第2話

 ──それは、二年生一学期の終わりの日だった。これから長い夏休み。その夏休みをどう過ごすかの計画を頭の中で誰もがあれこれ考える日。友達同士では、「○日に遊びに行こうぜ」「○日に買い物に行かない?」と言った話題が教室のあちらこちらで飛び交う。


 このクラスは、男女比がほぼ均等だ。ほぼ、と言うのは男子が一人多いから。

 皆まで言わせるな、俺だよ俺の事だよ。

 僕が来る前は男子二十の女子二十人だった。それで最も驚いた事は、一人一人が必ず男子と女子とのペアが出来てるのだよ。まぁ、言ってしまえば、男子一人につき一人の彼女(的な存在)がいるって事。ぶん殴りたい位にイチャラブの二人組もいるし、蹴り飛ばしたい位に初々しい二人組もいる。『憎きかな・僕はいつも・一人だぞ』と、俳句か出来てしまう程に憎らしい。転校初日に『嗚呼憎ひ・閑古鳥鳴く・我が周囲』と謳ってしまったぐらいに憎らしい……まぁ、お陰で国語はバッチリ。


 これじゃあ話に入っていけないよ。で、大体そのペアで動きやがんの。友達と話す時もペアで移動して、必ず偶数なの。

 それで皆騒いでいるんだなぁ。


 ちなみに、僕はぼっちなので終始無言ですけど。

 ……そう、言わずと知れた、紫電です。

 ぼっち=紫電と言う繋がりには悲しみしかありませんね。


 そんな時、声が聞こえた。……え、僕に? 僕は今見事に机にうつ伏せ。


「紫電くんは、夏休みに……なにか予定、ある?」


 綺麗な声。顔を上げようと思ったけど、なんか面倒くさくて上げなかった。代わりに顔を少しだけ浮かせて、横を見た。


「…………いえ、別に。夏は暑いんで寝てたいです」

「うふふっ、紫電くんらしい」


 誰だろうか、と思ったけど見たところで僕にメリットはないので結局僕は顔を上げなかった。メリットがない、というのはつまり……目の前の人の彼氏的な人パートナーに何されるか分かったもんじゃないって事。


「…………あの……紫電くん……その……」

『ねぇねぇ! 一週間後に大阪行こうよ彩ちゃん!』


 目の前のどなたか……と言うか彩さん。いや、彩さんって誰だろう。まぁいいや。ド忘れしちゃった。


「どぞどぞ。返事してあげて」

「……っ」


 彩さんが何かを言おうとしたけど、何処かからの言葉で遮られてしまった。若干悔しそうに何かを呟いて、彩さんとやらは何処かに行ったようだ。何を言ったのか分からないのだけど。あと、去る間際に「じゃあね、紫電くん」と言ってからだけど。


 ……彩、彩、彩……あ、学級委員長か。すっかり忘れてた。ごめんなさい委員長。


 それからは終業式だった。体育館暑いし、それに無駄に終業式長い。だが唯一の救いは途中から座る事になった事だろう。きっと座らなければ死んでいたと思う。


 一分一秒が長く感じる。校長の話長い。校長、桂ずれてる。どうでもいい事の所為で、時間がなかなか過ぎない。

 イライラして来たから、座ってる状態で寝る事にした。


 ◇◆◇



 ……────夢を、見た。



 目を開けるとそこには、眼下に広がる西洋風の石造りの家が立ち並ぶ街がある。広い道には馬車が行き交い、狭い道では子供が無邪気に遊んでいた。その手には新品のボールが抱えられている。

