哀しみの剣士~ロロナ=ハイロード~

 戦争があった。

 いったいどうして起きたのか。相手がどこの誰だったのか。

 そんなことは聞いていない。

 ただ、あったという事実だけを聞かされた。


 ロロナの祖父は、武具や兵糧の輸送兵であった。

 武器や食料を入れた魔法袋を持って、わずか六人の精鋭で森の中を駆けていた。


 戦線は怪しく、物資が届くか否かで戦況は一八〇度変わる局面であった。

 だがしかし、それゆえだろう。

 輸送を警戒した敵に、囲まれてしまう憂き目にあった。


 数は六〇。

 常識で言えば、どうしようもない。

 ロロナの祖父は――。



 逃げた。



 食料の入った魔法袋を、投げ捨てて逃げた。

 魔法袋は貴重な品だ。

 素材が極めて希少な上に、繊細な細工が必要だ。

 熟練の職人と冒険者を動員しても、一袋作るのに一ヶ月はかかる。


 逃げる臆病者と捨てられた魔法袋なら、誰もが魔法袋を拾う。

 それを見越しての、投げ捨てと逃亡だ。


 残された五人は、逃げなかった。

 みな剣を抜き、真正面から切り込んだ。

 敵を切り裂き血路を開き、包囲網を突破した。

 仲間に袋を預けて倒れ、仲間に袋を預けて倒れた。


 戦線に辿りつけたのは、わずかひとりだけだった。

 そのひとりにしても、仲間に袋を託して死んだ。


 犠牲のおかげで、戦争には勝った。

 五人のエルフは、英雄として称えられた。

 そして英雄が英雄として称えられるに従って、ロロナの祖父はそしられた。

 どうして祖父が逃げたのか。それの理由は、単純だった。


 妻がいたのだ。

 子どももいたのだ。

 それもまだ、生まれていない子どもであった。

 子の顔を見るまでは、死にたくないと思ってしまったのだ。

 子ができたと知らされる前であれば、剣を持って包囲を切り開いていたのは間違いない。

 その戦いがくる前日までは、勇敢な戦士であったのだ。


 しかしそんな祖父の事情が、鑑みられることはなかった。

 血路を開いて物資を届け切った英雄も、ロロナの祖父と同じ事情にあったからだ。

 勇気ある英雄の存在が、人間であるロロナの祖父を許さなかった。


 侮蔑と迫害は、祖父の息子にも及んだ。

 決まりの上では、禁止されていた。

 英雄の話をする時も、『逃げた六人目』などは最初からいないものとしてあつかうように指示されていた。


 しかし悪意は滲みでる。

 犯人を特定できないような、さりげない嫌がらせは受けた。

 さらにロロナが生まれて間もなく、祖父は倒れた。


 父は早逝そうせいしていたし、母はロロナを見捨てて逃げた。

 生まれた娘に名前をつけてやることもなく、カネのある貴族に自分を売った。

 母の見た目は、完全にエルフだ。

 処女であると偽れば、何番目かの副妻にしてくれる貴族は腐るほどいる。


 もっとも、それは、誇りを売り渡すことでもあった。

 仲間を見捨てて逃げた祖父と、娘を見捨てて逃げた母。

 そんなふたりの血を引く少女は、いったい誰を見捨てるのだろう?


