第四十四話:刃と拳と

 純白の光の柱が、天に向かって伸びていく。

 爆音もなく、悲鳴もなかった。光の柱が消えた後、そこには変わらずスーデリオンの城壁があるばかり。

 戦場であるはずのこの場を静寂が支配している。

 どれ程経っただろうか、その静寂を破ったのは、エイジでもオルギオでも、クフォンでもなく。


「……スーデリオン、転移陣の反応ありません」


 状況を観測していた兵士の言葉に、オルギオがまず大きく息を吐いた。


「ぶはぁっ! ……そ、そうか。よし、少しずつ包囲を狭めていくぞ」

「はっ!」


 オルギオが方針を口にすれば、近くに控えていた兵士たちがそれぞれの持ち場に駆け出して行った。

 誰も彼もが、どうなっているのかが分からなくて戸惑っていたのだ。

 ずしりずしりと、重い音を立ててスーデリオンの城壁が包囲される。


「機兵の反応、ひとつ。他には……何も」

「……そうか。門を開けろ! 用心しろよ!」


 門扉を数機の機兵が押すが、何故だかびくともしない。

 オルギオが合図をすると、巨大なハンマーを持った重量型の機兵がのしのしと歩いてきた。ナルエトスの開発技術を提供されたエネスレイクで開発が始まった新型機兵『デトス級』で、浸透衝撃や貫通衝撃からも乗り手を守るという鉄壁の防御と見た目通りの馬鹿力が売りだ。

 デトス級の機兵がハンマーを振り下ろすと、鈍い音を立てて門扉ではなく壁そのものが揺れる。

 と、壁の向こうから大量の魔術が放たれた。

 殆どが壁に防がれ、それ以外は空中へと飛んで行ったのでエネスレイク軍に被害はない。

 今度は、その様子を見ていたエイジが指示を出す。


「火炎の魔術で城壁を溶かしましょう。歩兵は近づかないように」


 再び、今度は巨大な杖を担いだ機兵が数機現れた。

 こちらは機兵ではなく、杖の方が特別製だ。アルからの技術提供を受けたエネスレイクの技師たちが作り上げた新機軸の杖で、魔術効率が今までと比べて格段に上がったのだという。

