第二話:やつれた機体の
地面から柱とも見紛うような拳が突き出ている。
側近たちの機兵とは一線を画した大きさだ。見えているのは拳から肘までだけだが、だからこそ大きさが際立つ。
機兵の手は流狼を握り潰せる程の大きさがある。それが子供の手に見えてしまう程に、突き出た握り拳はただただ大きかった。
「やはり王機兵、なのか?」
背後でフィリアが声を上げた。怯えは感じられず、ただ驚きだけが深く感じられる。
と、拳がするりと地中に消えた。引っ込めたらしい。
「おや」
「なあ、ロウ」
「ん?」
「下から、どうやって出てくるのだろうか」
「そりゃ、今みたいに床を突き破って……」
フィリアの問いに何となく答えて、その言いたい事に気付く。
腕だけでこれだけ大きいのだ。出てくる時にはどれ程の衝撃が来ることか。
三人――いや、帝国の機兵たちも穴からは近過ぎた。このまま出て来られたら、確実に巻き込まれる。
巻き込まれてしまえばどうなるかは、考えるまでもなかった。
『さ、下がれ!』
同じ考えに至ったのか、側近が声を上げる。慌てて従う機兵達。だが、気の利く者が居たようで、一体が後退する前に手持ちの鎚を丁寧に転移陣に叩きつけた。
「拙いですな、姫様。転移陣が」
「目端の利く者はどこにでも居るようだ。あの者が指揮官でなくて良かったよ」
皮肉の利いたフィリアの言葉にも切れがない。そちらを目指そうとした一同の足が止まる。
機兵は散開したが、こちらを遠巻きに包囲している事に違いはない。
ひとまず転移陣の所まで駆け寄ってはみたものの、フィリアは首を横に振った。
「駄目だな、これ以上ないほど粉砕されている。これでは転移出来ん」
「その転移陣というのはどこに繋がっているんだ?」
「王都だ。ここからはだいぶ距離があるし、表にはまだ帝国の者どもがいるはず」
つまり、敵陣から手軽に逃れる方法がなくなったという事だ。
流狼たちが王機兵を放置して転移陣に逃げ込めば確保も殺害も不可能になる。事情も分からず動き出した王機兵を彼らに制御出来るはずもない。どちらも逃してしまうだけという最悪の結果になるだろう。
「こちらに振り下ろさない辺り、冷静だよあの機兵は」
流狼はともかく、フィリアとオルギオの殺害指示はまだ明確に出ていない。
その状況で最も短絡的な解決手段に出なかった辺り、三人はその機兵に乗っている者が側近よりもきわめて厄介な人物だと判断した。
それはそうと。
「揺れないし、出ても来ないな」
拳が引っ込んだ後、震動も破壊音もこない。
何事かと思った所で、空間が煌めいた。
『マスター、ボクはそんな野蛮な事はしないよ』
響いてきたのは、そんなアルカシード――いや、人工知能はアルと名乗っていたか――の声だった。
『た、短距離転移だと? 乗り手もいないのにそんな高等魔術が使えるなんて!?』
側近が慌てたような声を上げる。
光が収まり、そこには特異な姿形の機兵が一体立っていた。
『見たところ技術は維持どころか劣化しているようだね。さてマスター、まずはあいさつ』
優雅に流狼に向けて一礼する機兵。
人型の機兵である。
確かに他と比べれば大柄だが、体高は倍もない。特異なのは肩から腕にかけてだ。
肩のパーツが大きく、そして腕が太い。肘から拳までは、機兵が大きな手甲をわざわざ身に着けたような形状をしている。
まるで、その手で相手を殴り倒す事だけを考えて建造されたような。
『拳王機アルカシード、マスターの危機を救う為、只今参上』
「拳、王機」
「まさしく王機兵の一体か!」
目を輝かせるフィリアとオルギオ。この世界の人間にとって、やはり王機兵というのは特別な意味を持つ存在のようだ。
それにしても、と流狼は思う。
側近はおろか、帝国の機兵達も慄いてしまって動きがないが、流狼の目にはアルカシードの姿は妙に不格好に見えた。
「なあ、アル」
『何かな?』
「その立派な両腕に比べて、妙に体が貧相に見えるのは俺だけなんだろうか」
「な、なにを言うんだロウ!」
「そうだぞルウ、王機兵と言えば古代史に語られる素晴らしき十二体のうちの一つ、その華奢に見える体躯にも必ず何らかの意味がだな――」
『流石はマスター、よく分かったね。外部装甲が劣化しちゃって、腕以外はほぼ素体なんだ』
「んなっ」
熱く語っていたオルギオが固まる。
どうやら彼は王機兵に並々ならぬ崇敬を持っているようだったが、年月の流れは残酷であるようだ。
『もう少し時間があれば外部装甲もある程度再構成出来たんだけど、馬鹿がマスターの命を狙うからねえ。来ちゃった☆』
「はいはい、ありがとさん」
どうやらアルという人工知能は理屈っぽく、それでいて性格はずいぶんと軽いようだ。
流狼はさほどの感動を抱くこともできず、取り敢えず軽く礼を返す。
「飛猷流狼だ。流狼が名で飛猷が姓な。ひとまずこれからよろしく頼む」
『丁寧な挨拶痛み入るよ、マスター。ルロウ・トバカリ、と。登録完了』