 僕がいるのは、どうやら高い所らしい。高台とか、そんな感じの。……いや、ここは……城か。


 ──懐かしい、夢を見た。


 景色が変わる。

 そこは、城にある巨大な訓練場。周りには多くの騎士が剣や槍を、或いはその拳を使い戦っていた。

 後ろから声がした。振り向くとそこには少女がいた。小学生低学年ぐらいの。この国の、姫様だ。国王の愛娘。

 それともう一人。少女もとい姫様の兄、まぁ、王子様かな。こちらは小学生高学年ぐらい。まだまだやんちゃで、僕に剣の稽古をしろといつも言ってくる。


 初めは五月蝿いと思ったけど、慣れると可愛いものだ。いつの間にやら二人の相手が好きになっている自分がいる。


「シデンにぃ、俺にも剣の稽古してくれよー! てか俺と戦ってくれよ!」

「私、シデン兄ちゃん応援するー!」

「むー! 今日こそはシデン兄をぶったおしてやるー!」


 懐かしい、記憶。


 ──今ではもう遥か昔に思える様な、夢を見た。


 景色が変わる。

 そこは太陽の光すら届かない暗い谷底。音が反響して、まるでトンネルの様。だけど聞こえるのは動物とか魔物とかの断末魔ぐらいだ。長く聞いていると頭がおかしくなってしまいそうな所だ。

 けど、そこは僕にとっては第二、いや第三になるのかな? ……の故郷。随分と故郷が多いと思うけど気にしないで。一つは地球で、二つはこの異世界、で三つ目がここ。別に地球は除いてのいいのだけど、一応ね。この薄暗い谷底も異世界の中に入るけど、ここだけは別なんだよね。

 ここには、僕の師匠がいる。ここで師匠と一年間暮らして、僕は大きな力を手に入れたのだ。

 暗い道を歩くと、光が見えてくる。さらに近付くと、そこには家がある。ガチャリとドアが開き、中から白い髭を生やした爺さんが出てくる。この爺さん、実は世界最強の大魔法使い。多分、僕が数人集まっても勝てっこない。現在は隠居中だとさ。……目と耳の機能を失ってると、此処は随分住みやすいのだとさ。


「おぉ。シデンか、久方振りじゃな。……上手く、やって行けてるようじゃな。よかったよかった」


 全部、あなたのお陰ですけどね。僕がそう言うと爺さんはかかか、と笑った。


 ──その夢は、僕の大切な記憶。


 景色が変わる。

 そこは、城の一つの部屋。大理石の柱が規則正しく並び、大理石の床が広がる。一番奥には階段があり、その上には椅子が一つある。そこには、国王がいた。その隣には、王妃が悠然としている。そのすぐ近くに騎士団長のセレンもいる。

 嗚呼、僕をこの世界に呼び出した人達だ。けど今では感謝すらしてる。こんなにも素晴らしい世界にこれてよかったと思える。

 国王は難しそうな顔で、言う。


「これで、其方の勇者としての仕事は終わりだ。この世界に残るか、地球に戻るか、決めよ」


 僕は、地球に戻ると言う。けどそれじゃあ寂しいからこう付け足す。「その代わり、何時でもまたこの世界に来れる様にして下さい」国王の表情が明るくなった様に見えた。国王の一番近くに佇む騎士……セレンの表情も少し明るくなった。

 それから少し経った頃、国王から直にペンダントを手渡された。これがあれば何時でもこの世界に来れるらしい。それに王族の家族写真入り。……何というか、凄い豪華。もしこの世界で売れるのだとしたら、これ一つで億万長者だろうと思う。まぁ、こんな宝物売る筈ないけどさ。

 僕は笑顔でありがと、と言った。国王達がキョトンとした。え、なんで。


「シデン……始めて、笑ったな」

「そうか? まぁ、そうか、な。やっと余裕がでてきたのかも。今まで、ありがと。これからも時々来るから、忘れないで貰えると嬉しいな」


 僕はそう言って……頭を下げた。


「また会おう、『──』シデンよ」


 次の瞬間、僕の足元は光って────……


 ◇◆◇


 バサバサ。頭が痛い。

 目が覚めると、最初に聞こえたのはバサバサという音。それと女子の悲鳴。あと頭痛い。

 何だろうと思って上を見ると、カラスがいた。よく見ると燕とかもいる。あれ、なんで鷲もいるのかな?


