第5話

 早朝、と言い表して間違いではないのかよく分からないけど、一応僕の中では早朝って事なんで早朝と言い表せてもらう。


 時刻は、午前四時。誰もが寝息を気持ち良さそうに立てるような時間。

 空は当然のように真っ暗で、今しかないとでも言うように星は一際輝く。自己主張の激しい月が沈んでからと言うもの、星達はどこか元気な気がする。風なんて吹こうともしてくれない。聞こえると言ったら、自分の鼓動か独り言。

 そんな中、僕は一人屋根の上にいる。



 姫様と来たのは昨日の午後九時辺りで、それから一時間ぐらい話した頃に姫様が寒そうに身を縮めてくしゃみをしたから、そこで話を終了させた。

 話が終わった時の姫様は、何時ものトゲトゲした感じじゃなく、小学生の様な無邪気にはしゃぐ姿だった。こんな顔出来るのかって言うぐらいに、笑顔だった。


 それからは屋根から飛び降り、廊下の窓から中に侵入。姫様を部屋に帰したら、僕も部屋に帰った。そこで、なんか支給された服に着替えた。地球でいうパジャマに似てた。

 それから寝ようとした……のだけど、結果を言うと殆ど寝れなかった。一瞬寝たかと思うとすぐに目が覚めて、時刻を確認すると数分しか過ぎていない。それの繰り返しだったから布団を飛び出してまた屋根に来た。ちなみに、また着替えてる。これも支給されたやつなんだけど、なんか白を基調とした制服……のようなヤツ。騎士団の人が着る様なやつかな。でも、チラッと見た騎士の人はこんなの着てないから、勇者限定かな?


 ──それから、今の今までただ星空を見上げている。


「はぁ……」


 息を吐くと、その息は白い煙となって宙を舞う。これは外の気温が低い訳ではなく、氷の魔法で勝手に気温を下げているだけ。


 なんでこんな事してるんだろう。自分にそう語りかけても、答えは返ってこない。

 つまりは、僕は特に理由もなくここにいる。

 …………いや、もしかすると姫様の事が関係してるのかな。


 ……いや絶対そうだ。


 僕は、姫様にドキッとした。一瞬だけでも、『襲いたい』と考えてしまった。多分、それが原因なのかな。

 言ってしまうと、姫様の事を考える度に姫様の顔が鮮明に思い浮かんでしまう。横になれば、姫様の罵倒というかがどこからともなく聞こえてくる。


 何なんだろ。

 わっけ分からん。


 また出てきた姫様の顔をどうにかして忘れようと頭を振るけど、心に刻み込まれたようなその顔は忘れるどころか深く刻み込まれる。


 と、その時遠くで何かが発光した。

 勘違いだろうと思ったけど、その後も一定の間隔ぐらいで発光していた。よく目を凝らすけども、暗いこの時間帯では殆ど見えなかった。

 何だろう。とても気になる。


 恐らくあの発光の原因は松明たいまつのものだと思う。


 さっき目を凝らした時に分かったのは、その発光の周囲には森が広がっている事。それもジャングルの様に木々が生い茂っていて、陽の光が地面に届かないぐらいだと思う。それは同時に、外に光を出さないという事でもあるのだけど。

 けど、全部が全部葉っぱに覆い隠されているわけはない。それでは、屋根が掛かっているも同然だ。そこまできっちりと葉っぱに覆い隠されている森なんて早々ない筈。きっと、ちょっとした空間があったのだろう。そこから少しだけ顔を出した光が、あたかも発光した様にみえたのだろう。


 何故松明の光だと分かったのか──と言われれば、それは目を凝らした時の魔法のお陰としか言いようがない。

 所謂“サーモグラフィー”と呼ばれる様なものを発動した為に分かったのだ。あの、人間の体温を視覚的に表すやつ。あれで見ていたら、光の部分の温度が非常に高かった。……それだけなんだけどね。もしかすると炎を利用したランプの可能性もあるのだけど。


 ……特にする事も無い。

 ……暇でしょうがない。

 ……訳分からない感情を忘れたいから、何かしたい。


 よし、行こう。

 暇潰しになると良いのだけど。

 僕は屋根から飛び降り──


 バキッ。


 えっ、何の音?


