第8話

 大粒の汗。


 日差しが想像以上に強く、気温も高いようだ。湿度も高いのかもしれない。

 いくら腕で拭っても、次から次に垂れてくる汗は止まる気配を一向に見せてくれない。集中しようとすると、狙っていたかのように目に飛び込んでくる。憎たらしいことこの上ない。

 だが、練習は止めない。


 彩は、楽しかった。


 必死になって何かに取り組む、そう言うことが元々好きだったから。という理由と、もう一つ。ただ、楽しかったから。

 ……グラウに褒められたいからか、と考えてみるが、それはないなと直ぐに思考を打ち払った。



 周りを見ると、まだ誰も、何も起きていない。魔法、かどうかは分からないが、それを使えるのは彩だけのようだ。



 ────もう一つ理由があったかもしれない。


 自分が一番だという事に、そこまで喜べなかった。全く、と言えば嘘になるが、かといって飛び上がりたいほど嬉しい訳でもない。

 何と言うか。追い抜かれないように、そして全力疾走しなくてはいけないような気がして。


 ────いや違う。理由は、まだ、ある、はず。


 何に追い付かれないように、それは当然クラスの友達。じゃあ、クラスの人から逃げながら、何を目指しているのか。

 ……背中。


 ────理由は。


 そう、背中。

 私よりも大きくて、立派な背中。

 一人ぼっちの、誰よりも大きな背中。


 ────理由。


 そうだ、その人物の名は、し──……。






 ………………


「……あれ?」


 何かを考えていた様な、そんな気はしたが結局よく分からないままという、なんとも霧が掛かったような状態での目覚めだった。


 上半身を持ち上げる。少し、目眩がする。それと、少し気持ち悪い。

 そこは、どうやら室内のようだ。カーテンに区切られていて、周りはほとんど見えない。それと、白い天井……あれ、と彩はある事に気付く。似ていた。この空間はあるものに似ていた。

 病室。


「あ……そっか、私……」

「熱中症でぶっ倒れたんだ。馬鹿」


 彩の独り言が聞こえたのか、はたまた初めからそこにいたのか……そんな事分かるはずもないが、まるですぐ近くにいた様な速さで彩の独り言に返答された。

 グラウだ。

 グラウの手には、瓶の様なもの。


「ほれ、これでも飲んでろ」


 グラウはぽいっと、その瓶を彩に向けて投げ捨てた。綺麗な円軌道を描いて、彩の手元に落ちる。思ったよりも重く、取りこぼしそうになりながらも最終的には胸で抱く様に持った。

 彩と瓶の戦闘……ではないが、まぁそれに近いものが終わった頃にはそこにはもうグラウはいなかった。それと、カーテンが一部分開いていたままだった。


「……病人に優しくないのね」


 溜息混じりに息を吐き出すと、手元の瓶に目を落とす。そこで、「あれ?」と小さく首をひねった。……瓶の蓋が、途中まで開いている。だが、最後までは開けられていないし、中身を減っていない。……と思う。

 それと、その半分しか開いてない状態からでも今では開けるのがやっとだった。

 ……思ったよりも優しい……?

 そんな事を思いながら、飲む。結構美味しい。林檎ジュース……に近いものだった。

 喉が渇いていた為、彩はその飲み物を一気飲みした。喉の渇きが急激に薄れていき、それと同時に脳も漸く活発化してきた。


 窓が見えた。空はまだ明るく、太陽も真上辺りにいる。……一日の中で、最も気温が高くなる頃である。室内にいるにも関わらず、太陽の熱気は彩を蝕んだ。

 つい数秒前に潤したばかりの喉が、既に次の飲み物を所望している。立って何処かに行こうとするが、そもそも立ち上がれなかった。熱中症の所為か、平衡感覚がないのだ。


「くそぅ……」


 喉の渇きを如何に癒すかを考えながら、溜息と共にベッドに倒れこんだ。


 ……と。その時。

 廊下辺りからタッタッタッ……何かが駆けてくる様な音がした。一体何事だと横を見ると……


「彩ちゃん大丈夫?! 頭痛くない? 気持ち悪くない? 目眩はしない? 喉渇いてない? あっ、だけど喉渇いてると思って差し入れ持ってきてあげたよどうぞこれ飲んで!」