 憐れんで然るべき境遇の少女は、侮蔑の対象になった。

 名無しを意味するナグという名を、便宜的につけられた。

 と言っても、大人は大人だ。

 露骨に差別することは少ない。


 しかし子どもは別である。

 どこからか漏れた話が子どもに伝わり、子どもはその残酷な無邪気さでもって、『ナグ』を露骨に差別した。

 『子どもの遊び』で泥団子をぶつけたり、生の草を食べさせた。


 いきなり顔に袋を被せられ、森の深くに捨てたこともある。

 仲間を置いていく『ごっこ遊び』だ。

 これはさすがに、いじめっ子たちが怒られた。

 しかしナグも、完全な被害者にはしてもらえなかった。

 自業自得なあつかいだ。


 なにか悪いことをした結果であろうと、謂れなき中傷に晒された。

 『ナグ』の心は、日を追うごとに殺された。

 それなのに、腹は減った。


 六歳までは、村の決まりによる配給を受けた。

 七歳からは、森に入って剣を振るった。

 『ナグ』には天賦の剣才があった。

 自分ひとりが食べていく程度には、獣も果物も狩ることができた。


 それでも孤独は消えなかった。

 村の放れの小さな小屋で、ひとりぼっちの日々をすごした。

 深い孤独が、そこにはあった。


 拾いあげてくれたのが、ララナとリリナのふたりであった。

 十七歳の誕生日ということで街から村にきたふたりは、村の子どもを見て回った。


「ふおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!

 すばらしき武器のできる匂いが、ぷんぷんするのおぉ!!!」


 はしゃいだララナが、リリナへと言う。


「ワシは工房を見てくるでの! 細かいことはヌシに任すぞ!」

「キミの武器を、いろんな子たちに振らせてみればよいのだったね?」

「そうじゃ!!」


 言うが早いが、ララナは工房に駆けていった。

 ふたりはいわゆる、『お偉いさん』だ。

 見初められることは、将来を約束されることに等しい。


 ララナの元にはあらゆる素材。

 リリナの元には、あらゆる人が集まった。

 特に子を持つ親たちは、こぞってリリナに子どもを紹介した。

 そこでリリナは、『ナグ』と出会った。


 目利きの才を持っていたリリナは、『ナグ』の才能を一瞬で察した。

 さらに境遇を聞いて、『ナグ』を身内のように近く感じた。


 リリナは、血路を開いて仲間たちに物資を届けた、英雄の孫であった。

 ゆえに人から愛され称えられたが、『ナグ』と同じ『からっぽ』でもあった。

 英雄の孫であるからすごいと言われ、英雄の孫であるから流石と言われた。


 賞賛と迫害。

 ベクトルは違えども、からっぽという点では同一だった。

 リリナは『ナグ』を妹にして、ロロナという名を彼女に与えた。


 そしてロロナの世界から、さびしさは消え去った。

 英雄の孫にして商才にあふれたリリナと、自分の武器のポテンシャルを活用してくれるなら、相手には拘らないララナ。

 ふたりがロロナを重用してくれたことで、ドワルフの中にも居場所ができた。


 ただそれが、ロロナに別の傷をつけた。

 自分が愛され大切にされるのは、能力のおかげ。

 身を削ってでも、ほかの人を助けているおかげ。


 もしもそれがなくなれば。

 もしもそれがなくなれば。


 ロロナの頭に浮かぶのは、ひとりぼっちの家の中。

 隙間風の吹く家で、ひとり震えていた夜。


 さびしさが消えたおかげで、恐怖が生まれた。

 感謝はしている。

 リリナの方針は、最善であったとも思う。

 リリナのおかげで、自分は一〇〇を越える同朋から認めてもらうことができたのだから。


 しかしロロナが必要としていたのは、最善ではなかった。

 間違っていてもいい。甘えでも構わない。

 一〇〇の同朋に石をぶつけられてしまおうと、唯一抱きしめてくれる人。


 理屈も論理も道理も捨てて、無償の愛をくれる人。

 そんな人がほしかった。

 そんな愛を、求めてた。


 もっとも、それはワガママだ。

 おかしいことはわかってる。 

 

 それゆえ表にだすことができず、悲しみだけが降り積もった。

 わけもわからず泣きたくなるような夜が、週に一度は訪れた。


 自分は、役に立たなければならない。

 自分は、役に立たなければならない。


 そうでなければ愛されない。

 そうでなければ生きられない。


 規律的な正論が、ロロナをひたすら苛めた。

 誰よりも愛されたいと願っているのに、愛を求めることを恐れた。

 誰かの役に立つことでしか、自分の価値を証明することができなかった。

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