「……」

「……」


 僕は鴉をジッと睨む。鴉も睨んでくる。僕は首をクイっと傾ける。そしたら鴉もクイっと首だけ傾けた。


「……イラッ」

「……?」


 ガシッ。僕は鴉を鷲掴みして、誰もが体育座りしているなか(と言っても僕から逃げてるけど)勢いよく立ち上がり、体育館の外に繋がるドアまで歩く。そして、ドアを開けて、鴉をポイっと投げ捨てる。そしたら鴉はカァカァと鳴いて、いや泣いて飛んでいった。なんか「よくも俺を鷲掴みやがってー!」って言った気がする。ふん。俺の頭に座るとは、高くつくぜ。なんて思ってたら、燕とか鷲とかが襲ってきた。全部返り討ちだけど。鷲を鷲掴みしてやったぜ。


 振り向いたら、全校生が「何あいつ鴉を鷲掴みかよ」「鷲もかよ」「お、おれも鷲掴んでー」という様な顔で見ていた。え、じゃあどうしろと。そしたらさっきの鴉が舞い戻って来たのでひょいっと避けたら生徒は凄いビビっていた。鴉もビックリして生徒のところに落ちていった。

 結局、俺に向かってきた鴉を鷲掴み。わざとよろけて近くの生徒をビビらせてから外に返した。


 ……どれぐらい寝たか分からないけど、気付いたら終業式が終わっていた。いや、半分鴉の所為で早く終わった様だけど。ゾロゾロと体育館から退出する。

 僕は呼び止められた。鴉の所為で頭を傷付けられて、血が流れてた。鴉……次見つけたら許さへん。

 それと、鴉は終業式中にガラス叩き割って中に入って来たらしい。そして、狙った様に俺の頭に落ちてきたのだとか。ほう、俺の頭は一味違うってか。全く嬉しくない。後で他の鴉に石を投げてやろう。八つ当たりではない、当然の報いやつあたりだ。


 僕はイライラを治めるように、首に掛けたペンダントに触れた。

 そう言えば、あれから何回もペンダントの力使っていたっけな。行くたびに姫様と王子様が成長してて、行くのがもはや一つの楽しみだ。

 ……まぁ、ぼっちですし。する事ないしね。それにあの頃の魔法を忘れない為にも、定期的に行く必要があるんだよねー。


 それからは、一学期最後の授業となる、HRだ。まぁ、夏休みの宿題の配布とか、先生の話だから皆隣の人とペチャクチャと話していた。先生は困った様な顔をしていたけど、すぐに笑顔になった。先生はまだ若い女性の先生で、こういう時どうすればいいのかよく分かっていなかった。だが、その解決法でも浮かんだのだろう。口を開く。


「よーしじゃあ……今から夏休みのプリント配布するけど……早く配り終えたら、その分早く授業も終わっちゃおっか!」

「え! マジで!」

「せんせー! 配るの手伝いますよー!」

「私も〜」

「おまっ、こんな時だけ調子いいなー」


 前の席の人が率先してプリントを配ったお陰で、授業は十分も早く終わった。ちなみに僕は一番後ろだから寝てられた。残念ながら窓際ではなくど真ん中の後ろだけどね。


「よーし、じゃあ、一学期最後の挨拶だよー! 元気にねー!」

「奈加せんせーっ、小学生じゃあるまいしー」

「そう? でも最後ぐらいいいじゃなーい!」


 その男子生徒に向けて先生の笑顔が不意に飛んできたせいで、その人は「し、しょれもしょうですね……」と言って椅子に座った。誰もが笑っていた。あははと楽しそうに


 けど、次の瞬間それは終わりを告げたのだった。「さようなら」と言いかけた瞬間だった。


 床が美しいと思えるほどの光を放つ。


 目の前が比喩ではなく真っ白になって、


 身体がふわって浮く様な感覚が襲ってきて、


 それが終わったと思ったら、


 異世界にいた。


 ◇◆◇


 あらすじ。この国は絶対王政じゃなかった!

