第四話:それぞれの翌日に

 世代陽与は、自分がもう戻れない事をはっきりと理解した。

 豪奢なベッドの天幕を見上げ、涙が伝うのを拭いもせず。


「大事ないか? ヒヨ」


 先程まで自分を組み敷いていた男の問いには答えなかった。

 今の自分の状況は、勝者が戦利品を自分の勝手に扱ったのと同じことだと思っている。

 ただ、戻る術がないのなら、自分の身は自分で護らなくてはならない。


「あの男の事を、思っていたのか?」

「……いいえ」


 嫉妬なのか、悲しみなのか。アルズベックの声は妙に弱々しいものだった。

 だが不思議と、自分を護り切れなかった流狼の事は、言われるまで一度も思い出してはいなかったのである。


「彼を殺したのでしょう?」

「何を」


 意識を取り戻して、彼の自室に連れて行かれるまでの間に、陽与は帝都の様子をじっくりと観察する時間があった。

 それは同時に、アルズベックの持つ権力の強大さを知る時間でもあった。

 彼の前に立ちはだかった流狼だ。その後辿る事になったであろう顛末についても、容易に予想はつく。

 悲しみはある。少なくとも交際をしたいと願ったのは他ならぬ自分であったのだから。


「私の心が彼にある事を、あなたが許すとは思えないから」

「あの男は王機兵の運用に関わる才覚がある人物だ。捕えろと伝えたが、殺せとは言っていないよ」

「殺すなと言わなかったのでしょ? ならばあなたの配下は彼を殺すわ」


 不思議なほど、怒りが言葉には乗らなかった。

 あるいは受け入れてしまったのか。もしかすると、自分は自分が思っていた以上に、流狼の事を強く想ってはいなかったのかもしれない。

 アルズベックを愛している訳ではない事は断言できる。しかし、その寵愛を受ける事がこの世界で自分が無事に生きていく為の手段である事も確かだった。


「そうだな、ヒヨ。私はそれを理解していた。済まない……怒っているだろうか」

「いいえ」


 陽与は自分の中に渦巻く感情を整理しようと一度目を閉じた。

 理不尽への諦め。流狼への悲しみ。アルズベックへの意志。そして自分自身への問い。

 目を開き、体を起こした。白いシーツが肌を滑り落ち、白い裸身が露わになる。

 隠すつもりはなかった。


「アルズベック様」

「なんだい、ヒヨ」

「私はあなたを受け入れます」

「……そうか!」

「ですが、条件がひとつだけ」

「な、何だ? 何でも言ってくれ、出来る限りの事はしよう」

「私はあなたに添い遂げますから、私以外の、この世界に呼ばれた人たち。あなたの野望が叶った後でいいから、帰りたいと思う人たちを、元の世界にいつか帰してあげて」

「私に野望があると?」

「ない人が私たちを呼ぶと?」


 涙は既に乾いていた。陽与は、作ったものではない笑顔でアルズベックを見つめる。

 アルズベックが喉を鳴らした。身繕いを済ませたばかりの彼に向けて、両手を広げる。


「二回目は愛のある形にしたいわ」

「誓おう、ヒヨ」


 優しい唇を受け入れながら、体を倒す。

 世代陽与はこの日、帝国皇太子妃ヒヨ・レオス・ヨシロとなった。





 エネスレイク王国は大陸西方に位置する大国である。

 大陸中央部とは巨大なリバシオン山系を挟んで寸断されている。国土としてはリバシオン山系を含め、その東側の麓までが含まれているが、そちらは大規模な森林となっていて人里はない。

 どちらかと言えば、この山系を領土とする旨みはエネスレイク王国以外にはなかったと言って良いか。

 ともあれ国土の東側を機兵をもってしても――あるいは機兵だからこそ――越えられない山々に隔てられれたこの国は、国土の南北だけを防衛すれば足りるという恵まれた環境にあった。

