからでしょ。佳枝葉としたのはそれより前じゃないか」

 僕はたまりかねて反論した。

「なっ……?! だから無効だと言うのか……やはり遊びだったのかソウジ!」

 あれ……どうやら墓穴を掘った?

「いや、そういう意味じゃなくて。考え無しにするのはよくないよねっていう意味だよ」

「じゃあボクとは考え無しにしたというのか!」

 泥沼だあっ!

 僕の説明能力が低いからか、丸く収めることができない。

「佳枝葉を大事に思っていないわけじゃないんだよ」

「そんな、『君の瞳が一大事』だなんて……」

 今度は妙な改変が!

 どう転んでも軌道修正できないじゃないかよこれ。

 僕はあっという間に精神が擦り減った。


 改めて萌音を見てみる。

 この後のことを想像しているのか、その顔は赤みがどんどん増していっているようだった。

 こちらと視線が合うとたまらず視線をそらし、それからちらっとこちらに視線をよこし、また視線をそらす、ちらっと見てくる、を繰り返す。

 僕まで恥ずかしくなった。

 僕は腰のポシェットを開け、その中からある物を取り出した。

 折り畳まれたそれを萌音に見せる。

 それは、『ヘッドドレス』。

 入学式の前に買いに行った時、売り切れだった『ヘッドドレス』。

「これ、萌音の機嫌を直してもらおうと思って買ってきたんだ」

 そう、これは萌音が家を出ていった時、捜したけど結局見付からなくて、時間が経てば帰ってくるかもしれないと思って、そんな時思いついて買いに行った物だった。

 萌音は驚愕で僕の見せた物を凝視し、それからじわりと目の端に涙を浮かべ、それから目を歪ませた。

「に……さん、ありが、と……」

 僕は『ヘッドドレス』を萌音の頭に装着してあげる。

「コスプレするんだろ? 帰ったら存分にしような」

「に……さん、にぃ……さん……!」

 萌音は睫毛を震わせ、瞳を歪めた。

 涙が一滴、落ちた。

 初めて『兄さん』と聴こえた気がする。

『ぃ』が聴こえただけで格別の嬉しさがこみ上げてきた。


「時間も迫っているから、〈聖儀式〉をするぞ? 良いな?」

 尋ねると、萌音は嗚咽を漏らし、言葉にならない感じで頷いた。

 爆弾のタイマーが四分を切った。

 僕は手を伸ばす。

 時間短縮のために襟首から手を差し入れる。

「んっ……」

 萌音が小さく声をあげ、僕は我に返った。

 急激に羞恥が込み上げてくる。

 僕はいったい何をしようとしているのか。

 よく見てみたら、僕は――


 柱に縛り付けられた女子中学生の義妹の胸元に、両手を差し入れているのだった。


 みんなを助けたら後で海に身投げするしかないな……

 僕は自責の念だけで死ねそうだった。

 頭の中を全く関係無いことで埋め尽くしてしまおう。

 掛け算九九を暗唱し始める。

 作業再開。

「んぅっ……」

 掛け算が霧散。

 作業中断。

 それなら、いろは歌。

 いろはにほへと……

 作業再開。

「はっ……うぅ……」

 いろは歌が霧散。

 作業中断。

 それなら、元素記号。

 水素ヘリウムリチウム……

 作業再開。

「声、我慢できるか?」

「う、ん……はっ……」

 元素記号が霧散。

 でもようやく〈魂石〉に辿り着く。

「さあ行くぞ。超超希少種、特殊能力に期待してるからな!」

 僕は魔力を流した。

 甘い痺れが脳髄を駆け抜け、何かが吸い出されていく感覚にとらわれる。

 僕と萌音はあられもない声をあげ、〈聖儀式〉は完了した。


 爆弾のタイマーが残り十秒を切る。

 僕は自分のステータス画面を手の平に出現させて愕然とした。


 種族:【スライム】。


 九、八、七、六、五、四……

 こんな時にどうでも良いことを思い出した。

 あれは僕が【天使】になってすぐの頃の巳薙との会話。

『奏滋の頭の上にある輪っかを取ったらどうなるかな?』

『【天使】じゃなくなるんじゃない?』


 三、二、一……

『エンジェル』から

 で、【スライム】。


 ハイ微妙!


 ゼロ!


 これから起こることに比べれば陳腐なピイーという音が響き渡った。

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