第三話:身を寄せる国は

 出てみて分かった事だが、彼らが飛び出した建造物はひどく深い山中にあった。

 流狼はこの先の長い長い下山の道行きを考えて内心げんなりしながらも、まずはオルギオの指示に従ってアルカシードを進める。

 エナとティモンはそれぞれの機兵で追走してくる。文字通り走っているアルカシードとは違い、二人の機兵は両足を地につき、滑るように追ってくる。術の効果だろうか。


「それにしても、凄い山脈だな」

『リバシオン山系。リリアガ山脈とカシオン山脈の二つの大山脈によって構成される大陸随一の山脈だな。同時に我が国にとっては天然の要害として国土防衛の要になっているよ』


 視界を巡らせば、高い山々が遥か遠くまで続いている。ここも相当高い山である筈だが、高い山々に挟まれるようにしていると何とも盆地にいるような気分になる。


『片方の山脈は王機兵の一体が作り出したと言われているんだ。エネスレイクは王機兵の恩恵を受けて発展した国だとも言えるな』

「凄い伝説だなあ。本当なのか、アル?」

『本当だよ、マスター。まあ、相当に長い時間が経っているから、ボク達のやった事は実際より誇張されたりいつの間にか捏造されていたりするかもしれないけど、これは本当』

「機兵が山脈を作るとか、ピンとこないんだが」


 流狼にしてみれば、たった一体の機兵が山脈を作り出したと言われても荒唐無稽に思えてならない。

 とは言えオルギオもフィリアも心底信じているようである。魔術という未知の技術があるのだから、頭ごなしに否定する事も出来ないか等と考える。


『ボク達は人間の戦争の為に作られた機兵じゃあないからね。その辺りの話は落ち着いたら話そうと思っているよ』

『ろ、ロウ! それには私も参加させてほしいのだが!』


 今度はフィリアが食いついた。


『王機兵が作られた頃の歴史は戦禍や天災などで多くが失われているのだ。当の王機兵の精霊様から聞ける機会など、そうはない!』

「ふむ、俺は構わないけど。アル?」

『構わないよ。むしろ今の時代の連中には全員に聞いておいて欲しいくらいさ』

「お前、フィリアさん達には辛辣だよな」


 例外はエナ達か。

 どうやらアルには明確な線引きがあると見た。それを詳しく聞くのも、ここではない方が良いのだろう。

 まずは王都に急がなくてはならないのだから。


「で、ここからいくつ山を越えればいいんだ?」

『ひとつだ。その先に今は使われていない砦がある。密かに転移陣だけは用意されているから、そこに行けばわざわざ山道を行く必要はないな』

「こんな所に、砦があるのか」


 周囲には山しかない。険峻けんしゅんの度が過ぎて住むにも難儀しそうな山々に、人里らしきものは見えない。

 このような所に砦を建てる事の意味が流狼には理解出来なかった。


『近くに遺跡が発見されたお陰で別の用途が見つかったがね、元々は転移陣の中継地点として作られた砦なのさ』

「中継地点?」

『例えば前線の砦が奪取されたとして、砦の転移陣を使われた時に王都に直通では護りようがないだろう? どの砦も三つから四つの僻地の砦を経由する事で王都の安全を担保しているのさ』

『また、僻地の砦に敵を集めて、包囲して叩くのが常道とされていた時代もあったのです。あまりに利用されすぎて、今の戦争では砦の転移陣は破壊してしまうようになりましたけど』