「……えっと、ありがとう……紗華さやかちゃん」


 ……質問の嵐がやって来た。

 そこには、見知った顔が一つあった。紗華こと、輪泉わいずみ 紗華さやかである。

 さいという漢字は、同時に「さやか」と読むことも出来る。同じ読み方だったという理由で、高校に入って間もなく、紗華と彩は友達になった。それ以外にも理由はあるが、話すきっかけを作ったのは、間違いなくこの名である。

 紗華は、誰よりも彩の事を心配してくれる親友だ。


「……あれ、紗華ちゃん……練習は?」

「ん? 今は昼休み中だよ?」


 ああそうかと、彩は納得した。考えてみれば、先程見た空はまさに昼頃な空だった。まさに昼頃とは一体何なのか自分でもよく分からないが、まぁまさに昼頃だった。

 そして、昼といえば昼食。流石に昼食抜きで練習しろと言う程スパルタではないだろう。……ない、筈だ。多分。

 なぜ昼になっても休みはないと考えていたのだろうか。これも熱中症の所為だろうか。一先ず、紗華の持ってきてくれた飲み物を口に含む。……先程の林檎ジュースだった。


「あー、そっか、そうだよね」

「そう言えば! 昼食もやっぱり豪華だったよ! 凄く大きなステーキが焼かれててね、それを沢山食べ……」

「えっ」

「んっ?」

「それ……ふと……」


 ……まさに高速で、紗華の両腕が自らの腹部に移動する。あまりに早すぎて腕が霞んで見えた。その腕に煽られた風が、彩の頬を撫でる。髪が宙を舞う程に強い風だった。

 彩の表情が暗くなっていき、それと同時進行で青のグラデーションが覆っていく。


「あっ、えっと」

「……」

「ど、どうしよう」


 真っ青な紗華に何も言うことが出来なかった。ただ、頭の中で南無阿弥陀と唱えることしか出来なかった。

 と、その時。


「いんや、そんだけ食っても特に問題はないぞ。魔法の特訓って言うのは体力を使う。それも体を動かす運動よりも、だ。もしそんな状態で、めしをちょびっとしか食わなかったら、痩せ過ぎて三日程度で死ぬからな。

 ちなみに、お前らのいう“沢山食った”なんて、午後の特訓ですぐに栄養分になって消え失せるさ」


 これまた妙にいいタイミングでグラウが現れた。本当に、一体どこから話を聞いているのか。まさか狙ってやっているのかと邪推するが、あながち間違っていなさそうで少し変な気分。

 紗華はと言うと、「そーなんだ、よかったぁ……」と顔を綻ばせている。……紗華は理解しているのだろうか。この調子でいくと、夜もたらふく食べることになるのだが。と、思ったが口には出さない。


「それと、ほれ。彩、昼飯ひるめしだ」


 グラウの片腕に一つづつ、計二つ、これでもかと言うほど肉と野菜とご飯が乗っかったお盆があった。

 ベッドには、テーブルが付いている。病院などによくあるものだ。そこにお盆を置くと、グラウはまたもすぐに去っていった。……と。ドアから出る寸前に振り返り、「彩、午後の魔法の特訓は室内だ。第二段階はそんなに疲れないから特訓は継続な」と言って、漸く去っていった。

 それからすぐに、彩の腹が盛大に鳴った。

 紗華が「まさか、彩ちゃんはあのぶっきらぼーさんが好みなの?!」と、大仰に仰け反りながら言ってきたが、そんなわけあるかっ、と突っ込みながら肉を掻き込んだ。

 美味しい。



 昼食をたらふく食べた彩は、病室で一人のんびり過ごしていた。紗華は、もう午後の特訓だと言って三十分前ぐらいに出て行った。

 暇だ。

 グラウは一体何処で何をしているのだろうか。まさか遊んでいるのか、それとも忘れているのか。そう言えば、昼食のお肉は美味しかったなぁ。夜もお肉あるかな。あれ、クラスのみんなは何処までいったのかな。

