第2話
入学式が終わり、先生からの説明も終わり。
今日はもう任務終了という感じだった。
明日からの授業とか、クラスの中でうまくやっていけるかとか、まだまだそういった不安を抱えながら一つ大きな伸びをする。
色んな説明を聴いただけだけど、緊張していたのか全身が軽く疲れていた。
教室を見回すと、早くも友達作りに勤しんでいる人がいたり、速攻で女の子にアタックをかけている男子までいる。
あれは〈聖儀式〉のために口説いているのか〈聖儀式〉にかこつけて口説いているのかどっちなんだろうか。
しかしそんなこともあって、初日だというのに教室には話声が溢れていた。
そんな中、僕はというと。
帰り仕度を始めていた。
「奏滋、何で帰り仕度なんてしてるの?」
巳薙がまるで決定事項を何で破ろうとするの、という調子で訊いてくる。
「いや、もう帰りの時間だからだけど……」
もにょもにょと濁すような声になってしまう。
僕は先送りにしたいことは先送りにするほうだ。
友達作りとか、〈聖儀式〉のこととか、まぁ明日から頑張れば良いんじゃないかなー、的な。
小学生の頃、巳薙から抱えきれない程のタスクを請け負った時に倒れたことがあって、それからは差し迫った問題でないものは先送りにするようになったのだ。
あの頃は僕と巳薙は変わった遊びをしていた。
〈地図文字〉と名付けた二人だけの遊びだ。
ルールはこうだ。
ある建物に入ってそこをくまなく調べ、そこの扉の数と部屋の数を数える。
そしてその合計値を地図に記す。
合計値を記すのはその建物の位置だ。
そして、今度は別の建物に入り、同じように扉と部屋を数える。
地図上のその建物の位置にまた合計値を記す。
これを繰り返していくと、合計値の集まりが文字のように見えてくるのだ。
だから何だという話だが、当時はそんなことがたまらなく楽しかった。
敷地への不法侵入とかそんな意識は無かった。
そんなもんだ。
『ねえ奏滋、〈地図文字〉でお互いの名前を書いてみようよ!』
そんな巳薙の提案で、お互いの名前を地図上に浮かび上がらせる作業が始まった。
最初はお互いの名前をひらがなで『そうじ』と『みなぎ』を浮かび上がらせるつもりだった。
僕は『みなぎ』を担当、巳薙は『そうじ』を担当し、お互い一文字ずつこなしていこうということになった。
まず巳薙が街を巡り、『そ』を完成させた。
次に僕が街を駆け回り、『み』を完成させた。
その次に巳薙が『う』を完成させる。
その頃にはすっかり夕方になっていたのだが、そこで彼女はある提案をしてきた。
『そうだ、次はひらがなじゃなくて漢字でやってみない?』
今から考えれば間違いなく拒否すべき提案だったんだけど、当時の僕は何も考えず飛び付いた。
それ名案だねって。
面白そう、というもの全てを無邪気に追いかけている子供だったんだと思う。
でも実際やってみたら地獄だった。
『薙』の字を完成させようとしたら夥しい数の建物を巡って来なくちゃならなかった。
何でこんなに字画多いんだよ。
僕は日が暮れてからも焦燥に駆られながら建物を巡り続けた。
何で親に連絡するとか、明日に持ち越すとか考えなかったんだろうね。
とにかくああもう夜になっちゃった、もうこんな時間だ、早く終わらせなきゃって、そればかり考えてた。
しかも当時は真冬。
零時を回った辺りから頭が熱くなり始め、明方に近付くとふらふらして体がふわっと浮き上がるような錯覚が起こり、日が昇り始めると僕は倒れた。
何とか『薙』の字を完成させて集合場所に戻ると、そこに巳薙の姿は無かった。
『え? 奏滋、律儀にやったの? そんなのその日中に終わらなくても良かったのに。あたし? あたしは夕ご飯の前には帰ってたよん!』
後日、巳薙はそんなことを悪びれもせずに言った。
それ、早く言ってよ。
僕が街を駆けずり回っている時にさあ!