 話を繋いだのはエナだ。


「壊す?」

『ええ。転移陣を通った向こうは敵が待ち構えていて、放置していたら向こうから際限なく敵が出てくるとしたら』

「ああ、成程」

『そう言えばエナが転移陣を破壊したのだったな』

『ええ。その所為でこのような苦労をさせてしまって申し訳ありません』

『それは構わん。私が同じ立場でもそうしただろう。むしろ直接叩き潰されなかった事に感謝したいくらいだよ』


 フィリアの軽口に、視界に映るエナが微笑を浮かべる。

 何ともおおらかな発言だが、現状寄る辺がないというのは流狼もエナ達も一緒だ。

 捕虜の三人を処断するにしても帝国に返還するにしても、二人が帝国に無事に戻る術は残されていないだろう。彼女たちの選択を無碍にしてはいけない。

 ふと気になって、追走する二機の後ろに視線をやる。


「っと、追手はついていないか」

『機兵を呼び出せる程の乗り手はそう多くないよ、旦那。それこそ歴代で機兵を運用できるような貴族様辺りでもないと』

「そういうものなのか? という事は、ティモンさんも貴族なんだ」

『いや、俺自身は貴族様なんて堅苦しいもんじゃないさ。代々機兵を持っていた事は確かだがね』

「……まあ、色々あるよな」


 ティモンがへらへらと否定する様子に感じ取るものがあって、流狼は追及をやめた。

 誰もが先程の一件について触れないでくれている。思い出さないように気を遣ってくれているのだろう。ならば自分も必要以上に踏み込みはすまい。


『マスター、この林の向こうに転移陣の反応があるよ』

「そうか。間違いないかな」

『ああ。前線砦との転移陣は破棄されているがね。ニール砦に繋がる転移陣が生きている筈だ』


 林に踏み入ると、多くの生き物の気配が慌てたように遠ざかって行くのが感じ取れた。

 瞳を閉じてみると、いつの間にか後ろを走る機兵の気配まで受け取れるようになっているのに気付く。


「アル、アルカシードは気配まで感じ取れるのか?」

『機体の感覚制御にマスターの体が慣れてきたんだね。一定以上の感覚は自動遮断されるけど、触覚や痛覚なんかも同調するようになるよ』

「一定以上の感覚?」

『万が一頭が吹き飛ばされた時とかね。完全に同調してたらマスターがショック死しちゃうよ』

「成程」


 そう言えば自分はアルカシードのどの部分に搭乗しているのだろうか。

 この世界はおろか、乗っている機体の事すらまったく分かっていないのだ。

 流狼はアルカシードを扱えた自分の幸運と、ここから先、自分が立ち向かっていかなくてはいけない新しい世界への不安に何となしに空を見上げた。

 こちらの世界も、不思議な事に空は青かった。





 エネスレイク王国南方、ニール砦。

 南北に長い領土を持つエネスレイク王国において、南側の防衛を司る砦の中心と言えばここが挙げられる。最初から砦として建造された為に街の機能はないが、いくつかの街との転移陣を保有している為、王国南部の防衛の要と目されている。

 建国当初から王城で厳重に保管されていた『王機兵の遺跡』への転移陣が突然機能を停止した事から王都では緊急会議が招集されていた。

 同時に遺跡に最も近い転移陣があるニール砦では、早急な機兵の招集が行われていた。

 ニール砦を取り仕切る将軍であるランカース・エブディは、王都との通信でようやく事態を飲み込めていた。


「オルギオ様が同行しているのです、姫様の御命は無事だと確信しておりますが」

『うむ。王都とてオルギオ様の忠義は信じている。しかし、遺跡と繋がる転移陣が停止したという事は、遺跡で帝国の者どもと何らかのアクシデントが起きたのは間違いないだろう』

「ですな。戻ってきた者はいないのですか?」

『いや、騎士達は皆無事だ。招かれた者達の一人の処遇を巡って、姫様と帝国のアルズベック皇子が対立したそうだ。我が国に身を寄せる事に決めてくれた数人を連れて先行して戻って来たのだが』

「姫様とオルギオ様が戻られる前に陣が機能停止したと」


 フィリア王女の無鉄砲はエネスレイク王国の軍人であれば周知の事実である。

 王の四人目の娘である為に王位継承権はないに等しいからか、貴人として特別扱いされる事を嫌う。

 しかし誰よりも前に出て任務を果たそうとするその姿勢こそが、周囲が気を揉み、特別扱いをしなくてはならなくなる最たる理由である事にだけは気付いていないというのが、フィリア・アイラ・エネスレイクなのだ。

