第五話:回り始める歯車を

 リエネス城に居を構えてから、瞬く間に一週間が過ぎた。

 その間に流狼とアルは、城の中の色々な施設と組織に案内され、そこに勤める人々と面通しを行っている。

 会った一人ひとりの人柄の素朴さに、エネスレイクは良い国だと流狼も思えるようになってきた。

 戦争を生業としている軍人でさえ、アルカシードという戦力を持つ流狼が軍に参加する事を面と向かって願ったりはしなかったのである。

 むしろ、出会った人のほぼ全てが、その力で王族の方々を護って欲しいと願ってきたのだ。言わなかったのは同じく呼び出された五人と、当の王族だけ。

 高貴な人々への純粋なる好意と敬慕。流狼も元の世界ではそれなりに抱いていたのだが、この世界ではもっと直接的なものとして存在するようだ。


「なるほど、忠誠とはこういうかたちをしたものかね」


 ある種の感動を覚えながら、流狼は体を伸ばした。

 リエネス城内にある、トレーニングスペースである。

 ラフな服装でここに来た理由は、当然のことながら鍛錬が目的だった。

 元の世界では、家が随分と昔から続く古武術の道場である流狼だ。従兄弟の龍羅は葵流という傍流の跡継ぎでもあったために交流が深かった。互いに競い合うようにして腕を磨いていたものだ。

 こちらの世界に呼び出されてから四日経って、流狼は物心ついてから今まで毎日続けていた日課をさっぱり忘れてしまっていた事に気付いた。

 その日から、早朝に流狼はこの場所に来て型の稽古を入念に行っている。

 体の鈍ったような妙な違和感がほぼ感じられなくなった。ようやく調子が戻ったなと思いながら鋭く拳を突き出す。


『マスターは、年齢の割に随分と洗練された動きをするね』

「覚えている限り、十二年は続けているからな」

『マスターって今、十六だっけ? また長いこと続けているんだねえ』

「それだけが取り柄さ」


 二級師範は、他所の道場で言えば師範代という事になるだろうか。

 元の世界にいたころは、天才と呼ばれることは多かった。しかし、魔術や機兵などと言った超常の力が存在するこの世界では、大して誇れるものでもないだろうと思う。

 アルカシードの操縦方法が『自分の体を動かすように』でなければ、この世界ではこの手の鍛錬に意味があるとは到底思えないのだが。

 アルなどに言わせると、たとえレバーで体を動かす機兵でも、本人の肉体に蓄えた技量は馬鹿にならないというのだ。


『攻撃、見切り、カウンター。どれもタイミングと経験だし、掠るだけでも普通は消耗するわけだよ、マスター』

「普通は、って事は王機兵は違うのか?」

『そりゃね。王機兵はそこらへんにある鉱石の残骸からでも、材料を回収して自動修復するんだから。ところでマスター、アルカシードに廃鉱石を取り込ませる話はいつするんだい?』


 アルと普通に会話をしながらだが、流狼の動きは些かも乱れない。

 流狼は元々、常在戦場を旨とし、いついかなる時にも最高の動きが出来るように鍛えられている。会話程度で乱れる事はない。


「俺の所属が決まった時にな。仕事もしないのに材料寄越せっていうのも違うだろ」

『あちらには喜ばれると思うけどね。掘り出して加工した残骸だよ? 埋め立てもせずにうず高く積み上げられているだろうし』

「それでも、だ。よその家にゴミを下さいって言うのもそれはそれで違う」

『マスターはお堅いなあ』


 けらけらと笑うアルに、感情表現の豊かな人工知能だと呆れながら。

 流狼は道場で修練を始めてから何万回繰り返したか分からない拳打を空に放つ。


『おお、凄い』

「凄いと言ってもな。魔術のひとつも使えなければ、ただの的だろ」


 この世界に来た初日に光弾に打ち据えられた所為か、自分でも卑屈に思えるくらいに魔術に対しては苦手意識がある。遠間から連続で撃ち込まれればほぼ勝てない。


『魔術ねえ。マスターも覚えればいいじゃない』

「覚えればってお前。俺は魔術なんてない世界から来たんだぞ? 使える訳が」


 ないだろうと続けようとした流狼に、アルはそうでもないよと首を振った。


『ボク達の製作者は魔術を研究し、原理を解明した上で体系的に理論を確立したし、実際にその理論を元に魔術を使えるようになった『招かれ人』もいた。素質は人それぞれだけど、元の世界は関係ないみたいだよ』

