第四十五話:飛ぶための資格を
葵龍羅は、葵流古武術の歴史の中で最も突出した才能を持って生まれた。
本家である飛猷流古式打撃術の代々の跡継ぎが、あらゆる武器・武術に対応するために武芸百般を叩き込まれた分家。
拳のみによる打撃を信奉し、武器はおろか脚による打撃すら否定する飛猷流古式打撃術に対し、葵流の門弟たちが抱く劣等感は深く強い。
ただ拳のみを追求する本家よりも、あらゆる武器と武術を修めた自分たちの方がより高みにあるはずだと。
しかし、これまでに幾度となく行われてきた本家と分家の果し合いでは、常に分家の次代が敗れ果ててきたのである。
龍羅の祖父である
分家にとって、本家超えは悲願であり、龍羅はきっとそれを成し遂げるだけの才を持っていると太鼓判を押されたものだ。
三つ年下の本家の跡取りである流狼が成長するまでは。
「
首を狙った刃に、下から掌を合わせて押し上げる。力は要らない。相手の速さと技量と力を返す千手鎧貫だ。ひどく簡単な音を立てて刀は半ばで折れる。
流狼の才覚は本家超えを果たすだろうと期待された龍羅の、その才覚をさらに上回っていた。十五の年に龍羅と手合わせを始めて以来、一度として流狼は龍羅に敗れたことがない。
『くっ!』
それでもとねじ込まれる二本目の刃を見切り、拳を打ち込む。
動き自体は、今までに龍羅が生身で流狼に見せてきたものと遜色ない。それは確かに凄まじいことなのだが。
今回は相手が悪かった。
「
姿が消えたように見えるほどの速度で繰り出されるアカグマの打撃を、しかし龍羅のガルダは何とか刀で受ける。二本目の刃が潰れて使い物にならなくなる。
「さて、隠し玉は何かね」
『マスター?』
「言ったろ? 器物を使って確かに龍羅さんは天才だ、が。あの人は俺に負け慣れているんだぜ。元より俺がこの状況で武境絶人を使える可能性も考慮していたはずだ」
使い物にならなくなった刀を放り捨て、ガルダが肩から槍を抜いて構える。
何しろ、久しぶりの再会でも殺気を隠し切れなかったほどに拗らせた思いだ。
だからこそ、流狼は龍羅がこのまま何の手も打てないなどという甘い考えはしていなかった。
『やはり……! 流狼、いつだってお前は僕の想定の上を行った! ですが!』
「……来るか」
流狼の記憶にある限り、龍羅は武境絶人を使うことは出来なかった。氣の循環による身体能力の向上。それは五感にも及び、本来ならば十歩無音より上位の技を使うには武境絶人を使えることが必須となる。
十代で武境絶人を使いこなす流狼が普通ではないのだが、流狼は龍羅が武境絶人を使えてもおかしくはないと考えていたのだ。
『
「!」
目に映らないほどの速度で繰り出された槍の穂先は、だが常人の五感を超越していた流狼には何とか知覚することが出来た。
フェイントのように散らされたものには反応せず、急所である胸板を狙ったものだけに拳を合わせる。
『馬鹿なっ!?』
「……そうか、まだ武境絶人には届いていなかったか」
動きに五感が届いていない。
あるいは、機体の性能によってその領域を再現してみせただけか。
確かに脅威ではあった。これまで無傷だったアカグマの左腕には、それと見て分かるほどの裂傷が刻まれている。貫かれたのではない、槍の穂先が抉ったのだ。
『マスター!』
「ああ。このまま決めるさ」
槍の穂先を打ち砕かれた龍羅の機体に、これ以上の武器はない様子だ。
結局のところ、武境絶人を使えたとしても、龍羅の操作にガルダが反応できなければそれまでだ。
アカグマでなければ、流狼も先ほどの技を見切れたとしても対応出来なかっただろう。
だからこそ、機能としてそれに近いものを用立てた龍羅の判断は正しいと言えた。
そういう意味では、アルがいたかいないか。その差が結果を分けたと言えるだろう。