 だが、だからこそ彼女は。軍や市井からの信頼は篤く、愛されている。

 この時、王を除く誰一人として、フィリア王女を見捨てる選択を考えた者はいなかった。

 そこに、彼女生来の美貌を理由とした者が一人もなかった事こそが、彼女の人望とこの国の温かさを示していたのかもしれない。


『隊長! 捜索部隊、準備完了しました!』

「遅い! 姫様が帝国に連れ去られるかもしれない瀬戸際だという自覚はあるのかっ!」

『申し訳ありません!』

「姫様に不埒を働く帝国との戦になるかもしれんぞ、貴様ら、覚悟は出来ているか!」

『できています!』


 機兵に乗り込んだ騎士が十五名、歩兵が四十名。

 これはあくまで第一陣である。既に事態が進行していた場合――具体的には王女が拉致、あるいは害されているといった――には魔力の痕跡などを分析し、最悪の場合第二陣以降は帝国近くの砦に移動、宣戦布告まで行う事になるだろう。


「よし、ではニール騎士隊、出発――」

『待ってください! 転移陣に転移反応!』

「総員、構えっ!」


 転移陣を起動させようと隊長が指示を出そうとした直後、転移陣が稼働をはじめる。

 向こうから何かが出現しようとしている。

 身構える一同の前に、迸る光。その向こうから、現れる巨大な存在感。


『おおう、大層な歓迎だ』


 大柄な機兵である。砦に常備されているどの機兵よりも頭一つ以上は大きい。武器は背に負っている巨大な鎚だろうか。

 腕が太く、長いのだが、バランスが悪いようには見えない。帝国の機兵のラインナップを頭の中で並べてみるが、目の前の巨体には記憶がない。


「帝国の新型かっ!?」

『ああ、違う違う。あいつらと一緒にするのは勘弁してくれ』

「帝国ではない? ではトラヴィートか教会辺りか?」

『ランカース! ランカース・エブディ将軍!』

「ひ、姫様!」

『心配をかけたようだな!』


 機兵から放たれる声に、彼らが無事を願っていた人物のものが交じる。

 と、機兵が跪き、右掌を床に差し出す。


『フィリアさん、オっさん。取り敢えず事情の説明を頼むよ』


 転移陣とよく似た光が放たれ、納まった時には掌の上にフィリアとオルギオの姿があった。

 ゆっくりと降りてくる二人に、慌てて駆け寄る。


「姫様、これは一体!?」

「ランカースよ、喜べ! こちらは王機兵だ!」

「お……」


 絶句して、見上げる。

 言われてみれば、既存の機兵とはまったく異なるデザインと言い、まるで生きているかのような自然で滑らかな動きと言い、彼らの常識を明らかに逸脱している。

 後者は熟達の乗り手であれば職人芸のように再現する事は出来るだろう。だが、それも長期にわたって同じ機体に乗り続ける必要がある。

 先程思い浮かべた帝国の『新型』であればそのような時間はなかっただろうし、何より王女は無事に降りてきたのだ。


「これが、王機兵だと」

「疑うのも無理はないが、疑うのは不敬であるぞランカース。古の王機兵が自ら起動して乗り手を救い、その乗り手は我が国に身を寄せてくれる事となった」

「オルギオ様。分かりました、信じましょう」

「うむ」

「それでは改めまして。姫様、オルギオ様。無事のご帰還を心よりお慶び申し上げます」

「ありがとう、ランカース。さて、それではだな――」


 ぐっと疑念と懸念を飲み込んで、オルギオとフィリアに頷き返すランカース。

 オルギオは王機兵に向き直ると、親しげな様子で声をかけた。


「ルウ! 客人と捕虜をこちらに!」

『了解、オっさん』

「お、おっさん!?」

「怒るな。俺もそろそろおっさんと呼ばれて良い年齢だよ」

「は、はあ。それで、客人と捕虜というのは?」

「うむ。乗り手殿を拿捕、殺害しようとしたついでに姫様をも手にかけようとした帝国の痴れ者を捕虜として三名。義憤にてこちらに投降し、三名の捕縛に協力してくれた元帝国騎士が客人として二名」