 暇というのは、どうにもその日を振り返らせる。今の心配よりも、振り返った記憶の方が強い。よって、今日あったことをのんびり振り返る。


 が、それも長くは続かなかった。

 結局の所、どれだけ振り返っていたとしても、辿り着くのは今現在である。

 はぁ……と、これで三度目の溜息を吐く。


「すまんな、遅れた」


 それと同時に、グラウが漸く訪れた。「遅い」と、口から漏れた。


「んじゃあ……第二段階。魔勁を取り出したら、次は魔勁を練る作業だ。魔勁を練り、属性を組み込む。と言っても、魔勁を練るっていうことからやんなきゃわかんねぇだろうが」

「何言ってるかさっぱりです」

「あー、と、さっきまでは魔勁を取り出す作業だっただろ?」

「はい」

「今回は、その魔勁を、なんつーか、粘土みたいに練るんだよ。魔勁を粘土に見立てて、丸くする作業だな。簡単に言えば」


 僅か一日にして、彩はグラウにびしばしと質問できるようになっていた。というより、これぐらいびしばしと言った方が良いのでは、という心変わりをしたのだ。


「よし、んじゃあ、始め──」


 …………その時だった。

 ふと、彩は窓の外を見ていた。ガラス越しにでも暑そうだなと分かる、外の風景を。

 その風景の一部分で、突然。


 ──爆発が起こった。


 ◇◆◇


 同時刻。

 姫様こと、ミラ・ドゥミネット・アルデスは自室でのんびりとしていた。


 一人部屋とは思えないほどに広いその部屋では、本来なら巨大なはずのベッドもその部屋では小さく見える。

 いかにも貴族や王族の為にあるとでも言うようなそのベッドに、服のシワなど気にせずにドレス姿のまま転がっていた。


「……気に食わん」


 何故かは分からない。ミラはある一人の存在を、のんびりと考えていた。


 東 紫電。


 これが恋愛感情でない事ぐらい、理解している。自分には心に決めた存在がいるのだから。

 だが、どうしても頭から離れない。もしかすると、まだ恩を返せていない事を、心の何処かでは悔やんでいるのか。

 恩。それは、紫電に教わった“恋愛について”の話。あの話はミラにとっては途轍もなくありがたいものだった。何しろ、紫電はあの方と同じ異世界人。なら、あれこそが正しい恋愛術なのだろう。

 ……それにお礼の一つも返せていないと言うのは、どうなのだろうか。


 ──良い事な筈は、ない。


 だが、肝心の紫電本人が居ないと言うのが今の状況だ。

 溜息が、また一つ。

 そんな時、外から爆音がした。


「ひゃんっ?!」


 驚いて、ベッドから転げ落ちた。


 ◇◆◇


 時を遡る事、約一時間前。



『はい、あーん(はぁと)』された。僕こんなの初めて。


 それはさておき。美味しいパンを食べ終わると、僕たちは見事に予定通りに事を進めた。ビオの為に服を買って(ついでに自分用にも買って)、その後結構安い宿を見つけて、そこの部屋を借りた。部屋は一つ。ビオの希望。

 その後ベッドにバク転しながら飛び込もうとした結果、手前のベッドに気付かず、足をつっかえさせて顔面だけベッドに飛び込んで、首をグネっちゃった事件が起こった。寝違えた様な痛み。