龍羅にもう打つ手はないだろうが、それでも油断はできない。何しろ、龍羅は現在も器物そのものに乗っているのだから。
と、そこに。
『リューラ殿!』
駆けてきた機体は、帝国の機兵だった。エネスレイクのものとは意匠が違う。
龍羅の殺意が復活する。折れかけていた心を奮い立たせたのだろう。
『状況は!』
『完了しました! こちらへ!』
「……この状態で逃がすと思うのかね」
呆れて思わず声をかければ、アカグマの前に五機の機兵が立ちはだかった。
龍羅はといえば、五機の陰に隠れて何やらこちらの隙を窺っているようだ。その判断は正しい。
これで背を向けようものなら、一足跳びに五機の頭上を越えて、その拳を叩きつけていたところだ。
「悪いけど、ここで死ねよ龍羅さん」
『流狼っ!』
「飛猷流古式打撃術」
流狼は杖を構えた五機の間をすり抜けるようにしてガルダの前に立った。
その間に一度ずつ、拳でそれぞれの胸板を叩いてから。
「『
直後、五機の背部が弾け飛んだ。
構えた杖を使う間もないまま、五機が膝を屈する。
『八絶……とうとうそこまで至りましたか』
「
刃の潰れた刀を拾い、構える龍羅。
流狼は拳を龍羅の眼前に差し出した。
『
「いや。あんたを討つ時は
『……五嶽!』
龍羅の声に喜色が混じる。
『初代を唯一超えたとされた
「ああ。葵家を相手に創始された初代超えの五嶽。受けてみるか」
『良いでしょう……! 葵家二代、六路を凌いだ
流狼と龍羅の気合が高まる。あとはどちらかが意を発すれば、勝負は決まる。
が、その拳が交わされることはなかった。
『マスター!』
「っ!」
アルの警告に、流狼がアカグマを大きく後ろに退がらせる。
寸前まで流狼が居た場所が、地面ごと大きくえぐられた。
『従兄弟同士だと聞いていたが、容赦がないのだな、エネスレイクの王機兵、その乗り手よ』
「……お前は」
『エキトゥ・リギングライ。リューラ・アオイは殿下の大事な側近だ。このような場で軽く命を散らされては困るのだよ』
『り……リギングライ将軍』
『殿下が後方に到着された。貴殿は立派に役目を遂げた、下がりたまえ』
『は、しかし……』
『心配は要らない。この場に来たのは私だけではないからな』
流狼はこの時点で、龍羅を討つチャンスが失われたことを理解した。
リギングライがこちらに向けて構える杖は巨大だ。周囲を取り囲む機兵の群れも数を増しているようだ。
このまま突っ込んで龍羅を討ったとしても、その時には自分も戻れなくなる覚悟をしなくてはならない。
「……アル、退くぞ」
『了解、マスター』
足元に魔術陣が発生する。
「じゃあな、龍羅さん。拾った命だ、大事にしなよ」
瞬間、景色が変わる。
見慣れたリエネスではなく、リバシオン山系南西砦。先ほどサイアーを助けるために転移した、戦場に最接近した砦だ。
『ルウ殿!』
「サイアーはリエネスに送りました。悪い知らせです」
取り敢えず最低限の仕事は果たした。そう思うことにして。
流狼は首を振りつつ、アカグマとの接続を切ったのだった。
龍羅のガルダは、帝都に戻されることが決まった。
五体に目立った損壊がないため、龍羅は再度の出撃を願ったのだが、アルズベックが許さなかったのだ。
「リューラよ、そなたの忠誠は示された。これ以上は必要ない。そなたはその疲れを癒し、ガルダの損傷を直した後で来てくれれば良い」
「しかし、殿下」
「我らの最高傑作と目したガルダでさえ、エネスレイクの乗り手が使う機兵に勝てなかった。とすれば、あれに勝つ目があるとすれば王機兵しかあるまいよ」
「ですが、それでは殿下が!」
「分かっている。だが、リューラよ。あの男を討つために始めた戦だ。その為に出し惜しみは出来ないだろう」