 姫様を手にかけようとした、のくだりで額に青筋が浮かぶのを自覚する。

 どうやら背後の騎士達も同じだったようで、ざわりと殺気が膨れ上がるのを感じた。


「どちらも帝国の者ですか。二名は本当に客人と扱って良いので?」

「無論だ。二名を私の客人として遇する事を、フィリア・アイラ・エネスレイクの名において命じる。また、王機兵の乗り手であらせられる、ル、ルロ」

「ルルロ?」

「言いにくいのだ。ンンッ! る……ルウ・ロウ・トゥバカリィ殿だ!」

『ちょっ!?』


 王機兵の方から焦ったような声が聞こえてくる。

 フィリアがそちらに目線を送り、首を傾げる。


「どうしたロウ? 何か間違えたか」

『ルロウ・トバカリ! せめて名字くらいはちゃんと発音してくれないかな!?』

「了解した、トヴァカルィだな?」

『ト・バ・カ・リ!』

「トゥバーカリ?」

『……いいよもう何でも』

「ふむ、気を悪くしてしまったのであれば済まない。だが我々には本当に発音しにくいのだ、分かってくれ」


 器用に機体まで肩を落として、中のトゥバカリィという青年は諦めたようだった。

 だが頼まれた事は忘れていなかったようで、今度は左手も地面につける。

 再び光が放たれ、右掌の上には男女の二人組が、左掌の上には粗雑な作りの檻が出現した。

 檻の中には寝袋のようなものに頭以外を包まれ、どうにか抜け出そうと暴れる塊が三つ。

 二人組の方は帝国の士官が着る制服を身に着けているから、オルギオの説明は正しいようだ。

 ともあれ王女とオルギオの恩人である。ランカースがどう接しようか迷っていると、


『それで、将軍さん。確認したいんだけれど』

「お? おお、何でしょうか」

『この機体はどこに置けばいいのかな』

「い、今すぐ!」







 流狼が指定された場所にアルカシードを立たせて機体から降りると、周囲からは驚いたようなざわめきが聞こえてきた。

 アルカシードのように機体と地上とを短距離転移で行き来する方法は、どうやら一般的ではないようだ。

 エナとティモンも、自分の機体から降りる時には紐を垂らしてそれを伝って地面に降りていた。

 二人の機体は、転移陣に乗る前にアルが分解してアルカシードの一部になってしまっている。エネスレイク王国の砦に、馬鹿正直に帝国の機兵で乗り込んだらどういう羽目になるかなど考えなくても分かる事だったからだ。

 わずかにごねた二人だったが、各々の武器はアルカシードで責任を持って運ぶから、とアルが告げたら簡単に撤回した。

 結果、エナとティモンはゲストルームに収容され、捕虜の三人はアルカシードが機兵の余りを加工して作った檻に入れられた形でゲストルームではない場所どこかに収容されたのだった。


「貴殿が姫様を救ってくれたそうだな。王機兵の乗り手殿」

「最初にこちらを護ってくれたのはフィリアさんですよ」


 オルギオより一回り小さい男――だが、周囲を威圧する程度には偉丈夫だ――が代表して声をかけてきた。

 ランカース・エブディだと名乗りながら握手を求めてきたので右手を差し伸べれば、ぐっと力強く握られる。


「成程、性根は真っすぐなようだ。ルウ殿、今後とも我が国をよろしく頼む」

「できれば波風を立てず穏やかに過ごしたいのですが」

「そうだな。我々も貴殿の力を借りずに済むのならばそれに越したことはない」


 流狼もランカースも、状況がそれを許さないだろう事は重々理解していた。

 それでも言葉では争いを否む言葉を重ねる。機兵だろうと王機兵だろうと人の身には過ぎた力であることには変わりないからだ。

 強い力を持つ者は、謙虚な心を忘れてはいけない。少なくともこの点において、流狼とランカースの心得は元より共通していた。

 ランカースによって先程まで出陣の準備をしていた兵士や騎士達に紹介されると、彼らも口々に感謝の言葉をかけてきてくれた。


「ここは居心地が良さそうだ。ありがたいな」


 誰も彼も気のいい連中だ。

 流狼は少なからずささくれ立っていた心が、少しばかり落ち着くのを自覚していた。

 召喚されてから今に至るまで、良くも悪くも色々あり過ぎた。

 今の時点でもまだ悪い方に針が振れている状態だと思うが、少なくとも落ち着いて今までのこと、これからのことに意識を割けるのは大きい。決着をつけなくてはならないだろう想いもある。


