第5話
一週間の料理特訓。
佳枝葉は学校で迫ってくることはなくなり、その分空き時間で料理の勉強をするようになった。
放課後は僕が彼女の家に行って特訓。
最初の内こそ自由奔放に料理に取り組み、人の話を聞いているんだかよく分からない状態だった。
でも日を追うごとに徐々に僕の話に耳を傾けるようになり、そこからはスポンジのように知識を吸収していった。
その間巳薙はむっつりとして僕達のやりとりを見ていた。
たまに会話には加わるけど、そっけない。
ちょっと機嫌が悪いのかな?
でも佳枝葉の上達ぶりとか、教えている時間が楽しくてあまり気にしていなかった。
それに巳薙と僕で二人だけの時は普通にしていたしね。
特訓最終日には充分な味のチャーハンが作れるようになり、確かな手応えを感じた。
そして再勝負の日。
僕の家で再び台所に立った佳枝葉は別人のようだった。
シュバババッという音がつきそうな包丁捌き。
きびきびとした食材の扱い。
的確な調味料の量。
これは期待できる……見ててそう思った。
気迫や熱気も伝わってくるのだ。
作業が進むにつれて食欲を刺激する匂いも漂い始める。
フライパンを火にかけ、音楽で言うところのサビの部分に入る。
食材を入れたらジャッという音が奏でられ、すぐさまおたまのガチャガチャというリズムが刻まれた。
本当にサビというに相応しく、盛大に、華やかに激しい光景。
彼女は唄っていた。
大好きなアニメソング。
ごきげんで唄えるだけじゃなく、意味もある。
唄い終わりが炒め終わりとなるように計算されているのだ。
これは僕が教えた方法だ。
額にはうっすら汗が浮かび、時折腕で拭う。
その表情には確かな手応えを感じている笑顔があった。
彼女の唄に熱が入る。
佳境を迎えた。
見ているこっちもリズムで体を揺らしてしまいそう。
そしてクライマックス。
一際強くフライパンを振った後、おたまでカンカンと甲高い音を響かせて、火を消した。
おおっと僕は思わず拍手を贈った。
妹の萌音も隣で拍手した。
これはもしかしたら……!
巳薙も作り終わり、二人の作ったチャーハンが食卓へ並べられる。
見た目は両者とも申し分ない。
四人でテーブルを囲み、レンゲを手に取る。
全員が一斉にできたてのチャーハンを口に運んでいった。
運命の、瞬間……!
蛇口から落ちる一滴の水の音すら響くような静けさ。
喘ぐように呼吸しなければならないような重い空気。
室内にはいまだ食欲をそそる香りがふわりと漂っている。
巳薙と佳枝葉の真剣に料理に取り組んだ熱気も残っている。
僕と萌音はしきりに言葉を探し、視線を彷徨わせる。
何とか判断に迷っているフリをしようとして、僕は拳を口に当て眉間に皺を寄せた。
口元が隠れていればそれっぽく見えると思って。
萌音は表情があまり動かないところを利用して、俯いて両手で頬を押さえて考え込む仕草をしている。
額にはうっすら汗が滲んでいた。
テーブルに載った皿は全て空になっている。
一口食べ終わると後は夢中で完食したのだ。
僕達の舌が下した判断は同じようだった。
どちらも旨かった。
それは確かだ。
しかし、やはり差があった。
そう味覚が訴えている。
その空気を読まないのはただ一人、巳薙だけ。
彼女だけはイエーイとピースサインを高らかに掲げ、飛び跳ねている。
まるで葬式の中で一人だけ飛び跳ねているみたいで痛々しい。
佳枝葉はというと、空気が読めているようだった。
その瞳は呆然として揺れ、潤んでいる。
悲しさを気丈に振舞おうとして尖らせた口を必死で引き結んでいる。
竜の翼もへなへなと垂れ下がっていた。
小さな肩は気の毒なほど震えている。
テーブルの下に隠れた腕から先は、きっと太腿の上でぎゅっとスカートを握り締めているのだろう。
僕は自分の胸が締め付けられるような感覚になった。
切ないのだ。
彼女の頑張りは一週間、この目で確認してきた。
ちょっとドジでもそれを帳消しにするぐらい真剣に取り組んできた。
人の話もよく聞いて、それを吸収していった。
確実に上達していっている、という実感もあった。
それなのに。
それなのに、届かないのか。
というか、巳薙は前回、まだ本気を出してなかったようだ。
今回のは、前回より明らかに味が良い。
力を隠していたのだ。
ズルイと言えば、ズルイ。
でもそれが勝負だ。
別に巳薙は佳枝葉の作業を妨害するとか卑劣な手段に出たわけではない。
佳枝葉も充分それは分かっているからこそ、文句を言わないのだ。
だが、そうやって結果を必死に受け容れようとする佳枝葉の姿が涙腺を刺激する。
悪態をつくなり茶化すなりしてくれた方がこちらもよっぽど気が楽だった。
なおも僕と萌音は視線を彷徨わせ、口を開くことの重さを感じていた。
悩む。
真実を伝えるべきか否か。
本人ももう結果は分かっているんだろうけど、それをはっきりと聞かされればきっと傷付くだろう。
しかし、嘘をついたとしても変わるだろうか?
