第7話

 太陽は空に昇り、僕を、ビオを、街を照らす。街は太陽の光で目を覚まし、ゆっくりと活動を始める。

 街には一人、また一人と人が現れる。ある人は店の開店準備の為に、ある人は朝の散歩の為に。

 ガラガラと音を立てて、馬車が一台隣を通り過ぎた。


 うーん、ハラヘッタ。


 初めて見る街をのんびり眺めながら、ビオと並んで歩く。どうやらビオも街を見るのは初めてらしい。僕から見たらそう見える、というだけの根拠のない考えではあるけど、ビオの顔を見るとそれがあながち間違ってないという事はすぐに分かった。

 けど……三大欲求は凄かった。とにかく、凄かった。


 ぐー、ぎゅるる。ぐぅぅぅ……。


 二人して腹を鳴らして、同時に相手の顔を見て、プッと吹き出した。


「凄い音ね……そんなに腹減ってたの?」

「そりゃもう。なんだかんだでいろいろあったからな。て言うか、ビオも可愛い音出してたじゃん。ビオもそんなに腹減ってたのか」

「え、ま、まぁ……いろいろあったし……」


 ビオが、頰を少しばかり赤くして俯きながら、呟くように言った。それがなんだか、失敗した子犬のように見えた。しゅーんって感じで尻尾が垂れ下がったような状態?

 それがどうにもおかしくて。なんというか、自分でもよく分からない感情に流されて。気付いたらビオの頭に手を置いてた。


「んじゃ、朝食だな。どこ行く? て言うかこの時間って開いてる店あるの?」

「あ、それなら、一日中開いてるパン屋さんとかあるよ? どこにあるか分からないけど」


 ビオは僕を見上げながらそう言った。

 二十四時間営業って、どこのコンビニだ。


「じゃ、そこに行くか。場所は……まぁなんとかなるだろ」

「うん!」


 元気そうな返事。なんか、小学生とかのピュアッピュアな心の持ち主みたいな感じだな。……あれ待てよ、実際にそうだという可能性も…………本当にありそうで怖いから考えるのはやめよう。なんか、考えたらダメな気がする。なんでかは分からないけどダメな気がする。


 ゆっくりと活動を始める街を、歩く。

 静かだった街は姿を隠し始め、生活音が響きだす。

 ……散歩っていいな。そう言えば、地球にいた頃は殆ど家から出なかった。ずっと家にいて、引きこもりとまでは行かないけど、滅多に外には出なかった。

 けど、だからかな。あまりしなかった事を久し振りにすると、なんというか、新鮮な感じがすると言うか。

 …………隣にはビオ。僕よりも若干身長が低い、金髪の女の子。考えてみると女子と歩いた記憶なんてクルクスでぐらいしかないな。


 ふとビオを見つめて、ある事に気が付いた。金髪、太陽の光で輝いてる。……輝くって、まじか。


「なぁ、その金髪ってもしかして地毛?」

「え? あ、はい。そうですけど」

「まじかよ、すげぇな。光り輝いてるよ」

「母から受け継いだものなんです」


 ……。

 今、一瞬ビオの表情が暗くなった……気がする。“母”、という単語でなったように見えた。気のせいならいいんだけど。多分触れちゃいけない感じのやつかな。

 ここはなるべく触れないようにしよっか。


「そっか、随分と良いもの受け継げたんだな。こんな綺麗な金髪、見る機会なんて無いし。ビオと会えて良かった。……これなら、ビオが規則を破って良かったかも」


 なんで? と言うようにビオは首を傾けた。


「だって、そのお陰でこの金髪独占できた訳だし?」

「えっ?! えと、その……あの」


 突然ビオの顔が真っ赤に。同時に肩も飛び跳ねた。金髪もふわりと飛び跳ねる。

 えっと、なんで。


「あっ、ありがとうございますっ」

「……そんな、お礼言われるような事言った?」

「言ったんです!」


 ……そうなんだ。

 なんて話してたら、またきゅるる……と腹が鳴った。そしてまた二人して笑った。

 ……こう言うの、楽しいな。クルクスにいた時を思い出す。……ていうか、ただ単に地球にいた頃が暇すぎたのかも。既にグループが出来上がっちゃってたから、こんなに普通に話せるほどの友達いなかったし。あれは、まぁそうなるだろうなぁって事は分かってたけどさ。分かってても、暇なものは暇なんだよな。