「そうなのか」

『うん。魔力と呼ばれる未知のエネルギーを『感応波』として定義して、それが魔術として物理法則に干渉する現象を観測したんだ。そのお陰で王機兵には感応波を活用する技術が幅広く取り入れられているんだよ。造った本人には素質がなかったから、結局最期まで自分は魔術が使えなかったけどね』

「本人が使えなくちゃ駄目なんじゃないか?」

『ボクの前のマスターだけど、散々なものだったよ。アルカシード以外にも乗り手の動きをサポートする機能とか、機兵が単独で魔術を使う機能とかを搭載しているけど、それは元々彼自身がそこらへんの才能を持っていなかったからだもの。自分にその辺りの才能がないと分かった時の荒れ具合ったら見苦しい程でね』

「お前、自分の父親にそこまで言うか」


 口さがないアルの言葉は、自分を製作した相手への敬意はこれっぽっちも感じられない。

 いいのだろうかと思いつつ、流狼はそこには突っ込まずに型の反復を続ける。

 頭の中では、果たして自分には魔術の才能があるのだろうかと気にかけてはいたのだが。

 それを察してか、アルは続ける。


『マスターもアルカシードを通じてボクと感応できた訳だから、才能がない訳でもないと思うよ。えーと。ああ、感応力検査も通っているね。多少なりとも才能はあるみたいだから、頑張れば大丈夫だよ』