「それで、アル。俺はどうすればいい?」
『そうだね、まずはオリエンテーリングと行こうか。その二人もゲストでいいのかな?』
「ああ。俺の身を案じてくれた二人だ。無事に帰したい」
『了解! ではマスター、まずは念じてくれたまえ。『アルカシードに搭乗したい』とね』
『ま、待て!』
呆けていたらしい側近が、慌てた声を上げた。
という事は、待っている場合ではない。流狼が強く念じると、再び脳裏に声が響いた。
――マスターの搭乗意志を確認。感応波パターンを検知、登録。アルカシード搭乗シークエンス実行。
ずっと響いている、アルとは明らかに違う機械的な声。
視界が揺らぎ、全身に浮遊感を覚える。一瞬だけ意識が遠くなった直後、流狼は全く別の場所に立っていた。
――初めましてマスター。当機へのご搭乗を歓迎申し上げます。当機『拳王機アルカシード』は以後マスターの文字通り手足となって働きます。
何これ。
流狼は自分の周囲を埋め尽くす機械の群れに、言葉を失った。
――これより当機はサポートプログラム『アル』によるオリエンテーリングの後、マスターの信念、マスターの意志、マスターの目的を最優先として活動します。これはマスターを除くあらゆる国家・権力・倫理に左右されません。あらかじめご了承下さい。
何とも一瞬でファンタジーを捨て去ったような内装。
機兵は鎧を着た巨人が動いているようでまだわずかにファンタジー感があったのだが、唐突にSFに飛び込んだような気分に陥る。
きょろきょろと見回すと、ちょうど後ろに椅子があった。座れという事だろうと腰を下ろせば、イメージにあった操縦桿の代わりに、銀色の筒のようなものが二つせり出してくる。
流狼の方に突き出された部分はつるつるとした質感で、ちょうど掌を当てるのに丁度よい位置にある。
――これが当機とマスターとを繋ぐ接続器です。この中に手を突っ込んでください。
「突っ込む!?」
見るからにメタリックな装いだ。殴って突き破れと言われた訳ではないので、恐る恐る手を当てて、少し押してみる。
「うおお!?」
まったく抵抗なく、腕がずぶずぶと沈み込んでいく。
まるで水銀の中に手を突っ込んでいる気分になり、何となく気分が悪くなる。
「……これ、有害じゃないよな?」
――無害です。
「見た目にも感触にも非常に不安を掻き立てられるんだけど」
――無害です。
「いや、でも」
――無害です。
有無を言わせぬ断言に、そうですかとしか呟けない流狼である。
取り敢えず両腕を肩近くまで差し込むと、筒と椅子が動いて楽な体制を取らせてくれた。
――これより接続を開始します。マスターの意識は分割され、サポートプログラム『アル』の協力の元、当機を自分の体と同様に駆使する事が出来ます。
『よろしくね、マスター』
――ではマスター、このくそったれた理不尽を強要した世界で、強く生き抜く為にも共に戦い抜きましょう。良い
アルの声が耳に届くと同時に、脳裏に響いてきた声も話を締めくくってきた。
成程、王機兵を創り上げた人物も余程召喚されたのが腹に据えかねていたらしい。最後のメッセージに強く同意を示してから、流狼は意識を切り替えた。
「アル、二人は?」
『マスターが乗ったのと同時に『ゲストルーム』に保護しているよ』
「よし。では」
『駆逐だね?』
「逃げるか」
『は?』
「ん?」
アルズベックの側近――モティブ・トリスベンはあからさまに狼狽していた。
当初の調査で確認した王機兵は今も台座に座って動く様子はない。機体の周囲を強度の強い粘土で保護しているのは判明していた。
「この下にもう一体保管されていたなど! 聞いていない、聞いていないぞ!」
悲鳴じみた声と共に、表と通信を繋ぐ。
モニターに表示された通信士の呑気な顔に、噛みつくように怒鳴りつける。
「トリスベンだ! 緊急事態!」
『どうされました、トリスベン卿』
表でこちらの報告を待っていたであろう通信士が、こちらの表情とヒステリックな声に困惑したような返答をしてきた。
「震動は観測された筈だ! 何故そんな呑気にしている!?」
『何故と言われましても。機兵が何らかの戦闘行動を行うだろうと皇子殿下から承っておりますが』
「そうだ、殿下だ! 貴公、不敬は重々承知しているが今すぐ殿下に通信を繋いでくれ! 緊急事態なのだ!」
『緊急事態? 一体何事です?』
「王機兵だ! 王機兵が動き出した!」
『何を仰っているのですかトリスベン卿。先程の計測では今回の被召喚者達の中に王機兵の乗り手はいないと確認が――』
「二体目だ! 我々が召喚を行った位置の下にもう一つ階層があったんだ!」
『下って。まさか、地下ですか!?』
「そもそもこことそちらの高度が一緒であればな!」
話しながらモティブは重大な事態に気付いてもいた。
この建造物には表からの入り口も窓もない。王国側の転移陣を一時的に借り受けて入り込んだ為、自分たちが建物の一階にいるものと疑っていなかったのだ。
