第9話

 せっかく【インプ】男子を突き止めた僕達だが、ちょうどそこでHRに突入してしまった。

 それ以降この日は【インプ】男子を捕まえる機会は訪れなかった。


 翌日。

 朝早めに集まった僕達だが、巳薙がどうも不思議そうな顔で首を傾げていた。

「どうしたの?」

 僕が尋ねると彼女は切り出す。

「昨日お母さんと話してみたら『やめておきなさい』って言われたんだよねー」

 それはまた、何故だろう?

 巳薙が昨日帰宅した後、夕食時に〈聖儀式〉のことを母に話してみたらしい。

 そうしたら、やんわりと制止されたそうだ。

「ミナギの母君は【セイント・リチュアル】に否定的なのか?」

 佳枝葉の疑問に巳薙は首を振る。

「そうでもない、と、思うけど……いややっぱり、否定的、かなぁ?」

「何だ、はっきりしないな」

「何というかね、ちょっと、ね……うーやっぱり話した方が良いのかなあ……」

 奥歯に物が挟まった、それも苦い丸薬が、という感じで巳薙は俯いた。

 彼女は特に素直じゃなく、自分のことを話したがらない性格だ。

 よっぽどのことがない限り喉の奥で警護されている本音を口の外に連れ出すことは無いだろう。

 だが。

 次に佳枝葉が繰り出した言葉が空気だけでなく心も揺らした。

「別に無理強いはしないぞ。ボクも身の上を明かすのには随分勇気がいったからな。本当は、話すのが怖かった……知られてしまったら、キミ達に侮蔑の目を向けられてしまうのではないかと。キミ達を家に迎え入れた時、ボクは話したらどんな顔をされるだろうと思って震える手を必死に握り締めていたんだよ」

 そう言って照れくさそうにはにかむ。

 元気いっぱいに中二発言を繰り出す彼女の内なる気持ち。

 あの時は沢山のお札に気を取られて気付かなかった。

 巳薙はそんな彼女に目を瞠った。

 それから納得したような、つかえが取れたような表情に変化していった。

「そっか、そうだよね……言うのが怖いことって、みんな持ってるよね……なんか佳枝葉ってそういうところが眩しいんよ。こっちも影響されそう。分かった、喋る。出血大サービスであたしのこと喋るよ」

 一方佳枝葉は良い事を言ったという自覚が無いらしく、眩しいと言われたことにテレテレし始めた。

「そ、そうか? いやあボク、実は後光が差していると一万年前からもっぱらの噂でね」

 こりゃおだてると木に登るタイプだな。

 まあ、こういうはっきりしたところが彼女の魅力なのかもしれないが。


 ……いや、待て。

 魅力?

 僕は今魅力って言ったのか?

 佳枝葉と目が合ってしまい、何故か僕は目を逸らした。

 彼女と〈聖儀式〉した時の光景が思い出され、顔が熱くなった。

 深く考えないようにしよう。


 それから巳薙が事情を話し始めた。

「ウチのお母さんはシングルマザーなんだ。ただ、ウチの場合はお父さんとは不思議と関係が続いているんだよね。望んだけれども結婚はできなかった、という感じ。生活費も入れてくれている。あたしも毎月会っているし、仲が悪いわけではない」

 彼女の家の事情は何となく気付いていたが、深くは突っ込んで聞いたことはなかった。

 声の調子や顔色からは悲嘆するようなものは感じられないので、ドラマみたいな泥沼のものではないのかもしれない。

 巳薙は机に肘をついて続ける。

「お父さんのお母さん、要はあたしから見て父方の祖母にお母さんが気に入られなかったの。結婚を認めてもらえなかった。お父さんは画家なんだけど、画家に嫁ぐのであれば最低限の絵は描けるようでなければ駄目だと祖母は言った。お母さんは絵の試験を受けることになった。そして、落ちたのよ……」

 それを聞いて佳枝葉が憤慨した。

「そんなの理不尽ではないか! 画家に嫁ぐからといって絵ができなければならない必要はないだろう!」

「あたしもそう思う。けど……お父さんの家は何代も続いている画家の名家みたいなの。だからどうしても試験を受けないといけないんだって」

 家のしきたりとか風習といったものだろうか。

 確かに名家ともなれば色々と厳しかったりするのかもしれない。

「だが、そんな名家の試験ともなれば相当難しいのだろう? とても一般人のクリアできるものでは……」

 画家の名家が出す試験。

 美術で賞が取れるような人でもなければとてもではないが認められるとは思えない。

 だとしたらそれは試験として成り立たないのでは?