 実際、城壁が赤熱するほどの魔術を使い続けても機体や乗り手に一切辛さはなさそうだ。


「できれば地面に穴を。溶けた金属が流れ込む場所を……ええ、そうです」


 エイジはオルギオが乗り込んだ『白鎧』ノルレスの掌の上で、重ねて細かく指示を出していく。


『よし、通れるようになった……か……』


 オルギオの言葉が途切れる。

 同じく、街の中の様子を目にしたエイジも目を大きく見開いている。

 目の前に映っているものは、それほどに恐ろしい様子だった。


『これは……』


 どろどろに溶けた壁面と、地面。ところどころ色が違うのは、機兵のそれか。

 そしてそんな中をふらふらと歩き回る、大型の機兵。


『あ、あああっ……! 誰か、誰か返事をしろ! 見えない、何も見えない! ああ!』


 赤を基調とした、派手な配色の。

 帝国の王機兵だ。ヤイナスカといったか。


『……と、捕らえろ。決して油断するな。たとえ乗り手が戦意を喪失しているとしても、王機兵は王機兵だ』


 オルギオは声の震えをどうにか抑えて、指示を出す。

 この光景は、それほどまでに恐ろしい。


「二度と……二度とこの策は使えませんね。こんな」

『ええ。王機兵の確保が済んだら、壁を壊して、埋めましょう。これを残しておいてはいけない』

「……アル殿の忠誠を、我々は見誤っていたようです」

『アル殿の、ですか?』

「ええ。この魔術陣は、アル殿から提供いただいたものです。ルウ殿を害する者に対して一切の容赦をしないという、これは意思表示ですよ」

『……我々への警告でもある、と?』

「我々にそのつもりはなくとも、ね」


 エイジの言葉は重い。

 二人の視線の先では、十体がかりでヤイナスカから杖を奪い、その体を取り押さえるところだった。







「……もう一度、聞かせてくれ」

「はっ。スーデリオンへの転移陣が突然使えなくなりました。あちらとの連絡も取れません」


 アルズベックは椅子に深く腰を沈め、天井を仰いだ。

 状況を説明しに来たのは、経験豊富なエキトゥ・リギングライ将軍だ。エネスレイクの伝説的英雄オルギオ・ザッファ将軍と公私にわたって交流があり、古代機兵の乗り手でもある。

 本来はアルズベックの幕下にいる人物ではないのだが、オルギオを抑えるのに必要だとアルズベックが判断したのと、本人もまたオルギオと戦うのであれば自分が受け持つと申し出てきたのだ。


「……王機兵によるものだと思うか?」

「いえ。殿下が仰るように、王機兵は修理中なのだと私も判断しております。もしも王機兵が戦地に出ているならば、シー・グの王機兵に自ら当たらないはずがありませんから」

「ふむ……となると、エイジ・エントか」

「御意」


 これがエネスレイクの策によるものだとするなら、先遣部隊がエネスレイク領内で孤立した場合と、全滅した場合との両輪でこちらも方針を練らなくてはならなくなる。


「先遣部隊は切り捨てましょう」


 エキトゥは平然と、冷徹な判断を下した。

 同じようにその決断を考えていたアルズベックは、特にごねるでもなく頷いた。


「……それしかないだろうな。リューラが山中で良い位置に転移陣を設置してくれれば良いのだが」

「はい。それで、申し上げにくいのですが、殿下」

「分かっているさ。エトスライアとクルツィアを出せと言うのだろう? 父上は私が必ず説得する。……シー・グには申し訳ないと思うが」


 その即断に驚いた様子なのはエキトゥだ。シー・グをはじめとした、王機兵に関わる者へのアルズベックの執着は有名だった。エネスレイクの王機兵の乗り手への名状しがたい感情がこの戦争の直接の原因であることは、軍に籍を置いて少し立場のある者ならばみんな知っていることだ。

 アルズベックもそれを知らないわけではない。そしてそれが許されていたのは、グロウィリアの王機兵に対する軍上層部の拭いようのない恐怖からだ。

 アルズベックはエキトゥの視線に苦笑いを浮かべて答える。


「……エネスレイクの王機兵の乗り手は、肩に小型の機兵を載せていてな。それはどうやら王機兵の精霊だというのだな」

「ほう、正しい乗り手と共にあるという、あの?」

「ああ。その精霊が言うには、我々は正しい乗り手ではないのだそうだ」

「そ、それは……」

「だからかもしれんな、シー・グに対して思っていた以上に簡単に諦めがついたのは」


 ひとつ息を吐きだすと、アルズベックは立ち上がった。


「リューラが転移陣を設置次第、動く。準備を急がせよ」

「いえ、殿下。それを聞いてしまっては殿下を戦場に送り出す訳には――」


 これまではアルズベックの態度に対して懐疑的だった、エキトゥの忠義を嬉しく思う。同時に、アルズベック自身もそこに成算がないわけではなかった。笑みを浮かべて、首を振る。