彼女は昔っからこんな調子だったんだよね。
ともかく、僕は高熱と引き換えに無理をしないことを学んだ。
辛い思いをした分反動で先送り体質になっちゃったんだね。
しかし、そんな先送り体質の僕を見抜いているのか、巳薙はやれやれという顔をした。
「もう今日から解禁なんだから、〈聖儀式〉の相手探さないと駄目じゃないの。教室を見回してみなよ。既にレースは始まってるのよ? スタートダッシュは肝心でしょ? さっさと女の子に声かけて玉砕してこい! 現実を思い知るが良いよ!」
「それは僕のやる気を出させようとしてるの? それともやる気を根こそぎ奪おうとしてるの?」
「できるなら奏滋が『お、イケるかも?』って思えるくらいあたしがサポートして、有頂天になったところで一気に落としたい! 幸せからのぉ~……ドン底だあーっ! あたしがシナリオ書いてあげるからドキュメンタリー撮ろうよドキュメンタリー。あたしが最高のフラレ方を演出してあげる! 主演は奏滋でヒロインも奏滋でエコな撮影にしよう」
「自分で自分にフラレるとか気持ち悪いよ」
「んーまあヒロインは変更するか。じゃあヒロインを勧誘してこようか。レッツゴー!」
「でもさあそんな簡単に相手が見付かるとも思えないよ」
「奏滋なら大丈夫よ。だってあなた亜種じゃない」
彼女は飴をなめながらふふんと笑う。
亜種。
そう、僕は通常種じゃない。
僕の魔物の部分は【デーモン】だ。
でも、何故か……
何故か尻尾の先がハート型になっているんだ!
しかも色は黒じゃなくて、真っ赤!
こんな特徴には前例が無いということで、僕は公式に亜種認定されてしまった。
普通なら亜種って特別性があって喜ぶところなんだけど。
僕は素直に喜べない。
だって尻尾がハートなんだもの。
クラスの女子達にカワイ~って言われて尻尾を触られまくったり、男子達からは慈愛の目で『ま、気を落とさず頑張れ?』とか言われたり!
これに関しては世界で一番ついてないんじゃないかと疑いたくなってしまう。
これが僕のウィークポイント。
できることなら変えたい。
〈聖儀式〉なら変わってくれるハズだ。
「でも、亜種だからってこの見た目じゃあ相手も見付からないかも……」
こんな見た目よりも絶対カッコイイのとか、力とか素早さみたいな能力に秀でているとか、そんな男子の方が良いに決まっている。だから先送りにしたいのだ。
すると、巳薙はちっちっと指を振った。
ポニテも合わせてふりふり揺れた。
「分かってないなあ、カワイイのって結構需要あるのよ?」
「…………じゃあ、巳薙なら〈聖儀式〉、してくれるのかよ?」
すると巳薙はバッと両手を広げて頷き、さぁ私の胸に飛び込んでこい、みたいなポーズをしながら、
「やだね!」
ポーズと真逆のことを言った。
「もう帰るっ」
もうなんなの。
首を振るのが『はい』で頷くのが『いいえ』の国もあるかもしれないけど、ここ日本だよ?
何でこんな細かいところで嘘をつくの?
鞄を乱暴に引っつかむと巳薙が僕の腕にしがみついた。
「ちょっと待って。あたしは別にちょおっと尻尾がハートの【デーモン】に興味が無いだけで、他の娘はそうじゃないかもしれないじゃない」
「でもさぁ、尻尾がハートってウリにはならないと思うんだ」
「じゃあ、女装しよう!」
「ぶっ飛びすぎだろ! 確かにウリにはなるかもしれないけど!」
それだと僕に魔物の外見がマッチするんじゃなく魔物の外見に僕が合わせることになってしまう。
それは駄目だ。
何というか譲れない部分だ。
巳薙は全く気にせず飴をカチャカチャ鳴らして笑った。
しかも軟体動物のポーズ。
彼女は始終こんな調子で、会話をすぐ茶化し収集がつかなくしてしまう。
その後も巳薙が奇想天外な提案をポンポン出し、僕が全力で突っ込みを入れる作業が続いた。
しばらくすると、女子の一人がやってきた。
何事かと思って目を向けると、不機嫌そうに眉をひそめてらっしゃる。
そしてその目は、巳薙に向いていた。
「ちょっとあなた、教室で飴をなめるっていったいどういう神経しているの? さっきからカチャカチャうるさいんだけど」
不機嫌の棘を隠しもせずに声に乗せてくる。
やってきた娘の顔を見てみると、真面目な優等生、といった感じだ。
それから少し、几帳面そうというか。
規則を重んじていそうな感じ。
魔物部分は【ゴルゴン】で、可愛くデフォルメされた蛇が一匹だけ頭に乗ってる。
真っ向から注意を受けた巳薙は、しゅんとしてすいません、と言うかと思いきや。
「ああこれ? これはねえ、楽器なんよ。あたしアーティスト志望だし。だからさあこれ音出すのって練習なんだよね。部活も音楽部を見学しに行こうかと思ってるんだ」
真っ向から嘘だらけの言い訳を並べ立てる。