 試験というのは名目で本当はただ追い返したいだけ……そんな本音を邪推してしまう。

 巳薙は渋面を作って、言った。

「それがね、ウチのお母さんの絵……あたしが見ても分かるほどド下手だったのよっ!」

 どうやら問題外のようだった。

「これまで試験に合格した人の絵を見せてもらったら、そんなに巧くなくても良いって分かった。月並に描けていれば良いって。りんごならりんご、鳥なら鳥、とりあえずそんな風に一発で認識できて大体の特徴さえ捉えていれば良いってことだった。でもね……」

 巳薙は拳を作り、ぷるぷる震わせながら言った。

「ウチのお母さんの絵、毛虫にしか見えないのに……『これお父さん』って言ったのよおおおおおおおおぉっ! あたしは子供ながらにお母さんの胸倉を掴んでガクガク揺すってやったわ! これお父さんを侮辱? 侮辱したの? あんたにはお父さんがこう見えてんのって! あたしは人間と毛虫のハーフかよって!」

 何とも微妙な空気になった。

 多感な時期にこれは、確かに子供としては激怒するかもしれない。

 幼いうちは親という存在がとても大きく、頼るべきものなのである。

 自然と期待値も高くなるので、ガッカリなどさせてくれるな、ということだ。

「祖母は何回かチャンスをくれたみたいなんだけど、全部落ちた。結婚は認められなかった。あたしが生まれるのはもう分かっていたことだから、月一回会う程度なら許すということになったの。それでね、あたしは訊いたの、『そんなことなら〈聖儀式〉で絵の能力を獲得しちゃえば良かったじゃない、何でそうしなかったの?』って。そうしたらお母さんは首を振った……そうしたら意味が無いって」

「いったい何故だ! 何度もチャンスを貰えたのなら〈聖儀式〉でクリアする道もあったハズだろう?」

 佳枝葉が疑問を投げ掛ける。

 僕もそう思った。

 何度もチャンスを貰えたのなら、その間に〈聖儀式〉を行う時間はあったハズだ。

 クリアできる道が分かっているのに、何故そこに行かないのか?