「……御意」
「心配はいらん」
食い下がる龍羅に、アルズベックは頷いてみせた。
これまで、ずっと研究所に詰めていた結果が出たのだ。
「私にも奥の手があるのだ」
「奥の手、ですか」
「そうだ。我が師ミシエルが古文書を解読してくれてな」
「古文書?」
「うむ。この魔術の実用化をもって、我が父も私の参戦を認めてくれた」
とはいえ、これで死ななくなったとは断言できない。
シー・グがそうであったように、何が原因で命を落とすかは分からないのだ。
昨晩、狂ったように求めた陽与の肢体を思い出しながら。
「要はクルツィアで、あの男に杖を当てさえすればいい。それだけで帝国は勝つ」
アルズベックは満面に笑みを浮かべた。
無力な獲物をとうとうその爪で捕らえた、肉食獣のように。
リバシオン山系の南西部にある開けた盆地。
戦地はそこに指定された。指定したのはエネスレイク軍で、帝国軍が受けたからだ。お互いに転移陣を維持したままの戦闘では損耗ばかりが多くなり、決着までが長引くためだ。
エネスレイク軍は敗北時に南西砦を破却するため数人が残る予定だが、それ以外はほぼ全軍を動員することとなった。エイジは破却側にとオルギオが主張したが、エイジ本人は前線での献策を譲らなかった。
彼らがエネスレイクに戻るには、手をつけていないエネスレイク西砦にまで移動するか、山道を進むしかない。
「リギングライ殿が出てこられたか……。となると、俺が出なければ収まらないだろうなあ」
「リギングライ将軍……。お名前は聞いたことがありますが」
「ええ、お嬢は知らないでしょうね。四領連合が組むよりだいぶ昔、東方戦線を指揮して帝国の領土を大きく広げた名将ですよ。イージエルド皇子が指揮官になるだいぶ前のことですね。グランダイナへの遷都の時に帝都に戻って、以後は新帝都の近衛を取り仕切っていたはずです」
盆地に向かう準備が進んでいる中、流狼たちは総司令部の近くで情報のすり合わせを行っていた。
龍羅の撃破を邪魔した人物については、帝国に居たエナとティモンから、ある程度の情報を聞くことが出来た。
頷いたオルギオが、それに補足してくる。
「特別な杖から放たれる馬鹿げた威力の魔術にものを言わせる古代機兵、『翠杖のノゲリエ』を操る人物だ。もしもトラヴィート方面の指揮官をやっていたら、あるいはレフ王を討ち果たしていたのではないか、とも噂されている」
「成程。一種の化け物ってことだな」
「ああ」
オルギオは楽しそうに笑いながら、言った。
「あの御仁は俺でなければ止められないし、あるいは俺でも勝てないかもしれん。きっと向こうもそう思っているだろうことが、俺には堪らなく嬉しいのさ」
呆れた物言いではあるが、頼もしくもある。
流狼はオルギオの言に頼りにしてると返したうえで、視線をエナとティモンに向けた。
「アルズベックが来ている、とリギングライ将軍は言った。となると、間違いなくクルツィアとエトスライアが出てきている。……エトスライアはお二人に任せるということだったけど」
「ええ、ルルォ様。いい加減私もエトスライアを帝国に預けっぱなしなのは腹立たしく思っておりましたので」
「右に同じく。アルズベックの相手は、ルウ殿がやってくださるので?」
「龍羅さんが出てこなければ、という前提になるけどね。……アル、龍羅さんの機体は戦場に出てくるだろうか」
『どうかな。武装は破壊したし、戻ってきても大した戦力にはならないと思うけれど……。マスターが本気でかかって仕留めきれない相手がいるとは思わなかった』
結局のところ、アカグマが左腕に傷を負い、龍羅のガルダは武装を失ったがほぼ無傷。
結果だけを見れば引き分けた形だ。