 南部のトラヴィート王国とは非常に親密な親戚関係にあり、北部の天魔大教会は各国不可侵の宗教国領である。

 リバシオン山系を中心とした豊富な鉱山資源と、大陸西部の漁獲資源、そして戦禍に巻き込まれない事で安全に発達した農業資源。

 大陸の西の雄と呼ばれるエネスレイクは、別名を大陸で最も豊かな国と呼ばれている。


「諸君、よく我が国に来てくれた。私はこの国の王であるディナス・レン・エネスレイクだ」


 砦に辿り着いた翌日。

 王都リエネス、謁見の間。

 先に王都に到着していた五人と共に、流狼は国王ディナスに謁見を果たしていた。

 周辺には貴族と思われる者たちが居並ぶ。流狼達には椅子が用意された。跪く必要はない、というディナスからの心遣いであるらしい。


「特にルウ・ロウ・トゥバカリィ殿。我が末娘フィリアと大騎士オルギオ・ザッファを救ってくれたこと、心より感謝する」

「先に俺を庇ってくれたのはフィリア姫でしたので」

「それでも、私が礼を言わなくて良い理由にはならないな」


 ディナスはそこまで告げると、一転して硬い表情を浮かべた。


「そして、この世界の都合で、貴殿らを強引に呼び招いた事に心より謝罪申し上げる」

「え」


 まさか、こんなにも早く謝罪の言葉が首謀者の一人から紡がれるとは思っていなかったので、頭の中が真っ白になる。

 感情を偽っているという様子もない。どう受け止めれば良いのかと悩んでいると、居並ぶほかの五人のうち、最も年かさの男が声を上げた。


「私達は、戻れるのでしょうか」


 黒い肌。髪の色が赤く、長い。染めている様子もない。

 それよりも流狼は、彼の言葉を自分が理解出来ている事に驚いていた。

 来た直後、問題を起こした男の言葉を聞き取る事が出来なかったのが、揉め事になった最初の原因だ。

 偶然同じ言語を話しているという可能性も捨てきれないが――


「送還の魔術は実在する。だが永い歴史の中で廃れ、喪われた技術でもあるのだ」


 それを確認するより先に、ディナスが述べた言葉に耳を疑う。

 アルと出会った時――夢とも現ともつかない、妙に現実感の薄い時間だったが――に聞いたのは、二度と戻る事は出来ないという事だった。

 しかし、王としての彼の言葉は真摯な響きを持っていた。

 流狼が発言をしようか迷っていると、突如空間に声が響いた。


『その魔術には欠陥があったのさ。技術が喪失する理由もね』


 アルの声だった。周囲がざわめく。

 声の出所を探ろうとした直後、右肩が重くなる。見ると、小型のアルカシード――としか言えないような小さな機兵が肩によじ登ろうとしていた。


「アル、なのか?」

『やあマスター。これはボクの外部サポート用端末さ。アルカシードだと入り込めない環境でマスターの安全と安心をサポートするよ☆』

「よ☆とか言われてもな」


 ともあれ、諸々の説明を流狼がしなくて済むようになるのは確かなようだ。

 視線を戻すと、ディナスをはじめとした一同が驚いたような表情を浮かべていた。


「そ、その機兵は」

『やあエネスレイクとやらの国王。ボクの名はアル。君達には拳王機アルカシードの精霊と言えば理解しやすいかね?』

「お、王機兵の精霊!」


 ざわめきが悲鳴のような歓声に変わる。

 アルは流狼の肩に座ると、ぴしっと指をディナスに向けた。


『さて。送還の魔術についてだけど』

「は、はい。アル様。史書にはその存在が示唆されておりますが、如何なる術式も現代に残ってはおりません」

『マスターを殿と呼ぶのにボクを様と呼ぶ必要はないよ。術式はボク達の製造者とうさまとその仲間の手で全て破棄された。さっきも言ったように、欠陥があったからだね』

「欠陥ですか」

『そうさ。君達の祖先は呼ぶ事に関しては力を尽くしたけれど、呼んだ相手を送り返す事についてはどうやらだいぶ雑な手配りをしていた。それが分かったのは、送還陣を解析した時のことだよ』