「あっ、やべ」


 同時に屋根の瓦みたいなものを壊してしまった。しまった踏み込み強すぎた? 気にしたら負け、とスルーしようとした、けどもう一つ気になるものがあったからそこを二度見した。


「……? 魔法陣の……一部分、か?」


 瓦の下には、魔法陣の一部分と思しきものがあった。あまりに複雑怪奇で何が書いてあるのかを理解は出来なかった。けど、あんまし良くない事が書いてあるのだろうなって事は直感的に感じ取れた。


 これと似たのを、クルクスでも感じた事がある。何時だったかな。確か、相手の国の凄い武人と戦った時だったかな。

 その武人は、何というか雰囲気が違かった。例えるなら……凡人と強者の境界線を超えたような、そんな感じ。あれなら、例え数千人の人の中に紛れ込んでいてもすぐに気付けそうなぐらい。いや寧ろそんなものじゃないかも。僕たちが、山を見上げる感覚にすら似ているかも。

 まぁ、それぐらいに凄い人だったんだけど。


 けど魔法陣の場合は──武人の様な“理解出来る”ものではなく、“理解不能な”ものだった。



 ──まるでそれは幽霊の様な、いるのかいないのかはっきりしない感覚。怖いテレビを見た後に感じる、自分自身で作り出した幽霊からの視線。ドアの隙間の陰に感じられるナニカ。シャンプーしてる時に感じる、あるはず無い視線。ガタリと開く扉と隙間にあるカメラ──



 …………みたいな? まぁ簡単に言えば、隠れていてよく分からないもの、みたいな感じかな。

 ……あれれ、最後のはただ単に覗かれてる気がするな。まぁいいか。


 少しばかりの間そこを見ていたが、特に興味は湧かなかった。見たところ魔力とかそういうものが流れている様には見えないし、今は気にする必要無いかな。


 僕は魔法陣から目をそらし、今度こそ飛び降りた。


 ◇◆◇


「あっ……」


 少年が屋根から飛び降りた。

 普通はこちらに戻ってくるものだとばかり思っていたが、予想外の行動に不意に声が漏れた。急いで口を手で塞ぎ、周りに人がいないかキョロキョロと首を動かす。

 時刻からして、起きている人は殆どいないだろうが、それでも心配になるものだ。一通り見渡して人がいない事を確認できても、すぐには安心できないでいた。


「なっ、なんでそっちなんですかぁ……逆です逆ぅ……」


 そんな、ストーカーじみた行動をしたのはビオである。今は当然、寝巻きの服である。猫の顔が描かれた可愛らしい服なのだが、本人はその事をすっかり忘れている様だ。金髪は後ろで三つ編みにしている。

 時間も時間である為に、若干眠そうであるが、まだ眠ろうとはしていない様に見えた。


 覚えているだろうか、勇者が召喚された際に真っ先に紫電と口喧嘩……の様なものをした女性の神官である。

 なぜストーキングしているのかと問われると、思ったよりも普通の答えが返ってくる。「ハンカチを返したい」だ。紫電から渡されたハンカチを返そうとしているのだが、どうにもいつ返すか決まらないでいると、いつの間にやら深夜である。あわあわと慌てるが、一向にタイミングが合わない。


 結果、今の状態である。


 紫電が一人で屋根を登ったのを見たときは、同時に「すぐに城の中に戻ってくるだろう」とビオは考えた。ならば見張っていればいつかは来るだろうと、ほぼ確信していたのだ。

 だが、それは見事に裏切られた。城の中どころか、外に行ってしまった。


「うぅ……どうしましょう」


 迷った。非常に迷っていた。

 だが、ビオの決断力は────凄かった。


「よしっ、ひっそりと城から抜け出しちゃいましょう!」


 ……普通ならこの考えをする者はいない。

 理由は簡単である。そもそも神官の職にいるビオは、外出を殆ど許されていないのだ。実はビオは神官兼メイドでもある為、食材の買い出しといったことでなら外出は可能である。だが、その外出には証明書のような書類が必要だ。それが無いままの外出は、逃亡と見なされ牢獄に入れられる。もしくは、城への立ち入りの禁止などの処罰もされる。