嘘だとバレればそっちの方が傷付くのではないか?
自分だったらこういう時、すぐ分かる嘘よりもはっきり言ってくれた方がマシである。
まあはっきりといっても、やんわりと言ってくれるのがベストだけど。
言われるのもきついけど、言うという立場になってみるとこれもきついなあ。
重責というのは重い責任と書く。
重いんだよ。
ちらと萌音を見てみる。
妹にその重い責任を背負わせるわけにもいかないよな……
やっぱり僕が言うしかない。
錆び付いた歯車を回すみたいにようやっと僕は口を開いた。
「食べ比べてみた結果……なんだけど……どちらも旨かったよ。とても旨かった。ただどうしても勝敗を決めるとするならば、こっちかなぁ……」
そうして僕は巳薙の皿を手で示す。
やんわりと伝えるには言葉よりもこうして皿を示す程度の方が良いと判断したから。
佳枝葉の肩がビクッとなった。
僕が萌音に視線を送ると、萌音もぼそりと呟く。
「に……さん、と、同じ……」
佳枝葉は生まれたての小鹿みたいになってしまった。
その隣では巳薙が椅子の上で立ち上がって小躍りを始めてしまう。
「イエーイあたしの大勝利! どうだったあたしの腕前? やっぱ隠し味の――」
たまらなくウザイ……
でもなかなか次の言葉が出てこなくて、巳薙のオンステージは続いてしまう。
身振り手振りをつけながら、今日の勝負が始まる前からの構想や計画。
そして食材の買出しではあれとこれで迷った時にこれを選んで良かったとかいうエピソード。
勝負が始まってからの失敗やそれをフォローするための奮闘。
沈痛な面持ちで俯く僕ら三人をよそに、ごきげんにポニテを揺らしながらストーリーを紡いでいく。
まるでマシンガントーク。
原稿も無しにここまで空でスラスラと喋り続けるのはなかなかできるものじゃないだろう。
どこまでが本当でどれくらい話を創っているのかは分からないけど。
いたたまれない気持ちが僕の中で急激に膨らんでいった。
目を伏せて耐えるように体を震わせる佳枝葉、ごきげんに喋り倒す巳薙。
この二人を交互に見ると胸が締め付けられたんだ。
明と暗。
勝者と敗者。
佳枝葉の皿には、彼女の作ったチャーハンが殆ど残っている。
彼女は巳薙の作ったチャーハンを一口食べてから、沈んだ表情になって自身のチャーハンに手をつけなくなってしまったのだ。
その残ったチャーハンが佳枝葉の気持ちを表しているようで。
僕の胸に湧いた気持ちは決壊を迎えようとしていた。
まだ巳薙のトークは続いている。
「でさ、焦げ目を多くつけちゃってこれは失敗したかなーと思ったんよ。でもおこげが好きって人もいるしまあいっかーと思ったら意外にこれが良くて。ねえどうだったおこげもおいしかった?」
巳薙は佳枝葉に向かって尋ねた。
佳枝葉は口を震わせて無言。
この状況で平常心で答えられるわけがない。
更に巳薙は追い打ちをかけるように佳枝葉を質問攻めにした。
これはどうだった?
ここは良かった?
あれはどう思う?