 そんな時。


「あ、ありましたよ! パン屋さん!」

「……あ、本当だ」


 ビオが指差す。その先には、確かに開いている店があった。ビオが駆け出した。あ、腹減ってたのね。まぁ、確かに僕も腹減ってる。ビオを追いかける様にして、パン屋に向かって走った。といっても小走りだけどね。

 パン屋の前に立ち、中を覗く。そこは……日本のパン屋とさほど変わらなかった。棚があって、そこに様々なパンが並ぶ。奥にはレジがある。よく見るとトレイが置いてある。これも日本と同じ様に、トレイにパンを並べてそれをレジに持っていく、っていう感じかな。


「美味しそう!」

「……すぐに入ろう、すぐに買おう」


 店の扉を開け、店内に入る。パンの香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。それは腹を空かせた僕やビオにとっては耐え難いもので、よだれが口から溢れそうになった。


「五個ずつ、合計十個買うか」

「りょうかい! えへへっ」


 トレイを持ち、美味しそうなものを片っ端から放り込む。クロワッサンみたいなやつとか、メロンパンみたいなやつとか、形状は日本のものと酷似している。時々なんだこりゃってなるようなパンもあったけど。

 パンを飢えた狼の如き視線で睨んでいた所に、ビオの言葉が後ろからかかった。


「そう言えば、この世界の通貨、分かります?」

「……あ、わかんねぇ」


 忘れてた。置換で現れた袋の中身を見たけど、正直どれがどれぐらいの価値なのか理解してなかった。あっぶねぇ。

 袋にあったのは所謂、銅貨、銀貨、金貨の三種類だった。それがバラバラの袋に入っていた。中にはすこし大きめのやつもあったな。というか大きめのやつのほうが多いな。


「えっと、銅貨は十円、大銅貨は五十円。銀貨は百円で大銀貨は五百円。金貨は千円で、大金貨は一万円ですね」


 日本とほぼそのまんまやね。ただ、一円とか五円とかは無いのね。パンの値札を見ると、百二十円だったり、二百円だったり。どうやら一円みたいな細かい金を使う機会は無いらしい。

 という事は、消費税とかは無いのか。いや、税込みでこの値段という可能性もあるな。まぁ、そこんとこは気にしなくていいや。


「ありがと、ビオ」


 僕がそう言うと、ビオはニコリと微笑んだ。そしてそっと、十一個目のパンをトレイに置いた。


「……ぷっ……くっ、くく……っ」


 吹き出しそうになった。同時に、危うくトレイを落としそうになった。


「……十一個目は、俺からのお礼って事かな?」

「うん! よろしくっ」

「ぷくくっ、り、了解しましたビオ殿!」


 びしっと何故か敬礼したビオ。それを見て、僕は笑った。そして敬礼してやった。

 一秒後には、二人して笑ってた。


 それからすぐレジに持って行って、店員の妙にガタイのいい……お兄さんかな。まだ若そう。その人に会計を頼んだ。

 うっすらと髭を生やした優しそうな顔の、身長二メートルは超えてるその人に「新婚さんか?」なんて言われて、爆笑した。そして笑い過ぎて出てきた涙を拭いながら、「そんなんじゃないっすよ」って言った。

 その間、ビオは背中で丸くなっていた。それを見つけた店員はと言えば。


「じゃあ、未来の嫁だな!」


 なんて言うものだから。ビオはビクッと肩を震わせて更に丸っこくなった。なんだか面白くなって「そうかもしれないな」と僕が言うと、今度は縮んでいった。


「じゃあ、もう一個サービス! 焼き立ての新作だ! 会計は金貨一枚でいいぞ!」


 …………この店の常連になろうと、僕の中で決まった瞬間だった。パンの値段は大体一つ、百円。銀貨一枚分だ。それを十二個買って、会計は金貨一枚せんえん銀貨二枚にひゃくえん分も値引きしてくれた、いや、サービスしてくれた!