「ふむ、ルウは魔術に興味があるのか」

「!?」


 差し込まれた声に驚いて振り返ると、巨大な体躯の男が顎を撫でつけながら笑っていた。

 オルギオだ。気配を全く感じ取れなかった事に確かな敗北感を覚えながら、流狼は素直にそれを口にする。


「驚いたよ、オっさん」

「洗練された武術だな、ルウ。良い動きだ」

「それはどうも」


 流石に型を続ける余裕もなく、流狼は口元を吊り上げた。引き攣っているのが分かる。

 気配に敏感だとは思わないが、オルギオ程の巨体が近づいてくる事に気付かないとは。

 うるさい程に強い鼓動が煩わしくて胸に手を当てると、オルギオは豪快に笑ってみせた。


「よっぽどびっくりしたようだな?」

「そりゃもう。オっさん程の大男の気配に気付かないとか、不覚にも程がある」

「これが魔術さ。認識と気配を遮る事で俺みたいな大男でも、人に気付かれないようには出来る訳だな」


 言いながら、オルギオが何かをしたようだ。目の前に居る筈なのに気配がおぼろげになり、気を張っていないとすぐに意識から外れてしまいそうになる。


「これが魔術か。光の弾を撃つばかりじゃないんだな」

「もちろんそういう魔術もあるがね。攻撃系統の魔術は対策もしっかり取られていて、それ程問題じゃない」

「俺、それが原因で殺されかけたんだが」

「だから魔術を覚える必要があるんだろう?」


 真っ向から正論を述べるオルギオに、それはそうだと頷く流狼。

 光の弾を気にせず近づけるのであれば、自分でも勝ちの目はあるのだから。


「それで、ルウはどういう魔術を覚えたいかね?」

「そうだなあ」


 考えれば、答えはすぐに出た。


「相手の魔術をすり抜けるものがあると良いな」

「すり抜ける、かね。防ぐとかではなくて?」

「ああ。そうすればいちいちあれこれ対応しなくて済むだろ?」

「ふぅむ。なるほど、道理……なのか?」


 予想外だったのか、首を傾げるオルギオ。

 おそらくそういう魔術は彼も知らないのだろう。

 と、アルが愉快そうに話に入ってきた。


『その観点は間違っていないね、マスター。そういう技術は確かに存在するから、感応波と魔術をある程度使えるようになればボクが伝授しよう』

「あるのですか!?」

『君達の時代には伝わらなかったようだけど、昔はそれなりに一般的な魔術だったよ。今の時代は技術も魔術も随分多くのものが廃れてしまっているようだ』


 得意げなのか呆れているのかいまいち分からない口調で、アルがオルギオに答える。

 現在のこの世界の技術水準は、アルにしてみると随分とお粗末なものになってしまっているようだ。


「ところでアル、感応波だか魔力だかの使い方をお前が教えてくれるわけにはいかないのか?」

『ボク達は確かに魔術を使えるけれど、人ではないから人に対して理論以外の感覚的なところを教える知見がないんだよね』

「ならば私どもが教えた方が良いのでしょうな。ここに住む者ならみな喜んで協力するでしょうが、ルウに教える立場の取り合いでややこしい事になるかもしれない」


 ただし、と。

 オルギオは流狼に頼みたいことがあるのだと言った。

 叶えてくれるならばすぐにでも魔術と使い方を教えよう、とも。


「条件はどういう事かな? 即決できることであれば承るけれど」

「なあに、条件という程のものでもないのだがね」







 レオス帝国、帝都グランダイナ。

 その実験施設では、先日召喚された者達の入国手続きと同時に、適性の検査が進められていた。


「リューラ・アオイ。機兵適性と身体能力は目を瞠るものがあります。あるいは王機兵への搭乗も可能かと」

「うむ」

「カイナ・シド。極めて高い魔力と魔術適性を示しました。兄のソウケン・シドはリューラ・アオイと同等の機兵適性を示しました。こちらも有望株ですね」

「機兵適性の高い者は何人居た?」

「六名ですね。うち二名は王機兵の起動実験に参加する事になりますか。残り四名については、新型機の乗り手として育成すべきかと」


 アルズベックは中間報告を受けながら、不機嫌を隠そうともせずに渡された書類を睨む。

 表情の険しさは、報告が気に入らなかったからではない。エネスレイク王国との会談で散々に叩かれた事が原因だった。一週間経っても機嫌は直る材料はない。例外は陽与と過ごす時間だけだ。

 慣例に乗っ取って三名の捕虜を返還するように求めた訳だが、その身代金もフィリアの命を狙おうとした事を逆手に取られて言い値で払わされる羽目となっている。

 父である皇帝からも直々に叱責を受けた。だが父はむしろアルズベックが連れ帰った人数を評価しており、トリスベン達三名の不手際を公に責めた。叱責の内容とはつまり、無能に大事な役目を任せてしまった見識の浅さだ。


「ならばリューラ・アオイとソウケン・シドの二名については、王機兵の起動実験は後回しとせよ」

「理由をお伺いしても?」

「新型の研究開発は急務だ。そしてテストには最高の人材に最大限無茶な機動をしてもらわねば限界が見えないだろう?」

「成程、二名を使って我々に王機兵を超えろとおっしゃるのですね?」

「察しの良い有能は好もしいぞ、コーディ・ルザード二等研究員」

「わ、私めの名前をご記憶いただいておりましたか」


 アルズベックの人材狂いは有名だ。名前を憶えているという事は、その人物を人材だと認めていることであり、逆であればその人物は必死の努力でアルズベックの記憶に残るよう努めなくては先がない。

 感銘を受けたように震える彼に、だがアルズベックの眉間の皺は刻まれたままで。


「研究員の方はどうだね?」

「即戦力になりそうな技術者が三名、設計者が四名。魔術法義に明るい人物が三名ですので、兵装開発も捗るでしょう」

「良いな。残りは?」

「幼い為に初等教育を必要とする者と、一から学ばせた方が効率が良いと判断される者とに分かれます。各班からの報告では全く使い物にならないような人材は居ないとの事です」

「益々良い。大陸統一にはまだ時間を必要としよう。人材育成も急務だ、励むよう伝えよ」

「はっ!」


 敬礼を返す研究員に、手を振るだけで退室を許可したアルズベックは、ドアが閉まる音を確認すると大きく息を吐いた。


「やはりおかしい」


 彼の頭の中にあったのは、モティブ達の機兵を打ち倒した何者かの存在である。

 王国側は巧妙に明言を避けたが、今回の件では外交的にも戦略的にも完敗を喫している。

 通信機材を破壊され、遺跡の特定が出来なくなってしまったのが痛い。

 秘密裏に位置座標を特定し、後に安置されている王機兵を回収するのが彼の思い描いたプランだった。

 王機兵の乗り手が現れなかった幸運を最大限利用する為の策であり、そのような素振りを見せずに短距離転移で表に出られるよう、わざわざ喧嘩別れを演出したのだ。

 陽与の恋人を始末する手配についてはそのカモフラージュと、同時に一人の男としてのほんの少しの嫉妬があった。フィリアの件も、フィリア自身が男を庇わなければそのまま放置して良かった。本来の目的は別にあったからだ。