 一体誰に向けた言葉だろう。僕にも分からないや。


「それでいいのか……」


 王様の扱いの酷さに落胆と言うか……なんとも言えない感覚に襲われた。僕が溜息を吐きながらそう言うと、


「「「「「いいんです」」」」」


 見事にハモりながら言ってきた。ビシッと親指まで立ててる。少し頭を抱えたい気分だ。王のお付きの男性と、近衛兵、そしてメイドさんの見事な調律ハーモニー


「いや、そうしろと言ったのは国王なんですよ」

「ふーん……て、そなの?」

「国王は、『儂は政治が下手だからみんなで協力しよう』と仰ったのです。それからと言うもの、国王は私達下の者と同じ目線で事を考え、全員で良い国にしようとしたのです! それからは、この国は安全な国となり、街中での戦闘が大幅に減少、つまり、治安がとても良くなったのです!

 我が国王は下の者を決して見下さず、遂には国民とも触れ合う素晴らしい国王なのです! 暇が出来れば、国民と交流する程に! 国王はこう言います! 『儂は一人の“人”じゃ。人には上も下もない。それを知った儂は、自分が頂点に立つのをやめた。そして、決めた! 我ら、全員で頂点に立とうと!』そう仰ってから早くも二年! 今では国王と国民は共に語り合える友となり……」

「ストップストップ」


 …………。

 まぁ、凄い熱弁だ。感情がこもりすぎて話している本人が鼻血出してるよ。あぁ、まってそんな豪華そうな服で拭かないで。お付きの人というだけあって服も凄い豪華。なのにそれで拭いたらあかんでしょ。

 けど、言わせてくれ。


「おい待て、ついさっき先生の事奴隷呼ばわりしたじゃないか」

「あぁ、あれは国王の悪い癖だ。ついを見つけるとあのような事を言ってしまう。何時もなら私達が肩を脱臼……ん"ん"っ……いえ、国王の肩を叩いて気付かせるのですが、今回は紫電様に止めて頂きましたね」

「……はぁ、何処のギリシャ神話の神々の王だよ……」


 ……あれ、ねぇ待って今凄い不穏な単語あったよ? 国王の肩を脱臼させてない? 仮にも国の王を脱臼させてない?! それでいいのっ?

 ……落ち着け俺。これはスルーするべきだ。


「……あと、一応言わせてもらうけど……その話、ただ国王が政治下手だったからと言う事から出てきた偶然ですよ? それと国民との交流って……仕事サボりたいだけでしょ。そして最後の方凄いカッコつけて『人間に上も下もない』とか言ってたけどそれって偶然見つけた事だよね」

「「「「「……触れるな」」」」」


 触れちゃ駄目だった! ごめんね!


「まぁ、それはいいとして。……なんで俺は残されたの?」

「「「「「我々が謝るため?」」」」」


 裁判じゃないのっ……なんでさ……国王に向けてガチめな魔法と殺気をぶつけたのに……と聞くと、


「「「「「無問題モウマンタイ」」」」」


 ビッ! と、遂に音を立てて親指を上げた。凄い、本当に凄いよこの国は。凄すぎて唖然ぼーぜんとしてしまう。これは誤字ではない。唖然と呆然が同時に来る謎の感覚である。国王が完全に下に見られてるよ。このままいくと絶対国民政になるぞ。


「……これで個人の話は終わりだ……と、その前に。あの魔法についてだが……」


 来たか。やっぱりその質問はされると思った。なんせ、突然異世界人が魔法を放ったのだ。驚かない筈がない。


「……能力の覚醒が早いな。お前はもしかすると、逸材かも知れないな。……まぁ、それだけだ。皆のもとに合流してくれたまえ。……私達は君達を歓迎するよ。ようこそ、異世界へ。……この者を部屋へお連れしろ」

「了解しました」


 ……あれ、これは予想外。つまりは、あれぐらいの力を僕達は平然と扱っているって事なのか……?


