言えない彼女

第11話

 朝食時。

 窓の外からは雀たちの活発な議論みたいな賑やかな鳴き声が入ってくる。

 柔らかな陽光は室内を温かく照らし、朝のまどろみを手助けしてくれるようだ。

 室内を流れるコーヒーの香りが朝のゆったりした時間を演出してくれる。

 そして、テーブルには我が妹の作った朝食。

 至福の時間。


 しかし、どうも萌音の様子がおかしかった。

 考え事をしているような、不機嫌なような。

 恥ずかしがっているような、隠し事をしているような。

 そんな感じ。


 我が家のルールでは隠し事は無しだ、という方針に今決めてしまおうか。

 でも家族とはいえ隠し事の一つや二つや三つ、持ちたいものでもある。

 例えば僕は中学生の時一年生から二年生にかけて好きな子の観察日記をつけていたが、それが眠るフォルダは決して家族でも知られたくない。

 あの子の執事になった気分で過ごした日々やあの子の兄になった気分で過ごした日々などが収録されているが、今の自分が見てみると純粋に気持ち悪い。


 そういえば、萌音は中学生である。

 まさかとは思うが僕のようなおバカな奇行に走ったりしてはいないだろうか。

 心配になってきた。

「萌音、何か困っていることでもあるのか? 兄ちゃんが相談に乗るぞ?」

 ぴくっと萌音は体を揺らし、硬直した。

 自分では普通に振る舞えていると思っていたところを看破されてしまったみたいな反応である。

 こうした反応を示すということは、何かしら彼女の中で渦を巻いているということなのだろう。

 それからもそもそと目玉焼きを食べ始める。

「に……さん、儀式って……、の……?」


 今度は僕がビクッとなった。

 瞬間的に佳枝葉との儀式が頭を駆け巡る。

 顔が熱くなる思いだ。


 儀式はそんなに良かったか?

 いや、あれは、〈聖儀式〉というものはそもそも我々人類の奇跡的に得た魔物という部分を交配させるもので、いや『交配』という言葉も語弊があるかもしれないが魔物の部分を男女で影響を与え合うことによって新たな能力を獲得するという極めて戦略的な協力関係の下に行われる事務的な行為であるからして、その時発生するあらゆる感覚は性的興奮に似てはいるもののそれは〈聖儀式〉に興味を向けさせ活発に行われるよう〈魂石〉が仕組んだ罠なのではないかという説もあるくらいの、これだけ言えば分かってもらえただろうか、簡単に言うならば。


 良かった……!


「あれはね、別に良いものでもないんだよ。能力を得るために仕方なく……」

 ポーカーフェイスで僕は言う。

「でも、に……さん、凄い声出してた……」

「うぅ……っ」

 ポーカーフェイスは二秒で破られてしまった。


 何と言うか、目を合わせ辛い。

 試しにちらと萌音の目を見てみると。

 目が据わっておられた。

 慌てて視線を逸らす。

 汚れを知らない妹からすれば、兄がふしだらに見えるのかもしれない。


 しばらく咀嚼音が続く。


「…………萌音、だって……」

 ぼそりと我が妹は言った。


 僕は戦慄した。

 なん……だと?


 無意識にガタッと立ち上がり、僕は必死に説得を試みた。

「萌音、お前〈聖儀式〉に興味あるのか? 僕はまだ萌音にはそういうのを考えるのはちょおっと早いかなあって思ったりするんだよねー。基本的にはハタチを過ぎてから、ほらお酒はハタチを過ぎてからって言うじゃない? 何なら結婚する時に初めてするというのでも良いんじゃないかなあハハハ」

 我ながらなんと身勝手なもの言いか。

 でも、僕がどんなに汚れても(汚れたか?)妹だけはキレイなままでいてほしい。

 僕のわがままな願いである。

「でも、に……さん、は、してる……」

 即座に鋭い切り返しをされてしまった。

 僕はしどろもどろに言葉を重ねるしかない。

 自分のことをどうやって棚に上げるか、それが重要だ。

「そ、そうかもしれないけど。でもね、これは軽々しくしていいものじゃないというか、重大な選択なんだよ。せめてこれと決めた人が現れてからにしなさい」

「……萌音は、もう、決めて、る……から……」

 ぼそりと我が妹は言った。


 僕は戦慄した。

 なん……だと?