 だが、どう考えてもおかしいのだ。


「帝国の機兵が六機あって、何故こうも容易く」


 失敗が見込まれれば、表に通信を出す程度の分別はあった筈だ。長距離通信は出来なくとも、中と外程度の通信であれば可能だ。

 そして帝都との通信網は遮断されていても、迂回しての通信は行われた形跡がある。

 状況から判断できるのは、機兵の破壊と通信機材の破壊までが、ごく短時間で行われたという事だ。

 六名残して、捕虜は三名。最も考えられるのは裏切り者が出た事だが、帝国の機兵乗りが王国に鞍替えする理由がどうしても理解できない。

 それこそ、王機兵でも出現しなければ。


「いや、それはない。ないはずだ」


 自分の判断ミスを認める事は出来なかった。あまりにも確率が低すぎる。

 そして、アルズベックの懸念はこれだけではなかった。

 意識を失敗の方から引き剥がすように、別の方向に思考を向ける。


「王機兵を扱える人材が思ったより少ないのも問題か」


 人数は確かにほぼ確保出来た。だが王国側に流れた人材がこちらに来た誰より有能である可能性は否定できない。

 王機兵を造った時代の技術と比べて、今の時代の技術が足りていないことは自明の理だ。今の教育では当時のレベルに届く筈がない。

 アルズベックが何より欲したのは、実は王機兵の乗り手ではなかったのである。






 当然の事ではあるが、流狼以外の五人は自分たちの待遇に満足している訳ではなかった。

 王城の一部に部屋を用意され、自らの興味と適性に合わせた役割を選べる。あるいは王城から出て市井の人間としても最大限生活の面倒は見る。

 破格と言えば破格の条件だが、元の世界に残した家族や立場などと引き換えにするには十分とは言えないかもしれない。

 そんな五人――最も年上のクフォン・ユギヌヌ、他人を慮る事の出来ないサイアー・エストラ、無口なオリガ・ゼクシュタイン、いつも涙をこらえているエリケ・ド、陽気な少年フォーリ・セロ――はそれぞれの事情から、自分たちのこれからを決めかねていた。


「クフォンさん、どうしてルウさんに声をかけないんですか?」


 打ち合わせと称して毎日集まる五人ではあるが、その輪に流狼を誘った事はなく、誘おうとする動きもない。

 いい加減に不自然ではないかとフォーリが首を傾げて問うと、クフォンは教師のように諭すような口調でそれに答えた。


「そうですね。ルウさんは王機兵という手段を持っています。彼はその点においてこの世界で誰よりも自由な選択をできる立場なのですよ」

「自由、ですか」

「はい。我々はこの国を選びました。この国で生き、この国で死ぬかもしれない覚悟を決めなくてはならないのです。それができない時は、誰も寄る辺のないこの世界で、誰の助けを得る事もなく生きなくてはならなくなります」

「分かります」

「ですが、その覚悟が彼には必要ありません。選んだはずのエネスレイク王国を捨てる選択すらできます。その点において、我々とは環境が違うのですよ」

「そうなんですか?」


 じわりと涙を浮かべて、エリケ・ドが悲痛な声を上げた。


「彼は同じように『招かれ人』として、私達を護ってはくれないのでしょうか」

「どうかな。囚われた恋人を見捨てるような冷血漢だぜ、あいつ。大体、僕たちを護ると言ったとしても、途中で恋人恋しさに帝国に出奔するかもしれないし。ま、僕ならあの王機兵を使ってこの国で成り上がるけどね。なんで王機兵は僕じゃなくてあの冷血漢を選んだのかな」


