第4話

 スーパーで騒動があってからというもの。

 朝、学校に着くと。

「ソウジ、おはよう! ……からの【セイント・リチュアル】をしてくれ!」

 僕の机にがっちりと自らの机をくっつけて迫ってくるお隣さん。


 彼女、エノーレスは名簿を見たら江野佳枝葉えのかえはさんだった。

『えのかえは』が『エノーレス・カエハリオン』だったわけ。

 彼女が主人公の物語はいったいどんな軌跡を辿っていくのだろう。

 無事に【世界薙ぎの奈落王】とやらを倒せると良いのだが。


 教室中から好奇の、それもちょっといやらしいものが混ざった視線が僕の周囲に注がれた。

 ヒソヒソ話もあちこちで見かける。

 みんなにとっては恰好のネタだろう。

 面白いこと、とりわけ他人のスキャンダルはみんなの心の乾きを満たすためのミネラルウォーターだ。

 アスファルトの砂漠で見つけたオアシスとばかりに飛びつくのである。

 でも、他人事でないならオアシスどころか地獄の釜なのだが。

 学校生活に突然湧いた刺激的な話題。

 入学初日に女の子から迫られた。

 しかも僕みたいなぱっとしない男が。

 これで話題にならないわけがない。

 こうもあけっぴろげに〈聖儀式〉を迫られるとは思わなかった。


「おはよう……それは諦めてくれ……」

 僕はげんなりしながら返す。

 しかし佳枝葉は全く気にする様子がない。

「いいや諦めない。ボクには重大な使命がある。それは話しただろう? だから一度断られたくらいで諦めるわけにはいかないんだ」

 机の上で両方の手を拳にして力説する彼女。

 決意に満ちた眼差しは真っ直ぐこちらを射抜いている。

 主人公が困難に立ち向かい、どんな苦境に陥っても諦めない姿がそこにあった。

 僕はそれを貶したり否定したりはしない。

 ただ、ちょっと恥ずかしい儀式に女の子が必死さを見せるのはどうか。

 そこだけが僕の気掛かりだ。

 でも佳枝葉は使命に燃えているのか、全くそんなことは気にしていない。

 これと決めたら一直線に進むタイプなのだろう。


 休み時間。

「む、トイレに行くのか? それならついでに【セイント・リチュアル】を……」

「男子トイレに入ってきたらだめだろ?!」

 体育の時間。

「着替えるのだから丁度良い。【セイント・リチュアル】を……」

「丁度良くないっ」

 放課後。

「ソウジ、今からボクの家に来ないか? 大丈夫、ちょっと寄ってくれれば良いだけだから。何も心配しなくて良い」

「誘拐犯みたいな誘い方するなっ」


 僕が何度断っても佳枝葉は諦めない。

 本当に心が強い娘だ。

 僕は一回だって断られたら次の日寝込む自信があるのに。

 佳枝葉と巳薙と僕の三人で帰り道を歩く。

 佳枝葉ははちきれんばかりに元気で、底抜けに明るい娘だった。

 よく喋るし、よく笑う。

 僕と巳薙だけの会話では見られなかったエネルギーみたいなものが、僕らの会話に追加された。

 巳薙はちょっとそっけなくなった気がする。

 嫌なわけじゃないんだろうけど、こういう娘が苦手なのだろうか?