「今、エネスレイクには稼働できる王機兵は一機もない。……だからこそ、今なのだ。今でなくば、帝国は負ける。心配するな。私が急ぐのは、勝算があるからだ」

「……分かりました。では、兵の準備を」


 エキトゥの目つきが険しくなる。

 だがそれでも、エキトゥは目を伏せて反論することなく、アルズベックの言葉を受け入れてくれたのだった。






 第二スーデリオンに熱王機ヤイナスカと、その乗り手であったシー・グと名乗る男が運び込まれたのは翌日のことだった。

 あまりに激しい抵抗に、死者こそ出なかったものの機兵二機が大破したという。

 今も抵抗こそしなくなったが、狂乱しているとさえ言っていい様子で決して中から出てこようとしないのだ。


『……それで、ボクにどうにかしろということかい』

「はい。こちらで外から開けようにも、我々ではどこを開ければ良いのかも分かりませんので」

『ふむ……』

「いい機会だ、アル。ヤイナスカの精霊AIを起こしてやったらどうだ?」

『そうだね、流石マスター。いくつか確認しないといけないこともあるものね』


 こんな場面でも流狼を立てるアルの様子に、周囲も苦笑を漏らす。

 と、アルは荷台に縛り付けられたヤイナスカにとてとてと歩み寄ると、触れるか触れないかのところで両手をかざした。


『ジャナス? 寝ているのかい、ジャナス?キミね、フィーナから離れて何をしているんだい! システムダウンまで起こして……一体どうしたのさ!』

「……フィーナ?」


 アルから聞きなれない名前が出てくる。こちらにいるラナの方を見ると、ひとつ頷いて教えてくれた。


『アルから、ヤイナスカはもう一機と対で運用する王機兵だって聞いていると思うのだけど』

「ああ」

『ヤイナスカの人格プログラムはジャナス。そしてクレフィーンの人格プログラムはフィーナ。ふたりは双子だったから、乗り手にも互いに対して強い想いを持つ者同士が乗り手になるという条件を定めていたのよ』

「へえ……」

『ヤイナスカとクレフィーンは、互いが互いの安全装置を兼ねているの。ヤイナスカがここにあるということは、クレフィーンがどうなっているのか……』

「凍王機というからには、辺りを凍えさせるのか」

『ええ。周囲の物体の運動エネルギーを奪い、低温領域を作り上げる機体ね。奪王機わたしのプロトタイプとも言える機体ね』

「プロトタイプ?」

『奪王機が奪うのは熱量や運動エネルギーだけじゃないから。相手から活力や情報を奪うこともできるし、そこから生態や弱点も完璧に分析できるわ。そのぶんクレフィーンほどの広範囲の収奪はできなくて、効果範囲はごく狭い範囲に限定されてしまうけれど』

「神兵と大教会の地下にずっといたのも、その為に?」

『ええ。……私たちは神兵を滅ぼさなくてはいけないからね』


 と、ふと流狼の脳裏にひとつ思い浮かぶものがあった。

 恋人同士、プロトタイプ。ならば、


「ということは、ヤイナスカはアルカシードのプロトタイプなのか?」

『あら。……残念だけど違うわ。アルカシードはアルカディオ・ゼクシュタインが最初に手掛けた王機兵であり、その技術のすべてを注ぎ込んだ究極の機体よ。逆に言えば、アルカディオの技術はアルカシードの時点ですでに完成していた、とも言えるわね』

「それじゃあ……?」

『すべての王機兵には、神兵との闘いにおいて想定されるあらゆる状況に対応するためのノウハウが詰まっているわ。ラナヴェルが神兵の情報を奪い続けたように、ヤイナスカとクレフィーンは神兵の中に超低温や超高温にしか弱点が存在しない個体が存在する可能性を考えて建造されているの。そのあたりの解説はまた、時間のある時に、ね?』

「そうだな」


 二人の会話の間に、事態が動いていたようだ。

 軽い音を立てて光を放ったヤイナスカから、涼やかな男性の声が聞こえてきたのだ。


『システム再起動完了。……ここは』

『大陸西端の国家、エネスレイクさ。おはようジャナス、随分とのんびり寝ていた様子だけど』

『アル! 君が起こしてくれたのか。……悪い知らせだ、俺がいた国。レオス王国には神兵がいる! 俺はその時点で正式な乗り手を持っていなかったから、システムダウンを選択せざるを――』

