敗北のロロナ
駆け抜けたロロナは、開けた空間に辿りつく。
高められた集中力は、ある一点を捉えた。
首を絞められている女と、右手一本で絞めている、真っ白なミノタウロスだ。
(ミノタウロスの体長は、わたしのおよそ一・八倍。腕の硬度は不明だが――)
ロロナはシャキリと剣を抜く。
ミノタウロスの腕が吹き飛ぶ。
(わたしの剣で、切れぬようには見えんっ!!)
さらにロロナは振り返り際に、必殺のツインクロスを放つ。
その間、わずか〇・二秒。
さらにロロナは、右手を突きだす。
「ウインド!」
バラバラのミノタウロスが吹き飛んだ。
「フン……」
ロロナは剣を鞘に納めた。
倒れた女に向かって尋ねる。
「体は平気か?」
女は言った。
「逃げ、ろ……」
「案ずるな。敵はすでに八つに裂いた」
「そうじゃ……。ないんだ……」
女はげほっと血を吐いた。
その傷は深い。
肩は抉られているし、腹部には穴があいている。
一〇〇人の医者が診れば、一〇〇人が致命傷であると言う。
「しゃべるな」
ロロナは懐に手を入れた。
緑色の液体が入った、親指サイズの小ビンを取りだす。
「黄金平原の幹部であっても、ひとりひとつしか持てんような霊薬だ。
死人でなければ、確実に助かる」
「それは……、ダメだ……」
「気にするな」
ロロナは、女の口に液体を流し込ませた。
女のノドが、ごくりと鳴った。
傷がビデオの逆再生のように塞がる。
「血液や体力の回復には時間がかかるが、命そのものは繋ぎ止めたな」
「くそっ……」
女は、悔しげに歯を噛んだ。
「礼を言えとまで言うつもりはないが、悔しがられまですると不本意なのだが……」
「あいつは……最初、トロールだった……」
「?」
「それがアタイに切られると、オーガに……なりやがった…………」
「いったい、なにを……?」
「最後に……、頭を吹き飛ばしたら……ミノタウロスに…………」
そこまで聞いて、ロロナは察した。
「つまりあのモンスターは、やられるたびに進化すると……?」
「だからすごいクスリがあるなら、アンタ自身のために、取っておいて、もらい……たかった…………」
「そういうことなら気にするな」
ロロナは、女をゆっくりと寝かせた。
「その霊薬は、死人でなければ癒してくれる。しかし傷が深い場合、丸一週間は眠り続ける。戦いの
「そう……か…………」
クスリが全身に回り、女は意識を失った。
「さて……」
ロロナは、ミノタウロスが吹き飛ばされた方向を見る。
〈Shikshа…………аnt〉
敵はロロナにはよくわからない発音で、『学習……終了』と言った。
八つに裂けていた胸部が復元されて、割れていた頭部が元に戻る。
腕がにょぎりと生えてきて、六本になった。
形作られたのは、真っ白なサイクロプス。
その大きさは、およそ二・二メートル。
「フン……」
ロロナはチラと後方を見た。
女が巻き込まれないよう、タンと地を蹴り
つい先刻のように、抜き打ち際に斬撃。
白い巨体に刃が入る。
しかし手応えはない。
「残像かっ?!」
驚愕するロロナ。
その脇腹に、白い拳が飛んでくる。
「ぐはッ!」
ロロナは派手に吹き飛ばされた。
木々をへし折りなぎ倒し、大きな崖にぶつかる。
直径三メートルのクレーターができた。
追撃がきた。
よっつの拳がロロナにめり込む。
アバラの骨が三本折れた。
「わたしを……舐めるなっ…………!」
ロロナは、必殺のツインクロスを放った。
ギャリン、ギャリン。
金属を撫でたような音がして、ほんのわずかに火花が散った。
が――。
無傷。
鋼鉄程度は軽く切り裂くロロナの斬撃を受けて、まったくの無傷。
覚えてしまったからである。
ロロナの放った剣の威力を、覚えてしまったからである。
相手を舐めずに全力で切りかかったことが、逆にロロナを追い詰めた。
反撃がきた。
サイクロプスにとっては、軽いジャブのような攻撃。
しかしロロナの耐久は低い。
しかも腕は六本だ。
ロロナは、盛大にのけぞった。
鼻の骨と前歯が折れて、赤い血が舞った。
「カハッ、はあッ……」