「どういう事だ? アル」


 アルの声音には、隠しきれない苛立ちが含まれていた。

 流狼が聞くと、アルは一度じろりとディナス達を見回してからこちらを向いた。


『その前に確認したいのだけれど、マスターの住んでいた世界はどういった環境だったのかな』

「惑星と呼ばれる星に、住んでいる。太陽と呼ばれる輝く天体の周りを一年かけて回る形だな」

『うん。ボクの知る限り、呼び出された人達が住んでいた世界パターンの中で二つ目に多いタイプだね。あとは平坦にひたすら広がる世界や、巨獣の上に積み上がるようにして出来ている世界もあったって申告があったかな』

「そりゃまた……」

『送還陣の話に戻るけれど。送り出す先の空間座標が問題でね。乗った人間の身柄を元の世界に送る術式としては確かに機能する。だけど、呼び出された時に居たに厳密に戻すわけだね』

「それがどう欠陥なんだ?」

『星って動いてるよね』

「ああ」

『一時間違うだけでも、星の場所って宇宙規模で見たら違うわけ。そういう状態で座標だけ同じ場所に戻ったらどうなると思う?』

「空の上とか、土の中とか?」

『そうだね。機兵に乗って送還・帰還実験をしてくれた製造者とうさまの仲間が持ち帰った映像は、マスターがいた世界の宇宙空間だったと思ってくれればいいよ』

「それはつまり」

『送還された瞬間、殆どの人は即死しただろうね』


 流狼が生きて故郷の土を踏むには、あまりに分の悪い賭けである。

 仮に地球に上手く転移できたとしても。その中で人間が住む事の出来る環境――しかも、十メートルも地上と離れていれば落ちて死ぬから地上かほど近い場所――に着地出来る可能性など無いに等しい。


『と言う訳で、その後にすぐ技術を含めて全て破棄させた。マスター、帰る方法がないというのはそういう理由だよ』

「ありがとう、アル」

「そんな」


 ディナスを含め、誰もが言葉を失っている。

 特にショックを受けている様子なのは残りの五人だ。流狼は予めアルに聞いていたから今更の確認だが、初めて言われた彼らにはショックだろう。


「我々は、帰れないのですか」

『新しく送還の魔術を創るのも方法の一つだとは思うけれど、この大陸は現在広い範囲で戦争状態のようだからね。そんな事に時間を割く余裕はどこの国にもないとボクは判断する』