『ああ、うん。そのあたりはルビィから聞いているから大丈夫。……だけどさ、キミね。もう少し周囲の状況に気を配っちゃくれないか』


 呆れた様子で声を上げるアル。

 周囲では、ざわめきが止まらない。神兵のおぞましい生態とその恐ろしさは、この大陸に住むすべての人々に等しく伝えられている伝説だ。同時に、それを討ち果たすことのできる十二の王機兵を救世主とする説話もまた。ある種において、神の否定されたこの大陸において、これだけが唯一存在する宗教のようなものと言えるかもしれない。

 その、人類の天敵をこともあろうに帝国が抱えている。

 ジャナスの言葉が与えた衝撃は大きい。


『そういえば、誰だこいつ』


 と、突然ヤイナスカの胸のハッチが開いた。

 まるで見えない何かに押し出されたように、中からひとりの男が吐き出される。誰かはすぐに分かった。シー・グだ。


「うわっ! うわあ、ひいいいいっ!?」


 脅え方が尋常ではない。

 地面に受け身も取れずに叩きつけられ、頭から流血しているにも関わらず、悲鳴を上げてじたばたともがくのだ。


「……あいつ、目が」

「見えない、何も! ひいっ、助けて、俺はまだ死にたくないっ!」


 流狼が男の特異な様子に気づいたのと、シー・グが叫ぶのとはほぼ同時だった。

 真っ白に濁った眼球は、すでに機能が破壊されているのは明らかだった。


『あの光を直視してしまったなら、こうなるのも無理はないね』


 ぽつりとアルが呟く。都市をひとつ消し飛ばすほどの光の魔術と、それを受けて損傷らしい損傷のないヤイナスカの姿からは、シー・グに起きた異常とはいまいち繋がらないのだが。


「ラナ?」

『そうね、彼が正式なマスターだったら、あんなことにはなっていないのだけど』


 その言葉がすべてだった。

 シー・グは程なく気絶させられ、ヤイナスカとともに王都リエネスに送られることとなった。

 ジャナスが目覚めた今、シー・グは決してヤイナスカに乗ることができないとアルとジャナスの両方から保証されたからである。

 そしてアルとジャナスは情報交換を行い、帝国がレオス王国と呼ばれていた昔から神兵の影響を受けていた事実を掴んだのだった。


『……フィーナとの件については、状況が落ち着いたら詳しく聞かせてもらうことにするよ』

『ああ、済まない。俺もフィーナとクレフィーンがどうなっているのかは、大陸の情勢と合わせて確認しておきたい』


 ひとつの謎を残して。






 そして更に一週間が過ぎた。

 帝国は再びトラヴィートの領内を通ることなく、スーデリオンという犠牲を払ったエネスレイクは一時の平穏を手に入れていた。

 一方で、帝国が諦めたという希望的観測をしているものは誰一人いなかった。トラヴィート方面を使わないならば、侵入経路はおのずと限られる。

 サイアーは山中に存在する砦に常駐し、山道を使って侵入を図る帝国軍がいないかを調べていた。


「……ふう、向こうからは見えないといっても不安は残るね」


 宰相エイジとクフォンの噂は彼らの元にも届いていた。捕らえた王機兵と共に王都リエネスに戻っており、今はシエド・トゥオクスのレンズに映った映像を見ているらしい。

 王機兵の関係ということで流狼とアルも一度王都に戻っているらしく、先日も通信の中でサイアーは流狼と軽い雑談を交わした。捕らえた王機兵は熱王機といい、エナが乗っていたというちょう王機ではないらしい。


「ん、何だ……?」


 集中して偵察を続けていたサイアーの視界が、戦闘特有の魔力の動きを捉える。

 たしか別の機兵が偵察で向かっていた方角だ。


「サイアーだ。戦闘中の魔力を確認した。一旦そちらに向かう」

『報告は受けている。何やら凄まじい力を持った機兵がいるようだ。気を付けて向かってほしい』

「了解。何とか一緒に逃げられるように――」

『その必要はない。……すでに彼らは全滅した』

「……は?」


 サイアーは耳を疑った。サイアーのシエド・トゥオクスほどではないにしろ、エイジの指示で斥候には良い機兵が提供されているはずだ。

 運動性能が高く、消音性の高い、どんな大軍に見つかっても最低一機は逃れられるような。


『敵は一機だそうだ』

「王機兵でも出たのかい」

『分からん。なので王都に連絡をして、ルウ殿とアル殿に詰めてもらうように伝えた。お前のほかにさらに遠隔操作の機兵を送っている。連携して情報を収集し、何とか無事に戻ってこい』