 サイアーはぺらぺらと自分の空想を口にする。

 軽薄な物言いにクフィンが眉根を寄せるが、敢えてそれを指摘しようとはしなかった。

 だが、批判の言葉は別の所から投げかけられる。


「あなたでは無理だからよ」

「ど、どういう意味かなオリガ。あいつには出来て僕には出来ないと?」

「ええ」


 普段は口を開かないオリガが、珍しく厳しい視線をサイアーに向ける。

 これにはサイアーも穏やかではいられなかったようで、顔を引きつらせながらオリガに食ってかかった。


「ならばその理由を聞かせてもらいたいね!」

「だってあなた、ここに来てから今まで。言いたいことを言うだけで一つも行動に移していないじゃない」

「なっ!」

「話題が逸れていますね。その辺りにしておきましょう。さて」


 険悪な雰囲気になりかけたところを本来の話題に戻すべく、クフォンが口を開いた。


「昨日決めた、ディナス王に魔術の指導を願う件ですが――」








「何でこんな事に」


 リエネス城の敷地内にある、兵舎敷設の訓練場。

 この場所に来ることになったのはこれで二度目だ。オルギオは流狼をここまで連れて来ると、訓練に汗を流していた兵士や騎士達に場所を空けるように指示した。

 現在彼らは遠巻きに流狼とオルギオとを見守っている。

 その目に浮かぶのは好奇心と心配であるようだ。


「まあまあ。ルウよ、ここならば治癒術の使い手も多く居る。そうそう問題になる事もないさ」

「そういう問題ではなくてね」


 体をほぐすオルギオは、鎧を外して動きやすい服装になっている。

 流狼が見ても、完璧な体格だと言わざるを得ない。

 巨大な体躯にみっしりと蓄えられた柔軟な筋肉。無駄なく隙のない動きは、日々の鍛錬の確かさを感じさせる。普段ならば試合であっても相手をしたくはないタイプだ。

 それに対して流狼は、細く小さい。元の世界では平均程度の身長はあったが、オルギオと比べては大人と子供程の差がある。


『マスター。流石に断るべきだと思うんだ、ボク』


 アルも少しばかり離れた場所から呆れたように言ってくる。

 流狼も大いに同感なのだが、しかし同時にある種の矜持のようなものがそれをさせずにいた。

 代々引き継いできた飛猷流古式打撃術は、平和な時代には使う意味の薄い格闘技術である。精々が護身術の類しか使いようがないだろう。

 そういった技術を幼い頃から血反吐を吐く思いで、あるいは血反吐を実際に吐きながら鍛錬してきた流狼である。

 挑まれた勝負から逃げるような性根は持ち合わせていなかったのだ。


「アル。お前、俺が負けると思っているのか?」

『ボクだけじゃないよね。この中では当のオルギオくらいじゃない? もしかしたらマスターに負けるかもと思っているのは』

「そうかね。そりゃまた」


 周囲の視線の色は様々だ。王機兵の乗り手が敬愛するオルギオに叩きのめされるのを期待している者、単純な好奇心、あるいは自分達の訓練を邪魔されて不愉快に思っている者もいるかもしれない。


