第4話

 それから食事は何事もなく進んだ。

 いや、やたらと姫様に睨まれたりもしたし、クラスの名前も知らない人から謎の威圧を受けたりもした。まぁその度に彩さんに助けられたけど。今の今まで他の人と話していた彩さんが味方になったのは心強かった。

 けど、まぁ……何事もなかった。うん。あれもこれもノーカンノーカン。何事もなかった。決して、何事もなかった。

 

「ではこれで夕食会は終わりだ。……では、各自ゆっくりと考えてくれ……」


 それからはゆっくりと考えをまとめる為にと、用意された部屋に戻ることとなった。さっきの様な……シェアルームからはお別れだ。それぞれ個別の部屋となった。どうやら二人一部屋の所もあるらしいが。

 部屋の数は四十。今いる人数と同じだ。生徒の数は僕を含めて四十一。先生を含めて四十二。そこから二人いなくなってしまったから、四十だ。いや、二人一部屋もあるから全部埋まったわけではないけど。


 皆、暗い顔をして夕食の会場から出て行く。楽しい時間というのは早く過ぎ去ってしまうもので、きっと皆にとっては数分の出来事にも思えただろう。確かにこの夕食会は今までの不安を和らげてくれるいい機会だっただろう。

 まぁ、僕にとっては一時間くらいに感じました。姫様怖いの。ギロって、ギロってしてくるの! 多分、あそこまで警戒心強くなければもう少しモテていたかもね。普通に可愛いと思うのだけど。


 部屋までの距離は、そこまで遠くはない。と言うか、例のシェアルームからも近い所にある。言ってしまうと、シェアルームから一分、いや三十秒もあればついてしまう所にある。走れば十秒ほどで着く。

 何故シェアルームに近い位置に部屋を作ったのか、恐らくはそこで他の人と話をしろという事だと勝手に考える。確か、夕食会が終わり個人の部屋に一人一人案内している最中、思い出したかの様にこう言っていた。

「あなた達が使っていたこの部屋(シェアルームの事)は自由に出入りしていいそうです」と。

 まだ悩んでる人は多数いる筈だ。と言うか、僕以外に悩んでいない人なんているのかと思う。その為の気配りだとしたら、いい事してくれたなと言いたくなる。


 あ、そう言えば僕の部屋は、シェアルームから一番遠かった。一人、また一人と部屋に入って行くというのに、僕だけは最後まで残った。何でかなと思ったけど、それは僕がぼっちなのだとこの国が悟ったからの様な気がする。


 一先ず部屋の事は置いておいて、これからどうするかは既に決まっている。この世界に残るつもりだ。だってクルクスの王子様への土産話に、これ程うってつけのものはないでしょうしね。……まぁ、勇者になるのは、この世界の勇者だと認めるのはもう少し先になると思うけど。と言うか認めるかどうかも分からないけどさ。

 クルクスの国王からの、三枚目の手紙。それをズボンのポケットから取り出す。そして背中からベッドに倒れる。手紙を光で透かすように上で少し動かした後、手紙を裏返す。……きっとこの手紙は僕の能力に関する事だと思う。もしくは、僕を勇者たらしめた“あれ”の事かな。クルクス国王なら、必ずそうするという確信すらある。まぁ何にしろ、今はまだ関係のないものだ。僕は手紙を部屋の箪笥たんす(の様なもの)の引き出しの中に入れる。同時に二枚の手紙もそこに入れる。そして、ベッドのふかふかを堪能する事にした。


 ……っと、その前に靴を脱がなきゃ。

 そう言えば、その世界はアメリカに似てる。部屋の見た目ではなく、生活様式が。特に、部屋でも靴を履いていられるというのが。まぁ、流石にベッドの上に靴では上れないけど。

 ……生活様式はアメリカ。なのに何故か、部屋に盆栽がある。わお、ミスマッチ! 何だろうこのちょっぴりジャパニーズは。

 よく見ると急須がある。そしてその隣にはコーヒーと思しきものが。急須でコーヒー入れろと。無茶言うな。できない事もないけど……何だかなぁ。


 ──その後実際に試してみると、意外と美味しいコーヒーが出来て悲しくなった事は僕以外誰も知らない。


 靴を雑に脱ぎ捨て、布団の中に潜り込む。

 ……ふわふわやん。

 もぞもぞと動いた後、外に顔を出す。

 ……もっふもっふ、幸せやん。

 枕を引き寄せ、そこに頭を乗せる。布団に包まり、まるでハムスターの様になって寝る事にした。電気が付いているけど、別に大丈夫でしょ。自己発電なんだし。


 おやすみー。


 ◇◆◇


 ぐらぐら。ぐらぐら。

 揺れる。揺れる。


 ──いや、揺すられてる?