そもそもこの建造物に地下があったのかとか、あるいはこの建物に幾つの階層があるのかなど、目の前に鎮座している王機兵に気を取られていた彼らは誰も調べてすらいなかった。
『王機兵は起動状態なのですね!? 一体どのような動きを見せているのでしょうか!』
「いいか、最悪の事態だ! 先程皇子殿下に楯突いたあの無礼な男が乗り手だ! すでに搭乗している!」
『な、何ですって?』
表がざわつくのが聞こえてくる。
通信士もここまで言ってようやく事態の重要さに気付いたようだった。遅いと歯噛みするが、彼に当たっている場合ではない。
『状況は承りました。皇子殿下は先程、被召喚者達を先導して帝都に長距離転移されています』
「殿下は既に帝都かっ!」
『転移陣を介していない長距離転移ですので、暫く長距離通信は行えません。ただでさえ秘匿性の高い内容です。暫くお時間をいただかなければ』
「分かっている! 通信を終わる、殿下からのご指示あらばすぐに連絡しろ!」
『了解!』
ぶつりと通信の途切れる音を耳にして、モティブは両手をモニターに叩きつけた。
事態は非常にまずい。アルズベックが危惧していた、稼働可能な王機兵が他国に渡ってしまう事になるのもそうだが、その乗り手に彼らが取った対応が何より不手際だった。
「どうする、詫びてどうにかなる状況か?」
呟きながら、無理だなと自嘲する。
恋人を奪い、命を狙い、尊厳を踏みにじった。
あれほどの事をすれば、自分とて帝国に臣従しようとは思わないだろう。
『隊長、殿下のご指示は?』
「すでに帝都にお戻りだそうだ。今すぐ答えが出る状況ではない」
『ならどうしますか? 破壊します? 胴体に一撃でも当たれば破壊出来そうですけれど』
「殿下のご不興を買いたいなら好きにしろ!」
何とも軽い部下の言葉に苛立つ。
王機兵の運用と研究をする上で、帝国で稼働が可能なものは一機しかない。
相手が乗っているのは自律行動すら可能な王機兵だ。装甲は劣化したというが、少なくとも帝都にあるどの王機兵よりも上等な稼働状態なのは理解出来ていた。
外交的には機体は王国のものだ。乗り手だけはアルズベックが所有権を主張しているが、王国が保護を申し出ている。どうにか引き離す事は出来ないだろうか。
「考えても無駄か」
どちらにしろ、まずは一言詫びを入れない事には話すら出来ないだろう。
その程度の認識くらいは、彼も持ち合わせていたのだった。
アルは何とも豪快な物言いであったが、流狼にしてみれば彼我の戦力差を考えていないように見えてならなかった。
『逃げるって、マスター。こんな機体が何百何千居たって、アルカシードの敵ではないよ?』
「お前な、俺はこういうの初心者なんだぞ? 本来はちゃんと訓練を積んでだな」
『マスターは心配性だなあ。大丈夫、アルカシードは本当にマスターの思う通りに動くよ。試しに両腕を振り回してみるといい』
「振り回すって言ってもどうやって、ってうおぅ!?」
突然視界が切り替わり、流狼は驚きの声を上げた。
『視覚同期開始。いいかいマスター、アルカシードはすでにマスターと接続されている。マスター自身がアルカシードの脳になっていると思えばいい。今見ているのはアルカシードの目から見える様子だ。どうだい?』
「どうって。なんかずいぶん相手が小さく見えるな」
『こちらはそれなりに大柄な機体だからね。さ、腕を回してごらんよ』
「回す、回す……おお、回った」
腕を振り回せと言われたからといって、相手に攻撃をするように見えるような行動は慎んだ方がいいだろう。
体操よろしく肩を回すよう意識すると、アルカシードはイメージの通りに肩を回してみせた。
「それにしても、あいつら何をしているんだ? さっきから何もしてこないけど」
肩を回した直後、機兵たちはあからさまに動揺したようなそぶりを見せている。
しかし、それ以上は攻撃もしてこなければ捕縛にかかるでもない。こちらの動きを待っているのか、別の事情か。
『ふむ、そういえばそうだね。よし、ここはゲストに聞いてみよう!』
だが、目覚めたてのアルと召喚されたばかりの流狼には彼らの都合など分かるはずもない。
アルが言うや、視界の右下と左下にフィリアとオルギオの顔がそれぞれ小さく映った。四角く縁取りされて、テレビのモニターに映る小窓のようだ。
「フィリアさん、オルギオさん、聞こえるかい?」
『お、おおロウ! こ、ここは一体何なんだ? オルギオは一体どこに』
『ルウ! も、もしかしてここは王機兵の中なのか!? 感激だな! そうそう、姫様が居ないんだが、もちろん保護してくれているんだよな?』
『ああ、マスター。一応男女なので別々のゲストルームを確保してあるんだ。今お互いの映像を繋ぐよ』
『オルギオ! お前も同じような場所に居るのか?』