 賑やかな娘が加わったことで、そうした微妙な変化がもたらされた。


 さて、数日もすると。

 佳枝葉は僕の家までついてくるようになった。

 それと共に巳薙もついてくるようになった。

 佳枝葉は相変わらず諦めない。

「さぁソウジの部屋へ案内してくれ! そして【セイント・リチュアル】を……」

 いきなりそんなことを言うものだから、妹の萌音が持っていたプリンの容器を落としてしまう。

「に……さん…………そんな……」

 裏切られたような表情で震え出す妹を僕は必死で宥めるハメになった。

「いや、違う。この娘は遊びに来ただけだ」

 それはそれで誤解を与えてしまうようで、萌音は後ずさりしてしまう。

……に……?」

 こんな時どう説明したら良いものか。

 僕があわあわしていると、佳枝葉がムムムと探るように萌音の顔を覗き込む。

「もしや、キミもソウジと〈聖儀式〉をしたいのか?」

 すると、萌音はかあっと顔を赤らめて狼狽してしまった。

 僕がげんなりして口を挟む。

「なに言っているんだ。そんなわけないだろう、なあ?」

「う、うん……」

 萌音が慌てて首肯する。

 気のせいかいつもより動作が機敏だ。

 巳薙がニタリとして茶化してきた。

「奏滋、女子中学生と〈聖儀式〉なんてしたらだめだからね? しかも義妹となんて」


 実は、萌音は義妹だ。

 唖根萌音あねもね・十三歳。

 まだ中学生。

 ちょっとした事情があってウチで預かっている。

 手続きが済めば僕と同じ苗字である赤延あかのべになる予定だ。


「当たり前だろう」

 僕が溜息をつきながら応答すると、巳薙は歯を見せて笑うのだった。

 萌音は儀式の内容を想像したのか、頬に手を当てて目を回してしまった。

 汚れを知らない我が妹には刺激が強すぎるようだ。

 少々場が混乱してしまったが、幼馴染の巳薙ががいるということで萌音も最終的には安心したようだった。


 それから次の週末。

 幾度となく〈聖儀式〉の催促を断っていたら、佳枝葉に変化が表れた。

 今まではひたすらに〈聖儀式〉をしてくれという調子だったのだが……

 佳枝葉は真剣な眼差しで、我が家のテーブルで僕に迫る。

「ソウジ、どうすれば〈聖儀式〉をしてくれるのだ?」

 単なる催促でなく、受諾のための条件を引き出そうとするようになったのだった。

 駆け引きがレベルアップしてしまったため、断るのが大変になってきた僕。

 しかも、あまりにも熱心なものだから次第に感情移入というか、こんなに頑張っているのなら何か報われても良いんじゃないだろうか、と思うようになってきた。

 クラスメイト達は佳枝葉のことをイタイ子だよねって言っている人が多いし、どうも僕達以外と話したことも無さそうだけど、でも。

 接してみると、一つのことに熱心になる姿がとても好感が持てた。

 断り続ける罪悪感から逃れたいという逃げの気持ちも僕の中に芽生えてきたのも重なって、僕は条件を出すことにした。

「じゃあ、何かで勝負をしようか」

 そうしたら佳枝葉は既に受諾を得たかのように飛び上がって喜んだ。

「よおおぉ――――――――――――――――しその言葉、忘れるな!」

 左手を腰に当て、右手でずびしと指差してくる。

 輝くような笑顔が可愛らしく、そして何より活き活きしていた。

 その活力を少し分けてほしいくらいだ。

 そして次の瞬間には彼女の竜鱗がざわりと殺気を放ち始める。


「さてソウジ、ボクがキミを倒せば約束は守ってもらうからね!」

 単純明快な武力衝突。

 佳枝葉は【飛竜】の能力を全開にして飛び掛かってきた。

 強靭なバネと膂力が暴風となって襲い掛かってくる。

 かと思いきや、家具に躓いて盛大に音を撒き散らし転んだ。


 五秒ほど痙攣が続く。

 どうやらドジっ娘でもあるらしい。

「…………大丈夫?」

「ういぃ鼻が痛ひ……」

 顔をあげると、佳枝葉は鼻をさすっていた。

 鼻の周辺が紅潮し、涙目になっていた。

 とりあえず武力衝突は事故で終了。


 次は料理勝負。

「ボクの料理スキルはレベル九五まで上げてあるからね、廃プレイヤーのスキルを見せてあげるよ!」

 そう言って携帯ゲーム機で見せてくれる佳枝葉。

 巳薙もいたので三人でチャーハンを作って食べ比べてみたのだが、これも駄目だった。

「くっ何故だ! レベル九五でも駄目だというのか……もしかして君達はスキルマスターなのか?!」

 佳枝葉が口惜しそうにしている。

 僕は週末に料理を担当するように我が家ではなっているので、実は割と得意だったりする。

 しかし巳薙にまで負けてしまうとは……

 手さばきを見る限りだと、豪快さとドジっ娘属性が邪魔をしてうまく作れていないらしかった。

 でも武力衝突よりはよほどマシな結果ではあったので、僕はある提案を思い付く。

「あと一週間あげるからさ、その期間で練習して、もう一回やってみよう。巳薙に勝てたら君の言うことを聞いてあげるよ」

「ちょっとーそんなに甘いこと言ってて良いの?」

 巳薙が不満そうにつっかかってくる。

「いや、流れ的にこのままだと諦められないだろう? だから次にちゃんと勝負して、そこまでやって駄目だったら諦めてもらうんだ」

 そう言いながら、僕は不思議に思っていた。


 何で僕はこんなにチャンスをあげているんだろう?