 ありがてぇや。


「ありがと。いい店だな!」


 金貨を一枚、手の平に乗せる。会計終わり。


「二回目はこうはいかないからな! またのご来店を!」

「また来て欲しいのかどっちだか分かんないぞ! ……まぁ、また来るよ」


 ゴツい兄さんの笑顔に見送られて、店を出た。


 その後は、少し歩いた。数分歩くと、噴水があったから、その縁に座って朝食を食べた。


 …………その直後に……例え世界が滅ぶとしても、あの店だけは守り抜こうと心に誓った瞬間が訪れた。


「「…………うっまぁぁぁぁい」」


 ビオが手に取った、焼き立て新作パン……形状はクロワッサン。それをビオが食べて硬直。ビオの食べかけを少し貰って、僕も食べた。そして硬直。

 直後、心からの「うまい」が口から溢れ出した。


 上手く説明できない。なんというか、色んなものを合わせた様な感じ。なんだけど、不思議と不味い訳ではなく、寧ろその全てが調和している。

 好きなものを好き放題混ぜ合わせた訳ではない。なんだか、全てが計算されている様な気がする。これをこうすれば、更に美味しくなる……っていう組み合わせを数通り、完璧に組み込んで、相乗効果で美味しさが倍増している様な。

 なんだかもう自分でも何言ってるかよく分からなくなってきたけど、それぐらい美味しかった。


 と、まぁそんな感じで朝食。

 時間が経つごとに、街には人が増える。そして気付けば、街は活気を取り戻していた。通勤する者であったり、出かける者であったり。中には鎧を着た者、大剣を背負った者もいる。

 更に目を凝らすと、獣人もいる様だ。その数は決して多い訳ではない様だ。


 やっぱり、いるんだな。


「ビオ。やっぱりと言うか、勇者以外にも戦う奴はいるんだな」

「……勇者を呼べなかった頃、どうやって守っていたと、どうやって生き残っていたと思ってるんですか」

「そりゃそうか」


 その後ビオに聞いた話だと、やっぱりと言うかなんと言うか。予想通り、モンスターがいて、それを倒す事を生業なりわいとしている者達がいる。冒険者であったり、朝であった狩人であったり。

 僕達に任された事……と言ってももう僕には関係ないんだけど……“魔人族の討伐”をすればいいという話でもないんだな。


 そもそもこの世界にはモンスター、狩猟指定獣がいる。その存在はまだ確認されていないらしいけど。個人的な考えだけど、この世界は地球から枝分かれしてできた様な世界だ。地球とは似てるとは以前にも説明した。……多分その所為かな。地球の環境ならそこまで危険ではなかった動物、それはこちらの世界ではそうはいかず、凶暴化した。その存在がモンスターではないか、と勝手に考えてる。それが一番しっくりくるし?

 要は、魔人族の存在だけが問題ではないって事。その他にも問題はあるけど、魔人族の問題はそれとは比にならないぐらい大きな問題なのだろう。


 それともう一つ。亜人族、分かりやすく言えば獣人の様な人間以外も共生しているらしい。猫耳、犬耳……そうケモミミも存在するわけだ。時々僕の前を通り過ぎたりする。すげぇな。クルクスにはガチケモしかいなかったからなぁ。あれだ、動物がそのまま二足歩行した様な感じのやつ。この街で見るのはそう言うのではなく(と言っても時々ガチケモも見るけど)、人間に近い存在だ。猫耳と尻尾がある、と言うだけの。

 それ以外にもマーメイドであったり、ハーピーであったり、地球では空想の存在も共生しているとの事。

 これはあれだね。魔人族だけが悪として存在してるわけだ。本当にそうなのだという確証はないけど、世間一般での認識は『魔人は悪』か。


「……獣人、好きなんですか?」

「好き……と言うか、どちらかと言うと興味がある程度かな。実際に見るのは初めてだし」


 何故クルクスにはガチケモしかいないのか。その理由は簡単。クルクスの獣人は異種族とは基本、そこまで深く関わらないから。だから、ガチケモはガチケモとしか結ばれない。人間との間に子をもうける事はない。……例えるなら……あれか。鎖国してるような感じか。日本、イエス! 外国、ノー! みたいな。どうしても超えられない壁が存在している訳だ。

 過去に奴隷として扱われていたから、とか聞いたな。その恨みはそう簡単には消えてはくれないのだ。まぁ、物の売買であったり、その程度の交流ならしてくれるけどな。一応、僕はその獣人と結構仲良かったりするんだぜ。国としての仲ではなく、個人としての仲でね。


「そっか、この世界で生まれた訳じゃないんだもんね。他の人から見るとそんな感じなんだ」

「そ。だからまだ興味があるって程度」

「どんな興味?」

「あの耳とか触りたいなって感じの」

「獣人の告白は耳を撫でる事だそうよ」

「まじか」


 夢が。叶うかもって思ってた夢が崩壊する瞬間を目の当たりにした。これ駄目だ。駄目なやつだ。いや待てよ。


「尻尾は?」

「お前は俺の物だって言う宣言」


 崩壊ではなかった。正しくは炭化した。そして灰となって天高く舞い上がっていったよ。さらさらさら。


「もし故意に触ったら、受け入れられるか、断られて逆に殺されるかのどちらかよ」

「やべぇ、あの耳そんなに重大なものなんだ」

「実際に殺された人結構いる、らしいです」


 なんか旗が靡いてる気がするのは気のせいかしらん?