とはいえ、流狼の目的は龍羅の撃破よりもサイアーたちの救出・撤退援護にあったので、目的を果たしたという意味では流狼の勝利とも言えるが。
「ルウと同等か……。アル殿、映像はありますか」
『うん、保管しているよ。あとでみんなで確認するといい。見るからに特徴的だからすぐわかるから』
「ありがとうございます! ぜひ!」
何やらエナがいち早く反応する。まだシミュレータで一度も流狼に勝てていない彼女たちにとっては、流狼と引き分けた者がいるというだけで驚きなのだろう。
オルギオとエイジは夜襲に備えて、見張りの選別を始めている。
「サイアーは……王都に残ったのか」
「ああ、専用の機体の乗り手が、自分の機体を使えないのは痛いからな。彼がいれば、最悪暗殺という手もあったと思うんだけどねえ」
「どちらにしろ龍羅さんが居れば上手くはいかなかったさ。同じことが出来る奴が近くにいないとも限らないしな」
ティモンの説明ともぼやきともつかない言葉に、流狼も肩をすくめて返す。
そういうものかと頭を掻きつつ、ティモンはふいに真剣な顔になった。
「それで、アルの旦那。……エトスライアを取り返すにはどうしたらいい」
『エトスライアの中で眠るエドワルダを起こすしかないね。……一応、ジャナスを起こした時のプログラムがあるから、提供するよ』
そこまで言ったところで、アルは少しだけ俯いた。言おうかどうしようか迷った様子で、だが顔を上げてティモンとエナを交互に見た。
『エトスライアの役割はシンプルだ。重装甲にものを言わせて突撃し、強引極まりない膂力で前線を崩壊させる。そういう意味では、エトスライアは乗り手不在の状態でも正規の乗り手が扱う方法に近い運用ができる唯一の王機兵なんだよ』
「それはつまり……」
『スーデリオンで前線指揮を執るのがエトスライアだったら、こんなことを言わなくても済んだんだけどね』
現実とはままならないものだよ、とアルは首を振った。
『エトスライアに接触して、エドワルダを起こすための魔術を起動するのは出来るかもしれない。でも、それによってエドワルダがすぐに目を覚ますとは限らない。どうしたって、賭けになるよ』
その言葉にさも当然のように反応したのは、ティモンだった。
エナが口を開くよりも早く、言い切る。
「そりゃ仕方ありませんや。エトスリオの民として、お嬢にエトスライアをお返しする。その為ならば危ない役目のひとつやふたつ覚悟の上ってもんですよ」
「ティモン……」
「お陰さんで、ラケスの緑獣はそういうことをできるだけの性能を持っているようだ。お嬢と二人で何とかエトスライアを取り戻してみせますよ」
普段はお調子者のティモンが、何やら凛々しい表情で胸を叩く。
エナは複雑な表情を見せていたが、それ以上何かを言うことはなかった。
エネスレイクと帝国の機兵たちが向かい合う。
王機兵は帝国側に二体。
一方、規格外の機兵については、アル謹製の機兵を持つエネスレイク側の方が多い。
「龍羅さんは出てきていないか」
『そのようだね』
「……なあ、アル」
『なんだい?』
「エトスライアは、それほど厄介なのか」
『うん。四層目の外装を持っているのは、重王機エトスライアと海王機ヒウェストしかないんだけどね。この前マスターが使っていた『シューティングスター』。あれをエトスライアは真正面から受け止められる』
「何!?」
『だから、正直なところ二人に話した手段でしか、あれを止められる方法はないと思っているんだ。ボクも心から上手くやってほしいと願っているよ』
「そうか……」
と、帝国側から大柄な機兵が一機、歩いてきた。
大きな四枚の翼があるから、あれが翼王機だろう。とすれば、乗っているのはアルズベックか。
『……エネスレイクの王機兵、その乗り手は居るか』
「ここにいる」
流狼は止めようとするオルギオ達を制して、同じように前に出た。