「な、なぁ、僕達は、異世界人はどれぐらいの力を持っているんだ? 人それぞれなのか? それとも統一されたものなのか?」

「詳しい話は、この後する。そう焦らずに今は休め」


 後からかぁ。……今はゆっくり休むか。いや、手紙でも書くかな。クルクスに向けて。


 僕はメイドに連れられて、その部屋から出た。

 向かう先はクラスの人全員が入れる部屋だとさ。初めのうちはそこで全員で暮らすらしい。感覚的には、お泊まり会みたいな感じかな。



 やだ、間違いが起こらないか心配だわ……。頬を若干赤く染めながら、先生はそう言っていたらしい。おい先生、お前が一番心配なんだが。

 けど、安心してください先生。ここに一人、間違う可能性が限りなくゼロに近い人が居ますよ。

 僕を真ん中に置いておけば、皆──萎えますよ。


 言ってて悲しくなる事を平然と言う僕は、ぼっちの精鋭さ。ぼっちは鍛えると、精神的に強くなるんだぜ。


 ◇◆◇


 メイドに連れられて着いたのは、クラスの人が全員で入れる広い部屋だった。それも、和室……もどき。畳アーンド洋風テーブル。おい文化の入れ方間違ってるぞ。

 まぁ、二人ほどいないのだけれど。だからかな。何時もはペアでいる人達が、珍しく一人になっている。雰囲気は、お通夜だ。いや、あながち間違っていないのかも知れない。


 一先ずそれは置いておいて、手紙を書かなきゃ。

 メイドに声をかける。


「紙とペンを、貰えますか?」

「え? あぁ、はい。分かりました」


 良かった。地球軸に近いとこう言う恩恵が貰える。矢張り製紙技術の発達が嬉しい。紙が無い、と言うのは色々と不便だ。ちなみにクルクス軸にも製紙技術はある。俺が持って行ったから。その技術を。あれは「やっちまったぜ」感が途轍もなく強いが、まぁいいとしよう。


 …………。

 現在、黙々と手紙を書いてる。


 よし終わった。内容はいたって簡単。

 変な世界に呼ばれた事。そのせいでクルクスには当分行けないなと言う事。返事を貰えないかという事。

 はい。以上です。

 と終わろうとしたけど物足りなかったから、最後に、「ティエラ姫とマレ王子は元気ですか」と付け足した。

 返事を貰えないか、と言うのはこの世界とクルクスを繋げられるかを確認する為だ。もし繋がっていないのなら、僕は完全に音信不通状態になってしまう訳だけど、その時は本気出しちゃうから大丈夫かな。脅しにだけど。

 あとティエラ姫とマレ王子はそのまま、クルクスのちっちゃな姫様と王子様だ。そう言えば夢で見たな。


 そしたら、紙を折りたたみ、ペンダントに近づける。肌身離さず持っていて本当に良かった。

 すると手紙は一瞬で光となって消えた。と言うか吸い込まれた。

 届いているといいのだけれど。


 さて、と。僕は後ろを振り返る。そこには、お通夜があった。もうなんだろう、全員の表情が暗い。居づらい。

 ある人は壁際で泣いていたり、ある人は集団で話して気を紛らわしたり。けどその集団は男女別だ。

 先生は一人一人を慰めて歩っているらしい。やっぱりというか、いい先生。教え方が上手いとは前に紹介したけど、他にも生徒を安心させる力を持っていて、何時でも生徒の味方だ。先生と話した人の表情は目に見えて明るくなっている。

 素晴らしい先生です。まだ新人で、社会に完全に慣れていない先生だからこその、優しさなんだと思う。大人と言うものを知り過ぎていないからこその優しさ、とでも言うのかな。……まぁ、簡単に言えば、僕達と同じ位の目線で物事を見れてるという事かな。人間は共感が貰えると妙に嬉しくなる生き物だから。