「つまり、帰る方法を研究するならば戦争に勝てと?」


 アルの身も蓋もない発言に、五人が口々に言い募ってくる。

 アルはアルで、仕方ないとばかりに肩を竦めながら、いちいちそれに応対を始めた。


『この国は現在戦争に参加していない様子だから、わざわざ首を突っ込む必要はないと思うけれど。巻き込まれた時にはその限りじゃないだろうね』

「け、研究なら自分たちだけでも出来る筈だ!」

『この世界の文字も魔術理論も理解出来ていないのに? どの国も部外者には教えないんじゃない?』

「私達には王機兵に関わる才能があるって」

『マスターみたいに王機兵の乗り手だったら引く手数多だと思うよ?』


 全ての発言を真っ向から叩き潰している。その様子に流狼はアルの頭部を指で弾いた。

 この世界で生きる覚悟を決めさせようと思ってやっているのだろうが、少々言い過ぎだ。


「アル、いい加減にしておけ」

『マスター?』

「誰もがすぐに割り切れる訳じゃない。悪夢みたいな現実を受け入れるには、時間が必要な時だってあるさ」

『そうだね、失礼な言い方をしたかもしれない。済まないね』

「申し訳ない。アルも悪気があった訳ではないんだ。許して貰えると嬉しい」


 アルと一緒に頭を下げる。アルも存外素直に頭を下げた。

 他の五人もそれで矛を納めたのだが、年若い一人がふと何かに気付いたように口を開いた。


「君はどうなのだ? 君は確か、知り合いを帝国に奪われた筈だろう」


 純粋に気になっただけ、といった口ぶりだったが、流狼はその言葉に胸を抉られたような気分になった。眉間に皺が寄るのを自覚する。


「ああ。従兄弟の葵龍羅と、恋人の世代陽与が帝国に渡った」

「!?」

「あ、あの人は恋人だったのか!」


 やはり彼らもアルズベックと流狼のやり取りを大半は理解出来ていなかったようだ。

 そうなると、どのタイミングで互いに言語をやり取り出来るようになったのだろうか。意識をそちらに傾けて、心の平衡を保つよう努める。


「ならば、帝国からその女性を奪い返そうとは思わないのか?」


 興味本位のままに言葉を放つ彼は、だが流狼に現実を直視させ続けようとする。

 アルが止めようとするが、流狼はそれを抑えた。


「彼女は帝国の皇子に見初められた。この世界で生きていく事を考えれば、彼女は少なくとも最も安心する場所の一つに迎え入れられた事になる」

「だから諦めるのかい?」

「彼女のこれからの幸せを祈るつもりではいる」


 そこまで答えて、大きく一つ息をつく。

 その言葉を吐き出すだけで、随分と力を使ってしまったような気分になる。


「ならば、この国が帝国と戦争になったら――」

「もう止めたまえ、サイアー殿。貴殿はルウ殿の内面に無遠慮に踏み込み過ぎだ」


 次にこの問いが来る事は分かっていた。そこに答えを示す前に、ひどく気分を害した表情のディナスが追及を止めた。


「し、しかし!」

「貴殿は先程ルウ殿に気遣われたばかりだろうに」

「開戦してから彼が帝国に渡るような事があれば、不利になるでしょう!?」


 このままでは悪者になるとでも思ったか、サイアーと呼ばれた男は思いのほか食い下がる。

 既に周囲の視線は冷めたものになっているが、気付く様子もない。


「俺は既に一回殺されかけているからな。例え帝国と戦争になっても帝国につくつもりはない。それに、あちらが俺を受け入れないだろうさ」


 何しろ、アルズベックの妃の元恋人だ。例えどれ程戦力になろうと、内乱の種を自ら呼び込むとは考えられない。

 それに、どれほど請われたからと言って、自分を殺そうとした国に仕えようと思う流狼ではなかった。


「それを信じろと?」

「今は何を言っても信用するつもりがないんじゃないか? 何しろ俺達はほぼ初対面なんだ、どう言ったところで信じる人は信じるし、信じない奴は信じない」

「む」


 何とも重々しい空気になってしまった。

 ひとまず空気を払拭するのは自分しかいないだろうなと思った流狼は、立ち上がって頭を下げた。


「俺、ルロウ・トバカリと拳王機アルカシードはエネスレイク王国に身を寄せる事を決めています。軍に仕官するかは決めておりませんが、よろしくお願いします」

『よろしくお願いするよ』

「よしてくれ、ルウ殿。本来はこちらが請わねばならぬ事、有難くお受けする」


 ディナスが立ち上がり、こちらに歩いてくる。

 跪くべきかと思ったが、行動に移す前に彼は流狼の目の前まで来てその手を取った。

 そして、小声で。


「フィリアから聞いている。どうやらアル殿から失われた大陸史を学ぶとか。ぜひ私も同席させてもらいたいのだが」

「ご、御随意に」