 フラッグたなびいてるよん? 絶対に阻止してやる、思い通りになるなよ世界よ。

 そんな事を考えながらパンをもぐもぐ。


 ふと横を見ると。

 前足を持ち上げた馬と、それに驚いて倒れかけている獣人の女の子。鎧を着てるところを見ると、獣人の中にも冒険者はいるらしい。


 …………轢かれそうになっている獣人とか。


 フラッグ回収はっや。


「…………」


 流石に見捨てる訳にはいかない。けど、獣人をお姫様抱っこして助けるとか、完全にもうアレだな。アレ。

 食べかけだったパンを手放してしまい、地面に向けて落ちる。

 はい。という事で。足元に転がっていた直径二センチ程度の石を、爪先で弾き、宙に打ち上げる。石が頭の辺りまで来た所で、ダーツの様な感じで手を構え、放つ。

 ボパンッ、と音を立てて石が飛翔する。


 石は空気を切り裂き、高速で移動する。だが向かう先は家の壁。その更に一点。

 家の壁から若干飛び出ていた釘にぶつかり、石は速度を落とす。釘は綺麗に壁にめり込む。

 速度を落とした石は、馬の頭にぶつかり、軌道を逸らす。


 結果、馬の蹄は獣人に当たる事はなく、その少し隣に着地。獣人は無事。

 それと、手抜きだった打ち途中の釘を正しく打ち付けておいた。

 それを確認した頃、ぼふっと音を立ててパンが地面に転がった。


「あっちゃあ、折角のパン落としちまった」

「……えと、今一体何が……?」


 ビオを見たら、何が起こったのという様な表情をしていた。そりゃあそうなるわな。ボパンッ、て音なったもんな。


「いやね、今あそこで馬車に轢かれそうだった獣人いたからさ、石ぶつけて助けた。以上」

「……すごーい」


 あれ、なんか変。ビオさんどうかしましたか。棒読みなんですけど、ビオさん棒読みなんですけどー?!

 ……驚きすぎ?


「……凄いんだけど……紫電さん、有名になりたくないんですか? 紫電さんなら、もっと派手に助ける事も……」

「大事なのは有名になる事じゃない、助ける事。助けられればそれでオッケー。有名になるのは、ついでで十分。気付いてくれる人がいれば、その人だけにでも覚えていてもらえたのなら、僕はそれでいい」


 有名になる為に人を助けるんじゃなく、人を助けるから有名になる。本来は後者の筈なのに、勇者という力はそれを逆にしても成り立たせてしまう。

 僕は正直、本来の方法で有名になりたい。それが、見向きされないものであっても、それが僕にとっては最高の事なのだ。

 もし前者を選んで仕舞えば……いつか勇者としても力に溺れてしまう様な気がして、後者を選んだ。


 全部、クルクスで学んだ事。

 力の存在意義。それは人を救う為のもの。

 自分の為に力を使うのいうのも、別に間違っているわけではない。けど、それは人を幸せに出来るとは限らない。

 クルクスで仲間を失って、悲しんで、落ち込んで、その先に見出した“答え”、それが、今の僕の行動指針。


「……じゃあ」


 ビオは少し顔を俯かせる。表情は、分からない。


「…………紫電さんの本当の素晴らしさを知ってるのは、私だけなんだね! えへへっ、私も独占しちゃった!」


 突然ビオは俯かせた顔を上げて、満面の笑みを向けてきた。……反則。その笑顔反則。

 あまりにも綺麗すぎた。

 あまりにも輝きすぎていた。

 あまりにも美しすぎた。


「お、おう……」


 そんな顔を向けられた僕は。不覚にも頬を染めてしまった。そして、おう、とか言う残念すぎる返事までしてしまった。


 ビオって、こんなに、綺麗だったっけ。


 無性に気を逸らしたくなって、地面に落ちたパンを拾う。そして、空に放り投げる。結構高くまで。

 くるくると回るパンを、どこからか飛んできたわし見たいな鳥が脚で見事にキャッチして、飛んでいった。それを、ぼーっと眺める。


「はい、あーん」


 突然掛かった声に振り向く。当然ビオの方に。

 そこには、自分のパンを小さくちぎったものを持っていた、ビオがいた。


「優しい紫電さんへの、私からのご褒美!」


 …………無言で、食べた。


 ◇◆◇


 紫電がイチャコラしていたのと、同時刻。

 城……正式名称、トリアンテイヌ城の中庭。サッカー場並みの広さを誇る場所で、三百六十度、全面を壁で囲んである。その用途は主に兵士の特訓。壁で囲んであるのは、魔法による被害を少なくするためだ。