「やりにくいね」

「まったくだ!」


 開始の合図を決めていた訳ではない。

 しかし、二人はほぼ同時に地面を蹴っていた。


「ぬおりゃああ!」


 オルギオの拳は実に真っ直ぐなものだった。

 防ぐことを許さず、避けることも許さず。最短距離を最速で突き出される拳は、直撃すれば人間など一撃で行動不能に陥ると確信できる一打だった。

 流狼はそこに何かを考えて対応した訳ではない。

 しかし柔らかく指を曲げた右掌でその拳を招き、受けた勢いに任せて体を空に躍らせる。


「っ痛ぅぅ!」


 悲鳴は、打撃を受けた流狼ではなく、カウンターで脇腹に左掌を打ち込まれたオルギオのものだった。


「痛いのはこっちだ! 何でできているんだオっさん」


 対して流狼は、悲鳴こそあげなかったものの、顔を引き攣らせながら両手を振る。

 右手は打撃の威力をいなしきれずに痺れており、左手はまるで鎧のような脇腹に衝撃を返されて同じく痺れている。

 周囲からおお、と感嘆の声が漏れる。どうやらオルギオが痛みに声を上げたことさえ珍しいようだ。


「えらい痛い打撃だな、ルウ。腹が破れるかと思ったぞ」

「普通の人体なら実際に内臓のどこかが破れてもおかしくないんだけどな」


 右脇腹を押さえるオルギオに、呆れた声で答える。

 流狼は構えを取ってはみせるが、痺れが取れるまではろくな打撃も打てないだろうと分析する。


「ふう、痛みが随分和らいできた。攻めてこないんだな?」

「手が痺れてるんだよ」

「そうか、それは好都合!」


 命のやり取りでもないので、互いに随分気安いものだが、オルギオの打撃は凶悪だ。受け損ねれば即死してもおかしくない。

 嵐のような打撃の雨を避けながら、流狼は思わず声を上げた。


「この世界の治癒ってのは! 即死しても! 何とか治るのか!?」

「ふははっ! そんな訳がないだろう!」

「はぁ!?」

「なあに、上手い事即死しない辺りを打つさ! 今の所失敗は二度しかない!」

「失敗があるのかよ!?」

「野獣相手だがな! 何しろこの国の者は誰も相手をしてくれなくてなぁ!」

「あんた二度と人を相手に組手しちゃ駄目だ」


 避けながらの会話である。一撃でも受ければ重傷確定だが、軌道はどこまでも真っ直ぐで読みやすい。先を読んで体の位置を置けば、余裕を持って避ける事ができる。

 流狼は両手の痺れが取れたのを確認すると、次の手を考えることにした。

 とは言え、筋肉の鎧を打ち抜いて無力化するには、普通の打撃では不可能だ。


『マスター、今からでも降参しちゃえばー?』

「その提案は! 随分魅力的だ、なっ!」

「ふはっ! 一度もまともに当たってもいないのに降参するのはルール違反だろう?」

「だよなぁ」


 当てられる前にギブアップというのは、合理的ではあるが確かにルール違反、もっと言うならば相手に対して失礼だろう。

 そうなると、流狼の取れる手段は限られていた。

 手持ちの札を一枚切る事を覚悟して、一旦大きく距離を取る。

 怪訝そうな顔を見せるオルギオを無視して、大きく息を吐き出す。


「武境・絶人」


 言葉をキーにして、体中を沸騰するような感覚が覆う。

 熱量は実際のものではないが、しかし現実に肉体に作用する。

 オルギオが呼吸を整え、再びこちらに攻めかかろうとする様が、何とものんびりしたものに映る。

 地を蹴り、間合いに入ると、驚いた顔をしたオルギオが慌てて――それでもなおゆっくりと――拳を振り上げた。

 流狼は余裕を持って両足を踏み締め、構えを取り、全力の左拳を目の前、オルギオの鳩尾に向けて振り抜いた。

 先程は弾かれた筋肉の鎧を、今度は打ち抜いた感触が手に届く。

 オルギオの体が浮き上がり、くの字に折れる。

 だが、流狼にとっては予想外の事に、この時点でもオルギオは拳を振り下ろす事を諦めていなかった。

 大きく体勢を崩していた為に全力ではなかったようだが、それでもその一撃は流狼の側頭部を掠め。

 掠めたにしてはあまりに強い衝撃に、流狼の頭は強く揺らされ、あえなく意識が途絶したのだった。






 レオス帝国に帰国を果たしたモティブ・トリスベンを筆頭とする三名は、即日拘束され、アルズベックの執務室に連行された。

 特にアルズベックがそう命じた訳ではなかったのだが、この数日の彼の不機嫌を気遣った周囲がそれとなく手配しただろう事は察せられる。

 執務室の床に転がされた三名は両手両足を縛り上げられ、ただ悲痛な声で赦しを求めていた。


「さて、ええと。そうだ、トリスベン卿」


 アルズベックにとって名前を憶えられないのは悪癖であると同時に、その本人に対しての評価の絶対的な基準であった。

 誰が戻ってきたのかを予め書いておいたメモを見ながら、責任者に対して声をかける。


「は、はい! 殿下、お許しください」

「なに、卿の責任ばかりではない。安心したまえ、残念ではあるが、それを理由に卿を処断したりはしないとも」

「あ。あああ、ありがとうございます殿下、ありがとうございます」


 床に這いずるようにして平伏する男達を見下ろしながら、アルズベックは優しい声音で問うた。

 だが、彼らの不幸は彼の顔を、表情を見る事が出来なかった事であったのかもしれない。


「では教えてくれ。あの場で一体何があったのだ? 残してきた魔術師も、通信士達も一人として戻ってはこないのだ」

「は、はい殿下。申し上げます。王機兵です。王機兵があの男を乗り手として」

「あの男? まさか」

「はい、殿下の御妃の恋人であると言った、あの男です」


 アルズベックは視界が真っ赤になるのを自覚しながらも、佩いた剣をモティブに叩きつけるのだけは思いとどまった。

 まだすべてを聞いていないのだ。例えそれが、彼にとって最悪のものであったとしても。

 震える声で続きを促す。


「だが、解せぬ。卿が手を出してもあの王機兵は動き出さなかったではないか」

「ち、地下でございます、殿下」

「地下?」

「はい、もう一体の王機兵が自ら地下より現れ、あの男を乗せたのです」

「馬鹿なっ! な、ならばあそこには、王機兵が二体安置されていたと言うのか!?」

「その通りです。巨大な拳を持つ王機兵でした。我々以外の三名は投降を宣言し、男は許しました。私は投降したうちの一機を破壊したのですが、王機兵によって機体を破壊され、最後には縄目を受ける事になったのです」


 想定していた最悪の事態が、想定していたよりも悪い形で的中していた事に動揺しつつもそれを隠し、アルズベックは更に確認する。


「王機兵は自ら現れ、奴を乗せたと言ったな」

「はい」

「であればその王機兵は、一体誰が操っていたのだ?」

「畏れながら、王機兵の精霊かと。王機兵は言葉を発し、それは私どもも聞き及んでおります」

「ならば何故我が国の王機兵には精霊が宿らぬ!」


 とうとう感情が激発する。

 レオス帝国は領土を拡大し続ける間に、三体の王機兵をその手中に収めた。しかし、その起動には極めて難航し、現在はアルズベックが辛うじてそのうちの一機クルツィアを操る事が出来ているに過ぎない。

 それも、普通の機兵よりも少しばかり上等な性能を持つ程度で、王機兵の伝承とは比べるべくもない。


「王機兵を十全に操るには、精霊を呼び起こす必要がある。王機兵の精霊が乗り手を選ぶのか、あるいは何らかの儀式が必要なのか」


 厳しい顔で思索に入るアルズベック。

 三機の王機兵を操る事が出来れば、あの忌々しい南の国や、東の国々を一代で纏めた英雄にも劣る事はない筈だった。

 偶然現れるかもしれない乗り手を探すよりも、精霊を呼び起こす技術者をこそ、彼は欲していた。あるいは、古代の遺物に過ぎない王機兵を、技術的に超越する機兵を造れる人材を。