 ここまでは予定通りだった。ベッドへの飛び込み失敗はなんとなく予想できてたというか、なんかそうなる気がしてたからまぁ予定通り。断じて予想外などではない。……筈。


 ここからは、どうにも上手くいかなかった。いや、これはしょうがないというか、当然というか。

 ギルドって言ったらつまり……あれですよ。


「おいおいおいぃ? ここの名前知ってるぅ? 看板見てきたぁ? ここはお前らみてぇなおチビちゃんの来る所じゃぁぁ、ねぇぞぉぅ?」


 これだ。

 というか、語尾を小文字にするの流行っているのかぁ。初めて知ったぁ。今度からぁ、活用してみるかぁ。いや、しないぞ。こんなアホみたいな話し方はしないからな。


 ギルドはと言うと、見事に予想通りの場所。店内も、店内にいる人も。木で作られた趣きある店内。受付嬢のいるギルドカウンターと、依頼が貼り付けられるボードが奥にあり、手前には酒場が広がる。まだ午前だって言うのにもう既に酒臭い。

 さっき外で見た狩人だったり、冒険者だったりは清潔そうなイメージだったが、やっぱりそう言う人達だけではないんだな。という寧ろそう言う人達の方が少ないのでは。

 実際、ここにいる殆どの人はヤンキーというか、暴力団というか、喧嘩っ早いような見た目だし。


 ビオは怯えて、僕の後ろに隠れた。


「ギルドだよ、ギ・ル・ド。おーけーぇ? って、何後ろの女の子。かわいーじゃん?」

「うわ、まじだよぅ」

「おチビちゃんの彼女ぉ? 彼女さぁん? 違うなら俺にちょーだい」

「ひゃひゃひゃ、おいおいベーク。誰がテメェなんかと付き合うかよ、お前はモンスターと付き合ってろ」

「んだとぅ?」


 ……ビオが、震えてる。早めに登録済ませて、なるべく早めにここを出ようと決めた。ビオの手を引いて早足にギルドカウンターに向かって歩く──


「急ぐこたァ、ねぇだろうがぁ」

「きゃっ……」


 ──途中で、見知らぬ男がビオの右腕を掴んだ。そして、男はビオを、そこから更に引き寄せる。僕の手からビオが離れる。


 誰? 筋肉質な体。と言うかもうデブって言いたいくらいにデカイ。鍛えすぎてる感じ? 肌は黒っぽい。ペンキでも塗ってるんじゃないのってぐらいに。顔は、予想通り過ぎて笑いすら込み上げてきちゃう程の顔だった。そう、それはまさに鬼のような形相でしたとさ。


 男はビオの右腕を後ろに回し、片手で押さえる。男は筋肉質で、当然の如く筋力は強い。ビオが敵うわけもなく……すぐにビオは動けなくなった。少し、痛がってるように見えた。


「いぃ、女じゃん? 俺にくれね?」

「……えっと」


 周りが、静まり返っている。さっきまで騒いでいた奴らも、今では目を逸らしている。受付嬢ですら目を逸らしている所を見ると、この男は相当にできる男なのか。多分だけど、実力だけなら上位に位置する存在かな。もしくはただの馬鹿なんだけど、馬鹿力過ぎて止められない暴走列車さんかな。


 男はビオの腕を掴んでいる腕を、少し持ち上げる。ビオの表情が歪む。

 くそっ。どうしよ。何か、静かに解決する方法はないか。

 こういう所で目立ちたくないのなら、上位の人よりも下に見られるしかない。そうするには、相手が満足できて、尚且つその方法がビオ関係以外の解決策を探すしかない。


「ぁ、んっ……くっ……」


 男の腕がゆっくりと上に上がる。ビオの表情がゆっくりと、確かに歪んでいく。

 何か、何か方法は無いのか?!


「黙りこくっちゃって……全くこれだからガキは」


 その時だった。

 男の、ビオを拘束する手と逆の手が、ビオの太ももに当てられる。そして、いやらしくそわそわ動かす。ゆっくり上に上がっていく。

 同時に、ビオの後ろに回した腕を、限界まで上に上げる。


「ッ──あぁっ、いっ、痛っ──、助け……」


 激痛だっただろう。ビオは立つのもやっとと言うような状態になっている。膝ががくがくと、震えている。

 多分、痛みと恐怖と羞恥。それで、震えているんだろう。


 ……なんだかもう、どうにでもなれって感じ。

 やり方とは、関係無くてもいいや。


「あの、離してもらえませんか?」

「おチビちゃんが口答えするなよ」


 はい決定。



 ────────ぶっ潰す。



「分かりました、分かりましたとも。このおチビちゃんが今すぐお前をぶっ潰してやるよ、覚悟しろよ? 顔面崩壊注意報フェイス・ブレイク、但し物理的に。どうぞご注意下さ〜い」