アーティスト志望なんて聞いたことがないんだが。
しかも顔はへらりとした微笑で揺るぎない。
ポニテもぱたぱた揺れて全く物怖じしていない。
あたかも用意された言葉のようにスラスラ出てくると、思わず信じてしまいそう。
とはいえ、優等生な感じの娘も簡単に丸め込めるわけではなかった。
「この学校に音楽部はありません。軽音部ならあるけど」
見事な切り返し。
ただ、あまりにも咎める色の強い声にちょっと危機感が募る。
すると巳薙はにやあっと口の端を曲げた。
ああ、これ、敵対のサインだ。
巳薙ははっきりものを言われると反発するタイプなんだ。
彼女は真面目な会話が心底嫌いだから、この二人は反発する磁石と同じだろうな、と直感で分かった。
「そうそう、軽音部だったわ。軽音ってアレでしょ、仏像とか作る部活。入門するつもりは無いけど修行とか? ダイエットになりそうだから体験入部しようかな」
もうほんと、何でこんなにスラスラ出てくるんだろう。
そうしたらビキッと優等生な娘の表情が、ヒビが入るように痙攣した。
「それは観音でしょ! しかも修行とか何言っているの? ふざけてるの? その飴出しなさい!」
「やだね!」
巳薙は僕にするのと同じように軟体動物みたいにうねうね動いた。
ポニテが風車みたいにぶんぶん回った。
彼女は幼稚園から一貫してこんな感じだった。
しかも今では少し丸くなった方で、昔はイタズラも大好きだった。
幼稚園の年少組の時、巳薙はおじいちゃんに背中が痒いのぉ、と言われた時どうしたと思う?
孫の手を取り出したと思ったらインクくっつけておじいちゃんの頭にラクガキしたんだよ?
何てバチ当たりな孫の手の使い方するんだろうね。
というか孫である巳薙の手を使わずに孫の手を取り出した時点でおかしいし。
案の定おじいちゃんは烈火のごとく怒った。
頭に『肉』の字を浮かべて。
ただね、そうしたら引きこもりだったおじいちゃんが元気を取り戻して、自分で背中を掻けるようにヨガ教室に通うようになったんだとか。
おじいちゃんに活力を取り戻してあげたっていうんでおばあちゃんからお礼を言われたんだっていうんだから不思議。
小学校二年の時、給食の時間に校内放送で音楽が流れるんだけど、あろうことか巳薙は放送室を乗っ取って『豚の屠殺・新人研修用』とかいうのを流した。
みんな配膳終わってさあ食べようという時だ。
阿鼻叫喚だった。
もう凄いの、悲痛な声が。
しかもいちいち詳細な解説つきだし。
激怒した先生達に当然巳薙はつるし上げをくらった。
でもね、そうしたらクラスメイトの一人がやめてくれって泣いて頼んだんだよ。
そいつは金持ちのボンボンだったんだけど、いつも給食がまずいだの言ってしょっちゅう残してた。
中トロくらい出せよとかも言ってたな。
で、そいつが泣いたのは、食べ物の大事さが分かったって言うんだ。
あの映像を見て初めて大事さが分かったって。
そうしたらそれがみんなに伝播していき、最終的には巳薙は食の大事さを教えてくれたってんで無罪放免。
校長に全校集会で表彰されてしまったっていうんだからこれまた不思議。
何だかんだで最後はうまい具合にことが運ぶんだよね。
彼女はそんな不思議な何かを持っている。
それはさておき、挑発にますますボルテージが上がってしまう優等生な娘。
優等生な娘がああ言えば巳薙がこう言う、で一段と険悪な空気が広がっていく。
そして遂に業を煮やした優等生な娘が実力行使に出た。
「さっさと飴を出しなさい!」
「だからこれは核ミサイルのスイッチなんだってば。危ないから出せないよ」
掴みかかってきた優等生な娘をひょいとかわしてしまう巳薙。
ポニテや角が蒼く発光している。
【ユニコーン】の彼女は敏捷性が非常に高い。
しかも、実は中学の時は全校トップレベルだったのだ。
「それがスイッチならとっくに押しちゃってるでしょう!」
このーと更に腕を伸ばす優等生な娘。
しかしそれをにへら、と笑ってすり抜けてしまう巳薙。
まるで一人が投影された虚像を追っかけて掴んだと思ったら消え、掴んだと思ったら消え、という無為な作業をさせられているようだった。
「それがね、優しぃ~くなめてたら大丈夫なんよ。ほらあたしって優しいからさ?」
巳薙は気分が乗ってきたのか、ポニテが犬の喜びを表すようにぶんぶん振られていた。
そして全身を使って鬼さんこちら、とやり始める。
うん、もうこれは止めた方が良さそうだ。
優等生な娘が息を切らし始めている。
そう思った時、優等生な娘が躓いて教卓へ頭から突っ込んでいってしまった。
あっと思って手を伸ばそうにももう届かない。
巳薙も教卓と反対側まで行ってしまったので届かない。
やばい……っ!