 何だろうと思ったが、顔を起こしたくない。布団から出たくない。誰だか知らないけど今は止めてほしい。出来れば後にしてほしい。

 微睡みの時間というものはとても心地の良いもので、そこから出たいとはなかなか思わないものだ。感覚的には、冬に炬燵こたつに入るのと同じだろう。あのブラックホールのような異常なまでの吸引力が──そこから出る事を拒むのだ。


 ブラックホール。それは光すら読み込む暗黒のホール。ブラックホールには“吸い込まれる”のではなく、“落ちる”のだと言う。恐らく地球で言うなら、高い所から“落ちる”感覚と同じだろう。


 それと同じものが炬燵に、そして微睡みの時間にはある。


「……で、……おき……さ……! なっ……」


 声? 声がする。誰の声だろう、と思ったけどそれもどうでもいいや。……ゆっくりと、睡眠と言う感覚に自ら呑み込まれていく。

 肩を掴まれた。そして、ぐらぐら、ぐらぐらと揺すられる。何だか嫌になって、その手を払う。


「……っ! ……でんっ! は……く、おき……さいっ……!」

「うぅん……」


 また、声がする。何だ、何なんだ。誰だ誰なんだ。けどやっぱりというか、それ以上興味が出な──


「はやく起きなさいよっ!」


 ベチン、と、叩かれた。


 頬っぺたがじりじりと痛い。お陰様で眠気は何処へやら。宇宙の遥か彼方に向き飛ばされた末に超新星爆発ビッグバンに巻き込まれて粉々どころか跡形もなく消失させられた感じだ。いや、そこに更にブラックホールが現れて光諸共“落とされた”感じかな。うん。遂に僕という存在が消えましたね!

 もしかするとブラックホールの特異点に着いちゃったかもしれないけどこれ以上はもう本当に何があるか分からないから、ここらで思考を一時中断する事にしよう。気がつくと全く違う話になっているしね。


「なん……だよぉ……折角寝てたの──」


「何で貴方は呑気に寝てるのよ! 皆様は集まって話し合いをしてらっしゃるというのに! あの部屋に行って貴方の事を聞くのがどれだけ恥ずかしかったか分かりますか! って何を言わせるの! はっ……もしや貴方は帰る気しかないようなロクでなしなのですかっ?! 最悪ですねっ!」


「──いやいや待て待て待て、一気に話して一気に完結させんじゃねぇよ、てか誰……」

「寝ぼけていらっしゃる! よく聞きなさい、私の名は──ミラ・ドゥミネット・アルデス! この国の姫よ! つい先程会いましたでしょう?!」


 …………何で姫様がこんな所にいらっしゃる。それに、妙に動き難いなと思ったら何で姫様が僕に馬乗りになっているのだろう。まぁ布団の上に、ではあるけど。きっとラッキーな展開なんだろうけど、そうでもないというのが現状。不思議だ。と言うかおも……なんでもない。

 姫様は僕の事を上から覗き込む。じーっと言う効果音が聞こえそうな程、見てくる。やだ、恥ずかしいわそんなに見ないでー。……とは特に思わないのでずっと見ててもらっても結構です。別に僕に損は無いし。


「何で姫様がこんな所に……」

「貴方……! わっ、私の、そのっ…………こっ、恋の手伝いをするのではないの?! するって言ったじゃない!」


 あぁはい、確かに言いましたとも。冗談として。

 けどそれを本気にしてまで来たというのか……。何て行動力ある姫様だこと。同時に、話す相手いないのかよと突っ込みたくなったけどこれは控える事にした。


 ……ホント、どれだけ一途なんだろう。こんなにも自分の事を思ってくれている彼女を持つ、見たこともない人にすこし妬けるよ。けどもしその人が鈍感で、姫様を傷付けるのなら……全力でシャイニングウィザードをかましてやろうか。そして気付かせてやろうかな。どれだけ一途なのかを。うん、楽しみ。

 いや、何が楽しみなんだよ。


 ……はぁ、一体いつから人の恋路に首を突っ込む様になったんだか。


「あぁ、マジでやるの? ……てか、俺でいいの?」

「だっ、だって……」


 姫様はぷいと、そっぽを向く。ほんと、ツンデレですね!