 僕の言葉に驚いた冒険者の一人が、フォークを落とした。

 フォークが宙を舞う。それを横目に見る。


 ちゃ────んと満面の笑みで警告を発してから、行動に移る。


 身体能力強化で足の膂力を思いっきり引き上げる。今の状態は、押さえつけたバネのような状態。いつでも爆発出来るっていう状態。

 同時に、魔法付与。属性は風の、爆発。圧縮した空気を爆発させて、相手をぶっ飛ばす。まぁ、空気を圧縮なんてさせたら、熱を持ってしまうから今回は空気が爆ぜる事による余波でぶっ飛ばす。つまり、相手をぶっ飛ばす事だけを考えた状態な訳だ。


 周りの世界がゆっくりと動く。スローモーションでも見てるかのようなそんな感覚。


 すぐに次の行動に移す。


 体を捻り、右足を持ち上げる。今からやろうとしてるのは、右足の靴底で名無しの暴走列車さんの顔面フェイス崩壊ブレイクさせながら、尚且つぶっ飛ばすっていう事。


「──ふっ」


 息を吐く。

 左足に力を込める。木の床にヒビが入り、ひしゃげる。それを横目に、その勢いを全て右足に収束させて、男の顔面に右足の靴底を押し付ける。

 押し付けると同時に、周囲の物理法則も何でもかんでもを味方につける。どれだけ些細な力だろうと、全てを前方向に収束して放つ。


 多分、周りから見たら一瞬僕の姿がぼやけて、次の瞬間には僕が靴底を押し付けてる状態になった事だろう。

 なんせ、僕は常人には視認不可の速度でこの攻撃放つからね。


「……爆ぜろ」


 発勁にも似た要領で、衝撃を男の顔面にぶち当てる。それで男の顔面が少し離れたら、それだけじゃ終わらせない。魔法発動。風を瞬間的に発生させて、僕の足の裏と男の顔面との間で爆発させる。

 僕はその爆発をも、その全てを男をぶっ飛ばす為の方向に捩じ曲げる。


 つまり、四方八方に飛び散る筈だった衝撃を、一点に収束させる。上下前後左右に向かう力があったとして、それを全てを前方向に収束させて、前方向だけに衝撃が進むようにしたって事。


 爆発。

 衝撃。

 爆音。


 男の顔面は文字通り崩壊。

 錐揉み回転しながら高速で飛翔して、ギルドの壁に派手な音と共に突き刺さった。アニメ再現してやったぜ謎の達成感。


 …………カランと音を立てて、フォークが落ちた。

 その音は、妙に大きな音に聞こえた。


 ……男が消えた事で、拘束が解けたビオが倒れる。それを、支える。

 そして、何事もなかったかのように、ギルドカウンターに向けて歩き出す。まぁ、内心ドキドキバクバクだけどね。

 てか、大丈夫かビオ。

「だ、大丈夫」と苦笑いで返してきた。


 歩き始めてから数秒たった頃だった、と思う。


 …………ギルドが、湧いた。耳鳴りがしそうな程の歓声に包まれた。


「スゲェなぁ!」

「あの新人潰しの穀潰しを倒すなんてな!」


 あの男評価悪すぎるだろてかなんで怯えてたのあなたたちっ?!