『ええ、姫様も? 広くはありませんが、動くのに支障はないですな。ここは一体』
「アルカシードのゲストルームだそうだ。仕組みはよく分からないけど」
『ほほう、便利なのだな』
状況の確認が終わったところで、アルが二人に声をかけた。アルの声は二人に届いたり届かなかったり自在に設定を変えられるようだ。便利ではある。
ばばん、とどこかで聞いたような効果音が鳴る辺り、芸が細かい。
『さて、ゲストのお二人に質問です』
『その声はさっきから聞こえていたが。もしや王機兵に宿っているという伝説の精霊殿か?』
『うおお! 俺は今王機兵に語りかけられているのか! 末代までの誇りとして――』
『そういうのはいいから。取り敢えず答えてくれる?』
アルは、二人に対してはどことなく冷たい様子だ。二人とも確かに流狼たちをこの世界に引き込んだ張本人の一人である訳だから、本来流狼もこういう対応をして当然なのかもしれないが。
二人を憎み切る事が出来ずにいる辺り、流狼は自分が思う以上に甘い人間なのかもしれなかった。
『あいつらがこちらに手を出して来ない理由、何だろうか』
『ふむ。可能性は二つ。王機兵は古代、神兵を打ち倒した最強の機兵であると伝わっている。だから迂闊に近寄れないという点が一つ』
「もう一つは?」
『本来受けた指示はロウを連行するか殺すかであって、王機兵と戦う事ではないからな。どうしたら良いか分からないんじゃないか、という事さ』
『今の機兵乗りは随分と消極的なんだねえ』
アルの感想は身も蓋もないが、宮仕えというのは元来そういうものであるらしい。
オルギオが複雑そうな顔をしている。自分が同じ状況に置かれたら同じようになるとでも思っているのかもしれない。
ともあれ、このまま見合っていても仕方がない。
「アル。それで、本当に駆逐は可能なのか?」
『もちろんさ、マスター。ああ、それとね。外装の修復を済ませずに破棄しちゃったから、外装の再構築に素材があると助かる』
「素材? って、まさか」
『もちろん、あいつらから引っ
楽しそうに言うアルに、むしろお前がアグレッシブ過ぎるんだと頭を抱えたくなる流狼。
そしてアルカシードは、どうやらその思いに呼応して丁寧に頭を抱えてみせてくれた。
『ああ、処理はボクの方でやるから心配しないで。どうしようマスター、無力化してから剥がす? そのまま剥がす?』
「何がどう違うんだ?」
『別段なにも。マスターは適当に相手を殴ってくれれば。もし体術が苦手なら、回避や防御くらいはボクの方で請け負うよ?』
何とも至れり尽くせりの様相である、が。
「いや、それはいいや。取り敢えず連中に声をかけたいから、そっちの対応よろしく」
『はいはい、ではマイクオン』
流狼はひとつ大仰な動きで腕組みをすると、声を上げようと息を吸った。
だが、先に声を発したのは流狼ではなかった。
『お、王機兵の乗り手よ! 聞こえているか!?』
随分と脅えた調子で、側近が声を上げた。
『先ほどまでの対応については謝罪しよう、済まなかった!』
『何を今更』
呆れ返った口調で呟いたのはフィリアだった。流狼も同感だったが、取り敢えず先を促してみる事にした。
『ついてはどうだろうか! その王機兵とともに、帝国に恭順してはくれないだろうか! 先程のやり取りを聞けば、機体は本調子ではない様子! 帝国であれば機体の修繕はもちろん、貴殿は王位に準ずる立場として身の栄達は思いのままになるだろう!』
『そしてその成功を導いた自分は昇進出来るという訳か。なんとも小物くさい』
続いて唾棄したのはオルギオだ。流石にゲストスペースの中で本当に唾を吐いたりはしていないが、相当に嫌そうな顔をしている。
先程まで少し同情的だったのは何だったのだろうか。
『鎧なき機兵であれば、王機兵とてこの数には抗しきれまい! さあどうだ、今が最後のチャンスだと思いたまえ!』
『不愉快な事を言う奴だね。まあ、どうするかはマスターに任せるよ。どちらにしろマスターは異邦人、どちらについてもつかなくても自由だとボクは考える』
アルの言葉は正直有難かった。
忠誠を強要されたり、命を狙われたりというのが続いて、いい加減心がささくれ立っていたところだ。それでいて容易く前言を翻す辺り、目の前の男や帝国に誠意というのはないのだろうか。
落ち着くために大きく息を吐き出してから、流狼はやっと口を開いた。
「王機兵を傷つけても死罪。王機兵の乗り手と分かってしまった俺についても殺せば同様。そんなところかね?」
『んぐっ!?』
「あとあんた、この数でも勝てるとは思っていないだろう? そうでなければ、わざわざ今言わずともこちらを制圧してから言えばいいんだ」
無言だが、微妙に機兵の体が揺れている。どういった操縦形式を取っているかは分からないが、本人の動揺が如実に見えてしまっている。
『で、では! たた試して、みるかね!?』
一転して裏返る声を前に、流狼は首を横に振った。