 あるいは、この王の子供達の中で最も彼に似ているのがフィリアなのかもしれない。

 苦笑いを浮かべると、ディナスは片目を瞑って悪戯っ子のような笑みを見せた。

 周囲がわっと沸く。国王と王機兵の乗り手が握手をしているのだ。エネスレイクの国民にとって、万の味方を得たに等しいだろう。


「軍であれ、研究所であれ、貴殿らの適性と希望に出来る限り沿う事を約定しよう。しばらくは城内に部屋を用意するので、そこで身の振り方を考えてくれ」


 流狼から離れたディナスは、次に座ったままの五人の方に顔を向け、そう言い放った。

 言葉は先程とは打って変わって硬質的で、サイアーの無礼が影響しているのは誰の目にも明らかだった。


「過分なご配慮、痛み入ります」


 頭を下げる五人の方を見やりながら、流狼は内心で彼らと微妙な距離感が出来てしまったのを察していた。

 だが、こればかりは自分の所為とばかりは言えない。

 こちらの世界に来てから慣れてしまったある種の諦めと共に、


『まあ、気にしすぎない事だよ、マスター』


 アルの慰めとも言えない発言に、そうだなと呟くしかなかったのだった。






「誰も戻ってこないだと?」


 陽与との逢瀬を存分に楽しんだアルズベックは、執務室で受けた報告の内容にまず耳を疑った。

 遺跡に残してきた人材は荒事を任せられるだけの実績を残した一団だ。こちらの指示を事の善悪に関わらずやり遂げるだけの忠誠もある。

 指示した内容は一人の男の始末だが、同時にフィリアを連れてくる――あるいは殺害する――事が出来ればエネスレイク王国の動きを強く掣肘する事が出来る。

 目撃者さえ居なければ、生きていようが死んでいようが問題なかった。フィリアが帝国に興味を持ったとしてお連れしたとさえ言えば、それ以上は何も問えないと踏んでいた。

 アルズベックは自分の代で帝国を大陸唯一の国にするという目標を掲げていたし、王機兵を三機抱えるレオス帝国は、当の王機兵を動かせさえすれば鎧袖一触に他国を制圧出来るとも信じていた。


「残してきたのは、ええと」

「トリスベン卿でしょうか。殿下の御側付きの」

「ああ、その男だ。ダ級の術式機兵を使っていた筈だが」

「そうですね。雷の術撃杖も装備されていますから、ダヴォルの三式武装機兵ですね。エネスレイクから機兵が現れても十や二十ならば容易く退ける事は出来るでしょう」

「ならば何故戻らんのだ」

「分かりません。あるいは男も王女も取り逃がしてしまったのでは」


 だとすると、かなり拙い。既に一晩過ぎている。

 アルズベックは報告を持って来た男――遺跡にも同行していたから、事情は熟知している――の言葉に、遺跡の内装を思い返していた。

 王女達の近くには、確かに遺跡に移動する時に使った転移陣があった。

 王国の兵士達が命を賭せば二人を王都に逃がす事は出来たかもしれない。


「拙いな」

「戻らないという事は、最悪エネスレイクに侵入した事も考えられます」

「いや、問題はそちらではない」

「は?」


 こちらの分析について来られない男に無能の烙印を内心で押しつつ、アルズベックは口を開く。

 男に聞かせる為ではない。自分の思考を整える為だ。


「隊が戻らないだけならばそれもあり得る。しかし表に置いた通信局の者どもからの反応もないとなると、全員討たれたか逃げだしたかのどちらかだ」

「彼らが逃げる事はあり得ないと思いますが」


 何しろ、彼らの多くは帝都に家族を残しているのだ。

 場所も定かではないリバシオン山系のどこかで、逃げて逃げ切ることはおろか、生き延びられるとも思えない。

 再び無能と断じた男に視線を向ける。


「長距離転移をしたのだから、通信が復旧するまで時間がかかるだろう」

「いえ、復旧していません」

「復旧していない?」

「はい。一度だけ二番の通信局がエネスレイク方面から通信波を傍受したようですが、それもすぐに切れたそうです」

「こちらからの復旧は」

「通信局が試みましたが、機材が破損している為、あるいは範囲が絞れない為に不可能との回答が」

「ではエネスレイクからの通信は」

「今の所はありません。返答だけは殿下に予め指示いただいた通りに準備を」

「うむ……」


 そこで再び深い思考に入る。

 遺跡で何かがあった。それはアルズベックの中で確定している。

 しかし、王機兵が突然動き出したという可能性は早々に打ち切っていた。

あれだけ騒いで反応がなかったのだ。例え中で機兵が動こうと、今更反応はするまいと思っていた。

 エネスレイクは国内での機兵の運用に難色を示した為、機兵はトリスベン達が帝国から召喚できる分しかない。あるいはそれが鍵だったとしても、人数比は明らかにこちらが上だ。