「……了解」


 シエド・トゥオクスは隠密状態では目で魔力を感知するタイプの者にも見ることはできない機体だ。

 どういう戦闘スタイルで、どういう武器を使うのか。その情報を王都に送るために、使い捨てにできる遠隔操作の機兵を送り込むという。こちらはクフォンの進言で建造されたらしいが。

 当たり前だが人が乗る機兵よりも高価で、遠隔操作できる距離も大して長くないので、遠隔操作を担当する乗り手を運搬する機兵が必要だという奇妙な状態だ。

 しかし、戦力確認に人命が消費されないのは良いことだ。高価な機兵だが、アルがいればそこまで苦労せずにそのあたりの機能は製造できるそうだし。


「……あれか」


 木々の間で、サイアーは姿勢を低くした。

 片刃の巨大な剣を左手に握り、背には三叉に分かれた槍。これまでに見たどんな機兵とも違う、独特な意匠の機兵だ。周囲には散乱した機兵の残骸。斥候部隊の仲間だろう。無惨な状態だ。

 到着の連絡を入れようとしたところで、再び通信が届く。


『こちらに届いた情報は、『光る刃』という言葉だけだ。気をつけろよ』

「ああ、今到着したところだ。……片刃の剣を持って、背中には槍を背負ってる」

『剣と槍だと……? 帝国の機兵が杖以外を武器にするなんてな』

「王都に映像を送る。ルーロウ達とつないでくれると嬉しいね」

『分かった。あとはエイジ様たちに任せる』


 と、敵機がくるりと視線をこちらに向けた。

 相手にはこちらが見えないはずだが、なんだかじっと見られているような気がしてならない。


『サイアー』

「やあ、ルーロウ」


 と、少し懐かしい流狼の声が届く。


『今、エイジさんとアルと一緒に映像を見ている。……あの機兵か』

「うん。戦っているところはまだ見えてない。遠隔操作の機兵だっけ? それが来たらその様子を確認して離脱する予定さ」

『ああ、そうしてくれ。……あれは、刀?』

「カタナ?」

『俺の住んでいた国で昔使われていたタイプの剣だよ。……エイジさん、こういう剣が流行った時代はありますか?』

『いや、初めて見るね』

『だとすると、まさか……』


 なんだか深刻そうな声を上げる流狼。

 確かに光る刃という言葉が遺っているようだが。


「先にあれを見つけた連中が、光る刃がどうとか……」

『光る刃、だって?』


 と、左手の木々ががさがさと動くのが見えた。

 奇妙に不自然な動きで、五体の機兵がその間から出てきた。状況を考えれば、あれが遠隔操作の機兵だろう。


『おお、リモーラが動いているのを見るのは初めてですが、ああいうふうに動くのですか。……確かにちょっと違和感が』


 今度はエイジの声だ。

 何やら派手に音を立てて敵機に殺到する五機。

 敵機は特に気負うでもなく、刀を構えた。


『あの構えは、まさか――』


 瞬間、敵機の右腕が霞み、無数の光が敵機の周辺に出現する。

 甲高い音を立てて、五機の機兵はバラバラの残骸になって地面に落ちた。


『間違いない、あれはっ』


 流狼は驚きながらも納得した様子で、通信の向こうで珍しく騒いでいる。

 が、サイアーはそれどころではなかった。


「まずい、捕捉されている!」


 敵機の視線は、遠くないところに隠れている機兵――サイアーではなく――を既にしっかりと見ていた。

 牽いている大きめの荷台には、さっきの機兵を操っていた五人がいる。非常にまずい。


「ちっ!」

『よせ、サイアー!』


 慌てて砦の方に走り出した僚機に向かって歩き出す敵機。

 サイアーはシエド・トゥオクスを立ち上がらせて、背後から強襲しようと迫る。