それなりに離れた距離で対峙する二機。
『今日は王機兵ではないのか』
「修理中だ。聞いていないとは言わせんぞ」
『……事ここに及んで、ということは事実だったか。ならば、エネスレイクは我が国に誠意を持っていたことになるな』
今更ではあるが、エネスレイクの正しさを認める発言をするアルズベック。
背後でエイジが驚いた声を上げるが、流狼はそこに反応する余裕がなかった。
『最後にもう一度だけ聞こう。その力を、我が国に貸すつもりはないか』
「……ここまでしておいて、それを言うか」
『不幸な誤解とすれ違いの結果だ。もし受け入れるならば、私の権限によってエネスレイクの独立を永久に認める』
「すれ違い、ね」
『この言葉は、次期レオス皇帝たるアルズベック・レオス・ヴァルパーの公式な言葉として伝えるものとする』
流狼は背後を振り返らなかった。エイジやオルギオを信じていたからだ。
「断る」
『何?』
「前に俺はあんたに聞いたな。あんたが大陸を統一する理由は何か。そうすることに何の意味があるのか。俺はそれをまだ聞いていない。……それに」
少し前に、エイジから言われていた言葉がよみがえる。
「エネスレイク王国は、帝国に独立を認められる必要などない。俺たちの国は帝国の属国ではないのだから」
『傲慢だよ、アルズベック・レオス・ヴァルパー。キミは国を人質にとることでマスターに臣従を迫ったつもりだろうけど――』
『アルズベック! 我らが、英雄を餌に帝国に尻尾を振ると思ったか!』
『俺たちは貴様らに見下される筋合いなどどこにもない!』
アルの言葉を皮切りに、背後の機兵たちが騒ぎ出す声が聞こえてくる。
流狼は改めて、アルズベックに問いかけた。
「国というものはいつだって、その国に住む人々の想いによって成り立っているのだそうだ。彼らもお前の承認など必要ないとさ」
『……ならばエネスレイクの王機兵の乗り手よ。私はお前に一騎打ちを所望する』
「なんだって?」
絞りだすように吐き出された、脈絡のない言葉。
今度こそ流狼は唖然として聞き返した。
『一騎打ちだ。私と、お前の。お前の精霊は言ったな。私はクルツィアの正式な乗り手ではないと。貴様の機兵の吐き出した言葉と、貴様の機兵の持つ力と』
「……ああ、言ったな。そう言えば」
『私はそのすべてを否定するのだ』
「なんだ、結局のところ、『そこ』かよ」
流狼は苦笑を漏らした。
何とも分かりやすい。
「いいぜ。受けてやる。……だが、一騎打ちとなると、ここでやるにはお互い都合が悪いんじゃないか?」
『……そうだな』
『――なら、そこには私が連れていくとしよう』
突如、聞こえてきたのは第三者の声だった。
『な、誰だ――』
『つれないな。ひとの体を好き放題弄繰り回しておいて』
『ルッツ!』
『やあ、アル。久しぶりだな』
『一体どうして……』
『まあまあ、積もる話は後にしよう。まずはご所望の場所へ案内する』
アルズベックとアルが困惑の声を上げる。
と、クルツィアが翼を大きくはためかせた。
『な、これは!?』
『この体を陸上だけで使い続けるのは大変だったろうに、よくやったものだ。その点だけは敬意を表するよ、
ルッツと呼ばれた――つまりはクルツィアの精霊か――声の主が呟くと、翼をはためかせたクルツィアが空中にその身を躍らせた。
『さあ、掴まるといい。アルカシードの乗り手殿』
差し出された左手を掴む流狼。全身に感じる浮遊感は、アルカシードで神兵を殴り飛ばした時とはまた違うもので。
徐々に小さくなる仲間たちを眺めていると、頭上で声が張り上げられた。
『……全軍、戦闘を開始せよ!』
「な!? アルズベック……あんたは!」
『……順番は変わったが、仕方ない』
「くっ」