 牢獄に好き好んで入る人などいるわけもなく、女性なら尚更である。

 だが、今のビオにはそれが見事に抜け落ちていた。


「えぇっと、紫電さんが飛び降りたのは東あたりだから……すぐ近くにソワレの森がありますねぇ……ソワレですかぁ、走って二十分と言うところでしょうか」


 城の東にはソワレの森が広がる。

 木の密度が多いが為に、自然の日光がそう簡単に地面に届かない。それ故に夕闇ソワレの森と呼ばれている。

 ソワレの森はあまりに広大である。それと同時にそこに生える植物は決まって硬質であり、開墾はほぼ不可能である。その硬質はと言うと、そこらの鉱石よりも数段高硬度である。過去に一度、炎で焼き払おうと試みたらしいが、炎は時間とともに小さくなるばかりで、結局木の一つも燃やす事なく自然に鎮火したとの事である。

 故に、城の東側には家の一つもなく、ありのままの森が堂々居座っている。そしてその森を挟んだ先にはスキターレツ王国が広がる。

 スキターレツ王国とはトリアンテイヌ帝国(僕達が召喚された国)の隣国であり、放浪者の国とも呼ばれている。


「まっ、間に合い出すよねっ」


 ふぁいとー、と自分を応援してビオは走り出した。

 紫電の背中を追いかけて。


 ──────その行動の先に何が待ち受けているのか、この時は知る由も無かった。


 ◇◆◇


 屋根から飛び降りてみたのはいいが、ここで一つ予想外が。

 …………思ってたよりも、高かった。


「……いってぇし」


 そのお陰で飛び降りてからの滞空時間の長さの計算を間違え、まだ地面には程遠い場所で変に姿勢を変えたが為に体勢を崩し、遂には着地失敗。森に頭から突っ込んだ。ただ、超硬質の木に引っ掛かったお陰で怪我は無かった。

 正直に、これにはびっくりした。直径一センチ程度の木の枝が僕の全体重をかけても折れないのだから。


「助かったし良しとしよう、うん」


 と、ここらで周りを見渡す。さっき光が見えたのはもっと先だが、この近くにいないとも限らないし。

 ……木。木、木、木。三六〇度どこを見ても木。つい数秒前までいた城の屋根から見た森とは違う様にすら感じるほどに、どうしようもなく森だった。


 それにしても、地球にもクルクスにも無かった木だ。木は全身真っ黒で、上に行くにつれて茶色に変色している。そして茶色の木の枝の先には、青々とした木の葉がぶら下がっている。

 ……見た目は(木の色が黒だと言うのは置いておいて)ほとんど地球とかの木と同じなのだが、圧倒的に違う部分が一つ。硬度。これだけが明らかにおかしい。


「それにしても、丈夫な木だなぁ」


 しれっと魔法を発動させる。“創作”という魔法で、ゼロから武器を作ったり、武器の改造も出来る。クルクスの魔法だ。ただ、そこまで万能ではないので多用はしない。それを使用して剣を創り出し、振るう。当然、目的は高硬度の木の診断だよ。


 いくら万能ではない“創作”であっても、それは全ての総合値的には万能ではないと言うだけであって──一つの能力を取れば“万能なもの”と同格か、はたまたそれ以上の強さを持っていたりする。

 例えば、刀。打撃には向かないし、銃撃になんて見向きするはずもない。だが、斬撃だけなら大きな能力を持つ。つまりは、斬撃特化、という事だ。それと同じである。

 で、今回特化させたのは……まぁ例と同じになるが、斬撃だ。けど、刀ではない。そもそも、それが物質である限り斬撃の能力は下がる。なら、物質を現象に変えればいい。……って気付いたのは実は数秒前。てへっ。


 要は、斬撃という現象だけに力をつぎ込んだって事。うーん、分かりづらい。もっと簡単に言うと……刀で十数回斬った分を全て一瞬に込める……って感じ?


 人差し指と中指を刀に見立てて伸ばし、木に向けて振るう。直後、ガギン、と鈍い音が響き渡った。


「うえぇ」


 ……何で斬れないのさ?!