過去の記憶が、走馬灯のように蘇る。
いじめられた幼少時代。
泥の団子をぶつけられ、バッタの入った泥水を飲まされた。
意味もなく窓が割られた冷たい家で、夜の風に震えて眠った。
なんのために生まれてきたのか。
なんのために生きてきたのか。
わからないまま、死が近づいてくる。
なにもかもを凌駕した、恐怖が全身を包み込む。
ロロナは敵に背を向けた。
その背に敵の拳がめり込む。
「クアアッ……!」
ロロナの体は、うつ伏せに倒れる。
サイクロプスが覆い被さった。
肩を噛まれる。
肉が激しく抉られる。
自分は食われる。
エサになる。
それを激しく悟ったロロナは、誰もいない虚空に手を伸ばして言った。
「助けて……」
弱音を吐いたら涙がでてきた。
「だれか……だれかぁ…………」
そこにいたのは、天才的な才能を持った剣士ではない。
小さな子どもにいじめられて泥水を飲まされる、か弱い少女のロロナであった。
ロロナの一部を咀嚼したサイクロプスが、トドメを刺そうと腕を振りあげた。
その時だった。
「ウインドニードル!」
魔法を放つ声がして、サイクロプスの目が潰された。
さらに次の瞬間に、サイクロプスは細切れになった。
一瞬で四つの斬撃を放つことを必殺の技として誇っていたことが恥ずかしくなるほどの、刹那の神技であった。
その斬撃も、助けたきてくれたことも、ロロナにとっては奇跡のような現象。
そして奇跡を起こしたのは――。
コサカイ=ケーマ。
今回の旅で、ロロナが嫌い尽くした男だ。
「ヒール」
回復魔法をかけたケーマは、ロロナの体を抱きあげた。
「大丈夫か?」
「ぐッ……」
癒やされたロロナは、声を詰まらせた。
いろんな感情が去来する。
癒やしに伴う幸福感。
死ななくてよかったという安堵。
あれだけ悪態をついた自分を、助けてくれるケーマへの感謝。
これほどに実力の差があった相手に対して、大きな口を叩いた恥ずかしさ。
しかし口からでてくるのは、素直ではない言葉。
「どうして……、助けたのだっ……!」
そう言ったロロナは、自分が情けなくなった。
助けてくれた相手に対して、礼儀がないにもほどがあると思った。
けれども、ロロナは怖かった。
孤独の恐怖を知らばこそ、やさしい人が怖かった。
やさしい人に裏切られたら、今の自分は、簡単に壊れる。
その現実が、無意識レベルに刻まれていた。
それならば、失礼な人間として嫌われていたほうがよかった。
目の前の男は、こともなげに言った。
「前に言ったじゃん? 助けてくれって言ったら助けるって」
ロロナはぼんやり思いだす。
確かに。
言った。
目の前の男は、確かにそんなことを言った。
だがそれは、食事の時の雑談の、とても軽いノリだった。
生死の境にあるかのような、強力な敵と相対した時にも適用されるとは思わなかった。
というよりも、思えなかった。
敵に破れて価値のなくなった自分に、救いが差し伸べられるなんて、考えられないことだった。
素直な感謝が、胸に芽生える。
しかし愛されなかった日々は、信じるという言葉に裏切りの恐怖という概念を植えつけている。
ケーマの腕からするりと降りて、予備の剣を引き抜いた。
「逃げろ……」
「えっ?」
「わたしは先刻、あのモンスターを八つに裂いた。
最初のわたしとあの敵は、今のわたしと貴様にも近いほどの差があった。
しかしやつは蘇り、わたしを凌駕するようになった」
「最初はオークだったのが、倒したら変身したってお話は聞いてるよ」
「わかっているなら、そういう敵としてあつかえっ!!」
ロロナはチャキリと剣を構えた。
ケーマを逃がして戦えば、自分は恐らく死ぬだろう。
しかしふしぎと、怖くない。
なんの見返りもなしに助けてもらえたという事実が、自分の生に意味と価値を見出していた。
助けてもらったという事実が、ケーマのためなら命を投げだしても構わないという気持ちを生みだしていた。
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