帝国の機兵から魔術が斉射されたところだった。
アカグマでは、空中でクルツィアに手を出す手段がない。暴れれば振り落とされるだけだからだ。
だが、エネスレイクの機兵たちは動揺することなく、反撃を開始している。
練度では決して負けていない。
『汚い真似をするね……。まあ、エイジが読んでないはずもないか』
「二人してここを抜けるのは予想外だったろうがね」
帝国から前線に押し出してきたひときわ大きな機兵。
「エトスライアか……」
『まずいね、乱戦になると二人の負担が大きい』
アルの焦った声に、だが流狼は落ち着きを取り戻すようにひとつ大きな息をついた。
視線をちらりと上げて、アルを諭すように言う。
「考え方を変えよう、アル。エネスレイク軍は俺をクルツィアに当てることで、二体の王機兵を同時に相手取る状態を避けることが出来た。エナさんとティモンさんなら……ナルエトスとラケスの緑獣なら、きっとエトスライアを取り戻すことが出来る」
『そうよ、アル。こっちはこっちで、ルッツが起きている状態のクルツィアとこのアカグマで当たることになるんだから。あの子が乗り手じゃない相手にどれだけ力を貸すかは分からないけど……』
『こっちに集中しろって言うんだろ? 分かってるさ』
周囲の魔力制御に集中していたラナまでが口を挟んできたからか、アルは何やら不機嫌そうに言い放ったのだった。
「リギングライ将軍。本当に貴殿と戦うことになるとは思わなかったよ」
『私もだザッファ将軍。……ところで、総司令官ともあろうお人が最前線に立っていて良いのかね?』
白鎧のノルレスと、翠杖のノゲリエが向かい合う。
細身の刃を構えたノルレスの、スリムな機影から放たれる殺気は鋭い。乗り手であるオルギオの声音が喜びに弾んでいるのが、ひどく不釣り合いだった。
一方でノゲリエに乗るエキトゥの方も負けていない。機兵の体長ほどもある巨大な杖の先端には、最早鈍器にしか見えないようなごつごつとした宝石の塊が鈍い輝きを放っている。
「愚問だし、お互いに条件は同じだろうエキトゥ?」
『そうでもないな。貴殿とは違い私の後ろにはエイジ殿下がおられない』
「始終戦争をしている貴国なら、策士の一人やふたり」
『ああいうものは、数が居れば良いというものでもなくてな』
二機の間ではすでに一触即発と言ってよいほどに殺気が膨れ上がっているのだが、裏腹に動き出す様子はない。
そして、二機の近くに寄ってくる機体もない。
どちらの陣営も分かっているのだ。余計な手出しは邪魔なだけで、何の役にも立たないということを。
「さて、では始めるとしよう。ルウが戻るまでにこちらを平らげておくのが俺の役目だ」
『ふむ? そうだな、この戦場で私の勲となりそうな相手は貴殿くらいのものだ』
ノルレスが姿勢を低くするのと、ノゲリエが杖に魔力を込め始めるのはほぼ同時だった。
『では、殿下の言にならって……オルギオ殿。貴殿のすべてを平らげてみせよう』
「吐かせ!」
刹那。
白い雷光が戦場を眩く照らし、緑色の波動が周囲に撒き散らされて触れたものを次々と吹き飛ばしはじめた。
クルツィアが降り立ったのは、先ほどの戦地よりもかなり高い位置にある高地だった。
時期ではないのに雪が地面に根を張り、木々の類はほぼない。雪の白と岩肌の鼠色が寂しい雰囲気を生み出している。
そしてどちらともなく始まった戦闘は、あまりにも一方的な展開となっていた。
『くぅっ!』
「甘いな」
アルズベックにはクルツィアの運動性能を生かすことが全くできなかったのだ。
空中戦に於いて最強の誉れ高いクルツィアであるが、正式な乗り手ではないアルズベックではその力を使いこなすことが出来ない。
少し速力を上げるだけで全身に伝わる衝撃に集中を奪われ、結局は普段程度の動きしか出来ていない。