 確かに手加減はしたけども、ここまで頑丈だとは思わなんだ。

 …………確かに、斬撃は当たった。だが、その斬撃は木に衝突した瞬間に自ら崩壊した。正直、これは予想外過ぎてびっくり。

 何せ、“斬撃”という現象すら打ち破ってしまうほどに超高硬度。こんなの見た事ないや。


 けど、これでよく分かったよ。確かにこの一帯は開拓なんて出来たもんじゃないね。


「はあぁぁぁぁ」


 あぁ、僕って自分でも負けず嫌いなんだなぁ。無性にこの木を斬りたくなってきた。

 と、いう事で。


「“創作”、とそれに“属性付与【風】”、“一点集中”、“瞬間閃撃”、そして“相乗”っと」


 僕が今持っている中でもとっておきの能力を掛け合わせて。


「とうっ」


 指を振ると、綺麗にその部分が斬れた。よし、勝った。一人で何だか虚しいけど、ただこれだけは言える。勝った。


「よし、行くか」


 満足した僕はすぐに歩き出す。

 背後で、バキバキと音を立てて木が地面に倒れた。



 目に龍線を収束させる。すると自身の瞳の色が金色に変色し、熱源を感知できるようになる。

 龍線と言っても、一般的な魔力と然程変わらない。唯一違う部分と言えば、龍線は僕が使えば通常の数倍の能力を発揮するという事ぐらいかな。


 種明かしをしようか。何故、僕限定で能力が上がるのか。

 ヒントは、『魔力は誰にでも使える』という所にある。『誰にでも使える』、とはつまり、『誰にでも適合できる』という事だ。さて、誰にでも適合できるものと言ったら、簡単に表すなら“中性”だ。

 人は一人一人違う。それは誰かが“酸性”なら、それと同じ“酸性”はいない。“アルカリ性”もまた然り。そんなバラバラな人間全員に合わせるには、全員に合うような構造になるのが当然だ。それは同時に、『誰かが特化した力を持つ事はない』という事。

 中には魔力の適正が高い者がいるが、それは今回の例に表すのなら“中性”に近いという事だ。ただそれだけであって、魔力に完全に適合しているとは言えない。


 もう分かっただろう。あ、分かってなかったらごめん。てへっ。

 僕は、その“中性”の魔力を、自分の色に変えたという事。

 実は……よくある身体能力強化とは、自分自身を魔力に適合させた状態の事を指している。


 龍線にはデメリットもあるが、メリットの方が断然多い。デメリットと言えば矢張り、発動時間がある。

 魔力をそのまま使うのではなく、魔力を龍線に変えたのちに使う、と言う過程がある為に、どうしても時間がかかる。だが、その威力はと言えば通常の比にならない。


 龍線。これはクルクスの師匠に教えてもらった。僕は魔力の適正が残念だなってレベルで無かった。それはもう、自分を魔力に適合させる事が不可能な程に。

 そんな時に師匠から龍線をならった。そのお陰で勇者として戦えた。もう師匠さまマジリスペクト。

 それと思わぬ副産物も出てきた。魔力を捻じ曲げて自分に適合させているが、それによって僕自身の魔力も変質していった。要は、“酸性”だったものがだんだん“中性”に近付いていったという事だ。


 と、まぁそんな感じだ。


 熱源感知眼。これが一番マシな名前なんだけど、正直読むの面倒くさい。という事でサーモグラフィー・アイで。いや、サー・アイ……アイサー、これだな。

 …………。

 熱源感知眼でいいや。


 熱源感知眼で辺りを見る。

 一キロ先に三人、一.五キロ先に十数人の熱源。恐らく、先程の松明の様な光は一.五キロ先の熱源だろう。


 よし走ろう。全力で。

 最後に全力で走ったのは何時だったっけ。地球にいる内は全力なんて出せる訳もなく、ちょっと暇だったのを覚えている。だって……ちょっぴり、ほんのちょっぴり力を使うと、何でも壊れるんだもん。それのお陰でランニングマシーンを見事に木っ端微塵にした回数一回、ショートさせた回数五回だ。あれで相当金取られた。