「殺されかけた以上、帝国に手を貸す心算はない。だが俺もフィリア王女の庇護下に入ると言った以上、そちらと事を構えるつもりもない」
『ぐ』
「フィリア王女は寛大な方だ。俺達をこのまま逃がせばどうしても死罪から逃れられんと言うのであれば、ここで投降すれば国で保護してくださると思うが」
『おい、ルウ。姫様の承諾もなく』
『そうだぞ。他はともかくあの男を保護するのには抵抗を感じる』
『あ、あいつ以外はいいんですか』
側近に対しては冷淡なフィリアだったが、意外にも保護のくだりには異を唱えなかった。
『うむ。帝国仕込みの機兵乗りならば、わが国の機兵乗りより上手く扱えそうではないか?』
『そんな事を言うと、姫様に認められたくて仕方ないうちの小僧っ子どもが泣きますよ』
『要鍛錬、という事よ』
後ろで騒がしく話す二人の事はある程度放っておく事にして、流狼は自分を取り囲む機兵達を一体一体ゆっくりと見回した。
『いい方法だね、マスター。上手くすれば無駄に戦わなくても機体を得る事が出来る訳だ? いいね、実にクレバーだ』
『分かりました! 私は投降します!』
最初に声を上げたのは、転移陣に鎚を叩きつけた機兵の乗り手だった。
声からすると若い女性だ。
『俺もだ!』
『俺も!』
更に二人が続く。二人ともが男で、片方はアルカシードの後方に立っている。
もう一人は側近の隣に立っていた機兵だった。掠れた声音に、一瞬先程助けた男の事を思い出す。
だが。
『ふ、ふざけるな!』
激高した側近が、振りかざした杖を隣の機兵の胸部に叩きつけた。生身の時とは比べ物にならない、紫電を伴った光が放たれ、男の悲鳴が響く。
ほどなく光は収まり、黒煙を上げて機兵は地面に倒れ伏した。
「操縦席は胸の辺りか」
『人体じゃないからね。機兵は手足の延長として扱えた方が都合が良い』
杖からの電撃は機兵の機能だけではなく、中にいる人間の命まで奪ってしまったようだ。機兵から誰かが出てくる様子はなく、流狼は視線を側近の機体に定めた。
『ほ、誇りある帝国の機兵乗りが、他国に屈従する事などあってはならない!』
憤怒が塊となって吐き出されたような声。
側近はアルカシードと流狼からの圧力への恐怖を、皇子への忠義と自身の怒りで覆い隠してしまったようだ。
『ならば、ならば! 『地下にもう一体の王機兵など存在しなかった』事にすれば良いのだ!』
「シンプルな結論だな。分かりやすくて嫌いじゃない」
『三名で同時にかかる! 王機兵とて人が扱うもの、しかも今は装甲がない状態だ! 今しかない、今しかないのだ!』
『それが出来ると本気で思っているなら、ボクは彼の事を好きになれそうもないけどね』
アルがぼやく。
好きになれないという意味ではまったく同感だが、流狼は内心で彼の評価を少しだけ上方修正していた。
帝国の思考に染まってはいる点が極めて不快だが、損得よりも忠誠を優先した。もう少し整った状況であれば、苦戦する相手だったかもしれない。
そして、それとなしに周囲を確認しながら機体を動かしてみて、流狼もある程度アルカシードの動かし方を理解していた。
「まあ、これだけ思い通りに動かせるなら好都合だ。アルの言う通り、これなら戦えない事もないな」
『お? マスターも中々強気になったね。こちらに呼ばれる前に何か武術の心得でもあったのかな?』
「ああ。家が代々続く道場でね」
腰溜めに右拳を構え――このアンバランスな体格ではどうにも不格好な形に見えてしまっただろうと自嘲しつつ――、流狼は先程そうしたように、周囲の気配に感覚を集中させる。
「『飛猷流古式打撃術』二級師範、飛猷流狼。参る!」
結局のところ、アルの言う通り勝負にもならなかった。
側近の機体が振りかざした杖。その先から光を放ち始めた時には、アルカシードはその至近にまで迫っていた。
加速と念じただけだが、随分とスピードが出る。帝国の機体が動くときのような金属音もせず、流狼が生身で行う歩法も忠実に再現していた。
光弾が放たれる前に杖を落とさせようと手刀を振り抜いたところ、金属の軋る音が響くとともに側近の機体の右手は文字通りぼきりと折れてしまった。
返す動きで踏み込んで、顎に掌打を打ち込むと、今度は頭部がボールのように千切れ飛ぶ。
「おっと」
『マスター、本当に機兵を操るのは初めてなのかい?』
「あ、ああ。初めてだ。ひとまずアル、無力化はこれで問題ないか?」
側近は機体の左腕をぶんぶんと振り回しているが、どうやらこちらが見えていないらしい。
背後に回って押さえつける。膝をつかせて左腕を捻り上げれば、もう身じろぎも出来ないようだった。
『問題ないね。あちらの二人も上手くやってくれたようだよ』
「ああ。投降するというのも嘘ではないらしい」
見れば、投降すると言った二機は命令を実行しようとした残りの二機を抑え込んでくれていた。
『これで投降を認めてもらえるでしょうか?』