「全くあいつには勘弁して欲しかったんだけどよぉ……」

「なんせ、俺たちじゃ束になっても敵わないもんだからなぁ……」

「あんたマジで感謝するよぉ!」


 ……あー、あれかな。誰よりも強い力を持ってたくせにそれを振るわない穀潰しさんですか。しかも、力で追い出せない&もしもの自体に対抗出来る人間があいつぐらいしかいない、みたいなダブルパンチ。

 最も憎たらしい穀潰しだなこれは。


「いやぁすっきりしたよぉ!」

「爽快だったぜ!」

「いやはやお前を待ってたぜ!」


 冒険者はそれぞれが感謝の言葉を僕に言ってくる。……褒められるのは嫌いじゃない。人間なんて、褒められて嬉しくない奴なんてごく少数だし、僕はその少数には入ってない。

 でも、少しいいかな。言いたいことがあるんだ。


 歩みを止める。


「……あんたらさ」

「ん? なんだよ?」

「あの男を倒す努力はしなかったのか」

「「「「「「……へ?」」」」」」


 揃いも揃って……。


『いや、だって』『あいつ強いし』『束になっても勝てねぇって』『あの眼光だって』『筋力凄いんだぞ?!』『前に十人でかかっていって、返り討ちだぜ?!』『俺たちじゃ手も足も』『前に腕折られたし……』『だって』『でも』『だから』


「──そんなの全部言い訳だ。追い出したいなら、ここにいる全員が特訓して、剣術極めて、全員でぶっ潰しにかかればいいだけだろ? 勝てない勝ち目ない云々うんぬんは置いておいて、やらなきゃ追い出せるはずないのに」


『いや』『だから』『あのさ』『でも』


「逃げてるだけじゃ、駄目だろ。言い訳してちゃ、駄目だろ。もしかするとさ、お前らがそんなんだからあの男もあんな感じになったんじゃねぇの?」


 シィィィィィ……ン。しまったやっちまった感。

 静まり返るギルド。ぽかーんとする受付嬢に、固まる冒険者。


 あらぁ、どうしましょう奥さん。どうしようもないわねぇ。こんな中でギルド登録は、嫌やねぇ。ホントホント。あらあら大変。ここは逃げるが勝ちですわよおほほ。


 脳内会議終了。出てきたのがおばちゃーんなのは気にしない。

 ギルドカウンターに向けていた足を方向転換。くるりと百八十度。入り口に向けて歩き出す。ビオは、静かに従うだけだった。

 結局、僕がギルドから出るまで、静まり返ったままだった。




「……もしかして、紫電さんってトラブルメーカーさんです?」

「なにを失礼な……って、否定しずらいな」


 街をのんびり歩いている。だってする事ないのだもの。金はまだあるから、モウマンタイ。

 空を見上げる。

 太陽は真上あたりにあった。


「あー、そろそろ昼飯にするかぁ」

「……ですねぇ。なんだか疲れました……いつっ」


 突然ビオが右腕を押さえる。


「あっ、何でもないですっ、大丈夫ですからっ」

「……あのね、痛いなら痛いって言えば良いのに」

「え、いやあの、ほんとに大丈夫ですから……」

「大丈夫そうには見えないよ」


 ビオを半ば無理矢理捕まえ……たりはしてないんだけど。まぁ、無理矢理っちゃ無理矢理かも。左腕を掴んで、辺りを見回す。少し離れたところに公園みたいな感じの所があったから、そこまで歩く。


「あの……」

「ビオ」


 歩きながら、振り返らずに話しかける。


「俺さ、お前が傷付いてる所、見たくないんだよ。今俺たちは、一緒に行動してるんだぜ?」


 ………………あれ? 反応がないぞ?

 どうしよう滑った? やっちまったぜ?

 そう思っていた時もありました。


「ありがと……そして、ごめんなさい」

「なんで謝るんだよ」


 声を聞く限り、滑っては無かった。これ確信持って言える。ドヤァ。

 なんと言うか……安心した所為なのか、少し声が優しくなってる気がした。まるで胸のつっかえが取れた、みたいな。

 本当にそうなのか、どうなのかは分からないけど。


 公園に着くと、直ぐに座る所を探す。……無いし。ベンチを探してたけど、何故か無かったから噴水の縁に座る。デジャヴ。


「ビオ、後ろ向いて」

「……はい」


 ビオは直ぐに従ってくれた。さっきまでのは何だったんだろう。なんて考えながらビオの腕を触る。と、治療と言うかを始めると同時に、ビオは静かに話し始めた。


「……メイドって、結構大変なんです。だから、怪我しても休む暇無いんです。特に、勇者様方が来た時だったり、貴族の方々が集まった時なんて夜まで休み無しだった時もありました。

