第3話

 スーパーで何者かに尾行されていることに気付いた僕達。


 え、と思って僕は振り向いた。

 半身を出してこちらを窺っているのは、教室で左隣の席になった女子生徒だった。

 その娘は慌ててさっと棚の陰に隠れたけど、引っ掛けてしまったのかざざざあっと商品が落ちる音がする。


 お粗末な尾行だ。

 それに気付かなかった僕が言えたものじゃないけど。

 巳薙ははぁと溜息をついた。

「尾行に気付いたからって振り返る人いる? もし相手が恨みを持ってるとかだったらどうするの? 危険じゃないの」

 お粗末なのは僕も同じだった。

 せっかく彼女がピーマンを持って『野菜を見ているだけ』という光景を演出してくれたのに、台無しにしてしまった。

「ごめん……でも、全然知らない人だよ」

「よっぽどあなたに恨みがあるのかぁ」

「どうして先に好意的な解釈ができないの?」

「えっ……?」

「『こいつかわいそう』みたいな顔して驚かないでよ! 自意識過剰なだけかもしれないけど、だって恨み買うようなことはしてないよ」

「……本当に?」

「本当だよ」

「……本当の本当に? 全部の記憶をくまなく洗い出しても? ていうかこれまで生きてきたこと全て覚えてる?」

「それを言われると忘れてるだけ、とか僕にはそのつもりが無かったけど、とかいう可能性が無いわけではないかもしれないけど……」

「ほら、酷い男」

「無理矢理捻り出した極小の可能性をさも大きいことのように言わないでくれよ」

「今のうちに土下座しといた方が良いわよ? ナイフとか持ってるかもしれないし」

「僕ってそんなに信用ないのか」

「信用してもカモられるだけだよ。主にあたしに」

「カモだっていつかは噛み付くかもしれないぞ」

「それは崇高な志ね。それよりどうするの? こうなった以上は」

「話を聞いてみるか……」


 僕達は例の娘が隠れた所へと歩いていった。

 例の娘は律儀にも落ちた商品をちゃんと並べ直しているところだった。

「うぅ、まさかボクの【ウィスパーズ・ウィスプ】が【シンタックス・エラー】を起こすなんて……!」

 よく分からないことをぶつぶつ言っているようだけど、とりあえず僕も手伝うことにした。

 落ちたのはガム類で、それを黙々と元の位置に戻していく。

 それが終わったところで、例の娘はお礼を言ってきた。

「手伝ってくれてありがとうございます」

「いやいや別に」

 僕が応じると、相手は初めてこちらの顔を見た。

 そして、よほど驚いたのか飛び上がった。

「はううううぅっ! いつの間にボクの間合いに入ったんだ【ヘルピット・ゲートキーパー】! それがキミの【ユニーク・スキル】だというのか?!」


「へ?」

 僕は間抜けに目をぱちくりする。

 まじまじと相手を見てみた。

 アシッドのサイドテールの髪。

 涼しげな目鼻立ちで直線的な眉と口。

 随分整った顔立ちと言えるだろう。

 魔物部分は【飛竜】だろうか。

 それっぽい翼が頭から生え、ところどころ竜の鱗も見える。


 飛竜っ娘は僕の反応に業を煮やしたのか、びしりと指差してきた。

「とぼけるなっ! キミは【トゥルー・ワン】なんだろう? 気付かれずにボクに近付くくらいのことは簡単にできるハズだ!」

「言ってることがよく分からないんだけど……巳薙は分かる?」

 僕が助けを求めると、巳薙は随分離れた所から『頑張れー』と野次馬になっていた。

 どうしよう。

 おろおろする僕。

 日本人同士と思われるのに全く何を言っているのか分からない。

 途中で挟み込まれているのは英語?

 英語は残念ながらあまりできないんだよね。

 そんな僕の様子に飛竜っ娘はますますヒートアップしてしまった。

「あくまでしらをきるというのか【ヘルピット・ゲートキーパー】……! だがいくら民衆に紛れ込んでいても無駄だ! どんな企みを持っていようともこのボク、エノーレス・カエハリオンが阻止してみせる!」

 手を横に振ってキッとこちらを睨みつけ、ポーズを決める飛竜っ娘。


 周囲がざわつきだした。

 いつの間にか野次馬が鈴なりに周囲を埋め尽くしている。

 野次馬はそれぞれ驚きとか好奇を滲ませて飛竜っ娘に視線を注いでいた。

 僕は何というか、見世物小屋に入れられたらこういう気分なのかな、と思った。

「そのヘルピットっていうのは何? それからエノーレス? 君は留学生か何かなの?」

 するとエノーレス? さんは漫画みたいにはうわっと叫んで頭を抱えた。

「な、なななっ……何を言っているんだキミは……! まさか本気で言っているんじゃないだろうな? 【ヘルピット・ゲートキーパー】とは……こう書くんだ!」

 いそいそと彼女は鞄からスケッチブックとペンを取り出し、物凄い勢いで漢字の羅列を書き出していった。


 そして、これだ! と見せられたのは……

【獄底の守護神】


「えっ……?」

 僕は目を疑った。

 これは、どうやったら【ヘルピット・ゲートキーパー】って読むの?