何だかやりすぎな気がする。
何でこんなに過剰に佳枝葉を追い込むのか?
いつもの巳薙はここまでするだろうか?
しばらく無言で佳枝葉は耐えていたが、睫毛が小刻みに揺れ始めて。
「ふえええええええええええええええええぇん!」
遂に爆発してしまった。
室内にこだまする、泣き声。
そして、僕も……爆発した。
胸の内にあった気持ちは衝撃波を撒き散らし、僕の身体を突き動かす。
立ち上がり、佳枝葉の残ったチャーハンに手を伸ばした。
そしてレンゲを手に取り、勢いよくざくりとチャーハンの中に突き刺し、山盛りを掬って一気に口に運ぶ。
口いっぱいに頬張り、その味に酔いしれる。
みんなが唖然として僕を見詰めた。
巳薙の無遠慮なトークも、佳枝葉の泣き声もぴたりと止んだ。
いきなり僕が立ち上がったかと思えば食べ始めたのだから、びっくりするのは当然だろう。
だが注目を集めるのも僕の意図したものだから、これで良い。
僕は一心不乱に佳枝葉のチャーハンを食した。
飢えた野獣のごとく速攻で完食。
それから僕は晴れ晴れとした笑顔で言った。
「あ――――――おいしかった――――――っ!」
萌音と佳枝葉はそんな僕に呆然としていた。
巳薙だけは不満な表情になった。
「なに言っているの? それでも勝負はあたしの勝ちでしょ?」
「違うね」
僕はきっぱりと言った。
いつものカモられる僕じゃないというような余裕の表情で。
それを苦々しい顔で巳薙は見ていた。
「え……でも」「そうだよ、これはボクの負けじゃないの?」
萌音と佳枝葉も訊いてくる。
そんな二人にも僕は余裕の表情を崩さない。
僕は自分の中からあふれ出た気持ちを解き放った。
「確かに巳薙の勝ちだ。試合はね……!」
一同に驚愕の表情が浮かんだ。
僕の言わんとしていることはこれだけで伝わっただろう。
そうしたら萌音と佳枝葉は徐々に笑顔になっていった。
沈んでいた空気が、転換期を迎える。
僕は逆転の一手を決めるつもりで、続けた。
「僕は結果を覆すつもりは無いよ。だから『試合』は巳薙の勝ちで良い。戦った以上勝ち負けが出てくるのは当然だ。だけど『勝負』については僕の心情を挟まさせてもらうよ。僕はこの一週間、佳枝葉の頑張りを見てきた。普段は意思の疎通が難しかったけど素直に人の言うことを聞いて自分の知識に吸収していった。毎日試行錯誤してこの日のために頑張ってきた……」
「でも、努力が報われないこともあるじゃない」
巳薙が食い下がる。
僕は頷いた。
「確かに報われないこともある。というかそっちの方が多い。でもさ、報われないのは、どうにもならない時だけで良いと思うんだ。今回の勝負は、僕には審査員として決定権がある。どうにもならないわけじゃ、ないんだよ。僕自身が影響を及ぼすことができるんだよ」
「そ、そんなの……奏滋のわがままで決めるっていうの?!」
「ああそうだよ。僕のわがままだ。僕は僕のわがままに従って生きる。それは誰にも譲れないものだ……!」
「あたしだって努力したのに!」
「そうだろう。だから『勝負』は……『引き分け』だ!」
僕は自信満々で言い切った。
巳薙が呆然として、口をぱくぱくさせた。
こんなの長い付き合いで初めてだ。
僕は腰に手を当て、どうだと言わんばかりに胸をそらした。
萌音が右腕に抱きついてくる。
「に……さん……!」
愛らしい瞳を潤ませ、感極まった様子だった。
そして左腕には佳枝葉が抱きついてきた。
「ソウジ、ありがとう……! ふえええええええええぇん!」
耐えていた分を取り戻すように涙を溢れさせている。
僕はすっきりした。
これが良い事か悪い事かは分からないけど。
でも、少なくとも僕はこれで良いのだ。
「佳枝葉はこの一週間で充分上達したと思うよ。素質あるんじゃない?」
すると佳枝葉はちょっとはにかみ、重大なことを尋ねてきた。
「それで、引き分けだったら【セイント・リチュアル】はしてくれるの?」
僕の笑顔は凍り付いた。
完っ全に忘れてた。
しばしの逡巡。
もうここまで来たら、僕もこれ以上頑固になる必要は無いのではないか?