 僕も正直する事は無い。早く話が聞きたいけど、なんで時間がかかるんだろう。全く、早く始まって欲しいね。

 ……この時の僕は知らなかった。その原因が僕だった事に。要は、王様が説明する筈だったのに僕がビビらせすぎたせいで遅れた、と言う事。


 特にする事もなく壁に背中を預けて座っていると、隣に先生が来た。どうやら全員分のカウンセリングが終わった様だ。僕以外、のね。


「紫電くんは、大丈夫?」

「えぇ、大丈夫です。二人も突然いなくなってしまいましたけど……」

「それにしては、元気そうに見えるわ」


 ……そう見えるのかな。先生には。


「……」

「正直に、言ってみて」


 先生が真剣な顔で、僕の顔を覗いた。

 ……言い訳は出来なさそうです。多分、適当な事を言ってもすぐに見抜かれる気がする。先生の瞳は、そんな感じだった。


「……正直、あまり話した事がないので」

「やっぱり……」


 少し先生が落ち込んでしまった。あぁ、どうにかして……うーん。

 思いつかないや。この際、会話をするだけでも……。

 あ、思いつかないや。

 さっきの事が衝撃的すぎてそれしか思い浮かばない。……あぁ、しょうがないそれでいくしかないか。


「……さっきは、大丈夫でしたか? 無理矢理従えられていた様でしたけど……」

「……話しても、いい?」


 先生が、辛そうな顔してる。きっとあの時の恐怖を誰にも打ち明けられてないのだろう。そりゃそうだ。皆自分よりも落ち込んでいるんだから。自分が元気でいなきゃっていう責任感もあっただろうし、凄い大変だった筈だ。

 よく頑張りましたって、言いたくなる。やっぱりいい先生だよ。けど、いい先生であればある程、苦しみを溜め込みやすい。なら、吐き出させる役も必要だろう。


「どうぞ」

「ありがとね……じゃあ一つ、聞いていいかな。あの時、私は何をしてた?」

「え? え、えっと、命令に逆らえなくて……」

「何て、命令だった?」

「……えっと、ゆ、床を、舐めろって言ってました」


 先生の顔が、ゆっくりと、だが確かに歪んでいく。話している途中で、体育座りになり、足に顔を埋めてしまう。


「どうして、あんな事しなきゃいけなかったのかな……どうして私は、あんな事強要されたのかな……怖い、とても怖いの……この世界が。人が、あの人達が、とても、怖いの……どうしたらいいの、私は、まだ、耐えなくちゃ駄目かな……?」

「……」

「私はどうしたらいいと思う? ……紫電くん…………なんて……生徒に悩みを打ち明けるなんて、どうかしてるよねっ」


 先生は歪んだ顔を揉みほぐし、無理矢理笑顔を作り出す。

 けど、その笑顔はいつもの笑顔じゃなくて。

 学校で見せてくれる、皆を安心させる笑顔じゃなくて。

 先生はゆっくりと立ち上がろうとした。だから咄嗟に、その手を掴んだ。そして、目を逸らしながら話す。


「………耐えなくて、いいんですよ。怖かったら怖いって、言っていいんですよ。泣いても、いいんですよ。ここでは、それが許されてる筈なんです。でも、きっとまだ出来ないでしょ……なら、その辛さを僕が半分こにしてあげます。辛い時は、悲しい時は、僕にその悩み、打ち明けてくれませんか? 僕には、それぐらいしか出来なさそうですし。

 きっと、悩みを打ち明けられれば、楽になれますよ…………なんて」


 なんて……僕らしくもない。


 けど、助けたいと思ったのは本当の事。だって、僕も同じだったから。クルクスに連れて来られたとき、突然一人になって、とても苦しかった。けど打ち明ける人はいなくて、ただ溜め込む一方だった。