 ──貴方ぐらいしか、私とまともに話してくれないのだもの──


「ん、何か言った?」

「何でもないわよ!」


 姫様は僕の首元を掴み、全力で上下に揺らした。首がガクンガクンと動き回り、段々目が回ってくる。あれ、何だろう世界がぐらぐら揺れてる。

 けど止めてくれない。


 いや、止めてくれ。


 咄嗟に姫様の両腕を掴み、全力で押し返す。姫様は突然の事におどろき、何故か耐えようとしたようだが女が早々男に勝てるわけもない。それに僕は勇者として戦ってきたんだ。見た目はひょろひょろでもそれなりに筋肉はある。

 本当は、姫様を押し返して、その勢いのまま僕が上半身を持ち上げる。ここまでが僕がしようとした事だ。だが姫様が何故か全力で耐えた所為で、バランスを崩した。実際には、姫様が全力で耐えた後に突然力を抜いた所為だが。ベッドから転がり落ちる。


 ……結果から言うと、痛い。


 どうやら姫様が下になって落ちてしまう様だったので、その時の僕は咄嗟に姫様の頭と背中に手を置いた。何の為にって、クッションの為にですよ。女性が頭とか背中を打ち付けて痛がるのを見たくないし。

 まぁ、結果は……予想通りだと。

 両手をクッションとして使うという事は、両手を使えないという事だから僕はもうこの時点で詰んでるんです。でも頭を姫様の胸に着地させれば、まだマシなダメージで済んだでしょう。でも、それはちょっと。


 だって、彼氏持ちですよ?


 という事で僕の顔は、姫様の顔のすぐ真横で床に額をぶつけた。……痛い、痛いです。本当に。だって手で受け身をとる事すら出来ず頭をぶつけるのですから。痛くないはずがない。

 例えるならば……と言うか同じ痛みを味わいたい物好きな人に向けて言うけど、両手を後ろで拘束した後に全力で頭からすっ転べば同じぐらいの痛みになると思う。


「……っ?! ちょっ、何よあなたっ……なんのつも」

「……痛い」


 姫様が顔を真っ赤にして僕の事を睨む。僕はそれを無視して姫様の頭と背中から両腕を抜き取り、所謂四つん這いの状態となる。頭の下から手を抜き取った時姫様の頭が床にこつんと落ちて、「ひゃっ」と小さく言った。

 四つん這いの状態で、一瞬姫様と目が会う。姫様は顔を真っ赤に染める。けど僕はそんなでもない。慣れたとかそういう訳ではなく、何故か分からないけど冷静でいられた。つまりほぼ表情を変えずにいられたという事だ。

 別に、女性に性的興奮を覚えないという訳ではないから安心して。僕は普通の男の子です。……いや、そこまで安心してとか言える内容じゃないけどまぁいいや。

 何と言うか……そこまで緊張する様な場面なのかなって思える。一体いつから麻痺したんだろうと思ったけど、考えるのを後回しにした。この事を忘れる為に、姫様に話しかける。


「姫様……」

「……なっ、なにっ……よっ……」


 きゅっと、姫様は目を瞑る。何でだよ。何もしねぇよ。俺はモンスターじゃないよ、霊長類だよ。知能の低い奴らと一緒にしないでよ。霊のおさだよ。いやこれもう何言ってるか分からねぇ。

 けど……何も取って食おうとしてる訳じゃないのだけど。はたまた、奪う気など微塵もありませんけど。


「何をそんなに……緊張してるんですかこっちまで緊張するじゃないですか」

「なにを……って……! その……」

「別に……恐らく姫様が現在進行形で想像してる様ないかがわしい事はしませんよ。決して。……いえ、姫様が別にいいと言うなら……」

「なん……っ」


 姫様は遂に林檎も逃げ出してしまう程に真っ赤になった。湯気すら出ている気がするのだけどきっとこれは気の所為。


 そろそろ不味いかなと思って、僕は体を持ち上げる。そして、姫様の隣に胡座をかいて座る。

 姫様はキョトンとして、未だに寝た状態でこちらを見てくる。いや、起きた方がいいでしょ、とは言わない。言えば、何だかビンタされる気がする。理由は分からないけど何故か確信がある。