「陽与ちゃん……」


 感謝と歓迎を示してくる彼らに笑顔を向けながら、わずかに落ち着いたその間隙をついて、心の中には陽与の顔が浮かんできた。

 分かってはいるのだ。いつまでもずるずると引きずっていても、自分にとって良い事は一つもないと。

 助けるとか助けないと言った問題でもない。この世界では頼るべき相手が一人もいない――この場合、アルカシードとアルを頼るのとは意味が違ってくる――流狼達にとって、必要なのは生活の基盤となる社会だ。

 陽与が帝国に連れ去られたと見る事は確かに出来る。あの時の彼女は正常ではなかった。

 しかし、これから先彼女が迎えられる場所では、皇太子妃という確固たる立場を得る事が出来る。

 それは、これからこの世界で流狼と共に歩んだとしても容易には得られないだろう安心と安全がある立場だった。

 目の前で奪われた屈辱と怒り、寂しさが流狼の心に去来するが、彼女の幸せを願うのが自分の想いであるならば、割り切るべき感情であるのだ。

 だが、自分の心にそうやって決着をつけるには流狼はまだ若く、そして陽与への想いもまた軽いものではなかった。


「向き合えないよな、今は」


 人知れず一つ嘆息すると、流狼は考えを切り替え、宴会に突入しつつある彼らの輪の中に入って行った。

 自分の存在を歓迎してくれる彼らに、作り笑顔を向けるのは失礼だと思ったからだった。


「ちょっと! 俺はまだ未成年だから飲めな……いくらなんでも手際が良過ぎるんじゃないかっ!?」







 大陸南方には、帝国よりも広い領土を持つ単一国家が存在する。

 グロウィリア公国。古の大陸統一国家の流れを汲む大陸最古の国家である。母体であった統一国家が分裂・崩壊した後も国としての形を保持し、統一国家の正当なる後継者を名乗っている。

 現在は大陸に覇を唱えんとする帝国と互角以上の戦線を維持し、開戦から今まで国領には一切の敵兵を侵入させていない。

 大都グロウィリア。国号と同じ名を冠する首都は、国土から見て最前線となる位置にその姿を見る事が出来る。

 首都の東西には大きな断崖が広がる。海まで続くその巨大な崖は、統一国家の衰亡の頃に造られたという。

 その崖を造り上げた張本人は、大都北方の防壁に無造作に座って、今も一本しかない道を攻め寄せる帝国の機兵を睥睨していた。


『へえ、こいつは珍しい奴が目覚めたものだね』

「姉様、どうかされましたか?」


 撃王機ベルフォース。王機兵の一機であり、製造当初から現在まで稼働し続ける唯一無二の王機兵である。

 公国の盾とも、公国の弓とも称され、大陸史における王機兵の伝説が偽りではない証明ともされている。

 現在の乗り手は公国公女であるミリスベリア・グロウィリア。

 彼女を導くのは、姉と呼ばれる機体の人工知能『ルビィ』だ。


『エネスレイク。王機兵が目覚めたよ。アルカシードだ』

「エネスレイクはこの戦争には中立の立場。これを機に帝国に敵対してくれればいいのですけれど」

『王機兵を一機ばかり手に入れたからと、すぐに周辺に牙を剥くような国に先はないと思うがねえ』

「帝国のように、ですね?」


 言いながら、彼女は引鉄を引いた。

 構える銃口から無数の光線が放たれ、攻め寄せる数多の機兵を貫いていく。

 両手両足を焼き切られ、倒れ伏す機兵達。程なく破壊された機兵から乗り手がわらわらと脱出し、北への道を這う這うの体で駆けて行く。

 それを追い立てるかのように、防壁の前で待機していた公国の機兵達が走り出す。

 だが彼らは帝国に反撃を行うのではない。その背中には二体に一体の割合で籠が背負われている。

 これから行われるのは、戦利品の回収だった。

 倒れ伏した機兵の胴体から、頭部を毟り取る。

 何体かの機兵の中に、兵士が潜んでいる恐れがある為だ。ちょうど胴体の中に隠れていた者を摘み上げた機兵が、北に向かって優しく投げ捨てた。投げ捨てられた彼らも遅れて北へと走っていく。