 一度嘘をつくと今になって『嘘でしたー』なんて明かすわけにいかない。引っ込みがつかなくなったというやつだ。

 だから佳枝葉には諦めてもらった方が良いんだけど。

 でも料理の時でも佳枝葉の拙いながら一生懸命な姿を見ていたら、なんかね。

 佳枝葉は胸の前で拳を作り、宣言した。

「分かった。今度こそ、今度こそ勝ってみせる! ボクは窮地に追い込まれてからが強いんだ。シークレットスキルが奇跡を起こすからな!」

 基本的に、何か言う度にポーズを決めるのがクセみたいだ。

 奇跡に頼らず実力で勝ってくれると良いんだけど。


 翌日から特訓が始まった。

 僕と巳薙は佳枝葉の家に呼ばれた。

 行ってみると、僕は今まで佳枝葉に抱いていた認識が間違っていたことに気付いた。

「まあ、ちょっと変わっているけど気にしないでくれ」

 佳枝葉は申し訳無さそうに家の中を案内する。


 そこらじゅうに、お札が貼ってあった。


 玄関も、壁も、ふすまも、障子も、扉も、テーブルも。

 どうにかして悪霊を追い払おうとした痕跡のようで。

 しかしそれに熱中するあまり、他人から見ればここ自体が呪われているように見えるという。

 中二病にしては行き過ぎである。

 これって、佳枝葉が……?


 そんな疑問を抱きつつ、まずは佳枝葉の部屋へ通された。

 その途中で札が物凄く密集している箇所があって背筋が冷えた。

 佳枝葉の部屋の中は、お札がなかった。

 その代わりがらんとしている。

 これはいったい……と思っていると、佳枝葉が自嘲気味に頭を掻いて、教えてくれた。

「ボクの弟は、ある難病に侵されているんだ……」

 僕はごくりと唾を呑んだ。

 とりわけ重苦しい空気になる。

 この家の異様な感じは確かに何かあるだろうとは思っていた。

 しかし、難病とは……

 相当ヘヴィな家の事情に違いない。

 僕は覚悟を決めて聴くことにした。

「難病か……」

「ああ……バカという難病だ……! ウチの弟は、とんでもなくバカなんだ!」

 それと同時にどこからともなく、

『ギャラッハー! ハバネロが! ハバネロが! 口に入ったああああぁー! ゴオオオオオオオオォ――――――――――――――――ル!』

 という叫びが聴こえてきた。

 しーん……ごくり。

 気まずい静寂。

 佳枝葉が無念の表情で俯いた。

 拳をわなわなさせてその無念はあまりにも大きそうだ。

 これは凄い。

 ヘヴィなものを覚悟していたのに、全然そんなことなかった!

「それはまた、大変な……」とか僕が言っている内にこの部屋の壁が隣からドンドコ叩かれて。

『姉さん、火! 火! 火ぃ持ってきて! 今なら火ぃ吹ける! ぐえっ口の中が辛……いや甘い! 甘ああああああぁい! サンタさあああぁ――――――――――ん!』

 佳枝葉は隣の部屋に向かって「水でも飲んでろこのバカ!」と返した。

 返事は『つれないこと言うなよ。俺歌作ったんだよ聴いてくれ!』だった。

 これは、巳薙より凄い。

 そんなことを思いつつ巳薙をちら見したら、むすっとしてつねられた。

 僕の考えていることはお見通しらしい。

 巳薙の目は『同系統にするなバカ!』と語っていた。


 隣の部屋からハバネロが薔薇よりたんぽぽより甘いというお花畑な唄声が響いてくる中で佳枝葉は語り始めた。

「ボクの弟がいつもいつもいつもいつも! こんな調子だからさ……両親は色々なものに縋ったんだよね。お札が密集している所があるんだけど、そこは弟の部屋なんだよ」

 そうだったのか。

 お札が密集している所は背筋が冷えたけど、あそこには扉があったんだな。

 それから、やはりお札はこの娘じゃなかった。

 この娘のはもっとこう、剣と魔法のファンタジーの感じだもんな。

 僕と巳薙は姿勢を正し、続きを聞いた。

「両親とも次第に稼ぎを全部怪しげなお札とか壷につぎ込むようになっていって、ボクは止めたんだけど聞いてもらえなかった。それどころか弟と一緒にボクまで色々な所に連れていかれたよ。説教を聴きに行ったり占ってもらったり祓ってもらったり。それでも何も効果が出なかったね。でもそうすると親は余計のめりこむようになって、次第に家にある物まで売り払い始めた。ボクの部屋、殺風景でしょ? それなりに女の子らしい物も置いてあったし、それ以外にゲーム機も揃っていたよ。私物に関してはボクは最後まで抵抗した。怪しげなグッズのために売り払うのなんて嫌だって」