 起きないのならば、と寝たままの状態の姫様に数個程質問をする。


「……まず、まさか彼氏さんにさっきみたいな暴力と言うかを振るってます?」

「……ふ、振るえる訳、ないじゃない……」

「ならよかった。彼氏に暴力を振るうのはだめだめですしね。じゃあ、これから本題に入ろうと思うのだけど、姫様の恋についてどこで話します? ここで話す?」

「…………ぁ、えと、わ、私の部屋で……」

「了解しましたー」


 僕はそう返事して、姫様を一瞬お姫様だっこ状態にして持ち上げた後、足を床につけて姫様を立たせた。突然立たせてしまったから、姫様は少しふらついた。

 今姫様は、彼氏さんには暴力を振るえる訳がないと言ったけど、それって同時に俺になら暴力を振るってもいいって事になってる気がするのだけど。まぁ、それは置いておこう。

 ……え、何で姫様はキョトンとしてるのだろう。キョトンとしたいのはこちらなのだけど。


「変な人……東、紫電……でしたっけ?」

「……ああ、うん。そだけど」

「…………私では……ドキドキしないの……?」


 妙な口調だ。なんと言うか、おねだりしている様な、そんな感覚。どこかで聞いたことある様な感覚だなと思ったら、クルクスで会った「淫魔サキュバス」と同じ様な感じだった。いやクルクスで会ったのは「淫魔」と言うより、「淫乱大悪魔スーパーサキュバス」と言った方が意外と正しいかもしれない。それぐらいの淫乱だった。どうしようもないくらい淫乱だった。

 …………まぁ……力でねじ伏せちゃったけども。襲って来たら力でねじ伏せましたけども。


 けど、別に「淫魔」改め「淫乱大悪魔」だからと言って外道ではなかった。あいつは、人並みに誰かを心配する事が出来ていたから。親戚の子供が風邪(の様なもの)をひいた時は、その子供を心配して丸一日看病すらしていた。当然、子供を襲ったりもしてないし、子供に変な夢を見せてもいない。その後看病に疲れて自分が風邪をひくぐらいに優しさを持っていた。

 結構いい奴だったかな。ただし、毎回僕を見つける度に飛びかかってくるのはどうかと思うけど。一体、もう何度体当たりを受けたのか数え切れない。


「…………って、何ですかそれは……ドキドキして欲しかったのですか、襲って来てくださいと言いたいのですか? ……まさか彼氏持ちで? ……冗談ですよね?」

「ちっ……違うわよぉ!」

「え、冗談じゃない? そんな……」

「ち、ちがうちがう! その話は冗談っ!」


 ぺちん、と姫様は僕にビンタする。けど、優しめのビンタだった。そこまで痛くない。と言うかさっきまで俺に容赦なかったという事ですか、そういう事ですか?! ですよね! 酷い!


 僕が少し、苛つきにも似た様な感情を外に出した頃、姫様は何故かクスリと笑った。それは夕食会の時の顰めっ面からは考えられないぐらいに自然と出てきたものだった。……眩しい。少しだけ、目を逸らす。

 

「面白い人……さ、行きましょ」

「……ま、そですね」


 僕は姫様に手を引かれて、僕の部屋から退出した。そして廊下に出た瞬間、


「えっ、姫様……? え? 紫電くん? え?」

「えっ? なになに? あれ、なんで」

「! なんで手繋いでるの?!」

「まさか、まさか?!」


 見知った女子生徒が好き放題言い出した。何でここにいるのかと思ったけど、多分姫様が僕の部屋に入ったのを目撃したのだろう。


 ……分かるぞ、僕にだって分かるぞ。言葉遣いと言うか、話し方というかが明らかに普通と違う事ぐらい。どう違うのか、それは簡単。明らかに「恋愛」に関係するような響きだ。

 夕食の時の視線も似たような「恋愛」系の視線だったけど、姫様が気付かなかったようなのでまだ良かった。けど言葉というのは姫様にも気付かせてしまうもので。


「え、なっ、何よ! それにそのまさかじゃないわよっ! 勘違いしないでよね!」


 と、真っ赤に染めた頬を見せびらかしながら言うのだ。言わせてもらうけど、それって完全に誤解パターンだよね。あのよくあるやつ。ツンツンデレデレさんの言動ですよね。無理に好きな気持ちを隠そうとしてるけど全く隠しきれてないという、あれ。まぁ、違う点があるとすれば、僕の事が好きだという訳ではないと言うところかな。

 なんで姫様がこうなったのか。それは矢張り、さっきまで「恋愛」についての会話をした所為でそれと繋がってしまったと言う理由があるだろうし、他にも姫様が顔を赤く染めやすい人だからと言う理由もあるだろう。


 待て、これは早めに話を逸らすかでもしなくちゃ駄目かも。主に僕の未来の為に。


「あー、皆? 勘違いはするなよ? 今どうやら国王に呼ばれたらしいんだよ。俺が」

「「「「えー?」」」」

「いやいや、まじで。で、姫様は俺を国王のとこまで連れて行く係。俺、今の今まで寝てたから姫様も焦ってるんだよ。うん。急ぎの用事なんだ」


 ……上手くいったか、な?