 その中心に、今回新しく呼び出された勇者達が並ぶ。先生も一緒に並んでいる。


 その周りでは、普通の兵士が各々の特訓をしていた。剣を振るう者、大槌を振るう者、槍を操る者、双剣を操る者。実戦形式で戦闘を行う者。魔法を放ち、離れた的に攻撃を当てる者。


 生徒の内の一人、このクラスの学級委員長を務める、園山 彩は空を眺めていた。

 空には、何やらパンの様な物をせっせっと運ぶ鳥が飛んでいた。中々大きな鳥だ。


「彩ー? おーい」

「あっ、えっ、ど、どうしたの?」

「学級委員長が話を聞いていないとは、珍しいな」


 彩は驚きながら視線を空から声の掛かった方へ動かす。そこには、男子生徒の胸があった。見上げる。

 彩よりも背が二十センチ以上高い、男子生徒。バスケ部の有能な人材であり、同時に学級副委員長と生徒会書記を務める、完全な文武両道を果たす者。

 名を、神ヶ崎かみがざき 汐袮しおね。……リア充そのものである。


 部活では大会に出る度にその名は有名になっていく。

 有名になると、それを見ようと押しかける存在がいる。無論、他校の女子生徒である。

 朝は女子生徒に囲まれ、帰りも女子生徒に囲まれる。

 休みには女子生徒に囲まれ、部活の大会では女子生徒に声援を送られる。


 そんな生活をしている、爽やかイケメン。汐袮。

 男子生徒の嫉妬渦巻く混沌の世界に君臨する、汐袮。


「何か話があったんじゃ……」

「あ、そうだった。いや、もう皆練習始めてるぞ」

「え?」


 周りを見渡す。そこには、各々が魔法の練習をしている姿があった。一人につき一人ずつ、騎士の者が一緒にいる。どうやらマンツーマンで教えてくれるらしい。

 ……男子生徒には、綺麗な女性の騎士。女子生徒には、イケメンな男性の騎士。彩はすぐに理解した。あぁ、そうか、と。

 生徒を、もとい勇者を、なるべくここから離れさせないためだろう。

 そういう事は、理解してしまうと急に冷めたような目で見てしまう。彩も同様に、静かに、誰にも悟られず、目を細めた。

 だが、すぐに表情は元通りになる。


「ありがとね、汐袮くん。ちょっと考え事してて」

「そっか。じゃ。特訓、頑張れよ」


 汐袮はそう言って、小走りに去っていった。その先には、騎士の中でも特に綺麗な、八方美人と形容しても特に問題はないであろう女性の騎士がいた。

 ……ただ、既にその女性騎士の頬が赤いのはどういう事だろう。


 それから間もなく、彩の元には矢張りと言うかイケメンな男性騎士が来た。真っ赤な髪に、長身。汐袮よりも少し高いかも知れない。だが、その表情は他の騎士とは少し違った。少し、冷静そうと言うか、静かそうと言うか。活気、というものがないような気がした。


「グラウ。グラウ・トラモント。よろしく」

「えっと、園山 彩です。よろしくお願いします」

「……あぁ」


 ……話し方は、表情通りであった。それはまるで人を寄せ付けないかのような、同時に突き放しているかのような。そんな話し方だった。

 冷静。その一言で説明出来そうだが、そうはいかないらしい。どこか、それ以外の要素があるように思えた。


「魔法の基本を教える。魔法とは、魔勁まけいを練り上げて炎といった属性を形作るものだ。そして魔勁とは即ち、血液。……魔法の感覚は……血液中から粒子のようなものを取り出し、それを炎のような形にする、というものだ。質問は」