 無意識にガタッと立ち上がり、僕は必死に説得を試みた。

「萌音、お前もうこれと決めた人がいるのか? 僕はまだ萌音にはそういうのを考えるのはちょおっと早いかなあって思ったりするんだよねー。ちなみに何て名前? 同じクラスなの? 住所は? え、知ってどうするかって? やだなあ兄として少しだけ、そう少しだけをしておこうと思っただけだよ」

 二度と我が愛する妹に近付けぬよう僕は汚れ仕事をする所存である。

 名探偵の漫画を読み漁り、密室トリックを考えねば!

 ウチの妹に手を出すとは良い度胸だなあふふふ、どこの誰だか知らないが、楽に死ねると思うなよ?!

 黒い炎がメラメラと僕の中で燃え盛った。

 ふふ、ふふふふ……

 仄暗い笑みが漏れ出ていたのか、萌音がジト目で睨んできた。

「に……さん、の……よく、知ってる、人……だよ……」

「え、僕の知ってる人? 男で知ってる人なんていたっけ? あ、涙が……いや違う、知ってるだけで良いならいっぱいいるハズだ。くそ、誰だ……知ってるだけでも数は相当限られているからヒントさえあればサーチに五秒もかからないのに……!」

 すると萌音は急に顔を赤らめてヒントを出し始めた。

「いつも……萌音の、近くに、いてくれて……優しくて……気遣って、くれて……よく、話しかけて、くれて……ステキな、人……」

 その顔は、恋する乙女のそれ。

 頭から生えた天使の翼も恥ずかしそうにもじもじしている。

 妹のこんな顔、初めて見た。

 僕は奈落に突き落とされたような絶望を覚えた。

 何だそのイイ男は……!

 奥歯を噛み砕く勢いでぎりぎりと噛み締める。


 …………そうだ、始末しよう。

 拷問を特集した本を読み漁らなくっちゃ!


 これも我が妹を守るためだ、そのためなら修羅の道に飛び込む所存である!

「萌音、よく聞いてくれ……場合によっては僕は数年間遠いところで過ごさなくちゃならない。でもそれは萌音の目を覚まさせるためだからね」

 僕が切羽詰った野獣のように目を血走らせてそう言うと、萌音は片方のほっぺたを膨らませてぷいっと横を向いてしまった。

「……目、覚ますの、に……さん、の方……何で……気付いて、くれない、の……?」

「気付けと言われてもな……」

 そのヒントでは現状は厳しいのだよ。

 僕はその後必死になって考えてみたが、ヒントに合致する人物は思い浮かばなかった。


 生活の方は大変さが増してきた。

 日数が経過すれば【天使】の物珍しさも薄れ、落ち着いていくだろう。

 そう思ったけど、それも甘かった。

 僕の所にテレビや雑誌の取材が殺到したのだ。

 世界で二例目の【天使】、しかも兄妹である。

 面白おかしく報道するにはうってつけだったのだろう。

 全国的に僕と萌音は知れ渡り、余計騒がしくなってしまった。

 家の周囲だって人だかりができるようになったし、これではまともな生活が送れない。

 そんな時、とある人が家に訪ねてきた。


「やあやあどうも、お久し振りです」

 上等なスーツに身を包んだ中年男性・山田太郎やまだたろう

 本人も偽名だとはっきり言ってくれたが、仕事柄明かせないらしい。

〈内閣魔物管理室・課長〉という肩書きが、もらった名刺に書かれていた。

 名詞をもらったのは何年も前だ。

 萌音が国の保護指定を受けた時に、この山田さんは家にやってきた。

【天使】の希少性や重要性、それから保護方針をその時は説明してくれた。

 今回もそうなのだろう。

「お久し振りです」

 僕と萌音でテーブルにお通しした。

 それから、予想通り萌音の時と同じ説明がなされた。

 僕もどうやら保護指定の対象になったらしい。


 説明が終わり、こちらで用意したお茶を一口すすると、山田さんはところで、と別の話を切り出した。

「【天使】は世界で二例しかない。しかも我が国が独占している。これはとても誇らしいことだね? で、我々は二例目の【天使】が出てくるのを心待ちにしていたんだよ」

 にこにことした顔で山田さんは続ける。

「一つ、小話をしよう。巷に流れている噂話なんだけどね。【イフリート】はこれまで世界で二例しか確認されていない。この【イフリート】同士で〈聖儀式〉をしたら、【サラマンダー】が現れた。特殊な能力を持ち、街一つを焼き尽くした【サラマンダー】はこれ以外の〈聖儀式〉で確認されたことのない希少種だ……こんな噂話だね。でもこの話は、実際の【サラマンダー】を見た人がいないということで都市伝説化している。でもこれは、なんだ。これについてはとある国と別のとある国で【イフリート】が分かれていたから、二国間でどうするか大変だったみたいだね。でもまあ、これ以外にも同じような事例が幾つかあってねえ。このことから、【天使】みたいな超希少種同士によって〈聖儀式〉をすると超超希少種が出現する、という公式が成り立つわけだ」