 と、思考も程々に。

 姿勢を低くし、足に力を込める。両手を地面につけ、所謂クラウチングスタートの形をとる。

 そして────足に龍線を込め、力の解放と共に龍線を爆発させる。


 直後、その場から僕の姿は一瞬にして掻き消えた事だろう。代わりに、僕が数瞬前までいた所には龍線の爆発後の炎が残っている。

 アフターバーナー。戦闘機の加速方法の一つ。それと似ている。


 龍線を爆発させて、進む。それを繰り返す移動法が僕の全力だ。時間にして三秒おきに龍線を足に込め、爆発させる。その速度は戦闘機なんて目じゃない。

 実際、移動を開始してから二度目の爆発を起こす前に一キロ地点に着いてしまった。


 減速。

 僅かコンマ数秒で速度をほぼ完全に殺し、着地。直様木陰に隠れ、熱源を確認する。そこには……狩人? っぽい人がいた。


 何かを、話してる。


「実は俺…………この仕事が終わったら、求婚するんだ……!」


 一体何を話しているのかなぁ、なんて思ったら死亡フラグ立ててるぅぅぅ──────ッ!


「ははは、そっか、遂に決めたんだな……じゃあ、お前は先に行け。この仕事は、俺に任せとけ! それと、俺の手柄もくれてやる、未来の嫁さんにイイとこ見せたりな!」


 ま、た、かぁぁぁ──────ッ!


「俺の分もくれてやる、といいたい所だが……実は……」

「なんだ?」

「どうした」

「明日、俺、父さんになっちまうんだよ。絶対、見届けなくちゃいけねぇんだ!」

「「うおぉぉ、おめでとぉぉ!」」


 優しい人達なのはよく分かったけど、お前ら死亡フラグ立てすぎだろぉぉぉ──────ッ!!

 なんなんだ、お前らは一級フラグ建築士か何かか?! いや違うな! 特級フラグ建築士だな!


『へっ、へっ、へっ……いいエモノ見つけましたぜボス……女がいねぇのは残念だが』

『ふむ、ソードキャットを討伐しうる者たちか……殺せ』

「「「な、なんだってぇぇぇ?!」」」


 フラグの回収早くねぇぇぇッ?!

 ……はぁっ、なんで俺がツッコミ役をやらなきゃいけないんだ……。


『殺せ奪え殺せ奪えェェッ!』

「う、うわぁぁぁぁっ、やめっ、助けてくれぇ!」

「せ、せめて命だけは……!」


 辺り一帯に、声が響く。盗賊の汚い言葉と、狩人の助けを求める声。

 だが、いくら狩人が助けを求めたとしても、盗賊には数で負けている。盗賊の数は全員で二十人はいる。そんな数の汚い言葉に掻き消され、埋もれる。


 可哀想だな、とは思った。


 だが、助けようとは思わなかった。


『やだねぇぇ!』

『その首で許してあげるよ』

「そんな……」


 だって、この世界はそうして回っている。


 実際、クルクスでもそうだった。

 僕はクルクスで多くの人を助けた。

 特に多かったのは、盗賊の襲来だった。盗賊は何時になっても愚かで、自分が襲おうとしている所に勇者が……つまり僕がいると分かっても、御構い無しに襲ってくる。

 これ程愚かだと思った事はない。だが、盗賊がいる事で成り立っているものもあった。


 例えば、一部の“闇”。

 クルクスのある一つの街には、矢張りと言うか“闇の部分”があった。その闇は盗賊と繋がっていた。実はその街は、闇が存在しているからこそ成り立っていた街で、僕が盗賊を全滅させると同時に、その街は崩壊した。政治、金、人脈、権力、ありとあらゆるものがこんがらがって、最終的に崩壊したのだ。その時、その街の住民は一気に貧しくなり、助けを求めたが救われなかった。

 僕が潰した盗賊が、その闇と密接に関わっていた事を知ったのは、同時に、僕があの街を、住民を殺してしまったと知ったのは、それからすぐ後の事だった。


 もしかすると、目の前の盗賊もそんな風にどこかと繋がっており、無くしてしまうと大変なことが起こるかも、だなんて考えてしまい、怖くて戦うことができない。

 僕は、罪のない人を救いたい。けど、救う方法が見当たらない。

 世界とは、ジェンガだ。どこかを抜き取ると、そこが不安定になり、下手すると全てが崩壊する。抜き取るピースを間違えれば、一瞬で多くの命が消えてしまうかもしれない。


 じゃあ。

 どうすればいいんだ。


 命は助けたい。

 でも、三つの命を救ったが故に百の命を失ってしまったらどうする。なら、三つの命を犠牲にした方が、まだマシだ。


 ジレンマに陥る。


 どこに行こうとしても、何かは崩れる。

 どうすれば、どうすれば、どうすればいい?