 けど、は違った。クルクスの騎士団長、セレン。先生の様な優しい女性で、僕の辛さを半分こしてくれた。セレンに、救われたと今でも思う。

 そして僕は、セレンに憧れた。あんな風に、優しくありたいと思った。それからというもの、セレンを目標にして戦っていたな。


 だからかな、僕らしくもない事を言ってしまった。


 けどそれは効果てき面だった。先生はゆっくりと、また僕の隣に腰掛け、小さな声でありがとね、と言った。そして、肩をぶつけてきた。

 僕は先生の方を見る事が出来なかったけど、多分泣いていたと思う。時々嗚咽が聞こえたから。


「なん、か……恥ずかしいな……」

「え?」

「生徒に、こんな……甘える事になるとは思ってなくて……私の事、変だって思った? しでん、くん」


 なんか変な気分。なんかやな予感がする。たらりと冷や汗が垂れる。しでん、のニュアンスが何故か違って聞こえた。きっと疲れでの幻聴の筈。


「……変だと、思いますよ。そりゃあ。だってここは、人を変にさせてしまう所ですもん。けど今は、それでいいんですよ、きっと。寧ろ、こんな所で、それが作り物だとしても……笑顔を作れる先生は、凄く──強いです」

「そっ……か」


 今度は肩をぶつけていただけだったものが、体重まで掛けてきた。一瞬びくっとするが、すぐにやましい考えは消えた。

 きっとこの重さは、先生の悲しみの重さ。先生の辛さの重さ。僕は、これを半分こすると言ったのだ。

 僕はその重さを、しっかりと、優しく、受け止めた。


 ……つもりだ。


「あり、がと……」


 ん?

 なんだろうと思ったら、寝てしまったらしい。静かに寝息を立てる。

 ……疲れてたんですね、お疲れ様です、先生……奈加、先生。


「……えっと……先生……?」


 その時、違う声が聞こえた。

 えっ誰、てかやだ、こんな所見られたくない逃げ出したい。恥っずかしー。あ、いやまって、これ、結構ガチでやばくね?

 だって先生は学校の人気者だよ? 全ての学年に愛されるスーパーアイドル級先生ですよ? アイドルの鏡ですよ? それと肩を合わせているとか、俺殺されかねん。


「寝てる、って……あっ……紫電、くん……?」


 やばいやばいやばい。誰? どなた? てゆーか「あっ」て何、「あっ」って何──ッ?

 なんだか怖くて辛くなってきた。もはや悲しくもある。誰か半分こしてくれ。


「アッ、ハイ、ソウデス」


 なるべくよそ見しながら答える。どうしようどうしよう。バクバクと心臓が高鳴る。これが恋愛系の話だったのならまだ良かった。けど、残念ながら現在目の前にあるのは恋愛ではなく──絶望に近い。あら、目の前に殺伐とした荒野が見えますわよ。おほほほほ。ぉぇ。

 ……急に僕の視界の中にその人の顔が現れた。というか、覗き込まれた感じ。


 ……彩、さん、ですか。こ、殺されなくて済みそうです。


「なんで先生とこんな状態なの?」


 質問に質問で返そう。これはなんか答えたらダメな気がする。というかどうにかしてでも逸らしたい。


「……えっと、どうかしたの?」

「え…………あっ……せ、先生が心配なの。辛そうだったから」


 ……先生の状態に、気付いていたのか。そう思ったそのとき、先生の頭が僕の肩に乗せられた。凄いびっくりした。心臓ばくばくする。高揚とかではなく、恐怖から。学校の人気者とこんな状態だと、高揚感より先に恐怖が襲ってくる。冷や汗がドバドバ出てきて、体の芯が凍る錯覚を覚える。

 やだ、助けて。


 ! そうだ……閃いた。


「ねぇ、彩さん。布団か何か、持ってこれる?」

「……そうね、布団があれば……」


 彩さんはそう言って、布団を探しに行った。その時、彩さんが何かを言ったような気がしたが、聞こえなかった。


────先生、ずるいです……


「?」

「じゃあお布団、持ってきますね!」


 布団を彩さんと他数人で持ってきた。そして布団が敷き終わったら、僕は先生をそこに寝かせた。

 ……数人で、眺める。その数人の中には、彩さんも含まれている。なぜ眺めるのかは、正直よく分からない。多分あれだ。『赤信号、みんなで渡れば怖くない』とか言うあれだ。いや違うか。いや、あー、んー、どうだろ。