 誰も追わない。

 そうやって全ての機兵の中を確認すると、彼らは残骸となった機兵を余すことなく籠に積み込み、防壁の方へと戻ってくる。


『ようし、よし。今回も大漁だねえ』

「そろそろ海路を使って攻めようとは思わないのでしょうか」

『帝国は大陸の北側で勃興した内陸国だからね。私の知る限りでは海路を使って攻め寄せるだけの大規模な港や船団は持っていないはずだ』

「まあ、持っていても一緒。ですけれど」


 回収された機兵は解体され、機兵の修理用の部品に流用されるか、再度建造されて国内の防備に費やされることになる。

 最小限の労力で最大限の成果を。

 グロウィリア公国はこの戦法で、有史以来無敗を誇っている。

 都が最前線にあるのもこの為だ。海岸線を護る戦力よりも、たった一体の王機兵が護る空間こそが鉄壁であるのだ。


「それで、姉様。アルカシードというのはどういう王機兵なのです?」

『ああ、敵対してはいけないよベリア。アルカシードは鬼札だ。どう逆立ちしたって敵わないからね』

「ね、姉様でも敵わないのですか?」

『勘違いしては駄目。私を含む他の王機兵が束になって挑んでも、アルカシードには敵わない。あいつはそういう風に造られているのだから』

「では、エネスレイクが我らの風上に立つ日が来る、という事でしょうか」


 歴史ある国を差配する公国の姫としては、他国の風下に立つという事はいわば敗北を意味する。

 剣呑な声を上げる『妹』の言葉を、ルビィは苦笑交じりに否定した。


『そうはならないだろうね。気になるなら、一度乗り手に会ってみるなり話してみるなりするといいよ』

「機会があればそうしますわ」


 何となく納得出来ないミリスベリアであるが、ルビィに対して否定の言葉を上げる事はなかった。

 公国に『姉』の言葉を信じない者はなく、『姉』はいつだって公国の為に尽くしてくれている。

 彼女の脳裏には、鮮烈な敵意と共にアルカシードの名が刻みつけられたのであった。






 大陸東部に乱立する小国が、にわかに団結の気運を見せたのは二年前の事だった。

 理由はもちろん、東進を始めた帝国への対抗なのだが、その地域の歴史を知る者たちは、彼らの団結は決してありえないだろうと分析していた。

 何しろ独立以後、複雑怪奇な関係性を培ってきた国々だ。滅んだり再興したり裏切ったり裏切られたりの繰り返しの中で、帝国勃興以前は大陸で最も争いの盛んな土地と呼ばれていた事もある。

 しかし、帝国との戦端を開く前に彼らは奇跡の団結を果たす事となった。


 リーングリーン・ザイン四領同盟。


 成し遂げたのは一人の英傑だった。いや、後の史家はこれを同盟とは名ばかりの統一と言うだろう。

 後ろ盾も国家もなく、立ち上がった一人の男によって。あらゆる困難に立ち向かい、多くの小国を一つひとつ丁寧に、それでいて速やかに降し、結果として単一の『国家連合』に作り替えた。

 男の名はルース。ファミリーネームを持たない、ただのルースである。

 既に多くの者から王と見なされているが、現時点では四領同盟成立の立役者であるという姿勢を崩していなかった。


『ルース。ようやく準備が整ったな』

「ああ。大陸制覇の夢への第一歩だ」


 四領同盟で最も高いと評判の城壁、その最も高い場所に彼は居た。

 四本足の異形の機兵の背中に寝そべり、沈む夕日を眺めながら酒を浴びている。

 筋肉質の男である。豪快が独り歩きを始めたような風貌で、たとえ機兵を降りても戦力が落ちないような錯覚を覚えさせる。その一方で、人好きのするその微笑みは人を惹きつけずにはおれない。