 佳枝葉は正座して、膝に拳を乗せていた。

 その拳は彼女の苦悩を表すように力が篭っていた。

「そうしたら両親はどうしたと思う?」

「ま、まさか虐待とか……?」

「両親がボクに向かって、ジャンピング土下座したんだよおおおおおおおおおおぉ!」

 何てこった!

「そ、そうか……」

「両親に泣いて土下座されて『弟のヴァカを治すためだ、頼む!』って言われたら、断れないだろう? さすがに携帯ゲーム機を一つだけ残したけど、それ以外は全て渡したさ。それでも無駄だったけどね。相変わらず弟は『実験だ!』とか言って富士山をブリッジの姿勢でカサカサ虫みたいに登ってタイム計測してたし。ボクの部屋は空虚になってしまった。同時に心も空しくなった。それからボクは剣と魔法に憧れるようになったんだ」

 今の彼女の、きっかけ。

 それはなかなかの紆余曲折があった。

 親としてはわが子に期待したいという気持ちがあるだろうけど、のめりこみすぎてしまったのだ。

 結果として金銭的な問題を抱えてしまった。

 佳枝葉の部屋の空虚さはまるで砂漠だ。

 しかも、私物の提供を頼まれるくらいだからその後新たに私物を増やせるような小遣いが貰えているとは思えない。

 砂漠になったまま、潤いは断たれてしまったのだ。

 そんな絶望的な砂漠の中で、魔法を求めるのはいけないことだろうか?

 魔法なら砂漠にだってオアシスを作れるし、それだけじゃない、街だって城だって作れるだろう。

 魔法は彼女の、心の城なのだ。

 僕は彼女のことを底抜けに明るくて活き活きしているって思っていた。

 でもそれは表面を見ているだけだった。

 僕はなんて浅はかだったのだろう。

 彼女は心の内には大きなものを抱えていたのだ。

 佳枝葉は自嘲を深くしてカラ笑いをした。

「剣と魔法の世界を考えているとさ、お金かからないから良いんだよ、ハハ……夢想するだけならタダだからね。クラスメイトからひそひそ言われているのは自分でも分かっているよ。ああ分かっているとも。でも、これはボクの最後に残った希望なんだ。そんなにみんなで貶さなくても、良いんじゃないかなぁハハ……」

「…………それなら僕が認めるよ!」

 僕は気付いたらそう言っていた。

 それから佳枝葉に詰め寄って続ける。

「ひそひそ言っている奴らなんて気にしなくて良い。僕も今まではそれと同じだったかもしれないけど、よく知らないで君のことを誤解していたのが分かった。でも、君の話を聞いたら僕は君の味方になりたくなった! 例えクラスメイトが全員敵になったとしても、僕だけは最後まで君の味方でいるよ!」

 この娘と出会ってからまだ期間は短かったけど、僕はこの娘の味方になろうと決めた。

 何か一つのことに熱中するのに好感が持てるなと思っていたけど、今話を聞いてみたらそれだけじゃなかった。

 辛さや悲しさも背負っていて、泥沼の中で必死に希望に手を伸ばして足掻いているんだ。

 年頃の女の子が私物も満足に持てないなんて苛酷すぎる。

 それらを全てひっくるめて、応援したくなる娘だったんだ。

 まあ、これは僕の個人的な思いなので巳薙に強要はしない。

 巳薙を見てみると、何だかふてくされた表情になっていた。

 どんな胸中なのかは分からない。

 佳枝葉はサプライズのプレゼントを貰ったみたいに嬉しそうにし、僕の袖を掴んだ。

「ありがとうソウジ……それじゃあ【セイント・リチュアル】を」

「……それとこれとは、話が別だ」

「うぅ、今の流れならいけると思ったのに……!」

 ドジっ娘だけど、たまにちゃっかりしているらしい。

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