 ……メイド長には、こう言われました。『メイドは、人を全身全霊で持て成せ。例え怪我しても、どんな時でも』……と」


 ビオの腕を水平に真っ直ぐ伸ばす。前と、後ろ。異常無し。

 その状態から、肘を曲げる。異常無し。


「だからですね……その、怪我してる事を他人に知られる事は、メイドの恥だって言われててですね……」

「あー、だからね。了解了解」

「でも、そうですよね。今は、紫電さんと行動してるのですから、そんな必要無かったのに……その、ごめんなさい」

「いーよいーよ、気にして無いから。っと、ちょいと痛くなるかも。痛かったら直ぐに言ってくれ」

「はい!」


 ビオは元気に返事した。良い返事だ。

 今度は、右腕を後ろに回す。そう、あの憎き新人潰し兼穀潰しさんにやられた時と同じ形。でも、特にビオは否定的な動きはしなかった。肩を震わせる事ぐらいはすると思ったんだけど、それすらしないとは。それぐらい信頼されてるなら嬉しいのだけれど。


 後ろに回し、腕を少し持ち上げた辺りでビオは痛いと言った。


「どの辺りが痛い?」

「えっと……肘から先が、全部です」

「全部て……ちょっと、五秒ぐらい痛みに耐えられる? 無理にとは言わないけど」

「が、頑張ってみます」


 ……少しビオの肩が震えてる。そりゃあね。痛みを与えるぞって宣言してからって事は、これから確実に痛みが来るぞと分かってしまうという事で。

 恐怖は、必ずしも未知から来るものじゃない。自分には不利益な事が、確実に来ると分かってしまった時とかも恐怖が襲い来る。今回みたいに、痛みが来ることが分かってしまった状態とかね。


 さて。


「……え」

「なっ、何ですか紫電さんっ?」

「何あの鳥、デカくね?」


 空には、体長二メートル近くある鳥が飛んでいた。しかも羽が四枚ある。デカイし、何よりもかっこいいやばい捕まえたいめっちゃ捕まえたいけど治療が先……でも捕まえたいっ、溢れ出す少年心ッ!


「わぁ、珍しい! あれ、鳥類が進化した姿らしいです。中には、魔法を使う個体だったり、知恵のある個体もいるらしいですよ!」

「……はい、終わり」

「え?」


 エマが目を輝かせながら鳥を見つめていたのと同時に、僕はしれっとエマの腕を少し持ち上げていた。てへっ。そしてすぐさま触診。丁度肘から少し下に何かのしこりみたいなやつをみつけた。

 肉体的な原因ではなさそう。どちらかと言うと、“魔力詰まり”に近いか? そうだな……


 魔力眼──“解放眼タフリール


 予想は大正解。魔力を感じ取る眼……一般的には魔眼の類いの一つを発動させてみるとあらびっくり。ビオの腕には見事に魔力が詰まっていた。……これ、放置したら慢性化するレベルだぞ。気付いて良かったわマジで。