 いくら僕の英語の成績が平凡だといっても、これはそう読まないだろうと分かる。

「えっ……?」

 エノーレス? さんも僕の呆けた顔を見て目を丸くした。

「えっ……?」何で君が驚くの?

「えっ……?」(たぶん『分からないの?』という意味)

「えっ……?」だって、これ読めないよ?

「えっ……?!」(たぶん『そんなバカな!』という意味)

 その後も何度か『え?』だけで表情で語りあったけど、やっぱり通じ合えず。

 とりあえず彼女はとても表情が多彩だということは分かった。

 しまいには、彼女は打ちひしがれたようにがっくりと肩を落とし、そんなバカなと呟いていた。

 竜の翼もしょんぼりと垂れてしまう。


 僕が何か悪いことをしたわけではないハズだけど、ちょっといたたまれない気持ちになったので話を先に進める。

「いや、まあとりあえずその、ご、ごご【獄底の守護神】が【ヘルピット・ゲートキーパー】と読むのは分かったよ。エノーレス? さん」

 僕は【獄底の守護神】を口にしようとしただけでかあっと頬が熱くなってしまった。

 思わず自分の黒歴史を連想しそうになってしまう。

 そこで、僕はハッとなった。


 そうか、黒歴史か!

 この娘、もしかして黒歴史が現在進行形だったのか!

 それならこの娘の言動も、全て合点がいくじゃないか!


 するとエノーレス? さんは活力を取り戻し控え目な胸を張った。

「そ、そうだ! 思い出してくれたか! ボクは白銀のドラゴン【シオン・オブ・ジ・エターナルドラゴン】の最後の生き残りエノーレス・カエハリオンだ! ボクはこの一族の再起のためにキミを捜していた……」

 彼女の滔々とした語りはまるで詩を紡ぐように引き込むものがある。

 どれだけ鏡の前で練習したんだろう。

 ちなみに白銀のドラゴンにしては彼女は緑色だ。きっと代を重ねるごとに色が褪せていったんだろうね。

 もっといえば飛竜はワイバーンであってドラゴンじゃないと思うんだけど。

 それから致命的なことに、飛竜っ娘は割と多いから最後の生き残りではないと思う。

「そ、そうか。確かに特別性とか唯一性って欲しいよね」

「何か言ったか?!」

 エノーレスはまるで親の仇みたいにキッと睨みつけてきた。

 つい心の声が出てしまった。危うくぶち壊しにしてしまうところだった。

「いや、続けてくれ! いったい何故僕を捜していたんだ?」

 続きを促すと、彼女はたちまち機嫌を直し大仰に頷いてみせた。

「よくぞ聞いてくれた。最後の生き残りとなってしまったボクはご先祖様から使命を背負わされているんだ。ご先祖様は亡き後もその魂をこの世に一振りしか存在しない神剣【ゼスリオン】に封印し、ボクを導いて下さるんだ」

 そういって厳かに手を頭上に持ち上げると、彼女の手には光り輝く煌びやかな剣が顕現した。

 能力で創り出したのだろう。

 実用性が皆無の儀礼剣だが、確かにカッコイイ。

 野次馬たちからはおおっと声が上がった。

 心なしかエノーレスの前髪はさわさわと揺れ、ここがあたかもスーパーでなく古代の遺跡か何かに思えてくる。

 彼女の纏う空気も神秘的なものを帯びてきた。

 瞳は儚げに濡れ、重大な使命を背負った辛さまで伝わってくるようだ。

「その使命っていうのは……」

 異様な雰囲気に飲み込まれ、いつしか僕は彼女の進行を補佐する端役を演じていた。

 ごくりと僕や観衆が唾を呑む。

 エノーレスは悲しげに目を伏せ、剣を逆さまにして頭上から下ろし、胸の前で掻き抱いた。

 そして厳かに間を作ると、口を開いた。

「ご先祖様はこう言った……『崩滅の獄悪魔【世界薙ぎの奈落王】がもうすぐ復活してしまう。一〇〇〇年前に復活した時に奴を封印したが、その封印が解けようとしている。奴を再度封印するために、四人の英雄を集めるのだ。一〇〇〇年前戦ったのは天界の主【聖創のアルメラ】・影に生きる吸血鬼【暗影の魔術師グリゾラ】・孤高の獣人【滅爪のタングレア】・そして白銀のドラゴン【世界支柱のセイガス】。それらの末裔が世界各地に散らばっており、その末裔を集めるのだ。ただ、末裔を集めるだけでは奴には勝てない。末裔の血を呼び覚まし、力を高めなければならない! そのためにはこの世界にごく稀に現れる【トゥルー・ワン】と聖なる契約【セイント・リチュアル】をしなければならないのだ……!」