 流狼の声が、鋭く飛んだ。


! !』

「!?」


 声の意味を理解するより早く、サイアーは足を止めた。

 同時に、シエド・トゥオクスの右腕が飛んだ。


『ふ、手ごたえありました。……む、腕ですか、勘のいい』

「ば、ばかな」


 本体から斬り飛ばされて、その迷彩が解かれたシエド・トゥオクスの腕を見て敵機から声が響く。


『姿を消す機兵、ですか。先ほどといい、エネスレイクは思ったよりも引き出しが多いようで』

『逃げろ、サイアー!』

「くっ!」


 流狼の切迫した声が響き、サイアーは木々の間に飛び込んだ。

 優しく響く男の声が、むしろ恐ろしい。


『逃がしません、よ』







 流狼は立ち上がると、アルに向かって一言告げた。


「サイアーを助けに行く」

『……マスター?』

「砦に転移して、サイアーの反応に向けて急いだとして……。いや、考えている暇はないな。間に合わせるぞ」

『分かったよ、マスター』

「る、ルウ殿!?」


 厳しい顔で有無を言わさぬ様子の流狼に、アルがまず折れる。

 横でエイジが慌てているので、最低限の状況説明だけを行う。


「あの機体に乗っているのは、従兄の葵龍羅です。間違いなく。……あのままではサイアーも死ぬ」

「し、しかしあの機体は」

「視線と気配。それだけであの男はサイアーの存在を把握したのでしょう。急ぎます。部隊をまとめて、エイジさんも追ってきてください」

「……ルウ殿の従兄、つまり……分かりました」


 流狼の少ない説明で色々と納得した様子のエイジが、神妙な面持ちで頷く。

 起動したアカグマに転移する直前、エイジの呟きを聞いて流狼は安心するのだった。


「ルウ殿の従兄が出てきた。……ならば、アルズベック王子は山中に全軍を投じてくるつもりですか」







 サイアーは全力で逃げ続ける。目的地は砦だ。

 木々の間を走るにも気を使ってはいない。しかし、それにしても敵機がこちらを追ってくる精度の高さは一体何なのか。


「くっ……! 向こうには僕のことが見えているのか……!?」


 大樹の陰に隠れてみても、蛇行してみても効果がまったくない。

 時折無造作に振り抜かれる刃から、魔力の塊が飛んでくる。どうにかそれを避けながら、サイアーの視界に砦がようやく見えてくる。


「助かったか……!」

『案内ありがとう、ごくろうさま』


 サイアーがほんの一瞬、砦に意識を向けた。刹那。

 敵機から聞こえてきた優しい声が、冷たい殺意を走らせた。


「しまっ――」

輝刃きじん百景ひゃっけい


 無数の光が凄まじい速さで飛んでくる。サイアーはシエド・トゥオクスを地面に投げ出したが、ほとんど意味はなかった。凄まじい震動が機体を襲う。

 地面に叩きつけられた衝撃に一瞬意識が飛ぶが、すぐに頭を振って状況を確認する。


「くっ、足が……」

『ふむ、うまく避けましたね。操縦席は無事でしたか。……ですが、隠れることもできなくなっては、ね?』


 静かに歩み寄ってきて、刀を構える敵機。どうやら操縦席を刺し貫くつもりらしい。

 操縦席から逃げたとしても、機兵と人の足では逃げ切れるものではない。

 サイアーは死を覚悟して目を閉じた。


「ここまでか……! エリケ・ド……!」


 涙もろい彼女は、きっとまた泣くのだろう。申し訳ない気持ちになる。

 が、いつまで待っても刃は降りてこなかった。


「……ルー、ロウ?」

『無事か? サイアー』


 目を開ければ、倒れているシエド・トゥオクスの目に映っているのは、武骨に分厚い深紅の背中。