『ここまでやっちまったんだ、今更帝国に戻れなんて言わないでくれよ?』
片方は転倒した機体に鎚を乗せて抵抗を封じつつ、もう片方は所持している短剣を関節部分に突き刺して動きを制しつつ。
二人の言葉に頷いて見せたところで、側近の機体の胸部が開いた。
出てきた側近は特に怪我をしている様子はないが、何やら喚きたてている。
「何か言っているようだが聞こえないな?」
『どうせ罵詈雑言か命乞いだと思うから集音していないけど。マスターが聞きたいなら』
「いや、いい」
聞いても仕方がないし、聞く意味もない。
取り敢えず優しく摘み上げて、床に下ろす。
『ロウ、そいつをどうするつもりだ?』
「どうしようかね。別に連れていくつもりはないんだけど」
投降しないという意志の確認もしたから、このままここに置いていくことになるだろう。
外にまだ居るであろう帝国に引き渡すべきか、放置すべきか。
『放置しても良いのだが、そのまま戻せばあちらに都合の良い言質を取られるだけだからな。引き渡すにしても一旦捕縛して王都まで連行するのが良いと思う』
「ふむ。ではその方向で」
『さて、マスター。それではこの機体を加工するよ?』
と、アルが伺いを立ててきた。頷くと、アルカシードの腕が輝き始める。
『緊急時提言。外部装甲再建造開始。材料指定』
「これは」
捕えていた機体を光が覆い、そのまま粒子となって散っていく。
粒子は空中を対流しながらアルカシードの腕に吸い込まれていき、あっという間になくなってしまった。
「何にも残らないんだな」
『あんまり金属の錬成練度が良くないなあ。思ったより蓄積量が少ない』
不満そうにぼやくアルに苦笑いしながら、流狼は押さえつけられている二体と倒れた一体を順に目で追った。
「まあ、あと三体あるから何とか工面してくれ」
『五体にならないかな? 武器さえ残してあげれば良さそうだけどねえ』
「それは勘弁してやれ……」
投降した相手の機体まで奪ってしまうのは、いかにも無法に思えた。
ひとまず先に作業を済ませる二体の方へ、流狼はゆっくりと歩を進めるのだった。
「さて、ルロォ殿。王機兵の乗り手である貴殿の行動指針を聞いておきたいのですが」
「なんでみんな俺の名前をちゃんと発音出来ないんだ」
最後まで抵抗した三名を縛り上げて、流狼は投降した二人と顔合わせを済ませていた。
フィリアとオルギオも降りてきて、五人が車座に座る。
女性はエナ・ブルヴォーニ、男性はティモン・アウ・ラケス。
エナは才気を感じさせる美女で、ティモンは見た感じの軽い優男だ。
二人とも口許に笑みを浮かべてはいるが、目が笑っていない。
「あ、それは失礼しました。ルロゥ殿? ルロォ殿? は、発音しにくいお名前ですね」
最早訂正する気力もなく、流狼は好きに呼んでくれと肩を落とした。
「どうせ今後もちゃんと呼んでもらえる事はないだろうし、いいよルウでもロウでも」
「ルウ殿、あるいはロウ殿、ですね。成程、それなら発音しやすい」
「ふむ、ロウ。オルギオに気を遣う必要などないぞ。これからはロウと名乗れば良いのだ」
ひとまずオルギオかフィリアが呼んだ呼び方に統一しておけば発音しやすいはず。これ以上妙な呼ばれ方をされたくない。
流狼は諦めを最後に一度溜息に乗せて追い出すと、意識を切り替える事にした。
「アル、状況は?」
『まあ、見栄えくらいはどうにか出来る感じになったかな』
と、アルが言うや否や、アルカシードの全身が光を放つ。
目を焼く程の光量ではないが、反射的に視線を反らしてしまう。
光はほどなく収まり、大きな腕に見劣りしない外装がアルカシードを包んでいた。
「うお、カッコいい」
『でしょう? いいねマスター、分かってるね!』
「で、見栄えくらいって事は、あくまで見た目だけなんだな?」
『マスターは時々辛辣だね。そう、機能自体も五パーセントくらいまでは回復したかな』
「ふむ。三体で二パーセント増か。そうなると、あとあれだけの機体が百五十体くらいは要るのか?」
『いや、別に機体である必要はないよ? むしろあの程度の錬成だったら廃棄した屑鉱の方が役に立つかも』
「あれだけの動きをして、機能が一桁しか活動していないのですか!?」
エナは表情を強張らせて、一瞬で外装を整えたアルカシードを見上げた。
ティモンは笑顔を崩していないが、やはりアルカシードを見上げる視線には驚きがあった。
「流石は王機兵だな。装甲も荘厳な意匠だ、伝説になるだけはある」
「オルギオ。そこまで目を輝かしておると、少し怖い」
少年のように瞳を輝かすオルギオには、フィリアも引き気味だが。
『お二人の機体をもらえればもう少しまともになるよ?』
「そうしたらこの全員、アルカシードに積むのか?」
『……少なくともマスターが安心できる所までは遠慮しておこうかな』
アルの言いたいことも分からないではない。