 その時、盗賊の一人が狩人の内の一人の首に剣を当てる。確かあの男は、今日求婚するっていう……。


『ヒャハハハハハッ、一人目ェェ』

「やっ、やめろ! そいつは、今日ッ……!」

『どんな理由があろうと、死ぬもんは死ぬんだよぉ〜?』


 死ぬもんは、死ぬ。

 か。


 一体、正義って、何なんだろうな。


 首に当たった剣を、盗賊は少し押し込む。切れ味抜群の剣は、少し首に当たっただけで綺麗にその部分が切れて、血が流れる。


「たっ、助け、てっ、くっ……」

『やぁぁーーだねぇ』


 正義。

 それって、定義されるものじゃないんじゃないのか?

 人を助ける事が正義だと言い切られたのだとしたら、その為に殺される人はしょうがないで切り捨てられるだろう。けどそれは、そもそも正義の定義と矛盾してる。

 というか、正義にはジレンマしかないんじゃないのか?

 正義とは、何かを、捨てることなんじゃないのか? 何かを捨てて、何かを得る。それが、正義?


 違う。

 何か違う。


 盗賊の剣が更に押し込まれ、血が大量に流れる。狩人の顔が大きく歪み、涙を流す。


『さよぉならぁぁ!』


 ────あれ? 正義って、自分で見つけなくちゃ、駄目なんじゃ、ないのか?

 正義に答えなんて存在しないのか?

 存在、しないんじゃないか?


 じゃあ、それって──



 ────正義は、初めからそこに“在る”ものじゃなく、“創る”ものなんじゃないのか?



 何かを基準にして、それで良し悪しを決めるものじゃなく、が正義なんじゃないか?

 例えそれがどれだけ歪んでいても、それはその人だけの“正義”。


 もしそうだとしたら────


 キィィィィンッ!


『ぁん?』

「僕がしたい事をするのが、僕の正義か」


 僕は、盗賊の剣を弾いた。それに驚いた盗賊は勢いよく尻餅をつき、僕を見上げる。


「じゃあ、まず。盗賊きみたちを撃退しよう」


 まだ、僕は正義が何なのか分からない。大いに間違っているのかも、それとも正解なのかも分からない。

 けど、今はまだそれでいい気がする。


「僕は、僕の正義を貫く。今は、それだけだ」


 虚空から剣を出現させ、それを掴む。

 そして、それを盗賊に向けた。


『何だぁ? その刃のねぇ剣はよぉ? まさか』

「お前らを殺す気はねぇって事だ。良かったな」

『んだと舐めるな餓鬼ィッ』


 盗賊の一人が、突っ込んでくる。腰の剣に手を当て、僕を睨む。

 その視線を僕が感じた、直後、僕は動く。


 右手に持った剣を右肩に乗せ、姿勢を低くする。そして、走る。


 盗賊とすれ違う瞬間。


 盗賊はその剣を抜刀し、見事に僕の首に向けて振るう。


 だが、その剣を僕が認識した瞬間、僕の体は勝手に動く。更に、姿勢を低くしたのだ。


『な』


 低くなった姿勢。そんな状態の僕に剣が当たるはずもなく、思いっきり空振りする。


 そしてそれと同時に、僕はその盗賊の脊髄に、重い一撃を加えている。それを認識出来る人間は、この場所にはいない。


 観客からの感覚では、突然盗賊が白目を剥いたように見えた事だろう。


『に……』


 盗賊は慣性の法則に従い、突っ込んで来た勢いを殺す事がないまま進み、最後には狩人の眼前で地面に熱いキスをした。


「さぁ、かかって来い。僕が相手をしてやる」


 僕がそう言のと同時に、剣を振るう。

 そしてそれから数秒後、ベキッ、と音が響く。


 そして、超高硬度の木が、数本地面に倒れた。


『は?』

『なん、だと』

『あの木を斬るなんて……馬鹿げてる』


 盗賊は各々が悲鳴にも近い声を上げる。

 そして最終的に、ボスの『撤退だ』という掛け声と共に逃げていった。


 僕は盗賊が逃げたのを確認すると、静かだなぁと空を見上げていた。

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