 巳薙は釈然としない様子で首を振った。

「あたしも問い詰めたんだけど、『いつかあなたにも分かる』って言ってた……」

 釈然としない気持ちは僕達にも伝播した。

 首を捻るしかない。

 大人の中には〈聖儀式〉を全くしなくなる人もいるという。

 そういった〈聖儀式〉否定論者なのだろうか。

「ふーむ、はぐらかされた感があるな」

「今回はやめなさいって言われたけど、どうしてもというなら構わないとも言われてるのよね」

「ならば、別に構わないのではないか?」

「うん、そうだと思う……」

 巳薙の母の言葉は魚の小骨のような引っ掛かりを残した。

 いつかあなたにも分かる、か。


 放課後、ようやく【インプ】の男子に声をかけることになった。

 名前は不知火泰司しらぬいたいじというらしい。

 事情を話してみると不知火はあっさりと承諾した。

 などということはなく。

「悪いが、無理だ。俺は水泳に必要な能力を備えている最適な相手を探している」

 クールな顔で淡々と話すサマはどこか大人びている。

「そこを何とかお願いできないかなあー?」

 巳薙が頼み込んでみるもダメ。

 計画的に〈聖儀式〉の相手を選ぶ不知火には思惑が一致しない限り合意には至らなそうだ。

「他に【インプ】の男子っていないのかよ」

「それがね、委員長情報だとこの学年には不知火君だけみたいなんよ」

 そう、クラス委員長が情報通だというので聞いてみたのだが、残念ながら不知火以外に【インプ】の男子はいなかった。

 巳薙としては彼に頼るほかないのである。

 佳枝葉が膠着状態に早くも我慢ならなくなった。

「シラヌイとやら、勝負しろ!」

 なぜ勝負なのかは分からないが、とにかくこの娘は勝負が好きだ。

「勝負?」

 やはりというか、不知火が怪訝な顔をする。

「ボクが勝ったらミナギの頼みを聞くのだ!」

「何で葉歌呉のことでお前と勝負しなくちゃならないんだ?」

「大切な仲間だからだ!」

 佳枝葉はたぶんRPGのパーティメンバー的な意味合いで言っている。

 しかし不知火は言葉通りの意味で捉えたのか、目をぱちぱちとさせていた。

「大切な、仲間……?」

「そうだ。仲間と協力して高みを目指すのがボクの信条だ……!」

 翻訳すると仲間と協力してハイレベルなモンスターのいるフィールド(高み)を目指すのが信条ということだろう。

 その方がゲームで経験値を稼げるからだ。

 だが不知火はそんな真意は分からない。

 言葉通りに受け取ってしまう。

「ほう、仲間と協力、ねぇ……良いだろう、その勝負受けてやるよ。俺は一人で高みを目指すと決めている。足手まといは要らないという考え方だ。どっちが上か決めようじゃないか……!」