 その右手が、敵機の左腕を掴んでいた。


『十歩無音……君ですか、流狼!』

『ああ。久しぶりだな、龍羅兄……いや、葵龍羅!』


 緊迫する二人だったが、それをぶち壊したのは流狼の同乗者だった。


『ああっ、シエド・トゥオクスがこんなに……! マスター、敵討ちだ!』

『……お前な、それよりサイアーを心配してやれよ』

『そうよアル。サイアーさん、このまま飛ばすわね。そのままつかまっていて』


 ラナも同乗しているらしい。声を聞いた瞬間、サイアーの視界が白く輝き。

 次の瞬間には、シエド・トゥオクスは見慣れた王都の訓練場に転がっていたのだった。






 流狼は押さえつけていた手を離した。

 龍羅がもう片方の手で背の槍に手を伸ばしたからだ。


『愉快な仲間が乗っているようで、楽しそうだね? 流狼』

「そっちも見慣れない玩具で随分とはしゃいでいたようじゃないか」

『まあね。で、それが王機兵かい? 僕の目には随分と不格好なまるまると肥えた機体に見えるんだが、まさか殿下はそれをそんなに脅威だと思ったのだろうか』

『何てことを言うんだ! この機能美が分からないなんて! マスター、言っては悪いけど、マスターの従兄は見る目がないね!』

「……何でお前が俺より先に挑発に乗ってるんだよ。落ち着けって」


 呆れた様子で返す流狼だったが、アルは憤りを抑えられない様子で龍羅に向けて言い放った。


『この機体はアカグマ! マスターの拳王機アルカシードとは違うけど、甘く見てもらっては困るね!』

『殿下の仰る通り、やはり王機兵は修理中のようだね。ではここで君を殺せば、殿下の憂慮も戦争の理由もなくなるわけだ』


 流狼は龍羅の言葉に軽く笑みを浮かべると、そのまま構えを取った。

 龍羅は龍羅で一歩下がり、左手の刀を構える。


「そう上手く行くかな」

『行くさ。王機兵でない機体で僕の前に出てきた君は不運だった』

「龍羅さん、あんた……生まれてからこれまで、俺に一度でも勝てたことがあったかい?」


 みしりと、広域回線に何かを握りつぶすような音が響いた。

 だが龍羅は口調だけは涼やかに、言ってのけるのだ。


『今日は勝つ。勝ちますよ、流狼』

「そうかい」

『葵龍羅、ガルダ! 参るっ!』

「飛猷流狼、アカグマ。受けて立つ」


 最早言葉は要らない。通信を一旦切断したところで、アルがふと聞いてきた。


『マスター。何で彼は自信満々なんだい? 今までにマスターに勝ったことがなかったんだよね?』

「龍羅さんは、器物を用いる限りで天才と称されていた。機兵という器物を扱う上でもその才能が発揮されるなら、確かにこの場では有利だと思っても不思議はないね」


 ただし、と流狼は付け加える。


「アカグマもアルカシードも、俺の手足だ。あの人にとって誤算があるとするならば……」


 龍羅の機兵、ガルダの刃が輝く。


氣塵きじん百勁ひゃっけい!」

『輝刃百景!』


 流狼が撃ち抜いた魔力交じりの氣の塊が、魔力で構成された無数の刃を粉々に打ち砕いて消える。


『何っ!?』

「あんたは俺がアカグマに乗った状態で、これを出来るとは思っていなかっただろうな、龍羅さん」

『マスター、アルカシードとは勝手が違うからね。途中で動けなくなる可能性もある、気をつけて』


 アルからの忠告に頷きながら、流狼は体内に循環させた力を解き放った。


「武境・絶人!」

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