「で、殿下」

「む。ああ、そうか。卿らの処遇が未だであったな」


 モティブが声を上げたのは、無論自分たちがどう扱われるかが気になって仕方がなかった為であったが、それはアルズベックの思考を途中で中断させた事を意味していた。アルズベックが最も嫌う行為である。

 この時点で、三名の命運は決まってしまったと言って良いだろう。


「私は卿らの件で、エネスレイクに多くの借りを作る羽目になった。そして陛下の前でも大きな恥を晒す羽目にもなった」

「は、はい。殿下の御温情に心よりの感謝を」

「温情? そんなものはない。知るべき事は知り、聞くべき事は聞いた。私は最早卿らに興味もなければ割く時間もない」

「えっ」

「ええと、トリスベン卿。卿が持ち帰ったものは重要な情報だ。帝室侮辱罪で一族死罪のところを、功績により罪を減じ、卿の爵位を剥奪する事で留めることとする。とは言え仕事がなければ餓えてしまうであろうから、鉱山夫の職責を用意した。しっかりと身銭を貯めて、老後の貯蓄にすると良い」

「は?」

「残りの二名は功績もないようだ、帝室侮辱罪で一族揃って死罪申しつける」


 至極冷酷にそれだけを告げたアルズベックが、机に置いてある鈴を鳴らす。

 と、屈強な体つきの男が六名、扉を恭しく開けて現れた。


「聞いていた通りだ。この者たちはあろうことか帝室の名を騙り、隣国エネスレイクの姫君フィリア様を略取、あるいは殺害しようとした大罪人である。速やかに只今下した刑を執行するように」

「はい、殿下!」


 呆然とした三人を、獄吏なのだろう六名が、軽々と抱え上げる。

 それで気付いたのか、モティブ達が口を開こうとする。


「ああ、これから死ぬ者に言葉は要らぬだろう。口に詰め物でもしておけ。私の思索をこれ以上邪魔されては困る」

「御意」


 だがそれを察していたのか、アルズベックの指示で一人の獄吏が三人の口に何かを突っ込む。


「ふぐっ!? ふぐ、ぐぐぎぎぎいいっ!?」

「ぐぶむっ! ぶぶぐ!」


 粘性のある塊は口の中をどろどろと溶かしながら纏わりつく。

 苦悶の声を上げようにも、口の中は直視に堪えない有様で、辛うじて苦しそうな音が出せる程度のようだ。

 唯一死罪を告げられなかったモティブだけは固い布玉を噛まされて言葉を封じられていた。だが、二人の様子に言葉も出せずに絶句しており、目を見開いて硬直している。

 扉が閉まり、音が遠ざかっていく。

 やっと静寂の戻ってきた部屋の中で、アルズベックはこれからのエネスレイクとの関係性や王機兵の件など、皇帝にどのように報告をするかに頭を痛めることとなった。






 フィリアは流狼が兵舎の医務棟に担ぎ込まれたと聞くや否や、自分の公務を放り出して流狼の元へ駆けつけた。

 同行しているのは秘書のユコだ。普段はフィリアの奔放さに小言の止まらない彼女だが、今回は黙ってついて来ている。


「ロウ!?」


 流狼はベッドの上でアルと穏やかに会話をしている所だったが、フィリアが来ると片手を挙げてそれに答えた。


「やあ、フィリアさん。血相変えてどうしたの?」

「い、いや。ロウが倒れたと聞いたので様子を見に来たのだが。元気なようだな?」

「それは心配をかけてしまったようだね。一応後遺症もなさそうなので、そろそろお暇しようかと思っていたところだよ」

『マスター。少しずれていたら死んでいた事を自覚すべきだよ? もう少し自分の体を大事にしてもらわないと』

「ああ、悪かった、悪かったよアル」


 へらりと笑う流狼に、フィリアはそう言えば彼が何故倒れたのかを確認していなかった事に気がついた。


「して、ロウ。何があったのだ?」

「ああ、魔術を誰かに教わろうか、とアルと話していたら、オルギオさんが来てね」


 話し始めた流狼の言葉を聞いて、フィリアは顔から血の気が引くのを感じていた。

 同行していたユコも同じように蒼白になっている。


「お、オルギオと殴り合って、よくその程度で」

「あ、やっぱりオルギオさんって素手でも人を斃せる感じ?」

「う、うむ。白騎士オルギオ・ザッファと言えば、おそらく帝国でも知らない者はないだろう」

「白騎士? ああ、白髪だから?」

「いや、それもあるが。古代機兵『白鎧のノルレス』を駆る姿を指してそう呼ばれる」

「古代機兵?」

「ああ、うん。アル殿のように王機兵も古い時代の機兵なのだが、その頃に造られた他の機兵を古代機兵と言うのだ。多くの技術が失われていてな、古代機兵は製造はおろかメンテナンスも満足に出来ないのだよ」