マスターである流狼の身の安全にとって、目の前の機体は間違いなく大きな脅威になり得る。
明確なスタンスを表す事によって敵対する恐れがあるのであれば、早いうちに排除しておきたいのだろう。
「俺は、ひとまずフィリアさんの国に身を寄せようと思っている」
「おお、誠か!」
嬉しそうな表情を見せるフィリア。絶世の美貌である彼女の笑みは、流狼も一瞬見とれる程の可憐さだった。
陽与を失ってすぐそんな心の動きになってしまう自分の単純に、すぐさま自己嫌悪が湧いてくるが。
「それは帝国と事を構えるという意味で?」
「王国が望むなら、そうなるかもしれない。王機兵一体で覆せるほど戦争ってのは甘いものじゃないと思っている」
『そうでもないけど』
「まだ一桁台の機能しか使えない王機兵一体で覆せるほど戦争ってのは甘いものじゃないと思っている」
『あ、それは正しいね。アルカシードが完全に使えるようになったら、他の王機兵が束になってかかってきても敵じゃないよ』
王機兵、と同じカテゴリに含まれている以上そこまで性能に差がある筈ないだろうに、と。
喉まで出かかった言葉を飲み込んで、エナとティモンに問いかける。
「お二人は帝国で機兵に乗れる程の立場なんでしょう? そこの三人を暗殺したうえで、俺を見逃せば罰せられはしないのではないかな」
「帝国の機兵乗りがみな、帝国に心よりの忠誠を誓っている訳ではないのです」
「右に同じ。俺と、さっき殺されたスプーラは、エナ様個人に忠誠を誓う立場であって、帝国に忠誠を誓った覚えはないんだ」
「ふむ。色々と事情があるのだね」
「ええ。必要であれば事情を説明致しますが」
『その話は後にした方が良いだろうね、エナさん』
心持ち優しげに、アルがエナの言葉を遮った。
「どうした?」
『表からこちらに通信の波長が再三届いている。どうやら表には通信士がいるみたいだね?』
「ふむ」
『転移陣が使えなくなっている以上、壁を破って外に出ないといけない。そこの馬鹿貴族が表と通信をしていたのだとすると、帝国にマスターの情報がすぐに伝わってしまうかもしれないよ』
「それは面倒な事になるな」
『でしょ? ボクとしては、ここを早々に引き払って王都に向かうべきだと思うんだけど』
頷き、エナとティモンに視線を投げる。
二人も頷き返し、自らの機体に向かって駆けて行く。
「通信は邪魔しておきたいな」
と、フィリアが呟く。オルギオも頷いているから、外交上で有利不利を生じるという事なのだろう。
意識を集中し、アルカシードの中に移動する。同時にフィリアとオルギオもゲストルームに運ばれたようだ。
「通信を邪魔したい理由は?」
『いくつかあるが、一番はこの場所を向こうに探知させたくないという点だ。ここは王都からも遠いが、帝国とも相応に距離がある。帝国は設置型の転移陣は使っていないし、持ち込んでもいなかった。長距離転移は転移陣を使わなければ上級魔導師が数人がかりだ。この遺跡の位置は向こうには伝えていないから、通信機材から届く魔力を辿って迎えを出すかたちのはず』
迎えにかこつけて、帝国は王機兵を安置している遺跡の場所を記録する目論見だろう、とオルギオが結ぶ。
『ロウの事は予定外だろうが、そうしておいて後々秘密裏に王機兵を接収するつもりだったんじゃないかな』
「外の通信士達はどうするんだ?」
『帝国に限らず、通信機材で他国の建造物の位置を探査するのは外交問題だ。最寄りの砦に寄った時に山狩りをするよう命じるってのもアリだな』
「あ、ここは山の中なんだな」
『通信機材を故障させれば、単純に諸々の時間が稼げるという事だな。どうだ、ロウ?』
「どうだ、と言われてもなあ」
『それならマスター、それを使ってみたらどうだろう』
話を聞いていたアルが、視界の端にある物を表示させた。
時間は少し遡る。
遺跡の外には、内部で撤収作業中の仲間を待つべく最低限の人数しか残っていなかった。
内訳は、迎えの上級魔導師に目印を残す役目の通信士数人と、何かがあった時の為に彼らを護衛する為に残された中級以下の魔導師が数人。
「と言う訳です。どうしましょうか」
「由々しき事態だな。帝都への通信が可能になるまでどれくらいかかる」
内部からの急報を受けた通信士は、すぐさま直属の上司に報告を済ませた。
しかし、すぐに通信を行う事が出来ないのは彼らにもどうにもできなかった。
転移陣を介さない長距離転移を行った場合、暫くの間その付近では長距離転移も長距離通信も出来なくなるというのは世界的な常識だった。そして、その影響は人数や質量が増せば増す程大きくなる事も。
「分かりません。何しろ先ほど移動した人数が人数です。まさかこんな事態になるとは」
「とにかく急げ。稼働する王機兵が確認され、あまつさえ他国に渡るなど。殿下に知れたら我々もただでは済まんぞ」
「はっ!」
無駄とは思いつつも、手を打たない訳にもいかない。