「どちらにしろ、このままにしておくのは拙いか」


 どの分析も結局のところ想像でしかない。確認しなければ徒に状況の悪化を招いてしまうだけだ。

 陽与との時間に後悔はないが、事態の落着を待たずに少しばかり急ぎ過ぎたかと反省する。

 まずはエネスレイクと通信を繋ぎ、状況が伝わる前に釈明をして確認だけはしておかなくては。

 だが、そう告げる前に急報が届いた。


「殿下! エネスレイクから通信が届きました! 国王からですが、直通ではなく、通常回線です!」

「ちっ!」


 この瞬間、アルズベックは自身の失策を確信した。






 アルズベックが日頃と比べて随分遅く寝室を出たのと、ちょうど同じ頃。

 リエネス城内で、流狼は窓のない部屋に通された。


「さて。早速お呼びだてして申し訳ないな、ルウ殿」

「いえ」


 謁見の間を辞した後、六人はそれぞれ侍女をつけられ、用意された部屋へと案内される事となった。

 が、流狼だけはしばらく歩いた後に別の道に分かれたのである。

 他の五人がどう思うかなと思いつつ、用件に思い当たる節があったので導かれるまま城内を歩く。

 通された部屋には、ディナスとフィリア、オルギオの他に数人が座っていた。

 円卓があり、その中央には水晶球が置いてある。


「ロウ! 先程ぶりだな」

「やあ、フィリアさん。そう言えば謁見の間には居なかったね」

「うむ。いい加減軍服の換えもなかったしな、身綺麗にしていたのだ。……どうかね?」

「元が綺麗だから、何を着ても似合うな」

「そ、そうか?」


 フィリアはドレス姿だ。動き易さを重視しているのか少々地味めであるが、それがかえって彼女の美しさを際立たせていた。

 一瞬以上見惚れてから、うっかり本音を漏らしてしまうとフィリアは照れたように頬を赤らめた。

 流狼としては、恋人を奪われてすぐ歯の浮くような言葉を吐いてしまった事に、軽い奴だと思われなかったかと内心で頭を抱えていたのだが。


「フィリア、ここはルウ殿への君のドレスのお披露目ではないよ。本題に入っても良いかな?」

「あ。し、失礼しました父上」


 小さく笑いながら断りを入れるディナスに、フィリアは顔を真っ赤にして俯いてしまった。


「さて、ルウ殿。これから帝国に通信を送る」

「はい」

「何か要求したい事はあるかな?」


 微笑ましく見ていた周囲だが、ディナスから流狼への問いに一気に緊張感を強いものとした。

 流狼は用件が思っていた通りの内容であった事にある意味安堵しながら、首を横に振った。


「いえ、特には。出来て賠償の請求くらいでしょう?」

「ふむ。臣下の中には宣戦布告を要求するのではないかと言い出す者も居てな。貴殿は帝国に強い恨みと怒りを抱いていてもおかしくない、だからここにお呼びしたのだが」

「自分一人の我が侭で国を戦争に巻き込もうとは思いませんよ」


 席を促され、そこに座りながら至極当然の事を告げる。

 一同は安心したようだ。その様子にふと、アルが首を傾げた。


『そういえば、エネスレイクは何故帝国に協力したんだい? 隣国に戦争を仕掛ける国なんて、周辺国からの評価は最悪だろう?』

「そうですね。それはその通りです」

『では何故? 山系を挟んでいるとはいえ隣国だ、他人事ではないだろう』

「説明致しましょう。こちらをご覧ください」


 と、話を引き継いだのは見知らぬ人物だった。ディナスが頷くところを見ると、元々そのつもりだったようだ。