と、一人の男子生徒が優等生な娘を抱きとめて守った。
「大丈夫かい?」
その男子生徒はどの角度から見てもイケメンだった。
その腕の中で優等生な娘は急に顔を赤くしてゆっくりと頷く。
そしてイケメンは優等生な娘を抱き上げると念のため保健室へ……と出ていってしまった。
呆然とする僕ら。
すると女子の何人かがいきなり拍手を始めた。
聞いてみると、どうやら今のイケメンと優等生な娘は同じ中学出身で、もう付き合えば良いのになかなか踏み出せないでいたらしい。
これで二人は結ばれるだろうというのだ。
そんなチャンスを提供したあなたは凄いねって巳薙が褒め讃えられた。
何だこれ。
さんざん巳薙が挑発して怒らせたと思ったら、最後はいつの間にか恋のキューピット扱いになってるぞ。
不思議だ……
僕は巳薙と共に、下駄箱に向かった。
マンション形式の下駄箱で自分の場所へ上履きを入れる。
仕切り板がしてあり、上が上履き入れで下が靴入れだ。
靴を取り出す。
下駄箱の所までは足下は廊下と同じ素材が広がっている。
その終端まで歩き、終端から向こうに広がるタイル張りの方へ靴を揃えて置いた。
タイル張りの方は一〇センチメートルほど低い。
すぐ傍で、巳薙はぽいっと靴を放っていた。
靴が片方横になってしまい、彼女はそれを足で器用に起こして、履く。
「行儀悪いよ」
僕が何となく言うと、巳薙も何となく応じる。
「ありがとう」
「褒めてないし」
「あたしを褒める奴はあたしを殺しに来た刺客だ」
「褒め殺しっていうのは殺すことじゃないよ」
「殺すのに殺さないってどういうこと? 優柔不断なんだから」
「それを僕に言われても困るよ」
他愛も無い会話を重ねて外へ出る。
青空にちょっと雲がある程度で、良い天気だった。
敷地内にまばらにある桜も緩い風にさわさわと揺れている。
校門を出ると、僕は買物があるのを思い出した。
食材の買出しを妹に頼まれていたのだ。
巳薙もついてくるというので、帰りがけにスーパーに立ち寄る。
何でも揃うしポイントアップのキャンペーンも頻繁にやっている所だ。
特にポイント十倍の日なんかはかなり混み合う、地元では人気の店である。
買物カゴを持って中に入る。
最初に向かうのは特売品スペース。
広告でトップを飾るような特売品は、目立つ所に集約されていることが多い。
どれもかなりの売れ行きだった。
目的の物は残り僅かというきわどいところでゲット。
食器用洗剤とつゆの素だ。
「奏滋って何か悪いことした?」
唐突に巳薙が言うので、僕は首を傾げる。
「いや、してないと思うけど」
すると巳薙は顎に手を当てて考える仕草をした。
「じゃあ、まさかのモテ期到来?」
「なに言ってるの?」
「野菜に聞いてみよう!」
巳薙は意味不明なことを言って先に行ってしまう。
僕は『?』をいっぱい浮かべながらついていった。
野菜コーナーに来ると、巳薙がピーマンを手に取った。
「うん、これが良い。これが教えてくれるよ」
「意味分からない。さっきから何を――」
僕はそこで、彼女が指でどこかを示しているのに気付いた。
彼女の指は、野菜を納めた棚を示している。
棚はよく磨かれていて、枠には僕達の背後が映っていた。
僕達の背後、離れた所で商品棚の陰から半身を出してこちらを窺っている人物がいた。
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