「その貴重な古代機兵を颯爽と駆り、致命的な損傷を一つも受けずに戦場から戻るオルギオ様は、王国最強の白騎士と称賛を浴びているのですわ」

「普通の人じゃないとは思っていたけど」


 目を輝かせるユコ。自分以上にオルギオを崇拝している彼女は、大小様々なアタックを彼にしてはいるのだが、本人には気付いてもらえていない。

 オルギオは自分がいい年をした中年である自覚があるようで、婚期を逃したと常々嘆いている。だが、そんな自分が若い女性から恋慕の情を寄せられる筈がないとも思っていて、オルギオにしてみるとユコは成長したファンの少女が昔よろしくじゃれついて来ているものとして扱っている。

 ユコの恋愛事情が前途多難であるのは置いておいて。


「それで、オルギオは?」

「どうでしょうね、そろそろ」

「おう、ルウ! 首は大丈夫だったか?いやあ、俺もあれ程の打撃は初めて受けたぞ、また近いうちにって、げっ」


 噂をすれば影、と言う通り、オルギオは腹に包帯を巻きつけた姿で隣の処置室からこちらに入ってくるところだった。

 フィリアと目があった瞬間に、満面の笑顔だった表情が凍りつく。

 ふつふつと湧き上がる感情を自制せず、フィリアは口を開いた。


「オルギオォォォッ! そなた、何をしておるかっ!」

「ひ、姫様。なんでこんなに早……あ、いや」


 フィリアが怒鳴りつけると同時、オルギオも口を開いたようだったが、言い切る前に視線を逸らす。


「ロウはこの国の大事な賓客ぞ! そなた、ロウにもしもの事があったらどうしてくれた!?」

「い、いや。万が一そんな事があればこの喉貫いてお詫びを」

「そなたの命にそれ程の価値があるものか、たわけ!」

「いや、姫様、それは幾らなんでもひどいんじゃ」

「やかましいわ! それに万が一だと? そなた、あれだけノルレスでやらかしておいて、万が一などと良く言えたな!?」

「うぐ」


 速射砲のように言い訳を潰しつつ、段々と小さく縮こまっていくオルギオへの舌鋒は更に鋭く。

 ユコが隣であわあわと仲裁のタイミングを計りかねている様子だったが、その暇は与えない。

 だが、オルギオを庇う言葉は彼女が思ってもいない方から聞こえてきた。


「まあまあ、フィリアさん。その辺にしてあげてくれるかな」

「だからそなたは……ロウ?」

「オっさんは考えが足りていなかったのかもしれないけれど、受けたのは俺だから。そこまでフィリアさんを怒らせた原因の一端は俺にもあるよ」

「いや、そんな事は」

「むしろ俺が軽率だった。済まない」

「お、おい! 頭を上げてくれルウ! お前が詫びを入れる事じゃないだろう!?」


 頭を下げる流狼に慌てたのは、今の今まで怒鳴りつけられていたオルギオだ。

 フィリアも流狼に頭を下げられてしまっては、続けるには彼まで叱らなくてはならなくなってしまう。


「一つ聞く、オルギオ」

「は、はい!?」

「ロウは強かったか」

「ええ、生身の拳で膝を突いたのは生まれて初めての事ですな」

「そうか」


 ふう、と口から溜息のように苦笑が漏れる。

 フィリアは苦笑いを流狼に向けながら、頷いた。


「ならば仕方ない。まさか生身でも我が国の最強に膝を折らせる程とは思わなかった」

「では?」

「ああ。ロウに免じて今回の件でオルギオを罰する事はしないよ」

「ありがとうございます、姫様! ……済まんなルウ、頭を下げさせてしまった」

「いやいや」

「ひとまず今回は引き分けといった所だな! お互いに鍛え上げて、折を見てもう一度――」

「それは二度と許さん、馬鹿者」

「えぇっ!?」


 リターンマッチを禁止されて悲鳴を上げるオルギオはともかく。

 何故かその言葉に残念そうにする流狼の顔を見て、フィリアは頭を抱えるのだった。

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