「申し遅れました。私はエイジ・エント・グランニール。エネスレイクの宰相でございます」

「臣籍に降りた為にグランニール領を所有してはいるが、私の弟だ」


 ディナスの弟ということは、フィリア達の叔父でもある訳だ。

 互いに強い信頼感があるのが分かる。思った以上に出来た人物であるようだ。

 エイジが円卓でいくつかの機材を操作すると、水晶球が空中に映像を投影した。

 成程、プロジェクターのようなものらしい。


「この大陸の地図です。画面を動かしますね」


 どうやら対面に座る国王に向けた位置取りになっていたようで、画面がこちらに正対するよう回転する。

 これで衛星写真のような地図であれば良かったのだが、映されているのはそれなりの精度はあるが略地図だ。

 どうにもこの世界の技術レベルをちぐはぐに感じるのは、流狼がこの世界とは違う文化に染まっているからなのだろう。


「地図の西側を見てください。ここがエネスレイク王国となります」


 地図には大まかな山脈や河川、そして国境が記されていた。

 エネスレイクとして示された部分が黄色く点灯する。


「東側を南北に伸びるリバシオン山系を大きな国境線としていますが、同時に北と南にそれぞれ陸路の国境線があるのです」

「そのどちらかが帝国と接しているのだろうか」


 素直な疑問を述べるが、エイジは首を横に振った。


「いいえ。どちらも接してはいません。まず北方は天魔大教会領と言いまして、人によっては天魔大教国と言う者もいます。大陸のすべての国から相互不可侵の誓いを結んでいまして、各国の揉め事の調停が主な外交ですね」

「天魔大教会。宗教施設なのかな? という事は、各国に信者が多い?」

「いいえ、信者はほぼ居ないでしょう。と言うより、天魔大教会には明確な教義がある訳でもありません。詳しくはまたいずれ」

「あ、はい。分かりました」


 教義もないが大陸全土から不可侵の教会。やはり流狼の宗教知識では特異に感じられるのだが、今回の本題からは外れるのだろう。エイジの言に頷き、続きを促す。


「今回、帝国からの召喚儀式の打診もこの天魔大教会から行われました。その理由が南の国境を接する、トラヴィート王国です」


 エネスレイクから南に位置する、面積だけで見ると六割くらいの大きさの国。その国土が青く染まる。

 リバシオン山系の南端の麓あたりから西への線。トラヴィート側から見ると北部から北西部をエネスレイクとの国境線がこれだ。南端には『まるで削り取られたように真っすぐな』海岸線。それ以外の陸地は随分と入り乱れた国境線となっているのが、トラヴィート王国という国の国土であるらしい。


「トラヴィート王国は、かつて大陸を治めていた『統一王朝』が崩壊・分裂した時からエネスレイクと親戚関係を維持している国です。この国が現在、帝国からの宣戦布告を受け、苛烈な防衛戦の渦中なのです」

「原因は?」

「トラヴィート王や国自体に直接の原因はありません。開戦までの間に帝国から執拗かつ度重なる挑発があったと言いますから、帝国はトラヴィート王国を容易い相手だと思っていたのでしょう」

「つまり、エネスレイク王国が今回の帝国の打診を呑んだのは、トラヴィート王国から手を引く事を条件に出されたというわけですか」

「その通りです。今まで奪った国土を返還し、永久不可侵の同盟国として扱うとまで。トラヴィート王国を狙う必要がなくなったのであれば、逆側に侵攻の見通しが立ったという事なのでしょう」