 生徒の顔が段々変わっていく。だが、まだ若干残っている様に見えるな……うむ、決定打がない。どうしよう。……ここはすまないとでもいって無理矢理押し通るしかないか?

 こんなことしている間も、姫様は顔を真っ赤にしているのだけど。けど僕の手は離さない。いやそこは離そうぜと言いたいけど、言えないでいる。……姫様の手が、クルクスでもらった温もりと同じものがあったから。

 いや、きっと地球に戻ってきてから人の手を握る事はおろか、握手すらロクにしていなかった所為で温もりを心の何処かで欲しがっていたのかも。その温もりに今、触れてしまったが故に、離れたくないと思ってしまっている。


「それは本当にございます、皆様」

「「「「メイドさん?」」」」


 ……思わぬところからの援軍。ナイス。援軍は、メイド。それも結構偉い方の。……あれ、メイド長様では御座いませぬか? 若干歳をとっているが、それがメイドとしての熟練度、的なものを表している気がする。

 メイドの驚くほどの無表情から放たれる言葉は、何故か心の中にストンと入り、あたかもそれが本当なのだとさえ思えてしまう。実際、僕もそんな状態だ。本当に国王に呼ばれている様に思えてきている。

 それによって、「そうなんだ」と言いながら生徒共はシェアルームに帰って行った。凄い、メイドさん凄い。憧れる。

 あれ、そう言えばクラスの人がいる部屋をシェアルームって僕は呼んでるけど、正式名称は何だろう。いやどうでもいいか。


 メイドは生徒がいなくなった後、姫様に近付いて何かを言った後、一礼し去って行った。何を言ったのか気になるけど、余り詮索はしない。だって姫様がまた林檎の様になっているのだもの。触らぬ神に祟りなし。


 ……中々、立ち直れないな。姫様。


 僕は一方的に姫様に掴まれた手を引き抜く。一瞬ビクリとしてこちらを見てきた為、今回はがっしりとこちらから姫様の手を握る。姫様の肩が跳ねる。そしてこちらを見たところで、こう言う。


「ほら、行きましょ。姫様」

「…………え」


 ……あれ?

 姫様が妙に大人しい。何でだろう。それにこちらをキョトンと見ている。

 ……? よう分からん。


 そうして固まっていたのはたったの数秒だったと思う。多分十秒も無かった。けど、感覚的には──数分はそうしていた気がする。


 何だろと思って、漸く僕が話しかけようとした瞬間、何かを思い出してはっとした様に肩を揺らし、


「わっ、私の手をいつ握っていいと言った!」


 ……と言って僕の手を乱暴に引き剝がし、結局自分から僕の手を握って、歩き出した。いやいや何で。自分からなら別にいいのかよと聞いてみると、速攻でこう帰って来た。


「私を縛るものなど無い! 故に私からならいいの!」

「強引すぎるッ」


 うわー、無理やりだなぁとは思ったけど、それが姫様だとも思った。人を上から見下してこその姫様なんなら、別にこれぐらいの事はいいかなって。

 ……あ、僕が「えむ」だとかそういう事ではないよ? あくまで姫様に付き合ってあげてるだけで、僕が『あぁっ、踏んで下さいィ』思考をしてる訳ではないよ? おーけー?


 と、まぁ僕がそんな事を考えている内も姫様はぐんぐん廊下を突き進んでいった。途中シェアルームの前を通った時なんかは、なんだかきゃーきゃー騒いでいた。……あれれ。反応が違うなぁ。メイドさん効果もあった筈なのに、まだ信じていな──


 ──あ、そっか。そもそもあのツンデレ姫様が学校ではレジェンド・オブ・モブでだった僕の手を握っているというシチュエーションできゃーきゃー騒いでるのか。そっかそっか。納得。

 ……手ぇ、離しときゃよかった。


「っ! 急ぐぞ」

「うわわっ、急に引っ張るなって」

「いいからっ!」


 姫様って、事に対する耐性無いのかね。いや、十中八九無いだろうな。


「姫様ー、部屋までどれぐらいかかります?」

「五分程度!」

「部屋ってどの辺なんです?」

「丁度そこの窓から見える向かい側の最上階!」

「へー」


 僕は窓から外を見る。


 丁度今いる建物の向かい側に、こちらと同じ位の建物がある。建物と言うか、城?