 秘密の話を聴けて僕はほぅほぅ、と関心を寄せた。

 超希少種よりもレアな、超超希少種。

 凄い響きである。

 隣の萌音は、え……と小さく声を漏らした。

 どうしたのだろうか。

 山田さんはもう一度お茶で口を湿らせ、にこやかに言った。

使?」

「はぁ、良かったですね……?」

 僕は意味が分からず曖昧に頷く。

 隣の萌音がビクッとした。

 何かに気付いたのだろうか。

 山田さんは貼り付けたようににこやかなままだ。

使?」

「さぁ……想像もつきませんが」

 さっきから話が見えない。

 僕は首を傾げるばかりだ。

 そうしたら山田さんはにこやかなまま、ちっと舌打ちした。

 怖い。

 それからテーブルの上で、顎の高さで手を組み、やはりにこやかな顔で言った。


「君は、妹と〈聖儀式〉をしたいと思ったことは、ないかね?」


「…………あるわけ、ねえだろ!」

 僕は全力で叫んだ。

 頭おかしいのかこの人!

 これにいち早く気付いていたから萌音はさっきビクッとしたのか……!

「だって超超希少種だよ? 興味無いの?」

「いや、興味無いということはないですけど……」

「じゃあ問題ないね?」

「ありまくりだっ」

「えっ……何が?」

 わざとらしくとぼけて驚いた表情を作る。

 食えない人だ。

 このまま口八丁で押し込んでしまおうという魂胆だろう。

「分かってて驚いた振りしないで下さいよ! 妹とはできません!」


「義妹だから良いでしょ? 女子中学生の義妹と〈聖儀式〉するだけじゃないか」


「このエロオヤジ! それに中学生はまだ〈聖儀式〉が解禁されていません」

 僕はここぞとばかりに法を持ち出した。

 僕はいつも巳薙にカモられて鍛えられているんだ。

 たまには口八丁に反撃に出られる。

 ここでそれが役に立つとは思わなかったが。

 しかし山田さんはにっこりと。


「法は破るためにあるのだよ」


「あんたの肩書きは飾りか?!」

「まあまあ落ち着いて。それも見越して、特例を認める手続きも済ませておいたから、これで心置きなく、ね?」

「フザケンナ! 萌音だってそうだろう?」

「…………う、うん……」

 我が妹は何だか挙動不審な感じだが、まあそれはいい。

 この後もしつこく粘る山田さんに僕は拒否をし続け、何とか追い返した。


「もうやだ、疲れた……」

 僕は学校で机に右のほっぺたを押し付け、死んだ目をしていた。

 山田さんは連日僕の家にやってきては粘る。

 追い返すのも大変だ。

 幾ら積まれたって駄目なものは駄目だ。

 これは僕の譲れないところだ。

 巳薙が僕の顔をつつきながら言う。

「してあげれば良いのに」

「巳薙までそんなこと言うのか」

「何が問題なの?」

「それ毎日されてる質問だからイラッとくるんだけど」

「何回も同じ質問するのって取調べみたいだね! カツ丼は出るの?」

「ねえ何でそんなに嬉しそうに言うの?」

「奏滋が不幸そうな顔してるからだよ!」

 他人の不幸は蜜の味!