 今のご時世友達とか仲間とか青臭いことを言えばイラッとされる可能性がある。

 不知火は特に水泳選手として高みを目指しているならライバルが多いはずだ。

 甘いことを言ってるんじゃねぇという気持ちになったのかもしれない。

 とはいえ奇妙な意思疎通のズレが幸運にも勝負に持ち込むことに繋がった。

 佳枝葉の突拍子も無い言動は時に良い方に転ぶようだ。


 さて、勝負の方法はどうするか。

 僕達としてはこちらに有利なものにしたい。

 しかし不知火は水泳で勝負をつけるというところに拘った。

 まあ彼に認めてもらうにはそれしかないかもしれない。

 でも普通に勝負すれば僕達が負けるのは目に見えている。

 そこでハンデをつけることにした。

「お前達は一人二五メートルずつリレーして泳げ。俺の方は一人で一〇〇メートル泳ぐ。それでどちらが速くゴールできるか勝負だ」

 不知火は余裕を見せながら言った。

 それでも勝てるという自信があるのか。

 さすがにこれくらいハンデがあれば何とかなるんじゃないか。

 僕らはそう思ってこれを了承。

 それから場所を移すことになる。


 各自水着を取りに帰宅し、それから近所のフィットネスクラブに集合。

 施設内にあるプールを使うことにする。

 巳薙は標準的な水着だった。

 それに対し佳枝葉はスクール水着であった。

 別に狙ってやっているわけじゃなく、それしか持っていないのである。

 それに、本人もいたって自然体だ。

「ははは、シラヌイとやら、ボクがギッタンギッタンにしてやるぞ!」

 水泳の勝負でギッタンギッタンにする要素はどこにも感じられないが、自信満々だ。

 対する不知火はプールサイドで準備運動を始める。

「とりあえず無理はするなよ? 足つって助けてーとか言われても困るからな」

「ふふん、キミこそ今更泣いて謝っても遅いからな!」

 たぶんこの二人は一度も意思の疎通が成功していないが、それでも会話は流れていく。

 僕と巳薙は順番決めをしていた。

「僕はアンカーは嫌だ。責任重そうだし」

「あたしも嫌だ。じゃああたしが一番で奏滋が二番、佳枝葉がアンカーにする?」

「佳枝葉、アンカーはだから。それで良いか?」

「責任重大? ボクにしかできない? ふふふ、望むところだっ!」

 うむ、チョロい。

 モノは言いようである。


 そして勝負の時はやってきた。

 他の客が使用していない箇所を選び、巳薙と不知火がスタート位置に立つ。

「よーい……」

 僕がスタートの合図の係で、声を出す。

 巳薙と不知火の顔に緊張が生まれる。

 飛び込む姿勢を作る。

 巳薙がお尻を突き出したのでドキッとした。

「……スタート!」

 合図を言い終わると二人がほぼ同時に水面へ飛び込んだ。

 水飛沫が上がる。

 そういえばここは二五メートルプールだ。

 僕はのんきにスタート地点にいるわけにはいかない。

 対岸でバトンタッチになるんだった。


 慌てて対岸まで走る。

 途中経過を見ると巳薙は健闘していた。

 不知火の方が化物じみた速さで泳いでいるだけで、大きく離されずにいる。

 僕はゼーハー言いながら対岸まで辿り着き、その頃には不知火はターンを決めていた。

 それから少しして巳薙がやってくる。


 巳薙が対岸にタッチするのを見届けると僕は飛び込んだ。

 水面にしたたかに腹を打って痛かった。

 飛び込みなど普段しないからだ。

 泳ぎ始めたけど既に走って疲れていたので動きが重い。

 対岸まで走らされたのは誤算だった。

 こんなことなら佳枝葉にスタートの合図をやらせるべきだった。

 クロールなんだかじたばたしてるだけなんだかよく分からない泳ぎで必死に向こう岸を目指す。

 ゴボゴボッと少し水を飲んでしまう。

 いきなり泳ぐもんじゃないと思う。

 なかなか辿り着かない。

 ヤバイ。

 こんなに時間がかかってしまっては不知火に負けてしまうのではないか。

「奏滋、追いつかれちゃうよ頑張って!」

 巳薙の声が聴こえる。

 嘘だろ、こっちのチームが五〇メートル泳ぐ間に不知火は七五メートルも泳げるのかよ。

 高みを目指すと豪語するだけはある。

 もう少し余裕を持って佳枝葉に渡したかった。

 これでは絶望的だ。

 必死に泳ぎ、ようやくスタート地点にタッチ。

 アンカーの佳枝葉の出番である。


 僕が水面から顔を上げると、不知火がちょうどターンするところだった。

 不知火も佳枝葉も残り二五メートルの真剣勝負である。

 普通に考えたら水泳選手に同じ条件で挑んで勝てるはずがない。

 だが佳枝葉に賭けるしかない。

 もしかしたら隠れた水泳の才能でも持っているかもしれない。

 そうでなくとも、彼女なら何かやってくれるのではないか。

 普段から色々やらかしてしまう、彼女なら。


「佳枝葉、頑張れ!」僕は祈る気持ちでその瞬間を見送った。


「佳枝葉、勝って!」巳薙も檄を飛ばした。


「ははははは! かつもくせよ! これがボクの泳法・バタフライならぬドラゴンフライだあっ!」

 何でもドラゴンと付ければカッコイイと思っているのかもしれないが、ドラゴンフライはトンボだ。

 佳枝葉は飛び込んだ。

 いや、それは表現がおかしいかもしれない。


「えっ……?」僕は遥か頭上を飛んでいく彼女を見送る。


「は……?」巳薙がポカンと口を開ける。


 佳枝葉の放物線はとんでもなく大きかった。

 僕らがスタートから一メートルもいかないところで着水するのに対し、彼女の飛距離は五メートル、一〇メートル、一五メートルと伸びていく。

 その滞空時間、五秒以上。

 とんでもなく長い時間彼女は空中散歩していた。

 不知火も途中で気付いたのか驚いて立ち上がっていた。


 ドパンと佳枝葉が着水したのは二〇メートル地点だった。

 明らかに不知火よりも大幅リードした地点である。

 そして勢いが止まらないのか、対岸でゴンッという重い音がした。


 プカァッとどざえもんが浮かんできた。


 ピクリとも動かない。

 いったいこれはどういうことか。

 妙な空気が流れた。

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