『くそ、これ程の……王機兵でなくても、貴様の機体はこれ程の力を持つのか!』
『悪いけど機体の性能はそう変わらないよ。違うのは乗り手の力さ。ボクのマスターは最高でね、本来の力を使いこなせないならば王機兵にも負けないよ!』
『へえ。あの偏屈なアルがそこまで懐くとはね。……こりゃあ、確かに出来た人物のようだ』
「アルは最初から素直で温和で優しいやつだよ」
『そうね。可愛らしいと思うわ』
『やれやれ、その辺りのことは私には理解できないな』
クルツィアの多重装甲は薄く、二層しかないというのだが、アカグマの打撃でもその装甲は破れない。
しかし衝撃は内部のアルズベックに十分伝わっているようで、アルズベックの苦悶の声を頼りに流狼はクルツィアに打撃を放っていく。
『リューラやシドの時にも思ったが、やはりその技量は惜しいな……ぐうっ!』
「人材狂い、だったか。この状況になってもまだ言うかよ」
今の時点で、アルズベックの攻撃は一度もアカグマを捉えていない。
流狼は呆れて声を上げるが、油断はしていない。
『言うさ! 大陸を制覇するための人材は、いくらいても足りないからな!』
「そんな理由で俺たちは招かれたのか……!」
『そうだ! だからお前は私たちにその力を貸すべきなのだ!』
「お前たちのそんな都合で呼びつけたことに対する詫びが先だろう! 俺たちには、向こうに生活も、大事な人だっていたんだっ!」
『詫びもしよう、出来る償いならば何でもしよう! これ程の力なら、お前の力を手にできるなら、そうだ! ヒヨをお前の元に返すことだって……!』
流狼は言葉の意味を一瞬理解しかねて、だがすぐにその意味を理解して頭が沸騰した。
「……お前、今、何と言った……!?」
『っ……!』
アルズベックもまた自分の失言に気付いたのだろう。
言葉を呑んで、しかしそれを覆しはしなかった。
「お前はぁぁっ! 陽与ちゃんを道具のように扱うのか!」
『道具ではない、道具などでは……!』
「お前の一存でその行く先を決めるならば、そういうことだ! お前は、お前だけは陽与ちゃんをそんな風に扱わないと……!」
『マスター! 落ち着いてっ!』
激高する流狼に、アルの言葉が飛ぶ。だが。
「無理だ、アル! それは無理だ!」
『マスター……!』
「アルズベック・レオス・ヴァルパァァァァッ! お前に陽与ちゃんを任せてはおけない!」
『くっ……!』
流狼の咆哮に、クルツィアが杖を構える。
気圧されている様子のアルズベックが、一歩後ずさった。
『仕方ない……マスター、フォローはボクとラナがする! やってっ!』
「叩き砕く! 武境・絶人!」
アカグマから魔力と氣が吹き上がる。
その拍動だけでクルツィアのバランスが崩れるほどの勢いだ。
『……ほう、凄まじい出力だ。私に気を使ってくれていたのかな』
『黙っててくれ、ルッツ! 今はキミに関わっている余裕はないんだ!』
『ふむ。……アルズベック、このままではお前は死ぬな』
『まだだ! 私にはまだ勝ち目が残っている!』
『ほう? ならば一度だけ、私の力を貸してやろう。勝ってみるといい』
『ルッツ!?』
『悪いね、ラナ。こんな奴だが、この体を扱う時には真摯かつ丁寧だったのは間違いないんだ。乗り手にしてやるほどの恩はないが、一撃を試させてやる義理くらいはある』
『……そうね、あなたはそういうヒトだったっけ』
高められた氣と魔力が、アカグマの右拳に集中して赤く輝く。
構えを取ったアカグマがずんと一歩を踏み出すごとに、地面が波打つ。
『飛猷流古式打撃術、奥義! 五嶽月震!』
ゆっくりと歩いているようでいて、しかし驚異的な速度でクルツィアとの距離を詰めていく。
拳が届くほどの距離になったところで、アカグマが右拳を振るう。