 僕にとっては他人事ではないのでとっても苦い味なのだが。

 佳枝葉は僕の背中を優しくさすってくれた。

「ソウジ、もし辛かったらボクが授業の記録はしておくから保健室へ行って休むが良い」

 なんていうかね、巳薙がピリ辛だとすれば佳枝葉は甘い系で、二人いるとバランスとれるんだよね。

 今までピリ辛に偏った生活を送ってきたから不思議な感覚だよ。


 何とか授業をこなして帰り道。

 僕達三人はスーパーに寄ろうとしていた。

 そんな時、店の前で変な集団に呼び止められた。

「おお、あなたはもしや【天使】の御兄様ではありませぬか?!」

 見るからに胡散臭い出で立ちの無精髭を生やした青年。

 言葉遣いもわざとらしい。

 その青年の周りにはちょっと陰気な感じの男達が三人ほど並んでいる。

 これも取材を受けた影響だろうか。

「【天使】といえば【天使】ですけど」

 僕は知らない人から声をかけられたことに少し抵抗を感じながら返した。

 巳薙と佳枝葉は静観の構えだ。

 無精髭の青年はまるでアイドルに遭遇して舞い上がっているように恍惚とした表情で小躍りを始めてしまう。

「やはりそうでありましたか! いやぁ~拙者、一度で良いから【天使】とお会いしたかったのでありますよ! しかし今日は【天使】の御兄様だけで【天使】と一緒ではござらぬのですか?」

 若干意味不明なことを口走ってしまっているようだ。

 恐らく【天使】と【天使】の御兄様は別物。

【天使】は萌音で【天使】の御兄様は僕のことを指していると思われる。

「妹は学校が違いますので……」

 それを聞くと一変して無精髭の青年はミュージカル調に胸を苦しそうに押さえた。

「何と……【天使】は【天使】の御兄様と離れ離れで過ごしておられたのか! それはさぞ【天使】もお寂しい思いをしておいででしょう……! それならば」

 また悲しみから一変、熱のこもった表情で詰め寄ってきて僕の手を取り、

「拙者が、いや我々に【天使】の通学時の護衛を務めさせて下さらぬか?!」

 無茶苦茶な要求をしてきた。

 厄介なのが来たなあ……

 僕は引き気味に断りの言葉を探す。

「いやそれは困りますよ。護衛とか言われても……」

 むしろその護衛達が信用ならなくて逆に危険だ。

「物騒な世の中、何が起こるか分かりませぬ。【天使】は超希少種で保護対象! 片時も保護されていない時間があってはなりませぬ! どうか!」

 だからあんた達がいる方が何かが起こりそうなんだってば。

「一応人通りの多い道を通るように言ってあるので大丈夫だと思いますよ」

 萌音は怖がり屋さんだから行き帰りのルートは入念に調べてある。

 危険は未然に回避すべしの精神だからそこは心配ない。

「護衛が無理なら我々の集会所にちょっと顔を出していただくだけでも! ほんのちょっと【天使】の笑顔を我々に与えていただければ良いのです!」

 ○○が無理なら○○って普通グレードダウンするものじゃないの?

 何で要求がグレードアップしてるの?

 もう怪しすぎて付き合っていられない。

 さっさと会話を打ち切りたいけど、よほど熱狂的な【天使】ファンなのかその後も必死に食い下がってきた。

 しまいには四人揃って土下座までする始末。

 どうすれば切り抜けられるだろうか。

 僕は困り果ててしまった。

 そうしていると、巳薙が冷たい声を発した。

「ふぅん、あなた達意外とみたいね。ちょっと検索したら出てきたわ」

 すると無精髭の青年を始めとした集団はビクッとなった。

「いや、はは、何のことですかなお嬢さん……」

 巳薙は声に合わせてぞっとする程冷たい、事務的な表情だ。

「へぇ……あなた達の中心に【天使】が必要なのね。護衛とかちょっと顔を出すだけとか言ってるけど、は別にあるんじゃないの?」

 無精髭の青年はがばっと立ち上がると直立不動の姿勢になった。

「ちょっと我々は用事を思い出したので、これにて……失礼します!」

 そうして集団は全速力で逃げていった。

 僕は目を丸くし、それを見送る。

「これはいったい……」

 まるで魔法だ。

「何かちょっと怪しいから、あいつらの特徴を基に、すぐ検索をかけてみたんよ。そうしたら案の定、怪しげなことやってる集団がヒット! 萌音が狙いよ」

 巳薙はしてやったりの表情で肩を竦める。

「そうだったのか……ありがとう、助かったよ」

 静観しつつ、こっそり僕の手助けのために動いてくれていたとは。

 こういう時にカモるのがうまい=駆け引きがうまい彼女がいると助かる。

「まあ、奏滋はカモられても良いけど萌音ちゃんがカモられるのは嫌だからね」

 そうやって鼻を高くする巳薙。

 でもよく聞いてみると僕が切り捨てられているのだが、それはたぶん、照れ隠しでそうしているのだろう。


 きっとそうだ。

 ……そうだよね?

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