「血液中から取り出す粒子は、魔勁……というものですか?」

「そうだ。あと質問は」

「ない、ですけど」

「じゃあ、まずはやってみろ。初めは、血液中から粒子を、魔勁を取り出す事にだけ集中しろ」


 変な人だな、と彩は思った。ちょっと嫌な人だな、とも思った。

 教え方が悪いというわけではない。ただ、ぶっきらぼうというか。真剣に取り組もうとしていない様な。

 周りを見ると、他の騎士は生徒を笑顔で励ましていたり、真剣に取り組もうとしている様に見える。だが、このグラウ、という男はなんだろうか。説明を終えると、ただぼーっと立っているだけ。表情を変えようともしない。

 嫌な人に当たってしまった、と内心舌打ちしながら、魔勁を取り出す作業を開始する。


 十分程、必死に魔勁を取り出そうと必死になったが、その様なものは全く出てくる気配がなかった。

 不安になって周りを見ると、まだ誰も達成していない様で少し安心した。

 そしてまた取り組む。けど、変化はない。それと、グラウという男は、遂に一言も話さない。ただ腕を組んで、ジッと見ているだけだ。


 なんなのだ。

 何故、何も話さないのだ。

 真剣にやっているのか。


 急に不安になった。こんな男の元で、本当に魔法が使える様になるのかと。


 もし使えなかったらどうしよう。

 もし最後に一人で残ってしまったら、どうしよう。

 そんな不安が心の隅で顔を覗かせている。


 どうしよう。


 焦って、必死に魔勁を取り出そうとするが、全く出てくる気配はない。

 いくらやっても、出ない。


 どうしよう。


 不安が、顔に出てしまいそうになる。

 苛立ちが、顔に出てしまいそうになる。


 どう、しよう。


 その時だった。俯いた彩の額にタオルが押し付けられる。その時同時に、彩は自分が汗まみれだという事に気付いた。

 タオルを受け取る。視線を上げると、グラウがいた。


「……汗が出てくるのは、いい兆候だ」

「……えっと、だからなんですか」


 苛立ちが言葉に。

 ぶっきらぼうに彩は答えた。だがグラウはその言葉を聞いても、無表情だった。

 グラウが口を開く。


「汗は、どこから出てくる」

「……?」

「答えろ」

「えと、汗腺から?」

「あぁ、そうだ。それと同じだ」


 同じとは、一体なんだ。

 分からない。


「……何が、同じなんですか」

「魔勁とだ。分からないか……そうだな。じゃあ、血管に針を突き刺したら、どうなる」


 その質問に少し表情をしかめながら、彩は答えた。


「血が出てきま──」


 答えている途中で、ある事に気付いた。

『魔勁とは、血液である』

 じゃあもし、血管に針を刺し、血が滲んできたとしたら。……その血は、魔勁ではないのか?

 血液が魔勁だと言うなら、血液中から取り出す粒子と血液そのものは、大して変わらないのではないか? 何も、血液から分離しなければ魔勁にならない訳では……。


「気付いたか……? 魔勁は血液から分離したものじゃない。が魔勁なんだ。だったら、


 彩は、漸く閃いた。


「……面倒な言い方して悪かったな、彩。この教え方が国公認の教え方なんだが、分かりにくいだろ」


 全くもってその通りだ、と彩は心の中で突っ込んだ。

 それと同時に、何故そんな分かりにくい方法を教えたのか、教えようとしたのか、疑問が湧き上がった。直ぐにグラウに聞くが、帰ってきた答えは「やってみれば分かる」というだけだった。

 何だそれはと毒づきながら、手のひらにを開けるイメージを想像する。


 すると。

 まるで押し出されるかの様に、光が飛び出た。色は白。ほのかに黄色、いや黄金も混じっている様に見えた。

 グラウはそれを見ると、少しばかり口の端を持ち上げた。


「面倒な方法を教えたのは、当然、そうした方が良いからだ。面倒な方法でやってる時、不安になって、イライラしただろ」

「…………」


 何も答えなかったが、彩の表情は肯定を表していた。


「それでいい。不安になって、イライラした方が、魔勁も出やすい。負けたくないと不安になって、心臓を働かせた方が、出やすいのさ。さあ次は魔勁を操る練習だ。まずは、自分でやってみろ」


 グラウはそう言うと、彩に背を向けて歩き出した。どうやら城の中に戻るらしい。

 きっと先程までなら、「なんでほったらかしにするのだ」と怒っただろうが、今の彩はそれとは違うことを考えていた。


 ……以外と良い人なのかも。


 それからは、不安に駆られることなく、特訓を再開した。その表情は、生き生きしている様に見えた。

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