『ならばいい加減家名を決めろ。ただのルースが大陸に覇を唱えるならば、このタイミングで家名を決めなくては示しがつかんだろう』

「ならフニル。お前が決めてくれ」


 小言を漏らしているのは、親代わりとなってくれた機兵の人工知能だった。

 獣王機フニルグニル。

 地に足がつく限り最速の王機兵であると自称し、事実大地を縦横に駆け回るその姿は、彼を相手にした多くの軍人や乗り手をして視界に収める事すら不可能と言わしめた程だった。

 最初こそほぼ単独でルースが国家を降し得たのも、この機体による強引な電撃戦が成功した為である。


『まったく、横着な奴だ。そうだな。ならば、これからはルース・ノーエネミーとでも名乗るのだな』

「ノーエネミー?」

『異界の言葉で敵無し、という意味だそうだ。本当かは知らんぞ? 昔の乗り手が勝手にそう言い張っていただけだからな』


 四領同盟の成立から二月。今は政治体系の均一化や正常化を目指して、多くの官僚が昼も夜もなく駆けずり回っている。

 ルースも無論例外ではないのだが、彼は夕刻になると執務をぱたりとやめて、 日々夕日に杯を掲げて酒を呑むのが日課になっていた。


「そいつはいいな! よし、今日から俺は『敵無し』のルースだ!」

『だがな、ルース。我にも勝てぬ相手は居るぞ。お前が真の『敵無し』になるにはそういった相手にどう対応するかにもかかっているのだ。忘れるな』

「勝てない相手だって? おいおい、フニルグニルは地上を駆ける限り最速最強だって、いつも言っていたじゃないか」


 初めて耳にする、相棒であり親代わりでもある者の弱気な言葉。

 杯を取り落としそうになりながらも、ルースは獣毛を模した機兵の背中をまじまじと見た。


『アルカシードが目覚めた』

「アルカ……?」

『拳王機アルカシード。我ら王機兵の希望よ』

「フニル達の希望?」

『ああ。我は出来ればお前には戦ってほしくないな』

「戦っても勝てないからか?」

『それもある』


 素直に肯定するフニルに、ルースは何となくもやもやとしたものを感じながらも、親である彼の希望を叶える事を決めていた。

 今まで自分の散々な我侭に嫌とも言わず協力してくれた相棒の、初めての願いだったのだから。


「分かったよ、フニル。俺はアルカシードとその乗り手には敵対しない」

『そうか』

「で、その乗り手は男かな、女かな」

『男のはずだ。だったらどうするんだ?』

「ウィナを嫁がせる」

『あの猛々しい妹をか』

「そうすれば俺の義弟だ。あっという間に味方だろう?」

『ほほう、考えてはいるのだな。万が一女だったらどうするんだ?』

「そりゃお前、俺の女に――」

『懲りないな、お前』


 心底呆れ返ったフニルの言葉に、ルースもまた次ぐ言葉がなかった。

 何しろ行く先々で佳い女に声をかけ続けた彼は、その中でも本気にしてしまった女性七人から『誰を一番にするのか』と詰め寄られているのだから。


『では敵無しのルースよ。その前にいい加減正妻を決めろ。流石にアルカシードの乗り手が女だったとしてもいきなり正妻にするつもりはないのだろう?』

「……明日じゃ駄目かな?」

『昨日もそう言っていたな』

「ぐぬぬぬ。あいつら揃いも揃って、選ばれなかったら自害するとか言ってるんだぜ」

『そうやって自分に振り向かせようとしているんだ、健気じゃあないか』

「どうしたらいいと思う?」

『さあな、そこまでは我が判断する事ではなかろう』


 実際のところ、彼がこの場所に来る理由の全てがそれなのだ。

 フニルもここの景色は嫌いではなかったが、いい加減問題を先延ばしにするのも限界だろう。


『まあ、しっかり自分の心と相談して、今日のうちに決めておけ。さもないとそろそろ誰かから刺されるぞ』

「でもよう、決めたら決めたで争いごとにならないか?」

『一理あるが』


 リーングリーン・ザイン四領同盟がリーングリーン・ザイン四領連合と名を変え、そしてルース連合王国と呼ばれるようになるまでにはまだ時間を要する。

 英雄ルース・ノーエネミーが苦し紛れに『正妻決定トーナメント』なる奇妙な催し物を開催すると発表したのは、この翌日だった。

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