「……努力賞だぞ?」
この流れで嘘を明かすのは難しいと思ったので、今後もしばらくは秘めておこう。
口は災いの元。
無用な嘘はつかないようにしよう。
すると、泣いていたのが嘘のように、沈痛な面持ちで耐えていたのが嘘のように、佳枝葉は喜びを爆発させた。
「やったあ! ソウジ優しい、大好き!」
今さらっと凄いことを言われたような気がするけど、勢いで友達に言う類のものだろうか。
それで、〈聖儀式〉をすることになったんだけど。
佳枝葉は決意を込めた表情でこう言った。
「ボクを縛ってくれ!」
「……は?!」
僕は耳を疑った。
「だから、ボクを縛ってくれと言ったんだ!」
「…………意外に特殊な趣味をしているんだね」
そう言うと、佳枝葉は自分が言っていることにようやく気付いたのか、顔をボッと紅潮させて目を回した。
「何を言っているんだ! ボクが儀式の時に暴れ出してしまうかもしれないから念のため縛り付けておいてほしいと言っているんだ!」
これにはびっくりしたけれども、巳薙が嬉々として彼女を椅子に縛り付けて依頼は達成された。
その上で、二人っきりだと恥ずかしいから萌音と巳薙にもいてほしいという。
僕は佳枝葉の背後に回った。
「じゃあ〈魂石〉は巳薙が露わにしてくれ」
今、佳枝葉はまだ脱いでいない。
僕が背後に回ったことでこちらからは見えない。
この状態で巳薙が脱がせてあげれば良いのだ。
しかし、佳枝葉はここでも注文をしてきた。
「このままでしてくれ。脱ぐのはやはり恥ずかしい。襟元から手を入れるといやらしいからお腹側から手を入れてくれ」
注文の多い客だ。
「分かった。他には何かあるか?」
「ミナギに訊きたい。ミナギ……キミはわざとボクを泣かそうとしただろう?」
佳枝葉は巳薙に尋ねる。
巳薙は腕組みしてそっぽを向いた。
「さあね」
「ミナギはボクに酷い仕打ちをすればソウジがこういう行動に出るという確信があったのだろう? だから過剰にボクを追い込んだ。自分が悪役を買って出ることによって間接的にボクに協力してくれたんだね……ありがとう」
すると、巳薙は椅子にどすんと座り、頬杖をついてあさっての方向を向いた。
「さっさとすれば?」
そのポニテは何故だか照れくさいようにもじもじしていた。
そうだったのか、と僕は目を丸くした。
確かに、巳薙は過剰に佳枝葉を追い込んでいた気がする。
あそこまでしなくて良いのにって思っていたけど。
素直じゃない娘なんだなあ。
まあ、嘘つきだからね。
そういう形でしか人に手を貸せないのだろう。
佳枝葉はすっきりしたようだ。
「では始めてくれ」
「分かった。じゃあ始めるぞ」
僕が宣言すると、佳枝葉はゆっくり頷いた。
萌音や巳薙は息を詰まらせたように無言。
彼女達がどういった表情をしているかは見ないことにする。
目の前にはロープで椅子に縛り付けられたクラスメイトの女の子。
その縛り付けられた女の子の背後から手を伸ばし、腹部の裾から手を差し入れる。
物凄い背徳感である。
佳枝葉は短い吐息を漏らし、身じろぎした。
「大丈夫か?」
声をかけると、彼女は耳まで真っ赤にして応答する。
「大丈夫っ……続けてっ……!」
まだ服の中に入ったのは手の先。
僕はゆっくり〈魂石〉を目指す。
手首が入り、更に奥へ。
何度も佳枝葉は吐息を漏らし、ロープがぎちぎちと鳴いた。
確かにロープが無ければ暴れていたかもしれない。
腕が根元まで入り、〈魂石〉に辿り着いた。
僕は両手でしっかりと〈魂石〉を握り、魔力を流す。
甘い痺れが脳髄を駆け抜け、何かが吸い出されていく感覚にとらわれた。
二人で嬌声をあげながら、初めての〈聖儀式〉が終わった。
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