 その時だった。先生が小さく唸ったのは。


「…………しで……ん、くぅ……ん……」


 バッ、と。数人が僕を睨む。全員女子だ。僕はそれよりも数倍速く、バッと目を逸らした。だが、ずっと鋭い視線を感じる。耐えかねたので僕は立ち上がり、


「せ、先生の看病……? よ、よろしくー……」


 と言って僕は逃げた。自然とした動きでその部屋から外に出る。そして出た瞬間、全力疾走。廊下を駆け抜けた。……廊下は走ってはいけないものだと習っただろう。だが、死が迫った際には、なり振り構っている暇などない。──そう、即ち……今なら走ってもOK!


 その所為で、僕は知り得なかった。知ったのはこれからすぐ後の事だった。

 その後先生が、泣きながらありがとうと言った事を。

 その時、彩を含む数人が、紫電を疑った自分が悔しくなった事を。

 紫電を、凄いなと思った事を。

 彩が、そっと、頬を染め、笑顔と言葉を漏らした事を。


「さっすが、しでんくん……」


 それからすぐに、僕達は呼ばれた。数人行きたくないと言ったので、その人に先生と残ってもらうことにした。後から聞いた内容と話そうと思う。



 メイドがある一つのドアを開ける。そこには、人数分の椅子があった。もとから二つ、少なかったが。それと数人が部屋にいるので実際につかわれるのは更に少なくなる。

 と考えていたら、


「紫電さーん、王様が拗ねたのですけどもどうしてくれるのでしょうかね紫電さーん」


 王のお付きの人が来た。先程までの威厳というかは最早なく、完全にフレンドリーな状態だった。いつの間にか紫電は友達みたいな感じになっていた様だ。


「なんで……って俺のせいか」

「はい貴方のせいです。魔法なんて放つから、拗ねて部屋から出て来ません」

「いつも脱臼させてる奴がよく言うね」

「あれでも王様は結構『えむ』なんです。寧ろ脱臼されたいが為にしてたりもします」

「アホか」

「アホです。でも殺気を向けられたのは初めてらしくて、猫みたいになってますよ。くるりんと丸まって」

「猫か」

「はい。──あ、いや寧ろハムスターかな」

「ハムスターね、あの木屑とかの中で饅頭まんじゅう状態になってる感じの」

「えぇ、そうですそのハムスター。イエス、ハムスター」


 クラスの人が唖然としてこちらを見ていた。


「え、えっとなにその目。皆、なんか怖い」

「それ普通じゃないですか? 先程一人だけ残されたのに何故か親しくになってるんですから。ほら、私達いつの間にかフレンドリー」

「それもそうか。レッツフレンドリー」

「それもそうですレッツフレンドリー」

「そっか、そだね」

「はい」


 何故だろう、この王のお付きの人とは妙に話が合う。というか、話が途切れない。多分、数時間は話し続けられるタイプだろうと思う。


「てか、早く話し始めてくれ。お付きの人」

「本当は王様のお仕事ですが、ここは私が引き受けます。台本はありますし」

「あるんかい」

「あるんです。ではどうぞ皆様、好きなお席へ」


 紫電は一番前の席に座ったが、他の人たちは入り口でこちらを見ていた。唖然と、して。


「ええっと、話を始めたいのですが……」


 そしたら、他の人たちは漸く動き出した。そして、後ろから座って行った。そう、後ろから、だ。

 だが彩さんだけは僕の隣の、最前列に座った。何でって聞きたくなるけど、誰にも話しかけられない。そうそれが、ボッチ。


「ではこれから、話を始めます。どうぞご静聴の程を」


 やっと始まった。

 異世界についての情報。これが今の僕たちには最も必要だ。


「ではまず、この国の自慢話から──」

「おい待て」

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