 まるでオペラを間近で鑑賞しているような迫力。

 長い長いセリフを、詠うように、叙事詩を語るように、一つ一つに動作をつけながら。

 声を抑えるところ、力を込めるところに絶妙な加減をつけながら。

 彼女の使命は、お告げのように響き渡った。

 エノーレスの声の波は、衝撃波のように、聴いた人を風圧を受けた姿勢にさせた。

 余韻を充分噛み締めたあと、僕は声を絞り出す。

「それは、何だか凄い使命だね……」

 エノーレスはゆっくりと頷いた。

「だろう? ボクが白銀のドラゴン【世界支柱のセイガス】の末裔、そしてキミが【トゥルー・ワン】だ。ボクの血を呼び覚まし、力を高めるために協力してほしい。聖なる契約【セイント・リチュアル】を結んでほしいんだ……!」

 そう言いながら、一歩一歩こちらへと近付いてくる。

 その足取りも力強くもないのに一歩一歩が確かなものに感じられ、意味があるもののように思えてくる。

 一つだけ、彼女の言葉に引っ掛かるものがあった。

【セイント・リチュアル】ってどこかで聞いたことあるような……

 でも首を傾げている間に、彼女は吐息がかかるほど間近に接近していた。

 それから、彼女は僕の手をがっしと掴み、真っ直ぐ目を合わせてくるのだった。

 あまりの勢いに僕の頭の中にあった引っ掛かりが霧散する。

 真摯な眼差し。

 何ともいえない、尊敬というか、そんな気持ちが湧き上がってくる。

 僕にできることなら、協力してあげても良いんじゃないだろうか?

 重大な使命とかは分からないし、特に義理があるわけでもないけれど。

 それでも、別に無碍に断ることはないんじゃないかと思った。

 そういう気分にさせるには彼女の影響力は、強いと思った。

「協力するのは構わないよ。僕にできることがあれば、だけど……何をすれば良いの?」

「何度も言わせるな。聖なる契約【セイント・リチュアル】を結んでほしいんだ……」

「それって契約書を書けば良いの? それとも何か約束をすれば?」

「何を言っているんだ? 【セイント・リチュアル】をキミが知らないわけがないじゃないか? それともこの期に及んでとぼけているのか?」

「えっ……?」

 そこで僕は思い出す。

 一つだけ【セイント・リチュアル】については知っていた。

 でもそれは彼女の設定に出てくるものじゃない。

 リアルでの話だ。

 僕が知りたいのは彼女の設定の方だ。

 だが、彼女は決定的なことを言った。

「【セイント・リチュアル】は、先生が今日説明してくれたことじゃないかあああっ!」


 一瞬の沈黙。

 のち。

 僕は叫んだ。

「〈聖儀式〉のことかよ!」


 さんざん壮大なストーリーを語っておいて。

 要は、〈聖儀式〉をして下さいということだった。

 遠回りすぎる!


 エノーレスは何故分からないんだ鈍い奴だな、という表情で頬を膨らませた。

「だから最初からそう言っているではないか」

「翻訳には時間がかかるんだよ」

「何か言ったか?!」

 彼女が親の仇を見つけた時の顔になってしまう。

 またぶち壊しにしてしまうところだった。

「いや別に! でも参ったな……〈聖儀式〉だって……?」

 僕は頭が冷静になってくると、不安になってきた。

 自作の設定を滔々と語るこの娘と〈聖儀式〉をしてしまって良いのか?

 心の天秤は瞬く間にナシの方へ傾いていった。

「それで、協力してくれるのか?」

「できることなら協力したいんだけど、でも……無理だ。だって今僕はこの外見が気に入っているんだ……だから、ごめん」

 咄嗟に思いついたのは嘘だった。

 外見を変えたいのに真逆の嘘。

 僕は俯きながらそう言った。

 一度嘘を言ってしまうとそれを否定するわけにもいかない。

 諦めてもらうしかない。

 エノーレスも俯いた。

 そして、彼女は指を目元に当て。

「そう、か……わかっえぐっ……ぐずっ……」

 泣いた。


 野次馬が拳を上げて騒ぎ出す。

『うわ泣かした!』『ひでえ』『してあげれば良いのに』『かわいそう』

 なに無責任なこと言ってるんだ!

 僕は胸中で悪態をつくも、状況的にマズイことは変えられそうにない。

 さりとて泣いている女の子を放って逃げるわけにもいかないし。

 そうだ、ここはエノーレスを連れて一緒に逃げよう。

 その思いを込めて、僕は巳薙に視線を送った。

 さあ逃げるぞ。

 巳薙は強く頷くと、口を開いた。

「いいからしてあげなよ! ケチ!」

 全く思いは通じなかった。

 完全に巳薙は野次馬の一人と化していた。

 軟体動物の動きをして挑発してくる。

 ああもうっと僕は頭を掻き毟り、仕方無いのでエノーレスの手を握ると走り出す。

 野次馬も(中に巳薙もいる)やんややんやと騒ぎ立てて追ってきた。

 エノーレスは驚きながらも必死についてくる。

「ど、どうしたのだ? 気が変わったのか?」

「そうじゃないけど、でも……放っておけないから」

 すると、彼女はくすぐったそうにして、それから僕の手を強く握ってきた。

 彼女の手は柔らかくて温かかった。

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