 “解放眼タフリール”を左目だけに移し、右目に新たな魔眼を発動させる。


 “解放眼タフリール忘却オルビド


 詰まっていた魔力に干渉して、能力発動。……魔力が詰まっていたという事実を、忘却させる。するとあら不思議。一瞬にして魔力詰まり解消。

 それと同時に、ビオの巨大鳥の説明も終わった。


「え、え? あれ? 痛くない?」

「もう治したし」

「……凄い……あっ、ありがとう!」


 ビオの、笑顔。なんか、小っ恥ずかしくなる。なんだろ、この感覚。よく分からないけど。

 あー。話をそらす。


「ちなみに、今のやつ放置してたら下手すると腕が大変な事になってたかも」

「え、どうなっちゃってたかもしれないんですか?」

「壊死してちょっきーん」


 真っ青に染まるビオの顔。自分の腕と僕を交互に見て、また更に青くなる。そして凄い勢いでお礼を言ってきた。連続で。


「あっ、あっ、ありがとうございますありがとうございますっ」

「落ち着いて落ち着いて……冗談だから、そこまで酷くないから。けどまぁ、今度からは直ぐに報告してくれよ?」


 すっごい勢いで顔を縦に振る。宙を舞う髪の毛。

 ビオが漸く首を振るのを止めた頃には、髪の毛はボサボサだった。それはもう、寝癖よりも数段酷いぐらいのボサボサっぷり。

 ……笑いを堪えられなかった。

 ボサボサの頭を見て、笑った。そしたら、ビオも笑い出した。噴水の水に反射した自分を見たんだろう。


 必殺の手櫛でビオの髪を整える。フッ、クルクスで姫様の髪を整えたのは俺なんだぜッ。俺の手櫛レベルはカンスト済みだぜ。

 んなわけあるか。なんだ手櫛レベルって。まぁ、姫様の髪を整えたのは間違ってないけど。

 そして、昼飯どこに行くかを話し合った。

 いや少し違うな。話し合おうとした。でも、それは予想外の出来事によって遮られる。



 なぜ気付かなかったのか。正直、鈍ってるなと思った。

 周りに、人が一人として居なかった。公園と言ったら、散歩してる人が一人ぐらいいても良いはずなのに、人っ子一人居なかった。あまりに不自然に居なかった。


 ──人払い?


 こんな日中に人払いをするとは、中々の手練れと見た。この言葉初めて言えた。なんか嬉しい。いやそれどころじゃねぇし。

 恐らくは人払いをしている。意図的でなければこんな事出来るはずはない。


「えっ、あれ、人は……?」

「さぁ、よく分からん。けど、ビオ……立ち上がったりはするなよ。なるべく平静を装え」

「はっ……はは、はい……」


 ビオはガッチガチ。駄目だこれ。……いや、これが普通か? ビオは戦闘経験無いだろうし。なるべく優しく「俺がなんとかするから落ち着いて」と言っておく。効果あると良いけど。


 さてさて……狙いは僕達? ……いや、それはない。そもそも、まだ僕はこの世界に敵を作った覚えはない。誰か、騎士の人が探してるとも思えない。もし僕を勇者として連れ戻そうとしているとしても、人払いまでする必要ない筈だし。

 じゃあなんだ? ……あ。思いついた。これってもしかして、僕達、巻き込まれた感じか?


 ……巻き込まれた予想は見事に的中だったらしい。

 丁度、路地裏にでも繋がってそうな細い道から、ローブを目深に被った人が一人出てきた。そして、それを追い掛ける数人の黒ずくめの奴ら。

 と、その時。黒ずくめの奴らの一人がナイフかなんかを投げた。それが、フードを切り裂く。フードが、脱げた。


「…………っ?!」


 女の人?! フードを被った人は、真っ白な髪をもった女性だった。……あれかな、アルビノかな。


「紫電さん、助けてあげてっ!」


 ビオの頼みならしょうがない。……なーんて。


「言われなくてもっ」


 そんな事言われなくても、助けるつもりだったさ。女性が殺されるのを見る趣味は無いものでね。

 女性は何気に走るのが速いらしい。僕の視界に現れた時の走る速度は、追っ手からも逃げられそうな速度だった。だからなのか、少し油断した。不覚ッ。

 少しのんびり走っても、女性は僕の所まで来れると思ったのだが、それは。だから、それが予想外だった。


 女性は突然、転んだ。まるで突然力を失ったかのように、足を縺れさせて。


「うっそぉん」


 その直後。追っ手の一人が手に炎を灯し、それを女性に向けて放つ。

 待ち合うか? 一か八か、足に力を込める。そして、走った。


 それからすぐ、巨大な爆発が起きた。

 嫌でも注目を集めるような、大爆発が。

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