通信機材を起動しつつ、まずは通信の魔力を波のように流す。暫く待機し、反応が戻るのを待つ。
慎重に、だが急がねばならない。何度か試してみるが、
「どうだ?」
「駄目ですね。帝都直通のラインは復帰していません。非常に弱い反応ですが、辛うじて第二・第四副都との通信はラインが繋がるかもしれません」
「情報の秘匿性を考えると第四は却下だ。グロウィリアに近すぎる。第二に繋ぐぞ。おい、魔力波を抑えろ! エネスレイクかトラヴィートに傍受されては拙い」
「はい!」
出力を絞り、通信ラインを北東に向ける。
繋がるまでの時間をじりじりと待つ。内部で何が起きているのか分からないのだ、早々に指示を仰ぎたいという焦りが誰の胸にもあった。
「繋がります!」
「秘匿性の高い情報だ、帝都への中継に徹するよう伝え――」
その指示が言い切られる直前。
頭上で轟音が響いた。
「うわああああっ!?」
遺跡の外壁の一部が内部から粉砕され、大量の瓦礫が降ってくる。
数人の魔導師が魔術で瓦礫の直撃を逸らすが、通信士達は頭を抱えて蹲った。
「一体何がっ!?」
「何だ、なんだあれは!」
彼らが見上げた先には、一体の機兵。
巨大な拳を突き出しているが、まさかそれで外壁を破ったとでもいうのか。
「王、機兵?」
その言葉は、誰が漏らしたものだったか。
王機兵と思われる機体が、こちらを見下ろした。
「やはり、我々が居たのは上の階層だったのか!」
壁の穴は中途半端な高さにあった。そこから下に階層があると言われても、疑いようがない高さだ。
機兵が穴の縁に手をかけた。飛び出してくるとなると、落ちてくるのはこの場所だ。
「く、下がれ!」
「下がれって、どこに!?」
「あれに踏みつぶされない所にだ!」
幹部が鋭い声で指示を出す。しかし、魔導師達は通信機材を守る構えを見せた。
「諸君!?」
「そちらはお下がりください。我々は機材を!」
「出来るのか!?」
「やらねば我々は孤立します」
「分かった!」
短いやり取りを交わし、下がろうとする通信士達。
魔導師達は機兵を見上げ、悲壮な決意を固める。
だが。
「あの杖は、トリスベン卿の――」
機兵は飛び降りてこようとはせず、もう片方の手に持った杖を地面に向けた。
虚を突かれた魔導師達は、反応が遅れる。
「しまった!?」
いや、間に合っていてもどうにかなっただろうか。
杖の先端から放たれた紫の光が、通信機材のある場所を直撃したのだ。
「あ……? 何も、起きない?」
確かに通信機材を光が貫いた。しかし、機材は爆発するでもなく、特に何かが起きたようには見えない。
そして、結果を確認するでもなく機兵は再び建物の中に引っ込んでしまった。
「何が、したかったんだ?」
魔導師だけでなく、通信士達さえ呆然と見上げていると、遠くで再び破壊音が響く。
それに続いて三回ほど、何か重いものが落下するような音。
身構えた彼らをあざ笑うように、重い音が遠ざかっていく。
「まさか、行ってしまったのか?」
音のうちの一つは、先程の機兵だろう。
人の足と、機兵の機動力。追いかけてもどうにもならない事は明らかだ。
「あれが王機兵だったとすると、エネスレイクへ向かったという事か。ひとまず、報告だけでもしなくてはな」
我に返った幹部が、青ざめた顔で呟く。
頷いた通信士達が、通信機材の操作を始める。しばらくかちゃかちゃと作業をしていたが、次々に悲鳴のような報告が上がる。
「う、動かない。駄目だ、何の反応もしない!」
「なぜだ、魔術防壁は正常に稼働していた筈だ!」
「どうなっているんだ!? くそ、ここじゃ修理なんて出来ないぞ」
その声に、誰もがようやく気付いた。
先程の光は、機材の機能を完全に破壊するものだったと。
「お、おい。どうするんだ? このまま帝都に戻るのか」
「どうやって!? 上級魔導師様達がここを目指す目印がなくなってしまったんだ」
「そもそもここはどこなんだ、狼煙を上げれば帝都から見えるのか?」
トリスベン卿が任務に失敗したのは疑いない。王機兵らしき――少なくとも帝国とも王国とも規格の違う大型の――機兵が稼働し、そして確保に失敗した。
通信機材から信号が出なければ、ここを帝国の上級魔導師が探知する事も出来ない。
自力で帰還するほか、取れる手段がなくなってしまったのだ。そして、すぐに戻る段取りだったために、食糧などない。
「う、うああああ!」
最初に悲鳴を上げて走り出したのは、魔導師の一人だった。
思い浮かべた絶望的な未来を自覚したのだろう。向かった先に人里があるとは思えなかったが。
それに続くように、一人、また一人と走り去っていく。
最後の一人が走り去った時、遺跡は争いの爪痕だけを残し、再び永い静寂に包まれた。
ここにいた誰一人として、この後帝国に戻ることはなかった。
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