 途中までは理解できた流狼だったが、再び首を傾げた。

 話だけを聞けば、帝国はトラヴィート王国を必ずしも侵略する必要がなかったという事になる。

 地図を見て、考えることしばし。エイジも流狼に自分で答えに辿り着いてほしいのか、声をかけずに見守っている。


「帝国には海岸線がありませんね。海を必要としたのですか」

「はい、その通りです。事情は海産物資の方ではなく、軍事拠点としてですが」


 考えられる二つの案のうち、一つは潰された。

 エイジの説明を待つと、頷いて画面の操作を始めた。


「現在、帝国は南方戦略で大きく頓挫しています。グロウィリア公国は鉄壁ですからね」


 と、大陸南方の広い範囲が緑色に染まる。


「大陸統一の鍵は王機兵にあり。その言葉を実証し続けているのが、グロウィリア公国の王機兵です」

『その位置に居るのはベルフォースだね。その真っすぐな海岸線二つを作ったのも彼女だろ? 少なくともボクが眠りにつく前にはなかった地形だ』

「その通りです、アル殿。グロウィリア公国は統一王朝の統治時代から今なお続く、大陸最古の国家です。統一王朝の分離崩壊以後も国土に一切の敵を入れていない理由が、王機兵一機の力によるものです。信じたくもなるでしょう」


 東西に延びる、真っすぐな海岸線。聞けば現在そこは巨大な断崖になっており、機兵であろうがそこを越える事は不可能に近いそうだ。

 だが、唯一残されている一本の道は、巨大な防壁の上に座す王機兵によって護り続けられているのだとか。


『撃王機ベルフォース。狙った獲物は逃さない、射撃性能に特化した王機兵だね。国土防衛の為に戦況を限定したのか』


 アルの言葉で、流狼も漸く事情が呑み込めた。

 海岸線に軍事施設を必要とする理由。


「その状況を突破してグロウィリア公国に攻め入れないから、海路から攻め入ろうと考えていると?」

「でしょうね。帝国は海を持たない内陸国。海を使ってグロウィリアに攻め入るならば、近くの国を併呑して軍港を作るほかない」

『ベルフォースを避けて有効射程の外から入国するのは正しい判断かもね』

「当然ながら公国は隣国と良好な関係です。頑強に抵抗していますが、まさか北方から大陸を半周して公国に辿り着く訳にもいきませんし」


 東は現在も戦闘中で、北部から北東部は遠すぎる。

 進入路を得るためだけに戦争に巻き込まれたトラヴィート王国の不運たるや。


「そういう訳で、こちらもトラヴィート王国には機兵を格安で譲るなどしていたのですが。その為にルウ殿達を呼び出す事になってしまいました。心よりお詫び申し上げます」

「帝国は王機兵の乗り手を呼び出そうとしたのですね」

「あるいは、誰にでも動かせるように出来る人材を求めて」


 帝国の意図が分かった所で、地図が消去された。

 これから帝国との外交が行われる訳だ。流狼もまた当事者の一人として同席を求められているからここに呼ばれたのだろう。

 大陸の地理は、大陸の歴史と並んで興味のある内容だったが、どうせいつでも学べる。

 エイジがまた別の作業を始める。


「さて、ルウ殿。これから帝国と通信を行う。良ければ見て行ってくれたまえ」


 ディナスがそう言うと、先程とは違う形で水晶球から映像が投影された。

人の上半身である。


『こちらはレオス帝国帝都通信局。貴官の姓名と接続先を述べよ』

「エネスレイク王国所属、ディナス・レン・エネスレイクだ。アルズベック殿下にお繋ぎ願う」

『はっ? ……はっ! 失礼致しました! 今すぐに!』


 思った以上の大物が通常回線で帝都に通信を行ったのだ。通信士は目を白黒させて席を立ったようだ。

 あたふたする向こうの様子に、ディナスは口許にだけ笑みを浮かべた。


「浮かれて油断していたようだな。うちの愛娘を害そうとした事を後悔させてやるとしよう」


 その様はやはり国をひとつ背負う王者の風格と怒りを感じさせるものだった。

 流狼はこの後、散々にやり込められた上にひとつの言質も取れなかったアルズベックの姿に、フィリアやオルギオと共にだいぶ溜飲を下げたのだった。

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