その瞬間、クルツィアが宙に舞った。
『恐ろしい感応波の集中だね。当たれば私も無事では済まなかったところだ』
ルッツが声を上げるが、流狼は諦めていなかった。
すぐさま拳を引き、上空のクルツィアを見上げる。
『まさか、当てるまで持続するのか!?』
『く、術式開放!』
アカグマが跳ぶのと、アルズベックが杖にひそめていた術式を発動するのとは、ほぼ同時だった。
『馬鹿な、その術式は!?』
アルが驚いた声を上げる。
『まずい、マスター! 避けてぇっ!』
『もう遅い、私の勝ちだ! ルロウ・トバカリィッ!』
突き上げられた拳に合わせるように、杖が叩きつけられる。
『お前は、この世界にいてはならない人間だ! 消えろぉっ!』
術式が青く輝き、アカグマにその光が伝わる。
『まずい、ラナ! マスターだけでも転移を――』
『ダメ、間に合わない!』
「アルズ……ベェェェック!」
青がアカグマの全身を覆い尽くし。
次の瞬間には、流狼の視界が暗転した。
目の前で、空中に溶けるように赤い機体が消え失せる。
成功だ。
アルズベックは笑みを浮かべて、操縦桿から手を離した。
「やった……やったぞ! 私は勝った!」
杖が砕け散った。拳に合わせた瞬間に粉砕の音が聞こえていたが、術の完了まで保ってくれたことにアルズベックは心の底から感謝した。
『……つまらない真似をしたものだ』
ルッツと呼ばれていたクルツィアの精霊が、興を削がれたような声を上げた。
「何を言う。これが勝利と言わずして、何だと言うのだ」
『今のは送還の魔術だな? かつて我々がすべて破棄したはずのものだ。お前、それをどこで手に入れた?』
「無礼な物言いをするやつだな。だが、まあいい。これは我が師ミシエルが古文書を紐解いて見つけたという古代の魔術だ」
『……やはりそうか。ネジェラ・ディクトの血に潜んだのだな、奴は』
「お前は何を言って……?」
『知る必要はない。もうお前への義理は済んだ』
瞬間、アルズベックの眼前がばかりと音を立てて開いた。
まるでゴミを捨てるように、空中に放り出される。
「うお、うおおおっ!?」
『お前は決着をつけたのではない。向き合うことを止めて逃げただけだ。……私のマスターとしてこの空を統べる資格も、これ以上私に触れる資格もない』
「くうっ!」
空中で魔術を発動し、落下の衝撃を抑える。
しかし地面についた瞬間、アルズベックは大量の血を吐き出した。
「ごぶっ!?」
『あれ程の打撃を受けたのだ。杖だけで衝撃を殺せるものか。……この体もしばらく修繕が必要だな』
「ど、どこへ……」
『真なるマスターの元へだ。すでに声は届いている』
「ま、待て……私を置いていくのか」
『言ったはずだ。お前は決着をつけたのではない。お前は勝ってなどいない。もしも勝ったのであれば、私はお前を先ほどの戦場に送ってから去っただろう。もしも負けたのであれば、私はお前の骸を帝都に送ってから去っただろう。だが、お前はそのどちらも選ばなかった』
「クルツィア……!」
『さらばだ。獣の餌になって死ぬか、凍えて死ぬか、餓えて死ぬか、自ら命を絶つか。それを選ぶ自由くらいは残っているさ』
「クルツィア!」
西に向かってクルツィアが飛び去る。
慌てて追うが、当たり前だが追いつけるはずもない。凄まじい速さで蒼穹の向こうに消えていく。
アルズベックはふらふらと歩き出した。
台地の端にたどり着き、その下を見る。
そして、力なく両膝を着いた。
「……こんな」
眼下に雲が見える。
吐き出した息が白い。
「ここは一体、どこなのだ……!」
帰る手段は、最早ない。
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