 で、その向かい側に渡るにはどうやら階段を登らなければいけないらしい。窓から見た限りだと、この階から二つ程上の階に上がらなければ、渡り廊下がない様だ。多分外から見たら、『一階と四階にしか渡り廊下の無い向かい合う二つで一つのマンション』みたいな感じなんだろうな。ちなみに、こちら側の建物と向かい側の建物との間には中庭がある。

 なんて変な造りしてやがる。もっと使いやすくしやがれ。


 窓から見た限りだと、向かい側までの距離はあまりない。これなら、飛んで行ける。それに窓にはガラスとかは何もない様なので、窓から中に入ることも出来る。所謂、景色を見る為の窓かな。

 けど……姫様を背負った状態で窓を通り抜けられるだろうか。ここの窓、結構狭い。出る分には問題ないけど、外から飛び込むとなると難しそう。

 さーてどうしたものか……と。


 ──あ、今日はどうやら、月が明るい様です。


「姫様ー」

「何よ!」

「本当の最上階、行ってみません?」

「……はい?」


 姫様は歩くのを止めなかったが、こちらを振り向いて首を傾げた。


「行くか、行かないか、どっちにします?」

「──行く」

「了解」


 姫様が優柔不断でなくて良かった。こういう風にすぐに決断出来るというのは、良いことですね!

 僕は姫様を持ち上げて──お姫様抱っこして──窓枠に足を掛ける。


「えっ?! ちょ、まっ、なんっ」

「それじゃー、行きます」

「ちょっ、すとっ、ストップ……」


 姫様が慌ててストップコールをする。何で?

 けど、まぁしょうがないから三秒だけ待ってあげましょう。


「さん、にー、いち……」

「えっ、三秒?! みじかっ……いや、そう言うことじゃっ……」

「ぜろ」

 

 クルクスで覚えた魔法を瞬時に発動させる。

 まずは筋力強化。これで足の筋肉を強化する。次に身体能力強化。空中でのバランスとか、着地をしやすくする為に。

 窓枠にかけた足を思いっきり踏み込む。窓枠を粉砕させながら、僕の体は宙を舞う。

 そして次の瞬間には、僕の体は窓の外に出ていた。


「〜〜〜〜っ!」


 姫様は……目をぐるぐると回していた。

 けど、スルー。


 ここでまた魔法を発動させる。このままだと、全く辿り着けない。良くても向かい側の一つ上の階にしか着かない。それでは駄目だ。

 発動させたのは、炎と風の魔法。炎を出現させる事で空気を温め、上昇気流を作り出す。そして風の魔法で、その上昇気流に乗って更に上に上がる。


 でも足りない。


 次は、氷の魔法。空中に氷を出現させる。そして、その上を移動する。一度乗った氷は、瞬時に炎魔法によって蒸発させておく。もし下に人がいたら大変だ。いや、見られていると言うところから不味いかもだけど。

 最後の一つの氷に足をつけ、勢い良く上に飛び上がる。そしてその氷が炎によって蒸発し終えた頃、僕と姫様は最上階に着いた。


 ちなみに、最上階と言ってもここは部屋ではない。


「…………」


 姫様はぎゅーーっと目を瞑ったまま動かない。「姫様ー?」と呼び掛けても反応がないので、柔らかそうな頬を優しくつねってみる。うおっ、すげぇぷにぷに。

 それからすぐ、姫様はようやっと目を開けた。そしてその姫様が初めに見たのは、星空だったのだろう。またしても動かなくなる。そろそろ良いかなと思って、僕は姫様をに下ろす。と、その前に屋根にハンカチでも敷いておこう。


 そう、ここは最上階。

 別の言い方なら、屋根の上。


 姫様の隣に僕も腰を下ろして、姫様を見る。

 ……そして不意に、僕は視線を動かせなくなった。見入ってしまったのだ。星空を見る、姫様に。正直自分でも驚いた。


 僕はそれを紛らわす為に、姫様に向けて話しかける。と言うか、何か話さなくては訳が分からなくなりそうだ。


「そ……それじゃあ、話、始めますか。姫様」

「……うん」


 僕は、姫様の素直な返事にまた固まってしまった。僕はすぐに目をそらす様に星空を見上げる。そしてその状態のまま……手を伸ばした。



 そして……自分の手を姫様の手に重ねようとして──



 ──────止めた。

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